◆
───焔が、燃えている。
文明の跡を舐め取る災厄が行進する。
大地を黒に。館を灰に。
星の地表は、生命が芽生える前、ガスとマグマが噴き上がるだけの原始の時代に逆戻りしていく。
ヒトという生命の祖先、そのまた祖を延々と遡った末に辿り着く、極限最小単位の原子に刻まれた光景。
記憶にはなくとも遺伝子に刻まれた情報を、知恵ある人間はそれを恐怖と呼び、やがて地獄と習わした。
「ぐぉぉぉおおおおおおあああああああッ!!」
生命(イノチ)許さぬ地獄にて、震える生命の鼓動。
燃やされるのは酸素ではない。物理世界には存在しない、知的生命だけが使用可能の、宇宙の冷却を覆す熱量。
心の炎が、
光月おでんの刀を伝って、地獄の鬼を斬り伏せる。
「ウォォオオオオオオオオオオオオオオ!!」
刀が入る。
宝具にまで高められた鬼の皮膚装甲。軍艦の一斉砲撃にも堪えない無敵の鎧。
不死身の英雄の代名詞にも近しい概念武装を、黒白の両刀が切り捨てる。
斬られた肌が泡ぶく。
裂かれた皮膚が爛れる。
露出した肉が火を噴き内臓に通る経路を焼き焦がす。
概念を打ち破るものも、また概念である。
鬼を称する者に向けられる、滅ぼす刃。即ち鬼滅。
鬼狩りの英霊に授けられたのは、教えだけではない。
英霊の技法、術を学ぶ事は、その英霊の概念までもが継承される。
『教練』『指導』の逸話が有名な英雄ほどでないが、縁壱もまた剣士達に呼吸術を教えた教師である。
その鞭撻を英霊に比肩するおでんが受ければ、鬼狩りの概念までもが刀に憑依する事を意味する。
生前に大きな傷を負わせた功績。
20の年を経て受け渡り再び傷を負わせた武器。
そして、真なる祖を討滅させた鬼殺隊の思いをも継ぎ、此処に
カイドウ殺しの三枚目がおでんの手中に加わった。
既に宝具『最強生物・百獣之皇(ストロンゲスト・ワン)』は、おでんに対して機能しない。
神話の再現、伝説の現象であるサーヴァントから失われた、戦いでの成長補正。
今を生きる人間だけに許された権利を持ち出して、
光月おでんの剣は隆盛を止めない。
(それだけじゃねえ……この刀! 覇王色を纏ってやがる……! )
覚醒(めざめ)たのは、概念ばかりではない。
おでん自身の眠れる獅子も、この土壇場で鬣を立て出していた。
意思の力の覇気を手足や武器に纏う武装色。これより上位にある、王の資格と呼ばれる覇王色にも同等の応用が可能だ。
過去現在でのおでんはそれを使わなかった。
釜底に沈む最期を迎えず年月を重ねていれば体得していた可能性はあったが……志半ばで死んだ身では開眼するまでに不足があった。
その穴が、ここで埋められる。日輪。天元。月光。繋ぐ筈のなかった縁という戦が刃を鍛え上げた。
であれば、長年の相棒が応えない道理はない。
赤光を纏う黒刀が、さらにその上から迅雷を被せ、2メートルばかりの刃渡りを極大の神剣に拡大変容させる。
之こそ、鬼を断つ剣。
『鬼を斬る』概念そのものを結晶化させた、
カイドウだけを討つ武装だ。
「それが……どうしたァァ!」
『討たれる側』の反英雄が『討つ側』の英雄に倒される。
昔語りの御伽噺にある大団円(デウスエクスマキナ)を、鬼の現象は真っ向から迎え撃った。
「”軍荼利……龍盛軍”(ぐんだりりゅうせいぐん)!!」
「───っ”参ノ具材 逐倭武”!!」
連斬を撃ち落とす鋼の連打。
鬼を斬る、という概念が、鬼狩りをも倒す、という概念に押し退けられる。
概念には相性がある。
”その
ルールに則っている”と下敷きがあるからこそ、条件内では無類の力を発揮する。
特殊な手順。対象の状態。周囲の環境。
特定の”縛り”を設けられた概念に即する宝具が、限定されるが故に解放時の効果が突出される。
カイドウにはそれがない。
防御系の宝具はあくまで自身の伝説から端を発した後付けの概念。
攻撃方法も物理で殴るに固定され、特殊な概念攻撃を纏ってもいない。
占められているのは、力の強度。
相性差を覆せるだけの、正道な力押し。
正統派のパワーファイターでありながら万事に対応できるオールラウンダー。
小手先な細工は震脚だけで破棄させる、まさしく明王の化身。
仏敵そのものの海賊でありながら皮肉なる、”災害”の担い手だ。
「メギドラオン」
災害を覆い隠すは、神罰の燼炎。
火災の鎮火のひとつに爆風で炎ごと消し飛ばす手法があるが、暴には暴をぶつける荒療治はそれに近しい。
空に昇る龍の口から吐く万魔の光は、おでんを吹き飛ばした後の硬直を狙い澄まして着弾する。
「クソデカミミズがよォ……おれの猿真似なんかしてんじゃねェぞォ!」
───着弾寸前に、獣人形態での口から吹いた”熱息(ボロブレス)”が相殺する。
ばかりか、”怒り上戸”で上乗せされた熱線はメギドラオンを貫通し、大半を削がれながらも龍の肌を焼き裂いた。
如何に
カイドウといえど龍に比べれば矮躯となるのに、火力は追随を許さずに突き放す勢い。
「───メギドラオン」
そして今度こそ硬直してがら空きになった背中に、二度目の神の炎(メギドラオン)が直撃した。
「…………!!」
これには
カイドウも言葉なく、もんどりうって地面を転がり滑る。
龍の一発目で上を向かせて、本命の大和の二発目が無防備な態勢を挟撃する。
各地の霊地と、龍脈を励起させ土地の加護を得ている大和の術は、龍脈そのものである龍のそれにも負けず劣らずの出力を確保していた。
しかし『力』と『魔』は傑出していても、『速』についてはトップサーヴァントに及ばない大和では覇王同士の速度に介入できない。
当然補う足は確保してある。帯型の召喚器から招き出したケルベロス。界聖杯に唯一随伴した仲魔の上に乗り、機動力と防御を兼ねた備えに抜かりない采配だ。
「認めよう。確かにコレは矮小な欠陥品だ。なにせ土地そのものが不完全であるからな。
次にこのような不足の事態を招かないよう、臨床をしておく必要があるだろう」
手持ちのうち最大威力の呪文でも、
カイドウの体力を削れるのはほんの微量だ。
肌や肉、当たりどころがよければ骨まで響かせられるだろうが、芯には決して届かない。
それでいい。元より不意討ちは布石の一。次の策は、もう発動している。
「辛口の評価をくれたついでだ。もうひとつ性能試験といこう。
魔撃(MAGI)の次は物理(ATTACK)だ。龍脈で構成された咬合力はどれほどのものかな?」
鼻尖部から尾びれまで頸でできた龍が、大口を空けたまま降下する。
餌にありつく鳶さながら、うつ伏せに倒れた
カイドウに減速なしで突っ込み、”丸呑み”する。
概念結晶体である龍の体内は、生命活動する為の器官は存在しない。従って内臓も消化器官もない。
所持者が捻じれば、その身は如何なる形態にも変わる。
口腔全てに牙を生み出し、顎を複数増産して連続して噛み砕かせる事も。
食事というよりは工事現場の削岩の響音が鳴る。
通常なら粉骨砕身を文字のままに再現。ミキサーにかけられたスムージー状に細かく裁断されるところだが……。
「だからよぉ……それがどうしたってってんだ!!」
閉じられた牙を内側から突き破って、腕が伸びた。
何の技巧も加わってない、力任せの癇癪が龍門をこじ開ける。
「ァアアアアアアアアアアアッ!」
反撃はまだ終わってない。
掴んだ指は離さず逆に深く肉に食い込み、分かちがたく固定する。
唸る筋肉。
奔る覇気。
口から出た
カイドウはそのまま前に躍り出て、背負投げの要領で龍を『投げた』。
……直立した柱が、根本から倒壊するようだった。
縦ではなく、横に。
東京タワーを超す全長……即ち333メートル超の龍体が、1人の男の腕で振り回されようとしている。
その様は、海の底を突き固めた如意金棒を操る孫悟空か。
地表で横薙ぎにされた際の破壊規模はそのまま半径300メートル圏内、建造物は残らず根本から吹き飛ぶ。
人型のハリケーンを具象せんと腕の力瘤がさならる隆起を見せた途端……不意に、かかる重量が無に近く軽くなった。
「龍核/頭頸分離」
主の指令を聞き届け、龍が頭を自切する。
頸だけの奇態をしている龍は、体のどこの部位を切り離しても活動に支障というものがない。
何十分の一に軽量化されて却って力みを持て余してしまった
カイドウは、空振った勢いでバランスを欠いた。
掴まされた残った頭部も動き出す。たたらを踏む
カイドウを再び丸呑みにして包み込んで、全身を硬化させる。
頸は蛹の殻のような檻に変わり、暴れる
カイドウを強制的に籠城させる。
「……! …………!!」
何言かを怒号し、内側から破り裂こうとする。
紙障子を破くが如し、一秒と保たない拘束。
「”おでんの呼吸 玖ノ具材”」
炎が滑り込み、龍骸の神剣の名を冠する名刀が黒く稲光る。
「”蓬莱都牟刈”!!」
龍の神気籠もりし龍殺し。
自由を奪われた籠ごと、唐竹に一刀両断する。
切り離された龍頸は予め設定されていたのか、おでんも巻き込む形で爆発。魔力素子が塵に混じる。
多様な戦術で巧みに隙を生じさせる大和。
その間を見逃さず剛力無双を叩き込むおでん。
入れ替わり立ち替わり
カイドウを攻め立てる構図は、見事なる2人の共同戦線にも思える。
実態は違う。
おでんは大和の都合など考えず斬り込んでるだけだし、大和はおでんを纏めて被弾させるのを前提に手を組んでいる。
それが本当にたまたま、互いの攻撃が当たる理想的なタイミングが続いているだけだ。
刃を交わして見えるもの。
削れぬ信念を表したもの。
攻めの威力。守りの速度。行動のパターン。
動と静の切り替わる空気としか言い表せない感覚を肌で憶え、無意識に動作を調整させる。
こと短期決戦については、綿密に話し合って作戦を練るよりも効率的に『回る』ようになっていた。
「カァァアアアアア!!」
粉塵をかき消す覇気の風。
英霊の領域に立ち入ったマスター同士の連携を浴びせられ、金剛体に線を刻まれ息を切らし。
それでもなお。騎兵の英霊(ライダー)は崩れない。
「ハア……ハア……! ああ、楽しいな。こんなに楽しいのは此処じゃ初めてだぜ。やはり『殺し合って』こその戦いだ!」
死力を尽くす激戦の最中に破顔を保つ。
戦場だけが己の生きられる世界と自認した者にしか出せない、悪鬼羅刹の笑み。
加えて、愉しみを優先していられるのは享楽がためだけではない。
カイドウには理由があった。ここで勝つだけの根拠が、ある。
「だがな……お前らにおれは倒せねぇ。
幾ら俺に傷を与えようが……死ぬ前に全て治る。あの城がある限りな」
空に鎮座する鬼ヶ島は、今も城下町で虐殺の限りを尽くし、住民から魔力を生産している。
配下が接種した魔力は直ちに首魁の
カイドウの元に貢がれ、力を補充させていく。
魔力補給とは、サーヴァントが全力を出し続けられる時間を引き伸ばすもの。
マシンの性能を底上げするのではなく、ガソリンを注入する行為。
定められた能力を限界突破する事はない。
最強の武力と無尽のスタミナを持つ
カイドウが、際限なく暴れ回れるようになるという、ただそれだけ。
「『餌』はまだまだ生きてるんだぜ。お前らが力尽きるのとおれが食い尽くすの……どっちが早いと思う?」
「てめぇ……!」
おでんも大和も人間だ。
成長の可能性を秘めた、界聖杯に選ばれた開拓者。
だが2人は人間だ。種の枠組みを超えた強さを持とうとも、人間のままでいる。
生きているということは、老いるということ。
戦いになれば一合ごとに傷が増え、疲労は積み重なる。疲労は技の精彩を欠かせ肉体を衰えさせる。
生者と死者の両天秤は一定ではない。
長引けば生きている側に自然と重りを足されていく。
ならば
カイドウを討つ手段とは2つ。
今も魔力を献上している供給源、渋谷区の軍勢を断つか。供給も素の耐久も上回る、絶対破壊の一撃を当てるか。
選択肢は共に使用不能。持ち場を離れれば霊地の守りを捨てる。
双方必殺の用意はあるが、後先を捨てて動けるこの怪物に確実に当てる隙を作るにはどうしても天運の時が要る。
腕力では如何ともし難い八方塞がりに歯噛みするおでん。
大和は状況変転の手段を見出そうと思考の回転を魔力で加速させ。
崩す手を考える時間など与えないと
カイドウは金棒に覇気を貯め。
大将同士の決闘はじわじわと溜まり行く絶望感を味わう消耗戦に以降しようとして────。
「は?」
墜落。
その一言だった。
鬼ヶ島、我が物顔で天に胡座をかいて浮遊する
カイドウの王城が、主が不在のまま落城する。
空を紙絵を破くが如く引き裂いた黒い軌跡が鬼ヶ島の側面を通過した。
岩盤は溶けたバターにナイフを通す様に似た形で削ぎ取られ、周囲に纏った”焔雲”を蒸発させ、飛行動力を失った巨石は物理の壁に頭をぶつけ降下。
渋谷区ランドマークの街頭ビジョンを押し潰し、僅かな生き残りの住民を生き埋めにして、狩猟に精を出していた百獣海賊団を押し花にした。
「……」
「……」
「……」
閉口する3人。
前兆も脈絡もない大事故の光景にさしもの豪傑達も揃って動きを止め、業火立ち上る戦場に静寂が満ち。
暫くして。
「何だよぉもおおおおおおおおおおお!! またかよぉおおおおおおおおおおおおおおお!!」
出したばかりの居城に降りかかった参惨事に。
我に返ったばかりの
カイドウは、『泣き上戸』になった酔いで絶叫した。
◆
欣喜雀躍。乱痴気騒ぎ。
町の下の『祭り』の様子をモニターで眺め、皮下はそのように言い表した。
始め渋谷区街に降下する第一陣となった三人の『作業』は簡素だった。
火災。疫災。早害。百獣海賊団最高幹部『大看板』。
総勢2万人を超える隊員と10人以上の幹部を取りまとめる部隊長か、部下では手に負えない強敵相手にしか用いられない戦力にとってみれば、
戦いはおろか海に出た経験すらない民衆の殺戮など、歯応えのない草でも食むような作業でしかない。
逃げ惑う群れを踏み潰し、隠れた家屋を倒壊させ、逃げ場のないよう火を放つ。
命令は遵守しつつ悦楽に浸りはせず、後は第二陣に任せればいいと『狩り場』作りに終始した。
そうしで出来上がった狩り場に一般兵を投入。
わざわざ高い戦力と燃費を費やして幹部級を呼ぶより、霊基の薄い亡霊級の兵士を大量に出した方が効率がいいという判断だ。
大看板の一掃で一定の魔力を吸収した事で元手が生まれ、外出を許された兵種───『ギフターズ』『プレジャーズ』『ウェイターズ』の面々は、
彼らとは違って喜び勇んで『狩り』に没頭した。
お祭り好きの海賊達。
自由を愛する海賊達。
鬼の首領の命令とはいえ、陣地に閉じこもり窮屈な日々を送っていた彼らが、やっと解放されたのだ。
久しぶりに女を斬った感触を思い出して感涙し。
子供を撃った衝撃の懐かしさに酔いしれる。
愉(たの)しみ、楽(たの)しみ、悦(たの)しみ、享(たの)しみ、殺(たの)しむ。
海賊達束の間の自由を謳歌しようと、目についた命を手当たり次第区別なく、ことごとく殺し尽くしていった。
皮下はそんな眼下の地獄絵図を俯瞰しつつ、冷静に思惑する。
『覚醒』に誘導した
NPCを一斉に巻き込んでの、大量の魔力補給作戦は成功。
試験的に予め現界可能になった大看板だけでなく、幹部以下の末端までも鬼ヶ島から連れ出せる成果を手にした。
『割れた子共達(グラス・チルドレン)』も及びもつかない、圧倒的物量。そして質。
意図するところは当然、サーヴァントよりもマスター狙いの尖兵だ。
無論、前線に立つ
カイドウへの補給も抜かりない。
ただでさえ不死身じみたタフネスを誇る
カイドウには、これぞまさしく鬼に金棒。
苦戦が予想される霊地奪還に一端見切りをつけて、自前のプランを先んじて発動させた采配は、果たして上手くいったとみえる。
───ようやく、これで仕舞いか。
重い肩の荷が下りて、ソファの背にもたれかかる。
次から次へと起こる事態の回収に追われてさんざ流されっぱなしだった状況にやっとケリがつく目処が立った。
後は
カイドウが果報を持って帰参するのは待つのみ。他にやる事といえば城に敵が迫ってこないかを監視する程度……と、備えた電信が皮算用に待ったをかけた。
「どうしたークイーン」
通信手は、皮下が居座る研究室の本来の主である大看板の1人。
性格上あまりお近づきはなりたくないタイプなのだが、百獣海賊団唯一の科学者肌という事で何かと接する機会が多くなってしまっていた。
『オイオイオイオイ皮下ァ! あのチェンソー男、何だありゃあ! 『古代種』の能力者かァ!?
急に出てきて、うちの部下ごっそり持っていきやがったァ!』
「あーそいつは連合の犬だ。こっち来たのかよ」
膨れ顔を通信機に押し付けて、焦りを隠さず告げてくる内容に当たる記憶を引き出し、モニターをアップする。
軽く500人は投入した先遣隊がいた筈の渋谷区は、血と臓物のレッドカーペットが十字路に敷かれている。
中心に立つのは、頭と両腕にチェンソーを装備し、腸のマフラーをたなびかせた悪魔。
カイドウと同格のビッグ・マムすら肝を冷やした、敵連合の特攻番犬だ。
「スカイツリーが跡地ごと消し飛んだからまさかと思ったが……クソ、あっちが勝ったのか」
少し前に、墨田区がすり鉢状に削られた場面を見ていた皮下は、当たって欲しくない予想が的中した事に重い息を吐いた。
驚天動地の海賊同盟、その二枚看板。四皇ビッグマムが、超新星(ルーキー)の手によって降ろされたのだと。
「クイーン、提督が終わらせるまで気合い入れて抑えな。ビッグ・マムを殺ったのは多分そいつだ」
『ハァァあのババアが負けただァ!? しかもそいつの相手しろだとか、簡単に言ってんじゃねぇぞ畜生ォォォ~~~~!!』
「まあ落ち着きなって。別にその犬のタイマンってわけじゃねえだろうよ。
死柄木っていう触れたものをグズグズに崩す坊っちゃんに気をつけてれば───」
圧倒できずとも死にはしねえ、と助言しようとして、ふとした気づきに閉口する。
脳裏を掠めた懸念からすぐさま全モニターを操作。渋谷区に留まらず鬼ヶ島付近の周囲の様子をスキャンする。
「死柄木は……どこだ?」
連合のトップを司る白髪の青年の姿が、どこにも見えない。
勝利したとはいえ、ビッグ・マムを相手にしては前線に立ち続けるのが困難な重傷を負ったか。
それならばいい。主将を欠いてのチェンソーの狂犬単騎ならば、恐ろしくはあるが大看板で相手ができる。
だがもしそうでなければ。地区ひとつを更地に帰す、あの崩壊の手をどこで使うかを読めなくさせてくる揺さぶりであるならば……。
頭目から末端まで脳筋揃いの集団では自分が頭脳担当をするしかない。
なんとか死柄木の所在を把握しなくてはと目を凝らす皮下の視線が、外周部を映しているモニターに動いた。
そして、『それ』を見た。
「……? 空が、光っ──────」
◆
───『それ』が起きる数分前。
セイバーとランサー、剣士と天司の戦いは、始まって以降拮抗状態を続けていた。
渋谷区を外れ、地盤が落ちた立入禁止区域。未明の夜に
ベルゼバブが舞い降りていた世田谷区だ。
片翼を焼き落とされ、消えぬ敗北を刻まれた大地で、因果が巡る。
絡み、弾き、組み合う剣槍。
絶え間なく続く剣戟と猿叫を思わせる気合いの雄叫びが、荒野に変わった街で地響きを立てる。
前提としてであるが。まず両者は拮抗を望んではいない。
主であり契約者から賜った指令は勝利の二文字であり、それは相手の首級を取るのみで果たされる。
小手調べも時間稼ぎも一切不要。全力を投じて全壊にせよ。英霊は自らに課した指令を果断する。
神に授けられし刃が素っ首を撥ね飛ばすか、神をも屠る槍が心の臓を引きずり出すか。
双方が必殺を確約した交錯の行方はしかし終着を迎えず、誰も見届けること叶わないでいる。
見切ることを見切り。
先行くものを後より断つ。
戦士としての反応速度が最上級の者同士、読み合いの応酬は一秒の内に三桁を超える。
どう出るかを予測し、それを上回る手を用意して、相手はそれさえも完璧に読み切り対応し、次撃の番に移る。
結果、堂々巡り。
容赦の微塵もなく攻め合う、縁壱と
ベルゼバブの力量が釣り合ってしまったからこその、予期せぬ膠着だった。
体力勝負に持ち込まれれば、先に力尽きるのは縁壱の方になる。
不具を背負い、生前にない消耗戦を強いられている、間違いなく彼にとっての初めての体験。
対するゼルゼバブは、見た目こそ死人と大差ない満身創痍でありながら、まだ余力を残してる。
常勝無敗とは言い難く、死に繋がる一敗塗地を幾度と前にしながらも不屈の精神力で乗り越えてきた、正真の怪物だ。
だがそんな
ベルゼバブですら、縁壱を仕留めきれない。
当たらず、避けられ、斬られ、防がれる。
一撃当てればそれで終わる脆い身。その一撃が目前に迫る相手にはあまりにも、遠い。
片腕を奪ったのは、ビッグ・マムとの乱戦に乗じた奇策に過ぎず。
槍も魔力光も、逸れた余波で肌を焼き裂くばかりで、芯を捉えた試しがない。
ならばこの戦いは火を灯す蝋が溶け切るのを待つ消耗戦にしからないのか。
それを是しとする縁壱であり、
ベルゼバブであるのか。
「……駄目だな」
槍撃による乱気流が、呟きと共に唐突に消える。
首下の鎖骨への一突きを空振ったのを最後に、
ベルゼバブは絶え間なく稼働していた全身の動きを停止させた。
「こんなものでは駄目だ、まるで足りん」
息を整えたかったわけでも、仕切り直しがしたかったわけでもない。
戦術の云々とは関わりのない、気に障った程度の癇癪だけが、刹那の逡巡も許されぬ死闘を中止させた。
「戦いに拮抗も、攻防も要らぬ。余が目指すのは完璧な勝利でなくてはならん。
だというのに、刀一本、侍一人にここまでかかずらう不手際、いつまで享受しているつもりだ? これで"最強"を名乗れるとでも?」
言葉は、正眼で構え様子を窺う縁壱の方に投げかけられてはいなかった。
噴流する怒りは、全て己自身に向けられているものだ。
殺すと定め、真実殺しにかかっているのに、いつまでもそれを為せない己の不甲斐なさを殴打する勢いで焚き付けていた。
傲岸不遜の絶対強者の内省は、熱された鉄に振り下ろされる槌。
不足を認めなければならない恥辱を飲み下し、その上で向上を図るための起爆剤。
「ならば、どうする? 何が足りない。何をすればいい。
どうすれば余はさらなる力を得ることができる?」
思考の海に潜行する。
深く、奥へ、日の光も届かない深淵まで落ちて行く。
体の反射は縁壱に合わせながら、精神だけは瞑想の域に入る離れ業を用いて埋没し……………そして、掴んだ。
「……ああ。そうだろうな。
後はやはり───これしかあるまい」
凶暴剽悍が、笑みを形作る。
納得がいき、理論も通る。であれば躊躇などあるはずもなく。
手に持つ黒槍を逆手に持ち替え────それを自分自身の胸の中に沈ませた。
「ウ──────────」
震撼。
激動。
流出。
「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
瞬間、星が崩れる音と共に、無から風が爆ぜた。
ベルゼバブを爆心地にして、音と光が吹き荒ぶ。
空間が砕ける圧は、自傷がもたらす痛みの凄まじさを物語る。
胸板を破り、組織を割り、肺を融かし、中心にある核(コア)触れ、それでも手を止めることなく更に最奥に押し込む。
なのに不可思議にも槍は背中を貫通しない。既に胸には柄を握る指が到達してるというのに。
異物を喉に通す奇術、穂先が四次元の空洞に消え去ったと思える現象は、正解ではない。
答えは───『呑んでいる』。
懐石料理を平らげるように、エナジードリンクを飲み干すように。
古来原始から生命が所有する栄養摂取の手段、目の前の食物を『捕食』した。
ベルゼバブをして死の淵に追い込まれる屈辱を味合わされた過去。
赤き大地に満ちた『滅び』という、空想上の概念が憑依した槍は、宝具の所持者であっても威力を鈍らせず発揮する。
そうでなければ、触れるものみな腐食させる窮極の矛にして盾にもなれる力を身に纏わず、槍という単独の武器に隔離したりはしない。
滅尽滅相の槍は
ベルゼバブ自身すら蝕む諸刃の性質なのだ。その封を、
ベルゼバブは破った。
槍を砕いて封入されていた滅びの概念を現出。宝具が破壊されて純粋な魔力と霧散するより先に体内に吸収、分解、再構成する。
英霊の伝説の具現、その本質の象徴とされる宝具として霊基に組み込まれてるからこそ通用する原理。
「オ───ォオオオオオアアアアアアアアアアアア!!」
天の理の秩序に唾を吐いた代償が、
ベルゼバブから徴収される。
実行が可能だからといって、無法であることには変わりない。
所有する宝具を元手に人為的に改造を施すには、相応の手順と術法、あるいは例外が求められる。
しかも素体とするのは自身の体。今
ベルゼバブがやっているのは、胃に直接薬を詰め込んで速攻吸収させるという荒行だ。
霊基の損傷。魂の腐壊。生きながら肉を蛆に喰われる氷点下の激痛。
これらの現象は、異物、毒物を含んだ内臓の拒絶反応。
自殺行為当然の結果に対して魔人は、それがどうしたとなおも吠え立てる。
これは自傷でも自爆でもない。
己が望み、伸ばしたのだから手に入るのだという、我意のみを担保としているのを絶対の理だと自惚れて、押し付ける。
徐々に、嵐が勢いを衰えさせていく。
形成された超重獄のエネルギーフィールドが、安定した球状に収束される。
宝具から解放された魔力が、制御されようとしている。
蚕食するばかりだった腐食の霧が従わされ、
ベルゼバブというボディを覆い、潤していく。
まるで世界に空いた黒い孔。蛹が孵る進化の繭。
あるいは……蟲の群れか。
精神力を物理現象に転じる覇気。
取り入れた息を細胞ひとつひとつに伝達して活性化させる呼吸術。
だがこれらだけでは、制御の術にはまだ足りない。説明がつかない。
精神力……気合いと根性が固定された限界を突破する不条理にも、そこには明確な形が───可能性の結実が必要になる。
覇気を覚え、呼吸を学び、破壊の王は無節操に新たな獲得に手を付ける。
大気中に散る粒子との感応、操作。ここより高次元の場所から物質と接続した、現実への結晶化。
死滅の魔力を拡散させず集束させ、肉体を損なわせずに付属させる。
そこにはもう、命も心も関わらない。さる世界における『自己を星とする規定化』の領分だ。
何も不思議ではない。
当然の帰結ですらある。
戦士であると同時に魔導に通ずる研究者である
ベルゼバブが"それ"を見た時点で、この萌芽は生まれていた。
今生において
ベルゼバブが定めた"敵"。落とされながらも目を離さず必ず喰らうと見上げた英雄。
己という魔星を撃ち落とした煌翼こそは、その技術の究極たる到達点の化身なのだから。
ベルゼバブ当人は知るまいが。
その在りようは彼の名を持つ、人類史に広く膾炙した概念だった。
古き人が定めた貌(かたち)。世に蔓延る悪魔の王。
どれだけ詰めても満ちぬ底なしの腹。汲めども尽きぬ欲の体現。
暴食の罪─────────。
”創生せよ、蒼穹に描いた星辰を───我は煌めく凶つ星”
音が、震えた。
『発現』の詠唱。『法則』の現出。
大地に空いた深淵より、ソラを埋めつ綺羅星を灼き焦がしながら、異聞の星が炯々と昇る。
黒い渦より、黒い閃光が内から生じた。
羽化を待ちきれぬ生体が如く、蛹の殻が破られる。
無言で放たれるは必殺を謳う暗黒球ケイオス・レギオン。ただでさえ猛烈な威力はここに新たな臨界点を突破している。
新誕の祝砲代わりの光は東京の空を伸び行き、渋谷区上空の鬼ヶ島を通過。東京を地獄と見紛う風景に変えていた異物は、さらなる深淵によって地に沈む。
光が過ぎ去った後も、通った道は黒ずんでいた。
それは轍の跡。大気に舞う塵、大源の魔力、原子一粒に至るまでが崩壊し、空間自体が消却された証。
「ク────クハハハハハハハハハ!
寝覚めの一撃だというのに、なんだその脆さは! 迎撃は愚か防護装置すら搭載してないのか! パンデモニウム並の牢かと思えば、仰々しいのは見た目だけか!」
嘲り笑う哄笑。
命を秤に置き、賭けた額以上の夥しい対価を得て、払われた霧から現れる
ベルゼバブの全身は、黒衣に覆われていた。
召喚時より身に着けていた基本の衣装に近いが、元来なかった黒曜石の鋭利さと硬質感を湛えさせている。
布の一枚、装飾の一片までを余すことなく構成する腐滅の魔力は、疑うまでもなく
ベルゼバブの宝具、ケイオスマター。
万象を侵食させる性質はそのまま維持され、肉を穢すことなく鎧として被せられている。
赫怒の救世主、ヘリオスに切り落とされた片翼も再生している。
健在のままである従来の鋼翼と比べ、その形状は翼と呼ぶのも憚られる異形だった。
槍や剣、斧に爪に杖、果ては楽器が歪に癒着した、見ようによっては翼に見えないこともない……抽象画や前衛芸術としてならどうにか成立するといった不具合。
アストラルウェポン。いいや、それは分譲されたケイオスマターの結晶そのもの。
鋼翼の復元をする際、取り込んだ因子がアストラルウェポンの生成機能と反応して半ば暴走状態に陥っているのだ。
神殺しの黒に染まった武具が展開時のまま固定され、悍ましいオブジェとなった翼は、これまで轍にしてきた敵の夥しい負の想念……怨嗟と憎悪が憑依しているかのよう。
そしてそんな取り殺す勢いの怨霊を、手足の一部として完璧に従わせている
ベルゼバブを引き立たせる脇役でしかない事実こそが最大の驚異だった。
変容は自己と攻撃のみに留まらず、次なる対象へと波及する。
朝焼けの東京都に差す白光が、なくなった。
それも一部。他ならぬ
ベルゼバブが暴虐を披露し新宿に続く廃墟を化した、世田谷区の円周上の局所的に。
修繕もままならない地盤陥没で崩落した焼け野原の上にのみ、異常に発達した雲の群れが集まる。
雨雲……不穏な黒に淀んだ色と、光を遮断する厚みは雷雲か。
世田谷区という狭い世界から、太陽が闇に呑まれる。
敵も味方もない、環境すらもが魔人の元に屈服を強いられた。
剛体とそこに隣接する大気、空間がどす黒く染め上げられていく。
白紙に落とされ、紙面を黒く歪めて浸透し沈殿していく墨汁のように。
『特異点』に付与された『混沌』は、在るがままに、ただ在るだけで世界の形を食い破っていく。
「────さあ。これまでだ、緋の侍」
之こそが
ベルゼバブの星辰光(ひかり)。
破壊だけを貫き通した結果、万能を司るまで行き着いた極黒の力。
絶滅光なぞ生温い。
滅亡剣程度で済むと思うな。
人も魔も神も、天も地も海も、我が前にひれ伏すべし。万物等しく消え去るべし。
世界は原始に還り、前世代に残るものはただひとつ。"最強"の称号を冠にするに相応しき我のみさえあれば、それこそ世界であるのだから。
「平伏せよ。畏れよ。地に這いつくばる羽虫が如何に足掻き、翔ぼうと、余はその先の天を掴む。
余は滅ぼせぬ。余は斃せぬ。厳然たるその事実を魂に焼き付かせ、
ベルゼバブの名を心臓に刻んで死ぬがよい!」
『 超新星 ─── 混沌招来 ・ 赤き地に響き轟け我が威名』
混沌王、爆現。
太陽に翼を融かされ水底の氷獄に沈んだ魔王が、逆襲の狼煙を上げて浮上する。
導かれし星の名はカオス。
ギリシャ神話の体系における原初神。万物の祖。
全能神ゼウス、大母ガイア、冥神タルタロス、万象を司るこれらの神々も宇宙の法則、有限が定められた内での支配者でしかない。
だがカオスはそれらを超越した先にある、無の象徴。
まだ世界が生まれるよりも前、何もない場に最初に存在した、最も古き神。
軍事帝国アドラーが生み出した改造兵士、星辰体感応奏者(エスペラント)。
五度目の世界大戦で崩壊した世界を覆う未知の粒子、星辰体(アストラル)に適応した超人であり新人類。
旧世界に遺された遺産や知識を投じなければ成功の見込みがないそれをあろうことか、異世界の稀人は独力で発現させた。
極晃星(スフィア)という最高の教材を直に味わった経験を余すことなく活用し、その術理を解析。
分解した宝具───最高濃度の神秘を有する魔力により異能形態を再現。
完全な模倣に至らない未完成の部分は武装色の覇気でコーティングで遺漏を防ぎ。
呼吸法で血管、循環系を損なわすことなく、全身の隅々にまで混沌の素子を行き渡らせる。
かくして
ベルゼバブ流の星辰光(アステリズム)、宝具の新形態は誕生した。
能力は従来のケイオスマターと変化ない。原子崩壊、触れれば不死をも殺す神滅毒。
変わったのは、能力の種別。
単体の対人・対摂理宝具から、人器融合型の自身を対象とした対人宝具へ。
カイドウを例とする、肉体に逸話が宿った宝具への転身。即ち
ベルゼバブの拳、蹴足、武装、魔力、その全てに腐食の力が乗るという悪夢。
総身を滅びに浸した今の
ベルゼバブは、仮想理論であったケイオスマターの化身。
滅び、を意味する概念に外殻を与えれば、
ベルゼバブの姿をしていると、この瞬間に規定されてしまったのだ。
「褒美だ。余をこの高みへと昇らせた栄誉を授けてやろう」
その滅びが、たった一人の侍に目がけて振るわれようとする。
掌大に収まる光体。極小に圧縮された魔力は天球にも等しい質量。
ケイオスマターを吸収した結果、基礎出力もまた上昇している。地に向けて放たれれば、待つ光景は犯罪卿が仕組んだ先の崩落の比較にならない。世田谷という区画が地殻ごと原子に還る。
「感想は要らぬ。拒絶は許さぬ。塵も残さず消え失せた貴様の敗死をもって受領とする」
英霊一騎を屠るには有り余る出力も、過剰ではない。
取るに足らない羽虫と見做す人間一人にここまで梃子摺った不手際。これを払拭するには有無を言わさぬ完全粉砕でなくてはならない。
鼻先を折られた、己こそが最強という自尊心を取り戻す。
過去に煮え湯を飲ませられた敵に、
ベルゼバブは常にそうしてきた。此度も同じように、存分に意趣返しをする時だ。
獄門が開かれる。
暴食に震える顎から、馳走を前にして涎に濡れる牙の列が露わとなる。
小さき獲物を狙い澄ますのも億劫と、立つ土地の層を丸ごと食い千切らんと唸りを上げる。
「────────」
解放する寸前、能力の激増でも鈍ることのない戦闘本能と反射神経が、背後に忍び寄る気配を逃さず感知した。
振り返ることなく、左の鋼翼がギチギチと擦れ合う金属音を鳴らして羽根を広げる。
一度だけ勢いよく振りかぶれば、羽毛の代わりに生えていたケイオスマターの破片が飛散、後方をくまなく『爆撃』した。
小虫を払うような軽い動作で、残骸で埋め尽くされていた街からガラクタが吹き飛ばされる。
廃都になった場所から『都』すら取り払われた、何もなくなったなだらかな地平が剥き出しにされ、そこに立つ足が露わにされる。
「危ない危ない。羽撃き一回で街をさらっていくなんて、オリュンポスの神もかくやといったところかしら。
しかし、お空にぶん投げられて落ちた先で、まさかこんなものに行き遭うなんてね。
どうせ向こうに戻っても刃を立てられぬ身───ならばこれも我が命運……そういうこと?」
凛とした、音が鳴った。
色が失せ、荒涼した大地に、鮮やかなる花が咲いている。
房を散らす風が吹き、根を張る地盤は掘削され、滋養は涸れ果てた。
生は途絶え、死も消える混沌に、美しき花が咲いている。
「それで、私はそういういきさつだけれど、あなたが来たのはどういう因縁?」
「………知れた事……」
花を照らすのは月の光。
帳の落ちた空で、標となる上弦を掲げる。
自ら輝く術を持たぬ星が、鎖された世界で自らを在り示す。
目を凝らせ、眼を開けろ。
地獄の王、現世常世を平らげんとする大食らいの鬼よ。
これはお前を斬るものであり、これがお前を捌くものである。
「邪魔者を斬る……それ以外に理由なぞ……あるものか……」
「あら意外。私もおんなじこと考えてたんだ!」
侍が、来たぞ。
◆
東京タワー地下。上下に展開するステンドグラスの合わせ鏡の中心部に立つ、金髪の女性。
「……というわけで。アビーちゃんの力を使って、鏡から跳んでここまで来たのでした。はい以上!」
「いや……そうはならないだろ……」
【裏世界】の秘密を暴く共犯者。
脈絡のない転移でやって来た鳥子からあらましを説明された空魚は、呆れ顔で改めてツッコミを入れた。
「うーん。でももうなっちゃったし」
ならそれでいいんじゃない? と可愛げに片付けてみせる。
再会の余韻に浸ることなく。
会えたからといって、熱い抱擁を交わす……ということもなく。
というより、『鳥子と会う』を基本指針にして、会ってからどうするか考えるのを忘れていたというのが正しいのだろう。
ただ、久しぶりに見た鳥子はやはり鳥子で、今までの付き合いで見てきたの同じものだから、対応がいつもの緩さになってしまっていた。
「……いやそれよりっその腕……!」
「平気だよこれくらい。ちょっと悪質なストーカーに絡まれただけだし」
「じゃあ駄目じゃんか! なんだストーカーって! 鳥子は美人なんだからそういうの気を付けとけっていつも……」
変わらない鳥子の体の、たったひとつの違い。
怪異と接触して透明になった方とは逆の、形の良い白指のある手が失われているのには顔を青ざめた。
思わず腕を掴んで、徒に傷を刺激してしまうぐらいに。
「っ……」
「あっごめ……」
「ううん、私も心配させちゃってごめん。でも霧子ちゃんにちゃんと手当してもらったし、これ以上悪いところはないからさ。ねっ」
「あ……はい……初めまして……」
名前を出されて、これまで2人の輪から出ていた霧子がひょこりと頭を下げた。
微笑で挨拶する少女を見て「ん? 確か霧子って……」と首を傾げている空魚をよそに、鳥子は甚爾へと近づいて軽く会釈した。
「空魚のサーヴァントさん、ですよね? 改めてどうも。空魚の共犯者の
仁科鳥子です。私のこと、どれぐらいどれくらい聞いてます?」
「おお。捜索の名目で耳タコができるまで惚気聞かされたわ」
「はあ!? 外見と指の特徴だけじゃどうにもならないっていうからそっちが根掘り葉掘り聞いてきたんじゃないの!」
「わあ凄い。空魚、なんて言ってました? 私のプライベート暴露とかしてます?」
「言ってない! そんなの教えるわけないから!」
ムキになって突っかかる空魚を見て、普段通りの変わらなさに表情をくしゃらせる鳥子。心なしか甚爾もからかいに乗ってる気がする。
触手で踏み潰したリンボを拘束するアビゲイルも、そんなやり取りを見ていて心に暖かなものを感じていた。
「よかった……マスターがお友達と会えて……」
紙越空魚。元の世界での鳥子の友達。
鳥子が鏡の狭間で『会いたい』と強く願った人。
友達が巻き込まれてたのは悲しい事でもあるが、今鳥子から感じられるのは安心と希望だ。
空魚という人が隣にいるだけで、これからの未来を信じていられている。
「ああー……じゃあやっぱ私を捜す以外にほとんど交流してないんだ……」
「かと思えば単独で外出て組んだのが峰津院の坊っちゃんときた。この変な方向の思い切りの勢いは素か? 天然か?」
「ちゃんと空魚は周りを見れる子ですよ? この際だしアビーちゃん霧子ちゃんで友達の輪作っちゃおうかな。ね、霧子ちゃん」
「あ……私でよければ……! セイバーさんも……あれ……セイバーさん……?」
「お前らは私をどういう目線で見ているんだよ……」
「マスター、とっても嬉しそう……」
本当に、大好きな相手なのだろう。
危険な状態から脱したわけではない中で、空魚とかけあいをする鳥子の笑顔はとても嬉しそうだ。
自分に向けてくれる鳥子の笑顔は、こちらを安心させてあげる、守りたい、可愛がってあげたい、年の離れた妹に向ける庇護欲に近い。
マスターとサーヴァントとで区分せず、互いを信頼し合う対等の関係を築いている。
空魚ともそうだ。気安いかけ合いは背中を安心して任せられる信頼と愛情に満ちている。
同じ信頼でも伝わった深さには違いが出てくる。培った時間の長さが違うのだから、それは必然の距離感だ。
鳥子の厚意をありがたく思い感謝してはいる。けどやはり人と英霊とには見えない壁がある。
自分はこの時だけ鳥子と付き合える旅人であり、別れの日は必ずやって来る。
だが空魚は同じ世界、同じ人間だ。聖杯戦争を終えた後でも、元の場所で冒険をずっと続けられる。
自分がいなくなっても、ずっとずっと……。
「だめよ、アビー。そんな悪いことを考えたら……だめ」
知らず芽生えた昏い気持ちにひとり自罰的になる。
深淵に続く扉の僅かに開かれた隙間を覗き込み、アビゲイルの意識が外から内に逸れる。
沈みかけた自我を戒める。おそらくは1秒とない隙間。
「……!?」
それで一塊に集まった不可視の触手が、水飛沫を上げて破裂した。
痛みを知覚することはないが、驚愕にアビーの目が見開かれる。
「はは、はははは、はははははははははははははははははは!」
見えぬ肉と血を撒き散らし。
噛み千切った触手をごくりと嚥下し。
虹色の渦に埋もれていた怪奇怪人は笑いながら、宙へ舞い上がる。
「実に! 実に良き感動! 互いの存在に気づきながらも様々な障害に阻まれた者同士が再会を果たす! まさしく感涙!」
復帰を果たしたアルターエゴ・リンボの見目が、違っている。
襤褸にされた法衣を脱ぎ捨て、新たな霊衣を着込んだ姿。
髪を下ろした顔の下は、法師と聞いて想像する図には見ない引き締まった筋肉。服飾も華美さを落とし実戦に向いた動きやすさを重視している。
霊基再臨。第二段階移行。
構成する悪性情報の封を解禁した、
蘆屋道満の本領。
之にて遊戯はお終い。異界の巫女を射程圏内に捉えた邪法師は、いよいよその真髄を披露せんと呪力を練り上げる。
「言祝ぎましょう賛美しましょう、よく噛みしめるといい! その顔、温もり、声を記憶しておくがいい!
もうすぐ、あなた方の愛は終わるのだから!
偶像の導き手を誑かした悪しき者と! 愛しき仲に割って入って引き裂く悪しき者と!
皆様は拙僧を待ち受け、迎え撃つ為の策を用意した。そして見事に追い詰めた。そうお思いですよね?
逆ですよ逆ゥ! 拙僧が! 皆様を! 此処に誘い出した!」
毒を吸って黒ずんだ凶爪を生やす指を、胸の前で交差させる。
上昇の止まらない呪力の振動。指で組む印。
その動作を見た瞬間、甚爾は戦闘意識を速攻に切り替えた。
生誕時から持ち合わせている呪力剥奪の縛りを受けた、天与という恩恵に預かってる括りの内では術師に含まれ、生家も御三家の禪院である甚爾は、これが何を意味するかもちろん知っている。
領域展開。術者の心象とそこから生まれる固有の術式で空間を支配する呪術の最終形態。
自らの生得領域に相手を引きずり込むこの術式は性質上、必殺と必中の二重効果を及ぼす。
形式は違えど、展開の気配から一定の空間内に効果を及ぼす対軍系の能力であるのは触覚(はだ)で感じ取っている。
もし仮に同一の系統であれば甚爾が巻き込まれる事は”無い”が、甚爾以外の全員が漏れなく取り込まれる。
いつにない焦りが甚爾の背を押す。まさかここまでの術師───いや、ここまで地元に似通った術師がいたとは。
殺られる前に、殺る。吐き出した呪具武装を握り締め、詠唱(くち)を開くより速くリンボの首を断つ。
「さあ、出番ですよ修羅殿!」
突如、間欠泉の如く吹き出した血の竈から人型の砲弾が突進した。
総身隈なく記される罪人の刺青。戦いに生き死する定めの修羅。
プロデューサー共々、鏡世界よりリンボに回収されていた
猗窩座が、リンボを狙う甚爾の首刈りを手で止める。
アビゲイルの触手に無抵抗で飲まれていたのは、このための演技。ランサーを手引する時間稼ぎだった。
「ついさっきも、似たような手合いがいたな」
通させまいとする
猗窩座と、押し通ろうとする甚爾。
武闘を演じつつ、甚爾は
猗窩座から既知の気配を嗅ぎ取った。中央区で誘いをかけた組の、冷気を操るサーヴァント。
関係性を疑うが、ここで問い詰める時間はない。一も二もなくこの鬼を退かして後ろのリンボの領域を止める。
秒で始末をつけるべく筋肉と反射の暴力で圧し潰しにかかる甚爾だが、次なる既知を目の当たりにして、今度こそ瞠目する羽目となる。
「──────黒閃万華鏡」
炸裂する稲妻。
疾風迅雷が肩から腕を発射台に、拳が砲弾として射出され甚爾の反射を超え、リンボから大きく引き離した。
黒閃とは現象。技量才能で狙って出せるものではなく、あくまでも偶発的な発生に頼る比重が大きい。
だが一度でも出せれば、感覚を憶えてる間という条件下では連続で発動させる事例も存在する。
リンボの気まぐれな介添えで呪力に目覚め、上弦血戦で初めて黒閃を決めたばかりの
猗窩座の精神は昂り、一時的にせよ再度黒閃を使えるだけ呪力の真髄に迫っていた。
「は……っツケってやつは……死んだ後までついてくるらしいな」
血を吐く甚爾だが、被弾した腹部からの出血は浅い。
回避は不可能でも反射は間に合い、収納呪霊から適当な呪具を吐き出させて体と拳の間に差し込み、即席の盾に使った。
もっとも毒づいた本音は反撃を受けたことよりも、捨てて顧みないと決めた過去が、さっきからひっきりなしに現れる間の悪さについてだ。
甚爾を
猗窩座に止められた。
黒死牟は何故だか、霧子の知らぬ間に不在。
それでもまだ。まだ少女達の命運は潰えてはいなかった。
触手を吹き飛ばされはしたがアビゲイル自身は無傷だ。拙くともリンボを攻撃して術の作動を僅かでも遅らせるぐらいはできる。
ほんの数秒。全滅と回避の境界線を揺れ動くダイスが……盤外から伸びる手に弄ばれる。
「避けなさい、霧子!」
激しく切迫した叫びに霧子が肩を震わせるのと、首筋の体表の1ミリ外側を高速の何かが通過するのは、ほぼ同時だった。
「え……? り────」
後ろの壁に激突して落ちて、炸裂音が追いつく。
霧子だけが聞き覚えのある声に目を右往左往させる中、【裏世界】での経験のある鳥子と空魚は、聞き慣れた発砲の音から即座に正体を見抜いた。
銃弾───サーヴァントや魔術といっただいそれた神秘を用いず、容易に人を殺傷できる手段。
「っこんな、ときに─────!」
「霧子ちゃん、隠れて!」
「ぁ……!」
弾丸が飛んできた方角から射手の位置を大まかに予測して、空魚は暗がりを凝視して、鳥子は衝撃から立ち直ってない霧子の腕を引く。
マスターをより身近に襲った凶器に、アビゲイルも意識を拡散させてしまう。
時間切れが、訪れた。
「的確な援護、素晴らしき哉、マスター! ではこちらも大盤振る舞いにて!
【狂瀾怒濤ォ──────────】」
顕現を始める黒い太陽。
地下に広がる宇宙に、暗黒の綺羅星が降臨する。
之こそリンボの本命。対都市用の広域汚染大呪術。巫女以外を一掃すると同時に、霊脈の魔力を自分色に染め上げる両得の妙手。
道満ほどの陰陽師なれば、殺戮に塗れた魔力でも濾過して異なる用途にするも自在。
そもそもが霊脈を収める目論見が地獄の開花ならば、先に好みの土壌を耕しておけばいいだけの話。
さようなら光の時。
さようなら界聖杯。
宝具解放の魔力はいよいよ満ち、大きく見開かれたリンボの目が……視界に放られた物体に向いた。
鎖付きの時計だった。
ぶつけた衝撃でガラスが割れ、中の針が指す時間が止まったままだ。
鎖には飾らず控えめな彩色の、翠リボンも結わえてある。洗濯もされてないのか、赤黒い斑点が染みついていた。
「───────────?」
無視していい筈のそのガラクタに、何故かリンボは釘付けにされた。
はて、あれは何だったかと、益のない回想に思いを馳せる。
壊れた時計。血濡れのリボン。
それがこうして自分の前に垂らされる事に意味を求めてしまい。
”ああ、あの時の”
石塊ほどしかない可能性をこの手で砕いた感触、確かそんな瑣末な事があったものだと思い出した、その時。
ずん、と鈍い音が後ろで聞こえた。
「………………………………………………………………あ?」
冷たい鉄の感触を、内臓で感じる。
視界を下ろすと、太く、長い棒が見えた。
棒の先端に蠢く肉の塊がひっかかってる。それはきっと心臓だ。
つまりリンボは背後から、何者かの銃撃で、射出された杭が、胴を貫き、心臓を。
「な、ァァあ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!?」
血を流した神官の上で、儀式を中断された黒き太陽が靄と消える。
夜が訪れた地下に潜みしは、光の下で生きられぬ血吸蛭。
地上の攻防戦でも決して姿を表に出すことなく誰の記憶からも忘れ去られ、匍匐前進で施設を目指す途中で何度も流れ弾に吹き飛ばされながらも、致命傷だけは負わずに潜入し、地下の標的を見つけても石のように耐えてタイミングを待ち続けた。
全ては、この時のため。
歴史に名を刻まれない事で英霊の座に拾い上げられた、命を無視された兵隊(ゲシュペンスト・イェーガー)。
誉れなき逆襲撃(ヴェンデッタ)を遂げる一瞬に、引き金(トリガー)を押す。
かくして
メロウリンク=アリティの宝具───『復讐者の死化粧――帰らぬ奴らを胸に刻め――』が、ここに発動の嘶きを上げた。
「お、のれェ───おのれおのれおのれおのれおのれェェエエエエ!
この、ような低級の宝具が、我が霊核を射抜くなぞ─────!」
長身のライフルに接続された杭打機(パイルバンカー)。
宝具の神秘度、換算してEランク。リンボの言う通り最下級に属するこれには、段階的な条件がある。
ひとつ、使い手が対象に復讐心を抱く。
ひとつ、対象者が自らが復讐の対象であると知らしめる。
都合ふたつの条件を満たした時、古錆びた牙は因果を縫い付ける錨に変わる。
「ああその通りだ。俺は、俺達は、所詮運命という歯車に紛れ込んだ砂粒だ」/”じゃ、使いますね”
ここで、初めてメロウが口を開く。
底冷えた、しかし熱を持った銃身の硬さ。それに重なる念話(こえ)。
「俺からお前に言う事はない。お前に求めるものは何もない」/”メロウさん”
ふたつの声が、意志をひとつに。
「ただ、お前が顧みることなく奪ってきた命を思い知れ」/”そのひと、ぶっ飛ばしちゃってください”
言葉を、届く。
「──────────────!!!」
そして呪いは廻った。
矢継ぎ早の再装填。爆散する火薬。落ちる二個目の薬莢。令呪が後押しした宝具の連続使用。
忘却を許さぬ復讐者が、享楽に耽り続けるあまり犠牲者を忘却していた獣の心臓を穿ち抜いた。
落下して倒れ伏すリンボごと、杭を地面に突き立てて銃から分離させる。
外道の餞には似合いの墓標が、地獄にほど近い場所に立てられた。
最終更新:2023年04月30日 21:14