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約束/まおゆう 魔王勇者 ◆EAUCq9p8Q.






◇◇◇

「昔々、とっても偉大な先生がいいました」

  いつのことだっただろうか。
  まだ数日は経っていない、つい最近のことのはずだ。
  なんてことはないはずの日常の中の、なんてことはないはずのやりとりの一つ。
  少女は、なにかから聞いたセリフをそらんじる。

「人という字は、人と人とが支えあってできていますって」

  まるでリズムに乗るように。
  まるで風に揺られるように。
  左右に身体を揺らしながら少女は隣に控える勇者にそう言った。

「だったら」

  とん、と響く足音。
  跳ねるように、ベンチから立ち上がる少女。
  満天の夜空、今にも落ちてきそうな大きな月を背負って、少女が勇者に問いかける。

「あたしって、なんなんだろうね?」

  突き抜けるような空に、そんなつぶやきが舞い上がり、消えていく。
  聞き届ける人間は誰も居ない。
  寂しがり屋のひとりごと。
  愛の所在を探って、傷だらけの心が描いた軌道。
  確かにそこにある、確かにそこにいる、なんてことはない少女のなんてことはない閉塞感。
  夜空に登って消えていく、誰にも見えない心の涙。

「誰とも助け合えないあたしは、人間でいいのかな」

  出会って何日目かのやりとり。
  勇者の心に今も残っている、なんてことはないはずのやりとり。
  勇者は、深く心に刻み込んだ。

◇◇◇



  ちちち、ちちちち。
  鳥の声。
  明るい黄緑色の光線が降り注ぐ小道で、囁くような小さなさえずり。
  きっと彼らは、見慣れぬ少女について相談を交わしているのだろう。
  【D-6】に位置する森林公園は豊かな緑と手入れされた自然から、観光スポットとしても評判の高い場所だ。
  だが、今日は平日、時間も朝から昼へと移り変わろうとしている頃。
  休日ほど寄る人はおらず、森林公園の道を歩くのは赤ちゃんを連れてお散歩という主婦や、疲れた顔のサラリーマンが少々と言ったところだった。
  そんな中を、およそ場違いな少女が歩く。
  陽気のいい午前に長袖のシャツを着ている。
  年の頃は17、18歳程、高校に通っていてもおかしくない年齢だ。
  通り過ぎる人々も、少し不思議そうな顔をする。
  その度少女は歩調を速め、より人目につかなさそうな方へと進路を切り替えるのだった。

  少女・中原岬は、セイバーの進言を聞き入れ、外出をしていた。
  といっても、この前のように人の多い劇場に行ったりはしない。
  出かけるのは午前中、しかもお昼より前。
  場所も、人通りの多い市街地などは避けて、人通りの少なそうな場所を目指す。
  そこで彼女が目をつけたのが、彼女の家の近所にある森林公園だった。
  昼間ならば人通りが少なく、適度を少し超えたくらいの広さがあるため人ともあまり出会いにくい。
  さらに、森林浴というのは、なんとなく疲れが癒えるような気がして、大検の勉強の合間の息抜きとしてももってこいだった。
  道を歩けば色々な物がある。
  人は居ないけど、新しいものには出会える。
  疲れたら道沿いに置いてあるベンチの一つに座ればいい。
  歩くのに飽きたら公園にまばらに置いてある遊具で遊んでもいい(これは恥ずかしいのでやらないが)。
  岬にとって森林公園は、なかなかに良い場所と言えた。

「いい場所だね」

『そうだな』

  人を避けて歩いている少女のひとりごとに、彼女の頭のなかにだけ返事が帰ってくる。
  答えたのは彼女の英霊、セイバー・勇者レイだった。

「こういうところを歩いてると、コンクリートって怖いんだなって分かるよ」

  次は返事はない。ただ、苦笑いのような声が聞こえた。
  岬は特に気にせず、森林公園の入り口近くにあったマップを思い出す。
  目の前の大きくて急なカーブを曲がれば、また新しい少し開けた場所に出たはずだ。
  数十メートル置きに、遊具と東屋が置いてある少し開けた場所。
  今度の遊具はなんだったっけ、と思いながら曲がり角を曲がって。
  そして、出会った。
  まるで陳腐な少女漫画のように。
  曲がり角を曲がろうとして、出会う。
  といっても、パンは咥えてないし、ぶつかってすっころぶようなこともない。
  ただ、曲がり角を曲がった岬の目に、不思議な生き物が写った。それは、あまりに奇妙な交錯だが、出会いと呼ぶ他なかった。
  不思議な生き物は、まるで服を着たカバのようにも見えた。
  カバは、岬の進行方向とは90度違った方向を向いて、森林から森林へ、移動をしようとしている最中のようだった。
  どうも森林公園の道を横断するようにのっそりのっそりと鈍間な動きで歩いているところだったらしい。

「えっ、カバ……?」

  岬の口からぽそりとつぶやきが漏れる。
  カバ、と呼ばれた人物(?)は、その声を聞き逃さず、岬の方に振り向いた。
  正面から見ると、ますますおかしな格好だった。
  頭は、カバというよりはトカゲや恐竜のようだ。ただし鱗はないしわりとつるつるしている。頭には一本ツノが生えている。
  服は緑色の、引きずりそうなほど丈の長いローブと紫のマント。わりとダサい。
  胸には毒々しいほどに赤い宝石のついたネックレスをぶらさげている。なかなかに前衛的なファッションだ。
  その姿を見て岬は再び率直な感想を述べようとして、口をつぐんだ。
  カバのようなそうでないような生き物が、ぐんと近づき突然拳を振りかぶったのだ。
  ぐっ、と心臓が鷲掴みにされたような感覚が走る。
  頭の血が一気に引き、遠い昔の恐怖が蘇る。
  条件反射といって良い速度で、岬は両手で頭を庇った。ずっと昔と同じく、振るわれる暴力から逃れるために。
  一秒。
  二秒。
  三秒。
  攻撃は来ない。
  ひょっとして、フェイントだろうか。
  岬の知り合いには佐藤という、それはもう、とんでもなく、筆舌に尽くしがたいほど、救いようのないくらいのダメ人間が居た。
  彼も岬に殴りかかろうというふりをしたことがあった。
  怯える岬を見ながら、二度三度とフェイントを繰り返したものだ。
  もしかして、ひょっとすると、このカバもそういう類の人物だったのだろうか。
  もしそうだったら、文句の一つも言ってやろうと思い、恐る恐る目を開ける。
  岬の眼前に広がっていたのは。

「マスター、離れててくれ」

「……くっ、面倒な……」

  実体化し、清らかな白い盾でカバの拳の一撃を防いでいる、自身のサーヴァントの姿だった。

◇◇◇

  セイバー・勇者レイは考えを巡らせていた。
  あそこまで接近を許してしまうとは、想定外だった。
  岬は魔術の覚えがないので索敵なんてでいないし、セイバーもサーヴァントの実体化していなければ魔力の反応を察知できない。
  ポイントポイントでセイバーが実体化していて周辺の魔力反応を探っていたので、用心をしていないわけではなかった。
  だが、敵は何らかの方法でその探知をかいくぐってきた。結果として完全に虚を突かれた形になってしまった。
  目線をずらし、頭をかばっていたマスター・中原岬を確認する。
  間に合った。
  もしもあの拳の一撃を食らっていれば、両腕ごと頭を殴られ、そのまま頭を割られて彼女は死んでいただろう。
  間一髪、カバの動作が遅かったということもあり、実体化して、天空の盾を構えて攻撃を受けきるまで出来た。
  そのままカバの化け物の腕を盾で押し返し、土手っ腹に蹴りを放つ。
  カバは見た目に似合わない軽快な身のこなしでひょいと後ろに飛び退ると、両手で構えを取った。

「お前は、魔族か」

「魔族だと……? わしがただの魔族に見えるか。勇者」

  じり、じり、とお互いに距離を取る。
  セイバーの思考にあるのは一点。
  『一刻も早く、戦力を使わずにこの戦闘を終わらせるにはどうすればいいか』だった。
  長時間の戦闘は避けたい。
  魔力量の少ない岬をマスターに持つ以上、魔力事情には気をつけなければならない。
  戦闘で敵を倒すために『天空の剣』や『ギガデイン』の真名解放を行えば、魔力を大きく消費することになる。
  それに実体化だって魔力消費はただじゃない。実体化し、戦いを続ける間は岬の魔力を消費し続けることになる。
  岬が動けなくなってしまえば、それだけでこの決闘の行方は決まったも同然だ。

  ならばどうするか。
  本来ならば、岬をかついでで逃げるべきだろう。
  セイバーは仕切り直しのスキルを持っているので逃げきれる可能性は高い。
  だが、セイバーの仕切り直しは「ランダムな判定で失敗する」「特定の相手からの逃亡は確実に失敗する」という逸話がある。
  もし逃走を図って失敗してしまえば格好の的だ。相手の宝具や魔術を岬にぶつけられることになる。
  だとすれば、戦って、逃げるチャンスを生み出すか、相手を倒すしかない。
  話し合いで済む相手だとは、初対面の時から思っていない。
  セイバーの血が、逃れられぬ宿命を告げている。目の前の相手の正体を告げている。

「そうか……魔王、だな!」

  カバ―――魔王は何も言わない。
  ただ、息を大きく吸い込み、口から激しい炎を吐いた。
  セイバーは盾を構える。天空の盾はブレス系の攻撃に強い。当然防ぎきる。
  セイバーの後ろで縮こまっている岬も当然無事だ。
  周辺の木の幾つかに火が燃え移るが、それも問題はない。
  白刃が空中を走り、今まさに延焼しようとしていた木々の燃えている部分だけを切り捨てる。
  地面に落ちた火種が、返す刀で両断され、勢いを失って鎮火した。
  そして、剣を振るった勢いをそのままに、「おお!」とも「はあ!」取れぬ掛け声をかけながら魔王に肉薄する。
  セイバーの髪が木漏れ日を浴びて瑠璃色に輝く。
  瑠璃色の閃光に魔王が目を細め、愚鈍な動きで次の動作に備えて動き出す。
  だが、攻撃を放ちきって隙があった魔王よりもセイバーの方が速い。剣を振りかぶり、袈裟に斬り下ろす。
  肉を裂く音。
  血の飛び散る音。
  「ぐふっ」という少々間の抜けた魔王の叫び声。
  一撃が綺麗に入った。会心とまではいかないが、なかなかの太刀筋だ。
  だが、斬られた魔王も黙っていない。すかさず右手を突き出して反撃する。
  その打撃を、今度も左手に装備した天空の盾で防ぎきり、右手に装備した天空の剣の柄で腹を横殴りに殴る。
  真新しい傷口に衝撃を受け、ぎゃあっと悲鳴を上げる魔王。そしてそのままの勢いで後ろに吹っ飛ぶ。
  後ろに吹っ飛んだ魔王は、体勢を立て直し、距離を離し、移動を始めた。
  逃げるように。もしくは誘うように、森林公園の更に奥へと。
  セイバーは再び考える。
  相手の方から移動を始めた。ということは、逃走を図るには絶好のチャンスだろう。ならば今ここで逃げるべきだろうか。
  しかし、と足元で燻る木切れを見る。
  もし、あの魔王がやたらめったらに火を噴けば、森林公園はたちまち火の海になり、逃げている最中も火に炙られることになる。
  英霊であるセイバーはまだしも、岬や、関係のないNPCが火の海の中で無事で済むわけがない。
  そう判断したセイバーは、まず目を閉じ周囲の魔力の反応を探す。逃げた魔王以外のサーヴァントの気配は感じられない。
  それを確認した後で、後ろでまだ縮こまっている岬に声をかけた。

「マスター、隠れててくれ。俺は奴を追ってくる」

「えっ?」

「すぐ戻る」

  岬からの返答を待たずに、駆け出す。
  セイバーの導きだした答えは『追跡』。
  望ましいのは相手が逃げたということを確認できることだ。それ以上の戦闘の必要がなく、犠牲も出ない。
  もし痛手を負っても戦意が失せていないようならば炎が吐けない程度に痛めつけるか延焼出来ないよう脚を断つか。どちらにしろ、炎の危機を無力化してから逃走に移る。
  加減をする余裕が無いならば、その時は躊躇せずに討つしかない。出来る限り消耗を抑えることに注意しながら。
  岬を一人にしておくのに不安がないわけではない。
  彼女はただの少女だ。戦闘能力なんてなにもない。加えて言えばセイバーへの絶対命令権である『令呪』ももう残っていないため窮地になった時にセイバーを自分の元に呼び寄せることも出来ない。
  だが幸い周囲に強い魔力を持つような人物は居ないようだ。
  ひょっとすると魔王のマスターが近くに居るのではとも思ったが、マスターが居るならば鉢合わせた時のような不自然な移動はしないだろうと思い直す。
  周囲に参加者が『今』居ないならば大丈夫だ。
  セイバー抜きの岬一人ならば(魔力が少ないので)他のマスターやサーヴァントが来てもマスターとバレる可能性は極低い。
  それに、逃げた魔王もセイバーの猛攻を掻い潜って岬には到達できない。
  ならば今だけは、セイバーが近くに居ないほうが安全だろう。
  少しばかり心掛かりはあったが、それでも岬も人間だ。いのちはだいじにしてくれると信じている。
  視界と進路を遮る枝を切り散らしながら森を駆ける。木漏れ日は瑠璃色に輝いていた。

◇◇◇

  どうやら件の魔王の敏捷はかなり低いらしく、セイバーが本気で追いかけていると数秒もせずに追いつけた。
  魔王を追ってたどり着いたのはだだっ広い空間。森林公園内で、森の間に作られた休憩用の東屋といくつかの遊具が飾られた場所。
  その東屋の屋根の上で、魔王は天に向かって両手を掲げていた。
  大技が来る。
  理解したセイバーの動作は早かった。
  既に装備していた天空の盾・天空の剣についで天空の鎧も装備。大技に備える。
  魔王が両手を正面に突き出し、同時に呪文を唱える。

「『イオナズン』!!!」

  放たれた光球が四方八方に飛び交い、爆裂する。
  遊具が吹っ飛び、地面がえぐれ、地形を変えていく。
  しかし、セイバーにはかすり傷程度のダメージも入らない。当然だ。この程度の魔術ならば天空装備無しでも受けきれるのだから。
  剣を構え、土埃の向こう側を動いているであろう魔王の気配を探る。
  臨戦態勢の魔王の気配を感じ逃すはずがない。場所は正面右前、一時の方向。

「はぁっ!!」

  振るった剣が再び肉を裂く。手応えが薄い。
  体勢を整えるよりも早く、土埃を振り払って魔王が現れて再び両手をセイバーに向けてかざす。

「『メダパニ』!!!」

  唱えてすぐに拳を振りかぶる魔王。左手でセイバーが剣を持つ右手を狙った手刀の一撃を繰り出した。
  セイバーは一切惑わされることなく、その手刀をいなし、逆に一歩飛び退って飛び込んできた魔王に対してもう一線剣撃を食らわせる。
  鮮やかな血が舞い上がり、魔王の顔が苦痛にゆがむ。
  しかし相手も魔王、その程度で引きはしない。右、左、また右と拳撃を繰り出した。
  一撃目は盾で受け、二撃目は剣で弾き、三撃目は身体に当たるが鎧がダメージを緩和する。ほぼ無傷といって差し支えない。
  そこからは剣対拳の撃ち合いだ。魔王が一撃を出せばセイバーがそれを受けて一撃を返す。勇者が一撃を返せば魔王は傷を増やしながらももう一撃を繰り出す。
  魔王の攻撃、セイバーの攻撃、魔王の攻撃、セイバーの攻撃。何度も何度も繰り返される攻撃の応酬。
  しかし、応酬とは言うが、優劣ははっきりしていた。
  セイバーの身体には傷ひとつない。盾で、剣で、鎧で、全てのダメージを散らしきっている。
  対して魔王は攻撃を通すことも出来ず、かと言って防ぎきる事もできず、次第にその身体に生傷を増やしていった。
  斬り合いを通してセイバーは確信に至る。この魔王が『弱い』という確信に。
  クラスが適合していないのか、英霊としての格が足りないのか、それとも相性の問題か、セイバーとは天と地ほどの性能差がある。
  追ってきたのは正解だった。下手に逃げていれば戦力で優っているのに相手に主導権を握られることになっていただろう。
  魔王の左手の掌底が、一見無防備なセイバーの顔めがけて繰り出される。
  しかしそれはセイバーの予期するところ。
  セイバーは先程までの激しい攻防とは打って変わって、その一撃をあえて剣で止めず、かと言って顔でも受けず、少しだけ体を引いて避けた。
  唐突な回避行動に魔王のバランスが崩れ、つきだしていた左手がみっともなく空を切る。
  天空の剣が煌めいたのは次の瞬間だった。今までの撃ち合いの二倍か、三倍か、それ以上か。
  セイバーの持てる最高速で天空の剣が振りぬかれる。
  魔王があまりの緩急にぎょ、と目を剥いてももう遅い。音すら置き去りにしそうな速度で振りぬかれた剣は、鮮やかに魔王の左手を切り裂き、木々の方へと斬り飛ばした。

  聞くに堪えない恐ろしい悲鳴がこだまする。
  魔王が初めて見せた大きな隙。セイバーは一切の躊躇なく踏み込み、仰け反っていた魔王に横薙ぎに一閃斬りかかった。
  ざぐりという鈍い音。音は鈍いがまだ浅い。
  セイバーの背骨ごと真っ二つにする勢いで放った斬撃も、すんでのところでかわされてしまう。
  魔王は、無茶苦茶に身体を捩っていた。捩った分だけ身体がずれ、その分わずかに斬撃から逃れていたようだ。
  だが、存外無傷というわけではない。
  切っ先数センチで切り飛ばされただけに終わったが、その衝撃を殺しきれず、ぐるぐると回転してずべしゃと音を立てて地面に這いつくばる。
  地面が赤く染まる。腹に添えられた魔王の右手から、皮膚の色ともローブの色とも違う、鮮やかな内蔵がまろびでる。

「ぐ、お、お、お……」

  地獄の底から響くような唸り声。人間が聞けば、恐れ慄き泣き叫ぶであろう声。
  セイバーは揺るがない。
  格付けは終わった。
  この『魔王』はもう、どうあがいてもセイバーには勝てない。
  あと数分どころか、数秒もあれば、魔王を倒すことが出来る。それは思い上がりでもなんでもない、ただの事実だった。

「相手が悪かったな」

  セイバーが語りかけると、魔王は顔を上げ。
  その顔を不敵に引き攣らせて、右手を勇者めがけて突き出しこう唱えた。

「『バシルーラ』!!!!」


  セイバーに呪文は効かない。
  この点については、あれだけ魔法を放った魔王も気付いているはずだ。
  ならばなぜ、悪あがきのように魔法を打つのか。セイバーは少しだけ、
  セイバーの心に引っかかるのがもう一つ。
  『イオナズン』『メダパニ』。
  聞いたことのある呪文が二つ。
  そして『バシルーラ』。これは聞いたことがないが、よく似た名前の『ルーラ』という呪文がある。
  相手に向かって手を掲げて使った、ということは……

「きゃっ! な、なに、なに、これ……」

  不意に挟まる、戦場にはふさわしくない声。
  セイバーが聞き慣れた、この場所では聞くはずがないと思っていた声。
  セイバーは意識をバラモスにも向けたまま振り返る。
  魔王と勇者の延長上、勇者のほぼ真後ろに、浮き上がっているセイバーのマスター・中原岬が居た。
  隠れているようにと言い、置いてきた彼女が、なぜかセイバーたちの戦場の方へ来ていた。
  それをバラモスは目ざとく見つけて、『バシルーラ』をかけた。
  通常の魔法ならばセイバーに無効化されると理解した上で、『対象を一人に限定する呪文』を唱えたということだ。

「マスター!」

  岬は、悲鳴を上げる間もなく吹っ飛んで行く。方角的には、B-5方面。岬の家がある方角へ。
  セイバーの予感は的中していた。
  『ルーラ』が転移魔法ならば、『バシルーラ』は強制転移魔法。相手を何処かへ吹っ飛ばす魔法、ということだろう。
  やってくれたな、と魔王の方を睨むと、魔王は弱々しくも誇らしげに笑っていた。

「そなたのマスターを、ただ送り返してやったと思うか?」
「『バシルーラ』は呪文じゃ。宝具ほどではないにせよ、強い魔力の反応を示す」
「魔力の反応が、目立つ空中を大きく動けば……お前のマスターも、その根城も、参加者に見つかる可能性は低くはない」

  セイバーが舌打ちをして剣を向けると、魔王はその傷からは予測ができないほどに機敏な動きで飛び上がり、距離をとった。
  再び腹部を覆っていた右手を外す。内蔵が見当たらない。傷口がふさがっている。

「わしが本気で抵抗したところで、あと数分もあればそなたはわしを殺せるじゃろう」
「だが、その数分で、他のマスターがあの少女を見つけ出し、殺すやもしれぬ。他のサーヴァントが魔力を察知して貴様らの根城を襲撃するやもしれぬ」

  確かに、あれだけ強い魔力で飛行しているところを見れば、少しくらい魔術に覚えがあれば場所の特定は容易だろう。
  さらに言えば、先に説明したとおり岬に戦闘力はない。それに、襲ってきた相手と交渉が出来るようなタチではない。

「さあ、どうする勇者」
「わしは魔王。逃げはせん。死ぬ瞬間まで貴様の絶望のために戦うぞ」

  死にかけの魔王は、にたにたと気色の悪い笑顔で囁く。
  自身の命すら捨て駒にしようというその一種異様な光景。
  その様子を見て、セイバーは―――


◇◇◇

  セイバーは走っていた。
  ただひたすらに走っていた。
  あと数秒、あと数分で殺せていた魔王に背を向けて走っていた。
  臆病風に吹かれたわけではない。あのまま戦えば絶対に勝てるという事実があった。
  それでも、魔王に背を向けてひたすら走っていた。


『嫌いにならないで下さい』
『裏切らないで下さい』
『側にいて下さい』


  出会ってすぐに執行された三つの絶対命令権。
  そんな大雑把な命令にどれほどの強制力がある。
  魔術の覚えのない岬の令呪が、最高峰の対魔力を持つセイバーに対してどれほどの意味を持つ。
  彼女もそのことになんとなく気付いていたのかもしれない。
  だから最後に、こう付け加えた。


『約束……守ってね』


  どんな魔法よりも強く。
  どんな睦言よりも甘く。
  どんな呪いよりも残酷。
  勇者は、その一言で心を釘付けにされた心地だった。
  なんてことはない一言だ。
  でも、『約束』なんだ。
  彼女にとって、心の底から絞り出した願いだ。
  泣くことも出来ず、誰にも伝えることも出来ず。世界の皆が繋いだ手と手の輪からはじき出されて、俯いていた少女。
  自身の心を誰とも共有できない、不器用で、儚い、ガラス細工のような少女。
  自分という物語を一人で終わらせようとしている、とても強くてとても弱い少女。

  彼女が、精一杯の勇気を振り絞って告げた『約束』。
  それは令呪なんて薄っぺらな繋がりではなく、もっと深く、もっと濃い、彼女の『心』そのものだった。
  それを反故にすることは、少なくともセイバーには出来なかった。
  だから、あの時『逃げろ』ではなく『隠れていろ』といった。
  『逃げろ』と言えば、彼女はセイバーとの間に、また隔たりを受け取ってしまうとわかっていたから。
  側に居るという約束を、令呪なんか関係なく、守りたかったから。
  だから、今全力で走っていた。
  少しでも早く、彼女の傍に帰れるように。
  セイバーが魔王を放置して飛ばされた彼女を追う理由は、『約束したから』。それだけで十分だった。

  実体化を解かずに全速力で、風よりも早く街を駆け抜け。
  霊体化して、建物を通り抜けて部屋に飛び込む。
  飛び込んだ先は、岬の部屋。
  そこには、先ほど別れた時と同じ、きょとんとしている岬が居た。

「よくあたしが家に帰ってるってわかったね。すごい。もしかして超能力者?」

「違うよ……似てたんだ。俺の世界の呪文とね」

  空間強制転移呪文(バシルーラ)。セイバーの考察通りルーラのバリエーションのようなものだとすれば、移動する場所は決まっている。
  この聖杯戦争の地で岬が行ったことがある場所は、家か、図書館か、劇場かくらいだ。
  飛んでいった方向的にも、家に返された可能性が高いと踏んで、当てずっぽうで家に帰ってきただけにすぎない。

  セイバーの説明を聞くと、岬は少しだけふさぎ込み、そして真剣な表情でこう尋ねた。

「倒したの?」

「……いや」

「……そっか」

  沈黙が流れる。
  こち、こちという時計が時間を刻む音だけが、二人の間を行き来する。
  岬はなにも喋ろうとせず、ただ、答えを探っているようにも見えた。
  セイバーには彼女の求めているものは分からなかった。

「……なんで?」

  しばらくの沈黙の後、岬が口を開く。
  どこを指しているのかもわからない問いかけ。

「……レイさんは、勇者なんだよね。で、あれ、悪いカバだったでしょ?」

  そこまで説明を聞いてようやく得心が行く。
  つまり、魔王討伐ではなく、岬を優先したのはなぜか、という問いかけだったらしい。
  決まりきっている。『約束したから』だ。
  でも、そんなことを言えば、彼女がどう思うだろうか。
  岬は、自分のことを他人が下す評価のどれよりも『最低』だと思っている。
  そんな彼女ならば、約束がセイバーの動きを邪魔した・セイバーを間接的に追い詰めてしまった、などと勘違いしてしまうかもしれない。
  だからセイバーは、本当の答えを口に出せなかった。
  再び沈黙が流れる。

「……マスターは、なんで隠れてなかったんだ」

  ようやく出たのは、苦し紛れのような問い一つ。
  あまりにちぐはぐなやりとりだと気付き、セイバーは苦笑しかける。
  だが、岬はとても真剣な表情でセイバーの方を見つめ続けていた。

「約束、したからです」

「……」

「最初会った時、ずっと傍に居てって約束しました。あたしの方から。
 なのに、あたしだけ隠れてるって。うーん、どうなんだろ。間違ってると思ったので」

  岬の答えは、直球だった。
  最初に出会って、二人は約束をした。
  嫌いにならないと約束した。
  裏切らないと約束した。
  側にいると約束した。
  令呪3つ分の――いや、既に令呪3つ分を超えた、令呪3つ分より大きな約束。
  主従の枠を超えた、一人と一人のちっぽけな3つの約束。
  一人と一人の約束は一人と一人のもの。一人と一人の間では隔てるも隠すもあったことではない。
  だからこそ、当然というように、胸をはるでもなく、卑屈になるでもなく、極普通にそう答えた。
  セイバーはその答えを聞いて。
  少しだけ考えて、こう答えた。

「俺も、同じさ」

「……」

「約束したから。そばにいるって。だから、走って帰ってきたんだ」

  じっと見つめられて少し気恥ずかしくなって、そう付け加えた。
  答えれば傷つけてしまうかもしれないと思った偽りのない真実を。
  その答えを聞いて、岬はよく分からない表情をして。
  そのまますこしだけ満足そうに目を細めて、大きく背伸びをした。

「まだお昼前だね。これからどうしよっか」

「外出、それも少し遠出したほうがいい。さっきの呪文で、人が寄ってくるかもしれない」

「そういえば、呪文って、レイさんも使えるの?」

「どうだろう。使えるんじゃないかな」

「空とか飛べちゃう?」

「……気に入ったのか」

  森林公園から強制的に家に帰され。
  やることを再び失ってしまった一人と一人。
  それでも、一人と一人は、少しだけ、『人』に近づけたのかもしれない。


【D-5/中原岬の家/一日目 午前】

【中原岬@NHKにようこそ!】
[状態]魔力消費(小)
[令呪]なし
[装備]なし
[道具]カッターナイフ
[所持金]あまり使えないんです。お世話になってるから。
[思考・状況]
基本行動方針:なにを願っていたんだろう
0.寂しい
1.約束したんです
2.もう少しどこかに出かける
3.悪いカバを警戒
[備考]
※悪いカバ(まおうバラモス)を確認しました。魔術については実際に目にしましたが理解が及んでいません。
※バシルーラでD-6→D-5を移動しました。魔力察知に優れた人物に所在地を感付かれた可能性があります。


【セイバー(勇者レイ)@DRAGON QUEST IV 導かれし者たち】
[状態]魔力消費(小) 霊体化中
[装備]天空の剣、天空の鎧、天空の盾
[道具]なし
[思考・状況]
基本行動方針:岬の傍に居る
1.魔王を倒す必要がある……か?
2.できるだけ宝具の解放や長時間の戦闘は避けたい。
[備考]
※偽アサシン(まおうバラモス)を確認しました。イオナズン・メダパニ・バシルーラも把握しました。呪文系統の合致から、よく似た平行世界の魔王であると認識しています。
※バシルーラの効果で人が集まることを懸念しています。


◆◆◆

「わははは、ははは、はは……」

どすんと音を立てて巨体が地に沈む。
倒れ伏した魔王―――偽アサシンこと宝具『まおうバラモス』は、傷だらけの身体で高らかに笑っていた。

息も絶え絶え。
HPにすればニ桁までは行かないものの三桁前半までは減らされているだろう。
傷は深く、疲労もそれなり、まさに死に体。
しかし、バラモスは勝利の喜悦に酔いしれていた。

「勇者め、魔王相手に逃亡とは、情けない……」

地面に突っ伏したままでぐふ、ぐふと喉を鳴らして笑う。
勇者と出会ってしまい、彼と戦うことになったのは完全に失策だった。
しかもあの強さ、間違いなくセイバーのサーヴァントとして顕現したのだろう。
攻撃を仕掛けようとしても物凄い速さで反応された。
虚を突いて逃走を図ってもすぐさま追いつかれた。
切り結べば力負け。
呪文は一切通らない。
打つ手なしとはまさにこの事、と言わんばかりの戦況で、それでも天は彼を見捨てなかった。

勇者のマスターたる少女が、のこのこと戦場に戻ってきたのだ。
少女に戦闘能力がないというのは、最初の一撃で把握済みだ。
あんな隙だらけの防御ならば、勇者さえ居なければぶち殺せる。
バラモスでぶち殺せるなら、他の英霊ならば消し炭だ。塵に返せる。
だからこそ、彼は大博打に出た。
攻撃魔法では駄目だ。攻撃魔法では勇者に防がれてしまう。
単独の相手を狙い撃ちにする魔法でマスターだけを標的にする。
そうして、得意技の一つである『バシルーラ』でマスターをふっ飛ばし、勇者である以前にサーヴァントであるセイバーに揺さぶりをかけた。
結果は、大成功だった。
力あるものが力なきものから逃げる。
バラモスが力なきもの扱いというのは少々癪にさわるが、それでも、勇者をやりこめてやったのは気分が良かった。
寝返りをうち、天を仰ぐ。
左腕を伸ばし、傷口を眺める。もはや血の一滴も流れ出ない。完治といっていいだろう。
左腕がくっついたのを確認して、バラモスは立ち上がり移動を再開した。
イオナズンの爆音を聞いて他の参加者が集まれば、今度こそおしまいだ。
痛む身体を引きずりながら、森林公園の外周、山林部へと身を隠した。
これで、やたらめったらに見つかることはないはずだ。

「しかし、傷をもらいすぎたな……」

樹の根元に座り、身体を眺める。
血こそ流れてないが、かなりの深さの生傷がいくつも走っている。
しばらく時間をおけば問題なく治るだろうが、その『しばらく』の間はあまり動きまわらないほうがいいだろう。
とにかく、まずは身を潜める。
身を潜め、自身のスキルとゾーマ・たまからの魔力によって傷が塞がるのを待つ。
一箇所にとどまるのは危険を伴うので、できるだけ点々としながら全快を待つ。

全快後に動くにしても、今回のようなヘマをしないように、常に遮蔽物を利用するべきだ。

「なにより、休息じゃ。
 その後に、あの少女……フェイト・テスタロッサを探すとしよう」

頭のなかに浮かぶのは、主たるゾーマとの密約。
戦うな、というのは破ってしまったが、生きているのだ、これはセーフ。
図書館に近づくな、というのも守っている。バラモスとて大魔王、死にに行くほど馬鹿じゃない。
市民を襲うな、というのは破っていない。今はまだ。
フェイトという少女についてなにか思うところがあるらしい。ならば、最大限便宜を図るのが臣下としての使命だろう。

「どこに居るか……この周辺ならいいが……」

そこまで考えて、ふ、と。
主たるゾーマに今回の交戦のことを伝えるべきかどうか、という疑問がわいた。
だが、そんなもの、すぐに結論が出た。

「『勇者を見つけたから』なんぞで帰っておっては時間が足りぬわ」

勇者が居るのはバラモスもゾーマも想定内だ。
というよりも、英霊として呼ばれるならば皆が皆勇者レベルのものたちだ。
一体見つけて飛んで帰って大魔王の手をわずらわせるほどのことだろうか。
バラモスは、それを非と判断した。
異世界の勇者がどれだけ居ようが、ただの参加者。
ゾーマを討った『ゆうしゃロト』が居るならば話は別だが、それ以外は須らく平等に『ただの敵』として扱う。
それで十分だ。

「さて、動くか……少しでも、人目のつかぬ場所へ……」

バラモスは再び、山林部の更に奥へと向かって歩き出した。
まだまだ深いが、それでも動けるくらいには快復した身体を引きずって。


【D-6/森林公園/一日目 午前】

【偽アサシン(宝具『まおうバラモス』)@ドラゴンクエスト~ そして伝説へ】
[状態]ダメージ(中)、疲労(小)、自動回復中
[思考・状況]
基本行動方針:大魔王城完成まで図書館には近寄らずに情報収集
0.早朝まで生きて残り、参加者の情報を大魔王ゾーマに伝える。
1.しばらく休む。そのためにも山林を移動。
2.参加者を警戒しながら情報収集。全快まで戦いは避ける。
3.フェイト・テスタロッサを捜索。
[備考]
※中原岬&セイバー(レイ)を確認しました。セイバーが勇者であることも気付いています。
※遮蔽物がある場合気配遮断もあって発見しにくいですが、見つかるときは見つかります。
※宝具であるため念話・霊体化は使えません。魔力はアサシン(ゾーマ)のものを使用します。
 また、実際のバラモスとは違って状況によって思考判断を行い、分が悪ければ防御・撤退もします。
※彼の持つ気配遮断:Eは『NPCには見つからない』『参加者には隠れていれば見つからない』程度です。
 参加者に一人で歩いているところを見られれば見つかります。
※『NPCを極力殺さない』というゾーマの命令を守ります。ただし極力なので必要に応じて殺します。
※早朝、もしくは非常時と判断した場合にのみ廃教会に帰ってきます。
※フェイト・テスタロッサを見つけた場合、彼女の危険性を判断します。
 危険ではないと判断した場合、保護を申し出て教会まで連れ帰るつもりです。(ただし生存優先のため、危険であると判断した場合は交戦・逃走もやむなし)

※バシルーラは相手を拠点(おうち)に送り返します。ただし英霊相手には余程のことがない限り効果がありません。
※D-6 一部にイオナズンが撃ち込まれた跡があります。もしかしたら音も聞こえているかもしれません。

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最終更新:2020年06月28日 00:09