とある魔術の禁書目録 Index SSまとめ

第一章-1

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 第一章 翼なき者たち Red_Angel



 一端覧祭。
 それは全学合同大規模体育祭「大覇星祭」と並び称される、学園都市のもう一つの目玉イベントである。
「一()」、つまり隅っこに咲く一輪の花までご覧あれという意味で名づけられたこのお祭りは、ようするに大覇星祭と同じく全学合同で行う文化祭だ。学区ごとに四~五校を会場として選出し、そこに各学校の代表がそれぞれ出し物を持ち寄って発表する。巷に溢れたSFXとは比較にならない正真正銘のSience‘non’Fictionを駆使した演劇や映像作品の完成度は、名前だけの名作映画など軽く凌駕する。
 大覇星祭ではどうしても体育会系(スポーツエリート)校に水を開けられてしまう文系の学校では、最初からこちらに比重を置いて準備している場合もあるのだ。
 しかし、会場が限定されている以上一校ごとに振り分けられるスペースと時間はあまり大きいとは言えず、加えて代表選出制であるため、展示、劇や演奏の発表、模擬店などで参加する者以外は大抵ヒマになる。そういった生徒は、のんびり祭りを見て回ったり、大覇星祭で疲れた体を労わるのが常だ。
 規模こそ大きいものの学校ごと、学生ごとの負担は少なく、それでいてしっかり楽しめるというのだから申し分ない。他の学校との交流にもなるし、財布と相談にはなるが、開催中の三日間、学業を忘れて遊び倒すことができる。
 外来の客も受け入れてはいるが、一端覧祭はあくまで学生たちが楽しむためのイベントなのだ。
「……………………そんな謳い文句を信じていた頃が私にもありました」
 学園都市の高校生上条当麻は、両手一杯に木材を抱えたままぐったりとつぶやいた。
 時刻は午後四時。一日の授業が終わって家路につく生徒の波に真っ向から立ち向かうように、上条はふらふらと自分の高校を目指す。
 形も大きさも様々な木材を一まとめにして持つのにはかなりの集中力と体力が要る。そのどちらも尽きかけていた上条だったが、ふとこぼれた声には先行する人間を振り返らせるだけの大きさがあったらしい。両手でペンキ缶をいくつか吊り下げたその人物はため息混じりに、
「上条。――そんっなに一端覧祭の準備のために汗水流して働くのが不満?」
 吹寄制理。
 背中まで届く長い黒髪、制服の上からでもわかる出るとこ出ているスタイル。美人といって差し支えないルックスの持ち主だが、心底不機嫌そうな表情がまるごと全て台無しにしていた。彼女は制服の上から薄手のパーカーを羽織っており、その背中と左腕には一月前に見たものと三文字だけ異なる言葉がプリントされている。
 一端覧祭運営委員。
 上条はよたよたと歩きながら、
「不満っていうんじゃなくてさー。ただあれだけ大覇星祭(おおあばれ)した後なんだからもう少しくらいインターバルがあってもよかったんじゃないかと上条さんは思うわけですよ」
「何を今さら。毎年大覇星祭の後には一端覧祭と決まっているでしょう。貴様は小学校の頃から学園都市にいるんだからもう慣れっこなんじゃないの?」
 う、と上条は言葉に詰まった。
 諸事情あって、上条は記憶喪失なのである。人生の大半をこの街で過ごした生え抜きの学園都市っ子でありながら、イベント事などの思い出はさっぱりない。
 上条はなんとかそれを悟られないようにしようと、
「それでもなー、なんか今年は特別ハードだったような気がする。そういや吹寄は中学からだっけ?」
「まあね。でもどうでもいいでしょそんなの。皆待ってるんだからとっとと帰るわよ」
「…………、」
 吹寄は上条に目もくれずすたすたと歩いていく。
 これで結構馴染んできたと思えるのが吹寄制理のすごい所である。
 以前なら問答無用で「どうでもいい」と言われていただろうが、最近はその前に一応「まあね」が付くようになった。だからどうしたと言われればそれまでだが、たとえ小さくてもこの一歩は偉大な一歩であると上条は信じたい。
 上条は吹寄の数歩後ろをえっちらおっちら歩きながら、
「それにしても、まさかウチの高校が会場に選ばれるなんてなー」
「大覇星祭で暴れすぎたもの。注目も浴びるわ」
「吹寄もまた運営委員に立候補するし」
「日射病で倒れたりで、ちょっと不完全燃焼気味だったから」
「小萌先生がステージのトリを引き当てたりしたしな」
「頑張らないとね」
「ところでどうして俺が材料の買出しに名指しでつき合わされたのでせう?」
「男子でジャンケンしたところでどうせ負けるのは貴様でしょう。省ける手間は省かないと」
「…………、」
 この一歩はどこへ続く一歩なんだろうとか思いつつ、上条は木材の束を抱えなおした。ささくれだった部分が腕の肌に当たって地味に痛い。衣替えまだかなーあれそういや冬服ってどこにあるんだろう? と考えていると正面から誰かが歩いてくるのが目に入った。
 上条たちよりいくらか年下に見える外国人の少女だった。
 インデックスと同い年くらいだろうか? 体格(スタイル)もどっこいどっこいに思える。しかし、どこかの女子高のものらしき制服に身を包んだ少女の髪はゆるくウエーブのかかった金髪だった。大きな水色の瞳は上条たちを見ることなく彼らの後方――つまり前方に向けられている。彼女も買出しの帰りなのか、両手で大きな手提げ袋を持っていた。持ち手の紐や袋の布の伸び具合からすれば、中身はかなり重いものらしい。行き先が真逆でなければ――そしてこの荷物がなければ、手伝ってあげようかと思うくらいに。
「……上条」
 と、吹寄は唐突に、
「貴様、道を歩いている時でさえ新たな攻略(ルート)の捜索に忙しいようね」
「え、えー! 振り返りもせず何を言い出すんですか吹寄サン! ただ俺はちょっとあの子の持ってる荷物が重そうだなーと思っただけで!」
「それよ! そんな浮ついた考えを脊髄反射で実行に移すものだから『親切からフラグが始まる男』と呼ばれるのよ貴様は! そーかそんなに荷物を増やしたいんだったらこのペンキ缶も持ってなさいそらそらそら!」
「うお! 角材の先端に絶妙なバランスで缶がのっかっている……! ってこのままじゃ俺は一歩も動けないのですが!?」
 知るか馬鹿! と何故か一層不機嫌さを増した吹寄は、それでもちゃんとペンキ缶を回収してくれた。うう、と涙ぐみながら崩れかけた木材の束を抱えなおしたときには、ちょうど例の金髪少女とすれ違うところだった。あれほど無駄に騒いでいた上条たちに目もくれず、少女は黙々と歩きさってゆき、
 ポトリ、と手提げ袋から何かを落としていった。
「「………………、」」
 運命ってなんだろうと思いつつ、横で『これがカミジョー属性の底力ってわけね』などと半眼でつぶやいている吹寄に脅えつつ、しかし落し物に気づかずに行ってしまいそうな少女を放っておくこともできずに『親切からフラグが始まる男』上条当麻は遠ざかりかけた背中に声をかけた。
「あのー、何か落としましたけどー?」
 金髪少女はぴた、とビデオの停止ボタンを押したみたいに立ち止まった。
 上条は落し物を拾ってあげようとして――両手とも塞がっていることを思い出し、それでもとりあえず何を落としたのかくらい確かめようと視線を下げ、

 どう見ても「バールのようなもの」です。本当にありがとうございました。

 上条は一瞬硬直した。
 いやいや一端覧祭の準備中なんだから釘抜き(バール)なんて珍しくもなんともないですよ? トンカチノコギリヌカにクギ。最終日のステージで演劇をすることになっている上条のクラスでは、大道具係の生徒が毎日遅くまでトントンカンカンと音を鳴らしている。それにしても脳から送られてくるこの危険信号はなんなのだろう。七月以前の失われた記憶ではなく、ここ二ヶ月間の記憶が警鐘を鳴らしていた。
 見覚えがあるのだ。このバールに。
 芋の蔓を引くように、次々と映像が浮かんでくる。
 ちぐはぐになった世界。
 降り注ぐ星々。
 巨大な、余りにも巨大な翼を広げた『とある存在』――
 上条は顔を上げ、振り向いた金髪少女の顔を見て呟いた。
「……ミーシャ?」
 直後、上条の足元に連続して五寸釘が打ち込まれた。
「うおおおおお!?」
 いきなりのことに腕の中の木材を下ろすこともできず、上条は恐怖のコサックダンスを踊る。死に物狂いで釘が飛んでくる方を見やると、袋を地面に落としストッパーの外された全自動デザートイーグル型釘打ち機「ハスタラ・ビスタ」を構えた金髪少女がいた。ガガガガガガとけたたましい音を立てて乱射される釘は、命中すれば確実に上条の足をアスファルトに縫い止めるだろう。
「ちょ、今、今つま先かすった! そして吹寄はどうしてそんな冷たい目で俺を見る!? 助けて運営委員サマ!」
「女性絡みで、貴様が正しかったことが一度でもあった?」
 きびしー! と絶叫しつつ、上条は踊り続ける。赤い靴を履かされたカーレンの気分だった。
 やがて弾槽――そう呼んで差し支えあるまい――が空になったのか、金髪少女は釘打ち機を下ろした。地獄の針山もかくやという有様になった歩道で、少女が呟く。

「問一。何故私を男性の名前で呼ぶのか。容姿体型が理由であるのならすぐさま神の御許に送るが」

 その言葉の意味を理解するために、上条は思考をフル回転させる。
 思い出すのは板ガムをもむもむ噛んでいた姿。下着みたいな服を着て、羽織ったマントの中には幽霊退治用とかいう怪しげな拷問器具で一杯だった。目の前の少女に、イメージの中で前髪を下ろさせ赤いフードをかぶせてみて、上条はこの少女が「御使堕し(エンゼルフォール)」の騒動の時に出会ったロシア人シスターであることを確信した。
 ――いや、正確にはこの少女の『外見』を持つ者に出会っていたことを思い出した。
「あーそっかそっか。ミーシャってのは『中身』の方の名前だっけ。じゃあお前は………………あれ?」
「解答一。サーシャ=クロイツェフ。……なるほど。ブラザー土御門から聞いた話を統合してみるに、貴方が上条当麻か」
 うなずく。それで金髪少女――サーシャはようやく怒りを収めてくれたようだった。上条はそろりそろりと釘の刺さっていない地面を探して体勢を立て直す。
 改めて見ると、サーシャは夏休みの海で見たミーシャ=クロイツェフとほとんど同じ容姿をしていた。地球に住む全ての人間の『外見』と『中身』をランダムに入れ替える大魔術「御使堕し」の影響を受けていたのだから当然といえば当然だ。違うのは前髪で目が隠れていないことと、服装くらいか。髪型はまだ気分の問題で済むかもしれないが、
「ん? でも確かサーシャ=クロイツェフってのはロシア成教のシスターだって聞いたような。なんで学園都市の学校の制服着てんの?」
「問二。ロシア人が日本の学校で勉強してはいけないのか?」
 は? と上条が返答に詰まると、
「追加説明一。ロシア国籍を持つ者が日本の学校に入学してはいけないという法律は露日どちらにも存在しない。私がロシア成教のシスターであることについても同様。貴方の発言は勉学の自由と信教の自由を侵害するものと受け取って構わないか?」
「え!? そんな深い意味で言ったつもりはなかったんだけど! ただ魔術(そっち)側の知り合いを見かけた時には毎回毎回ろくでもない事件が起こってるもんだから、そんな中サーシャがごくごく平和的に一端覧祭の準備をしていたことが不思議に思えたんだって!」
「私見一。おそらく貴方の期待には沿えることだろう」
 てことはやっぱりなんか起きてるんですねー! と上条は大空に向けて叫んだ。腕の中の木材と地面の釘がなければこの場でのた打ち回っていたかもしれない。
 とその時、これまで傍観していた吹寄が会話に参加してきた。
「よく分からないけど、とりあえず上条の知り合いってことなのね?」
「うー……そうとも言えるようなそうとも言えないような……」
「どうなの?」
 訂正。吹寄が尋問を開始した。
 しかし、なんとも答えにくい質問である。
 上条が知っているのはサーシャの『外見』だけであって『中身』とは初対面だ。しかしこうして会話していると、まるっきり「ミーシャ=クロイツェフ」と変わらないような気がしてくる。おそらく「ミーシャ」の方が「サーシャ」を真似ていたのだろうが……。
 サーシャは困っている上条に近づき、小声で、
「(問三。この状況はあれか。痴話喧嘩なのか?)」
「(ぶほっ!? い、いきなり何を言い出しますかサーシャさん!)」
「(私見二。あの少女は恋人に自分の知らない女性の知り合いがいたことに憤慨しているようにしか見えない)」
「(いや吹寄はいつもあんな感じだから。あと一応年上相手に『少女』とか言うのやめような。んでもって吹寄は魔術とか一切関係ない人間なんでそこんとこ特にヨロシク!)」
「(解答二。……了承した)」
 サーシャは上条から離れ、吹寄の方に向き直った。なんとなく只者でないことを雰囲気で察したのだろう。吹寄の表情が若干真剣なものになる。
「宣言一。貴方の質問にお答えしよう」
 サーシャはよく通る声で言う。彼女の背中を見ながら、上条はサーシャがどんな風に説明するのか少し不安になってきた。なにせサーシャの方は上条との面識はまったくないのだ。なんだか土御門から話を聞いてるみたいなことを言ってたけどどうなんだろう?
 そして金髪シスターは吹寄の目を見て、

「解答三。彼とは夏の海でゴムをもらった関係だ」

 刹那、場の空気が音を立ててひび割れた。
 サーシャは自分の発言の問題に気づかずきょとんとしているし、吹寄はなんだか顔を真っ赤にしてプルプル震えているし、ついでに二人とも後ろでそれはゴムじゃなくてガムだからー! と叫んでいる上条の声は聞いていない。
「こ、の、」
 吹寄は血管が浮き出るほど強く右拳を固めて、
「人類の恥めーーーっ!!」
 木材の束を貫き、怒れる少女の拳が哀れな少年のどてっぱらに突き刺さった。



 夕焼けが学園都市(まち)を染めるころ、上条は家路に着いていた。
 あの後、ボロボロにされながらも吹寄の誤解を解いた上条は(間違いの意味を知ったサーシャによる八つ当たり追撃はあったものの)、もう一度木材を買いに行かされた(粉砕した当人にそれを命令されるのは理不尽だと思ったが)。
 余計に余計な手間を重ねて木材を大道具係の生徒に届け終わり、その後も下校時刻になるまで作業をしていたのだ。
 大道具係他何名かの生徒は残業組としてまだ作業を続けるらしい。その中にやけにやる気に満ちた青髪ピアスを見つけて上条はかなり驚いたのだが、
『なあカミやん。僕は気づいてしまったんや。看護婦さん婦警さん女教師さん、職業萌えは数あれど、いまだかつて大工さん萌えを唱えた男はおらへんかったということに。でも想像してみぃ? 夢のマイホームを建てるために清らかな汗を流して働く女の子を。ノコギリの刃で切ってもうた指を「失敗しちゃった……」とかいいながら涙目でくわえる美少女の姿を! どうやカミやん、これを聞いてもまだ居残りせんと帰るなんて言えますか!?』
 上条は無言で彼の背後を指差した。そこには運動系クラブから寄りぬかれた筋骨隆々の大道具係たちがポージングつきで青髪ピアスを待っていた。
 あれからどうなったのか、上条は想像さえしていない。とにかく一端覧祭の準備は滞りなく進んでいると言える。
 もし上条にとって問題があるとすれば、それは、
「問一。貴方の居住地はこの近くなのか?」
 校門を出たところからずっとついてきているこのロシア人シスターだろう。
 いや、正確にはホームセンターで木材を買い直している時からサーシャは上条の後ろを歩いていた。教室までついてこられたりしたら吹寄なり青髪ピアスなりに何を言われるかわかったものではなかったので、校外で待っていてもらったのだが。
 上条は少し歩幅を緩めて、
「そうだけど。何、疲れた?」
「解答一。問題ない。この区画の建物がそれほど立派でないのが気になっただけ」
「……放っといてください」
 もともと上条の高校は「極めて特徴のない一般的な学校」である。最近はその域を脱しつつあるようだが、それですぐ学生寮が豪華になるわけはない。
 女の子を連れて家に向かうというと普通ならばドキドキイベントの一つも起こりかねない状況だが、上条の生まれ持った不幸はそんな甘い希望など前提から粉々にしてしまっている。
 狭い裏路地に差し掛かったところで、上条は聞いてみた。
「あー、ところでサーシャ」
 無表情ではないが今一つ感情の読み取りにくい顔に薄い疑問の色が浮かんだのを確認して、
「そろそろ教えてくれねーか? 今学園都市で何が起きてんだよ」
「私見一。その質問はこれで七回目だと思われるのだが」
「いーから教えろ」
「解答二。その質問に今答えることはできない」
 サーシャは先の六回と同じく、淡々とそう言った。
 ホームセンターでも道端でも校門前でも上条は同じ質問をしたが、帰ってくるのも同じ返答ばかり。正直上条としては、事情のわからないままサーシャを“彼女”と引き合わせるのは気が進まないのだが、
(でも土御門の紹介ってことだし……………………………………よし、あてにならない)
 上条の隣人、土御門元春は魔術サイド、科学サイドの両方に精通した多角スパイという超絶隣人である。
 サーシャが言うには、彼女を学園都市に招き入れ、制服身分証明その他の世話をしたのは彼であるらしい。
 今回の事件とやらが「魔術」サイドの問題であるなら、仲介役として土御門の名前が挙がるのもわからないでもない。しかし上条が「あてにならない」と考えたのは彼の人格を鑑みてのことである。
 土御門は目的のためなら手段を選ばない。“たとえどれだけ自分を傷つけても”最良の結果が得られる道を選択する。
 そして、その手段には種々様々な“嘘”も含まれる。基本的にいいやつなのだが、うかつに現状だけで判断するとどんなどんでん返しが待っているかわからない。それが土御門元春という男だ。
 今日、上条が買い出しに出るまでは衣装係としてテキパキ働いていたはずの土御門だが、サーシャと会って戻ってきた時にはすでに早退していた。サーシャに適当な情報を与えた罰として(ついでにストレス解消として)二、三発殴ってやろうと思っていたのだが。しかし逆に言えばこれは、土御門がこの件に関わっていることの証明でもある。
(とりあえず、何が出てきても驚かない覚悟は必要だな。ま、神裂に学生服着せて突撃とかさせなかっただけマシだろ)
 とても十八とは思えないウエスタンルックサムライガールを思い出し、上条はこっそりため息をついた。
 そうこうしている間に、上条の住む学生寮が見えてきた。直方形のコンクリート建築。こう言ってはあれだが、確かに立派そうには見えない。
「私見二。取り越し苦労であればそれに越したことはない」
 不意にサーシャが口を開いた。上条は思わず振り返る。
 重そうな手提げ袋を揺らしながら、サーシャは続ける。
「補足説明一。ロシア成教がイギリス清教に禁書目録の閲覧を要請したのは、今私が知っている未来予想が杞憂であることを証明したいがため。最も、要請が通った時点ですでに異常事態であるとも言える」
 上条は告げられた言葉を吟味する。
 そう、サーシャが上条についてきた理由は禁書目録――あの十万三千冊の魔道書の知識を得るためだ。
 力ずくで奪いに来たのならば、上条は例え相手が年下の女の子であろうとも本気で殴って追い返すだろうが、今回はそうはいかない。サーシャの所属するローマ成教は、正当な手続きをもってイギリス清教から許可を得たらしいからだ。
 どんな皮肉だ、と上条は思う。常に世界中の魔術師から注目されている“彼女”の周りで魔術的事件が起こったなら、それだけで幾多の魔術結社が動き出す切欠に成り得る。しかしイギリス清教からの正式な任務を全うできなければ、“彼女”は学園都市にいられなくなるのだ。
 きっと“彼女”は泣くだろう。その事実は有り難く、その結果はあってはならない。
 となると、あとは上条が死ぬ気で頑張るしかないのだが……。
 ちら、と見たサーシャの手提げ袋。やたら重そうな中身の全てが大工道具に見せかけた拷問器具だというのだから(まあ青髪ピアスは喜ぶかもしれない。くわえた指についた血はサーシャのものではないだろうが)、これほどの装備が必要と予想される事態がもし「取り越し苦労」でなかった場合どんなことになるのか。
(つーかあれですよ。もしかしてサーシャが派遣されてきたのって、この時期なら大工道具持って街を歩いてても不自然じゃないからとかそんな理由なんでは。それよりもこのまま“あいつ”と会わせたらめでたく紅白シスター対決ということになるのか。いやサーシャは今学生服だし決して断じてかろうじてまたあの衣装に着替えて欲しいなんてそんなふしだらかつ不健全な考えは浮かんでおりませんうわなんかど壺にはまってきた気がする!?)
「問二。貴方はさっきから何を興奮しているのか?」
「ぐはっ!? すみませんすみませんこの通りですからあの赤い靴コサックダンスだけは勘弁してください!」
 いきなり平謝りしだした上条に面食らったのか、サーシャは大きな目をさらに見開き、
「……私見三。この街にはおかしなしゃべり方をする人間が多いという事前情報は正しかったようだ」
「…………てめぇにだけは言われたくないと上条さんは締めくくります」
 感心しているのか呆れているのかわからないサーシャの台詞を、上条はぐったりと受け流した。取り立てて特徴も何もない玄関を抜けて建物の中に入る。
 しかし、エレベーターに向かおうとしたその時、
「私見四。確かにこの問題は靴にまつわるものではある」
「…………は?」
 さりげなく付け加えられたその言葉こそ、どういう意味を含んだものだったのか上条にはさっぱりわからなかった。

 ついでに。建物の影から清掃ロボットに腰掛けたメイド服少女がじっと見つめていたことも上条にはずっぱりわからなかった。少女の右手には通話モードの携帯電話。



 開錠。開扉。開口。閉口。
 淀みなくプロセスが進んだ結果、上条は銀髪シスターに脳天をかじられた。
「うおおおおおっ!? イ、インデックス。何故お前サマはドア開けたところで待ち構え学校から帰宅した家人さんにお帰りのカミツキ攻撃を仕掛けますか!? 犬歯、犬歯がつむじにピンポイントで刺さるっ……!」
「まいかから電話があったんだよとうまがまた女の子連れ込んだって今夜はお楽しみかちびっこ二人相手なんてかみじょうとうまもやるなって言われたんだよもうとうまのばかばかとうまばかばかとうまばかとうま!」
「ばかが多いだろ絶対! それに一応言っとくけど今回はお前の客だから!」
「リセットして私見一。『今回は』という発言から察するに、そのくらいの罰は受けておいたほうがいいかと」
「事態をややこしくするようなこと言いながら一歩後ずさるなサーシャ。ほれインデックスもいい加減降りろ。このままだと話もできないし」
 上条の上半身にしがみつき断続的に噛み付いていた少女は、その言葉でしぶしぶと床に降りた。
 サーシャとほぼ同じ背丈の小柄な体を白地に金糸で彩った修道服で包んだ銀色の髪の少女。
 彼女こそが、一度見たものは決して忘れない完全記憶能力を持ち、その小さな頭に十万三千冊もの魔道書を丸暗記しているある意味核爆弾などよりよっぽどぶっそうな存在――名をインデックスという。
 もろもろの事情あって絶賛居候中の彼女はたいそうご立腹らしい。
 インデックスは触れるだけで火花が飛びそうなほどのイライラを隠しもせずに、サーシャと上条を見比べて、
「とうま。私のお客さんってどういうこと?」
「あー、それも説明するけど。とにかく上がらねえか? 玄関で立ち話もなんだろ」
 うう、と不満そうな顔をしながらも、インデックスは部屋の中へと駆けて行った。冷蔵庫を開ける音が聞こえたから、一応おもてなしをするつもりなのかもしれない。
 上条は背後のサーシャに向き直り、
「えーと、とにかく上がってくれ。狭いところだけど。あ、靴はそこで脱いでくれよ?」
「解答一。了解した。自分の身は自分で守ることにする」
 こいつら俺のことをどんな目で見てやがる、と上条は思ったが、怖い答えが返ってきそうだったので口には出さなかった。
 案内がいるほど広い部屋でもないため、特に何も言わずリビングに向かう。床にはいろいろなもの(主にインデックスが読んだまま放置している漫画や雑誌)が散らかっていたが、お客様は気にした風もない。邪魔な場所にある何冊かを適当に片付けて、二人は部屋の真ん中に置かれた背の低いガラステーブルの前に座った。
 そこへインデックスがお盆に麦茶の入ったグラスを三つ乗せてやってきた。科学音痴のインデックスはいまだに電子レンジは使えないが、冷蔵庫はただの「中が冷たい箱」だと割り切れば怖くないらしい。グラスをテーブルの上に並べると彼女も座った。紅白シスターが向かい合い、彼女らの間に上条がいるという構図である。
 まだ痛む頭をさすりながら、上条は麦茶を一口飲んで喉を潤した。
「えーと、インデックス。この人はロシア成教のシスターのサーシャ=クロイツェフ。お前に聞きたいことがあってはるばる来たらしい」
 続いて反対側を向き、
「んでサーシャ。こいつがお探しの禁書目録――インデックスだ。ちゃんと会わせたんだから、いい加減何が起きてるのか教えてくれよ?」
 制服シスターは答えず、じっと銀髪シスターを見ている。対する側も上条の説明ではまだ納得がいかなかったらしく呪いのこもった視線で睨み返していた。
 インデックスが鼻で笑った声を出す。
「ふん。ロシア成教の人間が何の用? 言っておくけど他宗派の人間に魔道書の知識を与えることは禁じられてるんだから」
「解答二。まさしく私は禁書目録の知識を求めてここにやって来た。そしてそのための許可もイギリス清教から取り付けている」
 え? とインデックスが目を丸くした。しかし困惑した顔を向けられても上条にはどうすることもできない。サーシャがそうだと言い張っていただけで、具体的にどんな「許可」とやらをもらってきたのかは知らされてなかったからだ。
 サーシャはごそごそと床に置いた手提げ袋を探り、何か小さな物を取り出してテーブルの上に置いた。
「証明。イギリス清教最高主教(アークビショップ)ローラ=スチュアートよりお預かりしたものだ」
 それは上条もそろそろ見慣れてきたもの――十字架だった。
 一口に十字架と言っても宗派ごと、用途ごとに様々な種類が存在するらしい。科学寄りの上条には全く見分けがつかないのだが、しかしサーシャの取り出したそれにはなんとなく見覚えがある気がした。
 そう。「法の書」をめぐる事件の時、一人の修道女の命をつないだ十字架に似ている気がしたのだ。
「これ……!」
 インデックスはテーブルの上の十字架をパッと手に取った。色々な角度からためつすがめつし、その度に顔色を変えてゆく。
 最後には真剣で敬虔なシスターの表情になっていた。
「純銀製の十字(クロス)。血で刻まれたレッドライン。聖ジョージ大聖堂つきの工房による一点もの。……間違いない、最高主教権限の委譲に用いられる勅命十字(クロスオブオーダー)だよ」
 そんななんとか鑑定団みたいな解説をされても上条には何がなんだかさっぱりなのだが、ようは日本人に対する黄門様の印籠のようなものだろうか。インデックスの驚き様からすれば、どうやら尋常でないくらい強い権限を持つものらしい。
 掴みあげた時とは対照的に恭しく十字架をテーブルの上に戻すと、インデックスは居住まいを正した。
「他宗派にこれを持たせるなんて、よほどの緊急事態なんだね。――うん、わかった。サーシャっていったね。何でも聞いてみるといいかも。ただし」
「保証一。貴方から譲り受けた知識は永久に私の内にのみ留めておくことを約束する。それがイギリス清教から出された条件であるので」
 サーシャもまたスカートの裾をなおし、どこで習ったのかきれいな正座をした。狭苦しいリビングを緊張感が満たし、上条は数秒で息苦しさを覚えた。
 ロシア成教のシスターはまっすぐにイギリス清教のシスターを見つめて、
 言った。

「要求一。『零時迷子(ヌーンインデペンデンス)』について、貴方の知る限りの知識の提供を願う」






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