『患部を切ってすぐ食す~狂気の相場晄~』
小さい頃の俺は、怖い物知らずだったな。
……いや別に、「親譲りの無鉄砲で~」だなんて、坊っちゃんみたいな語り口するつもりはないぞ。
ただ、今思えばさ。
あの頃の俺には、本当に怖いものがなかったなぁって振り返ってるわけだ。
だから、当時の俺はとにかく『死体』を撮るのが趣味だった。
……おい、引いたりすんなよ? あくまで子どもの頃なんだからさ。
日曜夕方にやってるアニメに、父親キャラがカメラ好きなやつがいてさ。
そいつに影響されて俺も的な。親に買いせがんだんだ。
あのときはメモリも気にせず色々撮ったな。
セミの死骸にゴキブリの死骸。
アリがたかった芋虫の死骸、ドブネズミの死骸、下校中の女子生徒、モグラの死体、炎天下で、シカの死体、死肉、蠢く蛆虫、とろけた目玉、へしゃげた脚。
そして、親戚のお姉さんの亡骸……。
…恐ろしいよな、悪ガキの頃は。
無邪気だったんだから。
成長した今、改めてゾッとさせられるってのはよくある話だ。
だけども、あのときは倫理観なんか教えられてないから、葬式中なんで母さんが平謝りしてたのか分からなくて。
俺はただ、ふすまの隙間からぼーっとその光景を覗いていた。
そしてその無邪気さが原因で、俺は猛烈に嫌な体験をしたんだ。
写真を見られたんだよ。
クラスメイトの…………ああ、名前出てこないや。
まあいい、そんな奴だ。
ともかくそいつに「気持ち悪っ」「病気じゃん」って好き放題言われて、数日もしない内にクラス中で変人扱いされた。うん、俺が。
今思えば、俺にも多少非はあるんだが、あのときはもう怒りと屈辱で、まともな思考なんかできなかった。
なにせ、あの日以来、俺がちょっと席立つだけで女共や隅っこにいる奴らがジロジロ見てくるようになったんだぜ?
ジロジロ、ジロジロ、ジロジロ……。
なんだよ。なんなんだよ。俺が何かすると思ってるのか……?
お前らなんか興味ないっつーのに、なに歩いただけで「ヤバいことしてる~……」みたいに見てくんだよ……。
そんな積もる鬱屈が、四六時中胸の中で膨らんでいたんだ。
だから、あの、言いふらしたあいつを…………あぁ、名前思い出した。岡本だ。
岡本が飼い犬と散歩してるのを見た時、すっげえ胸がスカッとしたね。
まじ? 復讐のチャンスじゃん! ってな。
早速、奴がコンビニに入った隙を見て、リードを無理やり引っ張ってな。
部屋にブチ込んだわ。
え? 「お前は何をやろうとしたんだ?」って?
んなもん、お前。……ま、拷問だよ。
……いやだから引くなって。若かりしの過ちなんだよ、過ち。
それに拷問つっても軽いもんだからさ。
とりあえず毛だらけの顔とか背中、腹の皮を紙やすりで真っ赤に削って、……あとは面倒くさくなったから鉄線で縛って押し入れに放置~~的な?
拷問って、いざやるとなると分かんないもんだったんだな。
ギャンギャン悲鳴あげてうるせえし、あんときは二度とやらないと決めたわ。
まあ、それでも岡本がすげえ顔曇らせてたのを見たときはスカッとしたけどな。
へへっ、ざまぁ。
くっしゃくしゃな顔してよぉ、気持ち悪いのはどっちだよ~? とか煽ったわ。マジ。
……ごめん、これはさすがに嘘。
で、数週間したくらいかな。
押し入れがバカ臭くなったから「あっやべ! 忘れてた……」ってなって。
恐る恐る開いてみたらもう……、ありゃバイオハザードだよ。
俺的には白骨化とか想定してたが、出てきたのは全身赤黒い肉の塊。
肉の塊つっても、目とか耳、足。
つか、基本は犬の原型留めてたから、俺……顔にブルー入っちまってさ。
バカみたいな量のコバエも度肝抜かれたが、何よりやばいのが体中にリンパ腺……みたいな?
黄色い膿の塊が大小ぷくぷく膨らんでて、特に顔中ニキビみてえにそれが集合してたのが、もうやばかった。
鼻穴からも何とも言えない汁が流れてたし、あれは見ちゃダメなヤツだわ。
とりあえず、仕方ないからその化け物を岡本ん家の玄関にクーリングオフしといた。
キャッチアンドリリース的なね。
まぁ化け物つっても生きてねーんだけど。……って当たり前か。
そしたら岡本のやつ、あんな臭そうなモンを抱いた顔をした後、喚きだしたわ。
「近所迷惑だろっ」「非常識かっ」ってツッコみたいくらい叫んでて、俺も正直ドン引きしたんだが、岡本の話はこれにて終わりだ。
なにせ、あいつ。
夜に物置のとこで首吊ったんだからよ。
……ああ悪ぃ、話唐突だったわな。
けど、ほんとそれくらいにあっけなかったんだよ。
岡本はこうしておサラバしたわけだが、俺も双眼鏡越しに妙な哀しさを覚えちまったな。
ま、これで俺の復讐はひとまず終わったんだがな。
けれど同時に、一つの疑問が頭に浮かんだんだ。
あんさぁ……、岡本の奴、どうして首を吊ったんだと思う?
V系バンドが吊りながらオナって事故死……みたいなんは雑誌で読んだことあるが、要は死ぬわけだろ? 頸動脈縮まんだからな。
なんでそんな損しかしないことしたのか、俺はほんとに理解できなかったわけよ。
だから俺も吊ったわけだ。ロープ持って。
三島ゆりっていう当時ガチ惚れしてたツインテん家の前でさ、ド深夜に。
ものは試しって精神でな。
台に乗って、首に縄をかけ、そっと蹴り飛ばす。
岡本がやったやり方まんまに、忠実再現したんだよ。
そしたら、……ほんとすっげえ苦しかった。
いや苦しいってレベルじゃねえ。
もう全身パニックみたいになって。
汗はガンガン出るし、手足は操られたみたいにジタバタしやがるし、何よりこの状況なのに、馬鹿みてえに陰部が痛くなってきて恐ろしかった。
全身から唾液が馬鹿みたいに出て、頭も痛くなって、炎みたいな変なのまで見え始めて。
俺、死ぬ、の……か────? ってな。
……ロープがぶち切れた時、もう喘息みたいに咳を吐き散らしたわ。
我慢できなくて、胃の内容物も全部ぶちまけたんだよ。
「あっ……忘れてたけどここ、三島ん家の前じゃん」って。
そんなこと思えたのは、何十分も地面に寝転んでからだったと思う。
夜空が滲んでて、星もよく見えなかったよ。
……だけども、あのときの、『あれ』
息が止まりかけた瞬間に視えた、『あれ』だけは今でも忘れられない。
輪郭もないのにはっきり分かったんだよ。
あれこそが『死』なんだって。
俺は小六でそれを知っちまったんだ。
そっからだ。
俺は、死が怖くなった。今でもダメなんだ。
どんなホラー見ても平気だけど、『死』だけは、怖い。
死だけが、俺の怖いものなんだ──────。
まあ、そんな話。
俺の思考を盗聴ご苦労さん。
……そんなことできる奴がいると仮定して、脳内で語ってみたわ。
以上。
「んじゃ野咲のじいちゃんさぁ。もう、死のっか?」
────ゴスッ。
………
……
…
◆
「……あっ。──」
相場 晄。
少年が『最初の参加者』に遭遇したのは、夜のネオン街を歩き続けて数十分ほど経った頃だった。
「──……スリーピング、ビューティー…………」
思わず息を吞んだ相場。
眠れる美少女とは──その一瞬、彼の視界に何が焼き付いたのか。
視線の先、ベンチ上には、静かに横たわる『少女』がいた。
半開きの口。
片膝を折り、仰向けに身を預け、両の掌で青いベンチを支えるようにして眠るその彼女。
その瞼は、どこまでも重たく深く閉ざされていた。
「おい、起きろ。……起きろって」
現在地はバス停。
頭上の電灯が、バチバチッと不規則な明滅を繰り返す不安の環境下にて。
相場は、彼女の脇腹あたりに手を置き、若干ためらいながらも揺さぶりを始めた。
揺れに合わせて、ところどころはだけるセーラー服の布地。
その紺色の制服は、相場にとってはあまりにも日常の象徴だった。
「……起きろよ。寝てる暇じゃないだろ。……起きろ、起きろって」
彼女──は、相場からしたらただのクラスメイト。
特別な関係でもなく、友達でも恋人でもない。
卒業したらもう二度と交流することなんてないだろう、ただの有象無象な同級生に過ぎなかった。
もっとも、好意はあるかないかで言ったら『ある』に傾いている。
小学校時代、授業中に隣の席の三島ゆりと抱き合わせで、いやらしく眺めていたのだから、思い入れはある女子とは言えるだろう。
「……起きろって言ってんだろ……っ」
そんな恋も、中学に上がるころにはすっかり冷めきっていた。
理由は単純だ。
相場が惹かれるのは、黒髪ストレートの、いかにも清楚なタイプだからである。
ゆえに、進級と同時に金髪へと染めた彼女の変化は、少年の淡い興味を瞬時に凍結させたという。
彼女のヘアカラーは、相場の鬼畜的性欲を萎えさせるには効果的面だったのだ────。
「……起きろつってんだろうがぁッ!!! この小黒がアァァッッ!!!」
──相場晄が最初に出会った参加者は、『死体』だった。
────ゴスッ
恐らく、いつまでも起きようとしない彼女への苛立ちと、そして日頃から胸底に溜まっていた恨みや怒りが、同じ線で弾けたのだろう。
相場は、文字通りの『叩き起こし』。妙子の右頬へ、拳を勢いのままめり込ませた。
女相手とはいえ、怒りに支配された彼に加減など残っていない。
乾いた衝撃音が彼女の顔をガクンと揺らせ、遅れて髪が光の粒を散らす。
新鮮な打撲痕。細い傷跡から滲む赤。
力なくめくれたまぶたの奥。半開きの白目に映っていたのは、息を震わせる鬼畜の形相であった。
「小黒ォォォッ!! なに寝てんだァッ!? 目ぇ覚ませよッこのアマァァァァッッ!!!」
──ガスッ
──グチュッ……
殴られてもなお沈黙を貫く小黒に、相場のこめかみの青筋は分かりやすく浮上した。
音を立てて切れる理性の糸。
相場は本能のまま、反対の拳をもう一発、彼女の小さな鼻先へ正確に叩き込む。
嫌な音が響いたものである。
拳を柔らかな頬から引き抜いたとき、妙子の鼻穴から二手の赤い筋が滑り落ちていった。
「……ハァ、ハァッ……ハァァァ……ッ!!」
怒気を孕んだ荒い息。
彼女の顎のすぐ下で、滲み広がっていく鼻血の溜まり池。
痛みや苦痛。そして相場を煩わしく思う感情も、普通なら表情のどこかに滲むはずだが、妙子は未だ一切、反応を見せようとしない。
──いや、普通に考えて見せれるわけがないだろう。
抜け殻となった彼女に、反応を返すことも、息を震わせることも、もうありはしない。
二重の意味で冷たい反応以外見せることはないのだ。
ただ、とはいえ相場を一概に愚かと断じることもできない。
死体。妙子の死因は、右胸を刺されたことによるものだが。
──それはたった一突き。──たった一つの傷。
出血が少ないうえ、セーラー服の濃い紺と、深夜の闇がその赤を巧妙に隠していたため、
「ハァ……ハァ…………。なに……、──」
「──……なに、死んでんだよ……。……小黒…………」
相場が、それを『死体』と認識したのは、すでに二度、拳を振り下ろしたあとだった。
「………知らなかった。……ごめんな、怒り過ぎたよ」
半開きになった妙子の瞼を、彼はそっと指先で閉じた。
そして、何事もなかったかのように、数分間その亡骸を見つめ続ける。
相場にとって『人の死』という体験は、人生でほんの数度しか触れたことのない出来事だった。
ゆえに、胸の奥には何か重いものが沈んでいたのだろう。
無言のまま、時間だけが彼の足元を静かに流れていった。
「……………………。──」
「──…………あの、野咲のさ……」
妙子のさらりとした金髪をひと撫でし、相場はしんみりと口を開く。
その顔に怒気の影はもうない。
まるで放課後の別れ際に交わす挨拶のような、穏やかでどこか切ない声色で、相場は『野咲春花』の話を語るのだった。
「前にな……火事があったろ。野咲の家で。あのとき俺はいたんだ。現場にな……。──」
「──火の粉がバチバチ飛んでさ……中じゃ息をするのもやっとで。あの熱の中で生き延びた祥子ちゃんは、きっと地獄みたいな苦痛だったと思う……。──」
「──あぁ、祥子ちゃんってのは妹な? 野咲の。お前知らねぇだろうからよ」
長女を除いた一家全員が焼死した、痛ましい事件。
口調は、語る内容にふさわしく、暗く沈んだトーンだった。
──だがその顔には、どこか芝居じみた影が差しているのは気のせいか。
葬式の場で、親族が故人に語りかける哀惜の光景を目にすることはあるが、あれとはまた違う。
相場の声にはまるで、ドラマやアニメの登場人物を模したかのような、妙なわざとらしさが混じっていたのだ。
ただ、本意がどうであれ、相場晄という少年は死体相手にフレンドリーな会話を投げ続ける。
その悲惨な独白を、なおも続けるのだった。
「そんで、火の中でな……不謹慎かもしれないけど、感動したんだよ……。──」
「──あの勇姿。あれだけは、どうしても後世に残さなきゃって思った……。カメラマンの性ってやつだな……。夢中でシャッターを切りまくったよ……。──」
「──野咲のお父さんが、祥子ちゃんを庇ってたんだ……っ! 燃えないように、身を挺して……っ!! なぁ? 有り得ないだろ!? 自分は火達磨になってんのにさ、それでも……熱さに……、熱さに耐え続けてたんだよっ!! 親父さんはっ!!!!──」
「──……俺が駆けつけたときには、もう炭みたいになっててさ。人間って燃やすとこんな匂いがするのか……って思ったよ。……けどな……、──」
「──俺はあれこそが、父親の鑑だと思う!!」
相場の様子が目に見えて豹変したのは、話題が『父親』の話に差しかかった瞬間だった。
声はわなわなと震え、鼻息は荒く、口元には笑みすら浮かんでいる。
興奮しながら熱弁を振るわせていたのだ。
きっと彼にとっては、話していてとても愉快な話題なのだろう。
血走った目をぎょろつかせるその姿は、まるで内側の愉悦が熱となって可視化されたかのようだった。
「お前は女だから分かんねぇだろうけど、あれこそ『漢の理想図』なんだ……!! 素晴らしかったよ!! もう……!!!」
そんな興奮のままに、相場はふとデイパックへ手を伸ばした。
取り出したのは、鈍く黒光りする金属の小道具。『支給武器』。
おもむろにそいつを構えた相場は、目を細めてギュっと凝視する。
──レンズのような円い口を、鼻血がやっと止まった妙子の方へ向けて。
「そんなお父さんの勇姿をさ、いつか道徳の時間に皆に見せてやりたかったんだよ……俺は……」
相場は、ためらいもなく『武器』のスイッチを押すのだった。
────カシャッ。
ジ──、
ガガガッ、ガガガ……──。
「それに比べて小黒さんよぉ……。なんだあ? お前の死に様はぁ? 情けないったらありゃしねぇだろ? おいー……」
閃光。
一瞬の白が闇を裂いたのち、支給武器──『一眼レフカメラ』から、一枚の写真が唸りを上げて吐き出された。
相場はそれを指先でつまみ、軽くペラペラと振る。
彼の視線は、写真一点に釘づけだった。
まるでその中の妙子へ語りかけるように、相場は静かに言葉を吐く。
鼻血を流し、力なく横たわる姿。散らばる髪。脱げかけた片足の靴下。
そのすべてを映し出した一枚を、相場は息を潜めるように見つめ続け、やがてぽつりと漏らした。
「ったく馬鹿みたいだな。……小黒…………」
口では侮蔑の言葉を並べながらも、相場の指先は名残惜しげにその写真を撫で続ける。
吐き捨てる言葉とは裏腹に、視線は妙子の死に顔に縫いとめられたままだった。
小黒妙子。
自分の感情を素直に言葉にできない、不器用な女だった。
──そんな彼女と、惹きつけ合ったとでもいうのか。
相場もまた、最後まで冷たい言葉しか選べず。
その最後の別れを終えるのであった。
「…………。──」
「──……行かなきゃな。……もう」
十五分ほどの沈黙を経て、相場はゆっくりと写真をポケットへ滑り込ませる。
ガサガサ──。擦れ合う紙の音がやけに生々しい。
その音だけで分かる。ポケットの中には、すでに何枚もの『記録』が詰まっているのだ。
つまりは、妙子も相場のコレクションの仲間入り、というわけか。
相場は写真を無造作に指先でかき混ぜると、まるで用事を思い出したかのように、静かに立ち上がった。
もうこのバス停に用はない。
光も、温度も、見るべきものも残されていない。
「……じゃあな」
その一言を風に溶かし、相場はデイバッグを持ち直して背を向ける。
青いベンチに残されたのは、横たわる小黒妙子ひとり。
夜の静寂に沈む、余白だけだった────。
──かに思われた。
「………………」
バス停を離れるその途中、最後の一歩で、相場はふと振り返る。
未練というには浅く、しかし確かに引き止められるような感覚。
視線の先、そこにあるのは無論、人ではなくなった妙子の姿だ。
だが、網膜がはっきりと捉えたのは、その全体ではなかった。
「………………あ、」
下心があったわけではない。
ただ、ほんの偶然、視界の端に入り込んでしまっただけだった。
「……ぉ、小黒…………、」
彼の視界が一点集中した先は──、妙子の『右脚』。
革靴の縁に押され、純白の靴下がわずかにたるみ、皺を寄せる。
その上に続く肌──太ももは、夜の灯を受けてわずかに艶めき、まだ体温を宿しているかのように柔らかそうだった。
血の気を失いながらも、肉の張りだけは生の名残を留める。
相場が見てしまったのは、妙子の尻付近。
スカートでは隠しきれなかった、下着のレースだった。
死体。──そう頭では理解しているのに、目の前のそれはあまりに『生』に似すぎていた。
薄い水色のソレを、目に焼き付けてしまった相場。
普段は温厚な彼も、理性という蓋をしていただけで、他の少年たちと何も変わらない──思春期の男子だ。
「い、いいち、一応……だ。一応……」
言い訳のような声が夜気に溶ける。
胸の奥で煮えたぎる何か──ドス黒く焦げる感情が。彼へ「行け」「行け」と泡を出して沸き立つ。
頬をかきむしりながら、相場は足を止めることができなかった。
「一応、検死しなきゃな……! 小黒の……名誉の為にも…………っ!」
震える手が、近くに落ちていた金属のはさみを拾い上げる。
その動作には、明確な目的などなかった。
ただ、理性と狂気の境目で、相場の中の何かが、ゆっくりと音を立てて崩れていく。
大胆にも、ハサミを入れた先はセーラー服。
相場は、ヘソの上から首元にかけて纏うその衣服を、スルスルーと裁断していく。
「……た、ったく。……ったくよぉ……!」
クリスマスプレゼントを毟し開けるガキのように、布を乱暴に掴むと、露わになったのは血の染みがじんわりと広がる白い生地。
それは、熱を帯びた記憶のように赤く滲み、彼の視界を染めていく。
中でも、じんわりどす黒くなった刺箇部分は、触ってみたくなるくらいの膨らみがかかっていた。
ここまで来ると、もう面倒臭くなったのだろう。
相場は刃を放り出し、ブラジャーごと白シャツを掴むと、力任せに引き裂いた。
「……はぁ……ぁ………………、うりゃっ!!!」
乾いた音が夜気に散り、闇の中で白がふわりとほどけていく。
バチッ──ビリビリビリビリィ──────
いとも簡単に布は裂け、目的の箇所が露わになった。
気温は二十五度。寒くもなく、息が白むような夜でもない。
それなのに、破れた布の向こうに現れた──『中華まんじゅう』のぬくもりには、相場は何故、心がざわついたのだろうか。
湯気を思わせるような柔らかい曲線。
相場は空腹でもないのに、無意識のうちに唾を呑み込んだ。
「おい……いや、マジで…………。犯人……クソ野郎がっ……はぁ……ひ……」
相場はお目当ての物を前に、まじまじと観察を始める。
刺し傷は一箇所。何故だかピンク色をした小さな隆起の、ほんの数センチ下、一突き。
すでに出血は止まり、傷口には乾いた赤がこびりついていた。
それでも右胸の一帯は、まるで透明な膜で覆われたように光を反射する。
その生々しさに、さすがの相場も息を呑んだほどだった。
だが、別の意味で、どうにも落ち着かない違和感が、相場にはあった。
「……なんだよ……バカか……? 気にならないのかよ……、殺った奴は……」
それは、事件の真相を探るような理屈ではない。
几帳面な人間が思うであろう、『左右で長さの違う靴下を見ると無性に直したくなる』という──そんな『気持ちの悪さ』が相場には浮かんだのだった。
常識も倫理も狂っていながら、実は几帳面な彼である。
彼だからこそ、許せない『箇所』がそこにはあったのだ。
「なっ、なんで……?──」
「──どうして『中心』から微妙にズラして刺すんだよっ……??! きっちり射抜くように突き刺せばいいだろうがっ……?!」
眉間に皺を寄せ、相場はひとりでぶつぶつと呟き続ける。
傷跡は、淡いピンクの『円』のすぐ脇にあった。
それが、彼にはどうにも許せなかった。
まるで、キャンバスの中央からわずかに逸れた一点、構図としてのズレが我慢ならなかったのだ。
「いや、別に……いいんだよ。いいんだけどもさ……。でも、俺はこう、ちゃんと……整っててほしいんだよなぁ……」
故に、A型らしく彼はこのズレを、訂正すべき誤差として決めつけた。
チョキ、チョキ──と、不規則な音を立てるは、先ほど衣服を裂いたときのハサミ。
それが妙子の命を奪った凶器であり、彼女自身の愛用していた理美容用の道具だなどと、相場は知る由もなかった
刃先がピンクの突起にて、暗闇のように震える。
「スッキリするんだよ…っ!! スッキリな……!!」
関係のなく、そして他愛もない話をしよう。
『ニキビ』──というものがある。
皮膚の下にこもった小さな異物、体の内側が外に押し出そうとする拒絶の印だ。
美容の世界では、それを専用の『器具』で挟み、わずかな力を加えて芯を押し出すという。
奇しくも、その処置に使われるのは、相場の手にあるものと同じ──ハサミのような『器具』であった。
──グニュッ
「これで、よし……」
あるニキビ摘出手術での、他愛もない記録の話である。
わずかに隆起したピンク色の突起に、器具の刃先をそっと合わせ、力を込める。
グニュッと皮膚の奥が押し潰れる感触。
すると、突起が悲鳴をあげたかのように、一気に深紅色となっていった。
ただ、刃の位置がわずかに甘かったのか、突起は取り切れず。
残ったのは小さな痕と、くたびれた形だけだった。
「チィッ!! クソがっ……!!」
そのため、外科医は器具の先端で患部を挟み、再び切除に取りかかった。
──クチンッ。
今度は、確かな手応えとともに芯が断ち切られる。
弾かれるように、黒ずんだ小さな塊が転がった。
それを指先でつまみ上げる医師の仕草は、まるで戦利品を手にした者のようだった。
さて、ところ変わって相場へと話を戻そう。
偶然にも、患部こそ違えど、外科医と同じ『行動』をなぞっていた彼だ。
刺し傷と直結し、大きな溝を作り上げた柔らかな中華まんじゅう。
驚くべきことに、そこからはいちごミルクのような体液が、我慢できずに漏れ出てきた。
「うおっ!! う、うぅっ……!!──」
「──……ぉ、女の母乳見るの……。初めて……っ」
ダクダクと溢れ出すそれに、相場は思わず息を呑んだ。
ウブな幼さの残る反応だった。
が、その驚きも長くは続かない。
「…………。ぐっ……。──」
「──これが、小黒の……、なのか……っ」
彼が摘み上げるは、指先でぷにぷにと弾む完熟ブルーベリー。
光にかざし、角度を変え、香りを嗅ぎ、わずかに圧をかけて感触を確かめる。
完熟の柔らかさ。ほんのり甘い女の匂い。──それだけで胸がざわつく。
指先がわずかに震えた。
それは期待か、緊張か。
未知の誘惑に負けるように、相場はそっとブルーベリーを唇へと運んだ────。
「って、さすがにそこまで俺もヤバくないわ…………。変態だろ、それ……」
唇に触れさせる直前、相場は小さくため息をもらした。
ぷにぷにと指先で弄ぶうちに、次第にその感触が気味悪く思えてくる。
「自分は一体、何をやっているんだ」と、頭のどこかで声がしたのかもしれない。
どうにか後始末をつけようとしたものの、手元に適当な場所も見つからず。
仕方なしにと、彼はブルーベリーのような物を、妙子の某薄布の内側へモゾモゾと押し込めた。
「……ばっちっ。汚ね……」
これにて、そこそこに満足したのだろう。
というかもう、萎えてしまったのだろう。
相場は血と妙子の某体液で汚れた指を、壁に擦りつけると、相場はゆっくりと立ち上がる。
今度こそ、本当にその場を離れるのだった。
──一連の行動は、およそ二十分にも及んでいた。
◆
………
……
…
バス専用道路を挟んで、ギンギラに輝き続ける街の一角。
渋谷。光の洪水。夜を昼に変える人工の太陽。
そのただ中を、相場はふらふらと彷徨い歩いていた。
行き先は愛しの彼女──『野咲春花』の元。
もちろん、彼女がどこにいるのかなど知る由もない。
ただ、灯りに引き寄せられる羽虫のように、理由もなく、確実にその方向へと導かれていく。
「……はは、きれいだな。東京ってのは」
ふと立ち止まった相場。
まるでシャッターチャンスを見極めたカメラマンのように、彼は『カメラ』を構える。
標準レンズの先には、対向歩道のネオン街。
摩天楼が、格好の獲物の如く光を散らしていた。
──カチ、カチ、カチ
切り替えレバーを静かに回す。
レバーを『写真用』から『戦闘用』に切り替えると、彼は。
「野咲に会ったら、この景色の写真見せてやるか。……俺が撮ったんだぜ、って話しながらな」
支給武器のシャッターを、カシャリッ──と鳴らした。
─────刹那。閃光。
──ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォッッッ
──バガアアアアアアアズウウウウウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥッッッ
レンズに収まっていた世界が白く乱れ爆ぜた。
爆風。地鳴り。火炎。
ネオンは次々と燃え上がり、光の街が赤に焼き尽くされていく。
「はははっ、ははっ……はは!!──」
「──ははははははハハハハハハハハハははははははははっはははは、ははははははははハ!!!!!!」
カメラを下ろした相場は、その地獄絵をうっとりと見上げた。
光と炎が入り交じり、渋谷の夜空は巨大な花火のように咲き乱れる。
その眩しさを浴びながら、相場は嬉々として歩き出した。
飛び交う火花を目にして、野咲の火事で刻まれたはずのトラウマ──フラッシュバックをすることもなく、彼は楽しげに歩き続けた。
たまにぼっそりと、
「野咲……、お前が幸せなら、俺はそれでいい。──」
「──そのためなら、何人焼き殺しても……俺は構わないんだからな!──」
「──ぶふっ……!! あははっ!!!」
などと、戯言をほざきながら。
心を持たぬ怪物は、知ってか知らずか。
道端に咲く百合の花を、スニーカーの底で踏み潰し、野咲の元へと進んでいく。
【1日目/D4/渋谷駅東口バス乗り場/AM.00:59】
【相場晄@ミスミソウ】
【状態】健康
【装備】爆殺機能付き一眼レフカメラ
【道具】写真数枚(小黒妙子の死体写真他)
【思考】基本:【奉仕型マーダー→対象:野咲春花】
1:野咲にとにかく会いたい。
2:邪魔する奴は『写真』に納める。
3:絶対に死にたくない。
4:小黒、じゃあな……。
※小黒妙子の死体は、バス停のベンチにて一部死体損壊状態で放置されています。
最終更新:2025年10月13日 02:24