ソプゲン=ヴンダーグ=シャ=アイユヴァン=ナプトー
soprren-bunda^rr-sha-aiuban-naptou

やる気を感じさせない風貌が得意

生年月日 シンテーア暦1765年5月19日
ガールン暦3696年上2月2週5日
出生地 ニーネン=シャプチ
セストナウ
没年月日 黄色くなって死ぬ?
死没地 様々
出身校 セストナウ大学
前職 枢密院副長官
十六人委員会政治顧問
称号 現代のヴンドゥイ
全ての元凶
売国奴
配偶者 残念ながらいない
リスポーン地点 サクサヴァス
ダイユンヴァール
サイン imageプラグインエラー : ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (ソプゲン=ナプトーのサイン.png)

 ソプゲン=ヴンダーグ=シャ=アイユヴァン=ナプトー(ダン=ラ=ハン語:sopghen-bundâgh-sha-aiuban-naptou)は、ニーネン=シャプチの元政治家の男性。
 1779~1790年のナプトー参事会で星衛主席を務め、シャグマ=ラゴン戦争?のニーネン=シャプチ本国政府側における代表者として振る舞ったが、敗戦を受けてヴァルエルク共和国を含む複数の政府から戦争犯罪者に認定されていた。
 政府公式マスコットキャラクターの「すらんちくん?」というキャラクターを考案した人物としても知られており、大宇宙国際すらんち倫理委員会?委員長を務めている。
 かつては思想家、宗教指導者、言語研究家、すらんち哲学者としても活躍していた。


略歴

幼少期

 ナプトーは惑星チャグマ=ダプラのスューグ地方北部の大都市タイエネルヴァーグの郊外にある工業地帯の中産階級の家庭に生まれた。母ヒューミの一家はタイエネルヴァーグの小規模民生スガイユンで製造業を営んでおり、父のダグ=ヌーティエもそこに勤務していた。
 幼少期は両親共に仕事で忙しく、母方の祖父母や叔母などの親戚がナプトーの面倒を見た。そのため、ナプトーは両親よりも祖父タイフェルと祖母シタンフィエを尊敬していた。

 また少年期には近所で「お小遣いをあげる」という騙し文句に引っかかりあっさりとシ=ギーラムマフィアの手先に誘拐されたこともあった。これが原因で引っ越すこととなった。

 ナプトーが物心つく頃にはナプトーは両親と共に惑星チャグマ=ダプラのアイユヴァン郊外に移住した。田舎の幼年学校に転入することになり、新しい環境に上手に馴染めなかったナプトーはこの頃から徐々に引っ込み思案になっていった。
 また、この頃テラフォーミングに興味を持ち、テラフォーミング学者になることを目標にするようになった。
 思春期にはナプトーは一度不良になったが更生し、遠くの学校に自力で通っているうちにわずかな忍耐力と体力をつけた。その甲斐もあって、セストナウ大学に合格した。

セストナウ時代

 セストナウの大学に進学したナプトーは親戚中の自慢になった。自身としては大したことがないと思っていたが、その噂は親戚中に広まり、本人の知らないところで尾ひれがついて非常に期待された。ナプトーはセストナウの地下コロニーの一区画を借りて生活が始まった。
 ナプトーは最初のうちは頑張っていたが、生態系工学で有名なアーフェン分校への所属選考に落ちてしまった。あまりのショックから全身が黄色くなってしまったのでテラフォーミング学者になるという夢を諦めた。
 セストナウの厳しい冬や故郷から遠く離れた辺境の地での孤独に苦しめられ、自暴自棄に陥った。蒸したままのユグムをユグム蒸し器の中で1年近く放置するなど、生活も荒れていたとされる。
 紆余曲折を経て枢密院で勤務することになった。

枢密院時代

「ほんと、ジエールはこれからなんで、そう信じてるんで、お願いします!」
――ジヒラート8世?

 枢密院でのナプトーは真面目に働き、チャグマ=ダプラ?枢密院副長官となったが、長官のマリョーン=チェプガニーシと対立して罷免された。
 ナプトーはこの件ですっかり情熱を失い、またしばらく黄色くなっていたが、ある時「すらんち?」という概念を思いつく。
 そして、「すらんち探しの旅」が始まった。この旅でジエール帝国連邦に訪れ、ジヒラート8世?と出会ったことが転機となり、政界に進出する。

政界へ

「拝金主義者と一緒とか、アンタらしくないと思うけどなー?」
――スニャールフィエ?

 政界に進出することを決意したナプトーは、 愛国党に入党し、この頃にスニャールフィエ?ダガイユル?と出会う。最初の頃は三人は仲良しだった。
 「すらんち?」の概念を整備するなどした功績を認められ、次第に発言力を高め、遂には大宇宙国際すらんち倫理委員会?(L.D.S.G)を創立し、初代委員長に就任。この影響もあり、大宇宙連合総会の議長に就任した。

 十六人委員会政治顧問に就任。テラフォーミング事業には参加せず、主に政治的な調整を行っていた。ナプトーは主に貴族家の利権確保に奔走していたことから、シャプチ主義者のスニャールフィエにはスゲーちょっかいを出されるようになった。会議室ではすねを蹴られたし、すれ違いざまに足を踏まれたこともあった。
 でも本当は資本主義者の集まりである十六人委員会は拝金主義?で嫌いだったので、権力を握ったあかつきには裏切ってやろうとか考えていた。

 1778年の選挙では記念のつもりで立候補。本気で星衛主席になろうとは考えていなかったが、十六人委員会の大貴族?たちが水面下で様々な活動を行ったため、奇跡の大逆転を起こして当選した。1779年に「第一次ソプゲン政権」として星衛主席に就任した。

シュプタイ事件

「残念だったな! 俺はお前たちのような俗悪?が嫌いで嫌いで堪らねえんだ!」
――ナプトー

 1773年、元々公社派寄りの政治を期待されて当選したナプトーであったが、当選直後に愛国派に寝返り、公社派議員の主導者層56名を粛清した。背景には十六人委員会の権益を確保することを条件に実行されていた。スニャールフィエを味方につけることに成功し、招民院諜報機関”サナト”の工作員がこれを実行した。

公社派の粛清

「あんた、案外あたしのこと分かってんなー」
――スニャールフィエ

 権力を手にしたナプトーはもはやノリノリだった。
 やる気と時間だけはあったので次々にニーネン=シャプチ経済を立て直し、国内の活気を取り戻すための政策に着手した。
 ついにナプトーが本格化し、なんか顔つきまで変わってしまう。

 50年代から60年代にかけて公社派寄りの政治で腐敗したニーネン=シャプチ経済を立て直すべく、ナプトーは「5年以内に1750年代の経済水準にまで立て直す」とし、シュプタイ=ドラヴァング宣言を行う。シャグマ=ラゴン入植事業の一部制限を発表。三大公社はこれを批判した。
 シュプタイ=ドゥラヴァング宣言での改革によって、増加する失業者を軍事技術の研究と製造に当たらせるべく、全的就業を目的とした執政院下部組織「ヴンドゥヤナツェーグ」が設置された。新旧の宇宙艦艇や軍事技術の売却を行い、外貨獲得によって景気悪化に歯止めをかけることに成功し、わずかな好景気の時代に突入した。
 翌1774年には優生人工獣人法を施行。第二世代不死技術と人工獣人技術を組み合わせた優生人工獣人への手厚い保護と秘密裏に行われていた製造の量産化についての法律を制定。大量の優生人工獣人が製造され、シャグマ=ラゴン星で三大公社に配属される。
 星衛評議会で「マグラン=ガラン?は私に弱者救済の使命を思い出させてくれた」と演説したため、ますますスニャールフィエに気に入られるようになった。
 翌月にはこの法案に反対意見を唱え続けていた十六人委員会のドフィエ=シャ=ラニル家当主、サッツェタータ家当主が殺害されるダイユンヴァール事件が発生。プダージのダイユンヴァールにある十六人委員会本部が第二ガイユの特務工作員によって襲撃され、コロニー区画の爆発した。貴族階級の強い反発を招いたが、中産階級以下はこれを歓迎した。事件の背景にはスニャールフィエが関与していると見られた。十六人委員会は事実上閉鎖されることとなった。
 ちなみに、ドフィエ=シャ=ラニル家の当主の死亡で父を失った娘のアルチェはシャグマ=ラゴン戦争?を引き起こし、植民地政府首班としてナプトーに対して復讐を企てることになる。

 1775年、「すらんち概念」の集大成としてすらんちくん?の量産を開始。各地にすらんち園が開園した。

軍拡

「今こそシャプチの栄光を取り戻す時だ」
――ナプトー
1780年代のポスター
 1777年、集産市場の開設し、全惑星規模の臨時の配給制度を設置した。ナプトーは招民院警察「プナ=タイユ=ウェグナ」を通じてシャグマ=ラゴン星でプロパガンダを行い、愛国主義への傾倒と、三大公社への批判を展開した。
 1778年、三大公社への批判は元老院からの非難の的となり、星衛主席告発決議の発案を画策したが、星衛評議会での愛国党議員らによる妨害工作によって未然に防がれる。星衛主席告発決議の報復として、業を煮やしたナプトーは招民院諜報機関"サナト"の工作員を元老院本部送り込み、強制執行を以て元老院を閉鎖した。
 1780年、新兵器シチャルト・シールドの試作型と設計図をアクース連合に輸出。
 1782~1784年にはシャグマ=ラゴン飢饉が起こり、シャグマ=ラゴン星の天候不順による不作と電力供給不足により30万人が死亡。死者は貧困層に集中した。三大公社は穀物の市場放出を拒否し、ニーネン=シャプチ本国政府による食糧援助が行われなかったため深刻化した。
 ナプトーは三大公社を強く非難し、救貧政策の実行を計画した。
 1783年 天命安息地公社集団自殺事件が発生。
 三大公社の労働者たちは次々に辞職して援助を受けたため、三大公社は政府に対して再三援助を求めた。しかしナプトーはこれを黙殺し、83年には三大公社の一つ、天命安息地公社が経営破綻し経営陣が集団自殺する事件が起こった。
 この事件は国内に大きな波紋を起こし、シャグマ=ラゴンの人民たちは(自分が政府からの援助を受け取っておきながらも)政府に対する批判を展開する風潮になった。
 1783年、シャグマ=ラゴンの人民たちは「自分たちが辛苦に耐えて開拓を続けたにも関わらず、政府は楽をして(しかも我々のご機嫌取りをしながら)それを自分たちのものにしようとしている」という主張の下、「ナプトーの魔の手からシャグマ=ラゴンを守らねばならない」としてデモを決行。魔の手運動が起こる。数度の大規模デモが行われ、参加者は合計で1200万人。デモ隊と政府の軍隊との衝突で2000人近くが死亡した。この運動の背景にはアルチェが関与しているとされる。

開戦

「ススティウの泥濘これを踏み越えて 我こそ王者スナエード エシュトの民を導かん」 ―ナプトー
 開戦時はかなりニーネン=シャプチ本国側が優勢であった。
 シャグマ=ラゴン植民地政府が保有していた装備は二線級のもので、兵士の練度も高くはなかった。戦術に関しても正面突撃かゲリラ戦法の二つしか記録されておらず、彼らの戦い方が「稚拙」であることはナプトー自身も認識していた。一方で士気は高く、捕虜の扱いには苦労した。ナプトーは国際参戦を恐れており、センセーショナルな国際ニュースとして報道されるような行為に関しては厳しく取り締まっていた。

 しかしながら、そのような彼の努力は虚しく、シャグマ=ラゴン植民地政府がヴァルエルク共和国からの全面的協力を受け入れることを決定したため、各国のシャグマ=ラゴン戦争介入が決定した。

戦局の悪化

「クソッ…どうしてこうなった!? 負けるくらいなら退却を禁止しろ!」
――ナプトー
第二次宇宙大戦末期、
野戦司令部にて
 大国の介入や反乱分子の大量発生に苦しめられて竜頭蛇尾って感じだと思う。
 この頃のナプトーは劣勢挽回のため、睡眠時間や自由時間を犠牲にして野戦司令部で直接指揮をしていた。

終戦後

「だひー」 ―ナプトー
戦後しばらくこうなっていた。
 敗戦する前から黄色くなっている。

その後

本気で逃げるナプトー
 スレフィエに亡命しようとしたがスレミス星の砂漠でアシナガヘニエン?に追い掛け回され断念した。

人物

すらんちくん?のイラスト
   詳細は「すらんちくん?」を参照

 すらんちくん?を生み出した人物として有名だが、そもそもすらんちくんはすらんち?を普及させるために作られた政府公式マスコットキャラクターであり、活動の趣旨があまり理解されていない人物。

 すらんちの対義語は俗悪?(balhlanch)であり、これを憎んでいる。
 ナプトーは公式で俗悪の定義を決定づけた人物でもある。

健康と精神

 精神的に貧弱な著名人としても有名で、他者からはもちろん、自身の発言によっても「黄色くなって」死亡する[要出典]?。この「死亡」とはあくまで精神的な死亡の比喩であり、実際に生命活動が停止するわけではない[要出典]?

 ナプトーの健康状態は年々悪化しており、肉体は節々に爆弾を抱えている。長年俗世から身を引いた生活を繰り返していたことから首の骨の形状がストレートネックになり、よく首が炎症化し痛めることがある。また、急に立ち上がると胸骨がメリメリメリと軋み音を鳴らす場合がある。

食事習慣

 第二次宇宙大戦?シャグマ=ラゴン戦争?)前までは規則正しくバランスの良い食事を行っていたが、戦局が悪化するにつれてより手早く体に悪い食事をとるようになった。現在は無気力となり、小さなテーブルで無表情、もっちゃもっちゃとインスタントユグムを食べている。

言動

 普段は非常に流されやすく、むしろ会話以外においても無抵抗である。
 稀に俗悪?を発見すると、戦時中の姿に戻り、「俗悪を宣言」をすることがある。宣言しても、特に何も起こらない。

交友関係

すらんちくん

 すらんちくん?はナプトーの眷属でありペットであり相棒である。ナプトーがいるところではすらんちくんは黄色くなって死にくくなる?
 ナプトーが本気を出すとすらんちくんも本気を出し、お互いに連携しながら敵と戦う。
 表情がリンクすることでも知られており、よく一緒にもっちゃもっちゃ状態になる。ナプトーかすらんちくんのどちらかが黄色くなって死ぬ?ともう片方も黄色くなって死ぬ?

スニャールフィエ

 シャ=ファウチャプガリェプネンチ=スニャールフィエ?はナプトーが本気を出していた頃を間近で見ていた数少ない人物。ナプトーの懐刀として数々の有力者の暗殺を主導しており、[[第二次宇宙大戦?シャグマ=ラゴン戦争?)]]の終戦も国民とナプトーのためにプナウィム秘密協定を締結するなど、様々な活動を行った。
 ナプトーが愛国党に入ったばかりの頃は彼のことを蛇蝎の如く嫌っていた。
 現在ではナプトーのことを気に入ってはいるが、恋愛感情は抱いていない。スニャールフィエの甘噛みの餌食になって黄色くなって死ん?だり、ナプトーの宇宙船を勝手に乗り回してナプトーを困らせる。
 だけど本当は本気を出していた頃のナプトーに戻って欲しいと思っている。

ジヒラート8世

 ジエール帝国連邦の建国に貢献したジヒラート8世?とは長い付き合いであり、数少ない友人であるとされる。
 拝金主義?の撲滅については彼直伝のものである。

レイニエちゃん

 レイニエちゃん?はナプトーが唯一認めた、「ナプトー本人以外ですらんちくんを飼い慣らすことができる人物」である。実際はほとんど会ったことがなく、たぶんスニャールフィエやサリエの方が仲良し。


語録

  • 「星衛主席とは、如何に偉大な功績を残すかじゃない。 如何に政治家を長く続けられるかだ」
 控えめに言っても器用な人間ではないことが分かる。

 大宇宙番付において「最も死亡しやすい国家元首」第一位に選出された。

  • 俗悪?を滅ぼさねばならない」
 あまりにひどいものを見ると、戦時中の顔に戻る場合がある。

  • 「だひー(HGS創英角ポップ体)」
 特定の書体でないと無効であると言われる。最近は「ばうー」と言っている場合もある。

  • 「これはインド屋だな」
 アース連邦旅行時に見かけたインド料理店を見かけて。語彙力が貧弱であることも有名。

  • 「(ヴァルエルク艦を見て)ヴァルエルク語の船」
 なぜ言語?

  • 「あ、悪い船だ」
 違法小型宇宙船を発見した時のナプトー。状況認識が6歳児童並と言われていたりいなかったりなどする。

  • 「店長の気まぐれシェフ」
 「シェフの気まぐれ料理」と言いたかったにも関わらず、「シェフって店長なんだっけ?」という疑問を挟んで生まれた言葉

  • 「前番が順後した」
 「順番が前後」してしまっている。

  • 「パリンコチャクられた」
 アース連邦にて自転車を奪われた時のナプトーの発言。

  • 「井の中の知らず大海を蛙」
 アース連邦のことわざがよく分からないとされている。

  • 「左方向先、右方向です」
 ナプトーは案内が非常に下手であることが知られている。

  • 「俺以外みんな無能」
 「俺以外みんな有能」と「俺は無能」が混ざって大変な煽り文句になってしまった伝説的名言。問題発言としては痛恨の一撃級である。

  • 「もっちゃもっちゃ」
 虚無に陥りながら食事をしている姿とされる。食物だけでなく、この世の無常さも噛み締めている。咀嚼力は低め。

  • 「東西南北盲」
 左右盲の亜種。実際方角感覚がないことで知られる。もう大人(超長寿)なのに大型商店でよく迷子になる。

  • 「今週ごはん抜き」
 スニャールフィエ?に言われたらしい。そのショックで卒倒し、心拍をコントロールして心電図で救難信号を発信していた。

  • 「希望があるから失望があるのではなく、失望があるから希望があるのだ」
 スニャールフィエによるとある日突然昔の顔に戻り言ったとされる。
 果たして、全盛期のナプトーに戻れる日は訪れるのだろうか……。

関連項目

最終更新:2024年12月15日 16:08