オルツァ国(オルツァこく、オルツァ語: Orzãice Çónteañ)、通称オルツァ(オルツァ語: Orzã)は、北コルツァ大陸の南部に位置する連邦制国家。首都はフェルベルン。オルツァ・メーメルベルク(本土)のほか、大オルツァ帝国の名残で世界各地にオルツァの海外県・海外領土が点在する。これにより、オルツァは世界最大の国土面積を有する国家となっている。ちなみに、独立した旧オルツァ領諸国とはオルツァン・ケルベック国際機関を構成している。
国際政治や安全保障、経済、文化において世界的な影響力を持つ民主主義の大国、先進国の一つである。国際連盟代表国のほか、コルツァ連合 (CU)、世界経済協力機構 (OWEC)などの主要なメンバーである。ゴルバニア連邦、蠻、ナチス・スラビア社会主義人民共和国連邦とともに世界四大国の一つにも数えられる。
国内総生産 (GDP) は世界第4位かつ、北コルツァ大陸と南コルツァ大陸の国の中では第1位の経済力を有する国であり、先進国である。また数多くの世界遺産を抱えており、世界で最も観光客の多い国である。
歴史的にはレヌドン、シャーロント、レビル、カルソンといった哲学者やチャル・ノードン、ケル・コロンといった科学者、フラン・アーネ、ケルトン、レビラス、クロスバーといった芸術家の故国もしくは活躍の舞台であり、コルツァ大戦争やオルツァ革命、レルビル戦争といった歴史的事象の主要な舞台であった。
国名
正式名称はオルツァ語で、Orzãice Çónteañ(オルザイセ・コンテーン)。通称、Orzã(オルツァ)。略称はOZ。
日本語の表記はオルツァ国で、通称オルツァ。漢字による当て字では尾琉津と表記することもあり、尾と略されることが多い。
国名の Orzã は、10世紀の『オーザンの歌』までは遡って存在が資料的に確認できるが、意味されている Orzã はオルツェン王国である。882年に始まるオルツァ王国に Orzã の名前が用いられるが、後代が名付けたもので、当時に Orzã の国名が存在を認定できるわけではない。中世のオルツァ王は XENO ORZENS と署名している。Orzã は中世コルツァに存在したオルツェン王国に由来すると言われる。その証左に、歴代オルツァ王の代数もオルツェン王国の王から数えている。シェルトン条約でオルツェン王国が西オルツェン、中オルツェン、東オルツェンに3分割され、中オルツェンは消滅し、東オルツェンは神聖ローア皇帝を称したため、オルツェン王を名乗るものは西オルツェン王のみとなり、オルツェンだけで西オルツェンを指すようになった、といわれている。
歴史
→詳細は「オルツァ国の歴史」を参照
クルブク朝最盛期のオルツァは世界最大の人口を有し、世界の政治・経済・文化に絶大な影響力を持った。オルツァ語は外交の舞台での共通語となった。現在は世界準公用言語である。オルツァは17世紀以降1960年代まで、世界最大の海外植民地帝国を有し、1919年から1939年ではオルツァの面積は過去の歴史上最大となった。
ローア帝国の支配
現在のオルツァに相当する地域は、紀元前1世紀まではローサリア(現・ローゼルス)などの古中海沿岸のトルスタン人の植民都市を除くとカタルン人が住む土地であり、古代ローア人はこの地をガターン(ガータ)と呼んでいた。ガータに住むカタルン人はタルポスを軸に自然を信仰する独自の文化体系を持っていたが、政治的には統一されていなかった。