ハルヒと親父 @ wiki

そのとき親父書きは何を思ったか(その18)?

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ヰタ・セクスアリス/雨宿り及びつづきについて


 ハルヒが言っていた「雨の日にしたくなるのは何故か?」という疑問は、以前にある人から投げかけられて、しばらく持っていたものです。その時、たどり着いた答えは、「背中あわせでいいから、くっついていたい」「誰かに(とくにあなたに)いっしょにいて欲しい」というものでした。男(キョン)の立場だと、これはかなり拷問に近いものがありますが(笑)。まあ、彼なら我慢できてしまうかもしれない。
 この線で書けば、もう少しきれいなお話になって、

「ハルヒ、……また『雨宿り』していくか?」
「うん」
 こうしてわたしたちは、いつか『大人』になる日が来て、それぞれの『相手』を探しに出かける時が来るまで、大きな木のつくる洞の中で、同じ雨に濡れ、手をつなぎ背中を合わせながら、雨宿りをしている。

……みたいなラストになっていたかもしれません(ハルヒVer.でやろうか、とかいうスケベ心も出てきました)。
 キョンも「パンツを脱げ」などと言われなかったでしょう(笑)。

 自分で書いておいてなんですが、親父語録の中で好きなものに
「知恵の実食べてかしこくなった人間が知ったことといえば、パンツをはくことだけだ」
というのがあるんですが(笑)。

 でも、「つづき」のキョンはいいな、と自分で書いてても、思います。最近、キョンとの間に「和解」が成立しつつあると、親父書きとしては感じているのですが(壮絶な勘違いかもしれません)。
 911さんのポイントをついたコメントにも感謝。もしコメントがなければ、つづきは書けなかったか、書けたとしてもずっと後になっていたと思います。



 もうひとつ。この二人、ちょっとガマンが足りないんじゃないか、というご意見に対して。

 そう思います(笑)。


 長門さん何読んでるの?の100冊の中に、ヘーゲルの『精神現象学』という本があって、その100冊をハルヒが読むというシリーズの書き始めにこの本を選んだのですが、とりあげたのは、古い訳では「快楽と運命」(けらくとさだめ、ふりがながついてます)と見出しが訳されている箇所です。話はそのまんまで、SEXしまくって気持ちがいい(快楽)、あるとき子供ができた(運命)、運命をを受けいれるのが受け入れるのが大人になることだ、という実も蓋もない(あるいは実と蓋しかない)ことが書いてあります。ヘーゲル自身が私生児として生を受けたという事実も背景にあるのですが、とりあえず、そっちはヘーゲルの個人的な問題で、どうでもいいと言えばいいんですが。

 バカップルの顛末の中には、つまり『二人は幸せに暮らしました』というハッピーエンドがはらんでいる可能性のうちには、「高校生で子供ができる」というのもあるはずで、そいつをハッピーエンドに回収するには、実にものすごく恵まれた周囲と同時に、ものすごい覚悟と努力と知恵と勇気が必要だというのが「できちゃった」というシリーズなんだと思います。


追記

 つづきで、キョンが説明する「不安の回避行動としての性依存」のメカニズムについては、

一人旅に必要な事シリーズ」で何カ所か、

「不安を怒りに変えるのが習い性なら、子供相手は止めときなさい。あたしがいつでも相手になってあげる」(一人旅に必要な事 その後の後

「あの人は不安だったの。自分の夫や家族が、いつどこの馬の骨ともわからない女にかっさらわれるか、と思うとね。不安を一時的に抑えるにはね、怒りでも性欲でも食欲でもいいの。でも一時的に抑えた不安は、また大きくなる。ますます怒りその他に頼りたくなる。一種の依存症よ。自分が作り上げた怒りの巣に、自分を不安に陥れる人たちを配して役付けしたくなる。そんな風に社会や世界を眺めたくなる。珍しい事じゃないのよ。人間がもっと闇と恐怖と近いところで暮らしていた社会では、ごくごく当たり前の事。あんたに教えてもらったんじゃなかったっけ?」(一人旅に必要な事 エピローグ1

と、ハルヒのセリフとして(しかもキョンから教えてもらったものとして)登場してます(時系列つながってる?)。

















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