とある魔術の禁書目録 Index SSまとめ

第四話

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第四話『家族と破壊とミサカと俺と』

  ▼

 傾き始めた太陽が、学園都市を照らしていた。
 近未来的な町並みは、一日の終わりを感じさせる日の光を受けて横たわっている。
 夏も終わりに近づきかけている夕暮れは、ノースリーブに短パンという格好にとっては結構快適な温度を運んでくる。
 姿の見えない、どこか遠くの喧騒をBGMに、風力発電のプロペラがカラカラカラ、としゃれこうべのように鳴いる。耳を澄ませば、豆腐屋の笛の音さえ聞こえてきそうだ。
 で。
「………………………疲れたぞ畜生」
 そんな近未来的なくせに風流な街の中、俺はビニール袋を引っ提げて歩いていた。
 何の用事なのかといえば、猫缶の買い出しだ。
 何でそんなことしているのかといえば、またミサカの奴に頼まれたからだ。
 俺だって入院患者なのに。あいつ意外と人づかい荒いな。
 病院といえども、脳開発を行う学園都市の手は及びわたっている。普通の病院食のように見えるメニューの中にもわけの分からない薬品なんかがどさどさ入っているため、そこらへんの猫に残り物を食わせてやるわけにもいかないのだ。それに、育ち盛りの腹ペコ男子学生には厳しい食事制限の中でご飯を分け与えてやる余裕は無い。猫のための食料は買い出して確保する必要がある。
 しかし、猫缶は学園都市ではなかなか手に入らない。ここの住民の大半は学生であり、そのほぼ全員が学生寮で生活をしている。普通の寮はペットを飼ってはならない、などという動物愛好家泣かせな掟がデフォで設定されているため、外からの動物用食料品搬入量が低いのだ。その結果、数少ない動物用食料は筋金の入っている動物愛好家達の間で奪い合うことになってしまい、猫缶を買おうと思っても一日中探し回ってたったの一個、ということが多々ある。そんな理由で猫缶はとっても希少なものなので、俺はいつもドライのスナック菓子みたいなキャットフードを買っていた。
 しかしミサカは猫缶を気に入ってしまったらしく、野良たちに毎日食わせようとしていた。俺はそのために毎日猫缶を捜し求めているわけだ。今日も今日とて、ミサカは訓練が終わった後俺に買出しを頼んできた。いや、口調だけなら頼んできた、といえるかもしれないが強制力でいうならあれはほとんど命令だな。そうして頼まれた俺は長い間歩き回ってやっと猫缶をひとつ探し当て、今はその帰り道というわけだ。ミサカは病院の中庭のベンチで猫を眺めながら待っているのだろう。猫缶を。

 まあ、あいつはあまり体を動かしてはいけないらしいし、俺なら病院の窓からひとっ跳びで抜け出せるから妥当ではあるのだが、一応これでも入院患者だ。首のギプスは取れたものの、体調はまだ万全とはいえない。
「ほんと、人づかい荒いっつの」
 そう愚痴をはいてはいるが、猫缶提げた俺の足は家路を急いでいた。いや、この場合は病院路か?それとも院路?どっちでも良いか。
 俺はなぜかミサカの頼みを断れないのだった。
 能力の強さによって上下関係が決められる学園都市。男だから女より上、などという考えは外に比べればほとんど無きに等しい。低レベル男が高レベル女に対して頭が上がらないというのは普通のことだ。しかしながら、俺は異能力者(レベル2)の風紀機動員であり、特に戦闘能力にはそこそこ自信がある。相性的に弱点を突くことのできる感覚撹乱系の神経操作能力者でもない、レベル2の電撃使い(エレクトロマスター)に負ける気はしない。何かを与えられればその分だけ返す。何も与えられなければ何も与えない。無報酬の仕事に精を出すなんて俺の行動パターンには存在しない。『何で俺がそんなことしなくちゃなんねぇんだよ』という一言だけで突っぱねることが出来るはずだ。というか実際、そんなことがあった。何かと突っかかってくる強能力者(レベル3)がいたので“丁寧なお返事”を返してやったら、あっちも急に態度を改めてくれたな。
 そう、断ろうと思えば、簡単に断れるはずだ。
 しかし、現に俺はこうしておつかいに走っている。
 それは俺の行動パターンにないはずなのに。
 俺があいつに訓練を受けさせているのは俺の研究理論『猫と人間の絆~能力という障害(かべ)を超えて~』を証明するためだ。まあ、同じ愛猫家として放っておけないという理由もあるがそれはあくまでおまけだ。俺がやっているお使いにお釣りが来ることは無い。完全なる無償奉仕だ。
 俺をこの行動に駆り立てる因子はどこにあるんだ?ないはずはない。ということはつまり俺ははっきりと掴みきれていないか、もしくは俺に把握することは不可能なほど難解なものであるのか。
「ぬぅぅぅうううううううううぅぅう……」
 脳の処理能力限界の思考をしながら、俺は頭をプスプス鳴らして歩き続けるが、そのどこか間の抜けた音は人の注目を集めてしまった。
 くそ、見せ物じゃねえんだよこっち見てんじゃねえよ通行人A。いやBお前もだよどっか行けよ。おいそこのCDEなにクスクス笑ってんだよ。でもじつは俺の事なんか全然見てなかったりしたら恥ずかしい。自意識過剰か。でもなんか指差してきてやがるんだが。いや、俺の死角方向にあるもの指してんだよ、多分。
 ああくそ、もうどうでもいいや。とにかく早く帰ろう。ミサカが待ってるからな。


  ▼

 日の暮れはじめた学園都市。最先端の科学技術を誇るこの場所は、当然医療技術も優れている。ここの病院は、そんな学園都市内病院の中でも結構立派なほうといえる。
 患者というものは、病気や怪我などといった身体的なダメージの影響から、精神的にも疲労を蓄積してしまうものだ。病は気から。罹患心理学に従って設計された病院は、精神的にヒーリング効果を与える構造になっており、湿気や陰気などといったものとは無縁の、真っ白な塗装が広がっている。
 その中でも、白い壁と緑の草木の色合い素晴らしい病院の中庭は、もはやひとつの芸術と化していた。
 暇な入院患者なんかが、よくここで猫について話したり、猫にご飯をあげたり、猫とじゃれあったりそれを眺めていたりして時を過ごしている。
 その中庭も今は夕暮れに沈もうとしており、患者たちの憩いの場としての役割を終え、眠りに付こうとする時間。

 私は、その場所に一人で座っていた。
 私はただ、その場所に存在し続ける。どこともない空中に向ける視線は、何も目に捕らえることはない。
 何をする気も起きなかった。
 私は、あの実験のターゲットとして生み出されたのだ。破壊される事こそが私の存在意義。それ以外の事をするのを考えることなどできなかった。
 私は、ただ一つの目標だけに向かって日々を過ごすだけでよかった。自分が存在する理由のためだけに活動を繰り返す日々は、この上なく充実したものだった。しかし、私の存在する意味が証明される前日、それをかなえることはできなくなってしまった。
 実験の要、学園都市最強の超能力者が、一人の無能力者によって倒されたのだ。
 いったいどうすればあの化け物を倒すことができるのか。それだけでも十分に驚くべき事だったが、私が一番驚いたのは別の事だった。
 彼は、他でもない私達実験体のためにそのような奇行に走ったというのだ。彼は、もとから殺されるために作られたもののために命をかけたのだ。
 私は、そんなこと全く理解できなかった。それは、他の私達も同じだった。その時殺されかけていた10032号を助けたかったというのであれば分かる。彼は彼女と複数回接触していたからだ。その中で愛着が沸いたのだと考えることができる。
 だが、彼は言った。私達は、世界に一人だけしかいないのだと。今度こそ、本当に分からなかった。私達は完全に、遺伝子レベルで同一なのだ。現に私達は、同時に同じ答えを出した。
 この少年の言葉を理解することは、できない。
 しかし一方で、私達は分かってしまった。
 私達を、世界に一人しかいないのだと言い張る少年は、私達のうち誰か一人でも死ねば、きっと悲しんでしまうということに。
 それは、困ると思った。嫌だと思った。だから、私達は実験を止めるために手を貸した。そうして私達は殺されることなく、ただ一人の人間として生きるために、病院で治療を受けることとなった。
 そうして私は、目的などどこにもない、生ぬるい日々を手に入れた。
 意味のあることなど、どこにもなかった。
 何をしようにも、ただ虚しさだけが残る。
 そんなものは、もうたくさんだ。
 しかし私は、自らの生命活動を止めることはできなかった。
 私達のうち、誰か一人でも死んでしまえば、あの少年は悲しんでしまうから。 だから私は、植物になりたかった。
 誰一人気にしないような、ちっぽけな草に。
 何も考えなくていい、虚しさなど感じることのない、そんな物になりたかった。
 肺を膨らませて、空気を取り入れて。酸素を取り込んで、心臓から押し流して。細胞から二酸化炭素を受け取って、また呼吸して。
 私はただ生命活動のみを繰り返す。
 辺りはいよいよ暗くなってきた。
 私の網膜への刺激が減少され、それに従って脳の活動率も低くなる。
 遠い先のことではなく。このままいけば、私は本当に植物になれるかもしれない。
 足の先には根が生えて。
 お腹のまわりには、葉っぱが茂って。
 頭の天辺からは、花が咲くのかもしれない。
 それは、なんだかとっても気持ち良さそうだ。
 早く、そんなにならないだろうか。
 しかし、そんな私の願いは、少なくとも、今かなえられることはなくなったみたいだった。
 私に対して、最大の刺激を与えるものがやってきた。
 それは、暗がりの中からふいに姿を現した。
 疲れ切った足取りに、身軽な服装。
 重そうなビニール袋を、堅そうな腕に吊り下げて。
 縮れた癖っ毛を、不自然にボサボサと揺らしながら。
 への字を描いた口で。
 彼は。
 黒山大助は、私を人間に戻した。

 ――帰ったぞ、ミサカ

  ▼

「あ、猫缶。とミサカは待ち焦がれていた物品の到着に心を躍らせます」
 帰還を告げた俺に対する第一声。
 予想通り、ミサカは病院の中庭にあるベンチで猫を眺めながら待っていた。
 猫缶を。
「いきなりそれか。いいかげん敬虔なる遣いに対する感謝の情ってのがわかねえのかお前―――って無視すんなやこら」
 俺は猫缶入りビニール袋をベンチに置いて疲れきった体を投げ出したが、ミサカはすでに猫缶をごそごそと探り始めていた。
 自己中な女だ。ほんと、何でこんな奴のいうこと聞いてんだ?
 ミサカは猫缶を見つけ出すと、その華奢な手をにゅっと突き出してきた。猫用の底が浅い皿を渡してやると、彼女は猫缶の中身を取り出しつつこちらを伺っている猫たちのほうへと歩み寄る。ミサカが慎重に皿を置くと、猫たちは我先にとえさをがっつき始めた。彼女は身動きひとつせずその様子を眺めている。
 ミサカがある程度磁場を相殺できるようになってから、猫にご飯を与える役目は彼女に任せていた。触れることは出来なくとも、猫缶を味わう至福のときをすごす猫たちを間近で見せてやるためだ。寸止め生殺しのような気がしないでもないが、その悔しさは明日への羽になるってことで。
 何かと注文の多いミサカも、このときばかりは真剣に、何処までも健気に、猫たちを見つめていた。
 そんな姿を、俺は一言もしゃべらず、ただずっと眺めていた。

 正直に言うと。
 ミサカの容姿は、かなり優れている。
 メチャクチャ整った顔立ちをしている
 なんか、“綺麗”と“可愛い”をこの上なく絶妙にブレンドしたような感じで、時と状況によって雰囲気が変化したりするのだ。その美しさは、思わず見とれてしまっていたらバナナの皮踏んづけて転んだ先に犬の尻尾があって怒った犬に追い掛け回されているうちに怖い兄ちゃん方に囲まれてましたレベルだ。
 ぶっちゃけはっきり端的にいって、美少女だ。
 しかし、俺が彼女の頼みを断れないのは、そのせいなのだろうか?
 よく分からなかった。
 俺は異性に興味を持ったことがなかった。
 なんか、“違う”のだ。何かは分からないけど。
 綺麗、可愛い、という感想を持たせる奴はそれなりに居る。
 鉄壁の防御を誇っているけど真面目でスタイルよくて美人なクラスメイトとか。
 メチャクチャ熱血ですぐ金属矢ぶっ放してくるけど客観的に見さえすれば可憐なお嬢様のツインテールとか。
 だが、俺が抱くのは“感想”だけだった。
 そこに、“感情”が伴うことは無かった。
 しかし。

 猫が飯を食い終わり、ミサカはベンチへカムバックしていた。
 日は暮れて、あたりは夜闇に包まれている。
 彼女は、今日も簡単な手術着の寝巻き姿だった。
 寒くなり始めた中、その格好で、数時間も待っていたのだろうか。暗くなっていく夕暮れを、ただ一人、ベンチにずっと座って過ごしていたのだろうか。
 そして。
 その間、ずっとあんな目をしていたのだろうか。
 俺が帰ってきたとき、ミサカがこちらに気づく前に俺が見た目。
 喜怒哀楽、いかなる表情も映さない、完璧な虚無を包む目で。

 ミサカは違った。
 今まで俺が目にしてきた“違う”奴らとは、違った。
 それだけは分かった。
 もしかすると、俺がこいつの言うことをきくのはそのせいなのかもしれない。
 やっぱり、あれなのか?
 あらゆる場所で取り上げられ、いかなるストーリー上でも必ず組み込まれているプログラム、われ等が人類の永遠なるテーマ―――
 変。
 いや、恋。
 しかも、今ならヒロインはか弱く入院中の無表情キャラときた。
 ぬううぅぅむ。しかしなあ。やっぱよく分からんなあ。
 だいたい恋と言うのは、なんか、こう、もっとさ。ブチブチというかドロドロというか、とにかくもっとドンドコしたもんじゃないのか?まあ経験したことがあるわけじゃないんだからなんとも言えないか。くそ、なんか悔しいな。ついでに滅茶苦茶小っ恥ずかしくなってきたぞ。
 はは。
 でもさ。
 何なんだよ、これ。
 こんなの、思ってもなかったぞ。
 俺は何でこんな、内臓に鉛流し込まれたような気分になってんだよ。


「もしもし?だいじょうぶですか?とミサカは泥沼思考状態のあなたに覚醒を促します」
 頭から“プスプス”どころか“ブッスンブッスン”といった感じで音を立て始めた俺を心配したのか、ミサカが首まで泥に浸かった俺に棒切れを差し伸べてくれた。
「前から思っていたのですが、あなたの頭部に起こるその怪奇現象は何なのですか?とミサカは疑問と好奇心を処理すべくあなたに問いかけます」
 俺の頭をポルターガイストクラップ劇場と認識されるのは願い下げたいな。
「いや、これは俺の能力(チカラ)だ。複雑な演算が必要ない、というか、できないもんだから、発動コマンドが曖昧になっててさ。勝手に発動してることがあるんだよ」
 これには色々と迷惑をかけられている。授業中居眠りしていた罰としてどこかの宇宙文字な数式が記された黒板の前に立たされ、緊張と混乱のあまり尻から轟音を響き渡らせたあの日は青春の一ページ。おまけに、その衝撃で担任教師のスカートをまくり返してしまったんだからな。子供の人権保護団体の集中砲火(リンチ)を受ける中、青髪学級委員は何故か涙を浮かべて抱きついてきたけど。
 ああ、くそ。
 俺、ちゃんとにやけてるか?
 ちゃんと、馬鹿みたいに馬鹿話できてるか?
 俺の話す、何処にでもあるような学園生活の日常風景を、ミサカはどこか遠くの世界の出来事のように聞いていた。

 気が付くと、あたりはすっかり暗くなっていた。
 俺が話を切り上げてベンチを立つと、ミサかも素直に腰を上げた。
「じゃ、また明日な」
「はい、さようなら」
 と、ミサカは別れの挨拶を告げた。
 夜空の下、暗闇の中で、俺はただ黙って見送った。
 重病患者棟の病室へと帰るミサカの、その小さな背中を。

  ▼

 有名な、つうか、ありきたりな台詞がある。
 悲劇的なドラマには欠かせない台詞だな。
 そう、『なんであの子があんな目に合わなければいけないのおぉ!?』ってやつだ。
 この台詞、大抵ウザったいオバサンが鼻水目水撒き散らしながら喚いててさ、いかにも悲劇的な境遇に巻き込まれた人物ぶってる感じがするんだよな。こういうの、ムカついたことないか?
 ちなみに、俺はムカつく。唾をはきたくなる。
「はあ?黙れよ豚。何でって言っても、なっちゃったんだから仕方がないだろうが。前世で悪いことでもしちゃってたんじゃねえの?それよりこれからのことを考えようぜ、くそボケ」ってなもんだ。
 だから、俺は言わない。
 ましてや、醜く喚き散らしたりなどしない。

 心の中で、叫ぶだけだ。
 ―――何で、あいつなんだよ。

 ここには脳と心臓が動いている限りなんでも治しちまえる医者が居るのに。
 なのに、なんであいつはあんな目をしてるんだ。
 あいつ、なんであんなに虚しそうなんだよ。
 ミサカは、そんなに重病なのかよ。
 おい、ここにいるぞ。あんたらが一番助けたがりそうな人間が。
 おまえら、言ってたじゃねえかよ。
 どうしようもない絶望を何とかするのが私たちだ、とかなんとかさ。
 えらそうに言ってたじゃねえかよ。

 俺の頭に、遠い日の記憶が呼び起こされる。
―――痛む手足、夕日に照らされる帰り道。
 俺がまだ普通の一般人だったときのこと。
―――交わした言葉、温かい手と指の感触
 それは学園都市に入る前、俺がまだまだ、ただのガキだったときのこと。

―――私たちはね、どうにもならないような事をそれでも何とかしたい、そんな人のためにいるのよ。


  ▼
 その日、俺は喧嘩に負けて家に帰った。
 異端を攻撃することによって自らの正常を証明しようとする子供にとって、親がまじない師であるなどという特異なステータスを持っていることほど十分な理由はなかったのだろう。
 そのいじめは、初めのうちはただの陰湿な嫌がらせに過ぎなかった。
 しかし、それはある日突然俺の方から暴力をふるった事によって激変した。俺が拳をもって仕返しをしたことに激怒したガキ達は、直接的な暴力で俺に接するようになったのだ。
 それまでいじめられていた奴が明確に反撃したりすると、事態が多少は改善されたりするという場合はないだろうか?漫画みたいにガキ大将と友達になったりまではないにしても、いじめられっ子属性の崩壊というかさ。
 しかし、俺のケースにそれは当てはまらなかった。どうやら俺をいじめていたガキ大将は、よほどプライドの高い奴だったらしい。たった一回殴られて気を失ったぐらいで、大袈裟な奴だよな。
 そんなわけで、俺は今日も売られた喧嘩をまとめ買いし、惜敗という結果を得たのだった。
 当然、俺は傷ついた体で家路を帰る羽目になった。これは少しきつかった。俺の家は結構な山の中にあったのだ。
 俺は痛めた膝に苦労しながら家にたどり着き、ひねった手首をかばって顔をしかめながら古めかしい木の門を開いた。
 直後、俺の顔は更にしかめられる事となった。
――キャー!あなたったら素敵!やっぱりこの服がよく似合うわ!私ったら惚れ直しちゃう!
――何を言っているんだ母さん。こんな服を着ていなくたって、私はいつだって惚れっぱなしさ。
 どうやら、今日は新たな詐欺被害者が誕生する日らしい。
 ボウボウに伸びた雑草だけが広がる庭。そこに面した縁側に、ハイテンションかつ奇怪な姿をした人間が二人。
 その神父と巫女は、仕事用の衣裳に身を包んだ俺の両親だった。
 あまりにも非常識的な光景に、俺は現実から逃避してしまう。
 うーん、お袋が巫女なのは分かるが、何故親父は神父の格好なのだろう?そんなところで和洋折衷しても、信頼を深くする依頼人などいないだろうに。
 そんな疑問点をボケーっと考えていると、親父(ローブ装備)が俺の姿を認めたようだった。
――おぉ、大助。帰ってたのか。おかえり。
 親父に続いてお袋(巫女属性)も俺の帰還に気付いた。
――おかえり、大ちゃん!ごめんね、これから出かけてくるから今日はお母さん達帰ってこれないの。冷蔵庫に晩ご飯置いてあるから。火の元と戸締まりに気を付けてね。
 仕事。俺はその言葉に対してあからさまにムッとした表情をした。
――あっそ。そんなインチキまじないごっこ、勝手に行きゃいいだろ。
 俺の非難に、二人は悲しそうな顔をした。
――大助、お前はまだ私たちの仕事について納得できないかもしれないが、私たちは、そのようなものにさえすがってしまう人こそを助けたいと思ってこねような事をしているのだよ。
 親父の驚くほど真剣な顔に、俺は思わず押し黙ってしまった。
――確かに普段している仕事のほとんどはインチキ臭い物かもしれないけど、あれは精神的な問題を持った人のカウンセリングのために必要な演出なのよ。でもこれから私たちが行ってくるのは、正真正銘の本業なの。私たちは決して人を騙すことを職業にしてるわけじゃないのよ。だから大ちゃん

 子供を諭す母の顔で俺の顔を覗き込んだお袋は、そこで言葉を切った。どうやら俺が今日できた傷に気付いたらしかった。
 どうしたのこの怪我、と聞く母に、俺は友達と遊んでいる最中で作ったのだと嘘付いた。俺はこれを完全に自分の問題であるとしていた。二人とは全く関係のないものだった。こんな事ぐらい自分で解決できる。関係ないのに教えてやるつもりもなかった。そんな事でうるさく問い詰められるのはたまったもんじゃない。
――あんまり危ないことをするんじゃないぞ。父さん達はどんな人間でも救いの手を差し伸べるけど、その中でも最優先するのは絶対にお前なのだからな。
――そう、私たちにとっては、大ちゃんが一番なのよ?
 すると、お袋は突然俺の額に手を当てて、痛いの痛いの飛んでゆけーっ、という、いかにも子供騙しなおまじないをした。
 俺はとっさに手を振り払った。こんな年にもなって親の慰めなんかいるもんか。しかし、ふと気付くと傷痛みは消えていた。体重が軽くなったような気さえした。理解できなくなってますます不貞腐れてしまった俺を見て、二人はけらけらと笑った。
――さて、もう行かなければならないな。今日の依頼は死神に寿命を奪われた子供のを救う事だ。
――そうね。じゃあ大ちゃん、行って来るねー。
 阿呆らしい事をなに真面目に話してんだよ。俺はとっとと自室へ向かった。でも、しばらくして二人がこちらに背を向けている事を確認すると、その姿が見えなくなるまで見送ってしまった。正真正銘の本業とやらに向かうその後ろ姿は、確かに、自身と貫禄が備わっているように見えないでもなかった。
 晩ご飯のハンバーグを食べている途中も、俺はそのことを何度も思い出しては我に帰るという事を繰り返していた。クソ、何であいつらの事考えたんだ。
 俺は頭をブンブン振り回してみたが、やさしく微笑む親父とお袋の顔は俺の網膜からはなれる事はなかった。
 何だかやけに暖かい気がして見回してみると、それはお袋の手に触れていた自分のおでこだった。それをなんとかごまかそうとした俺は、家の裏の林へ向かった。サンドバッグ代わりの大木を何度も殴り付けてみたが、その感触は消えることなくいつまでも俺の額に居座り続けていた。

 懐かしいことだ。
 俺の両親の受け持つ依頼は、いつも悪霊だのなんだのといった現実離れしたものだった。
 あいつらは、そのような科学に見放された問題を、やはり科学以外の方法で解決してしまっていたようだった。
 もしそれがまぐれや偶然なんかではなかったのだとすれば。あいつらはもしかすると、現代の医療技術で救えない患者さえ救うことができるのかもしれなかった。
 しかし、その真偽を奴らに聞いてみる等という事はできない。
 それは、全く以てくだらない、簡単な理由のためだ。
 俺の声はもう、あいつらに届く事はないから。
 あいつらの声はもう、聞く事ができないから。
 あのくだらない両親は、もう、この世に居ない。


  ▼

「遅かったな、カエル先生」
僕が部屋のドアを開けたとたん、いかにも眠そうな声が聞こえた。
 少し嫌な予感と共に自室中兼研究室の中へ入ると、そこにあったのはボサボサの癖っ毛にゴリゴリという金属の削れる音。 
 ごちゃごちゃとした、僕が開発している医療用器具が並ぶ中、窓際の床に座り込みながら工作作業にいそしんでいる少年、黒山大助が目に入った。
「またかい?大君」
 どうやら彼は人の道具箱から取り出した棒ヤスリで、手に握る鎖を削っているようだった。
『まただよ、先生』と悪怯れもせず返答する彼に、僕はため息をついて眉毛をハの字にする。
「毎度のことだけど先生、よくこんなこんな散らかってる中で新技術の開発なんかできるよな」
 彼は僕が最も長く付き合っている患者の一人だ。怪我をして入院しては翌日退院と共に学校へ登校する、という異常な生活リズムを持つこの少年は、よくこの部屋を訪れては僕の発明品を冷やかしていくのが好きらしい。今回負った傷はなかなかに重傷だったため、病院に滞在しているここ数日は特に頻繁に出入りしている。
 今日も今日とて、実に二日ぶりの休息を邪魔されることを悟った僕は、
「いい加減人の部屋に上がり込む癖は何とかしてほしいものなんだけどね?」
 一応注意はしておくが、実は内心、彼の来訪をあまり迷惑には思っていなかった。学校での成績は良いとは言えないくせに専門的な事に対する知識と好奇心が人一倍強いこの少年は、もはや年の離れた弟子の様なものだった。
「あの機械」と、彼は壁の一角を占める鉄の箱を指差して、
「前に来たときには見なかった。酸素カプセルのようにも見えるけど、まさか細胞を若返らせたりなんかする技術を開発してるんじゃないだろうな」

 神を冒涜する異端者を見るような彼の視線に、僕はハハハと苦笑して答える。
「惜しいね。確かに酸素カプセルの機能も取り入れてあるけど、残念ながらそれは肉体の自己回復を促進させるものだよ。簡単に言えば、これを使うと一週間を三時間四十三分の睡眠時間で正常に活動できるという事さ」

 僕が得意気に説明してやると、彼は今度は苦業修業者を見るような顔をした。
「てことは先生、あんた既に実用しちゃってんのかよ」
「そうさ。はっきり言ってしまうと、僕が活動している時間の長さはこの病院の救命率とイコールだからね?」
 僕はハハハ、と笑いながら、
「命はお金で買えないけれど、それを別のもので得たり、その別のものを金で買ったりすることはできるのさ」
 まったく事もなげに言う僕に、予想していた言葉は返ってこなかった。彼は『調子に乗ってんじゃねぇよ』とも言わずに、
「…そうか」
 ポツリと呟いたきり、口を閉ざしてしまった。
 僕は何か変なことでも言っただろうか?
不審に思って彼の表情をうかがった僕は、少し面食らってしまった。
 彼は身を切られているかのように痛々しい顔で、唇を噛み締めていたのだ。  フム、と僕は察した。
 どうやら、今回の彼は何か僕に話があって来たようだ。これは珍しい。しかし、いつも飄々とした態度を崩さない彼に頼られるというのは、決して悪い気分ではなかった。
 そういうことならば、と僕は彼に紅茶を出してやることにする。これは頭をはっきりさせるくせに気分も落ち付かせてしまう、というなんとも奇妙かつ便利な飲み物だ。頭をはっきりさせるのはコーヒーの二分の一ほど含まれているカフェインによるものだろうが、その上何故落ち着かせてしまうのだろう?よくは分からないが、案外紅茶の高級なイメージによる気分的なものもあるのかも知れない。
 僕はどうでもいいことをつらつらと考えながら水を沸かし、彼は黙りこくったままにヤスリを動かし続ける。
 暫くの間、単調な響きに支配される部屋。
 彼がついに口を開いて意外な言葉を発したのは、ちょうど電気ポットの湯が沸騰したときだった。
「ここ、ミサカってやつがいるだろ」
 正式名称は10039号だったかな、と彼。
 それを聞いたとたん、僕の顔は固くなった。
「…あいつ、どうなんだ?」
 言葉は、すぐには返せなかった。
 再び黙る彼。
 言葉が出せない僕。
 ポットの湯が沸騰する音。
 金属と金属が摩擦する音。
 やっとのことで僕の唇が紡いだ言葉は、やけに擦れた音がした。
「……彼女は、まあ……大したことないよ」
 僕と彼は、目を合わせる事ができなかった。
 コポコポ。
 ゴリゴリ。
 そうか、大したことないのか。
 ブクブク。
 ガリガリ。
 ああ、そうさ。大したことないよ。
 コポコポ。
 ゴリゴリ。
 なんでもないんだな、あいつ。
 ブクブク。
 ガリガリ。
 ああ、なんでもないよ

 プクプク。
 カリカリ。
「そうか。……あいつは――」

 ――ガガギリギリガリガリギリギリギリ!!!という音は、彼の歯が砕けそうなほど強く噛み締められたものだった。


 それを背後で感じながら、僕はただ茶葉へと湯を注ぐ。
 大したことない。美しき日本の文化、曖昧な言葉。なんでもない。なんと便利な言葉だろう。
 当然の事ながら、医者は患者の病状を守秘する義務を持っている。それを何の繋がりを持たない彼に教える事ができるはずはなかった。ましてや、ミサカ10039号という少女は、僕でさえ何も手を打つことができない患者だった。
 彼は、ダン!と我慢ができなくなったように立ち上がり、乱暴な足音をたてて窓へと歩み寄る。
「そうか。そういう事か。あいつはなんでもないのか。全然大したことねぇのか」
 曖昧な言葉。
 そこに隠されているのは、後ろめたさ。
 病院での生活が長い彼はには、わかっていたのだろう。
 その人間の様態は、口にできないほどに重いということを。
「紅茶、いらないのかい?」
 今すぐにでもこの場を立ち去ろうとする彼に声をかけても、『いらん』とそっけない返事が返るだけ。
「ちょっと散歩にいってくる」
 言葉の中に、許可を求める色はない。それは、ただの宣言だった。
 散歩。彼のその言葉は、方言だった。
「また、壊しに行くのかい?どっちかと言うと、いい加減直した方が良いのはその“壊し癖”の方だと思うけどね?」
「知るか。大体、“破壊”は俺の現実(パーソナルリアリティ)だぞ。そう簡単にいくかよ」
 取りつく島もなく背を向け続ける彼。
 僕は深く息を吸い込み、一番気になる事を尋ねた。
「そんなに、あのミサカさんの事が気になるかい?」
 彼は、その言葉にピクリと反応した。
「ああ、気になるよ」
 そして足を止めると、振り替えると同時に口を開いた。
「気になるさ、悪いかよ。あいつ、ひとつも動かないんだぞ?俺と喋ってる時は普通…の範囲内なのに、一人になったとたんにお人形状態だ。普通じゃねえよ。なんなんだよ、あいつ。心配して当たり前じゃねぇか!?」
 次第に荒くなっていく彼の啖呵を聞いて、僕はフッとため息をつき…
 ホッと、安心して微笑んだ。
 僕は、間違っていなかったのだ。患者の事を聞かれても、秘密を守るのが医者だ。曖昧な言葉など、半分バラしている様なものである。その気になれば、彼を納得させる嘘などいくらでもつくことができた。
 しかし、そうはしなかった。
 何故か、そうした方が良い気がしたのだ。
 そして…その勘は正しかった。
「そうか、君は彼女とお喋りしていたのか」
「それがどうかしたってのかよ」
 僕は彼に向かってにっこりと笑った。
 そうか。そうなのか、大君。
 それなら君に、もう一つだけ。
「いいことを教えてあげよう」

「ミサカさんが話しているのを、僕は見たことがない。彼女の言葉を聞いたことがあるのは、おそらく君だけだと思うよ?」

その言葉を聞いた彼は、実に面白い顔をした。
 ………………………………はへ? と。
 まるで、貴方は500年後に処刑されますと宣告された死刑囚のように惚けて、
「は?え?いや、なに?どういう事?!あいつは話すときは普通に、え?俺だけがって、は?」
 混乱の極みを深める彼の姿を見るのは面白かった。
 しかし、そのようにうろたえたいのは僕も同じだ。彼が僕の言葉に驚いているように、僕の方も彼の言った事実に驚いていた。
 ミサカ10039号さんは、機械的な受け答えをする彼女達の中でも異常といってよかった。何せ、その行動の中で言葉すら発することがないのだ。医者として患者とのコミュニケーションを身に付けている僕でさえ、彼女の言葉を聞く事はかなわなかった。
 しかし、それを彼はやってのけたのだ。
 彼自身でも自覚しないほど、自然のうちに。
「つまり、だ。僕が言いたいのは…」
 我ながらうまくいれることができた紅茶のカップをずいっと差出しながら、僕は告げた。
「これからも、ミサカさんと仲良く頼むよ、ということだね?」
 僕の突然の頼みに彼は更に混乱を深めてしまったようだった。
「う、ううううううううるせぇな!」
 紅茶のカップを奪い取ると、その熱さにゲホゲホと咳き込みながら、顔を真っ赤にして叫んだ。
「んな事、いわれなくたって勝手にやってやるよ!」
 彼は血の昇った顔のまま、今度こそ部屋を立ち去ってしまおうとする。その様子を見てこの上なく愉快な気分になった僕は、さらに追い打ちをかけてやることにした。
「あーあ、今はもう良い子が寝ている時間なんだけどねえ?僕はこんな時間にまで、君の壊し癖のとばっちりをくらわなければならないのかなぁー?」
 僕のわざとらしい文句に、未だ混乱から回復しきれていない彼はぐっと言葉に詰まった。
「だぁークソ、お袋みたいなネチネチ文句なんてほざいてんじゃねぇ!分かったよ、寝る前の単なる散歩だよ。ストレスの発散方ぐらい、ガキじゃねぇんだからわきまえてるっつの。じゃぁな!」
 それこそさっきまでグレた子供のようだった彼は窓枠に足を掛けながら、最後にそっと小さな声で呟いた。
「……クソ。ありがとな、先生」
 彼はその言葉をごまかすかのように素早く窓から飛び降りた。その後響いた轟音が聞こえる頃には、彼の姿は夜の闇に消えていた。
 まったく、愉快だ。僕は笑いながら、夜の黒しか写さない窓に語り掛ける。
 君はいつだってそうだったよ。
 必要でない事以外には見向きもしない、関心の低さ。
 自分が認めたものにしか従わない、聞かん気の強さ。
 同年代の若者の中でも浮き立つその姿は、大人びているように見えない事もない。しかし、僕に言わせればそれは一本の足で立つ椅子のように危ういものだった。僕がそれを指摘しようとしても、君は毎回のらりくらりとはぐらかすばかり。
 しかし今回、君はまるで自分の自分の醜態を認めてしまった子供のように、素直に僕の言う事を聞いたよ。しかも、あろう事か最後にはちゃんとお礼も言えたんだ。
 本当に、これは愉快な事だよ。
 それに、君は言ったね? お袋の様な事を言ってんじゃない、と。
 その言葉は、まず鏡で自分の顔を見てから言うんだね。きっと自分でも驚くだろうさ。
 他人の事などどうでもいいと言っているようだったのが、今はどうだい?

 まるで、妹思いのお兄さんの様な顔をしているよ?


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