とある魔術の禁書目録 Index SSまとめ

第六話第三章-2

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「驚いたか?すごいだろう?まだ他にもあるぞ、肋骨が6本しかないかわりに鎧板みたい
になってたり、動脈だけじゃなくて静脈にも筋肉がまきついてたり、各関節に何種類か新
しい筋肉がくっついてたり」
 彼は、本当に嬉しそうに、誇らしそうに、
「つまり俺の身体は、おまえがとばした経験の無い構造をしてるんだよ」
 ……呆れるしかなかった。
「そもそもあなた、人間じゃなかったんですのね、これは私ともあろうものが、まんまと
想像の範疇を越えさせてしまったものですわ。そういえば数年前、人間の遺伝子を非合法
なレベルまでいじくり回したとかでガサ入れられた研究所がありましたけれど、ははあ、
まさかその実験体があなただったとは、よく今まで拒絶反応に耐えて生きてきましたわね
……」
「いくら現実逃避したいからといっても、勝手に人を悲劇の主人公化しちゃうのはやめよ
う。僕はそういうのよくないと思う」
 咎めるように空の拳銃を向けてくる黒山。
 その部品の一つ一つを爆散させ、銃そのものを無数の針のような弾丸となして浴びせか
けるという暴挙に出たとき、私は40メートル上空のビルの屋上にいた。
 いくつものガラスが破片となって舞い落ちる音が、屋上を素通りして夜の空へと去って
いく。ビルが揺れているようにさえ聞こえる残響が、ビル街の谷を満たして消える。
 もう語る言葉も無い。なんだ、あの耳は?あれでは計算式を『浸透』させることなど不
可能だった。それに目に見えない身体のそこらじゅうにも、私が『ぶっ跳ば』した経験の
ない構造があるらしい。どうしようもない、側頭部にもう一対聴覚器官のある人間の解体
新書など、どこにあるというのだ。
 一つ確かなのは、黒山をコンクリートの中へでも『ぶっ跳ば』しておとなしくさせる、
という(望み得るかぎりでは)穏便な手段をとることができなくなった、という事実だ。
あんな、私の構造把握能力の“範囲外”をゆくブツをくっつけられていたのでは、無理矢理
通常の人間として『ぶっ跳ば』そうとしても無理だ。11次元的概念を通過させる邪魔に
なってしまう。
 それにさっき――銃を爆破して飛び道具にするというとんでもない行動――の爆発。鉄の
塊を粉々にできるほどの威力を生み出せるとなれば、コンクリート漬けにした程度では拘
束の意味はないかもしれない。ヤツの爆発には指向性爆破という非常識極まりない特性が
あるのだ。……くそ、そんな威力が出せるなんて、知らなかった。ヤツにとっては、アン
パイアの仕事など片手間にでもこなせるものだったらしい――
 ビルが揺れるような断続的な音が響く。やめだ、これ以上の思考は無意味。態勢の立て
直し、休憩時間としても長すぎた。実際には数秒しか経っていなかっただろうが、それで
も、あいつ相手に油断は命取りだ。即時決定、動き出せねばならない。
 これよりの戦闘手段は金属矢や周囲の物体での飛び道具を直接『割り込ま』せるという
通常の一級攻撃方。状況によっては自分の身体そのものを標的の肉体に『割り込み』させ
る、という禁じ手の使用も止むを得ない。

 断続的な音。頭のなかで心得ながら、屋上の端まで移動しようとする。下の黒山を観察
しなければ。脳内の活動視野を読み取れるのでもないかぎり『跳び』先が分けるなどあり
えないはずだが、さっきのこともある、慎重に、覗いて、

 断続的な音。

 数年知り合ってきた人間が見せる、さまざまな“裏切り”、その衝撃に一時的な機能不全
を引き起こしていた私の頭がやっと危険信号を認識したとき、すでにヤツはすぐ側まで迫
っていた。
 断続的な爆発音。それは真下から響いていた。
 それに伴うビルの揺れ、その震源は着実と接近――上昇してきていた。
 ツインテールを宙に残す勢いで、夜の空を振り仰ぐ。

 真っ赤な、人の形をしたエネルギーの塊が、夜の空から見下ろしていた。

 目を奪われる時間は許されなかった。
 ほとんど動物的な本能によって跳び避けたところへ、黒山らしき物体が落雷の疾さで急
降下、突き刺さる。
 その間に、さらに隣のビルへと逃げ延びている私の慌てようが愉快なのか、赤い光体は
肩を揺らしながら、
「話は最後まで聞こうぜ、テレポーテーター。せっかくアドバイスしてやろうとしてんだ
からよお」
 弾切れしたときの消沈した調子からもとに戻って、学園都市を敵に回すと豪語した時の
高慢な口調。だがそんな姿で語り掛けられても応答のしかたがわからない。
 赫赫(カッカク)。明るく激しく輝く様子。その言葉はこの物体のためにあった。屋上の
隅々までが赤く染めあげられている。夜の黒が赤に塗り替えられている。今にもドロリと
溶けだしそうな鉄のように透き通った、強烈な赤色。
 爆発系の能力者が発生する起爆源、『焦点』。黒山はその現象を体表にしか現せられない
という極めて稀異な能力者だが、その見た目は不穏に揺らめく不審火のようなものであり、
その範囲も、一度に展開できるのは両肘と両膝に相当する面積程度のものであったはずだ
った。
 しかし、太陽が人間の形をしたようなこの姿はなんなのだ。

「よーし、さっきの続きだ。俺をとばせない理由は、俺の身体がおまえの把握できない構
造をしているから、というのは理解したな?じゃ、次の疑問。どうして、文字どおりの“瞬
間”移動であるはずのおまえの攻撃を、俺は予測・回避することができるのか――」
 危険だ、フェンスと10メートルほどの谷間をはさんでいながらも、私は計算式を追加
して退路を増やし、じりじりと後退る。あの疾さ、数秒でビルの壁を駆け登るのはまだい
い、爆圧で体重を生み出したのだろう、それならまだ平常だ、見たこともある、しかしそ
のあとの急降下、あれは危険だ。目が追い付かなかった。脳神経系を学園都市でも最高の
テクノロジーで強化されている大能力者の動体視力と反射神経を越えている。連射される
銃弾の方がまだ可愛げがあった。
「うん?俺のこの輝きっぷりが気になるか?いや、俺もさっきできるようになったばっか
りなんだけどな、まあそれはいい。ちゃんと聞いてるか?どうして行動が読まれるかだぞ?
有り難いアドバイスだぜ?まあ、まどろっこしかったならすまんな、単刀直入に言うか、」
 するといきなり、黒山は輝きを強めた。爆発の予兆。
 爆発したのは、黒山ではなくフェンスの方だった。
 一瞬、私は自身を光粒子に変化させる光学系能力者を思った。まるでレーザーだった。
目にしみる赤光の直線な尾を引く黒山は合成樹脂製のフェンスを一瞬で食い破ると、自分
の巻き起こした衝撃波より速く私の目の前にいた。
 迷わず、退避
 しようとした時、黒山の言葉が聞こえた。
「目で、わかるんだよ」
 退避先に向けていた視線が、ギクリと振り返る。
 一つの原色で輪郭以外が塗り潰された、笑う赤鬼――
 私はその間になんとか発動された計算式によって『跳んで』いた。再びビルの谷の底。
 上から、大気の引き裂かれる音がした。
『なぜ俺はおまえの行き先がわかるのか』
『目でわかるんだよ』
 上を見た。
 真っ赤に灼熱した小型の隕石が、壁一面のガラスにひび割れの波を作りながら翔んでき
ていた。
 たまらずに逃げ出す。斜めに突っ込んできた黒山の方向へ20メートルを『ジャンプ』、
墜落の勢いに引っ張られ、地面を叩きながら遠ざかる赤い光にむかって矢を一本『ぶっ跳
ばす』。
 しかしその時、すでに黒山の目はこちらをむいていた。動体視力も効く程度に減速して
いたらしい。かるがるとかわされる。
 私はそれ以上の連射をあきらめ、退避――しようとして、すでに詰められてしまったのを
悟った。

 たしかにあいつは目の動きによって予測できるらしい。しかし、それが判明したからと
いって根本的な問題は解決されない。私が現在デフォルトで使っている計算様式において、
視線の方向は11次元を計算処理するうえでは変更できない確定要素であり、つまり私は
その場所へ目を向けることなく移動することができないのである。視線を用いないタイプ
の計算式の心得もないではないが、とても実戦で使える練度ではない。
 もう、逃げも隠れもできないのだ。
 覚悟を決めた。金属矢の残り本数を確認する。右腿に5、左腿に7。

 ――認めさせてやる。私の力を。
 両手手の指の間に4本ずつをはさみ取り、残りの3本も手の平に握って計算式を展開す
る。
 自分と黒山とのあいだに生まれる、数十の『ジャンプ』候補。人知を越えたスピードの
黒山を、この網の目に引っ掛けられるかどうか、包みこめられるかどうか。すべての勝負
は数秒にかかっていた。
 まだ地面を後向きに滑り続けていた黒山が、身をかがめる。攻撃態勢に入る。
 激増する光量。
 『焦点』が告げる最終警告。
 その時、十九学区の一角に存在するビル街は、ありったけのクラスター爆弾と全方位コ
メットレーザーの蹂躙をうけた。
 空間という空間がつぎつぎと爆砕され、ありとあらゆる建造物がはじけとんだ。赤色の
光の柱が何本何十本何百本と明滅しては、地面を、壁面を、縦横無尽に串刺しにしていっ
た。地の底からゆさぶられる廃ビル街。それらすべての現象が、一人の生命体が破天荒な
軌道で通り過ぎたあとにできた残響にすぎないということを理解するのは難しかった。
 風の速さで迫る、破壊の津波たる赤い光柱の乱立。それが私に押し寄せるまでの数秒の
あいだに、すべてが終わった。
 手の中に残っていた金属矢の最後の一本が地面に落ちる。
 カラン、と転がる乾いた音。

 私の頭蓋骨は、黒山の右手に後ろから鷲掴まれていた。

  ▼

 手のひらから生み出された爆発によって紙屑のように圧縮する頭部、へし折られる頸椎。
 指の背に爆発させた圧力によって掴み潰され、指肢と骨の白い破片の侵入をうける脳髄。
 恐怖の入り込む隙間もなく、容易に想像できた。今、自分の生命は、文字通り黒山の手
の中にあるのだ。
 短い、肺まで届かない呼吸が連続する。体じゅうの皮膚が、冷たい汗にうすく包まれる。
 だが頭ではもうほとんど理解していた。
 黒山には、私に負傷させるつもりなど、最初から、全く、微塵もなかったのだと。
 廃ビルの街は再び夜の底に沈み、静まりかえっている。
「正直、」背中から、心底うんざりした声が届けられる。「こんなに長く“戦闘”を続けさせ
られたのは、おまえが初めてだよ。おとなしく俺の弾に撃たれていればいいものを、ちょ
こまかと動きまわりやがって」
 うんざりしたような、あきらめきったような、苦々しく渋るような、渋々ともったいぶ
るような、そんな声。いつもの黒山だった。
 まだ頭を固定された状態でいるために、私は背中を向けたままで答える。
「心外ですわね。むしろ貴重な経験をお積みさせてあげたことに感謝してほしいくらいで
すわ。大方、30秒間以上一人の人間と交戦し続けたことなんて一度もないんじゃありま
せんの?」
「ふん。余計な心配してもらう必要はねぇ。今までこれで十分間にあってきてるよ。そん
な経験値、弾を使いきってしまった損害を差し引けば大幅マイナスだ」
「あの状況であんな状態のあなたの意図を察しろというのが無茶ですわ。私に透視能力を
期待してもらっても困りますの。本当に撃ち殺されるかと思いましたわよ」
「失敬な。俺はいつだってのっぺりと生温かなハートを絶やさない男だぞ」
 その言葉に、私は打ちのめされる。
 全くの一人相撲だった。本気なのは私だけだったのだ。そして、最後まで傷つけないこ
とを考えていた手抜きの黒山に、あらゆる意味で完全に敗北した。
 ほそく、震える吐息を、できるだけ細く吐き出して、言葉をしぼりだす。
「……やはり、あの弾は麻酔弾だったんですのね……」
 背後の黒山は口を閉ざす。
「……ここまできても、こんな状況ですらも、あなたは手を抜いていたんですのね……」

「あー……うーん……」煮え切らない声に乗せて、頭を掴んでいる手がゆるむ。
 私はそれを咎めるように、黒山へ頭を押しつける。するとそれに比例するようにして、
自分の体から力が抜けていってしまう。思えば、この半日は休みなしで働き通しだ。
 このまま彼の手に体重をまかせてしまいたい。普段では考えられもしない無防備な願望
の浮かんだ自分に、呆然とした驚きを覚える。だが今なら、彼は何も言わずに受けとめて
くれそうな気がした。頭を掴まれて、ぶら下げられて、吊り下げられたままで居させてく
れそうな気がした。
 人を殴るため、人に暴力を与えるために変形し、適化し、特化した、何百という人間を
殴ってもヒビ一つ入らない、もはや凶器の存在としての腕。その甲殻類めいた感触を受け
る頭部に、しかし私は、まるで居間で眠りに落ちかけている子供を許す親のそれに近いも
のを感じる。
 実際、ここで私がなにかの理由で――疲労でも、緊張から解放された反動でもなんでもい
い――意識を失い、倒れ伏してしまったなら、彼はちゃんと安全な場所へ運んで寝かせてく
れるだろう。右前腕と右肩、そして脇腹に負った負傷も気にせずに。
 固定された視界のすみで今もポツポツと震えながら広がっていく血溜りの源泉となって
いるのは、彼の体から生えている金属矢だ。
 無我夢中で握った手汗とともに『ぶっ跳ば』された単体元素の無骨な金属の凶器は、今
や真っ赤な流血にその身を潤している。

 あの最後の正面衝突のとき、私はついに黒山の戦闘方法を見抜いた。幅30メートルの
反復上下左右跳びでUFOとUMAの境界線を飛び交い、一発、二発と直角に私の攻撃を
かわしながらも一定の速度で接近する運動を見て、気付いたのだ。あの不規則は、膨大な
経験から導きだされた規則によって完璧に計算し尽くされたものなのだと。
 彼は、戦闘の一切を、全てが統べて、予測していたのだ。
 戦闘の合間合間に生まれる数秒のインターバルの中で標的の目的を完全に見抜き、行動
を把握し、膨大な戦闘経験に基づいて次の予測行動と自分の行動計画を一瞬で立ち上げる。
あとはそれに従って、自らの能力が成し得るかぎりのスピードをもってして破壊を実行す
るのだ。たしかに彼は視線から私の『ジャンプ』先を予測することはできるのかもしれな
い。加えていくらかはリアルタイムでの修正もあるかもしれないが、それはあくまでも補
助、補強にすぎないのだろう。

 人間の反射神経が追い付いていけないのは当然だ。黒山本人は、反射行動というものは
ほとんどとっていなかったのだから。コンピューターでの出題にワープロで回答する形式
のテストを考えればいい。普通ならばいちいち問題を読解し、回答文章を構成して出力を
しなければならない。しかし彼は、最初の問題がでた時点でつぎに出てくる問題の方向が
分かっている。二つめの問題がでた時点では、プログラムが組み合わせる数百通りの順列
のなかから、すでに数十先の問題内容までが把握できる。なぜなら彼はそのテストをもう
何度もクリアしたことがあるし、問題の順番を決めるプログラムの仕組みを知っているか
らだ。そして彼にとっては解答の意味する言葉すらも特定の意味を持たず、出力されるべ
きただの情報の連なりにしかすぎない。自分の肉体というキーボードを相手に、ディスプ
レイを顧みることもなく、ひとえに速さだけを考えて一連のキーをぶっ叩く。そんな人間
に、まともな方法でかなう者はいない。
 現に彼は言った、こんなに長い間の戦闘は経験がない、と。それはそうだろう。力のか
なわない敵にはそもそも挑戦するという愚を犯さないし、たとえ圧倒的複数の標的が相手
でも、数十秒の戦闘シミュレートさえ立ち上げられれば、その間に全域を沈黙させ終えて
いるに違いないのだ。
 驚くべき――いや、諦観すべきはその演算のパワーとスピード、判断材料(データ)とな
る戦闘情報の収集力、それにそれらすべての基盤となる戦闘経験の膨大さだった。
 そして絶望すべきは、その力をもってして彼の起こした行動だった。
 彼の戦闘方法を見抜いた私は次に放った必殺狙いの十発のうち三回を命中させた。一方
の彼は怯むことなく私に接近して背後をとり、決定的な王手を突き付けただけで私を武装
解除させたのだ。
 私が見破ることすら、計算のうちだったのだろうか。負傷をかえりみず私を無傷のまま
打ち負かそうという意志こそが、結果的に私を無傷で打ち負かすことすら、計算のうちだ
ったのだろうか。
 いずれにせよ確かなのは、私は最後まで黒山の思い通りに負け切り、そして一切の傷を
負わなかったということだ。


 いつのまにか、黒山の手は“掴んでいる”のではなく“置いている”状態になっていた。そ
して明らかに、私の頭を撫でていた。慰めていた。
 平常であれば最高の侮辱と受けとる行為だったが、私が思ったのは『最後に人にこんな
ふうにされたのはいつだっただろう』というようなことだけだった。
 そうしていた時間は、長いと言うなら長かったし、短いと言えば短かった。
 沈黙は、背中から破られた。

「なあ、おまえさ、」どこか、ふっきれた感じのする声だった。
「強くなればなにかすごいことができるとか、強ささえあればなんだって簡単に成し遂げ
られるとか思ったことはないか?思ってたりしないか?」
 我に返る。全く黒山大助らしくない台詞だったのだ。気付くべきだったのだが、さっき
の戦闘のときの偽悪的な立ち回りのような、典型的でありきたりな口調や、わかりきった
綺麗事を偉そうに説教するなんてまねは、黒山にとってはほとんど嫌悪の対象だった。一
度など、任務中に殴り倒したスキルアウトがもう悪いことはしないと嘘には見えない様子
で言ったのを、ありきたりでムカつくと言って締めあげ、もういちど竹林で修業して出直
してこいとわけのわからないことを叫んだことがあるほどだ。
 その彼が、どうやら一家言うとうとしている。
 ようやく、思い出す。
 ようやく、思いはじめる。
『ちょっとデンジャーな状態だった』
 彼ここで暴れていた、というそもそもの原因はなんなのか。
『俺は、学園都市から離反する』
 そして彼は、何のためにそんな行為を働こうとしているのか。
 どうやら彼にとってはかなり重大な話らしい、言葉を選ぶ。
 ――とはいえ、短時間で答えの出るような問いではなかった。
「……あいにく、明確な返答は持ち合わせておりませんわ」
「そうか。――まぁ、そうか」
 そこで、自分を自覚したようだった。
 少し力加減をかえた調子で、
「なあ、ちょっとだけ俺の話聞いてろよ」
 そこから彼は一気に言葉を続けた。まるで、一つの言葉も言い残すまいとしているよう
だった。
「強さってのはな、目的じゃないぞ、あくまで手段なんだ。そのことを覚えていろよ――
って言いたかったんだが、まあ、大して重要なことじゃぁない。大事なのは具象だな。そ
ういうわけで、さっきのおまえとの戦闘からのアドバイスだ。とりあえずはおまえ、視線
を媒介にしない計算式を、予備用程度でもいい、習得しろ。次はとばしの原点だな、おま
え、手に触れないとうまくとばせないだろ?靴や服ならイッチョマエにとばせてるんだ、
全身どこからでも自在にとばせるようになれ。少なくともモモのホルダーからは直接確実
に、手と同等になるまでだ。三つめに、おまえの戦闘スタイルはがむしゃらすぎる。せっ
かく生身で神出鬼没ができるんだ、一撃必殺なんて狙わないでいい、もっとヒットアンド
アウェイを心がけろ。体が3次元に割り込む際の風切り音もどうにかした方がいいな。耳
で分かるヤツなんかにとっては、視線以上に恰好の攻略方になるぞ。“学び舎”に請求しと
けよ、フクロウの毛皮で服を作れって。あとはこんぐらいの運動は息ひとつ乱さないぐら
いに基礎体力をしこたまつけとけ、って言いたいとこけど――」
 まあ、いいか。
 ポン、と置きなおされる手。
 次に続く言葉を、私は信じられない想いで聞いた。

「馬鹿強くなったなぁ。シライ、クロコ。ピーピー泣き喚いてた頃とはえらい違いじゃな
いか――」
 そして、つけ加えられた言葉。

「これなら、安心して第七学区を預けられるな」

 とっさに、私は振り返ろうとした。察知したからだ。
 黒山は、今そうして私を止まらせなければ、すぐに消えてしまっていた。
 黒山の硬い指の感触が食い込んでくる。力を込められた手の触れる頭の中を、たった今
与えられた言葉がかけめぐっている。馬鹿強くなったな、シライクロコ。強くなったな、
白井黒子。
 震える。――強くなったな。
 震えてくる――白井黒子。フルネーム。
 震えが沸き上がる。
――これなら安心。あとはよろしく頼んだぞ
「どうしてっ――!」
 あんな台詞を吐いたのはわざとに決まっていた。私を動揺させた隙に逃げ出そうとして
いたのだ、確実に。
 しかし、私は自分でも恥ずかしくなるような声を出すことしかできない。
「なんでッ!何のためにそこまでするんですの!正気じゃありませんわ!どんな目的のた
めに、そんなッ、馬鹿げてっ!」
 私は何を言っているのだろう。がむしゃらに黒山の手を振りほどこうとしている自分。
何をそんなに焦っているのだろう。
 なにも言い返してこない黒山が、なぜこんなにも、泣きそうなほど腹立たしいのだろう。
「今ならまだ間に合いますのよ!もう定期連絡の時間ですの!あと20秒で初春に連絡を
入れないと、初春はウスハ先輩にあなたのことを知らせるんですのよ!学園都市を敵に回
して、無事でいられるはずが」
「無事で済ますつもりなんて、最初からない」
 ブシュッ――と音がして、血にまみれた金属矢が地面に転がった。
 私は金縛りにあったように停止する。
「もちろん、死ぬつもりもないさ――」安心させようとする声で、黒山。「加えて、俺がと
るべき最善の中には、殺人は含まれてはいない。安心しろ。ここでおまえが俺を取り逃が
したとして、おまえが白黒な行事に参加する羽目になるようなことは絶対に起こらない。
約束する」

 赤く色づけられた金属矢がコロコロと転がっていく。黒山の体内にはまだあと2本残っ
ているはずだった。金属矢をのぞいた黒山の体だけを、頭に触れる手から『ぶっ跳ばし』
てみようとするが、やはり計算式が適応されない。ため息をついてあきらめた。
「……無理ですわよ」私は小さく答えた。「あんなアドバイス、もらうだけなら簡単ですわ
よ。でも、そう簡単に実行できるはずないじゃありませんの」
「それなら、だいじょうぶだろう」安堵した様子で、黒山は、「目的地さえ知ってしまえば、
おまえは、速いさ」
 そして彼は、私から手を放した。
 彼の手は、私から離れていった。
 私は、動かない。振り向かないように努力していた。しばらく掴まれていたせいで、や
けに頭が涼しい。風が抜けていく。そんなことに意識を向ける。
「ち、ちょっと――」しかし、やはりこれだけは聞かずにはいられなかった。「まだ、私の
話は終わっていませんわよ」
「なんだ、第七学区最強の風紀委員さん」黒山は、答えるつもりで応える。
 私は背後に聞く。
「だから――」すこし気恥ずかしさを覚えた。ごまかすために一気に言う。「あなたがこん
なことをする理由」
 すこしの間、いつにもまして渋るように、
「ちょっと一緒に里帰りしてもらいたいヤツがいて、な」
 その瞬間、私はついに振り返っていた。が、すでに黒山は飛び去った後だった。誰もい
ない空間を振り返る髪が、拡散する爆風になぶられる。
 廃ビル街を、無数の爆発音がコダマしていた。私の手は自然に携帯の電源を入れていた
が、これではもう、音声解析をしても黒山の行方の特定は不可能だろう。
 私はべたりとその場に座り込み、そのまま爆発の残響の漂う夜の街に身を浸した。

 思う。その身に赤い光をみなぎらせ、あらんかぎりの力で跳躍を繰り返しているであろ
う黒山大助を思う。
『ちょっと一緒に里帰りをしてほしいヤツがいて、な』
 思わず、笑ってしまいたくなる。
 今、彼は生まれてはじめての感情の中にいるのだろう。
 その人のためならば、何でもできる。他はどうでもいい。世界も、他人も、自分さえも。
命すら惜しくはない、むしろ捧げたい、投げ出したい。私は詳細に箇条書きできる。なぜ
ならその感情は私も体験しているからだ。

 笑える。最後の最後に口を開いた黒山の、それが世の中に溢れるほどありふれた、しか
し微笑ましいほどに純粋な理由だったとは。
 最初は、そうだ、留年生だ。黒山は留年していた。本当にいるんだ、留年する人なんて。
次はクレイモア、アーミィ、セカンドウエポン。学徒出陣計画のグレードに、学園都市離
反宣言。そして猫の耳を持つ、『ぶっとばし』不可能な肉体構造。異常な輝きを放つ焦点。
さらには行動の全てを読み切り反射神経の限界速度を越える黒山の戦闘方法――戦闘の完
全予測(シミュレート)。
 それらの最後の最後に、一緒に里帰りしてもらいたいヤツが、ときたもんだ。
 黒山大助。おまえ、はっきり言っちまえばよかったのに。ありきたりなのは嫌いだって
のは知ってるけど、さっきならけっこう様になってたよ。それに、女ってのはそういうの
に弱かったりするんだよ。
 だから、はっきり言ってしまったらよかったのに。
 好きな女のためだ、ってさ。

 まぁいい。私はスカートを払って立ち上がる。
 今から志を果たすにせよ半ばで挫折するにせよ、私はまたおまえに戦いを挑んでやる。
今度は第七学区の最強なんてチンケな肩書きを求めてではない。おまえという存在を超越
する証を求めてだ。命をかけて戦うという時に非殺傷武器を用い、その弾が尽きてすら意
志を曲げず、結果的に無傷で負けさせる人間に、私はかならず勝ってみせる。いつになる
かは分からないが、そうだ、おまえも言った。目的地を知った私は、速いさ。
 だから黒山大助、そのときまで絶対にくたばったりするんじゃ

 電話が鳴った。

 初春からだった。
「たった今、黒山先輩の全情報が、消失しました」
 書庫(バンク)からも、
 先輩の高校の名簿からも、
 第七学区風紀機動隊からも、
 住民票からもです。
「今、この世には、黒山先輩の存在を証明するものが、ひとつもなくなりました……」
 初春はそれから約3時間のあいだ、ボロボロの雑巾のような姿に変わり果てて眠る黒山
が発見されるまで、ひとつの言葉も発さなかった。

  ▼

 そのコマンドは、遠くはなれたコンピュータールームから発された。
 十九学区のいたるところに張り巡らされた盗撮カメラは、グレード5候補であるグレー
ド4+の戦闘も余すことなく監視していた。その14器のうち10器は一方の候補、識別
名称クレイモアによる巻き添えを受けて破壊されたものの、生き残りたちは決着を知るに
は十分な情報を自分達の親玉に送っていた。
 結果、判断された事実――
 テレポーテターの戦意消失による、クレイモアの圧勝。
 および、クレイモアの学園都市への明確な離反意志の確認。
 これにより、黒山大助の情報は次のように動かされた。
 対群衆鎮圧用人型兵器クレイモアはグレード5、つまり学徒出陣計画の最上級へと格上
げされ、同時にその存在の情報秘匿度もランクAからランクAAへ移項。
 しかし直後に、学園都市に背く危険因子として認定。その全存在を抹殺するべく、電子
回路の中を無数の命令が駆け回る。

 第一七七支部。デスクに突っ伏し、時折肩を震わせる初春飾利の目前のディスプレイに
変化があらわれる。
 散らかすようにして引っ張り出されたウィンドウ――とある高校の生徒名簿、黒山大助の
名前で検索を試みられた書庫の検索画面など――の隙間に、それらにのしかかられ、挟まれ
るようにして、ひとつの名簿がある。学園都市の全風紀委員をグレード別に表示した、文
字と背景の黒白だけの味気ない名簿。
 その一番上に表された、グレード4+の二人の階級が変化する。
 『白井黒子 テレポート グレード4+』から、『4+』の数字が消され、

 『白井黒子 テレポート グレード4』

 そして『黒山大助 クレイモア グレード4+』は、

 『黒山大助 クレイモア グレード5』

 しかし直後、全風紀委員の頂点に君臨した名前は、個人の姓名でも能力名でもない単語
へと変化する。
『VIOLATION』――反逆行為。
 そして一瞬の後には、その文字すら跡形もなく消え去る。


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