弱者選別 ◆g4HD7T2Nls
――ずっと昔に決めたことがある。
私はかつて、馬鹿な子供だった。
弱い人間だった。
いつも奪われる側だった。
だから強くなろうって決めたのだ。
強くなって、今度は私が奪う側の人間になろう、と。
欲しがるだけじゃ得られない。
手を伸ばさないと何も変わらない。
そう思って、走り抜けてきた自信がある。
積み上げてきた今がある。
私は『いま』に生きている。
だけど私が欲しがったものは、得たいと願ったものは、いつもこの手から零れ落ちた。
まだ何も得ていない。まだ諦めるつもりもない。
私はまだ、こんな所で死ぬ気も無いから。
探し続ける。
奪い続ける。
手を伸ばし続ける。
手に入れるまでは、生きてやろうと思っている。
◇ ◇ ◇
チカチカと反射される銀の光沢に、麻生明日菜は目を細めた。
薄暗いログハウスの中、閉じられたカーテンの隙間から僅かな光が洩れている。
細く差し込む日光は、ベッドに腰掛けた明日菜の手元にまで伸びて、そこにある凶器を照らしていた。
ステンレスシルバーの小型拳銃。
ひんやりとした感触が指先に伝わってくる。
明日菜は銃に詳しくなどなかったが、
膝の上で広げた紙切れには、やたら詳しい説明が長々と書いてあった。
『S&W M649』
それがこの銃の名前らしい。
小さくて、曲線的で、銀色の、リボルバー。
「思ったより、ずっと重いのね」
はたから見れば玩具とそう変わらない見た目でも、ずっしりとした重みが本物だと示していた。
使えば十二分に人の命を奪えてしまえるだろう。
なのに、この銃の愛称は“ボディガード”というらしい。
身を守る殺人道具。
明日菜には凄く皮肉めいているように思えた。
「貰っていくわよ」
目の前で横たわる本来の持ち主に断りを入れて。
ナイフと拳銃をコートの内側に仕舞い込む。
そして今まで座っていたベッドからシーツを引き剥がした。
「……こんなものでいいかしら?」
一応聞いてみたけれど、返事は返ってこなかった。
当たり前だろう。なぜなら、その人物は既に死んでいる。
けれど黙秘は肯定なのだと勝手に見なして、明日菜は目の前の物体にシーツを被せていく。
広げられた純白のベールが、床に倒れ伏す真っ赤な死体を覆い隠していった。
死んだのは少女だった。
殺したのは明日菜だった。
理由は単純にして明快、殺せるかどうかを確かめる実験、というもの。
首の動脈を切り裂かれた少女にしてみれば、理不尽この上ない所業である。
しかし明日菜にとっては十分に価値のある行為だった。
なぜならこれで、自分が人を殺せる人間だと知れたのだ。
世界中の人を、『殺せる人間』と『殺せない人間』に分けたとして、明日菜は殺せる側だった。
それは少なくとも、この世界では重要なことだろう。
「それじゃあ、私はもう行くわ」
明日菜は空いたディパックに適当な家具を詰めていく。
死体の少女は黙して語らない。そして二度と言葉を発さない。
いましばらくはここに倒れたまま鮮血を零し続け、周囲を赤く赤く染めていくのだろう。
やがて吐き出せる赤を全て吐き出したとき、彼女の行なえる全ての動作が終わる。
明日菜はそれに少しだけ思いを馳せて。やがては興味を失い、歩き始めた。
「バイバイ……えっと……」
別れの言葉の後に彼女の名前を呼ぼうとしたけれど、思い出せなかった。
考えてみれば、そもそも彼女の名前すら聞いていなかったのだから当然のこと。
だから明日菜はもうそれ以上は物言わぬ死体に何も告げず、扉を開いてログハウスを出ていった。
「さてと、これからどこに行こうかな」
昼の日差しを浴びながら、明日菜は草むらを踏みしめ歩き続ける。
ログハウスの暗さと死体の齎す陰鬱な空気から解放され、
少しだけ心が軽くなったような気がした。
山の空気は澄んでいるし、午後の日差しは優しく降り注いでいる。
「…………?」
けどなぜか、明日菜は自身にも形容しがたい思いに引かれて足を止めていた。
くるりと後ろを振り返ると、少し離れたところにはまだログハウスが見える。
そこから赤い血が点々と明日菜の足元まで続いているような。
そんな、奇妙な幻を見た気がした。
「…………は」
一笑に付して、再び踵を返す。
明日菜はもう一度だけ、心の中で別れを告げた。
――さようなら。
名前も知らない弱い人。
◇ ◇ ◇
泣きながら少女、塚本千紗は走っていた。
草木を掻き分けて懸命に走っていた。
ぜえぜえと息を切らして。
流す涙も拭わずに。
何度も何度も転んで、泥だらけになろうと立ち上って、
ただひたすらに走り続けた。
きっと、彼女はいま自分が何から逃げているのかもよく分かっていない。
誰に追われるわけでもなく。
ただ感じる怖気に突き動かされるがままに足を動かしている。
湧き上がる寒気が千紗の全感覚を支配していた。
どれだけ走っても恐怖からは逃げられない。
常に心臓を鷲掴みにされているような気分だった。
思うことは一つ。
生きなければならない、ということ。
犠牲にした。死なせてしまった。きっと自分のせいだ。
だから、生きなければ。
帰らなければならない。
――そうじゃないと何のために、私の代わりにあの子が死んだ?
「うわぁああああああああああああああああぁッ!!!!」
自分がいつの間にか絶叫していたことに、千紗はようやく気がついた。
今更危険を自覚して、止めなければと思っても声の止め方が分らない。
全身の恐怖を喉から搾り出すように、叫びが口から洩れ続ける。
「ぁ……!?」
叫びが途切れ、涙で滲む世界が突如落下する。
がくんと大きく身体が傾き、次の瞬間にはうつ伏せに倒れこんでいた。
地面の凹凸で身体が擦れ、衣服や皮膚が削られていく。
ピリリとした痛みが全身に迸った。
「うう……」
転んだのはこれで何度目だろうか。
正確に数えてなどいなかったけれど、
二桁に届きそうなくらい身体を打った記憶がある。
「う、うっ……うぇぇ……」
土の絨毯に倒れたまま、押しつぶしたような声で少女は泣いた。
声を殺すまでもなく、叫びはもう出てこない。
立ち上がろうにも、身体がまったく動かない。
どちらを行なおうにも既に体力が尽き果てていた。
継続する動作は無力に涙を零すことだけ。
「うっ……ぐすっ……」
「ねえ、あなた……」
そんな時に、真上から声が降ってきた。
「大丈夫……? じゃあないわよね、ごめんなさい。ええっとこういう場合は……」
「……あ」
千紗は瞬きしながら、ぼやけた視界でその人物を認識する。
厚着にコート姿、ベレー帽を深く被った冬服の女性が心配そうに千紗を見下ろしている。
女性は少し考えた後、ほがらかな笑顔を浮かべて言った。
「立てる?」
こちらにむかって、女性の手が差し伸べられている。
それはまさしく千紗にとって救いの手に見えた。
呆然としながらも、腕を伸ばして掴み取る。
すると女性は優しい笑顔のままで、ゆっくりと引っ張り上げてくれた。
「こんなに泥だらけになって……とても怖い目にあったのね……」
立ち上がった千紗の様相を見回して、女性は少し表情を歪めつつ、
「怪我は無い?」
と、聞いた。
けれどその質問に、千紗は答えることが出来なかった。
「……っ!」
「おっとと!」
女性が驚いた声を上げながら、しがみついた千紗を支える。
その顔すら見ずに、千紗は衝動に駆られるまま言葉を発していた。
「ひ、人が、女の子がし、死んで……殺されてっ!」
「…………」
ようやく千紗ははっきりと思い出す。
自分がここまで逃げてきたわけを。
恐怖の根源と、罪の意識。
そう、本当は追ってくる殺人鬼から逃げていたわけじゃなくて。
きっと、残してきた犠牲者から、目を背けようとしていたんじゃないか、と。
「わ、わたし、な、何も、なにも出来なくてっ……!」
「……そっか」
ぐちゃぐちゃになった感情を、目の前の見ず知らずの女性にぶつけていた。
ガタガタと震えながら、必死にしがみつきながら、罪を告白した。
思いを吐き出せば、少しでも心が救われるのだと信じるように。
「だから逃げ……逃げたんです……! わたしは……わたしは見捨てて、逃げ……逃げないと……!」
「もういいわ」
サク、という軽い音が聞こえた。
「…………え?」
それは女性が一歩を踏み出した音。
そして引き寄せられた千紗が、一歩を踏み出す音だった。
キョトンとした表情で、千紗はその感触に包まれる。
柔らかくて、暖かい。
気がつけば、千紗は目の前の女性に抱きしめられていた。
女性は千紗の衣服の汚れなど気にせず、泥だらけの背中へと両腕を回している。
「もう大丈夫。おねーさんがついてるから」
衣服と人肌の
温もりが千紗の心を落ち着かせていく。
優しくかけられた言葉が、思いの吐露を止めさせていた。
「うっ……ううっ……」
後に残ったのは小さな嗚咽の声。
違う。これは違う。きっと目の前の女性は分っていない。
自分に与えられるべきは優しさなんかじゃないはずだ。
千紗はそう思いつつも、送られる温もりを振り払うことなど出来なかった。
「よしよし」
頭を撫でてくれる手を、ただ感じる。
身体を支えてくる腕にひたすら縋る。
涙を受け止めてくれる胸元に、顔をうずめる。
全ての温もりに甘えてしまえるほど、今の塚本千紗は子供だった。
「落ち着くまで、そうしていなさい。落ち着いたら、事情を聞かせてね?」
千紗は胸に顔を埋めたまま、こくりと頷いた。
「そう、良かった」
だからこのとき、
女性がどんな表情をしていたかなど、千紗は知ることもなかった。
◇ ◇ ◇
林の道を進みながら、麻生明日菜は隣の少女に声をかける。
「つまり、あなたの話を整理すると。
そのクロウって男と長髪の女が二人組みで人を殺して回ってる、って事になるのかしら」
「…………」
「千紗ちゃん?」
「……あ、はい、そう思うです……」
自信のある返事、には聞こえなかった。
そもそも明日菜の話をちゃんと聞いていたかも怪しい。
少女は思いつめた表情を隠すように俯いている。
歩き始めてからずっとこの調子だった。
少女、塚本千紗と出会ってからしばらくして、明日菜はひとまずここを離れる事を提案した。
殺人鬼がうろついているような場所からは早く離れてしまいたい。
これには千紗も小さく同意していた。
そして歩きながら簡単な自己紹介を交わし、彼女の身に起こった一連の出来事を聞いて。
現在に至る。
「まだ、怖い?」
「……怖いです」
「私のことも?」
「あ、いえ、えと……ちょっとだけ……怖いです」
「ふふっ、素直ね」
怯え続ける彼女の反応は無理もないと、明日菜は思っていた。
殺人の現場を見たというのなら、おそらくこれが普通の反応なのだろう。
特に煩わしいとは思わない。話の正確さに関してはあんまり期待できないが。
けれど、とりあえずは『変わった耳の人物は警戒するべし』という情報を得られただけでも十分な収穫といえた。
「あの……明日菜さん?」
「なあに?」
先ほど教えた名前を呼ばれたので、笑顔を作って視線を動かす。
千紗は俯いた顔を上げて、揺れる瞳でこちらを見ていた。
少女らしい、かわいい顔だ。聞いた年齢以上に幼い印象の童顔。
耳の上で結ばれたリボンは彼女の好みだろうか。それとも両親のセンスだろうか。
どちらにせよ、よく似合っている。
「もしかして明日菜さんは……人が殺されるところを、見たことがあるですか?」
「いいえ、一度も無いわ」
第三者が第三者を殺すシーンを、
という意味なら嘘は付いていない。
「私はまだ、人殺しには出会ってないもの」
「でも、それにしたって明日菜さんはわたしなんかよりも、ずっと落ち着いてるですよ……こんな状況なのに……」
「……そうでもないわ。おねーさんだって、精一杯強く見せてるだけよ」
「う……で、ですよね……ごめんなさいです。わたし……自分のことばっかりで……」
失言したと思ったのか、千紗は更に暗い表情で肩を落とす。
そんな彼女を見つめながら、明日菜は思う。
可愛らしい。
この子は見た目どおりの子供なのだ。
単純で、純粋で、無垢な少女。
下手な賢しさなんて、まだまだ身につけていない。
それはきっと、儚いからこその愛らしさ。
「ううん、気にしないで」
だから彼女にも到底、合格点などあげられない。
「あなたに会えて良かった。私も一人ぼっちじゃ辛かったの」
「明日菜……おねーさん……」
「一緒に頑張りましょ。おねーさんが守ってあげるから」
けれど、もう実験は終わっている。
そして千紗は明日菜を求めてくれた。
なら今度は、少しくらい応えてあげてもいいかもしれない。
今だけは。
求める物が見つかるまでは。
彼女と共に進んでみよう。
進む足のりは軽く無いが、重くも無い。
頬に儚い笑みを絶やさずに、明日菜は何となくコートの内側へと手を入れた。
すると硬くて重い、二つの銀に指が触れて。
その冷め切った感触に、彼女はふと12月の肌寒さを想起していた。
【時間:1日目午後15時30分ごろ】
【場所:D-5 】
麻生明日菜
【持ち物:果物ナイフ、S&W M649、予備弾丸、適当な家具、水・食料一日分】
【状況:健康。守ってあげたい誰かを探す。必要のない人間は殺す】
塚本千紗
【持ち物:水・食料一日分】
【状況:健康、服がボロボロ、泥だらけ】
最終更新:2011年09月06日 18:02