予想外の早起き
8時半起床。日記も書いていないし、寝すぎてしまったようで焦る。しかし、これはiphone(圏外)の時計を見たからで、日本時間なのだった。それで安心し、本当の8時半まで支度をしたり、日記を書いて過ごした。出発。まずは、昨日ツアーメンバーを待っている間におあずけされてしまった、道端のフォーを食べた。ここのフォーは糸こんにゃくのように円筒形で細かった。先日食べたものはきしめん形だったが、むしろこっちの形が普通なのかもしれない。そしてホアロ収容所へ。
ホアロ収容所
ホアロ収容所は、1896年にフランスによって建てられた。フランスの支配によって、ハノイ旧市街は破壊され、パゴダは郊外へと移築させられた。そして、市街の中心エリアには新しく、政府の建物や、法廷、収容所等が建設された。ホアロ収容所もその一つだ。ここには、フランス統治時代には、統治に反抗するベトナム人が収容された。それから、ベトナム独立運動の最中には、何人もの独立運動の活動家たちが投獄された。独立を果たし、自分たちの国と文化を持ちたい…。その素朴な、しかし根源的な願いが伝わってくるようである。ベトナム戦争時の北爆によって、ベトナム古来の文化はほとんど壊滅してしまった。その爆撃を行ったアメリカのパイロットが、ベトナム戦争後に収容されていたこともあるらしい。彼らが庭でバスケットボールをしたり、卓球やビリヤード、チェスを楽しんでいる映像が流れていた。
現在のホアロ収容所は、元々の1/4程度しか現存しておらず、かつて庭や収容棟だった場所の大部分は、今ではホテルが建っている。全体的にベトナム語が多く、あまり理解が進まなかった。連日の疲れが出てきたのか、頭が働かないので、コーラを飲んで元気を出し、日本の澪ちゃんへ手紙を出すことにした。
レバー入りの?フォー
それから
ベトナム地質博物館・歴史博物館へ向かう。途中にはオペラハウスやヒルトンホテルがあり、周辺にはブランドショップが並ぶ。とても華やかなエリアだ。時刻は12時過ぎ。博物館はお昼休みだった。そこで、博物館の裏手の路地でフォーを食べる。屋台はおばあさんが一人で営んでおり、狭くて汚かった。床にはカボスや、食べ残しや、使い終わった紙ナプキンが捨てられている。天井にあいた穴から二階が見える。梯子が置いてある。夜はこれを使って二階に上がり寝るのだろう。フォーに入っている具は、なんというかレバーというか、魚のどこかの部位というか、赤茶色の物体がてんこ盛りだった。見た目は不気味だが、味はそこそこ美味しく、不安ながらも完食した。
地質博物館
13時になるのを待って、まずは地質博物館へ。あまりパッとしない展示だった。ベトナム各地から蒐集された鉱物が並んでいたが、別段解説もなく、またベトナム特有の地形について説明するわけでもなく、ベトナムで無くとも分かる面白みの無いものだった。例えると、近くの小中学生が勉強のために授業の一環で見学するような場所だった。係員にいくつか質問をしたが、職員というよりかは、ただの雇われの事務員だったようで、「地質のことは分からない」というのが拙い英語と身振り手振りで伝わってきた。
歴史博物館
入場料はカメラ持込料と合わせて35.000VNDだった。まずはじめに、原始時代のベトナムでの、生活の様子が展示してあった。洞窟の多いベトナムでは、居住場所に事欠かなかったに違いない。近くには、そのような洞窟遺跡の発掘についての展示もあった。館内では、デザイン系の学校の生徒が多々いて、壷や像等をスケッチしていた。1階は中世の展示で、ベトナムが中国やモンゴルと戦っているジオラマや、その時代の工芸品があった。全体的に作りが雑で、それほどだった。眠くなったので、寝ている学生に混じって一時間ほど休憩した。
Champa
起きて続きを見る。二階は近世以降の展示、それから、Champa文化の石像が並んでいたが、そのどちらも心を打った。まずChampa。これは丸みが特徴的で、像は皆丸みを帯びている。ライオンの像は、コミカルなほどだ。人像の表情は穏やかに微笑んでいて、全体的に柔らかい印象だ。一方で、ダレてなく、収まるところに収まっているという感じ。コミカルだけれど、やりすぎではなく、整っている。穏やかで、楽しそうだけれど、同時に精気も迫ってくる。
像とは対照的に、建物の方は、縦線と横線を基調にしていて、幾何学的だ。全体的には、空に伸びていくような形。この縦と横の模様に、像の丸みは映えるだろうと思った。
古き良きベトナム
それから、近世以降の展示。仏像にしても、陶器にしても、中国の影響をもろに受けている感じだが、完成度が高く見入ってしまう。屋根瓦の装飾として使われる鳥や、竜頭など、立体的に考えられていて驚く。それから、フエの写真や、フエから持ち運んだ装飾品や壷や器…。感動的だった。考えてみれば、古きベトナムの工芸品が残っているのは、古都フエなのだ。ハノイは、統治時代に文化断絶している印象で、昔から続いてきた文化らしいものを感じないのだった。睡眠をとったからか、必要以上に感動してばかりいる気がする。もしや!と思い、一回の展示を再び観てみると、なんと初めよりも「イイ!」と思えるものが増えていたのだった。それでもやはり、作りが粗雑なものも多く萎えた。
独り言
一つ書いておきたいこと。日本でも、かわらに龍や、シーサーを附けるが、これは龍が水属性であり、火事から守る意味があるからだ。鬼瓦やシーサーは魔除けだ。東南アジアでは、ガルーダという聖なる鳥がいて、これが建物を支えている様に描かれる。これらはどれも信仰に基づいていて、超越的な力によって災いを避けようとするものだが、科学的には何の効力も無い。そこで、遠い未来、何もかもが科学的に説明がつき、超越的な力など存在しないと皆が思うようになったとき、建物はどのような形になるのだろう?見当違いの超越力を基にはしているが、作っている方は大マジメである。だからこそ、心に迫ってくるのだが、全てが科学に置き換わり、利便性とデザイン性によって物が生産されるようになったとき、それらは、生死に迫る激しさで心を打つことができるのだろうか。
ハンザマーケット
一通り展示を観終わり、外のベンチで休憩した。iphoneが一瞬繋がったので、澪から教えてもらったつけ麺屋を調べる。さっきから、なんだかブーンブーンと音がするなぁ…と思っていたら、目の前の木の枝から、巨大なハチの巣がぶら下がっているのを見つけた!すぐさまベンチから逃げた。
宿に戻り、通りの店でコーラを飲んで回復する。水上人形劇を20時から見るので、それまでハンザ市場を見物しようと思う。ハンザ市場は、ドン・スアン市場よりも住民向けの市場と言った感じだった。驚いたのが、冷房が効きすぎて肌寒い程だった事。必要性が感じられなかった。市場前の通りでヤキトリのようなものを食べた。肉から多少毛が生えているのを除けは日本のものと変わらない。味は少し獣臭かった。この辺で夕食をと思ったが、どこも50.000VNDはかかりそうで、物価の高いエリアのようだ。
BIA HOI
Duong Thanh通りとBat Dan通りの交差点にBia Hoiを見つけた。入ってみようか?様子を窺うに、路上に置かれた大きなタライの中に、使用済みのグラスが浸かっている。暫く浸けたのをザルに置いて乾かす。そこに、ガソリンの注入の時に使うようなガンでビールを注いでいく。衛生状態が気になったが、それを一々考えるのも面倒になってきて、エイヤッと飲んだ。ウマイ!炭酸は弱いが、あっさりと冷えており、喉が潤った。もう一度宿に戻る。途中でフォーの屋台を見つけて、そこで食べた。フォーかと思ったら、春雨のような麺だった。美味しいということを身振り手振りで伝えた。余計な荷物を置いて、ついに水上人形劇を見に行く。
水上人形劇
チケットを買ったときのこと。窓口の女に「何人?」と聞かれて一人と答えると、女は「チッ」と舌打ちをして、一度書いた座席番号をグチャグチャッと消して、新しく座席番号を書いて僕に渡した。そういうこともあり、一体どんな酷い席に当たったのだろうかと思っていたら、まさかのど真ん中!。水上人形劇は、ちょっと直ぐに感想を書けないほど感動した。ただただ凄かった。箇条書きで書く。
- ベトナムは水の文化であること。田や川のそばに墓があったり、この人形劇でも、舞台は田や、池など、水のあるところが中心だ。水上人形劇なのだから当然と言えば当然だが、田んぼを耕していたり、田植えをしていたり、田に潜む毒蛇と争ったり、それほど一般の人の生活が水に溢れているということで、水に普通じゃない思い入れを感じた。
- どのようにして人形を動かしているのかということ。時々、水中に棹の影や、奥に人影が見えるので、棒で動かしているのだろうが、あんなにも自然な動きができるのかと驚いた。人形は、時に位置を交差したりもする。それから、人形の動きも、シャベルや釣竿を振ったり、水を飛ばしたり、多様な動きをする。不思議だ。灰緑の水は、仕掛けを隠すのに絶好だ。
- 音楽の素晴らしい事。劇の面白さ。人形の動きのコミカルさ。男が魚を捕らえようと振りかざしたザルが、女の頭に被さる場面で思い切り笑ってしまった。
- 火を持った巫女が踊るシーン。火が水に触れれば、消えて劇は台無しだ。観ている方もドキドキしてしまう。火と水、生と死のギリギリで演じられる踊り。
劇後は、感動で頭がボーっとしていた。
最終更新:2014年03月24日 23:58