『殺したいほど愛・ラブ・ユー』
◆
Love。 ラブ。
────【愛】/あい。
◆
「ここ…は……………。…はっ……?」
フラワーな芳香剤の匂いで、早坂愛は目を覚ます。
四方八方は無機質な白い壁。目の前の壁だけは金属の取手口があり、つまりはドアだった。
同じく真っ白な便座にて腰を掛けてる状態がスタートの早坂。
はぁ…。
溜息をつかざるを得なかった。
「…あの無能主催者…。せめてデリカシーはあっていてほしいと願うばかりだ。これ…」
スタート地点がランダムなことを想定はしたが、まさか自分の初期位置が個室トイレの中だとは。
殺し合いの緊張感なんてあったものでもない場所セレクトだ。
もしも、扉を開けて早々、『小便器』なんてあったりした暁には…。
早坂は利根川とかいう無能野郎へ、徹底的に容赦はしないつもりだ。
「さて、と…」
まあ一旦は場所云々について置いておくとしよう。
黒いメイド服の女子高生・早坂はさっそく行動に移り始めた。
見下ろせば、トイレの床をデカデカと占領するデイバッグが構ってほしそうに鎮座する。
ファスナーを開けば出てくるであろう、品物の数々。
参加者名簿──バス内で確認した限り、参加者の中で顔見知りなどたかが知れている。もっとも、早坂は例え初対面でも相手が善人か、屑か、分別する自信があるので、名簿を読むことは今は不要。
支給武器──確認は必須だろうが後回しにしたい。『今は、』どうでもいい品物である、
その他なんだかゴチャゴチャたっぷり入ってそうな気配だが、今はそれよりもやらねばならないことがある。
胸ポケットからスマホを取り出すと、慣れた手つきで素早くLINEを開く。
同級生の名前が山ほど名だたる中、目的の人物の名前が目に入った途端、スクロールを止め会話画面を開いていく。──この間、わずかに二秒。
この一大事にて、早坂が真っ先に連絡を取った相手、とは。
それは、つい先週まで高校生なのにガラケーを使用していた。
機種変新しい、世話の焼ける『主人』へ向けてだった────。
「……かぐや様………………」
早坂は滑る勢いで、文字スワイプを始めていく。
▽以下、囘想。▽
──こっ、殺し…合い……? そんな……、わ、わた……。
(隣に座る我が主人の表情は、私と対象的に青ざめきっていた。)
(無理もない。というかそれが普通だ。)
(真夜中の首都高をミッドウェーするバスで、何をさせられると疑心になっていたらバトル・ロワイアル…だ。)
(私は、内心の動揺を叩き潰し、ただかぐや様の横顔を眺めていた。)
──…あ………。
──んん。早坂、あなたには忠告しておかなければならないね。
(…。そうかと思えば、かぐや様は急に凛々しい態度を取ってみせた。)
(見過ぎた…か。)
(隣の座席が私であることを思い出して、慌ててビクついた素を隠したのだろう。)
(大財閥四宮家の一人娘──令嬢・四宮かぐや。そんな無理して強キャラ感出そうとしなくてもいいのに。)
──あなたは日頃から何事にも急ぐ傾向…というか先走り癖があるわ。いい?
──生命が掛かった自体で先走りは危険。…ドライな言い方かもだけど、これは早坂の身が心配で忠告してるわけではないのよ。
(…。)
──貴方が『私を守るため~』だとか独断的に殺し合いに乗ったりでもしたら。それは、四宮家全体のイメージ暴落にも繋がるの。
──私は殺し合いに全く動じてないけど、あなたが心配だわ。だから…。
──決して、暴走気味の行動は慎むように。ね。
(…長ったる。)
(さっきからその小さい肩が震えまくっている癖に、よく自分を棚に上げて忠告なんてできるものだ。)
(『殺し合い』で心情揺れまくっているのはどっちなんだ、と突っ込みたい。)
────…お言葉ですがかぐや様。自分で言うのもあれですけど、私自身そんな暴走癖はないと思いますが。
──…ともかく。
────はぁ。ともかく。
──ともかくっ、あなたは私の指示があるまで待機していて頂戴。
────御意。飛車も銀閣も優秀な棋士に動かされて初めて活躍できるものですからね。
(…飛車…。これはさすがに自分を買い被りな表現してしまったか。)
(まあ一々訂正するのも野暮だし言わないけど。)
──それにしても…。
(かぐや様がボソリと漏らす。)
──面倒なことに巻き込まれてしまったわね……。
──…自分がこんなことになるなんて。自分の死に際がこんなことかもしれない、なんて。思いもしなかった。
────…はい。
(彼女の口から漏れていたのは、珍しく弱音だった。)
(例えどんなに淋しい、辛い、苦痛な思いをしても、その本心を奥底に沈め、殻で隠し切る。)
(四宮家の令嬢としての矜持、そして周りに心配をかけたくないという思いから、か。常に本心を幽閉し続けてきたかぐや様…。)
(そんなかぐや様ですら、怯えきるのを隠しきれない『殺し合い』、とは。)
────すなわち、それだけとてつもないエナジーを持ってる、ということか…。
(私は小声で呟いた。)
(……。)
────かぐや様。これ、使い方以前教えた通り覚えていますよね。
──…これ……。
(なんだか察していない様子なので、私は胸ポケットからそれを取り出し見せつける。)
────LINEですよ。ゲーム開始直後、速攻でこちらから私に連絡をください。…もちろん通話のとこじゃないですよ。チャット機能で、です。
──…えぇ。分かったわ。
────場所を教え次第そちらに向かいますので。絶対、ですよ。
────宜しい、ですね?
──釘を刺さないで。もう、…分かったから。
(そう言って、彼女は落ち着きなくスマートフォンをいじり出した。)
(これからの、私の第一行動。それは『主人の指示待ち』。)
(例え、自分が欠損したり、不具になったり、重い怪我で精神が壊れ果てたとしても。)
(自己犠牲で、このかぐや様を護らねばならない。)
(…恐ろしさはあるっちゃあるが、この【使命】を今更果たさぬなんてできなかった。)
────ですよね。かぐや様……。
早坂を含めた周り全員の首輪が光り、途端に目の前が真っ暗になったのは、その折だった。
△以上、囘想。△
…
《お迎えにあがります。》既読
《どこにおられますか。》既読
《建物内部? それとも外?》既読
《かぐや様。今どこにおられますか。(要連絡←←重要!!)》既読
……
…
《既読》。
「スルーしやがる……」
あれから二十分経つ。
一切な返信のなさ故、送り相手を間違えたかと見直した早坂は、思わず舌打ちを放つほどだった。
あまりに通知音が鳴らないため、デイバッグの確認、そして道具の整理を二回繰り返すほど暇を余す。
早坂の支給武器──それは先のやたら尖った金属の菜箸だった。
一瞬空気を吸い、そして重いため息として吐き散らす。
「あの人は……。私が長い時間個室トイレをキープしてることも知らず……」
「荷物持ち係かッ! 私はッ…!」
早坂観をもって、かぐやという人間は、とても優秀だ。
優秀で、聡明。それでいて愚かだった。
散々返事するよう言いつけておいたのに、返してきたのはこの意図不明な拒絶っぷりのみ。
(思えばかぐや様は私が「私入浴しますから」と釘を差したときだって…~~っ。)、と心中思う。
早坂は心底呆れ果てた様子だった。
「…ただ。…まあ……」
一方で、この既読無視はかぐやの精いっぱいのヘルプを表している可能性もある。
返信したくても、できないようなトラブル。
──いわば、襲撃。
もしかしたら今、スマホを片手にどこか逃げ走っている途中か。
もしくは、異常者に捕まって拉致されているか。…最悪の想定もある。
確信できる材料がないので、あくまで仮定に過ぎないが、一連の既読無視はそういう事態も推察できるものだった。
ならば、今すぐにでも動くべき、か。
主人からは「待て」の命令が下ったままではあるが、ただ便所の中で篭りっぱなしというのも馬鹿な話である。
「…じゃあ。さて、」
というわけで、独断的判断ではあるが早坂はこの場から動くことにした。
まだ確認はしていないが、GPSアプリからかぐやの位置情報は容易く分かる。
菜箸を握り直すと、デイバッグを肩にかけ早坂は立ち上がった。
メイドとしての指名──主人を冥土送りにしないためにも早速だ。
(…もっとも、日頃の傾向から普っ通に既読無視してる可能性が高いですが…。なんかにうつつ抜かして……)
早坂はドアにそっと耳を傾け、外界の気配を感じ取る。
人の気配は…、まるでない。無人の様子だ。
かといって、警戒を解く気はない。
金属の取っ手口に指をそっとかけると、早坂は出る準備を慎重に整えた。
──────その時であった。
「……古見さんのォーー………、」
(…!)
ドアの向こう側で声が聞こえた。
自分と同じくらいの年頃で、きれいに澄んだ女子の声が。
バタン、と鳴る音と共に。
(…タイミング悪い…。今入ってきたか……)
ポジティブに考えれば、彼女の登場で自分がいるトイレが『女子トイレ』と確定したので、そこは安心した。
いくら殺し合い中とはいえ、異性のトイレに入ってくる女などいるわけがない。
肯定的にそうは考えられる。
ただ、そんなことはどうでも良くて、少しの安全材料にもなりはしない。
自分はどうすべきか。
壁の向こうの参加者へ接するべき、か。息を殺して隠れる、か。
判断ミスで命取りになる現状が、早坂を悩ませる。
……コツ、コツ、コツ、コツ…
革靴の軽やかな音。
だんだんと自分の方へと近づいてくる。
「…脅威となりえるゥーー、」
コツ、コツ、コツ…
足音がどんどんと大きく聞こえる。
(……私は、……)
一滴の汗がツラーと、早坂を伝った。
気配からしてドアのほんの向こうで『誰か』が歩いてるのは確かだ。
「メス豚のォーー、」
コツ、コツ、
百人一首を読み上げるようなトーンの声と、足音が目の前で響く。
そして、
「──メス豚野郎の、匂いー。」
止まった。
ギュイィイイィイイィィィイィアアアアアアアアアアアァァァァァァァァィィィィイイイイインンンンッッッッ────────
(!!?)
チェンソーの機械音がドアの向こうから耳を埋め尽くしてくる。
間髪はなく、そして。
ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ
ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ
ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ
ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ
バキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキイイイイイイッ──────
自分がいる個室の木製のドアが、凄まじいパワーで切り刻まれていく。
「なっ…!! くっ……う!!」
────戦闘開始。
チェンソーという女子には比較的重機な武器ゆえか。
ぎこちない動作でドアは斬られていく。
持ち手には不慣れな武器なのだろう。
バキバキバキバキギュイィイィイィァァァァァァァァィィィィイイイイインンンンッッッ
(…それは、私も同じなんだけどな…っ)
ガゴゴゴギギガカゴギギギギギギガゴゴゴギギガカゴギギギギギギ
早坂は、自分の武器──鋭利とはいえただの菜箸を構え、ドアが大破するその時を待つ。
飛び散っていく木片。
大小関係なく飛散し、稀に早坂の頬、ニーソックスの太ももを掠り傷付けていく。
…オン…ブオン…
ボボボボボ……
ギョウウイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイィィィィィィイイイイィァイイインンンンンンンッ
ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ
ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ
扉から顔を覗かせる刃先が高速回転する。
その斬り方は基礎もなにもない。
無闇やたらな滅多斬りで、ドアは乱雑かつ歪な形になっていく。
その大雑把ぷりがかえって恐ろしかった。
(…ぐうっ…!!)
早坂がいる場所は言わずもがな密室。
それも二、三人入ればもうぎゅうぎゅう詰めの狭い空間だ。
フィールド上、行動範囲が狭く、圧倒的に不利なのは自分の方。
ならば、武器のリーチが勝負の分け目になるところだが、こちらも分が悪かった。
不運にも、相手はチェンソー、こちらはただの菜箸。
長さ、攻撃力揃って完敗している。
(私は…、)
(じゃあ私は……、私は…………!)
ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ
────ザシュッ
(あっ…)
気付いた時には、チェンソーは眉間の先まで伸びていた。
早坂は、そっと目を閉じる。
(…かぐや、様…………)
チェンソーが勢いよく突き伸びていき、
ウイギギイイイイイィィィィィィィィィィン──と、個室空間を好き放題切り裂いていった────。
◆
Love。 ラブ。
────【恋】/こい。
◆
「…なーんだ。ここかと思ったら……はあ、はあ……いないじゃん──」
「──メス豚っ…」
チェンソーを振り回した力仕事で、山井恋は息を切らす。
四方八方はズタズタに裂傷まみれの壁。
ドアは完全に木片となっており、便器は大破され噴水状態。
この場は新築の学校とは思えないほど廃墟と化されていた。
山井が目を覚ました場所は体育倉庫。ご丁寧にもマットに寝かせつけられた状態でのスタートだった。
起きてから暫くして、校内のプロパンガスを大爆発させようか、外に出てひたすら血みどろにあげるか迷った山井。
だが、彼女特有の嗅覚とでもいうべきか。
二階から人の気配がしたので、チュートリアル感覚で始末することを決めたのである。
はぁあ…。
隣の壁をコン、コン叩きながら、山井はため息をついた。
「…ごめんね~。こっちの個室にいるかと思って勘違いしちゃったー★ てへっ☆」
「今そっち向かうからさー。くれぐれも無駄な抵抗とか逃走はしないでね~?? 私、チェンソー使い慣れてないから~、すごいコトになっちゃうかも♪ だからさ…」
「ねえ。」
「分かったよね。ね?」
ニコリ、と穏やかな表情を浮かべる山井。
パッと見でも心からの笑みではないと分かる、その暗くて重苦しいスマイル。
──よく見れば目は細めているだけで全く笑っていなかった。
「さてっと…!」
コツッ
ギザギザな刃先を隣の壁へと当てる。
チェーンを力いっぱい引っ張れば、ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ。
まるでケーキ入刀式のように、今度はゆっくり丁寧に。笑顔で切り刻み始めた。
山井 恋。
彼女は普段はごく普通の女子高生だ。
勉強と運動はちょっとだけ苦手、人並みに悩みはあるけども友達はたくさんいておしゃれが大好き、毎日学校を楽しく通っている一般的女子。
ノリノリでチェンソーを振り回す非日常的な人間では断じてなかった。
ただ、途端、である。
山井は『彼女』が関わると途端にその普段の様子が崩壊してしまうのだ。
その彼女とは、入学後、廊下を歩く姿を見て以来の一目惚れ。
大きくてくりっとした二重まぶたに、艶の良いなびた髪の毛、天使のようであり小悪魔さも感じられる整った顔を持つ、
国宝的アイドルさながらの『同級生』のことだった──。
バキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキイイイイイイッ……
高速回転する刃の群れを傍目に、山井はふと一ヶ月ほど前の回想に浸った。
▽
─────…誰も、いない…よね?
(…うん、無人。よかった~…!)
(日差しで照らされる一組の教室にて。)
(私、山井は五時限目の体育をサボってこ~っそりと御忍びするのでした。もう!私ったら悪い子!!)
────古見さん~、古見さん~、古見さんの机~…と!
(…ん? 授業すっぽかしてまで何をしたいの…? って?)
(…。)
(…ふふふっ♬)
(イ・イ・コ・ト…!)
────…フフ…イッヒ、…フフ…!
(『古見 硝子さん』──彼女のカバンを漁る私…。)
(ご、ごめんなさい古見さん~…! 神聖な『古見さん』の私物を私なんかが触っちゃって~……。)
(やだ…! 準備体操すらもしてないっていうのにジャージが蒸れて仕方ないよ…!)
(汗で…!)
(ドキドキが止まらない…!!)
────…あった☆
(私が取り出したのは、『古見さん』のお弁当箱。)
(青くて長方形、サイズはやや小さめなプラスチックで、それがすっごいキュート…!)
(…厳密に言えば、『私のお弁当箱』なんだけども。)
(つまりは~、私が『古見さん』のお弁当そっくりのお弁当を作ったわけなの。)
(分かるかな? 朝早くから『古見さん』のリビングを監視してー、米の量、おかず、容器、包布ぜーんぶをメモしてからさぁー、)
(速攻で私が完全再現して、朝『古見さん』のお弁当とすり替えたのっ!)
(すごいでしょ!)
────だから、古見さんは私が作ったお弁当を食べたことになるわけ。
────私の…、ひひひ…!! 私のこねたミニハンバーグが…。私の手垢がついたお米が…、古見さんの体内に……!!
(考えるだけでも…、もうっ。痺れちゃう…!)
(…あ?)
(で、『授業すっぽかしてまで何をしたいの…?』って??)
(…ごめんごめん! 説明忘れちゃってたや!)
────はぁ…はぁはぁ…!
────お弁当の…、銀紙についたタレ……!!
(あ~んむっ。)
────…ちゅっば…、ちゅっ…、んちゅっ……んっ…ちゅばっ………ぱぁ…。
(正解は、『古見さん』のお弁当に残ったタレやカスをお掃除するためでしたー!)
────はぁ、はぁ……、はぁ…。んむっ……。んっ…!
────…はぁ…ん………!
────ん、あっ…。あっ…ン! …ん………あっ。ペロ、ペロ……。んちゅ、ん…あむ………! んっ…!
(凡庸な味付けの中に混ざる、微かな甘い味…。)
(これが、もしかしたら『古見さん』の唾液…の味なのかな……。)
(蜜よりも甘くて、花のように安らぎを与えてくれる……この味。)
────んぱっ……。はぁ…、んんっ……。大好き、だよ……!
(…思えば、『古見さん』と話すとき自然と鼻呼吸を意識しちゃうのはなんでだろ?)
……
…
△
「私がみ~んな殺してあげるから、安心して見ててね…!」
「ねっ、私の大好きな…古見さん…………!」
ギュイイィィィィィィイイイイッ、ガガガガガガガガ。
──チェーンソーは鳴り止まない。
山井恋はその名を体現するかのように病んでいた。
故に、チェンソーの振動に耐え切れず腕が痛くなろうが、どれだけ女や子供を虐殺することになろうが、気にもならなかった。
全ては、愛する古見さんを守り、そして振り向かせるためなのだから。
参加者名簿を読んだとき、彼女は目の前が一瞬暗くなったが、あれこそ恋は盲目だったのだろう。
壁が完全に切断され倒れ伏す。
今度は、個室内の雌豚をバラバラに屠殺するため、山井は足を一歩踏み込んだ…。
「そっちのトイレには誰もいないですよ。あいにく」
山井の耳元で、声がした。
「…っ!!?」
ため息交じりの呆れた声。
予期せぬ背後へ、山井は反射的にチェンソーを振り回そうとする。
が、
「…いっ…!! …が、がっ…………」
右腕は背後の主に軽く捻られ動きを封じられる。──女とは思えない凄まじい力だった。
そして、右耳にて。穴全体を埋め尽くしたのは冷たい感触。
先の尖った銀の菜箸のようなものを耳穴に突っ込まれ、鼓膜付近をサラサラ撫で回される。
右耳を支配する「ごわっ…ごわ、ごわ」という鼓膜の黄色信号音。
──それはいつでも、その気になれば脳みそまで突き刺せるぞというアピールを表している。
山井はほんの一瞬のうちに抑え込まれてしまった。
例によって将棋なら、『詰み』の状態である。
「ドアをギッタギタに壊して…。あなたは映画のシャイニングですか?」
メイド・早坂愛は羽交い締めに近い型で、山井の背後を完全に乗っ取った。
生まれながらにして四宮家の護衛を使命づけられた彼女。
常人は耐えかねぬ厳しい訓練が幼少期既に身に付いていたので、咄嗟に身を隠し襲撃に対応するなど容易いものだった。
「……まぁ、事態が事態なので正気を失うのも理解はできますがね」
「一応、私は早坂愛。あなたは?」
「………っ。…れん……」
「…山井…、恋………………」
「恋ちゃん、ですか。制服からして伊丹高校の方…のようで。どうでもいいですけど」
「…こ、」
「…殺すの…かよ………。私を………」
「えーと。一応、危なくなったら正当防衛っちゃいますが」
「………っ……イッ……!」
早坂はマニュアル通りがごとく淡々と受け答えを返した。
対して、山井は歯が折れる勢いでギリギリと軋らせ止まない。
少しでも動けば容赦なく貫通してくるだろう耳中の菜箸。
その不快な感触もさることながら、自分と同い年くらいの雌に圧倒的力の差を見せられ身動きもできない。
その自分の無力さに心の底から苛立っていた。
「………ぐ、う…………、ぅ………」
「…抵抗しないで頂き助かります。こっちも正直こんなグロい殺し方は勘弁ですから」
「……………っ…ぐ……ふぅ………………ぅう………」
「んじゃ次はそのチェンソーを降ろしてくれますか? そしたら、同時に私も菜箸を出すので──………、」
「殺せるもんなら殺してみなさいよ……っ。クズ…! 牛野郎…!!」
苛立ち。
故に、山井は無抵抗ながら抵抗の声を上げる。
「…話聞いてました?」
山井の返しに、早坂は呆れた視線をアンサーに飛ばした。
「…てか牛野郎ってなんですか……」
だが、山井には冷たい視線などどうでもよかった。
この一歩間違えれば死の絶体絶命状態。
いわば地雷地帯に踏み込んでいる今だろうが、彼女の脳内には一つのみ。
『古見さん』への重すぎる思い。それだけを、菜箸まで推定距離2.5mmの脳は考え続けている。
思考を古見さんで支配されきった女、山井恋は誰であっても止められない。
罵詈。雑言。
早坂から受け取ったクエスチョンを、山井は勢い凄まじく吐き散らした。
「…牛野郎? あんたのことなんだけど? さっきからデカい乳押し付けて牛乳でも出そうなんですか~? このクズ女」
「……やま…、」
「あーうっさい黙ってカス。言っとくけどね、古見さんはあんたみたいな脂肪と違ってスタイル凄くいいから」
「…………し…、」
「古見さんはね、綺麗でスタイルも良くて品があって、それでいて面白いし性格もいいの」
「…………………」
「でもなぜか妬みとか嫉みとかそういう感情が沸かないのよね。そう、私を幸せにしてくれる存在なの」
「そんな素晴らしい存在の古見さんがバトル・ロワイアルなんて感性が厨二以下で貧窮街のネズミが浮くドブ川レベルの下衆お遊戯会に参加させられてるなんておかしいことなの」
「早坂ちゃーんもそう思うでしょ? 早坂ちゃんみたいな黒牛にはお似合いのゲームだろうけど、古見さんがここにいてはいけないの。貴方みたいな下級でカーストの底辺根暗野郎が集まるとこに古見さんはいるべきじゃないの。分かるでしょ?」
「だから皆殺しなの。だから私なの」
「古見さんはあんたら六十八人全員の命差し出してやっと等価交換になるようなお方なんだから。私がやらなきゃいけないってこと。ね?」
「分かったなら早く手をほどいてちょうだい。次に死んでちょうだい」
死んだ目で息もつかせぬ口説き文句を吐ききった山井。
どう見ても異常で手遅れ、元から正気じゃないんだな。と早坂に印象づけるには十分だった。
イカレ女が崇拝しているその『古見さん』…とは。
歪みまくった愛情に早坂は心底ゾッとさせられた。
ただ。
(……)
ただ、である。
(……かぐや様…)
(なら…、私にとってのかぐや様は……………一体……)
(…………私は召使、かぐや様は主人………。その関係……………)
早坂は考えた。
(…なら、本来、私は奉仕しなきゃいけないんじゃないのか……?)
山井は古見、そして早坂は四宮、と【奉仕】すべき人間がいる。
それを理由に、一連の狂った長台詞を聞いてなにか想うことがあったのだろう。
早坂は殊更に考えた。
(主人を優勝させるために………。尽くさなければ………?)
(…私も、六十八人の邪魔者を消さなきゃいけない立場なんじゃないのか………?)
早坂は揺らぎに考えた。
(ゲームに乗る以外に、かぐや様の身の安全を保証する手段はあるのか………?)
山井の破綻した主張が引き金に、どんどん早坂は考えさせられていく。
恐るべきか、考えれば考えるほどまるで沼にハマっていくように。
早坂の身体中をドス黒いものが満たしていく。
そのドス黒い物体はよく見てみたらものすごく小さな物の集合体だった。
「殺せ」「殺せ」…という小さな文字の大群が。
何万と、何十万と大量発生し、早坂を真っ黒に満たしていく。
(人を殺さずして彼女を守る方法……そんなのって…………)
殺せ
殺せ、殺せ、
殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺
殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺
殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺
殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺
殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺
殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺
愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛
愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛
愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛
愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛
愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛
愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛
──コ、ロ、シ、ア、イ
殺 し 愛──。
「殺せ」の波が、腰、肩、首まで昇って、頭を支配したとき。
早坂は微笑を堪えきれず吹き出した。
────フフッ、ないじゃん…。皆殺し以外に手段、なんて。
────かぐや、様。
「…ねえ早坂ちゃん。さっさと離してくんないかな~? 理解力…、」
キン────
キン、キン…キキキキン…
金属の箸が床に落とされた。
「…あ?」
と、同時にチェンソーが奪われる。
「…はぁ??!」
「ちょっと何すんの早坂ァ!! 返しなさ…」
「不向きですよ」
「…あ?? あ?」
「こんな扱いが難しい大型武器…、小柄なあなたが使っていたら却って命取りです。同じく、私はパワーが十分な武器を欲していたのですからWINWINなトレードでしょう──、」
「──同じ仲間…、いや同志として。ね、山井さん」
「……え??? は…?」
予想だにせぬ言葉に、呆気にとられる山井。
棒立ちの彼女を余所目に早坂はチェンソー担いで出口まで歩き始めた。
途中、壁際に五つ並ぶ小便器が見えたがもうどうでもいい。
その顔は無表情ながらも、目だけは闘争を前にした凶悪犯のようにギラつき揺らいでいる印象。
早坂は出口戸を左手で押しその場から出ようとする。
「…いや、待てって!」
ピタリと早坂を止めたのは山井の荒げた声だった。
「いやいきなり意味わかんないし! 仲間?? バカじゃないの?」
「…失礼、『同志』ですよ」
「あ? 表現はどうだっていいよカス…!」
「あのさー、私お前を仲間だなんて思ってないんだけどっ! …で、そう無防備に背中向けてるけどさー、それ殺してもOKって言いたいのかなー?!」
「なら遠慮なくやるけどいいよねー?」
グイグイグイッと、個室に取り残された山井は菜箸を突く様を見せつける。
一方で、奇しくも早坂も同じように反復行動を見せつけてきた。
コツコツコツッと、指先を突く場所は自身の首。
──全参加者に纏わり付く金属の首輪。
そこには横長な液晶画面があり、「47:01:52.99」と赤いデジタル文字が表示されていた。
「…は? …え、何それ……」
「『残りカウントダウン』でしょう。(頭の悪ーい)利根川が説明してましたが、四十八時間以内に優勝者が決定しないと全員爆発らしく。元も子もないわけです──」
「──つまり、我々『殺し係』が潰し合うのは時間の無駄なんですよ。狩るのはあくまで、『殺し合いに乗らない人間』──」
「──ただ、私たちが固まって動いても効率が悪い。そこで、別行動で殺し回りましょう。って訳です──」
「…え、……」
「──それが『仲間ではなく同志』として、の意味。分かりましたか、山井さん」
この瞬間、カウントダウンが残り46時間台へ突入した。
山井は圧巻に取られ、しばし早坂を見送るだけだった。
が、それも束の間。
邪魔な木片を蹴り飛ばすと、自身もまた早坂とは反対の出口へと向かっていく。
洗面所に備え付けのアルコール消毒で、箸を入念に除菌した後、彼女は振り返った。
「早坂ちゃーん」
「あんたの真意は分かんないけどさ~、理には適ってるし、一旦は共闘するからねー」
「ええ。バカでないようで安心しました。…失礼」
「あはは~☆ 早坂ちゃんはほんとにもうっ~! 死ね」
歳は共に十七。
伊丹高校、秀知院学園のスクールカーストトップ女子同士が、ドロドロした思いを胸にトイレを去っていく。
最後。
思い出したかのように両者向顔。
片方はにこやかに、もう片方は淡々と。
互いの不可侵条約を、改めて宣言するのであった。
「そうそう~。早坂ちゃんさぁ、」「私からも一つ、」
「『古見硝子』っていう髪が長くてモデルさんみたいでトニカクカワイイ参加者がいるんだけど~、」「奇遇ですね。『四宮かぐや』というセンター分けで私と同じ背、服装の女の子に会うかもしれませんが、」
「古見さんを襲撃したら~」「その子に仮に危害を加えた場合、」
「「殺す、から。」」
「そのちっちゃな頭に叩き込んでいてね~。愛ちゃんバイバーイ☆」
「いや辛辣だしーィ、恋ちょん! ウチも古見ちゃんは攻撃しないから、恋ちょんもご容赦ねー★」
「…は? 何その急なキャラ変…。キモっ…」
「…失礼。自分もさすがに違うかなって今思いました」
「────では。」
バタンッ
二つの出口は、ほぼ同時に閉じられた。
【1日目/C3/渋谷高校2F/AM.02:01】
【早坂愛@かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~】
【状態】健康
【装備】チェンソー
【道具】???
【思考】基本:【奉仕型マーダー→対象︰四宮かぐや】
1:かぐや様、古見硝子以外の皆殺し(主催者の利根川含む)
※:マーダー側の参加者とは協力したい
2:かぐやとのいち早い合流
3:ていうかLINE返信癖つけろよっ!
【山井恋@古見さんは、コミュ症です。】
【状態】健康
【装備】めっちゃ研いだ菜箸@古見さん
【道具】???
【思考】基本:【奉仕型マーダー→対象︰古見硝子】
1:古見さん、四宮かぐや以外の皆殺し
※マーダー側の参加者とは協力…かな?
2:こんなドブネズミの巣から古見さんを早く脱出させたい
最終更新:2025年06月01日 17:28