七日目


ベトナム123456|7|89|>

ミーソンへ

6時半起床。今日はミーソン遺跡のツアーに参加する。バンが8時に来るので、それまで支度をしたり、日記を書いて過ごす。バスは一時間ほどでミーソンに着いた。途中見えた景色、それはコーン畑だ。ハノイと異なって水田はあまり見えない。ハノイと同じように路上に穀物を敷いて日光浴させるが、それも大半がコーンだ。米もたまにはあるが、主流じゃないという感じ。なので、家の前に見られるのは、まずコーンの山。これは濃い、オレンジに近い黄色をしていて、とても鮮やかだ。次に、コーンの実が剥ぎ取られた、禿コーンの山。そして、路上に広がる赤黄色の絨毯だ。

ミーソン遺跡

そしてついにミーソン遺跡だ。「ミー」は「美しい」、「ソン」は「山」を意味する。つまり美山だが、日本語読みとなんとなく似ている気がする(偶然?)。中国語読みかとも思ったけど、それならリャンシャンとかになりそうだよな…。さておき、その名前の通り、近くには山があり、岩が剥き出しになっているからか、陽光を反射して輝いている。前景には深緑の草木蔓蔦、その中に、レンガ造りの赤い廃墟が埋もれている。Champaの人々は、この地に住んでいた訳ではないという。ミーソンは祭事の場であり、彼らは20kmほど離れた所に住んでいたらしい。感銘を受けた点は、廃墟という点と、アメリカの爆撃で破壊されたという点。遺跡の周辺には爆撃の痕が無数に残っている。爆弾が落ちたところだけがぽっかりと、蟻地獄の様に数m窪んでいる。ベトナム戦争時に、アメリカ軍は武器工場を破壊しようとして、目ぼしい建物を無差別に破壊した。そもそも、ベトナムには大規模な工場など無かったのだが…。そのため、空から目立つミーソンも標的になったというわけだ。再建中の神殿もあり、新しいレンガのため、オレンジ色輝いていてとても綺麗だった。

世界共通

遺跡には装飾もあまり残っていなかったが、ペニスの像や、シヴァ神の像があった。外人が、ペニス像の前で、ボディービルダーの格好をして「フンッ!」と気合を入れて写真を撮っていたり、女たちがペニスを囲んで頬杖をついて撮っていたり、大爆笑していた。皆ペニスが大好きなんだなぁ、と思った。どうりで70億も繁殖するわけである。

鳴き声

森を歩いていて気づいたのが、今まで聞かなかった蝉の声がすること。姿は見ていないが、多分蝉だと思う。日本と異なり、ミーン、というよりは、リー、と言った感じで、音程は高く、口笛や鉄琴の余韻のような音だ。それからまた、蛙の鳴き声も聞いた。こちらも、ポヨンポヨンという感じで、日本とは大分異なる。鳴き声の違いは体の構造の違いから来るのだろうが、不思議だ。

ホイアンへ戻る

帰りのバスが来るまで、また昨日のおばちゃん達と話した。彼女らは日本語の講習を受けたことがあるようで、2,3の基本的な言葉が話せた。僕も、台湾旅行の際に勉強した単語を久し振りに使った。彼女たちは5人組で、トランシーバーで通信している。そこで、僕もトランシーバーを貸してもらい、変なことと言って楽しんだ。それからツアー中はずっとおばちゃん達と喋っていた。ボートに乗り換えて川を下る。印象に残っているのは、川が黄色なこと。そこに、青空が映りこんで、相当にビビッドだった。ボートが岸に着いて、「ここは一体どこだろう?」と思っていると、向こうにJapanese Bridgeが見えて、ここがホイアンだったと知る。昨日よりも大分水位が下がっていて、全く異なる景色になっていたのだ。そしてツアーは終わった。

ホイアン散策

おばちゃん達は、レストランでアイスクリームを食べるグループと、ホイアン旧市街を散策するグループに別れるという。僕は、そろそろ一人になりたいな、とも思っていたが、おばちゃんの散策に着いて行って大正解だった!というのも、ホイアンは中国式の文化も相当あったから、一つ一つを解説してもらえたからだ。過去の偉人とか、説話が多く、難しくてあまり覚えていないが、例えば、福健会館で設置されているのは、漁季の神様であり、漁の季節になると、大漁と安全を願うそうだ。なるほど、飾られている絵の一つには、今にも大波に呑まれそうな漁船と、それを助けようとしている神様が描かれている。それからまた、どこだったか、三国志の関羽?を祀ってある所もあった。それからまた、古民家にある、「喜喜(これで一文字)」を模った窓。日本でも喜はHappyだが、喜喜となるとdouble happy、つまり結婚生活の幸福を表すらしい。その窓には、コウモリとナマズが彫られている。というのも、中国語でコウモリは「福」と同じ発音らしい。ナマズは…忘れた。それから陶器の良悪の見分け方。陶器の裏には印が押してあり、それは
  1. 作られた時代の皇帝?を表すことが最も多く、
  2. 作られた地域であることが次に多いようだ。
  3. それから製作所や製作者
を表すこともあるらしい。試しに、そこらにあった陶器だったらどのようになるのか尋ねてみた。おばちゃんは必死に角度を変えながら器を見て、「印がボケていて和からない」と言った。印、意味ない。しかし、別のも試してみた。皇帝や地域の名前でないことはすぐに分かるから、恐らく作った店の名前だとの事。それ故、低グレードな器だと判断できるらしい。古民家は、表通りと裏通りに面していて、奥に長い構造になっている。家の中程には庭があり、二階から見下ろせるようになっている。上から光が差し込むため、大分明るい。そして、籠鳥が囀っている…。おばちゃんにとっては、何の変哲も無い風景のようだった。そうそう、それから「壽」。これはlong lifeを願うものだそうだ。後で調べると、これは寿の旧字体だったので、これは日本でも同じだ。こうして5枚綴りの観光チケットを使い切り(5枚綴り120.000VDで売っていて、一箇所見学するごとに一枚必要)、一度ホテルに戻る。おばちゃん達に別れを言う。彼女たちは、夕方のバスでニャチャンへと旅立っていった。

昨日の店

今日は激しい夕立が降った。最上階だったこともあり、屋根が叩かれる激しい音がする。弱まるのを待ち、昨日の夕飯の店へ。おばさんは大変喜んで、「いつここを去るのか?」。明日だと言うと、朝もやっているから来いと言う。もちろんオーケーだ。それから、もう一度値切りにも挑戦してみる。昨日のビールのお店に行くと、おばちゃんは覚えていてくれて「アッ!」と驚く。今度は、BIERE LARUE二本買うから、少し負けてと言うも、楽しそうに「ノンノン♪」。結局向こうの価格で買わされてしまった。部屋で日記を書きながら、ビールを飲む。


ベトナム123456|7|89|>

最終更新:2014年03月25日 00:00