チェックアウト
7時頃起床。これから宿をチェックアウトするので、荷造りをしたり、日記を書いたりして過ごす。デスクに行くが、女主人が外出中ということで、支払い証明書が発行できないと言う。11時までにチェックアウトすればいいというが、今日はホーチミン廟周辺を中心に回るので、11時までとても待っていられない。そこで、とりあえずホーチミン廟だけでも観て来てしまうことにした。この日は4日間で一番暑く、帽子と水を置いてきてしまったのは後悔した。ホーチミン廟までは4km、歩いて40分ほどだ。途中、また蜂の巣を見かけた。蜂の巣が落下して、下を走っていた車に直撃したらしい。フロントガラスは割れた蜂の巣まみれで、蜂が縦横無尽に飛び交っている。それから救急車を見た。日本と異なり、他の車は道を空けようとしない。形はワゴンだが、他にジープも見た。都市から離れると急に田舎になる場所では、こっちのほうが便利なのかもしれない。
一柱寺
ホーチミン廟の前は、だだっ広い広場になっている。喧騒から急な静寂となり、余計に広く感じる。まずはコーラを飲んで回復し、一柱寺を見物する。日本で見た写真が微妙だったので期待していなかったが、実物はなかなか良かった。しかし、それ以上に良かったのが、一柱寺の前にある寺だ。小ぢんまりとした空間に建物があり、両側の赤い花が映えている。中では鉢巻きを巻いた人々が、経を唱えている。地元民の集会といった雰囲気でよかった。
ホーチミンの家
それからホーチミンの家を観た。官邸や、ホーチミンの仕事場、生活をしていた部屋などが近くに並んで建っている。特に面白いことも無かったが、仕事場の本棚で、本が皆横に重ねられて収納されていた。ホーチミンがそうしていたのか、それとも展示の都合か。ホーチミンの生活していた家では、本は通常の縦置きだったから、不自然だった。宿に戻る。時刻は11:20だった。女主人も戻っていたので、チェックアウトをし、荷物だけ置かしてもらう。これはとても助かった。再び出かける。
Dac Kim
昼食は、澪に教えてもらったDac Kimで食べた。店は、St.Joseph教会の前のとおり北上して行き、突き当たりなので直ぐに分かった。ブンチャと揚げ春巻きを注文した。ブンチャとは、
ベトナムのつけ麺で、この店では甘酸っぱい汁の中に、薄くスライスしたパパイヤや肉団子、焼肉等が入っている。皿に盛られた麺は、従業員が大バサミでチョキチョキと、食べやすい大きさにきってくれる。春巻きは魚のすり身のような味だった。そして、大皿に盛られたハーブが、ドサッと置かれる…。
食べ方を定員に聞くと、お手本に作ってくれた。ブンチャは初めて食べるので、新鮮でとても美味しかった。お会計。90.000VNDだった。高い!ありえない!一般人も普通に利用しているから、相場はその半分くらいだろうと思った。お金が無いとケチるわりに、こういうところで大枚はたいてしまう。
戦争博物館
戦争博物館に行く。色々な戦車や、爆撃機が置かれているが、面白いことは特に無かった。それでも、戦車を間近で観れたのは良かった。車体の前後に歯車があって、これが回転してベルトを地面に「敷く」。ベルトはスパイクシューズのように棘がでており、これが土にめり込む。こうして、走行しにくい柔らかい地面に、ベルトという走りやすい「道路」を固定したわけだ。あとは、車体にたくさんついている車輪がその上を走るという寸法だ。フラッグタワーに登る。「良い眺めだ」以上の感想はない。少し遠くに見えるのはタンロン城だろうか?
タンロン歴史地区
今日これまでの観光が空振り気味だったため、正直タンロン歴史地区(タンロン城・タンロン遺跡)はやめておこうかと思ったが、行ってみて正解だった。まず、タンロン城に登ってみる。向こうにはさっきまでいたフラッグタワーが見える。面白いのが、タンロン城の地下に降りていく階段があること。扉は丸み帯びた金属製の、丈夫なものでできている。これは戦時中の司令室だ。いくつもの電話があり、会議テーブル、地図等があった。タンロン城内は展示場になっていて、タンロン遺跡から出土した物品が見られた。ハノイもまた素晴らしい歴史と文化をもった土地なのだということが分かる。この地では、いくつもの王朝が栄え、後退してきた。
- DAILA(618-907)
- DINH-TIEN LE(968-1009)
- LY(1009-1225)
- TRAN(1225-1400)
- LE SO(1428-1527)
- MAC(1527-1592)
- LE TRUNG HUNG(1592-1788)
- NGUYEN(1802-1945)
それら旧都の遺構が最近(2000年くらい)見つかり、現在も発掘が続いている。むしろ、今まで見つからなかった事の方が驚きだった。というのも、これらの遺構は、タンロン城の周囲に、全て折り重なるようにして埋まっていたからだ。掘り出された工芸品の一部が展示されている。
物品についての印象
まずDAILA。瓦に附いている竜頭やシシ等、すごい迫力だ。壷も荒々しい表面をしているが、口の周りは滑らかで繊細。これらは皆白色で、またザラザラした表面だ。これがDINH-TIEN LEになると、赤や黒の土に変わる。表面はより繊細になり、表面に線模様が見られるものもある。ガチョウの置物もなかなか良い。DAILAの迫ってくる感じは無いが、バランスが取れていて、やはり繊細さを感じる。そしてLY。この時代は、装飾がより華やかだ。竜頭にしても、他の瓦にしても、細かい模様が無数に掘り込んである。中でも豪華なのは、瓦の先っぽに、扇をつけた物があることだ。一方、食器や急須は、華やかだが、模様はそこまであるわけではなく、形の方にむしろ重点が置かれている。素晴らしいデザインばかりだ!TRANになると、瓦の装飾はLY程のシャープさが無い。一方で、陶器については、一層形が洗練されている。同時に、表面は白(や黒)等、単色の傾向がある。繰り返すが、「形」に重点がある。LE SOになると、器の色はほとんど白色ばかりだ(磁器?)。その白い上から、青い墨で絵が描かれている。とても薄く、皿の表に描かれた絵が、裏に透ける。形はシンプルで整った物になっている。
物品についての独り言
ここに、何らかの法則がある気がする。昔は、器は厚く、重かった。それは材質や技術が洗練されていないからだ。一方で、厚みがあるために、表面に凹凸によって模様を着ける事ができた。それから、厚みがあるために、立体的な構造を作りやすい。これが、時代が進むと、器は軽い方が当然使いやすいから、研究によってだんだん薄くなってくる。それとともに、複雑な立体構造は取れなくなってくるから、どうしてもシンプルで整ったものになる。そしてまた、表面に模様を彫れないので、墨で描くことになる。墨で描くならば、地肌は白など単色の方が良い…。日本で言うと、縄文土器が驚くほど立体を利用した構造なのに対して、弥生土器なると薄くてシンプルなものになる。
古きベトナムの地図
それから別棟には、ベトナムの昔の写真があった。丁度フランスの統治が始まる頃で、統治前のものや、徐々にフランス式の建造物が増えていく頃。それと平行して、当時の地図も並べてあるから理解しやすい。まず驚いたのが、旧ハノイ城だ。ベトナム独特の、正方形の頂点に棘があるような形の壕が昔はあり、正方形の中心(=タンロン城がある場所)から南よりの位置に、フラッグタワーが建っていたのだ。それから、城下町全体が塀で囲まれ、門が四方八方に存在していた。この塀は、東は紅河の西岸まであり、僕が初日にくぐった東門の残骸も、この塀の一部だったというわけだ。それから、塀はホアンキエム湖を囲んで南へ伸びて、西湖に沿って一周する。このように、とても広大な町に、正方形の城が建つ、美しい形をしていたわけだが、今はもうほとんど残っていない。
古きベトナムの写真
それから、統治が始まった頃の写真。街はゴミ一つ落ちておらず、力車や笠を被りザルを抱えた人々が往来している。笠の形は、今よりも扁平で、丁度日本の侍と聞いてイメージするような形だった。これだけ見ても、現在の、通りで食事をするような野蛮さを全く感じない。この頃の方が、文化水準の高い印象だ。それから、ハノイ駅建設時の写真もあった。西洋風の様式で、とても美しい!はて、僕は初日にハノイ駅を訪れているが、全く感銘を感じなかったのはなぜだろ?と思いデジカメで確認してみると、なんと建設時と形が違うではないか。終戦後に修復されたのだろうか?元よりも大分お粗末になっている。東京駅のように、いつか修復されて欲しい。
タンロン遺跡
タンロン城から、通りを挟んで向こう側では、現在発掘中の現場を覗くことができる。周囲よりも8m程低くなっている。8m分の歴史が既に掘り起こされたというわけだ。
文廟
時刻は16:50。ハノイ滞在も残り時間がなくなってきた。歩いて文廟へ向かう。文廟は、ベトナム初の大学らしい。見た目は大学よりも寺子屋といった感じだ(見たこと無いけど)。敷地自体は、大きく4つの区分に分かれていて、それらが一直線に繋がっている。区分同士の間には門があって、入り口からいくつかの門をくぐって、段々と奥の敷地へと向かう構造になっている。入り口を入って直ぐの区分には、両側に池があり、左中右と3つの門がある。左には「才達」、中には堂があり、右には「徳成」と文字がある。才達かつ徳成だったら申し分ないですな。門をくぐって次の区分に行くと、また両側に池があって、先ほどの繰り返しだ。なんだ平凡だ、と思った矢先、池の中にはなんど蓮が浮かんでいたのだった。やられた!2回目の門をくぐると、今度は正面に大きな池が現れ、最後の門をくぐると、漸く本堂に辿り着く。なかなかゆったりとした空間でよかった。
最後のハノイ
文廟の正面に池があり、公園のようになっていた。子供たちが釣りをしていたり、おじさんやおばさんが体操をしていたり、学生がセッションをしていたり、よかった。一周ウォーキングを楽しみ、17:30.これからBia Hoiで酒を飲み、宿で荷物を取って、列車に乗る。Bia Hoiでは2杯飲んだ。なんたって、一杯9.000VNDだから。美味しいし、安いし、これで結構酔うし、最高だ。店員も覚えてくれていて、喜んでいた。2杯を飲み、さて帰るぞ、と席を立ったその時、店員の女の子が笑いながらビールを僕の机において行った。お茶目だ。面白くなって、それも飲むことにした。さて、店内を良く見ると、華やかな格好をした情勢が立ち待ちをしている。ホステスのような容姿なので、さては…と思った。そのホステスは、客のところへ行っては、何かを申し出て、断られてまた立ち待ちに戻る。僕のところにも着たが、言葉が分からずに終わった。暫く見ていて漸く分かった。彼女はタバコを点けてお金を稼いでいるのだ(たくさんお金を積めば、それ以上の事もできるのかもしれないが)。店員の女の子に、「彼女は誰?あそこで何をしているの?」と聞いてみると、「どうして知りたいのウフフ」みたいに返された。勘違いしないで…。
夜行列車
宿に戻り、女主人にお礼を言って、駅へ向かった。ハノイの道はもう慣れっこである。4日暮らした場所を去るのは、寂しい。しかし旅は続く。列車は、直ぐに分かった。同室にはイギリス人2人とアメリカ人1人。お互いの旅について話した。彼らは休暇が3ヶ月あり、ベトナムの後はカンボジア、タイと周るそうだ。どうしてこんなにも休暇があるのか?逆に言うと、日本人はなぜこれほど働き続けなければならないのか?それは景気が大きいのかもしれない(しかし、イギリスもそこまで良いとは思えないが)。同じ島国でここまで違うのは不思議だ。景気的なものにせよ、精神的なものにせよ、何らかの貧しさが日本にはあるのかもしれない。日記を書いて寝る。
最終更新:2014年03月24日 23:59