とある魔術の禁書目録 Index SSまとめ

第六話第二章-5

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だれでも歓迎! 編集
  ▼駒場利徳01

 携帯電話のカメラ機能の一つ、望遠モードの四角い映像の中。    
 拡大された、数百メートル先の、駐車場の端。
 赤い光を体に走らせる爆弾魔が、幽霊のようにそこへたたずんで   
いた                               
 クロヤマが、そこにいた。                    
 ヤツは、駐車場に接する、立体駐車場の柵や店舗の窓という窓に   
ズラリと並び構えているスキルアウト達を、みるでもなく視界に収   
めている。                            
 思えば――ボクは広大な駐車場に接する、クリスタルタウンで最も   
高い建物の屋上で、画面の中の赤い少年を見つめながら思い出す――   
あの人間はいつもこんな感じだった。                
 平然と裏路地の世界へ訪れ、好き勝手に土足で踏み荒らし、また   
平然と、挨拶も無しに帰っていく。                 
 スキルアウトがどれだけ爆弾魔を怖れても、憎んでも、意にもか   
いさない。クロヤマはただ、『不良とされる者』を『壊す』事、そし   
て猫科の動物を保護する事にしか興味を持ってはいないのだ。     
 だがそれ以外は、あいつは普通の、『ちょっと変わった』という範   
囲内の人間だった。                        
 だからこそ、騙されたのだ。五年前、ボクがクロヤマに、そんな   
化け物だとは知らずに心をかけ、近付いてしまったせいで、ボクの   
チームは潰されてしまった。                    
 それ以降も、爆弾魔は学園都市中の不良集団を片っ端から潰し続   
けた。その中で、ボクは何度か爆弾魔に出会った事があったが、ア   
イツは「あ、おまえ、あの時の」と口で言いながらボクの胸骨を掴   
んで投げ飛ばしていた。                      
「クロヤマ……」ボクは人知れず呟く。「おまえはいつまで、俺の邪   
魔をすれば気が済むのだ……」                    
 ボクはただ一つ、力のない者も平等に存在できる世界をつくりた   
かっただけなのだ。                        
 そしてそれをつくる事は不可能だという事を知った時、ボクは力   
を得る事にした。                         
 今、スキルアウトという現在学園都市最大の集団の頂点を極めて   
しまっているのは、成り行きからの事である。目標へと努力してい   
るうちに生まれてしまった副産物だ。それでも、目標にたどり着く   
ための役には立つ。                        
 しかしその目標に爆弾魔は邪魔だった。いや、邪魔どころではな   
い、アイツは壁だ。しかも、乗り越える事も打ち崩す事もかなわな   
い、その前で途方に暮れるしかない壁である。            
 最高の命令権を握った今、最善の行動は全員を爆弾魔から逃がす   
事だった。何度検討しても変わらない、それが現段階での最善であ   
る。

 しかし、将来をも視野に入れて考えると話は違った。        
 今爆弾魔を倒さなければ、ボク達に未来はなかった。        
 今ここにある戦力は、今までにない、そしてこれからも揃える事   
は難しいと思われるほど巨大なのだ。                
 が、それ程の力をもってしても、爆弾魔に歯が立つとは思えない。  
 それでも、今やらなくては、もう永遠に爆弾魔に勝つチャンスは   
ないかもしれない。                        
「やるしか、ないのだ……」                    
 ボクは携帯電話を外部接続モードに切り替えて演算銃器に繋げ、   
同じ屋上にいる数人の幹部たちに戦闘態勢の命令を放った。      
「……全員、射撃用意」                      
「全員、射撃準備っ」幹部たちが復唱して個々の指揮下に伝える。   
 2秒ほどの間の後、夜のクリスタルタウン専用駐車場に、さざ波   
のような金属音が満ちる。                     
 それは、総勢百二十余人もの人間が、一斉に銃器を構える騒めき   
だ。                               
 ボクは、一度でも火器を使用した経験のある者には全員に銃を持   
たせた。それ以外の者にも手製の手榴弾や給弾の役目を与えている。  
 その配置はクロヤマの接近を30秒前まで告げていた報告へ愚直   
に従ったものだった。視界の開けた駐車場、そこから見える壁、足   
場、窓にはことごとく外敵を待ち構えるスキルアウトがいる。     
 その真正面から素直にぶつかるのは、何か特別な理由が無い限り、  
自殺以外の何物でもない。                     
 そしてクロヤマは普通ではなかった。               
「駒場さん……『アイツ』は本当に、こんな待ち伏せている所に馬   
鹿正直にかかって来てるんですか……!?」             
 爆弾魔はまだ撃ち始めるには遠すぎる場所で、動こうとしない。   
音の無い緊迫の中で、幹部の一人が聞いてきた。           
「大丈夫だ。……心配せずとも、アイツは必ず」           
 来た。                             
 あたり一面に緊張が走るのが分かった。              
 駐車場には無数の外灯が墓標のように立っているため、肉眼でも   
見える。                             
 遥か遠くの赤い人影が、気だるげに引きずりながらこちらにむか   
って足を動かし始めたのだ。                    
「……合図がまで、引き金を引くんじゃないぞ……」          
 小声になりながら幹部へ念を押す。しかしその命令は、この場に   
いない下の部下達に守らせる事はできないだろう。          
 “今俺たちの学区を踏み荒らしているのは、爆弾魔(ボマー)とい   
う、学園都市が雇った一人のイカレ能力者である。”ボクは3分前、   
作戦の説明の際にそう全棟放送した。“いくら能力ばかりが発達した   
いようと、スキルアウトが力を合わせれば敵ではない”、とも言った。  
しかし、その外敵は、たった一人でこれだけの混乱をもたらしてい   
るという恐怖を消すことは叶わないだろう。

 だから、それでいい。今は非常時であるために詳しく知らせては   
いないが、いくらかの人間はスキルアウトのリーダーが入れ替わっ   
ている事に気付いている。そんな所から下る命令がいつも通りに染   
み渡ると考えない方がいいだろう。誰かが一人でも我慢できなくな   
って引き金を引いてしまうとき、それが一斉射撃の合図だ。      
 ボクは携帯を操作して演算銃器を設定しながら、浮遊霊の足取り   
のクロヤマに狙いを定める。周囲数キロに渡って静寂が支配する中   
を、そいつの引きずる足が立てる音だけが動いている。着実に、ゆ   
っくりと動いている。しかしこの距離では秒速1メートルにも満ち   
ない速度は何のプレッシャーも感じない――              
 と、そこで急にボクの視界が急にぼやけた。額に浮き出た脂汗が、  
目蓋を乗り越えて瞳に零れてきていたのだ。それに気付いた途端、   
眼球に浸食した塩分が痺れるような痛みを主張しだす。        
 顔の筋肉が瞬きを欲した。だがそれを許すわけにはいかない。ヒ   
クヒクと痙攣が起きる。しかしそれ以上許すわけにはいかない――    
ボクは歯を食い縛って、より一層の集中力で標準を重ねる。だがあ   
まりにも緩慢でもどかしいクロヤマの動きに一つの考えが浮かぶ。   
今ここでこの衝動を癒しておく方が正解なのではないか。でなけれ   
ば、決定的な瞬間が訪れた時、最善を尽くす事ができないのではな   
いか。いやしかし、と別の思いも立ち上がる。その決定的な瞬間と   
いうのが、正に瞬きをした時に来たらどうするのか――ボクは目の事   
など気にならない集中力を振り絞らせ、充血を感じながらもサイト   
と爆弾魔を睨み続ける。                      
 幹部達も、それぞれの銃を構えて赤い人影に狙いを定めている。   
ここから下方に50メートル、横に100メートルの範囲に張り付   
く仲間達も、マッチのように小さな、赤い色の滲む人型のシルエッ   
トに狙いを定めている。その背に控えている者の目も、ぼんやりと   
光る標的から離れない。                      
 200の視線を浴びながら、爆弾魔は夢遊病者の足取りでただ左   
右の足を動かし、足の皮を地面に削らせる……            
 その瞬間は、いきなり現れた。                  
 フッ――、と。クロヤマが、インスピレーションの舞い降りた詩人   
のような挙動で顔をあげた。そして、その時やっと気が付いたよう   
にあたりを見回し――ニヤリ、と笑ったのだ。             
 直後、その体は今までとは全く違う勢いで光を発しだす。      
 途端、爆弾魔が突然大きくなったような錯覚が生まれた。さっき   
までは蝋燭の先に灯されているのが関の山、ぐらいの光量だったそ   
の体は、いきなりキャンプファイヤーのような、圧迫感すら立ち合   
わせる存在として改めて出現した。                 
 それは気を緩めた隙に火力の増した炎に顔の表面を舐め上げられ   
るような突然の恐怖だった。今までは十分な距離があったと思って   
いた――実際に、今も70メートルは下らない距離があるのだが――   
しかし、ボクは危険を感じた。知らない間に一気に距離を縮められ   
てしまっていたのだと思った。背中の肩甲骨と肩甲骨の間が強ばる   
のが分かった。指はいつの間にか引き金を引いていた。        
 ボババババババババババババァッ!!耳を塞ぎたくなるような、   
絶え間無い破裂音。

 駐車場の広い闇を、ほとんど一斉に銃弾が駆け抜ける。スキルア   
ウトははからずとも息の揃った射撃を行っていた。          
 幅広く広がった無数の射撃地点から発射された弾丸は、オレンジ   
色の光の粒を含む扇型、厳密に言えば薄くおぼろな四角錐すいの風   
となり、その根元であり頂点である爆弾魔へと濃度を増しながら押   
し寄せ――                             
 ヅバァァッッ!!                        
 灰色の粉塵が爆発のように広がる中、砕けたアスファルトが飛散   
する。その炸裂は明らかに銃弾によるものだ。爆弾魔の放つ、赤光   
を中心とした無色の爆風ではない。                 
 膨大な数の鉛玉が極めて狭い範囲に密集する破壊力は、思ってい   
たよりも遥かに凄まじいものだった。そこへ弾速の遅い榴弾が一息   
遅れて着弾し、おまけの爆発を巻き起こす。             
 数秒と経たないうちに、爆弾魔が立っていた場所はコンクリート   
やアスファルトの瓦礫が覗く鼠色の靄に包まれていた。        
 先程と同じく、スキルアウト達はほとんど一斉にマガジン中の弾   
を全て吐き出し終える。するとそこには、さっきまでの騒音が嘘だ   
ったかのような静けさが舞い降りた。パラパラカラカラと地面に落   
ちる薬莢や駐車場の地面だった破片の音が、冬の寒空の下で静かに   
はぜる焚き火の薪のようだと思った。それ以外に、音は無かった。   
人の力が動く気配は無かった。                   
 油断したのだ。                         
 スキルアウトは、数百の銃を構える前にフラフラと現れたあのア   
ホな人間は確実に死んだと思っていた。               
 あっさりと。被害も無く。それに疑問を覚えなかった。ただどう   
しようもなく浮き足立った前向きな希望や驚きや期待が、胸の中を   
支配して膨らませていた。                     
 気付いているべきだったのだ。                  
 爆弾魔が一斉射撃を受けた場所に。                
 かつて川だったこの地を埋め立てた事で造られていた、人間が    
悠々と入れる程の大きさの水路に被せられた蓋の連なりが、その下   
を横切り、梯子状の模様の切れ目を走らせていた事に。        
 風が、立ちこめていた粉塵を払う。皆が待ち望んでいた光景は、   
そこにはなかった。煙幕の晴れたアスファルトとコンクリートの荒   
れ地には、生命の赤黒い残滓の代わりに、1メートルほどの穴がポ   
ッカリと、飄々と空いていた。                   
 スキルアウトは首を傾げ、ボクが自らの愚に気付きかけたその時。  
 ゴバッ!!と空気を轟かせて、その穴の左右10メートルの横一   
線が、まるで地雷の連鎖のようにして吹き飛んだ。

  ▼ クレイモア 09

 と言っても、思い出したものはほとんど回想し終えてしまった。あとは終盤の
記憶だけだ。せいぜい噛み締めるとしよう。
 ガラス窓が壁の多くを占めるレストランだった。親が一緒だった。同級生もい
た。ということはたぶん、学校の卒業生のための祝宴とか、そういう行事にあわ
せた学校外の食事会だったのだろう。全校で百人あるかないかぐらいの大きさだ
から、同級生とその保護者でそんな事ができる。とすると、レストランではなく
バイキングだったのだろうか。とにかく分かるのは、ただ楽しそうな雰囲気で何
かを食べていたという事だ。
 明るかった。空気中に光の粒子とガスが立ちこめているようだった。笑い声も
満ちていた。ざわめきが包んでいた。
 俺はガラスの壁を背にしてハンバーグを食っていた。母さんの作った方がうま
い。そう言うと母さんは嬉しそうに笑った。でもハンバーグは好物だ。全部食べ
るつもりだった。友達の所に行かなくていいのか、大助。これ片付けてから行く
よ。父さんと母さんは光る顔で笑っていた。それは俺が見た両親の最後の幸せそ
うなツーショットだった。
 やっぱり母さんの方がうまかったな。食べ終わった俺は立ち上がって大将達の
集めるテーブルを見た。大将がこっちを振り向いて笑い掛けた。
 ダイスケ、こっちで食おう。
 おう。答えて俺は行こうとした。その時、声がした。大助大ちゃん伏せろ臥せ
なさい。
 俺は大将の顔を見たままだった。声はまだ頭に届いていなかった。見つめたままだった。スプーンを持って笑う顔を、歯を見せて笑う顔を、目を細めて笑う顔を、

 次の瞬間、彼女の顔が切り裂かれた。

 ガラス片だった。俺の視界の外から飛来した大小様々な透明の刄が大将の眼球
に生え口に入り頬を抉り喉を貫き眉間に突き立ち鼻に沈み顔の造形が崩れるほど
グチャグチャに切り裂いていた。ブワッ、と遅れて血が噴き出して、それは顔が
膨らんだようにも見えた。血飛沫や表皮の欠けらや筋繊維の端っこや黄色い脂肪
やらが、ゆっくり、ゆっくりと舞い上がる。
 俺は何を思う暇もなかった。大将の変貌を目にするだけの時間を与えられた直
後、背中から体をバラバラにされるような衝撃にぶっ叩かれたのだ。
 それは爆発だった。化学反応や核反応により作り出されたエネルギー、固体液
体から気体となった直後の圧縮された物質ががその行き場を周りに求め押し寄せ
て雪崩を起こし、全てを飲み込み砕き焼き崩しへし折り潰し捻り殴り踏み付け踏
み躙る、爆発とはすなわち破壊の全てだった。それを俺は全身で学んだ。そして
その渦に飲み込まれた。
 気が付くと暗かった。俺は暗い場所に寝転がっていた。夜の田舎町のような小
さな光がポツポツと散らばっている。音は無くとても静かだ。
 夢だったのか、と思った。俺は父さんも母さんも寝静まった真夜中に怖い夢を
見たのだ。あの光はしばしば家の中を通り過ぎていく光球なのだ。もう一度目を
閉じて朝を迎えれば、今度こそみんなと一緒に飯を食うんだ。今度は父さんも母
さんも大将もいつものやつらも大人たちも、みんな最初から一つのテーブルで座
って食って笑うんだ。
 しかし同時に悟っていた。これはあの悪夢と繋がっている現実だと。あの悪魔
は現実のものだと。俺はなけなしの解釈を並べて逃避しているのだと。バッドエ
ンドの結末を視ながらも頭の中では和やかな映像を組み立てている感覚に似てい
た、だから気付いた。自分が寝ているのはカサついた粉塵が敷き詰められた硬い
床だった。それは間違いなくいまさっきまで皆が歩き回っていた地面だった。自
分の体はあらゆる箇所が壊れていた。口の中はハンバーグではなく血の味がした。
暗いのは無数の瓦礫が人の生きるだけの間隔よりも狭い密度で積み重なっている
からで、小さな光はその隙間からわずかに届く外界の太陽だった。
 間違いなく現実だった。大将が、彼女が、あの少女が止める事もできない間に
高速で破壊された光景は本当に俺の目の前で起こった事だったのだ。
 事態を認識すると頭が澄み切っていった。俺は、俺たちは爆発に巻き込まれた。
破壊の渦に飲み込まれた。大将は死んだ。そしてこの瓦礫の暗闇の中に音は無い、
みんなも同じように死んでしまったのだ。みんな死ぬのだ。俺も死ぬのだ。俺も
同じように……俺も……いや……、俺は?

 俺は生きていた。大将はとっくに、一瞬であんな姿になったのに、俺はこうし
て、ボロボロになりながらもまだ生きている。
 体さえ、一部だが動かせた。動けるだけの空間も、この瓦礫の中に、おそらく
俺だけに与えれていたという事だ。麻痺していた指先に触覚が戻り、何か暖かい
ものの存在を把握し始める。徐々に背中の感覚も蘇り、俺は背後から誰かに抱き
締められるようにして護られているのをはっきりと感じた。
 大助、伏せろ。
 大ちゃん、臥せて。
 あの時俺の名を呼んだのは誰だったのか。分かり切った結末を、それでも息を
飲んで見守るような緊張。寝転んだ軋む体をを動かして、ゆっくりと後ろを振り
返る。
 僅かな光源によって浮かび上がる、血に塗れた瓦礫。
 そこに、半分埋まるようになりながらも母さんを抱き締める父さんと、父さん
の腕の中から俺を優しく見つめる母さんがいた。
 首から上を失ってもなお母さんを守ろうとした父さんと、首から下を無くしな
がらも俺を元気付ける眼差しを絶やさない母さんがいた。
 その時の衝撃は、脳天の頭蓋の割れ目をてこでこじ開けて電極を刺されたとで
も言えば少しは伝わるだろうか。俺は目から20センチも無い距離に横たわるそ
の絵をダイレクトに受けとめるしか無かった。首無しの父さん。生首の母さん。
足りない分を合わせれば一人分になる体。
 俺が発狂しなかったのは、母さんが穏やかに語り掛けてくれたからだった。
 大ちゃん、大丈夫、お母さんの目をよく見て。
 母さんは首だけの体になってもまだ生きていた。話す事ができた。俺はその幼
稚なまでのホラー的記号よりも、ただ、生きている、まだ死んではいない、とい
う安心を強く感じた。
 俺はすがるように指示に従った。言われなくてもそうしていただろう。母さん
の、突如として虹色の光を放ちはじめた虹彩を食い入るように見た。
 そう。もう大丈夫になるから。すぐよくなるから。お母さんの目を、そのまま
真っすぐ見て――
 その時、俺は母さんの目の奥から放たれる眼光に乗った、圧倒的なエネルギー
を持つ波が体に流れ込んでくるのを感じた。それは弾ける音を持ち、あふれる光
に満ちてた。
 俺の体の中を、見覚えの無い記憶の映像が駆け巡った。
 神聖の森。霞を食べ、朝露を飲み、風と踊り戯れる幼い自分。世界には歓喜ば
かりしか存在しないと思っていた幼少期。
 少し冒険してみるだけのつもりだった遠出。突然感じた激痛。忽然と現われた
『ヒト』。襲い掛かる網。
 生まれて初めて感じる痛み。初めて知った恐怖。一生続くかのような苦痛。閉
ざされた檻。陽の届かない地下。手足に噛み付く鎖。
 ながい、ながい暗闇――
 天を割って轟いた音の衝撃。もう忘れかけてすらいた、光。炎に包まれてボロ
ボロと崩れる、今まで自分を閉じ込めてきた暗闇。
 そして、差し伸べられた手。
 出たいか?
 問い掛けた、炎の少年。
 ここから出してやる。

 外。すっかり変わってしまっていた世界。はこびる狼。荒れる村。決意。少年
と、その仲間たちと共に行くと誓った少女の自分。
 熾烈な闘い。累々と積み重なる、狼と仲間たちの屍。命を削り合う大魔狼と少
年、自分。
 ついに勝ち取った平和。訪れた幸せ。仲間と皆で、恋人と二人で世界を旅した、
光輝く日々。
 結婚してくれ。生まれ故郷の森の泉のほとり。輝きを秘めた彼の瞳。少年から
青年へ、そして夫になった男の顔。どうしようもなく熱くなった胸。絶対に忘れ
ない、言葉、言葉、口付け。
 安らかな日々。森に構えられた新居。時に舞い込む仕事。二人で営む生活。二
人だけの幸せ。
 想像妊娠によって産まれた我が子。自分にも夫にも似ている生命。弛んだまま
戻らない自分の頬。なぜか苦笑いを浮かべる夫。
 元気すぎる男の子。生後10ヵ月ですいすい歩き、どこかへ隠れ、見つけた場
所は裏の大木の枝の上。安らかな寝顔。楽しくてたまらない子育て。
 なんでうちには猫がいっぱいいるの?猫はこの世で2番目に可愛い存在なのよ。
ああ、猫はこの世で2番目に愛すべき存在だ。ねぇあなた。なぁ母さん。……仲
好いな、父さんと母さんは。呆れ顔をする、この世で1番目に愛している最も可
愛らしい存在。
 思春期に入った息子。両親の仕事を知った息子。一時は反発した息子。父さん
と母さんは俺の誇りだと言ってくれた息子。将来俺もそうなりたいと言ってくれ
た息子。
 傷だらけで帰ってきたある日の夕暮れ。何も聞くなと語る目。夫と共に感じる
成長。少しの寂寞。
 豊かな顔つきに変わっていく息子。あの少年とそっくりになっていく息子。心
身共に強くなっていく、息子――少年。11の誕生日。初めて女の子を連れ込んだ
息子。狂喜する自分。
 そしてこの日。
 楽しい記憶になるはずだった一日。惨劇に変わってしまった祝いの場。
 息子が席を立った時、ガラスの向こうに見えた大型トラック。その運転席には、
黒黒とした狼達の怨念がウジャウジャとひしめいていた。それを回避する事は不
可能だった。あの者達は気の遠くなるような年月をかけて半壊した魂を寄せ集め、
爆弾と化して玉砕を決したのだ。私たちは防げない。私たちを恨む執念が勝った
のだ。
 ただし、何もしないまま死ぬつもりは無かった。たとえこの身が滅ぶとしても、
無関係な一般人を巻き込んでしまっているとしても、自分の一番大切な、自分よ
りも世界よりも大切な存在を壊されるわけにはいかなかった。
 心は一瞬で決まっていた。いや、決めるまでも無かった。
 大ちゃん、臥せて
 夫も同じだった。
 大助、伏せろ
 その体を護るため、私は自分の全身と引き換えにした。夫は息子を護らせるた
めに私を護り、頭部を狼に食い千切られた。
 全てが破壊に覆われた。そして死の静寂が訪れた。崩れるだけ崩れた崩壊は止
まり、怨念も爆発を起こした代償としてこの世から消えた。
 私と息子はまだ生きていたが、このままではどちらも死んでしまうだろう。自
分は考慮に無かった。息子を生き残らせる方法を探した。
 そして見つけた。
 それは人間ではない私が扱う事のできる秘術だった。そしてそれは愛する者の
瞳を最後まで見つめている事ができる死にかただった。
 私は人間の変装を解き本来の姿に戻ると、最期に息子の瞳へ自分の全てを注ぎ
込んだ――
 ――映像の奔流が止まった。俺の五感に再び瓦礫と血と生首の暗闇が戻った。
 目の前にある女性の首に、虹色の目を持ち、ネコ科の耳を頭に生やす顔に、今
垣間見た人生の主人公である女の子、少女、女の姿が重なった。
「母、さん……?」
 自分を産み育てたその人は俺の言葉に答えてかすかに微笑んだ。
 そして、それが母さんの行った最後の生命活動となった。

  ▼ 駒場利徳 02

 宙を舞う、いくつものコンクリートと金網の長方形。それらと共   
に10メートルほどの高さに浮かびながら、幾千の軍勢を連れる将   
軍のような壮絶な笑みを浮かべるクロヤマ。             
 僕達は完全に呑まれた。ヤツの巻き上げた瓦礫の壁が、まるで押   
し寄せる大波のように感じられた。体が動かなかった。勝てるわけ   
がないと思った。銃弾の速度に回避行動をとれる人間、そんなもの   
は人間ではなかった。                       
 爆弾魔はその間にも動き続けていた。               
 一瞬の間だけ緩やかな動きになる空中の長方形に飛び付くと、手   
を取り合ってくるくる踊るかのような重心の回転を作り出し、充分   
な速さに達するとあっさりと手を放して何キロもあるソレを投げ飛   
ばす。                              
 ボクらに向けて。                        
 手品師の放つトランプのような鋭さで飛来する巨大な鈍器は、特   
に固まって銃を構えていた地点へ集中的に吸い込まれていき、破壊   
と悲鳴をもたらす。                        
 爆弾魔は投げ飛ばした勢いのままに次の飛び道具へと空中を移動   
し、全てのものが地面に落下するまでのうちに毎秒2発のベースで   
ボクらへ砲撃を行った。その瓦礫の滝の間を赤い光が飛び回る光景   
は、ある種幻想的なものでさえあった。しかしその赤い光が黒い長   
方形と結び付いて共震を開始すれば、その四半秒後にはトランプの   
砲弾がクリスタルシティの壁や立体駐車場のどこかへ突き立ってい   
た。                               
 スキルアウトの銃撃は止んでいた。第2陣は用意していなかった   
のだ。そして最初に息が合いすぎた。しかも全員の弾倉が空になっ   
たところでクロヤマが本性を表し、今のこの混乱だ。時折オレンジ   
の射線が駐車場に伸びるが、この距離であの動きを続ける爆弾魔に   
は当たるはずもなかった。                     
 今の状況では“ラジコン”を使っても有効ではない。やはり、大人   
数での同時射撃しか意味はない。                  
 ボクは演算銃器の設定を猟銃に変更しながら叫ぶ。         
「とにかく撃て!爆弾魔の動きを止めろ!」             
 幹部たちも無線で皆を鼓舞しながら銃声をたてる。         
 その時、ガラガラと降り注いでいた瓦礫の滝が止まった。全てが   
落下し切ったのだ。同時に爆弾魔の動きも途切れ、ヤツは瓦礫の山   
のふもとに着地する。                       
 チャンスだ。                          
「今だ!撃てっ!」                        
 いち早く態勢を整えたいくらかのスキルアウト、約50人分の銃   
弾が、爆弾魔目がけて吹き荒れた。                 
 水路は既に瓦礫で塞がっていたため、再びそこへ避難する事はで   
きない。先程の勢いには劣るとはいえ、爆弾魔もあくまで生身の生   
命体にすぎない。防御をせざるは得なかった。体が隠れる程の大き   
さのコンクリートの塊に赤く揺れる体を隠し、鉛の疾風をしのごう   
とする。                             
 スキルアウトは防勢に回り攻撃の手の止まった隙を逃さなかった。  
 たちまち轟く銃声の数が増える。描かれるオレンジの射線の密度   
が増加する。爆弾魔付近のコンクリートの弾ける範囲と勢いが倍加   
する。                              
 ついに爆弾魔が隠れていたコンクリートの岩が砕け散った。     
 赤い光はすぐに近くのコンクリートへ逃れるが、スキルアウトの   
銃勢は尚も増し続けている。数秒ほど保っただけでコンクリートは   
砕かれた。

 爆弾魔はまた新たなコンクリートに移ったが、ボクは休息など許   
さない。携帯の操作で弾性を榴弾(グレネード)に設定し、弓なりな    
弾道を描く銃弾を撃ち込む。                    
 その爆発は狙い違わず爆弾魔の隠れたコンクリートの向こう側で   
起こった。ヤツはなんとか回避したようだが、次のコンクリートに   
隠れる動きが鈍い。それにその身を隠せるようなコンクリートも、   
あと3つぐらいだ。                        
 希望が見えた。ここで決めてやる。                
 ボクは携帯を無線機能を呼び出し、とある準備を終えて待ってい   
る人物に告げた。                         
「浜面、“ラジコン”の出番だ」                    
 答えの代わりに聞こえたのは、駐車場に鳴り響くクラクションだ   
った。                              
 地下駐車場の出入口から、続々と十数台の自動車が吐き出される。  
それらはスキルアウトがこの日のような時のために用意しておいた   
特功用の遠隔操作車、通称“ラジコン”である。文字通り、ラジコン    
の要領で操る事ができる、実物の自動車だ。             
「よし。全車、突撃させろ」                    
 その命令は必要なかったらしい。                 
 姿の見えない運転手に操縦される自動車は既に、四方八方に散開   
しながら爆弾魔目がけて突進していた。               
 特に動きの速い4台が、一足先に前後左右から突っ込み――直後、   
業火を撒き散らしながら爆発、炎上する。その一台一台には、爆弾   
が仕掛けられていたのだ。                     
 しかし、それでもまだ爆弾魔は死なない。             
 もう油断などしない、と抜かり無く見定めていたボクの目は捉え   
ていた。爆発直前、ヤツが畳ほどの大きさの銀色の板を瓦礫から拾   
って投げ上げ、爆風で舞い上がるそれの上に乗っていたのを。     
 炎を上げる4台の自動車。                    
 その上空に浮かぶ銀色の板――コンクリート板と共に水路にかぶ    
さっていた、何枚もの長細い鉄板を重ねた、どんな車重にも耐える   
鉄の畳――に乗った爆弾魔。                     
 下方からの光に照らされるヤツの顔は、今だに、歯を剥き出した、  
ひび割れた笑みを失ってはいなかった。               
 まだ、屁でもない、そう言っていた。               
 クソ、吐き捨てて指示を続ける。「手を緩めるなっ!銃弾もラジコ   
ンも全てぶち込め!」                       
 しかし思い通りにはいかなかった。                
「え?あれ、もう死んじゃったんじゃないんですか?」        
 幹部が首を傾げる。そう、ボク以外のスキルアウトは、爆弾魔が   
あの爆発から逃れていた事に気付いていなかったのだ。        
「まだだ!アイツはまだ――」                    
 指差そうとして、気付く。その姿が見えない。そうだ、もう下に   
落ちてしまっているはずだった。しかし、地面にもいないのだ。指   
示した隙に見失った。                       
 どこに行った?                         
 その疑問はすぐに解決した。                   
 ボン――ッ!                           
 突如として響く爆発音。

 見ると、巨大な焚き火の向こう側のあたりで止まっていた“ラジコ   
ン”のそばに、銀色の畳を担いだ爆弾魔が立っていた。         
 ヤツは、ボクらからはよく見えない、車四つ分の炎の裏側に隠れ   
ていたのだ。                           
 気付いたときには遅かった。銃弾も、“ラジコン”の動きも止まっ   
ていた。それが決定的なものとなった。               
 爆風の速さで一つの“ラジコン”へ接近した爆弾魔が、そのそばに   
あった外灯の鉄柱に手を添える――直後、その部分が鋼鉄の吹雪とな   
って“ラジコン”へと突き刺さっていた。その一台はたまらず爆発し   
てしまう。爆弾魔の方はといえば、例の銀色の畳で身を庇っており、  
被害を受けた様子は無い。                     
 炎を上げる“ラジコン”を尻目に、爆弾魔は、下の辺りを吹き飛ば   
された事で頭の方から地面にぶち倒れようとしている外灯を受け止   
めた。太さ20センチ、長さは10メートル、重さは数十、もしく   
は百を越えようかという、その学園都市製の鉄柱を、空いていた腕   
に抱え込む。                           
 それはまるで、巨大な盾と長大な槍を鎧う、重槍兵の装いだった。  
 そこでやっと、スキルアウトも攻撃を再開する。オレンジ色の粒   
が再び吹き荒れ、ラジコンが唸りをあげながら走り回る。       
 だが、盾と武器を手に入れた爆弾魔は、そのことごとくを弾き返   
してしまった。                          
 向かってくる銃弾の全てを銀色の畳に花火を生みながら遮らせ、   
武器として扱うには長く重すぎるはずの鉄柱を、ジャイアントスイ   
ングの要領で振り回し、自分の方をスライド移動させる事で自在に   
操ってしまうのだ。                        
 盾には常に一定の方向を維持させながら、巧みな足捌きで鉄柱に   
勢いを与え、近づく“ラジコン”を次々と薙ぎ倒していく。鉄柱に自   
らの怪力を伝わらせるのではなく、鉄柱自身に宿らせた遠心力をぶ   
つける扱い方だ。そして起こる爆発も難なく防ぎきる。        
 いくら連携をとって連続で突っ込ませても無駄だった。       
 追い込もうとすればするほど、ヤツはより巧みな動作を繰り出し   
てしのいでしまう。大振りな一撃で一台を処理し、続く一台を、自   
らが鉄柱に対して動く事により短くした、素早い一振りで弾きとば   
す。同時に真反対の方向から突っ込まれても、鉄柱の中心点にスラ   
イドして腰の後ろで担ぎ、振り回す大回転で薙払う。鉄柱に脚の下   
をくぐらせ、腰をなぞらせ、肩首をまとわり付かせ、決して回転力   
を失う事無く、流れるような勢いの円運動を継続する。        
 横方向の豪快な一撃で一台を引っ繰り返し、続いてかかってきた   
一台を盾で正面から激突、潰し返す。巻き起こる爆発を、そのまま   
銀色の畳に遮らせ、水面を跳ねる石のように、姿勢を崩さないまま   
にたたらを踏みながら、爆弾魔は、一面に広がるスキルアウトのう   
ちのとある一点に目をやった。                   
 まずい、と思った。その先には、“ラジコン”を操作している者が   
密集していたのだ。あの車にカメラは内蔵されておらず、操縦者は   
肉眼で状況を確認しなければならない。そのため彼等は見晴らしの   
良い場所に集っているのだが、既に十を越えた炎の遮蔽物の位置、   
死角、そして各地点の“ラジコン”の反応から、爆弾魔は操縦者の位   
置を逆算、特定してしまったのだ。                 
「危険だ、爆弾魔が気付いた、逃げ――」               
 間に合わなかった。


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