悟浄出世
あまり大きな声で叫んでいるために
世界は不気味な沈黙だ
その沈黙の中で
おれはおのれの肉(からだ)に海のような心音(リズム)を聴く
おれが望むのは
おそろしく破壊的なものだ
創造の初めにかえるための力だ
弱いものは死ぬ
と 言いきるための
おれが求めているのは
無難な言葉ではなく
危険なものだ
文法的な意味ではなく
ましてや人間的なものでもなく
天について正しい言葉だ
おまえとおれとが違うにしても
そのどちらもが正統であるべきものだ
(岩村賢治詩集『蒼黒いけもの』より『自分戦争』)
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
「……なんで、ヒグマの名前が『制裁』?」
「それはね、私がやった実験結果からつけたの」
STUDYの研究員たちは、あるミーティングの席で頭を抱えていた。
データが散逸してしまい、把握の困難になった二期ヒグマたちへ、とにかく暫定的にでも呼称をつけて判別するための会議である。
今現在は、
布束砥信が議長となって進めている中で、各々の研究員が自分の名付けたヒグマの呼称を披露している最中である。
「『解体』といい、あなたそういう名前好きね桜井純」
「えへへ、まあね」
「フフン、桜井は中二病でもこじらせたのかな?」
布束と桜井という女性陣の会話に、横から関村研究員が茶々を入れた。
「僕の『穴持たず34だったような気がするヒグマカッコカリ』という名称を見習いなよ」
「適当な上にゲームに没入しているあなたが何を言っているの。やり直し」
「えっ!? だって、ちゃんと記憶に基づいてるし、不確定な部分は不確定のままにしてるじゃん!!」
「その不確定要素をなくすためにやってるんだから、意味ないでしょうそれじゃあ」
関村は太った肉体を揺らして抗議するが、布束の蛇のような視線ににべもなく突っぱねられる。
事態を重く見た斑目、小佐古の両研究員は、先ほどから静観に徹していたSTUDYコーポレーション代表でもある有富春樹へ、ついに発言を促した。
「……やれやれ。やはり僕がいないと君たちはダメか」
「ん……。有富のネーミングは、意外にもセンスあると思うわ」
各研究員から提出された資料に眼を通しながら、布束が呟く。
有富は気を良くして、得意げに周囲へ向け両手を広げた。
「『
灰色熊』。MTGから取った呼称ではあるが、名が体を表している。皆も既にこれは異論ないだろう?
そして『ミズクマ』。モチーフは民話だが、これも実に的確な呼称だと思わないか?」
「……フェブリ(2月)やジャーニー(1月)の時といい、あなたこういうところ『だけ』はちゃんとしてるのよね……」
「ふふふ、褒めても給料は上がらないぞ布束」
布束は有富の言葉をしっかりとスルーする。
場の空気がいくばくか明るくなったことを確認した斑目と小佐古は、『名が体を表している』ということで高評価を受けた有富のネーミングに自信をもらい、喜々として発言した。
「自尊心があるから『ヒグマ・オブ・オーナー』」
「よく寝るから『ドリーマー』」
「もっとわかりやすい特徴でつけなさいよ……!」
「じゃあ空を飛べるから『空飛ぶクマ』!!」
「サーフィンが好きだから『サーファー』!!」
「ストレートにもほどがあるんじゃない!?」
「よし、『ヒリングマ』ならどうだ!!」
「あなたはゲームから離れなさい関村!!」
布束はしびれを切らし、書類をテーブルに叩きつけた。
こめかみを押さえながら、資料に朱を入れつつ確認を取る。
「That's enough……。皆がそういう調子ならもういいわよ……。
どうせ仮称だし付け直すはず……。未確定のヒグマはまだいるし……。でもキムンカムイ教徒を自称する連中はそのままでいいから……。
……結局全員、この提出資料ので構わない、ということね?」
「「「「「はーい」」」」」
「……Oh, dear」
STUDY社内会議恒例の満場一致の挙手で、その場は締めくくられた。
お粗末なミーティングの結果に溜息をついて、布束は辟易とした様子で資料を纏め始める。
「……ところで。結局あなたの実験がなんだったのか聞いてなかったわ」
「あ、そうそう。『制裁』含めた何頭かを、私はヒグマたちの社会性を調べるために、一つの大きな檻の中に纏めてみたの」
「……複数頭の実験!? いつの間に!?」
「……あ、そうだごめん。連絡してなかった」
桜井は誰にもその実験の開始終了報告をしていなかった。
STUDYならではの杜撰で適当な社風だから許されたことであって、本来なら研究者として、組織の人間として、あってはならないことである。
「まあとにかく、穴持たずたちは案外それなりに社会性を見せたわ。
……社会的・制裁が発生したのだから」
「……Sounds interestingではあるわね。その制裁を行なったのが、『制裁』というわけ?」
別に元から、『HIGUMA』は純粋に『羆』なわけではないので、群れのような繋がりを見せたとしても取り立てて不可解ではない。
中には既に人語を話し、バーバルなコミュニケーションを取り合っている個体も存在しているのだ。
自我の形成。
社会の形成。
そういったものがリアルタイムで観測されたとなれば、確かに興味深いものではある。
「いやいや、『制裁』は、制裁『された』側よ」
「……えっ?」
桜井は、布束の問いに首を振っていた。
「彼は、餌の動物に墓を作ってやるような振る舞いをしてね。異端に捉えられたんでしょう。
私から見てもいじめのような『制裁』を受ける羽目になったわ。
よりによって、その相手のすぐ脇を通って逃げようとする鈍くささがあって……タコ殴りにあってたわ」
「……ああ、そうなの……」
名前からして、ふつう想像するのは真逆の性質である。
そのヒグマが制裁を『受ける』側であったことに、桜井以外の研究員は驚きと疑問を禁じ得なかった。
首をひねるその研究員たちを見回して、彼女はテーブルに身を乗り出す。
その口調は真剣だった。
「今後実験をするにつけてもヒグマを育てるにつけても、これ以上、こういう形での同胞間の不和が生じるべきではないわ。
特に、今回は制裁の対象が『制裁』だったのかも知れないけれど、このような異端排斥の圧力が蔓延すると集団は崩壊しかねない。
精神医学の見地からはどう、布束さん?」
「……Indeed, 自己同一性獲得の過程で受けたその仕打ちが、将来的に逆に他者へ怨恨の発露として向かうことは、大いにありうるでしょうね。
自分が被害者だった分、相手の嫌うことや、絶望するようなことは、よくわかっているでしょうし……」
「これを戒める意味で、私は彼をそう名付けたの。
私たちは今以上にヒグマたちのケアをしてあげて、不和や研究員への反感を招かないように、まとまる必要があると思う!」
桜井の力強い発言に、周囲の研究員は全員が神妙に頷いていた。
彼女が何の相談もなしに実験を敢行したようなその振る舞いが、そもそも研究員とヒグマのまとまりを崩壊させる事例なのではないかと布束砥信は思ったが、彼女の名誉のために言わないでおいてあげた。
――その結果が、実験当日のヒグマの反乱であり、その類例が、ヒグマ帝国指導者の自滅でもあるわけだが。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
ビルの階下に降りた
宮本明が真っ先に思い描いた人物は、その叫びの中にいた。
破れた窓ガラス。
荒らされた床面。
散乱する血痕。
その只中に横たわる、一人の男の肉体。
拳法家のフォックスが、その逞しい腹部を裂かれ、絶命していた。
宮本明の視線は、そのまま火のような怒りを帯びて、ビルの入り口へ向かおうとしている一頭の生物へと突き刺さる。
「お前かぁ!? お前と李徴がフォックスさんを殺したのかぁ!? なんとか言えよぉ!!」
『み、宮本さん……』
デイパックからずるりと丸太の槍を取り出して明が突きつけたその相手は、言葉にならない言葉で、唸ることしかできなかった。
生物学的にも純粋に単なる羆でしかない彼、隻眼2――。
小隻とも呼ばれるその彼に、通訳もいない状況で『なんとか言え』と人語の状況説明を求めるのは、無理難題に過ぎた。
「落ち着け宮本明……。シャオジーも怪我を負っている。恐らくやったのは李徴だ」
「そんぐらい気づいたさ……。だけど、何なんだよ!? なんでなんだよ!?
なんでこんなタイミングで、こんなことになっちまったんだ!? 誰か説明してくれよぉ!?」
明に続いて階段を下りてきたのは、
ウェカピポの妹の夫であった。
たしなめる彼の言葉にも、宮本明の狼狽は収まらなかった。
彼らは一瞬前まで、屋上と、北方の山地との間で、ヒグマなのか魔女なのか戦艦なのか何なのか判然としない、凶悪な戦闘能力を有した敵と戦っていたばかりだ。
その戦闘において
ジャック・ブローニンソンを喪い、宮本明などは、今から山の方に向かい、彼の肉体を奪還しようと息巻いていた時でもある。
この狙い済ましたようなタイミングで、階下で待機していたフォックスたちがこのような状態になる理由が、彼らには皆目見当がつかなかった。
「……フォックスは、午前中から李徴と行動を共にしていた。ヤツが狂っても自分の安全を確保するために、決してその背から降りようとはしていなかった……。
誰かがフォックスを振り落とし、李徴を狂わせた。シャオジーではない。フォックスを食わず、逃げてもいない。何の得もないし、宮本明やオレと正面から戦えば死ぬとはわかっているだろう。
……第三者が介入してきたんだな? 肯定か否定かで良い。首を振れ、シャオジー」
ウェカピポの妹の夫は、死んでいるフォックスの元に屈みこみながら、ぶつぶつとそう呟いていた。
その手元には、ヒグマが押し通って破壊されたビルの正面入り口から、鉄球が転がって戻ってくる。先程、ビルから走り出ていった李徴を止めようと、義弟が投擲していたものだった。
『は、はい……。機械です!! 自分で動く機械が、フォックスさんを襲い、李徴さんを煽り立てて狂わせたんです!!
そこの、壊れた部品がそうです!! ビルの調度品の残骸ではないんです、それは!!』
「おい、何言ってんのかわかんねぇよ!! 日本語で話せよ!!」
『無茶言わないで下さい宮本さん!!』
ひたすらに首を縦に振りながら、隻眼2はおののく。
槍を突きつけたままの宮本明にも、死体を検分する義弟にも、彼の必死の説明はほとんど伝わらなかった。
「……これが、犯人ですかい。小隻さん」
しかし唯一、彼のジェスチュアとこの状況から事態を推察できる人物が、その時ロビーへと降りてきていた。
「……ったく。ここの主催者だかヒグマさんだか知りませんがね。ちょっと木偶(デク)が好き過ぎるのと違いますかねぇ……」
「また例の羆人形ですか……? いい加減にしていただきたいですね……」
阿紫花英良。
黒賀村の人形使いである彼がようやく、下半身を失った
武田観柳を、
操真晴人と二人がかりで運んで来たところだった。
彼が左手の指先に摘み上げたのは、見る者が見れば明らかにビル内にある物品とは趣を異にしている、歯車やネジの類。
辟易とした溜息を吐く彼と武田観柳の両名は既に夜間、ヒグマの形をした自動人形と遭遇戦を行なっていた。
「阿紫花さん、あんた、フォックスさんを殺したやつの正体がわかるのか!?」
「いやぁ……、正確にはどうも。これ、あの時の木偶(デク)さんとは違いますねぇ……。基盤とか配線とか……、人形じゃなくてまるっきりロボットかも知れやせん」
『うん、魔力を帯びてはいないね。電力を電波の形で受信して動いていたのかな』
操真晴人の問いには、阿紫花英良の他に、その肩で白いウサギのような小動物が答えていた。
その小動物――
キュゥべえは、テレパシーによる通話を維持したまま、ロビーの床に降り立った。
『そして、隻眼さん。きちんと今から状況を説明してくれ。僕がキミの思考をそのままテレパシーに流してあげるから』
『あ、そ、そうだ! キュゥべえさんなら僕と話が通じるんだ!! 良かった!!』
「あ、本当だ。聞こえる」
操真晴人を始めとした周囲の人員が、途端に脳内に聞こえ始めた隻眼2の声に驚く。
『義弟くんなら、彼が明け方まで僕と同行していた話を聞いていたんじゃないのかい?』
「ああ、聞いた。『キミたちが2、3人食べてくれれば、僕も契約がしやすいんだが』とか口走る、ずる賢いクソ淫獣だということをな」
フォックスが『
手品師の心臓』というタイトルで保存したテキストの中に、しっかりと隻眼2の語ったキュゥべえの問題発言や不穏な策略は記載されている。
ウェカピポの妹の夫は、じっとりとした半眼で振り向き、足元のその小動物を詰問した。
「……お前の流儀は一体なんなんだ。さっきまでほとんど傍観者に徹していたのが、やたら協力的なそぶりをしやがって。
武田と阿紫花を魔法少女とやらにした張本人らしいが、それはこいつらを絶望に落とす前処理なんだろう?
今ある情報では、悪いがお前への信用はほとんど無い。返答しだいでは殴りながら殺るぞ」
『なに、簡単なことさ。商売敵が出てきたことがわかったからだ』
「……ええ。それもとんでもなく悪辣な商売敵ですね。許すわけにはいきません」
『そう。大切な商品を破壊しつくされるわけにはいかないからね。これから僕は、全面的にキミたちに協力させてもらう』
「私の実業家としての全手腕を以って、叩き潰してやりますとも」
キュゥべえのテレパシーにリレーのようにして言葉を重ねたのは、腰から下をまるまる吹き飛ばされながらも爛々と眼光を湛えている、武田観柳であった。
話の見えない彼らの主張に、義弟を始めとしたその場の全員が困惑する。
晴人と阿紫花にロビーのソファーへ体を置いてもらい、観柳は泰然とした調子で語り始めた。
「いいですか皆さん。ここにいる私とキュゥべえさんは、商人です。流儀というなら、私のやり方は実業家、もしくは経営者の流儀です」
『そうだね。商人は商人でも、僕はどちらかというとセールスマンの流儀かな』
「ですから私もキュゥべえさんも、はっきり申し上げておきますが、皆さんの事を商品だとしか考えておりませんので。あしからず」
「え!? 商品!?」
宮本明が、観柳の衝撃的な発言に思わず叫び声をあげていた。
武田観柳は、さも当然といった調子で言葉を続ける。
「宮本さんや阿紫花さんはなおの事、私と直接契約までしたじゃないですか。大事な商品ですよ」
「なっ、そんな……。今まで観柳さんは俺のこと、ただのモノだと思っていたのか……!?」
『カンリュウの言い方には語弊があるね。僕たち商人が「商品」というのは、人間でいう「仲間」や「親族」と同等に大切なもののことを指すんだよ』
「ええまぁ、それ以上ですね」
「マジかよ……」
観柳とキュゥべえの価値観は、その場の人員の常識を大きく外れたものだった。
疑問もなく納得したのは阿紫花英良くらいのものである。
「……私があなたたちを『商品』というのは、その売りつけるべき『客』と『投機』を見極め、大切に守りつつ、島を脱出するために最大の利益を出して活かし切る存在。という意味で言っているんです」
『そして僕にとっては、きちんと「魔女化」という正当な手続きを踏んで売却されるまで死なせることなどあってはならない品物だ。もったいないじゃないか。
ちゃんと買い取られて利益が出る前に、ことごとく打ち壊しの被害にあうなんてもってのほかだ』
「その通りです。阿紫花さんはわかっていますよね?」
「……そうですねぇ。なので、もうやってますぜ」
阿紫花は義弟と共に死亡したフォックスの隣に屈みこみ、傷口を魔力の糸で縫い合わせつつ、その首輪を外せないか試していた。
ジャック・ブローニンソンに行なったように、彼は魔力で動く『木偶(デク)』としてフォックスを蘇らせようとしているのだ。
武田観柳は満足気に微笑む。
「流石は阿紫花さん。私が見込んだだけあります。大事な商品を修繕し、一度破壊されたことも有効活用してくださるとは。有難い限りです」
「はぁはぁ、お褒めにあずかり光栄です……っとと」
ボン。
という軽い爆発音がして、続いてフォックスの生首がコロコロとロビーの床を転げた。
「ひゃあああああああ!?」
「お、おわあああああ!?」
「あ~、流石に爆弾は専門外ですからねぇ……。高見のヤツに扱い方聞いときゃ良かった」
「……惜しかったな。だがその道に詳しい者なら案外簡単に外せそうだ」
操真晴人と宮本明が似たようなリアクションで驚きに身を引く前を、阿紫花は申し訳なさそうに頭を掻いて通り過ぎる。
死体も人殺しも慣れたものである阿紫花は何事もなかったようにフォックスの生首を掴んで持ち帰り、義弟も同じく普通に会話を続けた。
「まぁ、仕組みはわかりました。炸薬は少ないですし、爆発で吹き飛ばすというより、首輪の内部を切断するように設計されているわけですわ」
「首輪の内径や、起爆スイッチ、爆発タイミングなども調整できるようだな……。面白い。勉強したら護衛に役立ちそうだ」
「う~ん……、本格的に首輪を外しにかかるのはまた追々ですね……」
武田観柳は彼らの様子に目を閉じて呟く。
とりあえず現時点で、阿紫花英良や義弟に首輪を外してもらおうと思う参加者は、誰もいなかった。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
―――その時の様子を、ヒグマは後にこう語る―――
はい。それはロボットでした。
小熊のようなナリをした、自分で考えて動いているような機械です。
体の半分が白く、もう半分が黒く正中線から塗り分けられていまして、他人をおちょくるような口調で喋っていました。
『ボクは義弟くん一人だった時からずーっとここにいたのさ。キミたちの行動は全部見させてもらっていたよ』
『ロボットに臭跡なんて、あるわけないじゃないの。隠れてた女子トイレに入ってくるようなヤツも、幸い一人もいなかったしねぇ!!』
などと。
もうその外皮の合成繊維の臭いなんかは覚えたので判別できるとは思うんですが、こと町中だと似たような臭いが多いですし、実際に見るまでそんな無生物が敵だとは思いませんから。
もう近くにはいないはずですが……。本当にすみません。
そしてそれはフォックスさんを『メインじゃない』と言いつつ、李徴さんに向けて『自分が無智で愚昧な鈍物に成り下がった気持ちはどうだい』と、彼の悩みを的確に突き、狂わせていました。
周到な策略でした。
李徴さんが狂ってしまえば、僕もフォックスさんも、被害は免れません。
そして、そのロボット自身は、破壊されることを全く意に介していないようでした。
山で皆さんが戦っている間に、狙いすましたように襲いかかり、状況を混乱させて迷わせる――。
一体どのようにして、そんな情報を集めて戦略を立てていたのか、見当もつきませんよ……。
続き?
……わかりません。
僕としては……、李徴さんが気にかかります。
でも今後のことを決めるのは、皆さん、ですよね……?
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
「……いえ。小隻さんも、私の大切な商品ですよ。あなたがその気でさえいれば、ですがね」
テレパシーを語り終えた隻眼2に向けて、武田観柳はそう答えた。
隻眼のヒグマは右眼を見開いたまま、動かなかった。
「……あ、観柳の兄さんが言ってるのは、『小隻さんもアタシらの仲間』だって意味ですから。念のため」
「そうとも言いますかね。ああ、阿紫花さん、フォックスさんが終わったら小隻さんの手当てもお願いします」
「はいはい」
阿紫花が補足した言葉を聞いても、隻眼2は呆然としたままだった。
その後、おずおずと搾り出された彼のテレパシーには、大いに動揺が含まれていた。
『で、でも……僕は羆ですよ? 皆さんと同列に扱われて、いいんですか?』
「ただのケダモノとして扱われたいならそれでも構いませんが。ですが、私と契約して行動して下されば、報酬として義弟さんの確保した食料と料理が、死ぬ危険なく提供されます」
「ん……、まあ、ある分だけだが。そこらへんは働きに応じて加減されるだろ。お前の観察力は有用だ」
既に武田観柳の流儀には納得したらしいウェカピポの妹の夫が、観柳の発言にそう付け加えた。
「とりあえずですね……。商売敵の危険性の予感は的中してしまいましたよ。悪いことに」
『そうだね。この敵の動向は、こちらの動きをほぼ完全に掌握していることを意味している。しかも肉体の切り捨て方は、本土営業中の僕とほとんど同様と言っていい。
少なく見積もっても数万体はボディを確保して、監視と情報共有をしているのだろうね』
「圧倒的な資産と情報網を保有していながら、小出しに苦肉計で攻めてくるなんて、本当に趣味が悪い。なかなか私好みの戦略ですよ。
戦力を見誤ってホイホイ攻め込んでくるバカを各個撃破するには良い手なんですよねこういうの」
隻眼2の説明を聞いた後、武田観柳の表情は渋いものになっていた。
彼とキュゥべえにとって、対戦する相手や自分の仲間は、もはや人間だろうがヒグマだろうが関係なかった。
彼らにとっての味方とは、自身の脱出に貢献してくれる人物であり、魔力の利益を稼いでくれる人物である。
そして相手である商売敵とは、このビルのロビーに出現したロボットを操っている黒幕だ。またそれは間違いなく、戦艦の魔女の山地襲撃および、主催本拠地におけるヒグマの反乱を画策していた者であろう。
その商売敵にとっては参加者も主催者もヒグマも等しく、絶望と共に殺滅する対象に入っているのだということが、観柳とキュゥべえには嫌というほど察せられたのだ。
恐らくその黒幕にとっては、自身の操るロボットも、凄まじい戦闘能力を持った戦艦の魔女も、主催本拠地を潰したヒグマたちも、切り捨てて構わない雑兵に過ぎないのだろう。
全ては、その他に用意した真の目的への目晦ましなのだ。
蛇の道は蛇。
悪魔は悪魔を知る。
普段から悪徳商売で暴利を得てきた彼ら両名には、その黒幕のやり口が非常に良く理解できた。
彼らでなければ、これだけの情報で真の敵に対する的確な推論を得ることは、不可能だっただろう。
「だからダメですよ皆さん、今逸って単独行動に出ようとなんてしたら。格好の餌食です。
……そこでいつブローニンソンさんを助けに飛び出そうか考えている宮本さんに言ってるんですよ?」
「……うっ」
先程から、長くて意味のわかりづらい会話に苛立っていた宮本明が、自身の考えをピタリと読まれて狼狽する。
「だって……! そんなこと言ったら、ブロニーさんこそ助けるべき資産だろ、観柳さん!?
こんなとこで話し込んでる暇あったら、早くブロニーさんの体を取り返さないと!!」
「……もう、いろいろ手遅れなんですよ宮本さん。ブローニンソンさんとは、契約期限切れです」
「はぁ!? なんだよそれ!?」
「まず、もうとっくに、あの戦艦の魔女は行方を晦ましてます。こっち来ないでくれて本当に良かったですが」
武田観柳は、瞑目して窓の外を指した。
焦って窓から顔を覗かせた宮本明の視界の先には、もはやかすかに、山の斜面に突き立つ、血まみれの丸太しか見えなかった。
戦艦のようなヒグマのような何か――
戦艦ヒ級というその存在は、ジャック・ブローニンソンの死体を捕食した後、観柳たちを見失い、別の場所へと移動していたのである。
「――クソッ!! 間に合わなかった!! ……それもこれも、李徴のせいじゃねぇか!!」
「……ちげぇよバカ。李徴のせいじゃねぇし、ジャックは、あれで良かったんだ」
悔しさと怒りを吐き捨てる明にその時、背後から、死んだはずの男の声がかかる。
ハッと振り向いた明に視線を合わせていたのは、むくりと体を起こした、フォックスその人であった。
その体には、首筋と腹部に灰色の縫い跡が残り、臍には歯車のような紋様が刻まれている。
彼はごきごきと首を回し、気だるげに息を吐いた。
「ハァ~……。これで俺も、アイツと同じ身の上か。良い迷惑だぜ阿紫花さんよぉ」
「すみませんねぇ、罪深ぇことしちまって。許しておくんなせぇ」
「よ、良かった、フォックスさん……。生き返ったのか!!」
「良くねぇし、生き返ってもいねぇよ。『人生を操られてる』だけだ」
声の調子を上げた宮本明に対し、フォックスは即座に、苛立った声で否定の言葉をぶつけていた。
隣で申し訳なさそうに頭を下げる阿紫花へ顎をしゃくり、フォックスは続ける。
「いいか。想像してみろ。俺はこれから永久に、こいつから100メートル以上離れられない人形になったんだ。
離れた瞬間に止まって死ぬし、魔力が絶たれても止まって死ぬ。もう俺に、『生』なんてねぇ。
生きて脱出、なんていう夢は完全にパァさ。動かされちまったもんはしょうがねぇから、これから先はもう、『いかに満足できる死に様を飾るか』だけが俺の存在理由だ」
「そんな……、だって生きてたら、もう一度ちゃんとした人間に戻れるチャンスがくるかも……」
「その蜘蛛の糸より細いチャンスが来るまで、この女装趣味のヤクザと一つ屋根の下かぁ!? そんな生活死んでもゴメンだぞ俺は!!」
「女装でも趣味でもありやせんから!!」
阿紫花の狼狽を他所に、フォックスと明の言い合いは続く。
「ジャックの野郎だって同じだ!! あいつは、獣に抱かれて死ぬことを夢見てたんだ。大満足で往生したんだよ。そっとしといてやれ!!」
「あんたに、ブロニーさんの何がわかるって言うんだ!!」
「……ジャックさん自身が、そう言ってたんだよ宮本さん。あんたが決闘の後で寝こけてる間に」
こんがらがっていく議論を切り捨てようとした明に突き刺さったのは、脇から操真晴人が投げた言葉だった。
腕組みをしながら思い返す晴人の顔は、心なしか苦々しいものにも見えた。
宮本明とウェカピポの妹の夫が決闘を行ない、治療されている間、フォックスや晴人などその他の人員に向けて、ジャック・ブローニンソンはその身の上話をしていた。
その大部分は、自身がケモナーになった原因のアニメである、マイリトルポニーの布教であったのだが。
「マイリロマイリロ歌いまくるから覚えちまったぜ……」
「妹たちは案外気に入りそうだなとか思いやした」
「うん、イラストも描いてくれたし、可愛いとは思ったよ俺も……」
『でも別種族に性欲を抱きたくなる感情はわかりませんでしたね』
『その感情があるまま契約してくれればなお良かったんだが。惜しかったね』
「ヒグマという獣相手の戦力という意味では、彼は本当に貴重な商品でした。ですが彼自身の意向として、『動物たちと愛し合いながら逝けるならもういつ死んでもいい』とは、その時断られていたんです。
最後は実質的に自殺ですしね。彼が自分の体で最後まで敵の気を逸らしてくれたのだと考えれば、最早、彼の価値は惜しみなく発揮され尽くしたのだと言ってもいいと思います」
その場のほとんど全員が順に答えたその内容に、宮本明は救いを求めるように辺りを見回した。
そして彼は、腕組みしたまま押し黙っているウェカピポの妹の夫へすがりつく。
義弟は、宮本明より先に治療から
目覚めたとはいえ、ここまで詳しい話はジャックから聞いていないだろう。
公平な意見を述べてくれるはずだった。
「ぎ、義弟さん!! ブロニーさんは、助けるべきだったよな!! そうだよな!!」
「……聞けば聞くほど、ヤツはケモナーという者の流儀に殉じたのだとわかった。
ヤツに何の悖るところがある。死なせてやって良かった」
「うわぁあああああ――!!」
淡々と伝えられた義弟の意見に、明は悶絶する。
悔しさと怒りのはけ口が見つからずに、彼は頭を抱えた。
「……宮本さん、あんた、『ブロニー』さんっていうあだ名の由来、知ってるか?」
「由来って……、ブローニンソンを略してブロニーじゃないのかよ!?」
「いや。『ポニーのブラザー』という意味で、『ブロニー』は本来、マイリトルポニーのファン全てのことを指す言葉らしい」
「なん……、だと……?」
「……どうだい宮本さん。俺たちの方が、ジャックさんのこと、知ってるだろ?」
不憫な視線を送る操真晴人は、明を宥めるべく、粛々と言葉を繋いだ。
晴人は明へと歩み寄り、そのジャケットを掴んでみせる。
「……それとジャックさん、あんたが寝てる間にイラスト描いてくれたって言ったろ。それ、ここなんだよ……」
「何だって!?」
「『世話になったアキラへ感謝の印』だとか言って……」
晴人の手からひったくるようにしてジャケットの裏地を返した明が目にしたのは、マジック一本で描かれた、ポニーの笑顔のイラストだった。
『Twilight Sparkle――Jack Browningson』と流麗にサインされたそのポニーの名は、マイリトルポニーの主人公のものだ。
迷いない筆遣いで一発描きされたそのタテガミ、ユニコーンの角、円らな瞳などの筆致は、プロの絵師として食べていけるほどに愛らしく、均整の取れたものだった。
「コ、コミケで……」
ジャケットの裏地を見つめたまま、宮本明は震えていた。
その目元から、涙が一滴、布地に落ちた。
イラストは滲まなかった。
油性マジックだった。
「ブロニーさんの本を、買いたかった――!!」
宮本明は、嗚咽を漏らしながらその場に膝を着いていた。
かつては小説家の前に漫画家をも目指していた彼にとっては、ジャック・ブローニンソンのこの才能と技術は、心から見習いたいものだった。
激しく感情を発露させる明に周囲の人員はおののく。
慟哭する彼に向けて、阿紫花がおずおずと言葉をかけていた。
「あ、あの……。ジャックさんですね、最期に、明さんに、『サイコーだった』、『ヨロシク』と伝えておいてくれと、そう、言ってましたから……」
「そうだよな……。そうだよなジャックさん……!! 俺がヨロシクされないで、どうするんだ――!!」
宮本明は涙を拭い取り、吼えるようにして立ち上がる。
「俺が『ブロニー』さんだ!! これからは俺が、『ブロニー』になるんだ!!」
最早その異様な威容に、辺りの者は彼へ掛ける言葉が見つからない。
宮本明は燃えるような瞳で操真晴人へ歩み寄り、たじろいで逃げようとする彼の肩を引っつかんで、無理矢理その上着を脱がせ始めた。
「な、なっ、何するんだ宮本さんいきなり!!」
「……交換だよ操真さん。確かに、あんたの方が、俺よりブロニーさんのことを知ってた。こんな貴重なサインまで貰ってたというのに、それにすら俺は気づいてなかった……。
俺はもう、甘えを捨てる。上辺じゃなくて、心身でブロニーさんを理解する。
だから、この素晴らしいジャケットは、操真さんが持っててくれ。あんたが、これを着るに、ふさわしい」
いらねぇ。
すごくいらねぇ。
と、操真晴人は、汗臭い上に過酷なサバイバル生活でボロボロになった血塗れの薄い綿混ジャケットを押し着せられながらそう思った。
こんな無名の絵師のポニーのイラストに何のプレミアがあろうか。
その上ここはヒグマの島だ。そもそも意味も価値もない。
だが、化け物じみた宮本明の膂力に言葉を返したり、況や逃げ出したりすることは、晴人の肉体では不可能だった。
黒いレザーとベロアで仕立てられた質のいい晴人のジャケットを、洋服屋が見たら泣きたくなるような雑さで身に着けた宮本明は、吹っ切れたような眼差しで一同に向き直る。
「さぁ、どうすれば良い観柳さん!! 俺はブロニーさんのサイコーの遺志を無駄にしたくない!!
ここまで語ってくれるってことは、もう次の作戦は立ってるんだろ!? リーダーとして俺を使え!!
商品でも丸太でもなんでも構わない!! 俺とブロニーさんを、活かし切ってくれ!!」
宮本明の発言に、観柳たちは呆然と目を見合わせた。
『……私が主導者でいいんですか』
『……いいんじゃないですかい』
『カンリュウでいいと思うよ』
『商人の流儀を拝見しよう』
『オレはお前らの魔法に従うしかねぇよ』
『そういうことみたいだな』
『皆さんに倣います……』
じっとりとしたテレパシーが交わされた後、武田観柳は一つ咳払いをする。
瞳を滾らせる宮本明に向け、落ち着いた口調で語り始めた。
「……ええとですね、まず確定していることは、李徴さんを早急に確保することです」
「はぁ!? なんで李徴なんだ!? あいつはフォックスさんを殺した犯人なんだぞ!?」
「各個撃破の戦術なんですよ相手が取っているのは!! 間違いなく今狙われているのは、李徴さんなんです!!
フォックスさんや小隻さんは、その煽りを喰らっただけの目晦ましに過ぎません!!」
宮本明は、観柳の予想通り、その言葉で怒り狂った。
即座にその怒りを抑えるように浴びせた論理に、明の牙は一旦引き下がる。
「……どういうことだ観柳さん」
「いいですか宮本さん……。我々悪徳商人その他、悪行を画策しようとする者が最も危険視する人種って、なんだかわかりますか?」
言いながら観柳の脳裏に浮かぶのは、緋村抜刀斎や、四乃森蒼紫の姿。
そしてその肩のキュゥべえが思い描くのは、
暁美ほむらの姿だった。
「……まともな狂人ですよ」
まともな狂人。
それは観柳の中で、最大限の罵倒であり、また最大限の賞賛でもあった。
極限まで肥大させ、歪ませた自らの特性を、惜しみなく発揮して邁進してくる者。
世俗の常識や価値観など脇に打ち捨てて、ただ目的のために突き進んでくる者だ。
それは絶望的な、破壊的な人災でもある。
それは一点モノの、かけがえなく高価な商品でもある。
それらを取り扱い、活かすことにこそ、観柳の手腕の見せ所があった。
まともなだけの一般人は、大したことない。
況やまともでない狂人やまともでない一般人は、鼻先で笑い飛ばせるアホの類。
この場の人物の中でそれらに当てはまる代表者は宮本明だ。
自らの狂った部分を活かしきれず、脇道に逸れ、自分で窮地を招き、放っておいたら何をしなくても自滅していきかねない者。
かつて、観柳は、緋村抜刀斎をこの手のアホだと思っていたが、それは違った。
この島で見た数々の戦闘と彼の剣技や感情を総合して冷静に考え直すに、あの時回転式機関砲を持ち出して彼に対峙していたとしても、恐らく武田観柳は敗北していたに違いない。
――その『回転式機関砲を持ち出して彼に対峙』するという行動が、観柳自身を、『まともな狂人』から『まともでない狂人』に貶めてしまう選択だったからである。
「李徴がまともだって言うのか!? 狂ってヒグマになったようなやつが!? ふざけんじゃねぇ!!」
「ブローニンソンさんだけではなく、李徴さんの詩作まで聞き逃したあなたが言わないで下さい!!」
「うっ……。李徴も、何かしてたのか……」
宮本明が昏倒している間、ジャックの布教の他に、当然ほかのメンバーも自己紹介を兼ねて色々なことを行なっていた。
そこで李徴は、一篇の詩を吟じ、そして、宮本明も読んだ、件のパロロワのプロットを全員に見せていた。
「『百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり』……。
『孫子』の一節ですがね。李徴さんの文章は、内容はともかく、凄まじい量の学に裏打ちされたものでした。
まともな状態の彼なら、この環境下で立てる戦術にさらに詳しい指針を示してくださるはずです」
敵は李徴のことを『無智で愚昧な鈍物』と呼ばわったらしいが、それは単に彼の精神的弱点を突いて、『まともな狂人』を『まともでない狂人』に陥れて単独行動させ、屠るための弁舌であったのだろう。
精神的衝撃を起点として、派手な直接戦闘なく相手陣に大損害を与えて戦術的勝利を勝ち取る。
その手法は、この敵が相当に戦争を戦い慣れていることを示していた。
武田観柳自身が誇る『狂人』としての強みは、その金を用い・稼いで商戦を勝ち抜くための数々の策略である。
会社組織の代表取締役がチンピラのケンカにガトリングガン担いで参戦するのは、観柳の本分では全くない。
それを思うにつけ、観柳が今最も必要としているのは、余りに強大な敵に立ち向かうにつけて的確な戦況考察をしてくれる、アドバイザーの存在だった。
「ふむ……。『戦争とは他の手段をもってする政治の継続である』……。クラウゼヴィッツの『戦争論』にも似たような記述はあったな。
承知した。李徴の捜索と奪還のために動こう」
「なんだよなんだよ義弟さんまで……!! 李徴に会ったところで、あいつがまともに戻るのか!? ヒグマになった原因もわからないのに!!」
観柳の発言に納得して身支度を始めた義弟へ、明は慌てて叫ぶ。
義弟は、その彼に向け、爬虫類のような冷たい視線を浴びせた。
「……あいつほど解り易い暴走の原因も、そう無いだろう。頭が悪いのか? 宮本明……」
「意味わかんねぇよ!? 俺だって小説とか書くし、李徴がいなくたっていいじゃないか!!」
「……お前は今まで、どんな本を読んだり、書いたりしていたんだ?」
「……女装少年が革命運動する話とか、男性恐怖症の女と女性恐怖症の男の話とか。
あと帰ったら彼岸島のノンフィクションとか書きたい……!!」
「……帰ったら古典を読み直すとこからやり直した方がいいと思うぞ」
眉一つ動かさずに突っぱねられた自身の主張に、宮本明は暫く愕然とするのみだった。
その明をとりあえず捨て置いて、観柳に隣から阿紫花が耳打ちをしていた。
「それで……、結局その李徴さん捜索のための作戦は? この人員で、そんな情報網と兵力を有した黒幕を出し抜ける手段があるんですかい?」
「そうですね……。一応、考えてはいます。結局、私が商業展開してる戦術の一つを応用することになりますが……」
『大丈夫だよカンリュウ。その手法は上手くいくと、僕が保障しよう。
商売敵が僕たちと同じような思考をしているのだから、相手にとって不足はない』
「……ですかね。キュゥべえさんのようなクソ淫獣が言うのですから、安心しました」
『褒めてもテレパシーしか出ないよ』
「ええ……、十分です」
肩のキュゥべえと、ほとんど以心伝心のように言葉を交わした武田観柳の顔には、次の瞬間、嗜虐的な笑みが広がっていた。
「この大商人・武田観柳様を敵にしたことを後悔させてやるぞクソ野郎……!!
情報を集約して商戦を支配できるのがてめぇだけだと思ったら大間違いだ……。
幕末明治の動乱を潜り抜けてきた私の仕事の流儀を、見せ付けてやる……」
獲物を前にした獣、一大商機を前にした実業家の顔が、そこにはあった。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
どれくらい走っただろうか
思い出すこともない
時にして3.3秒か
鬨にして三千数回か
刻にして一切合財か
千切れていく雲のようだ
灰色と
燦燦たる白色黒色と
陰日向が脳を食む
石の群れが邪魔だ
道の道は俺の道ではなく
その道の前に羆がいる
ああ
羆だ
羆だ
ヒトではない
誰にも恥じることのない羆だ
俺は嬉しい
俺の背中の足音が
喰われてきっと隈になる
羆だ
羆だ
快哉だ
戦の狂気の快哉だ
彼も祭りのようだけど
俺の中では何万の
俺の羆が湧くだろう
「えぎぃぃぃぃいいぃぃ――ぃぃいいる!!」
振るう腕が羆だ
啼く声が羆だ
笑う相手が羆だ
俺も羆だ
そして俺の爪が彼を打つ
彼は受け止めて
笑って殴る
腕に唸りをつけて俺の頬を殴る
俺の頭の中いっぱいに、俺が殴られる音が響いた。
「あ、げ……――!?」
俺は道に横倒しになった。
めげめげ。
めげめげ。
と、俺の耳が水音の中で鳴いた。
痛い。
痛い。
尋常でなく痛い。
なんだこれは。
俺は、殴られたのか。
この目の前の羆に。
殴りかかった俺の攻撃は簡単に受け止められて、そして、こいつに俺は簡単にぶっ飛ばされたのだ。
うわ。
俺の力、弱すぎ。
それはそうだ。
俺は文系じゃないか。
今まで殴り合いなんて、小学校のケンカでしか、したことない。
ウサギは良かった。
べちんと一発叩いたら死んだ。
簡単に喰えた。
ヒトも良かった。
べちんと一発叩いたら死んだ。
肝胆に響いた。
羆はどうだ。
知らん。
あいつを一発叩いても死ななかった。
死んだら泣いてた。
死ななかったから啼いてた。
ああそうだ。
相手は羆じゃないか。
俺は今まで、本物の羆なんてほとんど見たことなかったじゃないか。
俺は本当に羆か?
よしんば羆だったとして、羆と戦って羆の俺が勝てるのか?
羆=羆。
1×羆=1羆。
だめだ。勝てない。
良くて引き分けだ。
俺の場合文系補正がかかるからそこに定数の零点やめろやめろが乗されることになると思う。
だめだ。勝てない。
死ぬ。
俺は死ぬ。
このまま倒れてたら、この羆に殺されて死ぬ。
「うぎゃああああああぁぁぁぁあぁ――!!」
俺は叫びながら、全身の筋肉を使って横に跳び退っていた。
目の前にいた羆の振り下ろした爪が、道路のアスファルトを深々と抉っていた。
「う、あ、あ……!?」
信じられん。
羆というものは、爪一つで、こんなキチガイじみた威力を出せる生き物なのか!?
うそだろ!?
俺はおののきながら後ずさりし、俺を襲った羆をまじまじと見つめた。
羆だ。
それは誰にも恥じることのない羆だ。
体長は2メートルと半分。
毛並みは一般的な茶色。
図鑑に載るような羆だ。
こんなものが、なんで道のど真ん中に突っ立って、俺に襲い掛かってくるんだ。
ああ、そうか。
ここはヒグマロワじゃないか。
ヒグマがロワイアルしてんだ。羆がいて当然だ。
で、俺は何だ?
羆か?
ロワイアルすべき羆か?
考えている間にも、その羆は滑り込むように俺の左側へ回り、耳をぶっ叩かれた俺の損傷部位を狙うように爪を振るってくる。
唸りもない。
響くのは俺の情けない声だけだ。
「へやぁあ――!?」
肩が抉られた。
痛い。
殺される。
掛け値なしに。
間違いなく。
文法的な意味でなく。
肉体的に、殺される。
「ひゃっ、にっ、逃げっ――」
俺は後ろを向いて、一目散にその羆から逃げようとした。
格好の餌食だった。
尻に噛み付かれて、そこの肉が食いちぎられた。
「痛でぁ――ッ!?」
逃げようとしていた俺は、余りの痛みに叫びを上げ、また倒れていた。
だめだ。
逃げられない。
その羆は、俺がもがいて逃げようとするその動きを全て読みきっているかのようだった。
死角となる背後だけではなくて。
上から狙うし、下から狙うし、横から狙うし。
俺の嫌がる位置取りに常に居て、俺を良いようにいたぶってくるのだ。
「やめろ――、やめてくれぇ――!!」
俺はヒィヒィ泣きながら、身を丸めてそいつの執拗な責めに耐えようとした。
ああ――。
思い出してしまう。
これはいじめだ。
根暗な俺を排斥しようとした人間たちの。
そう。
だから俺は逃げた。
文学に逃げた。
ロワイアルに逃げた。
パロロワ書きに逃げた。
本来何の自慢にもならないその行為で、俺は己の文才を誇った。
他者を見下した。
逃げた俺の後を着いて回る足音は、いつも俺の虚栄心と、驕りと、高慢な自尊心だった――。
「しゅ、『春秋左氏伝・宣公十二年』……」
全身を真っ赤な血に染め、痛みにあえぎながら、俺はその時そう呟いていた。
羆は、今も俺の皮を裂き、抉り、肉を食らっている。
それじゃあ、俺は、何だ。
羆に、こんな風に転がされている俺に残った、背中の足音。
地底から聞こえる爪音。
俺の喉から嫋嫋と漏れてくるこの吟詠は――。
「『困獣、犹(なお)も斗(たたか)ふ』――!! 『況や、国相をや』ッ!!」
俺は、喰らいついてくる羆の口元に、自ら左腕をぶつけていた。
そして俺はその手首を牙に貫かれながら同時に、その羆の舌を、思いっきり引き裂いていた。
「へにぃぃぃ――……!?」
悲鳴を上げたのは、今度はその羆の方だった。
――追い詰められた獣は、尚も猛烈に反抗する。窮鼠は猫を噛む。
――まして一国の宰相であれば尚更。まして一人の人間であれば、尚更だ。
「お、俺は、人間だ……!! キザな・悟ったような・小生意気な・漱石枕流のクソみたいな人間だ!!」
全部思い出した。
いや、最初ッから、覚えていた。
俺は気の狂った振りをして、羆という妄想の代弁者の皮を被り、逃げていただけだ。
周りが、人間ばかりだったから、俺は自分が羆だと思い込んでいられた。
小隻も、羆だとは思えないくらいの頭の良いヤツだった。
自分の中の羆のイメージと違った。
だが、今、羆に出会ってわかった。
俺は決してこんな生物じゃないのだと。
袁さんを殺し。
小隻を殴り。
フォックスを殺した。
薄汚い人殺しの人間が、俺だ――!!
「に、『走(にげる)をもって上と為す』――!!」
「えるえるえるえるるる……!!」
俺は、裂けた舌から血を垂れ流したまま起き上がろうとする羆から、できる限りの速さで逃れるべく、踵を返した。
血塗れの・肉の削げた・痛みに苛まれた・満身創痍の体で、俺は走る。
その羆はすぐさま俺に追いすがろうとしてくる。
俺はそいつを巻くべく、ただちに近くの民家の窓に飛び込んでいた。
ヒグマのように巨大化した俺の体重が窓ガラスを突き破り、俺はその室内に転がり込む。
そのまま止まることなく、室内の色んなものにぶつかりながら、俺はその家屋を縦断し、反対側の窓から出る。
「おるおるおるおるうるうう――!!」
「『書経』、『盤庚・上』――!!」
すぐさま、俺の通ってきた経路をなぞるように、その羆が追ってくる。
俺は、祈るように記憶の中の書物の名を謡いながら、爪に摘んでいたものを、その民家の中へ放り込んでいた。
「――『燎原乃火』」
瞬間、その家屋は、大爆発を起こした。
身を丸めて爆風から転げて、俺は息を荒げたまま、燃え上がる民家を見つめる。
――ガス爆発だ。
室内への突入時に、俺はまず、北海道のほぼ全家庭に配備されている室外灯油タンクをもろともに引き込み、走りながら床じゅうにぶちまけた。
灯油の染みたふすまの端をかじり取り、ガスストーブでその端を着火しつつ、俺はガスの元栓と配管をことごとく叩き壊して、その室内に都市ガスを充満させた。
後は、星の煌きのようなかすかな炎一つ――。
俺の中に眠っていた人間性のような、そんな火種一つで、この家は焼き尽くされた。
火計。
羆ではない、人間だからこそできる、戦うための計略だった。
「鳳林、戈(ほこ)未だ息(や)まず
魚海、路(みち)常に難し
候火、雲峰に峻しく
懸軍、幕井(ばくせい)幹(かは)く――」
――鳳林関では戦火がいまだ収まらず、魚海へ行く道のりは困難を極める。
――聳える雲にのろしが上がり、官軍の宿営地では井戸水が涸れる……。
杜甫の秦州雜詩の一節を口に呟きながら、俺は呆然とその炎を見上げていた。
ふらふらと立ち上がりながら、俺は自分の中に、海のような心音を聴こうとする。
背中にぴったりと着いてきた足音。
真下の大地の爪の音。
今まで聞こえ続けていたその音は、もう、聞こえなかった。
その音はもう、俺自身に追いついていた。
俺の中の人間は、羆の皮を喰らって、人間に帰っていた。
「――ああ」
フォックスの語っていたことが思い出される。
彼の言ったとおりだった。
やはり自分は、羆ではなかった。
やはり自分は、ヒトだった。
あまりに歪みすぎて、俺は他の人間の中では、異端に過ぎた。
だから、人と接していても、その事実には、気づかなかった。
「――『人間(じんかん)』とは、梵語・mamusyaの漢訳だ……。世間、人の世……。
その中で関わり合うヒトという獣が、『人間(にんげん)』だ……」
地下には、物を語る羆たちが蜂起して国か何かを建てたらしい。
80頭やそこら、羆たちが集められていたら、そういうことも起きるのだろう。
それはもはや立派な、羆の世。
羆間(ひかん)? 羆間(ひげん)?
それとも熊間(ゆうかん)、熊間(ゆうげん)とでも呼ぶべきだろうか?
俺はじりじりと燃え盛る家屋から後ずさりしつつ、溢れてくる思考を整理してゆく。
「研究所には、ヒトもいたな……。ヒグマもいたな……。
あそこは一体、何の世と呼べば良かったのだろうな……。
その中で、自己の属性の一つだけを、極度に、他との均衡を絶して、醜いまでに発達させてしまった異端は、一体自分を、何だと思っていれば良かったのだろうな……」
俺の知っている『羆』という生物は、元来とても用心深く、頭の良い生物だ。
それこそ小隻のように、極度の飢えで食欲に負けたりでもしない限り、自分の命を危険に晒してまで争いを起こそうなどということはしない。
それが野生だ。
決してそれは、理性の対義語になるような概念ではない。
小隻はある種特別であろうが、それでも野生の羆は、獲物を『いじめ』たり、いたぶったりは、しないだろう。
そして、危険な反撃をしてくるだろう相手を、深追いしたりも、しない。
俺はただ空恐ろしい予感を胸に、燻る建物の炎の裏を見つめ続ける。
自分の鬱憤を晴らすような暴行。
一時の感情に任せた奔走。
それをヒトは、自分たちの性質から目を背けようとして“獣性”と名づけるだろう。
しかしそれは、恐らく、羆という獣には、本来存在しない性質だ。
羆ではないのだ。
俺と同じく。
――こやつも。
「お前は――。お前は、何者だ――ッ!!」
「あああああああぁぁぁあああぁあああああぁあああぽんろぉおおあおおあおおあおおあ」
狂人のような喚きを上げて、炎の中から何かが奔り出た。
地面にがちゃがちゃと爪音を響かせて降り立ったのは、先程の羆――。
その毛皮を焦がし、内側に、鈍色の鋼鉄の骨格を輝かせて笑う、ヒグマだった。
「机械――。ロボットか、サイボーグ……」
「えけあほろおほあ……、あああああああぽんろあ」
全く意味を成さない、癲狂の発音をめろめろと漏らしながら、そのヒグマは笑い続けていた。
身構えたまま、そのヒグマの動向を窺おうとして居ると、その喉元から、何かが口の方へせり出してくる。
「首輪――」
げろり、と、その牙の先に引っ掛けられたのは、このロワイアルの参加者が例外なく首に掛けている、爆弾入りの首輪だった。
よくよく眼を凝らすと、そのリングには、『ニンジャ』と文字が刻まれている。
第一回放送で、呼ばれた人物のものだった。
「――ハッ」
そのヒグマが何をしてくるつもりなのか、俺は咄嗟に理解していた。
それは、俺がパロロワ書き手だったからこそ、察することができた戦術。
そしてこのヒグマが、参加者ではなく『ジョーカー』として存在しているからこそ、可能だった戦術なのだろう。
逃げようとした俺の脚を狙って、その首輪は、銃弾のような速さで投射されていた。
瞬間、そこを庇って差し出した俺の左腕に、首輪が当たる。
内径が可変状態になったまま投擲された首輪は、俺の太い腕にぴったりと嵌り、鍵がかけられていた。
ピーッ。
と、余りにも早く、その警告音は終了した。
続けざまに響いたのは、ボン、という、余りにも軽い爆発音だった。
「ぐおおおおぉぉぉおあああああ――ッ!?」
俺の手首は、その爆発によってすっぱりと切り落とされていた。
これによって脚が落とされれば、まず間違いなく逃げられなくなるところだった。
このヒグマは、自分が仕留めた参加者の首輪を再調整し、攻撃用途として使用できるようにしていたのだ。
「はなはあゆおまらひ……!!」
「くぅ――ッ!?」
手首を押さえてたたらを踏む俺に、上空からそのヒグマが飛び掛っていた。
身を引いた胸板に、3本の爪跡が深々と走って血を吹く。
「あぐらなにおまらひ……!!」
辛うじて致命傷を避けたその攻撃から、続けざまに、そのヒグマは爪を揮っていた。
振り下ろされるのは、首筋。
もはや傷だらけの体では、その死神の鎌を、俺はかわすことができなかった。
『「戦術論」、「側面攻撃の原則」――。すぐれた側面攻撃とは、敵の虚を突く無競争の分野で行うこと』
その瞬間、俺の頭に直接、そんな声が響いていた。
「えげれえろるるろろ――」
同時に、目の前に居た半機械のヒグマは、顔面に何かを食らって吹き飛ばされていた。
そのヒグマの頭部でギャルギャルと回転を残し、再び投擲された方角へ飛び戻ったそれは、人間の拳大の鉄球だった。
俺はその方角へ視線を送り、窮地を救ってくれたその人物の姿を見た。
「妹夫(メイフゥ)か――!!」
『正気には戻ったようだな李徴。のろし――、それともヤツに対しての火計か。見つけやすくて助かった』
そこには、家屋の屋根の上に片膝立ちとなって佇んでいる、ウェカピポの妹の夫が居た。
不思議なことに、彼は一切口を動かさず、キュゥべえという小動物のような念話で俺に語りかけていた。
彼は、俺のすぐ脇で動き始めるヒグマにもう一度鉄球を投げつけつつ、胸元の金のブローチを掴んで、心持ち口元に寄せていた。
そのブローチは、純金を以って『武田』という漢字を鋳抜いたもののようだった。
『田』の輪郭は真円形で、中の十字はレリーフのようになっている。
内部には振動子か何かが入っているようだ。
そして、そこから連続して、力強い筆の楷行書のように描かれた『武』の文字が、あたかもアンテナのように『田』の右上部に張り出していた。
『李徴を発見した。同時に、李徴を襲っていたヒグマを一頭確認。見た限り、左半身失調の効果が弱い。
お前らが戦ったというオートマータの類かもしれん。位置は取得できてるんだろう? 増援を頼むぞ』
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
ウェカピポの妹の夫からのテレパシーは、そこから数百メートル離れた、とあるビルのロビーでキャッチされた。
『ええ、ええ。確認できてますよぉ。小隻さんは南に30間。阿紫花さんとフォックスさんは西に1町。宮本さんは東南東に2町走ってくださいね~』
『はい!』
『了解ですぜ!』
『……おう』
『ああ、わかった』
武田観柳が、うきうきとした調子で、義弟が先だって印刷していた詳細地図の上に金貨の駒を動かしながらテレパシーを発している。
その肩に乗るキュゥべえも、上機嫌そうにその尻尾を振った。
『流石カンリュウだね! こういう形の魔力の拡大利用は、他の魔法少女はなかなか思いついてくれないから。
キミと一緒に仕事ができると、僕もとても気分がいい』
『ありがとうございますキュゥべえさん。まぁ、こういった形の管理運営が、本来の私の仕事ですからねぇ』
『このブローチのデザインもいいよな。女の子なら髪留めにもできるし』
『でしょう? 私の商売の宣伝にもなりますし。あと、嫌味にならないようここの艶消しは結構こだわってます』
キュゥべえに続いて隣からテレパシーを送るのは、操真晴人だ。
彼の差し出すブローチを指し、観柳はその一押しポイントをにこやかに語る。
一連の会話は全てテレパシーで行なわれており、周囲の空間には、彼らの笑顔に反して不気味なほどの静けさが漂っていた。
武田観柳の作り上げた『商品』。
それは便宜上、『武田印のテレパシーブローチ』とでも言うべき代物だった。
魔力を帯びた金で形成されたその装身具は、内部の金貨を魔法的な振動子としたテレパシーの発生および、周囲の金をアンテナとしての、その送受信補助を行なうための道具である。
それは彼とキュゥべえが企画・開発した、建物などのノイズにほとんど影響されず、ブローチ保有者同士の通信ならば相当な遠距離にまで届く上、意図せぬ盗聴の危険が全くない、非常に隠密性・機能性の高い通信手段であった。
「お、お、オマエラ!! 一体何をしやがった!? なんで制裁くんのところにあんな急速に人を集められる!?
魔法か!? 魔法なのか!?」
そのビルのロビーに、破壊された窓から、子熊の形をしたロボットが顔を覗かせる。
焦ったようにまくし立てるそのロボットの額を、操真晴人は無言の笑顔のままウィザーソードガンで撃ち抜いた。
『うん、魔法だよ』
『あ~、操真さんがきちんと護衛してくださっている。頼もしい限りです』
『まぁ、朝方からの約束だしね』
『このメンバーの組み合わせだと、カンリュウの契約時を思い出すね。非常に良いね』
「くっそぉ~!! 一言もしゃべらずにニヤニヤしくさってぇ~!!」
そのロボット――
モノクマは、謎の行為による綿密な連携で、各個撃破するはずだった李徴を救出しようとしている彼らの元に、わらわらと集い始めた。
「中継局を破壊してしまえば、そんな連携も終わりだ――ぷろぱっ!?」
『悪いけど、その中継局は移動するんだ』
100体近いモノクマを集めて囲い殺そうとしていたその一角が、激しいエンジン音と共に一気に轢き潰された。
操真晴人の搭乗バイク、マシンウィンガーが、その後部に武田観柳とキュゥべえを乗せたままモノクマの群れを踏破していた。
『あっはっはっはっは。我々商人が、こんな不便な立地に本店を構えるわけありませんよ。ま、体をぶっ飛ばされたとこで私は死にませんしねぇ!!
今時の商売では店舗を定在させず空中で売買する手があるということは、キュゥべえさんから拝聴済みです!!』
『コンピューターとインターネットを使った、ネット販売というのさ。ま、結局、僕が代替ボディを使っていつもやってるのと本質的には同じだ』
「待てぇええ――!! 逃がさぁん!!」
ビルの陰の路地に入り込んだバイクを追って、モノクマたちは必死にそこへ追いすがる。
しかしその時既に、操真晴人のマシンウィンガーは地上から忽然と姿を消し去っていた。
「ど、どこだ!? どこに消えた!?」
魔力を探知することはままならない機械である彼らの右往左往ぶりを見下ろしながら、武田観柳たち3人が佇むのは、そのビルの屋上であった。
路地に入り込むと同時に、武田観柳はマシンウィンガーのタイヤに貼り付けた大量の十円券による浮遊魔法で、それを自分たちごと空に飛ばしていたのである。
『ふぅん……あれが黒幕のロボットか……。本当に大量にいるな……』
『ゴキブリみたいなものですね。いちいち殺しきろうとしてたらキリがありません。相手にしないのが一番です』
『暁美ほむらとかは、折に触れて僕を殺そうとしてたけどね。本当、そういう無駄なことはよしたほうが良い』
『……その、暁美さんとかいう魔法少女の方たちとも、早く合流しておきたいんですけどねぇ』
『彼女たちは、放送で呼ばれたけど、本当に死んでないんだよな?』
『そうだよ。ほむらとマミはC-6の地下。杏子がF-5で生きていることは魔力から捕捉できている。
ほむらは爆発物をよく扱っているから、首輪を外せたのかもしれないね』
彼ら3人は、徹底した無言のままに会話する。
キュゥべえは観柳たちへの全面協力を決定した時点で、今までずっと捕捉を続けていたその他の魔法少女の位置座標を全員に伝えていた。
観柳とキュゥべえは互いに、『参加者を活かし(生かし)、絶望的な破壊に対抗する』という利害で動いている相手のことを、全面的に信頼できていた。
生半可な義理人情で動かれる相手より、そういう明確な損得による理由で動く者の方が、よっぽどこの商人たちには信用できるのである。
そうして、両名が魔力を『投資』して作り上げた『商品』は、恐らくこの島から生還するにつけて、莫大な費用対効果をもたらすはずであった。
敵の黒幕が、科学的・物理的な手法で情報・監視網を形成し、参加者たちを支配しようとしているのならば、こちらはその死角となる、魔法的な手法で情報網を形成してしまえばよいのだ。
武田観柳は、その口元に酷薄な笑みを浮かべたまま、眼下で右往左往するロボットたちを睥睨する。
『我々は、役割分担をして力を合わせねばなりません。それは、商売の操業にも似ている。
しかしそれは決して、ただの「群れ」ではない。ただまとまっただけの集団、ただ確保しただけの拠点は、不意の奇襲と攻城戦の良い的です。
私は先程、あなたに学ばせていただきましたよクソ野郎。なのでもう二度と、同じ轍は踏みません。
我々は、群れてはいけない。独りになってもいけない。
個にして全、全にして個。各人が各人自身で行動しつつ、その実決して独りではない。
そのような一軍団。そのような一商店。そのような一商店街。
各人は自分という商店の管理者であり、商店街の従業員であり、この商戦の生き残りを賭けて、全員で連携し活躍し、自らを売り抜けさせるべき、貴重なる一点ものの商品なのです――!!』
力強くテレパシーを発した観柳は、自らの心根を、今一度新たに眼鏡を上げる。
『……「絶望」という不良債権を清算して有り余る『希望』を、私は稼ぎ出す。
奇跡も魔法も、ヒグマだって買い取って、最大多数の商品を最高値で売り抜いてやる……。
この一大商戦を勝ち抜くのは、この、武田観柳たちだ――!!』
【E-6・街(あるオフィスビルの屋上)/日中】
【武田観柳@るろうに剣心】
状態:魔法少女
装備:ソウルジェム(濁り:なし)、魔法少女衣装、金の詰まったバッグ@るろうに剣心特筆版、テレパシーブローチ
道具:基本
支給品、防災救急セットバケツタイプ、鮭のおにぎり、キュゥべえから奪い返したグリーフシード@魔法少女まどか☆マギカ(残り使用可能回数1/3)、紀元二五四〇年式村田銃・散弾銃加工済み払い下げ品(0/1)、詳細地図、テレパシーブローチ×17
基本思考:『希望』すら稼ぎ出して、必ずや生きて帰る
0:さぁ、商戦の始まりだ……。
1:李徴さんは確保! 次は各地の魔法少女と連携しつつ、敵本店の捜索と斥候だ!!
2:津波も引いてきたし、昇降機の場所も解った……! 逃げ切って売り切るぞ!!
3:他の参加者をどうにか利用して生き残る
4:元の時代に生きて帰る方法を見つける
5:おにぎりパックや魔法のように、まだまだ持ち帰って売れるものがあるかも……?
[備考]
※観柳の参戦時期は言うこと聞いてくれない蒼紫にキレてる辺りです。
※観柳は、原作漫画、アニメ、特筆版、映画と、金のことばかり考えて世界線を4つ経験しているため、因果・魔力が比較的高いようです。
※魔法少女になりました。
※固有魔法は『金の引力の操作』です。
※武器である貨幣を生成して、それらに物理的な引力を働かせたり、溶融して回転式機関砲を形成したりすることができます。
※貨幣の価値が大きいほどその力は強まりますが、『金を稼ぐのは商人である自身の手腕』であると自負しているため、今いる時間軸で一般的に流通している貨幣は生成できません(明治に帰ると一円金貨などは作れなくなる)。
※観柳は生成した貨幣を使用後に全て回収・再利用するため、魔力効率はかなり良いようです。
※ソウルジェムは金色のコイン型。スカーフ止めのブローチとなっていますが、表面に一円金貨を重ねて、破壊されないよう防護しています。
※グリーフシードが何の魔女のものなのかは、後続の方にお任せします。
【操真晴人@仮面ライダーウィザード(支給品)】
状態:健康
装備:ジャック・ブローニンソンのイラスト入り宮本明のジャケット、コネクトウィザードリング、ウィザードライバー、詳細地図、テレパシーブローチ
道具:ウィザーソードガン、マシンウィンガー
基本思考:サバトのような悲劇を起こしたくはない
0:観柳さんの護衛として、テレパシー網の中核を危険から逃がし続ける。
1:今できることで、とりあえず身の回りの人の希望と……なれそうだな!
2:キュゥべえちゃんは、根っこからセールスマンだったのか……。
3:観柳さんは、希望を稼ぐというけれど、それに助力できるのなら、してみよう。
4:宮本さんの態度は、もうちょっとどうにかならないのか?
[備考]
※宮本明の支給品です。
【キュウべぇ@全開ロワ】
状態:尻が熱的死(行動に支障は無い)、ボロ雑巾(行動に支障は無い)
装備:観柳に埋め込まれたテレパシーブローチ
道具:なし
基本思考:会場の魔法少女には生き残るか魔女になってもらう。
0:観柳の魔法の使い方は面白い。彼とは上手くやっていけそうだよ。
1:面白いヒグマがいるみたいだね。だけど魔力を生まない無駄な絶望なんて振りまかせる訳にはいかないよ? もったいないじゃないか。
2:人間はヒグマの餌になってくれてもいいけど、魔法少女に死んでもらうと困るな。もったいないじゃないか。
3:道すがらで、魔法少女を増やしていこう。
[備考]
※
範馬勇次郎に勝利したハンターの支給品でした。
※テレパシーで、周辺の者の表層思考を読んでいます。そのため、オープニング時からかなりの参加者の名前や情報を収集し、今現在もそれは続いています。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
「えうえうえうえうえううう――」
『李徴さん! 逃げて!!』
「小隻――ッ!?」
ウェカピポの妹の夫の左半身失調による束縛をほとんど受けず、直ちに李徴へ再び襲いかかろうとしていた半機械のヒグマに、その時、その場に走り来たもう一頭のヒグマが体当たりをしていた。
隻眼2。
彼は北側の路地から、そこに李徴たちがいることを初めからわかっていたかのように、迷い無く突進してきたのだ。
その左目には、ウェカピポの妹の夫と同じデザインの金のブローチが、眼帯のようにして留まっている。
「――おるおるうう」
体当たりで弾き飛ばされたヒグマは、相手が複数になったと見るや、直ちに後ろへ飛び退り、撤退を始めた。
義弟はその様子を慌てずに見送り、ブローチからテレパシーを発する。
『阿紫花、フォックス。敵のヒグマはそっち方面に行ったぞ。南に下りながら宮本と挟め。こっちは李徴を確保した』
『アシハナ向かってます!』
『へいへい了解……っと』
『わかった義弟さん。南に下がりつつ急ぐ!!』
テレパシーの返事を受けながら、屋根から道路に降り立ち、義弟は傷だらけの李徴の元へ歩み寄り微笑んでいた。
『大分深手を負ったな……。だが生きていて、そして正気に戻ったのが、何よりだ。
すぐに、阿紫花や武田に治療してもらえ』
そうして彼は、落ちている李徴の手首を拾い、その腕の傷口をタオルで縛ってやった。
動く気力もなくなった李徴はただ、彼の行動を、呆然と見つめていた。
「な、なぜ……。なぜお前たちは、こんな俺を、追ってきてくれたんだ……」
『李徴さんを放っておけるわけありません……! だって僕は、もっと李徴さんのお話を、聞いていたかったんですから……』
「小隻……」
まっすぐにぶつけられた隻眼2の思いに、李徴の心は震える。
その肩に手をやり、周囲への警戒を解かぬまま、義弟は言葉を繋げた。
『オレたちはお前のような軍師を必要としているからな。それに、フォックスに謝ってもらわにゃならん』
「なっ……、フォックスが、生きて……!? それに、必要とは……。こんな人殺しの癲狂人を、何故……」
『さて。「孟子」とやらの「四端」なんじゃないのか?』
「そ、『惻隠は仁の端なり(哀れみの心が親愛の初めである)』……か!? そんな、甘いことを!?」
『「羞悪は義の端(不正や悪を恥じる心が、正しい行いの初めだ)」と、信じたんだと思うぞ』
義弟は、李徴にわかりやすい、中国古典の例えを用いて、話に軽く笑みを含ませた。
同時に義弟は、李徴の知識量と、その狂気が間違いなく晴れていることを確かめ、満足気に頷いた。
そして彼は、武田観柳の作ったブローチを、李徴の毛並にも留めてやっていた。
『……武田が、お前を狂わせた大量のロボットに対抗するために作った念話装置だ。
大商人の流儀、とくと拝見したよ。もうお前は、羆の振りをせんでいい。そのままでいい。
オレたちは皆、まともな狂人だ。ヒグマの流儀が知りたきゃ、シャオジーにでも聞きゃいいだけさ……』
『妹夫……、お前……』
『聞かせてくれ。お前の流儀は、何だ――?』
静かな義弟の心の声に、李徴の声は詰まった。
知らず、彼の目からは一筋の涙が零れていた。
『俺は……、人間だった。最初から……! 小汚くて・鼻持ちならない・嫉妬深い・人殺しの、小説家だった……!
それでいいのか? こんな俺で、いいのか――?』
『いい。その人殺しのノベリストの流儀で、オレたち全員の生還を、助けてくれ……』
真っ直ぐな眼差しで語る義弟もまた、自己の属性の一つだけを、極度に、他との均衡を絶して、醜いまでに発達させてしまった狂人だった。
ただひたすらに『流儀』を求める狂人。
そんな人物が、確固として寄り添ってくれている現実に、李徴の狂人は、ひたすらに安堵をするのみだった。
――俺は、険しい道を選んで苦しみ抜いた揚句に、さて結局救われないとなったら取返しのつかない損だ、という気持を、知らず知らずの間に抱いていたのだ。
骨折り損を避けるために、骨はさして折れない代わりに決定的な損亡へしか導かない道に留まろうというのが、不精で愚かで卑しい俺の気持だったのだ。
人との関わりを避けて人間をやめ、羆に逃げたはいいが結局俺は羆ではなかった。
今俺は、世界の意味だとか、人間の死に様だとかを云々するほどたいした生きものでないのだと、卑下感をもってでなく、安らかな満足感をもって感じた。
一切の思念を棄て、ただただ身を働かすことによって自らを救おう。
『時』とは、人と人との作用の謂いだ。
例え俺と他人が違っていても、狂った異端でも、それはそれで、そのどちらともが正統なものだ。
世界は、概観によるときは無意味のごとくあっても、その細部に直接働きかけるときはじめて無限の意味を持つのだ。
李徴という自分自身が求められている、ふさわしき場所に身を置き、ふさわしき働きに身を打込もう。
それがきっと、俺の身の程知らぬ『何故』に、道を示してくれる仕事かもしれないから……。
俺の脳裏には、歌いかけていた、秦州雜詩の後半が、思い浮かんでいた。
風は西極に連って動き
月は北庭を過ぎて寒し
故老、飛將を思ふ
何れの時か築壇を議せん
――『風』は、チベットのような西方に連なって行動している。
――『月』は、ウイグルの山地の北方を過ぎて寒々としている。
――俺のような老人は、偉大な将軍の再来を切に願っていた。
――いつになったら、そのような者があらわれるのだろうかと……。
【E-6・街/日中】
【ウェカピポの妹の夫@スティール・ボール・ラン(ジョジョの奇妙な冒険)】
状態:疲労(中)
装備:『壊れゆく鉄球』×2@SBR、王族護衛官の剣@SBR、テレパシーブローチ
道具:基本支給品、食うに堪えなかった血と臓物味のクッキー、研究所への経路を記載した便箋、HIGUMA特異的吸収性麻酔針×3本、マリナーラピッツァ(Sサイズ)×8枚、詳細地図
基本思考:流儀に則って主催者を殴りながら殺りまくって帰る
0:敵のロボットに警戒しつつ引き上げだな……。
1:李徴を襲撃していたヒグマを深追いするなよ……。特に、宮本明……。
2:敵の勢力は大部分、機械仕掛けのオートマータ、ということなのか?
3:李徴は人殺しのノベリストの流儀か。面白いじゃないか。歴史上そういうやつもいるぞ。
4:シャオジーは無理して人間の流儀を学ぶ必要はないし、ヒグマでいてくれた方が有り難いんだが……。
5:『脳を操作する能力』のヒグマは、当座のところ最大の障害になりそうだな……。
6:『自然』の流儀を学ぶように心がけていこう。
【隻眼2】
状態:隻眼
装備:テレパシーブローチ
道具:なし
基本思考:観察に徹し、生き残る
0:良かった、李徴さん……!
1:やっぱりこの人たちアブナイ狂人だった! 自分で認めちゃった!
2:ヒグマ帝国……、一体何を考えているんだ?
3:とりあえず生き残りのための仲間は確保したい。
4:李徴さんたちとの仲間関係の維持のため、文字を学んでみたい。
5:凄い方とアブナイ方が多すぎる。用心しないと。
[備考]
※キュゥべえ、白金の魔法少女(武田観柳)、黒髪の魔法少女(暁美ほむら)、爆弾を投下する女の子(球磨)、李徴、ウェカピポの妹の夫、白黒のロボット(モノクマ)が、用心相手に入っています。
【
ヒグマになった李徴子@
山月記?】
状態:健康
装備:テレパシーブローチ
道具:なし
基本思考:人人人人人人人人人人
0:多謝、多謝……。請多関照……。
1:小隻の才と作品を、もっと見たい。
2:フォックスには、まだまだ作品を記録していってもらいたい。
3:俺は狂人だった。羆じゃなかった。
4:小賢しくて嫉妬深い人殺しの小説家の流儀。それでいいなら、見せるよ。
[備考]
※かつては人間で、今でも僅かな時間だけ人間の心が戻ります
※人間だった頃はロワ書き手で社畜でした
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
全身が焼け焦げて機械が覗いたそのヒグマは、自分の退却経路上に、人間の死体が転がっていることに気がついた。
上半身がほとんど裸の、男の死体だ。
心音も無い。
呼吸音も無い。
正真正銘の死肉だった。
これが普段であれば、彼はこの死体を食べようとしていただろう。
しかしこの時彼は退却中だった。そのため、彼はその死体の上を踏み越えて、通り過ぎようとした。
その瞬間、有り得ないことが起きた。
『ヒュ~! 「真・跳刀地背拳」!!』
その死体が、突如高速で地面から跳ね飛び、一瞬にして彼の背中に跨っていたのだ。
跳刀地背拳の伝承者フォックス――。
彼は、一度自身が李徴に殺害され、そして木偶(デク)として蘇ったことにより、意図せず、その流派の真髄を会得することに成功していた。
それは、完全なる死の偽装。
敵の虚を突くその拳法の、究極点に存在する技法である。
もはや人間としては死んでいる彼にとっては、自分の呼吸や心拍を停止させることなど、造作も無いことだった。
彼の欺瞞を初見で見破れる存在は、最早この島に誰一人いないと言っても良かっただろう。
『――やりやしたねフォックスさん!!』
『ああ、仕留めるぞ阿紫花!!』
建物の影から、グリモルディに搭乗してヒグマを狙っていた阿紫花が、フォックスに向けてテレパシーを送りつつ出てくる。
フォックスは暴れるヒグマを、爪の届かぬ背中から押さえつけ、その眼球をカマで抉り殺そうとした。
その瞬間だった。
ボフン。
「がっ――!?」
「えっ」
その出来事に、両名の口から声が漏れた。
フォックスは、道路脇のビルの壁面に、叩きつけられていた。
それは、ヒグマの『上半分』と共に、である。
この『上半分』というのは、そのヒグマが四足歩行している時の形態であり、より正確に言うならばそれは、『背中側半分』とでもいうべきものだった。
「へのあのう……!!」
『フォックスさん!! 大丈夫ですかい!?』
グリモルディを走らせて駆け寄る阿紫花が目撃していたのは。
『ヒグマが口元からキレイに真っ二つに分かれ、ばね仕掛けのびっくり箱のごとく、フォックスを乗せたままその背中側半分が吹っ飛ぶ』という、通常ならば理解不能の現象だった。
――こいつはやっぱり、ヒグマ型の木偶か――ッ!!
オートヒグマータとの戦闘経験を元に、一気に叩き潰すか、キャタピラで轢き潰そうと、阿紫花は駆けた。
しかしその時、フォックスをビルに叩きつけていたヒグマの背中側半分の切断面から、大量の牙が生えていた。
同時に、道路に居座るヒグマの腹側半分からは、アームのついた大量の注射器が生えてきていた。
「えけあほろおほあ……!!」
「ああああああああああぽんろあ……!!」
『なっ、にっ――!?』
背中側半分が、牙をノコ刃のようにして高速回転しながら飛来し、同時に、腹側半分が、大量の注射器をくねらせながら、阿紫花へ突撃して来ていた。
一直線に飛来する、巨大手裏剣の如き背中側半分を、グリモルディを屈みこませることでギリギリ回避し、同時に、通りすがりざまに注射器を伸ばしてきた腹側半分の攻撃を、その人形の腕でなんとか防御する。
完全に攻守逆転された形で奇襲を返され、まんまと阿紫花は、そのヒグマの撤退を許してしまっていた。
『なっ、なっ……。あんなの反則でしょう!? どんな仕組みになってんですか上下分割完全別行動とか!?』
『くっそ……。折角、死んでちったあ良かったこともあったかと思ったのによ……』
逃げ去るそのヒグマを驚愕と共に見送っていた彼らの脇を、丸太を抱えた一人の男が走り過ぎる。
宮本明が、その眼を怒りに燃やしていた。
『あっ、明さん深追いしねぇでくだせぇよ!? もう李徴さん確保はできてんですから!?』
『心配ない! すぐに仕留める!!』
宮本明は、走りながら槍投げのようにその丸太を肩口へ担ぎ上げ、道路の先で再び背中と腹をくっつけたヒグマへ投げ刺そうと狙っていた。
「あほんるい……」
「――!?」
その時、ヒグマは宮本明へと振り向いていた。
その口には、明の首にかかっているのと同じ、首輪が咥えられている。
宮本明はその瞬間、その首輪が自分に向けて、チャクラムか手裏剣のごとく射出される未来を予測する。
投げようとしていた丸太で、明はその予測射線を塞いでいた。
カチン。
即座に予測ぴったりの位置で、射出された首輪を丸太が受け止めて嵌めた。
その首輪ごと再度丸太を投げつけようとした明の眼に、その首輪に刻まれていた文字が映る。
彼の目がその首輪に奪われていたのは、果たして何秒間だったろうか。
その止まったような時間が終わったのは、首輪が軽い爆発音だけを残して、その丸太を切断し終わった瞬間だった。
「ほおくいかひまい……!!」
だから宮本明はその瞬間まで、追っていたヒグマが何をしていたのかを、認識してはいなかった。
自分の上に大きな影が落ちていることに気づいて、明は顔を上げる。
それは、斜めに切断されて宮本明の上へ滑り落ちてくる、屋上から最上階にかけての、鉄筋コンクリートのビルの角であった。
「う、お……!?」
『明さんッ!!』
明がまさにその巨大なコンクリート塊に押し潰されようとしたその瞬間、阿紫花英良が、プルチネルラから鎖つきベアトラップを投げつけ、彼の体を高速で引き寄せていた。
腕に鎖を絡められて引き倒された明の目の前に、三角錐の形状に斬り落とされたビルの角が、道路を砕いて突き刺さる。
ハァハァと荒い息をつく彼の前には、そのビルの壁面に彫り付けられた漢字が向けられていた。
『宮本明之墓』
そのヒグマは、明へ向け首輪を投げつけた後、再びその背中側半分を高速で切り離し、その丸ノコのような肉体で、上方のビルの角を断ち落としていたのだった。
既にその半身も回収され、ヒグマは阿紫花たちの視界から、消え去っていた。
『ふ、深追いしねぇでって、言ったじゃないですかい……! 本当、デタラメなヤツしかいねぇですわこの島……』
『やっぱ李徴の方が100倍まともだ……。あんなバケモノ見ちまったらよ……』
テレパシーをかけながら歩み寄ってくる阿紫花とフォックスの言葉を聞いてか聞かずか、宮本明は、幽霊のようにふらふらと身を起こした。
そして一撃。
渾身の力がこもった握り拳が、目の前のコンクリートの塊を穿った。
そこに刻まれていた『宮』という文字が、粉砕されていた。
『明さん!?』
「……あいつは、西山を殺したヒグマだった」
テレパシーで語ることも忘れて、明は低い声でそう呟いた。
「西山は、あのヒグマに、殺された――!!」
怒声と同時に、『本』の字が砕かれる。
「ふがちゃん! ブロニーさん!! すまねぇ……、すまねぇみんな……!! 俺がこんなに不甲斐ねぇばかりに……!!」
『明』、『之』と、彼は涙を流しながら、次々とコンクリートの壁を殴り続けていく。
「……仇を討つ。絶対に討ち果たしてやる……。だからみんな……、俺に、力を貸してくれ……!!」
墓石に泣きつくかのように、宮本明はそのコンクリ塊に身を摺り寄せて呻く。
そして彼は、最後に残った『墓』という文字を、その指先の握力で、削り砕いていった。
「……今までの俺は死んだ。弱いものは、死ぬんだ。今からもっと俺は、強くなる……」
阿紫花は、彼の背後で眼を細めながら、その宮本明の狂人ぶりに、頬を掻いていた。
『……さて。その「強さ」ってのは、一体何なんですかねぇ……』
そこはかとない不安感だけを感じながら、彼は淡々と仕事をこなすべく武田観柳にテレパシーを送る。
『……例のヒグマは、逃がしちまいました。体を半分に割って別行動できるとかいうふざけた木偶さんでして、どうにも……』
『構いません。どうせその羆人形も末端の雑兵でしょう。操真さんの転移魔法で李徴さんたちをお呼びしますので、一旦お手伝いください。回復後、再び散開・連携しましょう』
『了解です』
通信を切った彼は、目の前で泣き崩れる宮本明の姿を見つめながら、観柳の話を思い返す。
――今の明さんのような状態が、『まともでない狂人』だ。
激情に身を任せ、溢れんばかりの力量を持ちながらも、目的の主眼から外れた方向に突っ走っていく者。
羆の状態になった李徴と同じだ。
力量としての『強さ』という意味では、宮本明も李徴も既に十分すぎるほど強い。
体力も精神力も膂力も、武田観柳や自分は彼らの足元にも及ばないだろう。
『試合』をしたらボロ負けするのが目に見えている。
しかし、実際の戦場での『強さ』という面では逆に、宮本明は自分の足元にも及んでいない。
例えば今の状態でするべき『強い』行動は、感傷にふけって泣き崩れることではなく、黒幕の操作しているロボットが近くにいないことを確認しつつ移動することだ。
自分とフォックスが意識して警戒しているからいいものの、彼一人だったら今ここで背中からズドン、という可能性もありうる。
宮本明は、こんな行動を続けていたら、そこを近いうちに付け狙われて自滅してしまいかねない。
それこそ、李徴がハメられてしまったように、だ。
ここにつけて、武田観柳がこのようなフレキシブルな少数連携行動を採用した理由が活きてくる。
――自分たちは、等しく『末端の雑兵』なのだ。
狂ったり、襲撃を受けたりしても、一度に大損害を受けることは絶対にない。
そして周囲から援護してダメージコントロールと救援を行なうのか、それとも切り捨てるのかを、自在に選択できる。
一般の感覚からすれば、再び味方に引き入れるのを躊躇してしまうような李徴などをこの連携網に組み込むことが可能だったのも、この点による。
固まって仲間が存在していなければ、また李徴が暴れたり、宮本明が自滅したりしても、当の本人以外は誰も被害を受けないで済む。
その上で、彼らを助けに向かうか捨て置くかは、冷静な傍目八目の状態で判断してから決定することができる。
宮本明は未だ気づいていないようだが、この点こそが、武田観柳のある種冷徹な、組織運営のための商人の流儀だった。
――『強さ』ってのはそういう、仕事とか流儀の経験から出てくるものだと思いやすが。どうですかねぇ宮本さん……?
『殺し屋』と『人形使い』という二本の流儀の刃先が未だ鈍っていないことを自認しつつ、阿紫花は煙草の煙をくゆらせる。
その更に背後で、阿紫花と宮本明の両名の様子を見ながら、フォックスは腕組みをしていた。
――奇しくも、こんなとこで、李徴や、ジャックの気持ちが、解っちまったんだよなぁ……。
自分をデク人形として蘇生させた目の前の男を観察して、フォックスはやはり、この男と永遠に100メートル離れられない生活は、耐えられないだろうなぁと感じていた。
ところ構わず煙草を吸ってて、家の中が臭そう。
デカイ人形がいっぱいあって、家の中が狭そう。
同時に、怖そうでもあり汚そうでもある。
立ち居振る舞いからして、外面はよくても私生活では不摂生を重ねるタイプだ。
というわけで、フォックスは生き残った先の今後の生活について、何の展望も見えなかった。
――こういう、生に対して投げやりな状態になると、いい死に様を求めるくらいしかやることが見つからなくなるんだな……。
かといって、復活による希少な利点と思われた死亡偽装技術の極致は、今後活用できるポイントがあるのかどうかわからなくなってしまった。
下手を打った仲間を庇い、格好良く息を引き取るというのは王道の人生幕引き手段として考えられるのだが、この面子の中だと、一番最初に下手を打って自爆しそうなのは間違いなく宮本明だ。
事実、ついさっきだって阿紫花がいなかったら彼は死んでいた。
ジャック・ブローニンソンじゃあるまいし、そんなバカ野郎のために肉体を捧げるのは正直ゴメンである。
この演技なのか本気なのか知れない大仰な嘆きで、『バカの巻き添えを喰いました』という恥ずかしい事実と共に名前を連呼され続けるのもマジで嫌すぎる。
――今後出会うだろう、モノホンの魔法少女ってヤツに期待するのと、あとは……。
フォックスは、自分が確保している、複数のデイパックに手をやる。
その中には、未だ確認していない、大量の支給品が保管されているはずだった。
――頼むぜ神様……。せめて思い残すことなく退場できるような、いい巡り会わせをくれよ……!?
【E-6・街/日中】
【宮本明@彼岸島】
状態:ハァハァ
装備:操真晴人のジャケット、テレパシーブローチ
道具:基本支給品、ランダム支給品×0~1、先端を尖らせた丸太×8、手斧、チェーンソー、槍鉋、詳細地図、テレパシーブローチ
基本思考:西山の仇を取り、主催者を滅ぼして脱出する。ヒグマ全滅は……?
0:西山ぁ……、お前の仇のヒグマは、絶対に殺してやるから……!!
1:ブロニーさん、すまねぇ……。俺があんたの、遺志を継ぐ……!!
2:西山、ふがちゃん、ブロニーさん……、俺に力をくれ……!!
3:兄貴達の面目にかけて絶対に生き残る
※未来予知の能力が強化されたようです。
※ネアポリス護衛式鉄球の回転を少しは身に着けたようです。
※ブロニーになるようです。
【阿紫花英良@からくりサーカス】
状態:魔法少女
装備:ソウルジェム(濁り:大)、魔法少女衣装、テレパシーブローチ
道具:基本支給品、煙草およびライター(支給品ではない)、プルチネルラ@からくりサーカス、グリモルディ@からくりサーカス、余剰の食料(1人分程)、鎖付きベアトラップ×2 、詳細地図、テレパシーブローチ
基本思考:お代を頂戴したので仕事をする
0:雇われモンが使い捨てなのは当たり前なんですが、ちゃんと理解してますかね皆さん……?
1:費用対効果の天秤を人情と希望にまで拡大できる観柳の兄さんは、本当すげぇと思いますよ。
2:手に入るもの全てをどうにか利用して生き残る
3:何が起きても驚かない心構えでいるのはかなり厳しそうだけど契約した手前がんばってみる
4:他の参加者を探して協力を取り付ける
5:人形自身をも満足させられるような芸を、してみたいですねぇ……。
6:魔法少女ってつまり、ピンチになった時には切り札っぽく魔女に変身しちまえば良いんですかね?
[備考]
※魔法少女になりました。
※固有魔法は『糸による物体の修復・操作』です。
※武器である操り糸を生成して、人形や無生物を操作したり、物品・人体などを縫い合わせて修復したりすることができます。
※死体に魔力を注入して木偶化し、魔法少女の肉体と同様に動かすこともできますが、その分の維持魔力は増えます。
※ソウルジェムは灰色の歯車型。左手の手袋の甲にあります。
【フォックス@北斗の拳】
状態:木偶(デク)化
装備:カマ@北斗の拳、テレパシーブローチ
道具:基本支給品×2、袁さんのノートパソコン、ランダム支給品×0~2(@
しんのゆうしゃ) 、ランダム支給品×0~2(@
陳郡の袁さん)、ローストビーフのサンドイッチ(残り僅か)、マリナーラピッツァ(Sサイズ)、詳細地図、テレパシーブローチ
基本思考:死に様を見つける
0:まともで可愛い女の子とかさぁ……、守るにしてもそういうヤツを守りたいんだが……。
1:死んだらむしろ迷いが吹っ切れたわ。どうせここからは永い後日談だ。
2:李徴は正気に戻ったのかぁ? もうこれ以上ヒト殺すなよ……?
3:義弟は逆鱗に触れないようにすることだけ気を付けて、うまいことその能力を活用してやりたい。
4:シャオジーはマジで呆れるくらい冷静なヤツだったな……。本当に羆かよ。
5:俺も周りの人間をどう利用すれば一番うまいか、学んでいかねぇとな。
[備考]
※勲章『ルーキー
カウボーイ』を手に入れました。
※フォックスの支給品はC-8に放置されています。
※袁さんのノートパソコンには、ロワのプロットが30ほど、『
地上最強の生物対ハンター』、『手品師の心臓』、『金の指輪』、『
Timelineの東』、『鮭狩り』、『クマカン!』、『手品師の心臓』、『
Round ZERO』の内容と、
布束砥信の手紙の情報、盗聴の危険性を配慮した文章がテキストファイルで保存されています。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
「えのあのう……、あるいあれのいへのあねあ、ああああああああぽんろおおあ……」
口元から怒りを零しながら、張り付いたような笑顔であり続けるそのヒグマが、街の建物の陰にさまよっていた。
究極生命体にその命を分断され、半機械の体に改造された彼は、『制裁ヒグマ〈改〉』と呼称される存在だった。
――うぷぷぷぷぷぷぷ~! キミが制裁ヒグマだって? 名前負けじゃ~ん。
――殺そうとしたヒグマが巨大化したからって、人間のすぐ脇通って逃げ出すとかアホ過ぎ! 特に、
カーズ様の脇通って逃げるとか絶望的にアホ過ぎ!! 危険察知能力とかないわけ?
――まぁ良いよ。そんな、ヒグマらしからぬ感情で動くキミは、さぞアホな墓穴を掘って悔しい思いをしてきたんだろう。
――それじゃあ今度はキミが、そのアホなヤツに社会的制裁を下してやる番だ。アホなことしてると簡単に自滅して、死んじまうんだっていう世界の理を、知らしめてやんなさい。
――キミを、多少アホなことしても、大丈夫な体にしてあげる。自分がそんなアホだった分、彼らの考えは、よぉ~く、解ってるでしょ?
――その悔しさと怒りを、思う様、ぶつけてやりな。うぷぷぷぷ……。
究極生命体カーズが
カズマとの戦いに興じている間にひっそりと回収され、モノクマの手によって改造された彼はただ、復讐心の塊だった。
その手足が肉体が機械に変わろうとも、変わらず残り続ける、歪んで肥大した怨恨。
それは、おそろしく破壊的なものだ。
『弱い』ものは死ぬ。と言いきるための力。
それが、彼の肉体を駆動させるエネルギーだった。
捕食した動物へ墓を作って悼んでいた彼の心根は、その粘ついた恨みで、どろどろと燃え盛り続ける。
「あああああぁぁぁぁああぁああぽんろおおあおおあおおあおおあおおあ……」
自分と他者とが違うとしても、本当は、そのどちらともが、正しいものであったのかもしれない。
しかしその認識は、かつて彼から隔絶された。
そして今その認識を、彼は彼から拒絶する。
その低い叫びは、彼だけの世の異端に歪みきった、怨嗟の響きだった。
【E-6・街/日中】
【制裁ヒグマ〈改〉】
状態:口元から冠状断で真っ二つ、半機械化
装備:オートヒグマータの技術
道具:なし
基本思考:キャラの嫌がる場所を狙って殺す。
0:背後だけでなく上から狙うし下から狙うし横から狙うし意表も突くし。
1:弱っているアホから優先的に殺害し、島中を攪乱する。
2:アホなことしてるキャラはちょくちょく、でかした!とばかりに嬲り殺す。
※首輪@現地調達系アイテムを活用してくるようですよ
※気が向いたら積極的に墓石を準備して埋め殺すようですよ
※世の理に反したことしてるキャラは対象になる確率がグッと上がるのかもしれない。
でも中には運良く生き延びるキャラも居るのかもしれませんし
先を越されるかもしれないですね。
最終更新:2015年02月07日 16:52