第二次平城事変

第二次平城事変(だいにじへいじょうじへん)は、1845年3月4日に発生した政治クーデター。

概要

1845年3月4日、平城京政権で、警察権力を背景に台頭していた村木勝頼(保安司令部総監)から実権を奪い取り、林文亮に権力を集中させる目的で行われた政治クーデター。

保安司令部の急速な台頭

村木勝頼を総監とする保安司令部は、平城京政権に反対するや地方士族の鎮圧を行うために「警察権力」と呼べないほどの軍事力を拡大させていた。仙台府金沢府久留米府にそれぞれ駐留軍隊を駐留させる。このような背景から、中務寮太田小水中務卿)は、行政権を牛耳る役割から、保安司令部に接近。

経過

1845年3月4日、林文亮衛士府は、保安司令部寄りの姿勢の太田小水内大臣中務卿)を射殺。翌夕には、日光東照宮に逃げ隠れていた村木勝頼保安司令部総監)も投獄された。平城京に置かれていた保安司令部も、衛士府に対抗して一時交戦状態になる。衛士府は、宮中の反体制派であるとして保安司令部を物量によって強襲した。

政治ポスト

空席となった保安司令部の要職、中務卿及び中務寮要職、内大臣には、それぞれ衛士府に近い人物が配置された。林文亮は、内大臣宮内大臣を兼務して絶対的権力を手中に収める。神部幸水宮内大臣民部卿)は、中務卿に専任して担当替え。上島金吾(中将)が、保安司令部総監と民部卿を兼務する。これは、人事的異常事態となる。ポストが開いた中務寮の中務大輔、中務少輔には、近衛府出身の官吏が登用された。
最終更新:2025年09月25日 10:00