とある魔術の禁書目録 Index SSまとめ

第五話-2

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だれでも歓迎! 編集
 敵は一人。
 距離は七、八メートル。
 凶器は包丁。
 そして、何も考えられない様子で呆然としている店員が、犯人のすぐ手の届く位置に一人。
 この状況での最良は、何も手出しをしない事であった。
 犯人だって、怖いのだ。人を傷つけたのとそうでないのとでは、罪の重さも全く違う。こちらから手出ししない限り、こちらに危害を加る事は滅多に無い。犯罪を犯している人間の、興奮状態にある神経を刺激しないためには、素直に言うことを聞くのが一番だ。そうすれば誰にも怪我をさせないで済む。誰も傷つけさせないで済む。
 まあ俺は、犯行を終えて店員から離れ、店の外へと向かった瞬間を奇襲するつもり(普通の人はそんな余計な事しないでね☆)だったのだが――そんな計画は見事に吹っ飛んだ。
「へ?」
 腕章が無いことに気付いた俺は、間抜けにも声をあげてしまったのだ。
 それだけならまだ良かった。それは犯人の耳に届いたが、その“音”が人の“声”だとまでは分からなかったらしい。しかし、店員は違った。それまで頭が真っ白になっていた少女は、その音を聞いて我に帰った。店の中には男性の客がいたをの思い出し、それが“声”だと分かって、助けを求めようとした。
「た、助けて!!お願い!!」
 おういえー。実にストレイトなHelpCall!おかげで犯人さん、こっちをバッチリ睨んで来ちゃったじゃないかYO!
「なんだ!誰かいるのか!出てこい!」
 思わず先輩風紀委員のような口調になってしまったが、そんな馬鹿なことをしている場合ではなかった。犯人は急に慌てふためき、よりによって店員の女に向かって、レジ越しに手を伸ばそうとした。
 俺は行動を起こす判断を下した。
 興奮状態に陥って、人質をとろうとしている。ヤバイ。
 俺は即座に商品の陳列棚から飛び出すと、手にした猫缶を犯人の頭部目がけて投げ付けた。
 若干店員寄りに投げたため、そいつはそれ以上少女側に近付くこと無く回避行動を取らなければならなくなる。ビュン、と掠める猫まっしぐらをやり過ごした犯人は、次撃に備えるべく体勢を立て直す。
 しかし、その時。
 俺の両足は、既にその首を射程圏内に捕らえていた。
 ドべコッ!!という、肉のぶつかる鈍い音。
 それは、ドロップキックが急所を破壊する炸裂音だった。
 俺の全体重が秒速8メートルで生み出すエネルギーをまともに食らった犯人は壁までぶっ飛び、そのまま叩きつけられて気絶した。

 ふぅ、と一息。
 取り敢えずの危機は過ぎ去った。
 そう感じた俺は、体に縛りついていた緊張を解く。
 その油断が、命取りだった。



 ドンッ――

 衝撃が、俺の体を貫いた。
 え?
 マジ?
 そんな現実逃避した事しか考えられなかった。
 完全に不意を突かれた一撃だった。
 そうこうしている内にも、それは確かな感触をもって俺の腹に食いつき、捕らえて離さない。
 本能で悟った。
 あぁ、俺、死ぬのか。
 実感はなかった。あるいはその方が幸せなのかもしれないな、と思うと、様々な出来事が俺の頭を駆け巡った。まだご飯をあげられていない猫達。そういえばこの頃あまり構ってあげていない寅之助。投げつけてしまった猫缶。
 最後に俺は、自分の人生を終わらせたモノでも冥土の土産にするか、と視線を下げた。
 俺の腹。
 何かが零れ落ちてゆくような感触を伝える、そんな異常の爆心地には――
「うぅ……えぅっ……グス……怖かったですぅうぅううぅぅぅ……」
 なんか、別の意味で死んだり殺されたりしそうな光景が、腹に抱きついてきていた。
「いや、ちょいちょいちょいちょいちょいちょいちょいちょいちょいちょいちょいちょいちょいちょい待った!!」
 またしても微妙な口調でまくしたててしまった。しかしこの女の子は離れない。乙女のくせしてあんた肉体強化系ですか、というぐらいの力でグイグイ締め付けている。レジ越しに身を乗り出して、まな板に乗っかる鯛って感じ。でもって痛い。頭が腹にめりこんでる。そんなにグリグリ押し付けないで下さい。嬉しいんだけど痛いです。幸せですけどヤバイです。
 俺が必死に引き剥がそうともがくと、彼女はやっとの事で腕を緩め、顔をあげてくれた。助かった、と思いきや、俺はうっと息を詰まらせた。
 そこにあったのは、ザ・乙女の涙(ティアー・オブ・レディ)。
 俺が、この世で最も苦手とするものだった。最大の弱点であった。しかも『ふぇ……』等という戦略級音波兵器とのダブルコンボであった。
 俺はどんな犯罪者よりも激しくキョドった。
 いや泣いてるよいやさっきからだったけどいやあれはあいつのせいだけどいや今俺の胸で?いや俺が泣かせてんの?いや助けんの遅かった?いや引き剥がそうとしたのが乱暴だった?やっぱ俺のせい?慰めないと!?
 これは非常に危険だ。女性免疫ゼロの俺にとって、乙女の涙は漏れ出した放射汚染液並みに危険だ。
 やっぱあれか。拭うのか。この悲しみの雫は、払い去らねばならないか。
 これ以上の暴走を回避するため、俺はあえて危険な、あの『涙拭い』を決行することを決断した。
 落ち着け。お前ならできる。さぁ、目標確認。いや、潤んだ瞳は直視するな。そう、目に指を突っ込む事など無いように。慎重に、優しく、その赤く光る水滴を、

 ――赤く、光る?


 危険。そう告げた本能に従い、俺は店員を引っ張って横へ跳び退く。
 床へ倒れこむと同時、ボンッ!!と、さっきまで自分のいた空間が爆弾となって消し飛んだ。
「なんなんだてめえ等!!邪魔してんじゃねえ!!」
 店の角から、怒鳴り声が飛んできた。そこには頭へ血を登らせた男が立っていた。年は俺の五つほど上、服は何処に出歩いていてもおかしくない、ごく普通の装い。しかし、その手にはコンビニという場所には全くそぐわない物品、折畳みナイフが握られていた。
 抜かった。仲間だ。
 見ると、トイレのドアが乱暴に開け放たれている事に気付いた。あそこに隠れていたのか。強盗やテロなどの襲撃を行う時、実行者はよく一般人の中に仲間を紛らわしているのだ。この場合、俺はトイレの中まで気が回らず、犯人は一人だけだと決め付けてしまっていた。俺が初めてこの手口を知ったのは元グリーンベレーなナイスマッチョマンの著作だが、最近は有名な少年漫画の中で取り扱われ、知名度が広まっていた。
「クソッタレが!計画をパーにしやがって!!」
 男は完全に血迷った様子で叫んだ。
 俺は胃の中の物が重油に変わったかのような暗鬱を感じた。
 イレギュラー。それは状況判断を狂わせ、戦況を劇的なまでに転変させる。
 さっきの爆発、あれはおそらく彼が発動した能力だろう。極めて殺傷力の高い危険な系統の力だ。店員はと言えばさっきの衝撃で気絶していた。自分で回避行動を取らせることができない。こちらが不利なのは明らかだった。俺は一気に危険な状況へに捕われていた。
 しかし、俺をこれ以上無いほどささくれ立たせているのは、そんな戦的状況ではなかった。
「クソ、まあいい、そこのオマエ、これ以上怪我したくなかったら黙っておとなしく」
「黙れやクズゴミ」
 俺は、与えられた救済条件を一言で切り捨てた。
「言葉を吐くのは知能持ってからにしようぜ可燃物」
 俺一人に注意を向けるため、わざわざ自分から危険を犯す。だが、理由はそれだけではない。
 あちらに劣らず、こっちも頭に血が登っていた。
 その原因。まず、すぐ足元。こいつは、この店員の頭部を中心に爆発を起こそうとしていた。俺は女の免疫はゼロだが、それ故に女性に対する暴力は人一倍嫌悪している。こいつは自分のために、最も安直、簡単な『排除』という方法を選んだ。自分が危機から逃れるために、他人を、しかも女を傷つけようようとした。ムカつくなという方が無理だった。
 そしてもう一つの原因、それは他でもない、奴の操る能力だった。
 忌々しい光景が脳裏にフラッシュバックする。
 爆発。爆風。壊れる人、物、平穏。
 それは体の芯を炙るように凍てつかせる。
「んだとこの野郎!これにぶつクルまたゴル出ろや!」
 俺の挑発に、爆破男はもはや言葉にもならない声で怒り狂い、ギラついた目でこちらを睨み付けた。と、俺の目前に赤く輝く光の点が現われる。それは『焦点』――爆破系能力者が生み出す爆発の起爆点だった。
 光が徐々に強まっていく。それは炸裂の瞬間が近付いている事を意味する。しかし俺はそれを避けようともせず、男を見据えたまま微動だにしない。
「ぶっ飛べ!!」
 直感。それが合図だ。
 男の叫びが終わる前に、俺は床を蹴って前方へと飛び出した。


 いきなり移動した標的に、男はうろたえる。しかしそれを修正する時間はなかった。俺は光点を素通りする。『焦点』が、背後で起爆する。
 俺は爆破すべく放たれた爆発を背中で受け止め、爆風を推進力に利用した。加速を得た体は、それを起こした張本人へと一気に接近する。
 その距離がゼロと縮まるのに、一秒とは掛からなかった。
 一切の容赦も無く、驚愕に歪んだその顔面を鷲掴む。そのまま、胸に抱える凶気をぶつけるかのように、俺は自身の能力を掌に発動した。

 爆圧。轟音。仰け反る男。どう、と、一息遅れて崩折れる肉体。

 爆発。俺が犯罪者に対抗して行使する力。俺にとってのそれは、破壊の象徴。破滅の具象。
『人間爆弾(クレイモア)』
 それが、俺がこの街で手に入れたパーソナルリアリティだった。

 爆破能力。
 それは学園都市に存在する無数の能力の中でも、『誤観測』の程度が著しいものだ。
 能力というものは、脳開発によって回路を開く事で獲得される『パーソナルリアリティ』から、この世を『誤観測』することで発生する。そしてその誤った観測は、普通の人類の観測方法では垣間見る事ができない、『不可視領域(ブラックボックス)』に蔓延する『ダークマター』へと干渉し、操り回す事で、原理が解明不可能な不思議な現象、『超能力』を生み出す。
 その超現象を観測することで、『不可視領域』並びに『ダークマター』を逆算してやろう、というのが学園都市の目的であり、『人でありながら神の計算を』うんたらかんたらというやつだった。と思う。少なくとも、俺はそのように噛み砕いて飲み込んでいる。そんな指先で食事を味わうような事をしても『不可視領域』に到達できるはずが無いと思うのだが、科学者さん達はいつだってこの世の不可能を可能にしてきたのだ、何も言うまい。
 そんなこんなで、学園都市の科学者さん達は日々能力の研究に取り組んでいる。具体的に言えば、電撃使いが操る、電子を自在に動かす何かとか。それはもう、光子一つ存在しない暗闇のサバンナを手探りで進むが如き果敢さで。
 しかし、そんな科学者達も、全く手を付けようとしない分野の能力があった。
 それが爆破系能力である。






 一息付く間も与えられなかった。
「きゃぁぁぁ!?」
 床にのびた男からそちらへ目を移すと、さっきまで気絶していた男が、同じく今まで気を失っていた店員の喉元に刃物を突き付けていた。
「来るな!それ以上動いたらこいつをぶち殺すぞ!」
 俺が爆破男を爆破し返す所を見ていたのだろうか。やけに震える声で叫ばれる。それと同時、俺を取り囲むようにして四人の人間が出現した。それらは全て男と同じ顔、同じ服していて、つまり俺の視界には五人の男が存在していた。
 これがこいつの能力――視覚の撹乱か。
 意識を集中すると、かすかな耳鳴りを感じた。音楽を聞く時、人はその印象から海や雨、山などのを映像を頭に浮かべる。この男はそいつを原理にして、その醜い面五倍増しを俺の脳へと叩き込んでいるようだ。しょせんはただの幻影に過ぎないが、これだけ鮮明だと、痛覚が誤反応を示す。御丁寧にも包丁まで再現しているため、それで切り付けられたらショックで気絶してしまわないとも限らない。男が幻影を抑止力に使っているのも、それを知ってのことだろう。
 どうやらそれは店員の目にも映っているらしかった。絶望に沈む涙目が俺を見る。男がその喉元で包丁を動かす度に、その体が恐怖で震える。
 男は何かを叫んでいる。おそらく、「両手を挙げろ」のような言葉で、降参の意志を示せと告げているのだろう。
 しかしその声は、俺の耳には届かない。
 俺の顔に、歯を噛み砕くかのような笑顔が浮かぶ。
 なあ、若者。
 そんなに、ぶっ壊されたいのか?


 お前等、レベル2はあるだろ?あの爆発精度とこの視覚撹乱の規模。それに、事前に一人を潜り込ませておくという作戦。その役割分担も、追っ手を簡単に撒く事ができる実行犯と、いざという時に現れて高い威力で状況を打破できる共犯ときた。おまえら、結構頭良いだろ?でも、バカじゃねぇか?何でこんな事やってんだよ。遊ぶ金が欲しかったのか。犯罪を犯すというスリルを味わいたかったのか。自分ならやってのけられると思ったのか。どちらにしろ、やっぱりバカだな。
 なあ、若者。世の中にはな、決してやってはならない事があるのだよ。
 一度犯してしまったら、二度と取り返す事ができない物があるのだよ。それは大抵の場合、法律によって禁止され、犯罪という形をとった行為となっているんだけどな。
 お前は、踏んだんだぜ?
 絶対に踏んではならない、地雷ってやつを。
 そして、残念。
 起爆され、爆発となってお前に降り注ぐ爆風と鉄片の役目を言い渡されたのは――
 この場合、どうやら俺だったみたいだな。
「聞こえてんのか!?両手を挙げて後ろを向けって言ってんだよ!!」
 俺はその言葉に従って、おとなしく降参のポーズをとる――
 ふりをした。
 ボンッという破裂音。
 それは俺の肩袖口から飛び出た鎖付き分銅の射出音だと男が気付いた時、既にその手に握られていた包丁は、遥か彼方へと弾き飛ばされていた。
 一方俺は、目の前に立ちふさがる邪魔な障害物を排除するために行動を起こしている。鎖の反対側をヒュンヒュンと振り回して右手に巻き付け、一回り大きく膨れた拳を前に突き付ける。鎖と鎖の間から赤い光が漏れた次の瞬間、バツンという音をたてて千切れ飛んだ鎖が、散弾銃のごとく幻影達に降り掛かった。あらかじめ切れ目を作っておいた鎖は、一つ一つにバラけて飛んでゆく。それが体に突き刺さった瞬間、幻影達は跡形も無く掻き消え、鎖は何も無かったかのように通り過ぎた。
 超常現象、能力に立ち向かうコツその一。
 どこまでも、常識的に対処すること。
 いくら脳を誤認識させようが、所詮は実態のない幻影には、飛散する物体という、意識が介入しない物理現象は防げない。そしてそれは物理現象に干渉することができない物であるということを認識した脳は、誤認識の呪縛を断ち切ったのだ。要は実物と変わらないほど緻密なホログラムに手を突っ込んで、これは只の光の映像だということを確かめるようなものである。
 いくら人間の常識を越えた現象を起こそうとも、科学のルールにある程度従っていることには変わりない。その原理さえ理解できれば、対処することは十分に可能なのだ。
 もっとも、その原理を解き明かす事ができれば、の話だが。


 俺は、丸腰でただ呆然とするだけになった男に引導を渡すべく、再び自らの能力を発動した。
 ボウ……と、赤い光が生み出される。
 それは一般的な爆破系能力者が作り出す起爆点、『焦点』と同じ物だった。ただ一つ、“体そのものが発光しているということをのぞいて”。
 俺が発現した能力、『人間爆弾(クレイモア)』は、極めてレアな代物らしかった。
 爆破能力――マイクロウェーブによる水蒸気爆発や、重力子加速によるグラヴィトンではない、純粋な爆発を起こす能力が研究者受けしないのには理由がある。その原理が、全く以て理解不能なのだ。
 まず、その爆発だが、そこからして原理が分からない。化学変化も核変化も何も無しに起こされるのだ。空間からいきなり力が生まれ、四散するのである。
 爆発の起爆点『焦点』は、爆破能力者が放つ二つ以上のビーム(のようなもの)が重なり合う場所に生み出される。それがビームの線と線の交点であれば『一点爆破(イグニッション)』、 線と線を完全に重ならせるか、円柱状ビームの中に線を通せば『直線爆破(ラインボム)』、円柱と円柱を交差させれば『空間爆破(イクスプロード)』だ。そしてその交差した場所は赤く発光することから、何らかのエネルギーを帯びる事は分かる。しかし、研究されたのはそこまでだった。ビームのようなものというのは、ただ能力者本人がそのようなイメージを感じるだけ。赤い光も、交点から突然に可視光線が発生していて、その原因はいかなる観測機器であろうと感知することができない。
 その中でも、一際異色を放っているのが『人間爆弾』だ。
 何せ、体にしか『焦点』を生み出せないのだから。
 爆破能力のレベルは、威力、有効距離、座標精度によって決まる。俺は威力だけはレベル4並みだが、どうあがいてもその射程距離はゼロ。よって他の二つも最低評価。風紀委員として真面目にいくらかの功績をあげ、ようやく異能力(レベル2)認定される程度だ。
 しかし、今目の前にいる標的を撃破するのに、そんな些細な事は関係が無かった。
 俺はスキージャンパーのように身を低くすると、ボカッ!という音をたてて足の裏と肩を爆発させた。その反動で、体が前へ弾き出される。
 男の顎に再度ドロップキックを叩き込み、このコンビニ強盗事件を終着させるのには、あと5秒も掛からないだろう。
 俺は宙を切り裂きながら、呆然とした顔に狙いを定めた。


  ▼

「ねぇあなた、黒山クンって何処に居るか知らないかしら?」
 見ると、その彼と同年代らしき少女が自分に尋ねていた。黒髪のショートに、平凡な学生服。意志の強そうな瞳が、こちらを覗き込んでいる。
「彼の病室を訪ねても、誰も居なかったものだから。それで病院の人に聞いてみたら、ここで女の子とイチャ付いてるって」
 ベンチの上で私は首を傾げた。イチャついてるという表現が私と彼の関係を表すのに妥当なのかどうかよく分からなかったが、とにかく突然現れた彼女は彼を求めて自分に話し掛けて来たらしい。しかし、彼は今ここには居ない。それに名前も知らぬ人間にいきなり話し掛けられ、どう答えて良いのか分からない。彼女はどういった用件で彼を探しているのか。猫缶を買いに出かけているという情報を与えてもいいものなのだろうか。
「あ、ごめんなさい。いきなり自分だけ問い詰めちゃって。ちょっと急いでたものだから」
 こちらの当惑を察したのか、彼女は自己紹介した。
「私は長谷美冴子。黒山大助の風紀機動員としての力を借りに来たの」
 その腕に留められた腕章が、キラリと揺れた。

  ▼

 大丈夫だろうか。
 不安。
 恐怖。
 刃物を持ち、人を傷つけるために能力を振るう犯罪者と対峙しても感じなかった感情に、俺は心を揺さ振られていた。
「だ、大丈夫ですか!?」
 今の蹴りは、さっきとは比べ物にならない。当分目を覚ます事は無いから拘束しなくてもいいだろうと思い、倒れこんだままの店員に駆け寄った。だが、どうしたことか。彼女は何も喋らず、先程のように泣き喚くこともしなかった。躊躇いを覚える余裕も無く、店員を抱き起こす。
「聞こえますか?どこか痛い所はありますか?吐き気などはないですか?」
「いえ……だ、大丈夫です……」
 どこかで仕入れた知識を総動員して確認すると、一応安心させてくれる答えが返ってきた。しかしまだ油断はできない。自分自身で気付いていない傷があるかもしれないではないか、と体全体を見渡す。いつもの俺なら女性をジロジロ眺め回すなんて不可能な事だが、自分が関わった事件で被害を負わせてしまったという罪悪感と、少しだけ沸きあがった風紀委員としての責任が、それを可能にしていた。まず、腕。白い、細い、出血無し。問題無し。足、これも白い、スラリ、出血無し。問題無し。胴――は、さすがに服の上から見るだけだが、赤い染みなどは確認できない。
「よかった……怪我は無かったか……」
 ホッと安心すると、こちらを見上げる店員と目が合った。あーあ、顔が真っ赤だ。よっぽど怖かったんだな。そりゃそうだよな。くそ、もっと穏便に解決できればよかったのに。見ろよ、耳まで赤くなってるじゃねぇか。
 異変に気付いたのは、その時だった。熱い。店員の体が、メチャクチャ熱い。慌てて、額に手を当ててみる。更に熱くなった。
 え!?何!?どうした!?
 赤みを増してゆく顔を覗き込むと、なんと言うことか、その瞳がプルプルと揺れ、目蓋が閉じられてしまった。心なしか呼吸も乱れているように感じる。加えて、背中から腕に伝わる鼓動が激しくなってきた。
 オーマイゴッド。どうすればいいんだ。風紀委員になるための訓練である程度の応急手当ては習得しているものの、発熱などという症状には対処できるはずも無かった。
 何かの持病でもあったのだろうか。このまま安静にしておくべきなのか。担いでカエル先生の所までとんでいく方がいいのか。
 混乱を極める俺に救いの手が差し伸べられたのは、コンビニを爆砕して騒ぎを起こし、救急車の方からこちらに来てもらうしかない、と決断を下した時だった。
 その救いの手は、宙を舞う二本の足の形をしていた。
 その二本の足は、俺の使い物にならなくなった頭を、九十度ほど傾けた。
 頭を寝違えたみたいにへし曲げられた俺は、その勢いで壁まで吹っ飛び、叩きつけられて停止した。
 デジャブを覚えながら体を起こす俺に、その救いの足の持ち主は、ツインテールを揺らしながら言い放った。
「風紀委員(ジャッジメント)ですの!おとなしくなさい!」
 真顔で先輩にドロップキックをかました同僚風紀委員、名実共にトップクラスのテレポート能力者、白井黒子がそこにいた。


  ▼

「白黒か!?助かった!!」
 まず今まさに拘束されんとしているくせに喜んでいる現行犯に眉を潜め、次に失礼極まりない名前で呼ばれたことに腹を立て、しかしその呼び方をするのはあの猫バカ男だけだったはずではと疑問に思い、それから自分が蹴っ飛ばした人物の顔を確かめて私は驚きの声をあげた。
「ええ!?黒山さんですの?!」
 どういうことか?と店内を見渡してみれば、先程0,1秒で確認した『女性に覆いかぶさる男』の他に、二人の男が地べたとラブシーンを演じているのに気付いた。それに爆破能力特有の爆風に薙ぎ倒された商品も。
 どうやら、事件はもうこの人によって解決されていて、自分はその功労者のドタマに足裏印のスタンプをだけということらしい。
 タラリと流れる冷や汗をごまかすために、努めて明るく、
「あ……あ、あはははは……どうやら、ご苦労様だったようですのね……」
「気付くのオセェ。いくらお前でも踏み込む前には覗いとけよっていう所だけどどうでもいいや。頼む!この人をすぐそこの病院まで運んでくれ!」
 珍しい。『頼むから決闘は頼むから勘弁してくれ』や『今は猫の相手だけで手いっぱいなんだよ、シッシッ』ではなく、ましてや途端に逃げ出すでもなく、あちらから先に頭を下げてくるとは。
「怪我人ですの?」
「ああ、怪我かどうかは分かんねぇけどなんかやばいんだよこの人!」
 どうやら腕に抱えた人物を心配しているみたいだが、その容態を見て私は、
「これが怪我人ですの?」
 メチャクチャ低い声で答えた。
「ああ、なんでか知らねぇけどいきなり熱出して――」
「こう、赤くなって?」
「そう」
「目も潤ませて?」
「ああ、なんか汗かいたみたいに」
「目線も踊らせて?」
「そうなんだよ、意識が朦朧としてんのかな?やばいよな!?」
 取り敢えずその女性店員を床に寝かせ、バカ男を上下逆さまに空間移動した。
「んでぁッッ!?な、何すんだよ!?」
「こちらの方は問題ありませんわ。まあ、念のため救急車のお世話になっていただくことにしますけど」
 微妙にシカトした答えだが、無事だという保障をされただけで安心し、気にはしなかったらしい。頭の天辺を擦りながらよかった、と息を吐く。
 3分後に到着した救急隊員に店員を引き継いでもらって、私は黒山大助に向き直った。
「まったく、あの店からの自動警報器の通報から2分で駆け付けましたのに、何で入院中のあなたが現場にいて、しかもとっくに制圧してますのよ」
「仕方無いだろ。猫缶の買い出し中に、偶然巻き込まれたんだよ。それに待ってられないような状況だったしさ」
 偶然、ねぇ。宝くじに当選する確率とどちらが高いのだろう。その疑惑を察してか、彼は更に情けない声で懇願する。
「なあ、だからさ、全部お前が始末しましたって事にしてくれれば有難いんだけどさ~」
 まあ、仕方ないか。
「いいですわ。この事件の報告書には、私がいち早く駆け付け、犯人を昏倒させたことにしておきます」
 倒れている二人の男に非金属製の手錠をかけながら、私は彼の頼みを受け入れた。
 本来風紀委員の管轄は校内のみであり、非常事態でもないのにコンビニへと駆けつけた私の行為は越権である。だが、私は警備員に準ずる風紀機動員の資格を持っているし、実際に警備員では手遅れとなり、被害を拡大していたかもしれない事件を食い止めた実例が多々ある。だから多少のことは始末書を書くぐらいで目を瞑ってもらえている。
 しかし、いくら犯罪者を無効化するためとはいえ、通報を受けて駆け付けた風紀委員でもない者が人に危害を加えてとなれば少々面倒だ。彼は腕章も付けずに行動してしまったようだし。
 彼の頼みを受け入れた私は、しかし意地の悪い笑みを浮かべて言った。


「その代わり――」
「その代わり……なんだ?」
 尋ね返してはいるが、私が企んだ交換条件には察しがついているようだった。そろそろと後退りするのを、肩からぶら下がっている千切れた鎖を掴んで引き止め、言い付ける。
「逃げようったってそうはいきませんわ!今日こそは決着を付けさせて頂きますの!第七学区最強の風紀機動員さん!」
 彼は、心底うんざりだという顔をした。
「やだよもう勘弁してくれよ捕まえたが最後心も体も切り刻んで再起不能にする最悪の腹黒空間移動能力者の風紀委員さん」
 とりあえず蹴り上げといた。
「やっぱりあの噂はあなたが原因だったんですのね!?そのせいでわたくしを見る民衆の目が最近居たたまれないことになってますのよ!」
「いいじゃんお前にもキャッチフレーズができたじゃんそれに当たらずとも遠から――イテッ。だって初春になんか良いアイディア無いかって聞かれたらすぐに閃いたもんだから――ォブッ!そんな気にすんなよー。俺のだってあいつが面白はんぶん抑止力防犯目的はんぶんでつけた肩書きだろー?」
「それでもあなたが最強の肩書きを我がものにしている限り、私はあなたより劣っているという看板をぶら下げていることですの!!とにかく今ここで勝負なさい!!」
「えぇー。もうそろそろ警備員(アンチスキル)も現場に到着する時間だろ?俺、黄泉川姉ちゃん苦手なんだよ。とっとと帰らせてくれよ。それにお前だって入院中の怪我人に勝っても嬉しくないだろ?」
「人を二人伸しといて言うことですか」
「そっちこそ人を入院させといて言う言葉かよ」
 う。
 それを突かれると弱い。耳に痛い反撃に、私は固まってしまった。
 学園都市最強の能力者が無能力者に打ち倒されたなどというデマ騒動の鎮静化中、彼を傷付けてしまったのは、実は私なのだ。いくら徹夜の疲労と錯乱する『鈴科百合子隊』の異様なオーラに怯まされていたとはいえ、金属矢を彼の首に誤って発射してしまってのである。幸いにも掠った程度ですんだらしかったものの、一歩間違えれば命に関わっていたかもしれない。その上、彼はその傷を負わせた私に何の非難をするでもなく『ああーいやー疲れて首がギックリいっちゃったなー俺も年だなーじゃあ帰って寝るわー』と言ってその場の仕事を片付け、どこかへ飛び去ってしまった。今こうして見るかぎり、やはりあの傷は入院モノだったらしく、罪悪感が重くのしかかる。


 そんな私の後ろめたさに付け入って、彼はナハハと笑いながら、
「いやー別に気にすること無いんだぞー?まあこれが治ったら相手をしてやらんでもないから、またなー」
 妙に愛想を振りまきつつ、形のつぶれた猫缶を手にしてコンビニを出ていった。
 その背中にはこの事件で刻まれたのであろう真新しい傷があった。それを見送りながら、またも言い様のない罪悪感が沸き起こってしまって引き止めることができず、なんか私はいつもこうやってはぐらかされているな、と口を尖らせた。

 到着した警備員とのやりとりを終えて一息着いた所で、初春飾利から携帯に電話が入った。
 私は扱いにくい口紅のようなデザインを操作して通話ボタンを押すと、それを何の躊躇いもなく地面に叩き着けた。
「い、痛い……受話器が、ピガーッ、って……ひどいですぅ」
「その言葉、そのままお返しいたしますわ。今のは最悪腹黒風紀委員の名付け親への、ちょっとした感謝のおしるしですの」
「ゲッ!何で白井さんがそれを知ってるんですか。もしかして、黒山先輩がバラしたんですか?」
「それはもう、ぺらぺらと。あなたが黒山さんに私のキャッチコピーの作成を命じ、そのネーミングセンスを大絶賛した場面まで詳細に」
 デタラメだけど。本当はそこまで聞いてないし、大袈裟だけど、釣ってみた。すると、思いもよらなかったモノが食いついた。
「えぇー、確かに私はあれに賛成しましたけど、立案したのも命名したのも、全部黒山先輩の所為ですよ?」
 何!?
「……どういう事ですの?」
「そんな、私にむかって恐ろしい声出さないでくださいよぉ。だから、『白黒がキャッチーな肩書き欲しがってるみたいでうるさいんだけど、こんなのどうだー?』って言ってきたのが先輩で、私はそれに賛成しただけです」
 死刑だ。いや、それは初春で、あの男は極刑だ。執行人白井黒子が、直々にこの世の地獄を味わわせてやる。
「白井さん、そんな下品に笑ってないで、報告してください。コンビニ強盗はもう収拾がついたんですよね?」
 たしなめるような言葉だが、声が震えていた。確かに公衆の面前でゲヒヒヒなどと声をあげたのはヤバい。これではあのバカ男のつけた名前そのものになってしまう、と私は気を取り直して、彼女がこの電話をかけてきた本命の用件に応答した。
「え? じゃあ黒山先輩がたまたまそこに居て、白井さんが到着する前に鎮圧し終えてたんですか」
「そういう事なんですの。あの人もよくよくトラブルに巻き込まれる体質ですわね」
 あれで意外と風紀委員に向いているのかもしれない、と脱力しつつ一人呟く。
 思えば、私が黒山大助に初めて出会った時も、彼は何かの買い物をしている途中の様だった。
 まだ風紀委員に所属していない一般人だった頃、己の能力に慢心していながら、突然身に降り掛かってきた無差別な悪意に何も対応する事ができなかった自分。そこへ忽然と現れ、ペット用スナックを舞い散らせながら取り囲む男達を吹き飛ばしたドロップキックは、今でも鮮明に覚えている。
 彼は、どうなのだろうか。その時の事を覚えているのだろうか。彼と言葉を交わしているとしばしばそう考えてしまう時があるが、その態度を見れば、悩むまでもない。これっぽっちも覚えていやしないだろう。私だって、数年前に仕事で助けた人間をいちいち覚えていやしない。当然のこと。分かってはいるものの、なぜか悔しく感じてしまう。


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