近江紡績宝塚

近江紡績宝塚(おうみぼうせきたからづか)は、兵庫県宝塚市に本社を所在する日本の繊維メーカー近江グループ系の瀬戸内紡績の関連子会社である。

概要

1895年に官営企業として西日本初の近代的な工業紡績事業を営む官営宝塚紡績所が開設される。しかし、開業以来の15年間連続赤字を計上。政府に緊縮政策に基づき、1912年に民間への払い下げ対象になると、近畿で財力を持っていた近江機械工業が買収に名乗りをあげる。大阪製作所との買収競争を経て、買受けると、「近江機械工業宝塚紡績工場」に名称を変更。1919年に、近江紡績株式会社が新設されると、「近江紡績宝塚工場」へ再編。1920年代以降、日本の繊維産業の中核拠点としての地位を確立。日本国内の紡績工場として、生産高第2位(1923年から1942年にかけて)を記録する。
1942年8月の宝塚空襲によって工場の大部分が焼失。工員らの居住区画にも火災が広がり、全従業員の20%に及ぶ約100名が死傷した。工場の生産は一時ストップすることになるが、工員らの懸命な復興努力によって1944年には、生産ライン3本を復旧。生産力こそ衰えたが、日本の繊維流通を支える重要な生産拠点となった。1945年8月の終戦では、玉音放送に涙を流すも、翌日から生産規模を縮小しながら生産ラインを動かす。
1947年初頭、戦後復興の一環として政府から発された「企業独立再編命令」に伴い、宝塚工場の一社体制確立を構想する。1948年4月に現在の「近江紡績宝塚」株式会社が発足。発足当初の資本関係としては近江紡績一社による完全子会社体系であった。1962年に近江紡績近江貿易が共同資本で出資した新会社の瀬戸内紡績株式会社に経営株式55%が譲渡されたため、親会社が変革。1980年代より、社内持株会
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最終更新:2025年04月28日 12:04