とある魔術の禁書目録 Index SSまとめ

SS 9-672

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ryuichi

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(……どうする?)
 上条当麻は状況を整理する。
 自分の構える先には今まで以上にその光を増す篠原圭。
 後ろには倒れたままの土御門や支えあうようにしているリアとインデックス、あとはカードを手にしているステイルだ。
 状況は変わらない、いやむしろ土御門が完全に戦闘不能状態に陥っているあたり悪くなっていると言える。
 そう考えている途中で後ろから黒服の神父が自分と並んで前に出てきた。
「上条当麻、先に言っておくが決めるなら一撃だ。下手な刺激はヤツを暴発させる危険がある」
「暴発? どういうことだ?」
「察しろ。あの力は言わば暴走状態、いつ爆発してもおかしくないってコトだ」
 つってもどこまでが下手な刺激になるんだ? と上条に疑問が生じる。それに答えたのはステイルではない。
「あの十字架には触れちゃダメ」
 白い修道服のシスターが黒いスーツの少女の肩を支えながら続ける。
「あれはかなり重要な要素を持っているはず。じゃないとあんな風に暴走状態の力を受けながら、それでも壊れずに何かを模らせるなんてコト考えられないからね。例えば力の受け皿になってるとか……ともかく、とうまは右手であれに触れちゃダメなんだよ」
「ていうことは、出来るのはやっぱ正面突破しかないってことか」
(くそ、ますます状況は悪いってことかよ!)
 おぼろげに回り込もうかなどと考えていたツンツン頭の少年はさっそく次の行動に行き詰る。
 それでも現状での唯一の救いは相手がリアを殺すことはないということぐらいだろうか。
 彼女を盾になんていう考えは上条には毛頭ないが、それでもこの場の非戦闘員を危険に巻き込むことはない。
「インデックス、もう一つだけ。篠原を止めたとして、それでアイツは助かるか?」
 その言葉に、明らかにリアがビクッと反応する。それを手に感じながらシスターは言いづらそうに口を開いた。
「……わからない。体は助かっても過剰に刻まれた魔法陣が内部にどんな影響を与えるのか想像もできないんだよ。よくて精神崩壊、もしかしたらそこから身体的なダメージに繋がって下手すれば肉体消滅の可能性も……」
 それは絶望的な言葉。
 止めなければ篠原はおろかこの一帯が消滅する。
 止めたとしても『篠原圭』が帰ってくる確率は紙の様に薄いものだ。
 白いシスターの言葉に黒いスーツの少女はもはや思考も停止する。だが、上条はそうか、と笑った。
「体が助かるのなら上等だ。俺はアイツを止める、その後でアイツを呼び戻すのはリア、お前の役目だ」
 振り返らずに言い放つ。と、そこで上条は気付いた。

 さっきまで篠原の近くにあった光の手がそこから消えていることを。

 反射的に周囲を見渡しすぐにその探し物を見つける。それはこちらに向かって目を見開いているステイルの後ろから勢いよく突っ込んできていた。
「ちぃっ!!」
 そう舌打ちしたのは一瞬で炎の剣を生み出したステイルだ。そして上条とステイルは交差しながら、互いに目の前に迫ってくる光の手に向かってそれぞれの武器を叩きつけた。
 瞬間、そこを中心に轟音が響く。
 二人はまるで両手で叩き潰すような形で向かってくる光の手に圧され、ステイルに至ってはその一瞬でいつ出したのかもわからない『魔女狩りの王』が助けに入っているにも関わらず、お互いにぶつけるように背中合わせとなる。
「なんか、さっきよりも強くなってないかっ!?」
「君がヤツに余計なちょっかいを出したからだと思うけどね! で、どうするつもりなんだ!」
 光がバヂバヂッと漏電したかのような音を強める。実際、光の主要な部分からは溢れるように飛び出した小さな光が周囲のコンクリートに突き刺さってはそこをえぐっていた。
「策なんかねぇよ、正面突破しかな!」
 しばらくその場で言葉が止まる。そのうち、光を受ける音にまじってハアッというため息が聞こえた。
「あんな啖呵を切ったからには何かあると思っていたがまさか無策とはね。もういいよ、それでいいからさっさと行って終わらせてこいっ!!」
 その言葉と同時、ステイルは今の状態で出せる力全てを使って思い切り上条をその場から外へ蹴りだした。


「ぐはっ」
 何すんだテメエ! と上条は言葉が出そうになる。だがそれは目の前の光景によって中断する、恐ろしい勢いで光の手が合掌するその光景で。
「ステイルッ!?」
「何を馬鹿みたいに叫んでいるんだ」
 思わず叫んだ名前に対する返答は予想外に上から聞こえてくる。
 ステイルは上条を蹴りだした後、すぐに足元に炎を出現させその推進力で上空へと飛び上がっていた。
 浮き上がったままステイルは続ける。
「あの手は僕が引き受けてやる」
「けどっ……」
「行け、上条当麻!!」
 着地したステイルが叫び、やがて上条は意を決したかのように篠原に向かって走り始める。
 ステイル一人であの『手』を相手にするのは負荷が大きすぎる。
 かといってこのままじゃキリがない。
 ならば、
「わかったよ、さっさと終わらせてやる!」
 だが、その走りは篠原の眼前に光が現れたことで中断した。



(さて、どうするかな……)
 ステイルは間髪入れずに襲い掛かってきた手に炎の剣を再びぶつける。だがそれは攻撃の手段ではなく、わざと爆発させたその勢いで相手から逃れる移動の手段としてだ。
 ゴォッという音と共にステイルの体が後ろに飛ぶ。さっきまでいた場所の近くでは『魔女狩りの王』がもう片方の『手』と対峙していた。
(僕単体じゃあれに有効な攻撃はできない、『魔女狩りの王』もそう長くは持たないだろう。幸いそこまでの速さはないか回避し続けることはできるが、それで上条当麻に目標変更されたらそれこそ本末転倒だ)
 手から十メートル程の距離ができ、多少余裕ができたステイルがチラッと篠原の方を見る。
 だが、それより先に目に入ってきたのはちょっと前と同じ格好でレーザーを受ける上条だった。
「なっ……」
 イラつきが許容量を振り切る。
「にをやってるんだ上条当麻!!」
 だがその叫びは一杯一杯の様子の上条には届かない。
 見ると、『手』から漏れれいたものより量も大きさも十倍はありそうな光の弾幕が、『幻想殺し』を起点に本来の軌道から逸れてまるで機関銃のように屋上の床を穴だらけにしていた。
(ちっ、出力が上がっているのはあれも同じということか)
 内心で毒づいていると、『手』がこちらへと迫ってきていた。
 上条の方に気をとられていたためにその距離に余裕はなく、ぎりぎりで避けるのが精一杯だ。

「刺突杭剣だ……」

 そのとき、ギリギリの攻防戦を繰り返していたステイルの耳にかすれるような声が聞こえた。
 声の主、土御門元春はボロボロの体をなんとか上半身だけ起き上がらせ、かすれた声のままで続ける。
「あれなら篠原に有効のはずだ。身体的特徴だけでなく、その弱点まで『神の子』に近づけた今の篠原ならな」
「っ!!」
(「完全に同じ効果には出来なかったがな。せいぜい二、三〇〇メートル以内の聖人の動きを制限するぐらいにしかならなかった」)
 ステイルはサイモンの言葉を思い出した。
 たしかにあれならまず間違いなく篠原には有効なはずだ。
 外的刺激という点に関しても動きを封じるぐらいなら何とか持ってくれるかもしれない、まあそこは賭けになるかもしれないが万が一暴発しそうになるならその前に上条に片を付けさせればいい。
(たしかにいける! だが問題は――)
 刺突杭剣はレーザーから漏れた弾幕を受けている床に転がっていた。



 状況は目まぐるしく変化しつつあった。
 そんな中で魔術の知識もこの事件のそもそもの背景も知らないリアがわかったことは、篠原が魔術で『何か』に変貌してしまい今やその命すら危ういということ、そしてそれでも彼に『感情』というべきものが残っているであろうということ。
 悲観的な状況によってパンク寸前の頭に入ってきた上条の言葉に、リアは落ち着いて考えるだけの冷静さを得る。
 思えば自分は何をしたのだろう。
 痛む体を引きずり出てきたはいいものの結局はこの白いシスターに助けられ、弱気になってツンツン頭の少年に助けをすがりようやく篠原に辿り着いても今また現状に振り回されている。
 黒いスーツの少女は自分の体を支えるインデックスの手をつかんだ。
(立て、リア!! 覚悟をきめろ、あんたは何のためにここまで来たんだ!)
 篠原を止める。
 その声に少年は応えてくれて、今なお立ち向ってくれている。
 自分は今この場において役立たずだろうが、だからといってただ傍観者でいていいはずがない。
 そのとき声が聞こえた。
「刺突杭剣だ……」


 大柄な黒い神父が宙を舞う。
 ただしそれは相対する光の手によって吹き飛ばされたのではなく自らの炎で飛んだためである。
「灰は灰に―――
 (AshToAsh)
  ―――塵は塵に―――
   (DustToDust)
  ―――吸血殺しの紅十字!!」
  (SqueamishBloody Rood)
 詠唱直後、二本の炎が勢いよく光の手に襲い掛かる。だが、それはほとんど音も立てずにあっさりと飲み込まれた。
(きりがないな)
 今、ステイルの目的は光の弾幕の中に転がる『刺突杭剣』の回収である。だが、その中に飛び込むための盾がない。
 『魔女狩りの王』を使えばどうにかなるかもしれないが、その巨人はもう片方の手の相手をしている。
(やはり『手』を一つ無視するか? だがその後で回収に向かえば結局両手とも放置することになる。それはさすがに厳しいな)
 両手を放置することはその攻撃対象が別に移るということだ。
 両側面が思いっきり無防備な上条がまた吹っ飛ばされたなら今度こそ地面に落ちていくだろう。
 正直上条自体はどうでもいいが、今あの右手がなくなれば現状を打破することは不可能になる。
 それになにより、あの手がインデックスを襲うかもしれない。それだけはどうしても避けたかった。
「ちっ、せめて土御門が動けたなら」
 思考がそのまま声に出る。それをステイル自身が気付かない程に状況は切迫していた。
 と、突然駆け出していく黒い塊が視界に映る。
 一瞬インデックスかと思ったが違う、あれはたしかリアと呼ばれていた篠原圭の知り合いらしき少女だ。
 彼女は走っていく、その進行方向には横殴りの雨のような光の弾幕と無造作に転がる『刺突杭剣』があった。
「っ!? イノケンティウス!!」
 ステイルが叫ぶ。
 その声に呼応するかのように光の手の先から巨人は消え、同時に弾幕の近くに現れた。
「彼女を守れ!!」
 そして少女は穴だらけの床の上を駆けていく。
 今、その穴がそれ以上増えることはない、炎の巨人がその体で光の弾幕を受けて止めているからだ。
 だがそれも長くは続かなかった。
 『魔女狩りの王』は攻撃を何度受けても蘇るように回復する。だがその性質は連射する攻撃に対する盾としては余りにもろい。
 結果、すぐにその盾は消え失せて素通りとなった光の弾幕が黒スーツの少女へと襲い掛かった。
「リアッ!!」
 引きつるような悲鳴を上げたのは追いかけようとしたのであろう、『魔女狩りの王』の近くでリアに向かって手を伸ばしたインデックスである。
 だがその手の先は、巨人から広がった炎に遮られて見えない。それでも穴だらけになった少女をイメージしてしまい、インデックスは思わずそちらへと更に駆け出す。
「――大丈夫!」
 声と同時、インデックスは足を止めて炎は溶けるように消え去った。
 その向こう側に光の射程から幾らかずれた場所で転がっているリアの姿が現れた。その手にはしっかりと一本の剣が握られている。
「剣は取ったわ! これどうすればいいの!?」
 インデックスはほっと胸を撫で下ろした。その後ろで土御門がのろのろと立ち上がる。
「切っ先をヤツに向けろ! それでアイツの動きは止まる!!」
 出血するわき腹を抑えつつも搾り出すように土御門は叫ぶ。
 リアは一度目を瞑り、両手で剣の柄をしっかりと握った。
(ったく、相変わらず周りに迷惑ばっかかけて)
 一呼吸置いて、目を見開く。

(止めるわよ篠原! それで後でぶん殴る!!)

 そして切っ先を篠原に向けた。
 直後、篠原の体がまるで見えない縄に腕ごと胴体を縛られたような体勢を取り、レーザー状の光が一瞬で消滅した。



 右手一つで光を受け止める上条は、その圧力だけで徐々に押されつつあった。
 これも明らかに最初に比べて威力が上がっている。まるで巨大な丸太でもぶつけてきているような錯覚さえ覚えるその光は、受け止められなかった分が左の方へと機関銃の弾のように飛んでいく。
 このままじゃまたやられる、そう思った瞬間、

 ふっ、と光が霧のように消え去った。

「えっ?」
 上条は光がいきなり消えたことで思わず前のめりに倒れかける。
 あまりにも唐突に目の前の障害が消えたことで逆に上条は停止した。
「今だ、カミやん!!」
 そこに後ろから土御門の声が飛ぶ。
 その声に、上条はニヤッと少し笑うと振り返ることなく走り始めた。
 何が起こったかはわからないが、それでもステイルかあるいは土御門か、誰かが手をうったに違いない。
 お膳立ては整った、ならば後のやることはひとつ、篠原に何度空振ったかわからないこの右手を今度こそ叩きつける。
 目の前には何の障害も存在しない、あるのは少し遠くにいる縛られたように硬直した篠原のみなのだから。


 だが、残り七、八メートル程といったところで上条はゾクッとした悪寒を覚えた。
 その悪寒の原因は、斜め後方から地面すれすれを飛ぶように襲い掛かってくる『光の手』だ。
 さっきまで『魔女狩りの王』と対峙していたその『手』は、目の前の敵が消滅したこともあり攻撃対象を『最も危険』だと判断した相手、上条当麻に変更していた。
(ヤバイッ!?)
 チラッと少し後ろを振り返ると、『光の手』はもうこちらの視界をほぼ埋めるぐらいに接近していた。
 振り返って右手を突き出せば止めることも出来るだろうが、ここまで来てまた足を止めれば状況は変わらないままだ。
 それに、篠原をいつまであの状態に止めておけるか、あるいはその状態に篠原自体がいつまで耐えられるかもわからない。
 かといって逃げ切るには『手』は上条に近づきすぎている。

 よって上条は、振り返らずに右手を突き出すことにした。

 その直後、右手に衝撃が走る。
 差し出した手より少し下から持ち上げるような方向にきたその力によって上条の体は宙を舞う。
 そしてそれは、上条の狙い通りだった。
 後方からの攻撃を衝撃に抗うことなく右手で受ける。結果、上条は篠原までの距離を一気に縮めて篠原のほぼ上空にまで接近していた。
「終わらせるぞ、篠原!!」
 右手を強く握る。
 一瞬の停止の後、始まった落下の力に沿うように上条は篠原へと突進していく。
 そのとき、キィンとかすかに音が聞こえた。それは篠原の後ろにあった十字架の鎖が千切れる音だ。
 それと同時、その十字架は自身の纏う光でもって、まるで剣のように上条へと襲い掛かった。
(まだあんのかよっ!?)
 上条は思わず心中で毒づく。構わず右手を打ちつけようとするが、その寸前でインデックスの言葉を思い出す。
(「あの十字架には触れちゃダメ」)
「おぉぉぉっ!!」
 そして上条はその右手を、『剣』の中心の十字架ではなく光の刀身へと叩きつけた。
 直後、右手と刀身が交わる場所を中心にカァァァッと乾いた音が響き渡る。
 あの十字架は力の受け皿とインデックスは言った。ならばそこから放出されている光はあくまで力で『本体』ではないはずだ。
 その考えは正しかったようで、篠原が暴発しそうな様子はない。だが、
「ぐっ!?」
 力が直接流れ出る場所だけあって、その圧力は間違いなく手やレーザーよりも上をいっていた。
 それは距離が開いているはずのステイル達にも伝わるほどだ、そしてそれを誰より感じていたのはリアだった。
 強烈な力の解放に呼応するかのように『刺突杭剣』が暴れる、それをリアは歯を喰いしばって抑えていた。
(なんて力……!? でも、あの人はあそこにいる、なのに私が諦めて――)
「たまるかぁっ!!」
 手から飛んでいきそうな剣を無理やり押さえ込み、それを突き出すように一歩前に出る。
 その瞬間、十字架の光がわずかに弱くなる。それを上条は右手から直接感じ取った。
 それでも変わらずそこから伝わる衝撃は上条の体をきしませる。
 だがそれがどうした。
 もう少しだ、もう少しで届く。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
 上条は咆哮をあげ、その右手に更に力を込める。
(届けっ!!)
 ステイルは『手』に炎をぶつけながら胸中で叫ぶ。
(届け!)
 土御門は出血するわき腹を押さえながら自分の体を支える。
(届いて!)
 インデックスは上条をしっかりと見据える。
(届いてっ!!)
 リアはその手から血がにじむほど剣を握り締める。
「届けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
 叫びと同時、パリィィンッという音と共に十字架の纏う光がガラスのように砕け、十字架は上条の後ろへと飛んでいった。
 それはまたも上条に迫っていた光の手に飲み込まれて消滅する、それに反応して、篠原の体から溢れるように光が漏れ始めた。
(っ!! 暴発する!?)
 その光景に思わずインデックスは顔をこわばらせる、それはステイルも同様だった。
 だがもはや上条と篠原の間に隔てるものは何もない。完全に暴発する前に『幻想殺し』を当ててしまえばそれで終わる。
 そして上条のその右手は


 届かなかった。


 それは光の十字架に上条の勢いを削がれたからなのか、あるいは最初からギリギリ届かなかったのか。
 とにかく上条の右拳は篠原のわずか十センチほどの距離で空を切った。
 そして無常にも篠原から更に光が溢れ出す、もはやその勢いは上条が一度着地してまた篠原に右手を叩き込むには、遅すぎると誰の目にも明白なほどだった。
「消し……とぶ……」
 視界をほぼ光に占領され、土御門が思わず口にする。
 インデックスもステイルもリアも、見えるもの全てを光に塗り替えられて思考すらも停止かける。


「まだだっ!!」


 そのとき、上条は叫ぶ。
 叫びながら、上条は右手を前にではなく左足を後ろへと思い切り伸ばした。
 そこにあったのは十字架を吹き飛ばした『光の手』だ。
(痛そうだけど、足が消えたりはしないよな)
 不幸中の幸いにもそこにあった『手』を上条は土台にする。その性質を、篠原の意志によって消滅ではなく衝撃へと変えているであろうと判断して。
(信じるぜ――)
 そして上条の足が『手』へと着地し、左足に激痛が走る。だが足が消滅することなどない。
「篠原あああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 上条の体が落下の軌道に少しだけ逆らい、


 ぺチン、と。


 パンチと呼ぶにはあまりにも脆弱なその拳が、たしかに篠原の頬に届く。
 その瞬間、更なる光が辺り一帯を包みこんだ。


 篠原圭は真っ暗な世界の中にいた。
 一切の感覚はなく、浮いているのか沈んでいるのか、上下も左右も前も後ろもわからないそんな世界に。
 思い出せるのは父親が自分に向けた必死で悲しさを隠しながら笑う顔、幼馴染であるリアの最後の悲痛な顔、自分が刺される寸前に見た上条の必死な顔、そして――
「かあさん……」
 感覚のない世界に唐突に蘇った目と耳に飛び込んできたのは、かつて自分を庇って昏睡状態にあるはずの母親の微笑む姿だった。
 彼女はこちらに近づいてくる、その姿はあの頃とほぼ変わらず、ロングのきれいな茶髪がなびいていた。そして、
「っんのバカ息子がっ!!」
 ゴチンッと、思いっきり拳骨をもらう。
「痛っ! ……って、ハァ?」
 完全に予想外の展開に篠原は面食らう。それはもちろん痛覚が戻ったことではなく今現在のこのシチュエーションについてだ。
「まったく、昔からバカなことばっかりやる子だとは思ってたけどまさかここまでバカとはねぇ」
 あれ、うちの母親ってこんなだっけ? と篠原は目の前でため息をつく女の人を、殴られた頭を抑えながらただ呆然と見つめていた。
「リアちゃんまで泣かしちゃって、一体何してんのあんたは!」
 その言葉に篠原は思わず口ごもる。
 この数年ただこの母親を目覚めさせるために、父親から離れてまでずっと必死になってきた。
「俺には、責任があるから……」
「何言ってんの、それは言い訳だよ」
 もう押し黙るしかなかった。
 他の誰かにそう言われたのなら間髪いれず反論しただろう、だがそれを他の誰でもないこの人に言われているのだから。
 沈黙が続く、それを破ったのはハァーというさっきより更に大きな母親のため息だった。
「バカやった挙句こんなところにまで堕ちてきちゃってまあ。ほら、さっさと自分の世界に帰りな!」
「……しょだ……」
「え?」
「一緒だ、あの日から俺の世界はここと何も変わらない! たとえ周りがなんと言おうと俺のせいであんたが寝たきりになったことに変わりはないんだ! いつだって悲しさと痛みと責任で押しつぶされそうになる……、前も後ろも、右も左も上下だってわからない、そういう意味ではこの世界と一緒なんだよ。だから俺は、あんたを起こさないといけないんだ!」
「……本気で言ってんのかい?」
 母親の声がこれまでと明らかに違う様子で返ってくる。
 当たり前か、と篠原は思う。はっきり言って自分勝手なことしか言ってないのだから。
 篠原はもう顔も上げられず、次に来るであろう拳骨か言葉を呆然と待ち続ける。
 だが、彼に次に蘇った感覚は母親が抱きしめてくる温もりだった。
「そりゃね、立ち位置を決めてないからだよ」
「立ち……位置?」
「そう、立ち位置。それが決まってんなら上下も左右も前も後ろ自ずと見えてくるもんさ。ただ、あんたは今それをちょっと見失ってるだけ」
 そのとき、目の前の母親以外は真っ暗だった世界にかすかに光が差し始めた。
「あんたはちゃんとそれを知ってるはずだよ? ほら、聞こえるでしょ、あんたを呼んでる声。もう行きな」
 そして光は強くなりどこか懐かしい、見知った声が聞こえてきた気がした。
「――――――」
 母親が耳元で何かを囁き、そしてまた微笑みながら離れていく。
 そして世界は光に包まれた。


 ココハドコダ……?
 オレハ……?
 ダメダ、オモイダセナイ。
 ……ダレカガナイテイル。
 コレハ……?
(リア……?)
 ――そうだ、俺は帰ってきたんだ、この世界に。
 ったく、そんなに近くで叫ばなくたって聞こえてるって、お前の声よく響くからなぁ。
 ――かあさん、正直なんでついさっきまでわかんなかったのかがわかんねーけど。
 ようやくまた見つけれた。


 俺の立ち位置は、ここだ。

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