まず巻き起こったのは暴風だった。
垣根の背中ではためいた翼により大気が掻き乱され、吹き飛んだ周囲の物が視界を塞ぐ。
その隙に、既に垣根はどのビルよりも高い位置まで飛んでいた。
(まずはフィールドの把握だ)
ぱっと見、確かにそこはかつて一方通行と戦った学園都市の一区画と寸分違わない。
その上、
(大気の感じもまんま本物。おそらく建物や車の材質もそうだろな。とてつもなくリアルに近い仮想現実って感じか)
しかし、違うことが一つだけある。
(人を含め、動物の存在は一切なしか。まぁさすがにそこまで再現する理由はねぇしな)
「こうも考えられるぞ?」
「――っ!?」
目前にエイワスがいた。
その背には翼が生えており、おそらくはそれで上昇してきたのだろう。しかし、その翼はひとえに『翼』と言うには特徴的過ぎた。まるでプラチナのような白い光沢を際限なく放つそれは、とてもこの世界の物質とは思えない。輝きすぎるほど輝くその翼を背負うエイワスは、ドラゴンと言うよりは天使のように垣根の目には映った。
「一方通行の真似をして、関係のない赤の他人を守りだしては、君と本気で戦えないと考えた私が敢えて――」
エイワスが語り終わる前に、垣根は翼を空気に叩きつけて更に上昇する。
「ざけんな、例えそうだとして、最初っから仮想現実(ニセモノ)だと分かってるモンに気なんて使わねぇだろ。言っとくが、いちいち一方通行を引き合いに出して俺を挑発するって方法、いい加減マンネリ化してるぞ」
「それは失礼した。まぁ、実際そこまでのスペックがこっちになかっただけの話だしな」
「やっぱりなんか『仕掛け』をしてこの状況を作ってる訳か。俺の脳を『何か』と接続してる、とかか?」
「当たらずとも遠からず。AIM拡散力場操作の応用だ。もっとも、仕組みについて深く知る必要はない。知るべきは、仮想空間であれここでも超能力を使えること。無論……」
「――!」
風を感じた。
同時に、垣根は上方を見る。
そこには、いつの間に移動したのか、こちらへ右腕を差し出したエイワスの姿があった。
「……それ以外の超常の力もな」
グォンッ!! という異音と共に、エイワスの背の翼から光線が発射される。それは右腕を照準器にしたかのように、真っ直ぐ垣根へと降り注ぐ。
耳をつんざくような着弾音が響き、下方のビルを数棟巻き込んだ大爆発が起きる。
「……ふむ、はじめから飛ばし過ぎたか?」
無表情に思案顔を浮かべる、という奇異な表情をしながら首を傾げるエイワス。
その耳元を、ズパンッ! と風圧の刃物が駆け抜けていった。
「……杞憂だったか」
呟くと同時、エイワスは攻撃の来た方向へ右腕を向け直し、連続で光線を射出する。
すると、その一角に巨大な正方形の形をとった純白の壁が現れる。おそらくは『未元物質』製の楯だろう。
しかし。
ガガガガガガ! という連続音が鳴り響く。『未元物質』の楯は一切の抵抗なく光線を受け入れ、即座に穴だらけになってしまっていた。
「面倒だな。テメェの言う超常の力っつーのは、『未元物質』を突破できるのか。確かに、『通常の物理法則』下の力じゃねぇな」
声はエイワスのすぐ後方から聞こえた。
振り返ると、『未元物質』の翼が死鎌のようにエイワスの首を刈る軌道を描いている。
「それで一方通行も苦労していたよ」
腰を捻ってリンボーダンスのように垣根の攻撃をかわしつつ、エイワスは世間話をするような口調で返す。
「あぁ、それともう一つ、アレイスターの取り付けた『細工』にも悩まされていたが……あれは実体に組み込まれたものだからな、今は関係ないだろう」
どんどん攻撃してこい、と付け加え、エイワスは『未元物質』の翼を右腕で握った。
「捕まえた」
直後、エイワスの身体がぐるん、と横方向に一回転した。
「がっ!?」
垣根の身体はその回転に巻き込まれ、
「思っていたより柔らかい感触だな」
翼から手を離したエイワスによって大きく吹き飛ばされた。
垣根はそのまま500m先のビルの壁面へ激突する。
「くっそ……!」
垣根が一瞬ブラックアウトした視界を取り戻した頃には、既にエイワスが右腕を掲げて『発射準備』を行っていた。
翼をはためかせて、瞬間的に右方向へ逃れる垣根。
その後を追って次々に光の矢がビルに突き刺さり、轟音と共にただの瓦礫へと姿を変えていく。
「ったく、『原子崩し』が赤ん坊どころか原始生物に思えるくらいの物量だな、オイ」
垣根はエイワスの視界から逃れるようにビルとビルの間を曲線的に飛行する。エイワスも垣根の軌道を読んでそれを阻むように光の矢を撃ち込むが、垣根は急激な方向転換やフェイントを混ぜてエイワスの攻撃を躱し続ける。
遂に、エイワスを中心とした周囲500m圏内を一周しようというところまで来たが、それでもなお垣根は攻勢に出ない。
「ふむ、逃げてばかりでは面白くないな」
呟いて、エイワスは左腕をふいっと軽く振った。ともすれば、その長い髪をかき上げただけに見えるような、何気ない仕草。
しかしそれに追随して起こったのは、圧倒的な破壊だった。
まずエイワスを中心として、半径1mほどの輝くフラフープのようなものがエイワスの腰の周りに出現した。その光輪は瞬く間に光度を上げ――パキンッ! という蛍光灯が割れるような音を上げたかと思うと一気に巨大化した。
厚みも円周ももともとの500倍程にまで膨れ上がり、その軌道上にあったビルはいかなる素材であろうが一切の抵抗なく綺麗に真っ二つにされていた。
「――!」
危機を感じてから――まき散らされる光を認識してから、コンマの一秒もなく死の光輪は垣根のいた場所に届いていた。
垣根はほとんど勘と反射で翼を動かし、間一髪のところで光の斬撃を躱す。しかし、被害はそれにとどまらない。急速な光輪の質量変化は、周囲の大気をこれでもかとばかりに掻き乱した。
「ぅおあぁ!?」
その風に煽られて、翼のコントロールを失った垣根が上方へと吹き飛ばされる。
「丸裸だな」
無感動に言い、エイワスは両の手を胸の前で向い合わせる。
すると、垣根の上下左右に先程エイワスの周囲に展開したのと似た光輪が出現する。
そして、エイワスがポン、と両の手で一拍拍手をすると、
それぞれの光輪がグォンッ!! という異音を立てて垣根へ向かって光線を放った。
光線は垣根の浮遊する位置でさながら十字架を作るように交わり、垣根を四方から蹂躙した。
『未元物質』の防壁が自動で組み上がったが、それは一瞬すら光線の侵攻を阻めずに消失し、光線は垣根に直撃する。
「――――ッ!!??」
垣根は声にならない悲鳴を上げる。
まるで全身に火傷を負ったかのような感覚――否、そんな程度ではない。『あの光』が火傷などという常識的なダメージを与える攻撃である筈がない。
「ッ、ッ、ァァ、ッ、!、、」
何か得体の知れない痛み――痛みであるのかも定かではない感覚に苛まれながら、垣根は地上へ墜落していく。
「こんな程度――である筈がないだろう。一方通行もこうなってから粘ったのだから。『やられる演出』はこんなもので充分だろう?」
あくまでも平坦な調子を崩さないエイワス。その周囲半径500m圏内は『壊滅』という言葉を題材にしたジオラマか何かのように徹底的に壊れきっている。折角構成した市街地が見る影もない。それ程の圧倒的な力を見せつけられて、垣根帝督は。
「……ッ、あぁ、丁度いい演出だ。……テメェの小物っぷりが良く出てやがる」
市街地に一棟建つビルの屋上に立ち。
ボロボロになった学生服のようなデザインの服を引きずり。
左手をズボンのポケットに軽く入れ。
右腕をエイワスへ向かって突き出し。
そして、いつもの余裕の表情で。
「ここはムカついた――と、言うとこなんだろうが、まぁいい。つーか、いちいちキレて憂さ晴らしをするっつー期間はもう終いだしな。そもそものムカつきの原因だったヒメの問題が全部片付くんだ。むしろこう言わねぇとな――ありがとよ」
「――――?」
その時、エイワスには理解出来ないことが一つだけあった。
あれ程の攻撃を受けて立ち上がっていることも。
ボロボロになった服を引きずっていることも。
左手をズボンのポケットに入れていて格好を付けていることも。
右腕をエイワスへ向かって突き出して挑発していることも。
そして、いつもの余裕の表情でいることも。
人間の強さを知り、それに興味を持つエイワスにとってみればなんてことはない、今まで何度も見てきた――それこそ先程の一方通行との戦いで見た光景と相違ない。
しかし、どうして。
どうして垣根帝督はビルの屋上にいるのか。
『壊滅』という言葉を題材にしたジオラマか何かのように徹底的に壊れきり、構成した市街地は見る影もないはずのそこに、『どうして一棟だけビルが建っているのか』。
その答えが明かされぬままに、垣根の口が言葉を紡ぐ。
「材質は、『未元物質』」
誰に聞かせるでもなく。
「銃をこの手に」
強いて言うならば自分に言い聞かせるように。
「弾丸は魔弾。用途は射出」
それはかつてとある錬金術師が唱えた文言。
「数は一つで十二分」
世界の全てを掌握し、自在に操り、
「人間の動体視力を超える速度にて」
人の領域を超えた行いを可能とする、『意志の具現化』。
「射出を開始せよ」
掲げられた垣根の右手には銃が握られていた。垣根は一切の躊躇なくその引き金を引く。
次の瞬間には、弾丸は既にエイワスの懐へと届いていた。
「……チッ、『人間の動体視力を超える速度』程度は、止めんのは楽勝って感じだな」
弾丸はエイワスの右腕によって握り潰されていた。
しかし、エイワスは顔をしかめる。今まで見せていた無表情が、大きく崩れる。
「これは……『干渉』? いや、違う。この世界に『干渉』したのではない。それならば『干渉』の余波が観測出来る筈。これではまるで、この世界そのものが……」
「御明察だ、エイワス」
言葉と同時に、崩壊した瓦礫が浮き上がり、もともとの姿であるビルへと戻っていく。ビルだけではない、信号機も、駐車されていた車も。すべてが時計を巻き戻したように、エイワスに破壊される前の姿を取り戻していく。市街地が、再構成されていく。
無論、それは決してエイワスの手によるものではない。
「俺の能力は『未元物質』を操ること。その能力が最大限に発揮される環境は? 答えは簡単、『世界そのものが、未元物質だけで構成されている環境』だ」
ならば、それを行っているのはこの場にいるもう一人。
「ようこそ、俺の『帝国(くに)』へ。ここは『異物しかない空間』。例えテメェが超常の存在だろうが――俺の『未元物質』には超常すら通用しねぇ」
――垣根帝督に他ならない。
「馬鹿な……君の能力には、これほどの事象を引き起こせる程のスペックはないはずだ」
エイワスがわずかに動揺を声に乗せて呟く。
「前にもそんなアホ丸出しのセリフをほざいてだ自称科学者がいたな。ちょっとは考えろよ。『この世界の物質と未元物質との変換が可能になった』ってだけの話だろ」
「『変換』……いや、それこそ」
「『瞬間錬成』って知ってるか? とあるスカした錬金術師の偽物が使ってた、触れたものを黄金に『変換』する魔術だ」
「――!」
その言葉に、エイワスは『自分の知らなかったピース』があったことを思い知った。
「そうか、三沢塾で……あそこは『停滞回線』の監視の外にあった。アウレオルス=イザードに、仕込まれたな」
「そういうことだ。その『黄金』を『未元物質』に置き換えればいい。俺は触れたものを『未元物質』に変換できる。そのためにこうして、わざわざあたり一帯に羽根をばら撒いてこの世界全体に『触れた』訳だ。もっとも、テメェには通用しないようだがな。掴まれた時に羽根を撃ち込んだが、まるで反応しねぇ」
『瞬間錬成』それ自体は魔術である。故に垣根にそれを行使することは出来ない。垣根はアウレオルスの残した知識によって『瞬間錬成』を知っているが、当時そこには数々の『error』があり、垣根に全貌を読み取ることは出来なかった。しかし、一方通行との一戦で垣根はこの世界に存在するもう一つの法則を垣間見た。そこで得た新たな知識をもとに、昏睡状態であった今までの時間、延々と術式を逆算し続け――遂に、全ての『error』を取り除くことに成功した。こうして垣根は『瞬間錬成』を解明し、深く研究することで、魔術によって行われる各々のプロセスを全て『未元物質』という超能力によって行うことを可能とし、そして『瞬間錬成』を『黄金』ではなく『未元物質』へ『変換』する術式に組み替えたのだ。
『変換』によってあらゆるものが『未元物質』になった世界。
『未元物質』を自在に操る能力。
その二つが示すものは、即ち。
「――『黄金錬成』、か。私の知らないところで、あの錬金術師と随分仲良くしていたようだな」
「テメェに断っておく必要があったか? というか、仲が良いというのは語弊がある。せいぜい協力関係だ」
「そうか。しかし、垣根帝督。君はことごとく私の予想を裏切っていくな。興味深い、非常に興味深い」
エイワスは言葉の調子を取り戻す。だが、声の調子は平坦には戻らない。それは、エイワスがいまだ緊張状態にあることを示している。
即ち、垣根帝督がエイワスにとってある程度『本気』を出さなければ勝てる相手ではない、ということを。
「話も飽きたろ。そろそろ……」
垣根が右手でトン、と自分の左の肩を叩く。途端に垣根のボロボロの服が再構成されていく。
制服のような意匠と言う点ではそれまでの服と同じであったが、新しいそれはブレザーよりも学ランに似ていた。色は純白で、白ランという表現が適切だろうか。靴は膝下まである白いブーツになり、手には同じくホワイトの指貫グローブを嵌めている。更に服の上には裾の長い同色の外套を羽織っており、背中の翼が生み出す風によって大きくはためいていた。垣根は新しい衣装の出来を確認すると、何気なくエイワスへ視線を移し、言葉を続ける。
「戦闘再開といくか」
垣根の言葉と同時、十の弾丸が人知を超える速度でエイワスへ襲来した。
ガラガラ、と再構成されたビルが再び音を立てて崩れていく。原因は飛来した十の弾丸。
しかし、それらは本来の目的を射抜くことは出来なかった。直前でエイワスが回避したためだ。
「避けたな、流石に十発止めんのは骨か?」
「……『宣言』なしにも『黄金錬成』が行えるのか」
「オイオイ、もともとそういう魔術だろーが、『黄金錬成』は。それに、アウレオルスと世界の繋がりに比べれば、俺と『未元物質世界』との繋がりはよっぽど強いからな。――こういうことも出来るぞ?」
垣根の言葉と同時、エイワスの直下にあったビルが『上に伸びた』。
屋上だった場所にフロアが次々と足されていき、エイワスを下から突き上げようとする。
「――ッ」
エイワスは空中で進行方向を変えてそれを避けようとするが、
「! 厄介な……」
ビルはエイワスの後を追って、蛇のようにしなる。更に、前方から別のビルの屋上が迫ってきていた。このままいけば、前後から挟み撃ちにされる格好だ。
「だが、それは君だけのお家芸ではないぞ」
ドドッ! とコンクリートがぶつかり合う音が二つ聞こえた。それは、伸びる二棟のビルを全く別の二棟のビルがそれぞれ貫いた音。激突によって、垣根の操るビルは進行を止めた。
この空間はもともとエイワスが『設定』したものだ。もともとこの空間を改造する権利はエイワスの方にあると言っていい。
「とは言え、一時しのぎにしかならんか」
垣根帝督の『瞬間錬成』は、触れたものを即座に『未元物質』に変換する。つまり、エイワスの出現させたビルもまた、既に『未元物質』へと変換されてしまっている。
それを表すように、ビルはエイワスのコントロールから離れて勝手に暴れだす。それぞれ屋上をエイワスの方へ向けると、『最上階』を撃ち出してきた。
エイワスが身をかわすと、後を追って次々と『フロア』が弾丸のように飛んでくる。その結果、エイワスは落ち着く間もなく移動を繰り返す羽目になる。
「オイオイ、逃げてばっかじゃ面白くねぇぞ? ……と、へぇ。いいモン見つけちまった。隠秘記録官ってのは、他人の国の物語(つくりばなし)までカバーしてんのか。ご苦労なこった」
アウレオルスの知識の中に何かを見つけたのか、垣根は右手を軽く握って左の脇へ持っていく。それは丁度、居合抜きでもしようかという体勢だった。
「材質は、『未元物質』。――剣をこの手に」
「――!?」
その文言とともに垣根の周囲に顕現した気配に、エイワスは驚きを隠せない。
「刃は七つ。用途は『悪竜(ドラゴン)の殲滅』」
垣根の右手が『何か』を持っている。その『何か』から異常なまでの勢いで力が拡散している。それは、間違いなく――
「魔力が……生まれているだと?」
「聖ジョルジョの『竜の奇跡』をなぞり」
『何か』は形をとった。それは、全長3.5mにもなる大剣であり、霊装。
「悪竜(ドラゴン)の全てを切断せよ――聖剣『アスカロン』!」
垣根がアスカロンを振り抜いた。
同時、エイワスの左腕が吹き飛んだ。
「――ッ」
出血はない。代わりに、輝きすぎるほど輝く光の奔流が切断面から溢れている。
「……剣の間合いからは、300mほど離れている筈だがな」
疑問に対する返事は二撃目の斬撃だった。エイワスは咄嗟に垣根との間にビルを生成し、それを壁とする。
しかし。
今度は、右足が千切れ飛んだ。
「あーぁ、『ドラゴン』っつっても尻尾ねぇしな。そのせいで刃と対応する身体の部位がずれてんのか、なかなか狙い通りに斬れないもんだ」
「……、そうか。『未元物質』は、この世に存在しない性質を持ち得る」
壁として創造したビルには傷一つない。斬撃は、ビルを飛び越えてエイワスのみを――『ドラゴン』のみを切断したのだ。
「偶像の理論を利用したな。オリジナルの性質や力をトレースしやすい材質の『未元物質』でアスカロンを創造する。そうすれば、数%などとケチなことを言わず、100%に近いアスカロンにすることが出来る。単にそうした材質であるというだけだから魔術的行程は必要ないが、結果として強大な魔力を蓄えた霊装になる。全く、『オリジナルが存在しない』というのに、恐ろしい再現率だな」
「はん、勘違いしてやがるようだから教えてやる」
垣根はそう言って、アスカロンの剣身を左の拳で軽くたたきながらさらりと言ってのけた。
「このアスカロンのオリジナル再現率は382%だ」
「なっ……オリジナルを超えるだと!?」
「どこに驚く要素がある? 『オリジナルが存在しない』んだ。だったらそいつを――想定されているオリジナルを超えて再現出来たって不思議じゃない」
「……成程。たかだか学園都市上層部のごく少数の人間にコードとして『ドラゴン』と呼ばれているにすぎないというのに、これほどの影響を受けてしまうのはそのためか。シティ・オブ・ロンドンに適当に突き立てておくだけで、ロンドンからドラゴン伝説を根こそぎ消失させるだろうよ、その剣は」
「そんな大層な力は必要ねぇ。ただテメェを倒せりゃそれでいい」
「…………」
エイワスはその言葉に、無言で残された右腕を上げた。切断された左腕の方も肘までが上を向いている。
そのポーズが示すのは、
「いいだろう。降参だ。君の力は良く見せてもらった。実に想像を二回り程上回る力だ。なかなか面白い余興だった。ご褒美に面白い情報を教えてやろう」
浪々と語るエイワス。しかし、それに対する返答は――
「なぁ、テメェは一体いつまで自分の方が有利だって錯覚してるつもりだ?」
「っ、まさか……」
呆れた様な目で告げる垣根。エイワスは一つの可能性に行き当たり、試しに垣根の脳とのリンクを切断しようとする。
だが。
「切断、出来ない?」
「テメェはAIM拡散力場によって存在を維持している。これはテメェが最初に言ってたことだが――そうすると、今現時点で最も影響を受けているAIM拡散力場の発生源は俺ってことになるよな。そして、これもテメェの言葉だが、俺はそのAIM拡散力場の操作に長けているんだろ?」
「垣根帝督っ……」
「そう簡単に逃がしゃしねぇよ。言ったろ、テメェを利用するってよ!」
垣根が翼を羽ばたかせて大きく飛んだ。目指すは、無論エイワスのもと。
対して、エイワスも垣根を正面から迎え撃つ格好をとる。
「残念だ、余り傷つけ過ぎて君の存在が消えてしまわぬようにと気を付けていたのだが、もうその余裕を保てそうにない! 消えても文句を言うなよ!」
エイワスが最初の頃とは打って変わって叫ぶような口調で言うと、背中の翼が更に大きく広がり、輝きが増した。
「f天skji光shzcnekhorusalacmks殲iamhgjvijsaozubdaok撃oxkoojajcsoja!!」
言葉はほとんど聞き取れない。しかし起こった現象はこれまでのエイワスのどの攻撃よりも『巨大』だった。
まず輝く翼の背後の景色が歪み、そこからプラチナ色の巨大な生物が出現する。丁度別の次元からワープでもしてきたかのように空間を捻じ曲げ、生物はその先端だけを覗かせる。
それは巨大な人の顔のようにも、巨大な鳥の頭部のようにも見える。出現はそこまでで止まり、そして、それだけで十分だった。
人ならば口に、鳥ならば嘴に当たる部分が開き――
ゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッッッッッッ!!!!!
轟音、爆音、衝撃音――いかなる表現を使っても表現しようのない音が仮想世界に鳴り響いた。
それとともに放たれるのは、輝きという概念を極限まで突き詰めた末に行き着くだろう『輝き』を持った一条の光線。
しかし、一条とはいえ、その太さは、巨大さは異常、否、超常だった。なにしろ、エイワスの前方一帯の仮想世界を丸ごとカバーしてしまっていたのだから。
垣根がこれを避けようと思うなら、エイワスの後方へ回り込む以外方法はない。しかし、無論それをエイワスは許しはしないだろう。
ならば垣根の取る策は一つ。
「叩き斬るだけだ!」
垣根が大上段にアスカロンを振りかぶる。
「させぬよ」
エイワスがパチン、と指を弾いた。
すると、垣根の目前にプラチナに輝く刃が出現し。
アスカロンを握る両手首を綺麗に切断した。
「――――――、」
あらぬ方向へ飛んでいくアスカロン。体勢を整えられない垣根の目前には光線が迫っている。それを感知して防御用の『未元物質』の壁が作られるが、『未元物質』がエイワスの攻撃の前に無力であることは実証されている。
垣根帝督が、光に飲み込まれた。
「……あのアスカロンでならば、オシリスとホルスの時代の違いさえも超越して『竜王の殺息(ドラゴン・ブレス)』として私の攻撃を処理しかねなかったが……まぁ、終わった話だな」
呟くように言うエイワスの背後で出現した生物が虚空へ帰っていく。
光が収束した前方の空間。そこには最早『何もなかった』。地面だとか、空だとか、そうした空間の境界そのものが消失していた。『何かがあったこと』のせめてもの名残である、漂う極小の塵を除けばただ『場』と呼ぶ以外にどうしようもない――そんな世界が広がっていた。
「……ちっ、反動が来たか。少し無理をし過ぎたな」
舌打ちをするエイワスの身体は、至るところから崩壊が始まっていた。垣根に付けられた損傷も合わせて、とても戦闘を続行できる状態ではないようだ。
「惜しいな、もしかしたら一方通行よりも君の方に――!?」
唐突に、エイワスの目前に浮遊していた塵が集まり始めた。それはどんどん大きくなり、遂に人間大の塊へと成長する。
塊の口に当たる部分が、言葉を発した。
「『変換』はあらゆる物質を『未元物質』に変える。だってのに、一番身近な自分自身を『変換』しておかない訳はないだろう?」
塊はその本来の姿を取り戻す。即ち、垣根帝督の姿を。
「……そうか、君は既に一度身体を失っている。君の『自分だけの現実』には、身体を失った自分というイメージも存在していておかしくない。破壊された身体の『未元物質』による再生もお手のものか。しかし、垣根帝督。これでは君――不死身だぞ?」
茶化すようなエイワスの言葉には、どこか諦めが混じっている。
「知ってる。だがこいつは切り札だからな。おいそれと見せる訳にはいかなかった。テメェの油断を誘って、最後のカウンターを決めるためにはな」
エイワスにはもう余力は残っていない。それを知ってか、垣根はゆっくりとした動作でアスカロンを再構築していく。
「これで外の世界に出られていたらと思うとぞっとするな。或いは、君こそホルスの時代へ到達できる超能力者だったのかもしれない」
「出るんだよ、テメェの身体を貰ってな」
垣根が、アスカロンを振りかぶる。
「あぁ、そうだったな、そういう話だった。……ならば、やはり告げておこう。褒美の情報だ」
「んなもんもう必要ねぇ……」
「垣根姫垣は、既に解放されている」
ピタリ、とアスカロンを握る手が止まった。
「君が意識不明になり、回復の見込みがなくなったことで人質としての意義が失われ、とある医者の手に渡った」
刃は動かない。
「その医者は『体晶』犠牲者の再覚醒を可能としたとある科学者へと垣根姫垣を委ねた」
垣根はエイワスの話を無言で聞く。
「その科学者の働きにより垣根姫垣は目を覚ました。勿論、先に言った通り『原石』能力は失われているし超能力も持っていない。また、君が意識不明となったことで恒久的に、かつ多少無理な方法での能力利用が可能となった。君の能力をもとにした兵器も開発されている。もっとも、君の力の1%も引き出せてはいないが。しかし、24時間体制で能力実験に協力している形になるからな、君の口座の金額は天井知らずだ。垣根姫垣が大学まで行くとしても、充分な教育費と生活費が稼げるだろうさ」
「………………」
そして、エイワスは一言、端的な言葉で全てを表す。
「垣根姫垣は、既に救われているのだよ。君に救われるまでもなくね」
「…………ん」
明るい。そう感じた直後、影が顔にかかった。どうやら私はベッドに寝ているみたいだ。
「目を覚ましたか! おい、聞こえるか? 垣根姫垣!」
「だ……れ……?」
上手く舌が回らない。何だか、とても久しぶりにしゃべったような気がする。
「あぁ、私は木山春生。学園都市の大脳生理学者だ。君の治療の手助けをさせて貰った」
「治療……?」
そう言えば、ここは私の家ではないようだ。どちらを向いても白が目立つその部屋は、確かに病室のようだった。
「そう、治療だ。『体晶』による昏睡状態のね。君は『原石』のことがあったから他の子とは勝手が違って時間が掛かってしまったが……何とかなったようだ。本当に良かった。今、医者を呼んで来よう」
ばたばたと慌ただしい音がする。ようやく焦点の合ってきた目でそちらを見ると、白衣を着た髪の長い綺麗な女の人が、テーブルに乱雑に置かれた何かの資料をかき集めている。あの人が、木山春生……さん、なのだろう。
「あの……」
「ん、何だい?」
振り返る木山さん。私は、彼女に目が覚めてからずっと気になっていたことを――自分の状態なんかよりもずっと気になってたことを聞いた。
「てーとにぃはどこ?」
「…………」
木山さんは目を伏せて黙り込んでしまった。てーとにぃ、では伝わらなかったのだろうか。いや、伝わらなくて当然だろう。
「あ、あの、てーとにぃっていうのは」
「垣根帝督のことだろう、知っている」
「え……じゃあ」
「いや、その、な……」
また黙ってしまう木山さん。と、
「垣根帝督の居場所でしたら」
部屋の(やはりここは病室だったようだ)扉の方から声がした。
「ご案内いたしましょうか、とミサカは懇切丁寧に申し出ます」
そこにいたのも、知らない人だった。短髪で、頭になんだかごつごつしたゴーグルを嵌めていて……名前は忘れてしまったけど、どこか有名な中学校の制服を着ている。
「申し遅れました、ミサカは『原石』としてのあなたの保護を担当しているミサカ10032号です、とミサカはつつがなく自己紹介を行います。もっとも、あなたに『原石』としての能力は残っていないので『名目上は』ですが、とミサカは補足を行います」
ぺこり、とお辞儀をするミサカさん。なんだか表情が読めない人だ。
「おい君、それは……」
対して、木山さんの方はさっきよりもおろおろしている。
なんだかよく分からない言葉がいろいろ出てきたけれど、兎に角てーとにぃには会えるみたいだ。
「じゃあ、早く……わ、っとと」
ベッドから降りた途端、足元がふらついた。
「大丈夫か?」
それを木山さんが支えてくれた。言葉はぶっきらぼうだけど、手つきが凄く優しい感じがする人だな。
「それで、てーとにぃは……」
下から木山さんを見上げると、やっぱり彼女は困ったような表情をしていた。
「……君は、垣根帝督がどんな状態になっていたとしても……彼に会いたいかい?」
「うん」
私は木山さんの質問に即答する。
当たり前だ。
だっててーとにぃは、私の――ヒメのたった一人のお兄ちゃんなんだから。
「そうか……。分かった」
木山さんは手に持っていた資料を再び机に置いて、私を真っ直ぐ見つめて言った。
「君を垣根帝督のもとへ連れて行こう」
「君の願いは、君とは関係ないところで、君とは関係のない者たちの手によって既に叶えられてしまっている。ここまでの私との会話も戦いも、蛇足でしかない。何度も言っただろう、これはエピローグだと、君の物語は終わってしまっていると……ね」
エイワスは攻撃を止めた垣根へ語りかける。
「ここで私を斬ろうが乗っ取ろうが、君の自由だよ。私にはもうそれに抗う術はない。しかし、それによって君が得られるものはない。君はもう、垣根姫垣のヒーローになることは出来ない」
垣根帝督はエイワスを斬るだろう。
これほどの絶望はない。大事な人のために何も出来なかったという事実は自分の存在の否定に等しいのだから。
それはあのアウレオルスにも当てはまることだ。実際、今の垣根の状況は当時のアウレオルスの状況によく似ている。
自分が消えることで今回のアレイスターの野望も砕かれるだろうが、それで構わないとエイワスは考える。アレイスターのそれと同等かそれ以上の『興味深いもの』を見ることが出来たのだから。また次にアレイスターに呼び出されるのを気長に待つとしよう、と。
「なぁ……」
ずっと黙っていた垣根が口を開いた。
「物語の中で一番幸せな奴ってのは、どんな奴だと思う?」
「?」
「大事な人を守るヒーロー? 違うな。守るってことは、つまりその大事な人に守らなきゃならねぇ危険なことが起きるってことだ。そんな状況、無い方が幸せに決まってる。ヒーローにとっても、守られる方にとってもだ」
「ほう、では君はどのような人物が幸せだと?」
エイワスの勝利は確定している。垣根に敗北することで、彼を無力感で押しつぶすという勝利が。故に、エイワスは垣根の言葉に余裕を持って付き合う。
「それは多分、物語に名前すらクレジットされねぇ無名の一般人だ。人並みに幸せで、人並みに不幸せで。それこそ物語にするまでもねぇ、端から見たらつまらねぇ人生を送ってるような奴さ。だが、そいつからすればその人生はこの上なく最高なものの筈だ」
そして。
「!?」
垣根は、アスカロンを消した。
「ヒーローなんざこっちから願い下げだ。俺が望むのはヒメが人並みに生きていくことだけ。そして、それを叶えるのがどこの誰だろうが関係ない。もしヒメを救ったのが一方通行だったとしても、俺は野郎に一生頭を下げ続けるさ。それで、」
ボロボロになったエイワスと視線を合わせる。
「オマエにもだ、エイワス。ヒメのこと教えてくれてありがとよ。本当に……ありがとよ……」
垣根の瞳は濡れていた。溢れた滴は、やがて頬を伝い遥か下方へと落ちていく。
「どうして……どうしてだ! 君は妹を救い、妹とともに生きたいと思わないのか!?」
「思わない。救うのは誰でもいいのは今言った通りだ。一緒に生きるってのは、まぁ無理だ。俺に能力がある限り、俺はあいつを苦しめる元凶になり得る。そんなもん、人並みな人生じゃねぇだろ? ヒメが幸せに生きるためには、俺の存在は邪魔なんだよ。だから、いつかはヒメのもとから消える気でいた。その点じゃ、やっぱり俺を倒した一方通行にも感謝だな」
言いながら、垣根は右手の袖で涙を拭う。
その顔は、余りにも幸せそうで。
本当に幸せそうで。
「何故だ!」
エイワスは叫んでいた。
「違うだろう! 大事ならば、好きならば、傍にいたいと思う! そう思う筈だ!」
過去に何があったのか分からない。何かそう言いたい、思いたい事情があるのか。
「大事だからこそ、好きだからこそ、巻き込みたくはない。遠くにいて欲しい。そう思ったっていいじゃねぇか」
「アウレオルス=イザードは! かの錬金術師は自らの手で禁書目録を救えなかったことに、他人によって禁書目録を救われてしまったことに逆上して救い主を襲った!」
「あ? 何だそりゃ、俺の聞いてる話と食い違うが……」
「アウレオルスが君に何を吹き込んだか知らないが、彼は失敗したのだよ。自暴自棄になり、恩人を襲い、返り討ちに合い、死んだ。公式にはな」
吐き捨てるように言うエイワス。
垣根はその言葉について少し考えると、一つの可能性を提示する。
「仮にアウレオルスがそういう状況になったとして、その行動は俺と何にも変わらないじゃねぇか。あいつは全世界を敵に回したと言っていた。そんな奴が傍にいたんじゃ、禁書目録は何度も危険な目に合う羽目になる。だったら、自ら禁書目録から離れるために死ぬ。んなもん当然だろう。実際、俺が会ったアウレオルスはそういう奴だったよ」
「そんな、ことが……」
「そんなことがあり得るんだよ。何も世界はオマエの価値観だけで出来てる訳じゃねぇ。オマエの価値観を否定する訳じゃないけどな。さて、もう俺はオマエを倒す気はないし、AIM拡散力場の干渉による閉鎖も解除したが、どうする? アウレオルスのことで聞きたいことも出来たし、どうせなら詳しく……」
「いや」
垣根の言葉を遮り、エイワスは中空を叩いた。すると、そこに先程も映した垣根の肉体の保管部屋の映像が現れた。
「もうすぐここに君の妹が――垣根姫垣が来る。少しの間だけここと外を繋げておく。お別れでもしてやれ」
「あ、おい!」
次の瞬間、エイワスは垣根の脳内空間から脱出し、映像にも映し出されていた部屋の中に出現した。
ダメージは完全に回復しており、切断された腕や足も元に戻っている。
エイワスは右腕に持った携帯電話を耳から離す。
画面にはとても電話番号とは思えない数字とアルファベットの羅列が表示されている上に、何やらケーブルによって部屋の隅にある直方体の装置と繋がっていた。その装置は更に垣根の肉体や脳と繋がっており、どうやらこれを通して垣根の脳内に侵入したようだ。
エイワスが装置に手を触れると、それは携帯電話を残して瞬時に虚空へ消えた。
そして、先程とは違う文字の羅列をプッシュボタンで打ち込むと、携帯電話を脳の容れ物のうちの一つに立てかけた。
エイワスは、人でなくなってさえ大事な人を思う垣根の姿を見上げながら、一人呟く。
「アレイスター、君は……」
ガタン、と部屋の扉が開かれる。
外から差す光が部屋を薄く照らしたが、そこにはもうエイワスの姿はなかった。
「? 今誰か……いや、気のせいか」
木山さんは電子ロックを解除してその部屋の扉を開けると、灯りを点けた。
「この部屋に、てーとにぃがいるの?」
そこはどこかの研究所の一室だった。物凄い厳重な審査の末に辿り着いた、物置のような扉の部屋。
確か、最後にてーとにぃを見た時にはすごくたくさんを怪我をしていた……ような気がする。
そのせいか、何となくどこか他の病室にいるものだと思っていたので、少し驚いた。
「あ、もしかして今実験の途中なのかな」
さっきお医者さんに検査を受けている時に聞いた今日の日付は、私の覚えている日付からかなり時間が経っていた。
てーとにぃはもうとっくに元気になって、実験に協力しているのかもしれない。
だったら少しうれしいな。
今までてーとにぃは、私に一度も実験の様子を見せてくれたことがないから。
「いや、やはりこれは……」
部屋の中を見た木山さんが振り返る。丁度扉を塞ぐような格好で。
「どうしたんですか?」
「君は……わざわざ辛い思いをする必要はない。やはりここで引き返すべきだ」
「辛いかどうかは」
後ろから声がした。ミサカさんのものだ。
基本的に無口なのに、時々唐突に話し始める。今もそうだった。
「辛いかどうかは本人の決めることです、とミサカは恐れながら進言します。そして、会えない辛さもまた辛さである、とミサカはそれっぽいことを言ってみます」
「そうか……そうだな。入りたまえ」
木山さんは扉から離れた。私は、空いた隙間から部屋の中へ入る。
「――え?」
そこにあったものは、何だか良く分からなかった。
ごちゃごちゃとした配線と、巨大な家電製品みたいなものと、液体に浸かった肉体の破片。
なんだか、家庭科室と理科室をごっちゃにしたみたいだな、と思った。
「すまない、垣根姫垣。君の兄は……」
「てーとにぃ、なの?」
木山さんの言葉を聞く前に、口をついて言葉が出た。
何となく、そんな気がしたのだ。
「……あぁ、能力者同士の戦いで、彼は再生不可能な程の傷を負った。その結果が、この部屋だ」
私は、のろのろと部屋の奥へ進む。
そして、透明な容器の一つに携帯電話が立てかけられているのを見つけた。
私は、ふらふらとそれを耳に当てて、言う。
「てーとにぃ」
すると、ザザッ、とノイズが一瞬走った後に、
『あぁ、ヒメ。目を覚ましてくれて良かった。本当に、良かった』
てーとにぃの声が電話の向こうから聞こえた。
「にぃ!」
言いたいことが、聞きたいことがたくさんあった。
何で私は気を失っていたんだろうとか、何となく残っているどこかの研究所での記憶は何だろうとか。
だけど、そんなことよりも何よりも。
「どうして、ヒメを置いていっちゃったの!?」
一気に涙が溢れてきた。溢れて、止まらなかった。
『悪い。でも、俺はヒメの傍にいてやれない。俺はヒメのことを苦しめてしまうから』
「そんなことないっ! にぃのせい、なんか、じゃ……」
何だか、前にも同じような会話をしたような記憶がある。でも、次のてーとにぃの返答は記憶とは違った。
『いや、俺のせいだ。いい加減分かってたんだよ。俺がヒメを不幸にしてしまうって。でも今までずっと甘えてたんだ。ヒメの傍にいたくて。だけど、やっぱりそんなんじゃ駄目だ。だから、ここでお別れしよう。ヒメはいい子だからな、きっと俺がいなくても大丈夫だ』
携帯電話を懸命に握りしめて、私は嗚咽交じりに言葉を続ける。
「それでも、私はっ、……てーとにぃに、……傍に、いて欲しい、のにっ」
『それでも俺は、もうヒメに苦しんで欲しくない』
「いいもん、苦しくたって、辛くたって……てーとにぃがいてくれればっ、……それだけで、幸せなのに……」
『ごめん。これは俺の我が儘だ。ヒメ、お前は生きてくれ』
「にぃ! てーとにぃ!」
『大好きだよ、ヒメ』
そう言うてーとにぃの顔は、きっと笑っている。
本当にこれで良かったって思って、自分のことを世界で一番の幸せ者だって心の底から思って、笑っている。
それがとても悲しくて、だけど私に言える言葉は一つだけしかない。
「ヒメも、にぃのこと大好きだから! てーとにぃのこと、ずっと大好きだから!」
言い終えると同時、最初に走ったノイズがまた聞こえた。
『あぁ……、もう時間……みたい、だ、……、、、、…………、じゃあな。ヒメ』
プツン、という音とともに、通話が切れた。
すると、どういう仕組みか、携帯電話自体が空気に溶けるようにだんだん消えていく。
「てーとにぃ……」
巨大な装置を見上げて嗚咽する。すると、そこから何かがふわりと降ってきた。
純白の、一枚の羽根。
それはどこかで見たことがある。
光を反射して綺麗に舞う羽根……天使みたいな――あぁ、そうか。これはきっと、てーとにぃの羽根だ。
私はその羽根を静かに受け止めて、ずっと泣き続けた。
「あぁ、これだから子供は嫌いだ。すぐに泣く。煩わしいことこの上ない。だから連れてきたくはなかったんだ」
研究室の扉に背中を預けて、木山が呟く。
その視線の先には、泣き崩れる姫垣の姿があった。
「それでは、木山先生も子供なのでしょうか、とミサカは疑問を口にします」
横に控えていたミサカが声をかけてきた。木山はそちらを向かずに聞く。
「どうしてそう思う?」
「今、木山先生も泣いていますから、とミサカは推論の根拠を述べます」
その言葉に、木山は目尻に手をやる。
成程、確かに濡れていた。
「あぁ、そうかもしれん。私もまだまだ――大人にはなりきれないな」
垣根帝督の十番勝負
最終戦 『エイワス』
対戦結果―― 判定勝ち
総合戦績
第一戦 『めいでぃあファーストれっすん』――勝利
第二戦 『アウレオルス=ダミー』 ――勝利
第三戦 『アウレオルス=イザード』 ――敗北
第四戦 『馬場芳郎』 ――勝利
第五戦 『姫神秋沙』 ――勝利
第六戦 『禁書目録』 ――敗北
第七戦 『木原数多』 ――引分
第八戦 『木原幻生』 ――勝利
第九戦 『一方通行』 ――敗北
最終戦 『エイワス』 ――勝利
十戦六勝三敗一分
垣根帝督の十番勝負勝者――垣根帝督
垣根帝督の十番勝負、全試合終了
垣根の背中ではためいた翼により大気が掻き乱され、吹き飛んだ周囲の物が視界を塞ぐ。
その隙に、既に垣根はどのビルよりも高い位置まで飛んでいた。
(まずはフィールドの把握だ)
ぱっと見、確かにそこはかつて一方通行と戦った学園都市の一区画と寸分違わない。
その上、
(大気の感じもまんま本物。おそらく建物や車の材質もそうだろな。とてつもなくリアルに近い仮想現実って感じか)
しかし、違うことが一つだけある。
(人を含め、動物の存在は一切なしか。まぁさすがにそこまで再現する理由はねぇしな)
「こうも考えられるぞ?」
「――っ!?」
目前にエイワスがいた。
その背には翼が生えており、おそらくはそれで上昇してきたのだろう。しかし、その翼はひとえに『翼』と言うには特徴的過ぎた。まるでプラチナのような白い光沢を際限なく放つそれは、とてもこの世界の物質とは思えない。輝きすぎるほど輝くその翼を背負うエイワスは、ドラゴンと言うよりは天使のように垣根の目には映った。
「一方通行の真似をして、関係のない赤の他人を守りだしては、君と本気で戦えないと考えた私が敢えて――」
エイワスが語り終わる前に、垣根は翼を空気に叩きつけて更に上昇する。
「ざけんな、例えそうだとして、最初っから仮想現実(ニセモノ)だと分かってるモンに気なんて使わねぇだろ。言っとくが、いちいち一方通行を引き合いに出して俺を挑発するって方法、いい加減マンネリ化してるぞ」
「それは失礼した。まぁ、実際そこまでのスペックがこっちになかっただけの話だしな」
「やっぱりなんか『仕掛け』をしてこの状況を作ってる訳か。俺の脳を『何か』と接続してる、とかか?」
「当たらずとも遠からず。AIM拡散力場操作の応用だ。もっとも、仕組みについて深く知る必要はない。知るべきは、仮想空間であれここでも超能力を使えること。無論……」
「――!」
風を感じた。
同時に、垣根は上方を見る。
そこには、いつの間に移動したのか、こちらへ右腕を差し出したエイワスの姿があった。
「……それ以外の超常の力もな」
グォンッ!! という異音と共に、エイワスの背の翼から光線が発射される。それは右腕を照準器にしたかのように、真っ直ぐ垣根へと降り注ぐ。
耳をつんざくような着弾音が響き、下方のビルを数棟巻き込んだ大爆発が起きる。
「……ふむ、はじめから飛ばし過ぎたか?」
無表情に思案顔を浮かべる、という奇異な表情をしながら首を傾げるエイワス。
その耳元を、ズパンッ! と風圧の刃物が駆け抜けていった。
「……杞憂だったか」
呟くと同時、エイワスは攻撃の来た方向へ右腕を向け直し、連続で光線を射出する。
すると、その一角に巨大な正方形の形をとった純白の壁が現れる。おそらくは『未元物質』製の楯だろう。
しかし。
ガガガガガガ! という連続音が鳴り響く。『未元物質』の楯は一切の抵抗なく光線を受け入れ、即座に穴だらけになってしまっていた。
「面倒だな。テメェの言う超常の力っつーのは、『未元物質』を突破できるのか。確かに、『通常の物理法則』下の力じゃねぇな」
声はエイワスのすぐ後方から聞こえた。
振り返ると、『未元物質』の翼が死鎌のようにエイワスの首を刈る軌道を描いている。
「それで一方通行も苦労していたよ」
腰を捻ってリンボーダンスのように垣根の攻撃をかわしつつ、エイワスは世間話をするような口調で返す。
「あぁ、それともう一つ、アレイスターの取り付けた『細工』にも悩まされていたが……あれは実体に組み込まれたものだからな、今は関係ないだろう」
どんどん攻撃してこい、と付け加え、エイワスは『未元物質』の翼を右腕で握った。
「捕まえた」
直後、エイワスの身体がぐるん、と横方向に一回転した。
「がっ!?」
垣根の身体はその回転に巻き込まれ、
「思っていたより柔らかい感触だな」
翼から手を離したエイワスによって大きく吹き飛ばされた。
垣根はそのまま500m先のビルの壁面へ激突する。
「くっそ……!」
垣根が一瞬ブラックアウトした視界を取り戻した頃には、既にエイワスが右腕を掲げて『発射準備』を行っていた。
翼をはためかせて、瞬間的に右方向へ逃れる垣根。
その後を追って次々に光の矢がビルに突き刺さり、轟音と共にただの瓦礫へと姿を変えていく。
「ったく、『原子崩し』が赤ん坊どころか原始生物に思えるくらいの物量だな、オイ」
垣根はエイワスの視界から逃れるようにビルとビルの間を曲線的に飛行する。エイワスも垣根の軌道を読んでそれを阻むように光の矢を撃ち込むが、垣根は急激な方向転換やフェイントを混ぜてエイワスの攻撃を躱し続ける。
遂に、エイワスを中心とした周囲500m圏内を一周しようというところまで来たが、それでもなお垣根は攻勢に出ない。
「ふむ、逃げてばかりでは面白くないな」
呟いて、エイワスは左腕をふいっと軽く振った。ともすれば、その長い髪をかき上げただけに見えるような、何気ない仕草。
しかしそれに追随して起こったのは、圧倒的な破壊だった。
まずエイワスを中心として、半径1mほどの輝くフラフープのようなものがエイワスの腰の周りに出現した。その光輪は瞬く間に光度を上げ――パキンッ! という蛍光灯が割れるような音を上げたかと思うと一気に巨大化した。
厚みも円周ももともとの500倍程にまで膨れ上がり、その軌道上にあったビルはいかなる素材であろうが一切の抵抗なく綺麗に真っ二つにされていた。
「――!」
危機を感じてから――まき散らされる光を認識してから、コンマの一秒もなく死の光輪は垣根のいた場所に届いていた。
垣根はほとんど勘と反射で翼を動かし、間一髪のところで光の斬撃を躱す。しかし、被害はそれにとどまらない。急速な光輪の質量変化は、周囲の大気をこれでもかとばかりに掻き乱した。
「ぅおあぁ!?」
その風に煽られて、翼のコントロールを失った垣根が上方へと吹き飛ばされる。
「丸裸だな」
無感動に言い、エイワスは両の手を胸の前で向い合わせる。
すると、垣根の上下左右に先程エイワスの周囲に展開したのと似た光輪が出現する。
そして、エイワスがポン、と両の手で一拍拍手をすると、
それぞれの光輪がグォンッ!! という異音を立てて垣根へ向かって光線を放った。
光線は垣根の浮遊する位置でさながら十字架を作るように交わり、垣根を四方から蹂躙した。
『未元物質』の防壁が自動で組み上がったが、それは一瞬すら光線の侵攻を阻めずに消失し、光線は垣根に直撃する。
「――――ッ!!??」
垣根は声にならない悲鳴を上げる。
まるで全身に火傷を負ったかのような感覚――否、そんな程度ではない。『あの光』が火傷などという常識的なダメージを与える攻撃である筈がない。
「ッ、ッ、ァァ、ッ、!、、」
何か得体の知れない痛み――痛みであるのかも定かではない感覚に苛まれながら、垣根は地上へ墜落していく。
「こんな程度――である筈がないだろう。一方通行もこうなってから粘ったのだから。『やられる演出』はこんなもので充分だろう?」
あくまでも平坦な調子を崩さないエイワス。その周囲半径500m圏内は『壊滅』という言葉を題材にしたジオラマか何かのように徹底的に壊れきっている。折角構成した市街地が見る影もない。それ程の圧倒的な力を見せつけられて、垣根帝督は。
「……ッ、あぁ、丁度いい演出だ。……テメェの小物っぷりが良く出てやがる」
市街地に一棟建つビルの屋上に立ち。
ボロボロになった学生服のようなデザインの服を引きずり。
左手をズボンのポケットに軽く入れ。
右腕をエイワスへ向かって突き出し。
そして、いつもの余裕の表情で。
「ここはムカついた――と、言うとこなんだろうが、まぁいい。つーか、いちいちキレて憂さ晴らしをするっつー期間はもう終いだしな。そもそものムカつきの原因だったヒメの問題が全部片付くんだ。むしろこう言わねぇとな――ありがとよ」
「――――?」
その時、エイワスには理解出来ないことが一つだけあった。
あれ程の攻撃を受けて立ち上がっていることも。
ボロボロになった服を引きずっていることも。
左手をズボンのポケットに入れていて格好を付けていることも。
右腕をエイワスへ向かって突き出して挑発していることも。
そして、いつもの余裕の表情でいることも。
人間の強さを知り、それに興味を持つエイワスにとってみればなんてことはない、今まで何度も見てきた――それこそ先程の一方通行との戦いで見た光景と相違ない。
しかし、どうして。
どうして垣根帝督はビルの屋上にいるのか。
『壊滅』という言葉を題材にしたジオラマか何かのように徹底的に壊れきり、構成した市街地は見る影もないはずのそこに、『どうして一棟だけビルが建っているのか』。
その答えが明かされぬままに、垣根の口が言葉を紡ぐ。
「材質は、『未元物質』」
誰に聞かせるでもなく。
「銃をこの手に」
強いて言うならば自分に言い聞かせるように。
「弾丸は魔弾。用途は射出」
それはかつてとある錬金術師が唱えた文言。
「数は一つで十二分」
世界の全てを掌握し、自在に操り、
「人間の動体視力を超える速度にて」
人の領域を超えた行いを可能とする、『意志の具現化』。
「射出を開始せよ」
掲げられた垣根の右手には銃が握られていた。垣根は一切の躊躇なくその引き金を引く。
次の瞬間には、弾丸は既にエイワスの懐へと届いていた。
「……チッ、『人間の動体視力を超える速度』程度は、止めんのは楽勝って感じだな」
弾丸はエイワスの右腕によって握り潰されていた。
しかし、エイワスは顔をしかめる。今まで見せていた無表情が、大きく崩れる。
「これは……『干渉』? いや、違う。この世界に『干渉』したのではない。それならば『干渉』の余波が観測出来る筈。これではまるで、この世界そのものが……」
「御明察だ、エイワス」
言葉と同時に、崩壊した瓦礫が浮き上がり、もともとの姿であるビルへと戻っていく。ビルだけではない、信号機も、駐車されていた車も。すべてが時計を巻き戻したように、エイワスに破壊される前の姿を取り戻していく。市街地が、再構成されていく。
無論、それは決してエイワスの手によるものではない。
「俺の能力は『未元物質』を操ること。その能力が最大限に発揮される環境は? 答えは簡単、『世界そのものが、未元物質だけで構成されている環境』だ」
ならば、それを行っているのはこの場にいるもう一人。
「ようこそ、俺の『帝国(くに)』へ。ここは『異物しかない空間』。例えテメェが超常の存在だろうが――俺の『未元物質』には超常すら通用しねぇ」
――垣根帝督に他ならない。
「馬鹿な……君の能力には、これほどの事象を引き起こせる程のスペックはないはずだ」
エイワスがわずかに動揺を声に乗せて呟く。
「前にもそんなアホ丸出しのセリフをほざいてだ自称科学者がいたな。ちょっとは考えろよ。『この世界の物質と未元物質との変換が可能になった』ってだけの話だろ」
「『変換』……いや、それこそ」
「『瞬間錬成』って知ってるか? とあるスカした錬金術師の偽物が使ってた、触れたものを黄金に『変換』する魔術だ」
「――!」
その言葉に、エイワスは『自分の知らなかったピース』があったことを思い知った。
「そうか、三沢塾で……あそこは『停滞回線』の監視の外にあった。アウレオルス=イザードに、仕込まれたな」
「そういうことだ。その『黄金』を『未元物質』に置き換えればいい。俺は触れたものを『未元物質』に変換できる。そのためにこうして、わざわざあたり一帯に羽根をばら撒いてこの世界全体に『触れた』訳だ。もっとも、テメェには通用しないようだがな。掴まれた時に羽根を撃ち込んだが、まるで反応しねぇ」
『瞬間錬成』それ自体は魔術である。故に垣根にそれを行使することは出来ない。垣根はアウレオルスの残した知識によって『瞬間錬成』を知っているが、当時そこには数々の『error』があり、垣根に全貌を読み取ることは出来なかった。しかし、一方通行との一戦で垣根はこの世界に存在するもう一つの法則を垣間見た。そこで得た新たな知識をもとに、昏睡状態であった今までの時間、延々と術式を逆算し続け――遂に、全ての『error』を取り除くことに成功した。こうして垣根は『瞬間錬成』を解明し、深く研究することで、魔術によって行われる各々のプロセスを全て『未元物質』という超能力によって行うことを可能とし、そして『瞬間錬成』を『黄金』ではなく『未元物質』へ『変換』する術式に組み替えたのだ。
『変換』によってあらゆるものが『未元物質』になった世界。
『未元物質』を自在に操る能力。
その二つが示すものは、即ち。
「――『黄金錬成』、か。私の知らないところで、あの錬金術師と随分仲良くしていたようだな」
「テメェに断っておく必要があったか? というか、仲が良いというのは語弊がある。せいぜい協力関係だ」
「そうか。しかし、垣根帝督。君はことごとく私の予想を裏切っていくな。興味深い、非常に興味深い」
エイワスは言葉の調子を取り戻す。だが、声の調子は平坦には戻らない。それは、エイワスがいまだ緊張状態にあることを示している。
即ち、垣根帝督がエイワスにとってある程度『本気』を出さなければ勝てる相手ではない、ということを。
「話も飽きたろ。そろそろ……」
垣根が右手でトン、と自分の左の肩を叩く。途端に垣根のボロボロの服が再構成されていく。
制服のような意匠と言う点ではそれまでの服と同じであったが、新しいそれはブレザーよりも学ランに似ていた。色は純白で、白ランという表現が適切だろうか。靴は膝下まである白いブーツになり、手には同じくホワイトの指貫グローブを嵌めている。更に服の上には裾の長い同色の外套を羽織っており、背中の翼が生み出す風によって大きくはためいていた。垣根は新しい衣装の出来を確認すると、何気なくエイワスへ視線を移し、言葉を続ける。
「戦闘再開といくか」
垣根の言葉と同時、十の弾丸が人知を超える速度でエイワスへ襲来した。
ガラガラ、と再構成されたビルが再び音を立てて崩れていく。原因は飛来した十の弾丸。
しかし、それらは本来の目的を射抜くことは出来なかった。直前でエイワスが回避したためだ。
「避けたな、流石に十発止めんのは骨か?」
「……『宣言』なしにも『黄金錬成』が行えるのか」
「オイオイ、もともとそういう魔術だろーが、『黄金錬成』は。それに、アウレオルスと世界の繋がりに比べれば、俺と『未元物質世界』との繋がりはよっぽど強いからな。――こういうことも出来るぞ?」
垣根の言葉と同時、エイワスの直下にあったビルが『上に伸びた』。
屋上だった場所にフロアが次々と足されていき、エイワスを下から突き上げようとする。
「――ッ」
エイワスは空中で進行方向を変えてそれを避けようとするが、
「! 厄介な……」
ビルはエイワスの後を追って、蛇のようにしなる。更に、前方から別のビルの屋上が迫ってきていた。このままいけば、前後から挟み撃ちにされる格好だ。
「だが、それは君だけのお家芸ではないぞ」
ドドッ! とコンクリートがぶつかり合う音が二つ聞こえた。それは、伸びる二棟のビルを全く別の二棟のビルがそれぞれ貫いた音。激突によって、垣根の操るビルは進行を止めた。
この空間はもともとエイワスが『設定』したものだ。もともとこの空間を改造する権利はエイワスの方にあると言っていい。
「とは言え、一時しのぎにしかならんか」
垣根帝督の『瞬間錬成』は、触れたものを即座に『未元物質』に変換する。つまり、エイワスの出現させたビルもまた、既に『未元物質』へと変換されてしまっている。
それを表すように、ビルはエイワスのコントロールから離れて勝手に暴れだす。それぞれ屋上をエイワスの方へ向けると、『最上階』を撃ち出してきた。
エイワスが身をかわすと、後を追って次々と『フロア』が弾丸のように飛んでくる。その結果、エイワスは落ち着く間もなく移動を繰り返す羽目になる。
「オイオイ、逃げてばっかじゃ面白くねぇぞ? ……と、へぇ。いいモン見つけちまった。隠秘記録官ってのは、他人の国の物語(つくりばなし)までカバーしてんのか。ご苦労なこった」
アウレオルスの知識の中に何かを見つけたのか、垣根は右手を軽く握って左の脇へ持っていく。それは丁度、居合抜きでもしようかという体勢だった。
「材質は、『未元物質』。――剣をこの手に」
「――!?」
その文言とともに垣根の周囲に顕現した気配に、エイワスは驚きを隠せない。
「刃は七つ。用途は『悪竜(ドラゴン)の殲滅』」
垣根の右手が『何か』を持っている。その『何か』から異常なまでの勢いで力が拡散している。それは、間違いなく――
「魔力が……生まれているだと?」
「聖ジョルジョの『竜の奇跡』をなぞり」
『何か』は形をとった。それは、全長3.5mにもなる大剣であり、霊装。
「悪竜(ドラゴン)の全てを切断せよ――聖剣『アスカロン』!」
垣根がアスカロンを振り抜いた。
同時、エイワスの左腕が吹き飛んだ。
「――ッ」
出血はない。代わりに、輝きすぎるほど輝く光の奔流が切断面から溢れている。
「……剣の間合いからは、300mほど離れている筈だがな」
疑問に対する返事は二撃目の斬撃だった。エイワスは咄嗟に垣根との間にビルを生成し、それを壁とする。
しかし。
今度は、右足が千切れ飛んだ。
「あーぁ、『ドラゴン』っつっても尻尾ねぇしな。そのせいで刃と対応する身体の部位がずれてんのか、なかなか狙い通りに斬れないもんだ」
「……、そうか。『未元物質』は、この世に存在しない性質を持ち得る」
壁として創造したビルには傷一つない。斬撃は、ビルを飛び越えてエイワスのみを――『ドラゴン』のみを切断したのだ。
「偶像の理論を利用したな。オリジナルの性質や力をトレースしやすい材質の『未元物質』でアスカロンを創造する。そうすれば、数%などとケチなことを言わず、100%に近いアスカロンにすることが出来る。単にそうした材質であるというだけだから魔術的行程は必要ないが、結果として強大な魔力を蓄えた霊装になる。全く、『オリジナルが存在しない』というのに、恐ろしい再現率だな」
「はん、勘違いしてやがるようだから教えてやる」
垣根はそう言って、アスカロンの剣身を左の拳で軽くたたきながらさらりと言ってのけた。
「このアスカロンのオリジナル再現率は382%だ」
「なっ……オリジナルを超えるだと!?」
「どこに驚く要素がある? 『オリジナルが存在しない』んだ。だったらそいつを――想定されているオリジナルを超えて再現出来たって不思議じゃない」
「……成程。たかだか学園都市上層部のごく少数の人間にコードとして『ドラゴン』と呼ばれているにすぎないというのに、これほどの影響を受けてしまうのはそのためか。シティ・オブ・ロンドンに適当に突き立てておくだけで、ロンドンからドラゴン伝説を根こそぎ消失させるだろうよ、その剣は」
「そんな大層な力は必要ねぇ。ただテメェを倒せりゃそれでいい」
「…………」
エイワスはその言葉に、無言で残された右腕を上げた。切断された左腕の方も肘までが上を向いている。
そのポーズが示すのは、
「いいだろう。降参だ。君の力は良く見せてもらった。実に想像を二回り程上回る力だ。なかなか面白い余興だった。ご褒美に面白い情報を教えてやろう」
浪々と語るエイワス。しかし、それに対する返答は――
「なぁ、テメェは一体いつまで自分の方が有利だって錯覚してるつもりだ?」
「っ、まさか……」
呆れた様な目で告げる垣根。エイワスは一つの可能性に行き当たり、試しに垣根の脳とのリンクを切断しようとする。
だが。
「切断、出来ない?」
「テメェはAIM拡散力場によって存在を維持している。これはテメェが最初に言ってたことだが――そうすると、今現時点で最も影響を受けているAIM拡散力場の発生源は俺ってことになるよな。そして、これもテメェの言葉だが、俺はそのAIM拡散力場の操作に長けているんだろ?」
「垣根帝督っ……」
「そう簡単に逃がしゃしねぇよ。言ったろ、テメェを利用するってよ!」
垣根が翼を羽ばたかせて大きく飛んだ。目指すは、無論エイワスのもと。
対して、エイワスも垣根を正面から迎え撃つ格好をとる。
「残念だ、余り傷つけ過ぎて君の存在が消えてしまわぬようにと気を付けていたのだが、もうその余裕を保てそうにない! 消えても文句を言うなよ!」
エイワスが最初の頃とは打って変わって叫ぶような口調で言うと、背中の翼が更に大きく広がり、輝きが増した。
「f天skji光shzcnekhorusalacmks殲iamhgjvijsaozubdaok撃oxkoojajcsoja!!」
言葉はほとんど聞き取れない。しかし起こった現象はこれまでのエイワスのどの攻撃よりも『巨大』だった。
まず輝く翼の背後の景色が歪み、そこからプラチナ色の巨大な生物が出現する。丁度別の次元からワープでもしてきたかのように空間を捻じ曲げ、生物はその先端だけを覗かせる。
それは巨大な人の顔のようにも、巨大な鳥の頭部のようにも見える。出現はそこまでで止まり、そして、それだけで十分だった。
人ならば口に、鳥ならば嘴に当たる部分が開き――
ゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッッッッッッ!!!!!
轟音、爆音、衝撃音――いかなる表現を使っても表現しようのない音が仮想世界に鳴り響いた。
それとともに放たれるのは、輝きという概念を極限まで突き詰めた末に行き着くだろう『輝き』を持った一条の光線。
しかし、一条とはいえ、その太さは、巨大さは異常、否、超常だった。なにしろ、エイワスの前方一帯の仮想世界を丸ごとカバーしてしまっていたのだから。
垣根がこれを避けようと思うなら、エイワスの後方へ回り込む以外方法はない。しかし、無論それをエイワスは許しはしないだろう。
ならば垣根の取る策は一つ。
「叩き斬るだけだ!」
垣根が大上段にアスカロンを振りかぶる。
「させぬよ」
エイワスがパチン、と指を弾いた。
すると、垣根の目前にプラチナに輝く刃が出現し。
アスカロンを握る両手首を綺麗に切断した。
「――――――、」
あらぬ方向へ飛んでいくアスカロン。体勢を整えられない垣根の目前には光線が迫っている。それを感知して防御用の『未元物質』の壁が作られるが、『未元物質』がエイワスの攻撃の前に無力であることは実証されている。
垣根帝督が、光に飲み込まれた。
「……あのアスカロンでならば、オシリスとホルスの時代の違いさえも超越して『竜王の殺息(ドラゴン・ブレス)』として私の攻撃を処理しかねなかったが……まぁ、終わった話だな」
呟くように言うエイワスの背後で出現した生物が虚空へ帰っていく。
光が収束した前方の空間。そこには最早『何もなかった』。地面だとか、空だとか、そうした空間の境界そのものが消失していた。『何かがあったこと』のせめてもの名残である、漂う極小の塵を除けばただ『場』と呼ぶ以外にどうしようもない――そんな世界が広がっていた。
「……ちっ、反動が来たか。少し無理をし過ぎたな」
舌打ちをするエイワスの身体は、至るところから崩壊が始まっていた。垣根に付けられた損傷も合わせて、とても戦闘を続行できる状態ではないようだ。
「惜しいな、もしかしたら一方通行よりも君の方に――!?」
唐突に、エイワスの目前に浮遊していた塵が集まり始めた。それはどんどん大きくなり、遂に人間大の塊へと成長する。
塊の口に当たる部分が、言葉を発した。
「『変換』はあらゆる物質を『未元物質』に変える。だってのに、一番身近な自分自身を『変換』しておかない訳はないだろう?」
塊はその本来の姿を取り戻す。即ち、垣根帝督の姿を。
「……そうか、君は既に一度身体を失っている。君の『自分だけの現実』には、身体を失った自分というイメージも存在していておかしくない。破壊された身体の『未元物質』による再生もお手のものか。しかし、垣根帝督。これでは君――不死身だぞ?」
茶化すようなエイワスの言葉には、どこか諦めが混じっている。
「知ってる。だがこいつは切り札だからな。おいそれと見せる訳にはいかなかった。テメェの油断を誘って、最後のカウンターを決めるためにはな」
エイワスにはもう余力は残っていない。それを知ってか、垣根はゆっくりとした動作でアスカロンを再構築していく。
「これで外の世界に出られていたらと思うとぞっとするな。或いは、君こそホルスの時代へ到達できる超能力者だったのかもしれない」
「出るんだよ、テメェの身体を貰ってな」
垣根が、アスカロンを振りかぶる。
「あぁ、そうだったな、そういう話だった。……ならば、やはり告げておこう。褒美の情報だ」
「んなもんもう必要ねぇ……」
「垣根姫垣は、既に解放されている」
ピタリ、とアスカロンを握る手が止まった。
「君が意識不明になり、回復の見込みがなくなったことで人質としての意義が失われ、とある医者の手に渡った」
刃は動かない。
「その医者は『体晶』犠牲者の再覚醒を可能としたとある科学者へと垣根姫垣を委ねた」
垣根はエイワスの話を無言で聞く。
「その科学者の働きにより垣根姫垣は目を覚ました。勿論、先に言った通り『原石』能力は失われているし超能力も持っていない。また、君が意識不明となったことで恒久的に、かつ多少無理な方法での能力利用が可能となった。君の能力をもとにした兵器も開発されている。もっとも、君の力の1%も引き出せてはいないが。しかし、24時間体制で能力実験に協力している形になるからな、君の口座の金額は天井知らずだ。垣根姫垣が大学まで行くとしても、充分な教育費と生活費が稼げるだろうさ」
「………………」
そして、エイワスは一言、端的な言葉で全てを表す。
「垣根姫垣は、既に救われているのだよ。君に救われるまでもなくね」
「…………ん」
明るい。そう感じた直後、影が顔にかかった。どうやら私はベッドに寝ているみたいだ。
「目を覚ましたか! おい、聞こえるか? 垣根姫垣!」
「だ……れ……?」
上手く舌が回らない。何だか、とても久しぶりにしゃべったような気がする。
「あぁ、私は木山春生。学園都市の大脳生理学者だ。君の治療の手助けをさせて貰った」
「治療……?」
そう言えば、ここは私の家ではないようだ。どちらを向いても白が目立つその部屋は、確かに病室のようだった。
「そう、治療だ。『体晶』による昏睡状態のね。君は『原石』のことがあったから他の子とは勝手が違って時間が掛かってしまったが……何とかなったようだ。本当に良かった。今、医者を呼んで来よう」
ばたばたと慌ただしい音がする。ようやく焦点の合ってきた目でそちらを見ると、白衣を着た髪の長い綺麗な女の人が、テーブルに乱雑に置かれた何かの資料をかき集めている。あの人が、木山春生……さん、なのだろう。
「あの……」
「ん、何だい?」
振り返る木山さん。私は、彼女に目が覚めてからずっと気になっていたことを――自分の状態なんかよりもずっと気になってたことを聞いた。
「てーとにぃはどこ?」
「…………」
木山さんは目を伏せて黙り込んでしまった。てーとにぃ、では伝わらなかったのだろうか。いや、伝わらなくて当然だろう。
「あ、あの、てーとにぃっていうのは」
「垣根帝督のことだろう、知っている」
「え……じゃあ」
「いや、その、な……」
また黙ってしまう木山さん。と、
「垣根帝督の居場所でしたら」
部屋の(やはりここは病室だったようだ)扉の方から声がした。
「ご案内いたしましょうか、とミサカは懇切丁寧に申し出ます」
そこにいたのも、知らない人だった。短髪で、頭になんだかごつごつしたゴーグルを嵌めていて……名前は忘れてしまったけど、どこか有名な中学校の制服を着ている。
「申し遅れました、ミサカは『原石』としてのあなたの保護を担当しているミサカ10032号です、とミサカはつつがなく自己紹介を行います。もっとも、あなたに『原石』としての能力は残っていないので『名目上は』ですが、とミサカは補足を行います」
ぺこり、とお辞儀をするミサカさん。なんだか表情が読めない人だ。
「おい君、それは……」
対して、木山さんの方はさっきよりもおろおろしている。
なんだかよく分からない言葉がいろいろ出てきたけれど、兎に角てーとにぃには会えるみたいだ。
「じゃあ、早く……わ、っとと」
ベッドから降りた途端、足元がふらついた。
「大丈夫か?」
それを木山さんが支えてくれた。言葉はぶっきらぼうだけど、手つきが凄く優しい感じがする人だな。
「それで、てーとにぃは……」
下から木山さんを見上げると、やっぱり彼女は困ったような表情をしていた。
「……君は、垣根帝督がどんな状態になっていたとしても……彼に会いたいかい?」
「うん」
私は木山さんの質問に即答する。
当たり前だ。
だっててーとにぃは、私の――ヒメのたった一人のお兄ちゃんなんだから。
「そうか……。分かった」
木山さんは手に持っていた資料を再び机に置いて、私を真っ直ぐ見つめて言った。
「君を垣根帝督のもとへ連れて行こう」
「君の願いは、君とは関係ないところで、君とは関係のない者たちの手によって既に叶えられてしまっている。ここまでの私との会話も戦いも、蛇足でしかない。何度も言っただろう、これはエピローグだと、君の物語は終わってしまっていると……ね」
エイワスは攻撃を止めた垣根へ語りかける。
「ここで私を斬ろうが乗っ取ろうが、君の自由だよ。私にはもうそれに抗う術はない。しかし、それによって君が得られるものはない。君はもう、垣根姫垣のヒーローになることは出来ない」
垣根帝督はエイワスを斬るだろう。
これほどの絶望はない。大事な人のために何も出来なかったという事実は自分の存在の否定に等しいのだから。
それはあのアウレオルスにも当てはまることだ。実際、今の垣根の状況は当時のアウレオルスの状況によく似ている。
自分が消えることで今回のアレイスターの野望も砕かれるだろうが、それで構わないとエイワスは考える。アレイスターのそれと同等かそれ以上の『興味深いもの』を見ることが出来たのだから。また次にアレイスターに呼び出されるのを気長に待つとしよう、と。
「なぁ……」
ずっと黙っていた垣根が口を開いた。
「物語の中で一番幸せな奴ってのは、どんな奴だと思う?」
「?」
「大事な人を守るヒーロー? 違うな。守るってことは、つまりその大事な人に守らなきゃならねぇ危険なことが起きるってことだ。そんな状況、無い方が幸せに決まってる。ヒーローにとっても、守られる方にとってもだ」
「ほう、では君はどのような人物が幸せだと?」
エイワスの勝利は確定している。垣根に敗北することで、彼を無力感で押しつぶすという勝利が。故に、エイワスは垣根の言葉に余裕を持って付き合う。
「それは多分、物語に名前すらクレジットされねぇ無名の一般人だ。人並みに幸せで、人並みに不幸せで。それこそ物語にするまでもねぇ、端から見たらつまらねぇ人生を送ってるような奴さ。だが、そいつからすればその人生はこの上なく最高なものの筈だ」
そして。
「!?」
垣根は、アスカロンを消した。
「ヒーローなんざこっちから願い下げだ。俺が望むのはヒメが人並みに生きていくことだけ。そして、それを叶えるのがどこの誰だろうが関係ない。もしヒメを救ったのが一方通行だったとしても、俺は野郎に一生頭を下げ続けるさ。それで、」
ボロボロになったエイワスと視線を合わせる。
「オマエにもだ、エイワス。ヒメのこと教えてくれてありがとよ。本当に……ありがとよ……」
垣根の瞳は濡れていた。溢れた滴は、やがて頬を伝い遥か下方へと落ちていく。
「どうして……どうしてだ! 君は妹を救い、妹とともに生きたいと思わないのか!?」
「思わない。救うのは誰でもいいのは今言った通りだ。一緒に生きるってのは、まぁ無理だ。俺に能力がある限り、俺はあいつを苦しめる元凶になり得る。そんなもん、人並みな人生じゃねぇだろ? ヒメが幸せに生きるためには、俺の存在は邪魔なんだよ。だから、いつかはヒメのもとから消える気でいた。その点じゃ、やっぱり俺を倒した一方通行にも感謝だな」
言いながら、垣根は右手の袖で涙を拭う。
その顔は、余りにも幸せそうで。
本当に幸せそうで。
「何故だ!」
エイワスは叫んでいた。
「違うだろう! 大事ならば、好きならば、傍にいたいと思う! そう思う筈だ!」
過去に何があったのか分からない。何かそう言いたい、思いたい事情があるのか。
「大事だからこそ、好きだからこそ、巻き込みたくはない。遠くにいて欲しい。そう思ったっていいじゃねぇか」
「アウレオルス=イザードは! かの錬金術師は自らの手で禁書目録を救えなかったことに、他人によって禁書目録を救われてしまったことに逆上して救い主を襲った!」
「あ? 何だそりゃ、俺の聞いてる話と食い違うが……」
「アウレオルスが君に何を吹き込んだか知らないが、彼は失敗したのだよ。自暴自棄になり、恩人を襲い、返り討ちに合い、死んだ。公式にはな」
吐き捨てるように言うエイワス。
垣根はその言葉について少し考えると、一つの可能性を提示する。
「仮にアウレオルスがそういう状況になったとして、その行動は俺と何にも変わらないじゃねぇか。あいつは全世界を敵に回したと言っていた。そんな奴が傍にいたんじゃ、禁書目録は何度も危険な目に合う羽目になる。だったら、自ら禁書目録から離れるために死ぬ。んなもん当然だろう。実際、俺が会ったアウレオルスはそういう奴だったよ」
「そんな、ことが……」
「そんなことがあり得るんだよ。何も世界はオマエの価値観だけで出来てる訳じゃねぇ。オマエの価値観を否定する訳じゃないけどな。さて、もう俺はオマエを倒す気はないし、AIM拡散力場の干渉による閉鎖も解除したが、どうする? アウレオルスのことで聞きたいことも出来たし、どうせなら詳しく……」
「いや」
垣根の言葉を遮り、エイワスは中空を叩いた。すると、そこに先程も映した垣根の肉体の保管部屋の映像が現れた。
「もうすぐここに君の妹が――垣根姫垣が来る。少しの間だけここと外を繋げておく。お別れでもしてやれ」
「あ、おい!」
次の瞬間、エイワスは垣根の脳内空間から脱出し、映像にも映し出されていた部屋の中に出現した。
ダメージは完全に回復しており、切断された腕や足も元に戻っている。
エイワスは右腕に持った携帯電話を耳から離す。
画面にはとても電話番号とは思えない数字とアルファベットの羅列が表示されている上に、何やらケーブルによって部屋の隅にある直方体の装置と繋がっていた。その装置は更に垣根の肉体や脳と繋がっており、どうやらこれを通して垣根の脳内に侵入したようだ。
エイワスが装置に手を触れると、それは携帯電話を残して瞬時に虚空へ消えた。
そして、先程とは違う文字の羅列をプッシュボタンで打ち込むと、携帯電話を脳の容れ物のうちの一つに立てかけた。
エイワスは、人でなくなってさえ大事な人を思う垣根の姿を見上げながら、一人呟く。
「アレイスター、君は……」
ガタン、と部屋の扉が開かれる。
外から差す光が部屋を薄く照らしたが、そこにはもうエイワスの姿はなかった。
「? 今誰か……いや、気のせいか」
木山さんは電子ロックを解除してその部屋の扉を開けると、灯りを点けた。
「この部屋に、てーとにぃがいるの?」
そこはどこかの研究所の一室だった。物凄い厳重な審査の末に辿り着いた、物置のような扉の部屋。
確か、最後にてーとにぃを見た時にはすごくたくさんを怪我をしていた……ような気がする。
そのせいか、何となくどこか他の病室にいるものだと思っていたので、少し驚いた。
「あ、もしかして今実験の途中なのかな」
さっきお医者さんに検査を受けている時に聞いた今日の日付は、私の覚えている日付からかなり時間が経っていた。
てーとにぃはもうとっくに元気になって、実験に協力しているのかもしれない。
だったら少しうれしいな。
今までてーとにぃは、私に一度も実験の様子を見せてくれたことがないから。
「いや、やはりこれは……」
部屋の中を見た木山さんが振り返る。丁度扉を塞ぐような格好で。
「どうしたんですか?」
「君は……わざわざ辛い思いをする必要はない。やはりここで引き返すべきだ」
「辛いかどうかは」
後ろから声がした。ミサカさんのものだ。
基本的に無口なのに、時々唐突に話し始める。今もそうだった。
「辛いかどうかは本人の決めることです、とミサカは恐れながら進言します。そして、会えない辛さもまた辛さである、とミサカはそれっぽいことを言ってみます」
「そうか……そうだな。入りたまえ」
木山さんは扉から離れた。私は、空いた隙間から部屋の中へ入る。
「――え?」
そこにあったものは、何だか良く分からなかった。
ごちゃごちゃとした配線と、巨大な家電製品みたいなものと、液体に浸かった肉体の破片。
なんだか、家庭科室と理科室をごっちゃにしたみたいだな、と思った。
「すまない、垣根姫垣。君の兄は……」
「てーとにぃ、なの?」
木山さんの言葉を聞く前に、口をついて言葉が出た。
何となく、そんな気がしたのだ。
「……あぁ、能力者同士の戦いで、彼は再生不可能な程の傷を負った。その結果が、この部屋だ」
私は、のろのろと部屋の奥へ進む。
そして、透明な容器の一つに携帯電話が立てかけられているのを見つけた。
私は、ふらふらとそれを耳に当てて、言う。
「てーとにぃ」
すると、ザザッ、とノイズが一瞬走った後に、
『あぁ、ヒメ。目を覚ましてくれて良かった。本当に、良かった』
てーとにぃの声が電話の向こうから聞こえた。
「にぃ!」
言いたいことが、聞きたいことがたくさんあった。
何で私は気を失っていたんだろうとか、何となく残っているどこかの研究所での記憶は何だろうとか。
だけど、そんなことよりも何よりも。
「どうして、ヒメを置いていっちゃったの!?」
一気に涙が溢れてきた。溢れて、止まらなかった。
『悪い。でも、俺はヒメの傍にいてやれない。俺はヒメのことを苦しめてしまうから』
「そんなことないっ! にぃのせい、なんか、じゃ……」
何だか、前にも同じような会話をしたような記憶がある。でも、次のてーとにぃの返答は記憶とは違った。
『いや、俺のせいだ。いい加減分かってたんだよ。俺がヒメを不幸にしてしまうって。でも今までずっと甘えてたんだ。ヒメの傍にいたくて。だけど、やっぱりそんなんじゃ駄目だ。だから、ここでお別れしよう。ヒメはいい子だからな、きっと俺がいなくても大丈夫だ』
携帯電話を懸命に握りしめて、私は嗚咽交じりに言葉を続ける。
「それでも、私はっ、……てーとにぃに、……傍に、いて欲しい、のにっ」
『それでも俺は、もうヒメに苦しんで欲しくない』
「いいもん、苦しくたって、辛くたって……てーとにぃがいてくれればっ、……それだけで、幸せなのに……」
『ごめん。これは俺の我が儘だ。ヒメ、お前は生きてくれ』
「にぃ! てーとにぃ!」
『大好きだよ、ヒメ』
そう言うてーとにぃの顔は、きっと笑っている。
本当にこれで良かったって思って、自分のことを世界で一番の幸せ者だって心の底から思って、笑っている。
それがとても悲しくて、だけど私に言える言葉は一つだけしかない。
「ヒメも、にぃのこと大好きだから! てーとにぃのこと、ずっと大好きだから!」
言い終えると同時、最初に走ったノイズがまた聞こえた。
『あぁ……、もう時間……みたい、だ、……、、、、…………、じゃあな。ヒメ』
プツン、という音とともに、通話が切れた。
すると、どういう仕組みか、携帯電話自体が空気に溶けるようにだんだん消えていく。
「てーとにぃ……」
巨大な装置を見上げて嗚咽する。すると、そこから何かがふわりと降ってきた。
純白の、一枚の羽根。
それはどこかで見たことがある。
光を反射して綺麗に舞う羽根……天使みたいな――あぁ、そうか。これはきっと、てーとにぃの羽根だ。
私はその羽根を静かに受け止めて、ずっと泣き続けた。
「あぁ、これだから子供は嫌いだ。すぐに泣く。煩わしいことこの上ない。だから連れてきたくはなかったんだ」
研究室の扉に背中を預けて、木山が呟く。
その視線の先には、泣き崩れる姫垣の姿があった。
「それでは、木山先生も子供なのでしょうか、とミサカは疑問を口にします」
横に控えていたミサカが声をかけてきた。木山はそちらを向かずに聞く。
「どうしてそう思う?」
「今、木山先生も泣いていますから、とミサカは推論の根拠を述べます」
その言葉に、木山は目尻に手をやる。
成程、確かに濡れていた。
「あぁ、そうかもしれん。私もまだまだ――大人にはなりきれないな」
垣根帝督の十番勝負
最終戦 『エイワス』
対戦結果―― 判定勝ち
総合戦績
第一戦 『めいでぃあファーストれっすん』――勝利
第二戦 『アウレオルス=ダミー』 ――勝利
第三戦 『アウレオルス=イザード』 ――敗北
第四戦 『馬場芳郎』 ――勝利
第五戦 『姫神秋沙』 ――勝利
第六戦 『禁書目録』 ――敗北
第七戦 『木原数多』 ――引分
第八戦 『木原幻生』 ――勝利
第九戦 『一方通行』 ――敗北
最終戦 『エイワス』 ――勝利
十戦六勝三敗一分
垣根帝督の十番勝負勝者――垣根帝督
垣根帝督の十番勝負、全試合終了