まえおき
今週は多忙だった。仕事の完成度は低いが、一応やるべきことを終えて、漸くの夏休みだ。もしもこの10日間を国内旅行、あるいは家で休養して過ごしていたら、仕事が心残りに思えてきて、きっと気持ちが穏やかでなかったに違いない。海外に行ってしまえば、仕事をしたくなってもできないのだから、悩みから完全に離れられるというものだ。最近、頭の中は仕事のことばかりで、しかも異動してから慣れないことばかりで、疲れている。だから、これらをすっかり忘れて、新しい世界で生きるつもりで、楽しんでこようと思う。
出発まで
朝起きて、支度の続きをする。澪からのサプライズ・ケーキの残りを食べる。顔を食べるのは可哀想だから、顔の端から食べていくと、両目、鼻、そして口だけが残った。恐る恐る食べると…ウマイ!そして、アトリエに着いたのは10時頃だった。今日は梶原君、林さん、そして加藤さんまでもが揃い、大賑わいであった。梶原君のチュニジア旅行の写真を皆で観て、お土産のイタリアン・ティを飲んで、あれこれ世間話をして、結局デッサンは30分程した。今回は、また貝だ。しかし、前のやつとはまた形が異なり、全く飽きのこない対象だ。12時に教室を後にして、一度家に戻り、赤城神社で澪と待ち合わせをした。
空港へ
澪は元気なく見えた。それは夏バテとか、僕が暫く留守にすることからだと思っていたが、電車で話すうちに、最近僕の反応が冷たかったことが原因だと判明した。つい昨日ケーキを貰うときも、僕は内心とても嬉しかったのだけれど、あまりにサプライズが成功してしまったせいで、うまく反応できなかった。一方、僕は僕で、向こうの反応がそっけないと感じていて、つまりお互いにすれ違っていたのだった。誤解が解けた後は、なおさら名残惜しかった。成田で、暫く食べられなくなるお寿司を食べて、二人で写真をとった。手荷物検査を終えると、ガラス越しに澪が見えて、声はもうほとんど届かなかったけれど、表情で何言か話した。姿が見えなくなるまで手を振ってくれて、胸が痛くなった。「必ず帰ってくるぞ」と思った。
夜間飛行
飛行機は30分程遅れて発った。右窓の席で、西には日没後のオレンジと、雲の灰青色があった。雲は所々入道雲のようであり、町からニョキニョキと成長しているようだった。他の所は滑らかな雲で、東京をまさに覆い尽くそうとしていた。夕食は牛丼。洋食と和食を選択するのだが、僕の4列前で洋食が売り切れになったらしい。仕方がない。九州を過ぎて、町の光も見えなくなった…と思ったが、驚いた。海上に大きな白い光源がいくつも見える。場所は沖縄よりも大分北の東シナ海で、陸の光とは思えない。光はポツポツと点在していて、そのどれもが大きく、また互いに接近しすぎていない。町の光なら、一箇所に集中するはずなので、やはり町ではない。漁船だろうか?その一方でここは高度1万m。10km離れているのに、これほど明るい光を漁船が出せるのだろうか?この光は台湾を過ぎると激減したが、それでも
ベトナムまでポツリポツリと見られた。光といえば、台湾もまた綺麗だった。発展している西岸は一面オレンジに輝き、花畑のようだ。中央の山脈は真っ黒だがまれに光が見える。東側は、沿岸部のみオレンジだ。面白いのは、光が絡み合って糸のように見えること。道路沿いには徹底的に街頭があるが、市街部にはそれほど明かりが密集していないことが分かる。台湾を過ぎると、ほとんど深黒で、夜空の星星が明るい。主翼のランプがうるさいが、気持ちは数百年前の航海士といったところだ。
ベトナム入国
入国。時刻は22時ほど。空港では既に店が閉まりかけていて、informationのおばさんに聞くと空港も23時に閉まるらしい。なんということだ。空港泊の予定だったので焦る。国内ターミナルが開くのはA.M.4時だそうだ。その間6時間どうするか…。おばさんに連れられて閉まりかけのツアーショップでホテルを手配し始めるも、高い。一泊590VNDもする。結局「高い!」という気持ちが勝って、「空港でどこか時間を潰せるところはないか」聞いた。すると、空港は閉まっても2、4階は開いていることが判明した。近くの両替で2万円をVNDに替え、4階で寝る。
最終更新:2014年03月24日 23:56