三日目


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ハノイの朝

6:45頃起床。シャワーを浴び、日記を少し書いたら、すぐに8時前になった。今日はハノイから車で2時間ほど南下したところにある、香寺のツアーに参加する。8時集合なので外へ出ると、既に添乗員が待っていた。僕以外の参加者はまだのようで、一人で車に乗っていても退屈なので周辺をうろついた。朝もまた、通りでフォーを売っていて、地元の人が食事をしている。お腹が減っていたので、食事をしていいか添乗員に聞くもノー。結局他のメンバーが到着するまでに15分くらいかかったので、十分食べる時間はあったのに…残念だ。市街は活気に溢れている。制服をばっちり着たOLらしき女が、激しいバイクの川を難無く渡り通勤していく。

レシート騒ぎ

ツアーのメンバーは、西洋人7人、黒人夫婦、アジア系女性2名、そして自分の12人。バンはホテルを回って全員を乗せ終わると、目的地に向かって出発した。乗ってすぐ面白いことがあった。それを説明するために、まず僕が朝添乗員と合流したときのことを話す必要がある。添乗員に、「ツアーのレシートを出せ」と言われ、僕は気にも留めずに渡してしまったのだ。なんとなく、自分が申し込んだ本人であることを証明するものだから。ところが、西洋人の一人のおじさんは、やはり添乗員にレシートを出すように言われたけれど、断固反対したのだ。「そのレシートが、唯一支払いを証明するものだ。だから渡せない。どうしても必要なら、一度ホテルに戻って原本をコピーして、それを渡す」。添乗員も、「そのレシートがツアーの参加証になる。そのレシートを本社に送ることで、賃金がでる」。激しい言い合いの後、添乗員が折れた。凄まじかった。僕はこのおじさんの主張は当然のものであり、普段どれだけレシートに無頓着だったのかと思い知った。けれども、他のメンバーもいて、これからバンも出発しようというときに、「一度ホテルに戻って…」等とはとても迷惑で言えない。

ツアーの始まりは憂鬱に

まず寄ったのはガソリンスタンド。エンジン音が消え静かな中、西洋人同士が話に花を咲かせている。国は違っても幾分か言葉が通じる、それは莫大なメリットだと感じた。一方で、言葉の拙い僕は感傷的になってしまい、話しかけようか、いやわざとらしいよな…とか無駄に考えた挙句、結局僕は僕なりに楽しめばいいさという気持ちに落ち着いた。さて、昨日は横断するのに四苦八苦した大通りも、車上から眺めるとなかなか爽快だ。ベトナムでは日本と逆で右車線を走行する。そのため、歩道側のレーンに速度の遅い車が走るようになり、内側が追い越し車線となる。自然とトラックやバス等の大型車は外側を走ることになる。このような状況では左ハンドルが便利で、もしこれが右ハンドルだったとしたら、歩道側から追い越し車線に変更する際に目視し辛いだろうと思った。

お土産売り場

一時間ほど走り、休憩となった。お土産屋らしい建物の中では、障碍者が作った工芸品を販売していた。正面玄関から入ると、障碍者が机を並べて座っており、せっせと刺繍を作っている。近くには監督がいて、指示を出している。障碍者はほとんどが先天性の奇形のようで、背骨等がフシャフシャに曲がっていた。再び車に乗る。

田園風景

周囲は広大な田や、池で、遠くに霞んで都会のビル群が見える。都市と農村が分離していく、必然的な流れを見る気持ちがした。さて、田の中に奇妙な塔のようなものがたくさん見える。墓だろうか?…むしろ豊作を祈るための祠か何かと考えたほうがしっくりする。しかし、場所によっては、その「祠」が何十と密着して乱立している。やはり墓なのだろうか?バンは農村を通り過ぎていく。この様子が面白い。道端に、田から刈り取った稲が高く積まれている。また、その稲を脱穀したものを、アスファルトの上に敷いて、天日に干している。それがアスファルトを明るい黄茶色に染めていて、とても綺麗だ。中には、道路に半分くらいせり出して米が敷かれていて、自動車はそれを避けながら通過していく。まさに今脱穀している人もおり、脱穀機から飛んでくる稲カスがバンの屋根に降り注ぐ…。

ボートに乗り換えて

バンは町外れの川縁に着いた。ここからはボートに乗り換えて、約4km上流の香寺へと向かうのだ。4km?歩いていけばいいじゃないか、と思ったが、すぐに不可能だと分かった。川の両側には、石灰岩が腐食してできただろう尖った山々が連なっているし、また川の近くも、陸に見えて湿地になっている。ここを歩くのは大変だ。川の端に、また塔が見える。添乗員に聞くとやはり墓だという。それにしても、水の中に、お墓がプッカリ浮いているのを見るのは、なんとも不思議(で少し恐い)な光景だ。売り子がボートを必死に漕いで近づいてくる。そして水やらビールやらを売ろうとする。一緒に乗り合わせたフランセスがぼられていた。物売りはまるでいたずらっ子のように、笑いながら必死に漕いで離れていく。フランセスも「あの舟を追えっ!」と言っていたが、その全てがコミカルで笑った。さらに、物売りのボートは逃げているのかと思ったら、他の舟にも販売するために急いでいただけなのであった。

昼食

ボートは山の間に作られた小さな波止場に着いた。飲み物や、土産物が売られているテントを横目に登っていくと、レストランがあり、そこで昼食となった。そこでアジア系の二人と話した。彼女らはベトナム人で、ホーチミンに住んでいる。休暇を利用してハノイへ小旅行をしにきたという。ホーチミンの市場の情報やおすすめスポット等を聞いたけれど、そこまで面白くはならなかった。二人はいかにも流行という感じの服装で、バッグを持ち、ハイヒールでここまで来ていた(山道からはサンダルに履き替えていたが)。腕には化粧もキめ、タトゥーも入れている。ベトナムではお洒落は部類に入るのだと思う。これはハノイよりもホーチミンの方が経済的に豊かなことを象徴している証拠のように思えた。

山頂へ

食事が済むと、 ゴンドラ乗り場まで登山する。道の両側には屋台が並ぶが、その中で大変奇妙なものを打っている店があった。ネズミや、大きなダンゴムシ等、食べるのだろうか?ダンゴムシは金属のボウルに入れられていて、大半は丸まっているが、這い上がろうとしてはボウルを滑り落ち、シャリシャリと音を立てている…。ゴンドラからの眺めは素晴らしく、奇妙な形をした山々が広がる中、遥か遠くに一面に田が見えた。心配なのは、「落ちたらどうしよう」ということ。ゴンドラは時々急停止をし、前後にブルンブルンと揺れるものだから冷や冷やする。ゴンドラの真下には山道が続いており、両側には屋台が連なっている。帰りはこの道を下ることになる。

香寺

ゴンドラを降りると、香寺だ。それは山肌にぽっかりと空いた巨大な洞穴の中にある洞窟寺院だ。岩肌を削った碑文があり、祠があり、また奥に進むと仏像が安置してあり、お香の煙が洞窟内に充満している。洞窟の高さは30m以上はありそうで、圧巻だ。そこから、水が滴っていたり、コウモリの糞がパラパラと降ってくる。残念だったのは、天井の大部分や床がコンクリートで固められていたこと。それから、鍾乳石はほとんど先が折られてしまっていた事。とはいっても、手付けずのままで、頭上に岩が落ちてくるのも困るが。

下山

その後は、山道を下りながら、点在するパゴダを見物していく。歩きながら黒人夫婦と話した。彼らは南アフリカのモーリシャス島から来たという。そんな国があることを初めて知った。島は小さく、島央から海岸まで45分もかからないらしい。それから寿司屋がたくさんあること等。ところでこの男、なかなか裕福そうである。服やカメラだけでなく、道中立ち寄った土産屋でも結構な買い物をしていた。一体モーリシャスとはどのような場所なのだろう?道の両側には屋台が並んでいるのだが、大半が空だった。今はシーズンオフなのだろうか。時たま店がやっていて、飲み物等を売っている。その一つの店で水を買おうとすると、女の売り子はなんと、あの舟上の売り子であり、フランセスと僕は「アーッ!」と驚いた。フランセスは舟でぼられた分、値切ろうと頑張っていた。「実のところ、安く買えるかどうかはどうでもいいのさ。僕はあの手この手で値切ろうとして会話を楽しみたいんだ」。下に着くと、既に他の皆は到着していた。ホーチミンの子たちは、往復ともゴンドラだったので、相当待っていたようだった。帰りのボート上では、電話をしたり、音楽を聴いたり、都会的だ。

帰路

そうして再びバンに乗り、ハノイへと戻った。来る途中に見た、路上に散らばった稲はどうなったのだろうか?それは燃やされていた。アスファルトで乾かされた米は、既に片付けられていた。こうして、余分な稲が土の一部へと還り、明日も多分、このサイクルが繰り返されるのだ。僕はここに、農村の連続的な一連の循環を垣間見た気がする。道路という道路が煙を吐いており、街、田も、煙で包まれていた。薄暗くなってくると、さらに幻想的だった。ハノイに着くと、水上人形劇のチケットを買ったり、ホアンキエム湖を散歩しながらBIA HANOIを飲んだりして過ごした。St.Joseph教会では結婚式が行われていて、昨晩の宗教的な印象は無かった。


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最終更新:2014年03月24日 23:58