とある魔術の禁書目録 Index SSまとめ

第三章-2

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匿名ユーザー

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第三章 演じる者たち Role_Praying_Game



 御坂美琴は思う――これはあくまで出し物の現場の下見であって、他意はないのだと。
「あからさまにそわそわしながら言われても、信憑性ゼロですわよ」
 連れの後輩の声がした。しかし内容までは頭に入ってこない。何故ならば、それはもう真剣に下見を行っているからだ。
「十メートルごとに窓ガラスで髪型を確認している人の台詞ですの?」
 また聞こえた。が、やっぱり意味はわからない。こんなに真面目に見て回っているのだから当然だろう。
「………………………………………………………………あら。あんな所にあの殿方が」
 バチィ! と空気を叩くような音と共に雷撃の槍が飛んだ。
 白井黒子が指差した先にたまたまいた名も知らぬ男子高校生が、悲鳴を上げる間も無く真っ黒焦げになる。
 俄に騒がしくなる新校舎の廊下。はあ、と黒子は大げさにため息をついて、
「お姉様。出会い頭の照れ隠しに雷撃の槍を撃ち込むのは、いくらあの殿方相手でもはしたないですわよ?」
「な、なに言ってんのよ黒子!? わ、私はそんなアイツに会いに来たなんてそんなわけないんだからっ!?」
「はあ。相手のホームグラウンドでガチガチに緊張しているお姉様も新鮮でいいですけれど、そろそろちゃんと仕事をしないとおさぼりさんにされてしまいますわね」
「こら! 人の話はちゃんと聞きなさいよ!」
 スタスタと歩き始めてしまった黒子の後を、美琴は追いかけた。
 ここは普段、彼女達が通っている常盤台中学の校舎ではない。
 来る一端覧祭で、常盤台中学が模擬店を出す予定になっている会場校だ。
 御坂美琴と白井黒子は、その下準備として、現場の見回りに来ているのである。このような時期になったのは、会場校の急な変更に伴い、常盤台中学内で細々とした計画の練り直しをしていたからだ。
 ちなみに、人選は自主参加であったことを付け加えておく。


 女子中学生二人は、見渡す限り高校生ばかりの校舎を臆した風もなく歩いてゆく。
 普通中学生から見て、高校生というのは理由もなく怖かったり、あるいは偉そうに見えたりするものだが、ここはそんな常識の存在しない学園都市。学校の序列は年齢ではなく抱える能力者のレベルによって定まる。
 常盤台中学と言えば、お嬢様学校ばかりが集まった通称『学舎の園』の長であると同時に、学園都市『五本指』にも数えられる名門中の名門。強能力者(レベル3)の保有数でさえ十人に満たない学校に、わざわざ畏怖してやる必要はないということだ。
 ――もっとも、それは逆に相手側から畏怖されるという意味でもある。
 すれ違う年長の生徒達が、まず背格好を見て訝しがり、次いで何処の学校の制服かを思い出してそそくさと道を譲る。
 望んで、そして努力を重ねて得た立場とはいえ、真の意味でまだ子供である彼女達にとって、壁を作られるのが日常になってしまうのは自覚できないくらいの深さで心に影を落とす。一歩母校を出れば、そこは四方を囲まれた迷路も同然なのだ。
 そんな壁を打ち砕いて接してくれるのは、そう、確かにあの少年くらいのものだ。黒子は偽りない気持ちでそう思う。
 愛しのお姉様に関係することで容赦するつもりはないが、正直な所、白井黒子個人の感情はあの少年を決して嫌ってはいない。
 誰にでも、誰のためにでも本音で相対する生き方。
 次元を超えて放たれた凶悪な攻撃にも、身一つ拳一つで飛び込んでいったあの背中を、彼女は今でも鮮明に覚えている――
「(――――って! わたくしが照れてどーするんですの!!)」
 黒子は不意に熱くなった顔を八つ当たり気味に振り回す。
 何やってんの? と美琴がこちらを覗き込もうとしたので、黒子は強引なのは承知で話題を振った。
「そ、そんなことよりお姉様。お姉様の目から見て、この学校は立地条件的にどうですの? 伝統ある常盤台中学が出店するに値しますですのこと?」
「より一層変な口調になってるわよ黒子。でも……うーん、交通の便は悪くないし、周囲の景観も特に問題ない。校舎の見た目が『普通』なのをマイナス評価にするのも失礼だし、あれよね、代役としてはまあまあってとこじゃないかしら」
 すらすらと意見を述べる美琴。テンパっているようでも見るべき所は見ていたらしい。
 黒子が「流石わたくしのお姉様ですわー!」と抱きつこうとしたが、美琴は全力でこれを阻止。しかし奇妙な興奮状態にある黒子はそこで止まるわけもなく、ドタバタとリアル女子中学生によるキャットファイトの様相を示しだした。集中する好奇だか恐怖だかの視線。
 こんな行いを日常的に繰り広げていることも壁を作られる要因の一つであるのだが、激闘中の二人に気付けと言うのは酷だろう。
 もみ合っているうちに美琴がマウントポジションを取る。
「ふっふっふ。さあ観念しなさい黒子。今日という今日はアンタに目上の人に対する礼儀って奴を物理的に叩き込んであげるわ」
「あらお姉様。テレポーター相手に密着体勢を取ることがどういう意味か、忘れていらっしゃるようで。あの御坂美琴が他校で公開ストリップだなんて、朝刊の一面を独占してしまいますわよ?」
「言ってなさい。その時は通学ラッシュの駅前にパンチパーマ風味のツインテールが吊るされるだけのことよ」
「まあ、そんな独創的な髪型は是非ともお姉様に実践していただきたいもので……あら?」
 廊下に押し倒されていた黒子が先に気付いた。
 彼女達が歩いていた方向から、微かな振動が伝わってくる。
 黒子の様子に気付いて、美琴も顔を上げた。その頃には振動は明らかな足音に変わり、不特定多数の人間が怒声を上げながら疾走しているのだと知れた。
 全く意味はわからなかったが。
 しばし――と言えるほどの間も無く、数メートル先の曲がり角の先にある渡り廊下から、騒動が現れた。
 先頭に立って走っていたのは、ついさっきまで思い浮かべていた少年だった。なにやら必死の形相で、運動会はもう終わったというのに全力疾走をしている。
 ただし上半身裸で。
「「………………………………………………………………………………………………………………………………」」
 思考と呼吸が止まっているのに時間だけは残酷に流れていく。たった二人の女の子のことなんて気にも留めずに、少年は彼女達のすぐ横を走り去っていった。
 美琴と黒子は互いに掛け合う言葉もない。
 続いて、少年を追うように三十人ばかりの高校生の集団が現れた。これまた揃って全力疾走、加えて少年とは別の意味で血走った目をしている。
 集団の中心にいる黒髪で小さな眼鏡をかけた少女が、何かの能力を使っているのか肉声にしては大きくよく響く声で周りの学生を扇動しているようだった。
〔「さあさあ走れ皆の者! 今こそ積年の恨みを果たす時! 諸悪の根源かみやんマスクをとっ捕まえて、その生皮剥いでしまうのですよー!」!!〕
「うおおおお! 旗男め、ようやく得た大儀名分(せいぎのちから)の名の下に塵と化せぇぇぇぇ!」
「お前を倒せば、姫神さんは僕のモノおおおっ!」
「俺は吹寄さまだぁぁぁーっ!」
「折角だから、俺はあの赤い中学生を選ぶぜ!」
「「「とにかく覚悟しろよ上条当麻――――っ!!」」」
「や・か・ま・しぃぃぃぃっ!! 了承も取らずに勝手に人を諸悪の根源に仕立て上げてるんじゃねー! しかもかみやんマスクって、妙に語呂がいいのがまたムカつく! 思わず仮面なんかかぶってねーよとツッコむことさえ忘れてしまうほどにだ! ドちくしょう、こうなったら絶対に逃げのびてやるぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
 真っ先に逃走を選んでしまったのが運の尽き。
 監督少女は事前の情報操作によって盛り上がっていたアンチ旗男運動を巧みに誘導し、一瞬にしてこれほどの規模の捕獲部隊を結成してみせたのだ。
 怒声と悲鳴と爆発音を引き連れて、嵐のように去っていった謎の集団を成すすべなく見送った後、黒子はいまだ彼女に馬乗りになったままの美琴に向かって呟いた。
「……お姉様。わたくし、一つ前言を撤回いたしますわ」
「……えーと、一応聞くけど、何を?」
「この高校では、公開ストリップをやってもせいぜいスポーツ新聞の三面にちょこっと載るくらいのニュースにしかならないみたいですの」
「そうね。私もこの高校を『普通』と評価したことは取り消すわ。きっと『五本指』に入るわね――――変態の」
 お互いの体を離して、起き上がり、パタパタと服に着いた埃を払う。
 深い深呼吸を何度もして、気持ちを落ち着かせ、見つめ合い、頷きあった。
 それから。
 御坂美琴と白井黒子は、なおも勢力を増し続ける上条捕獲部隊に飛び入り参加した。



◇   ◇



「………………あ」
 と思った時には、サーシャ=クロイツェフは一人だった。
 夕陽が差し込み、その色に染まった廊下。
 さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返った校舎の片隅に、彼女はポツンと立ち尽くしている。
 置いて行かれたのか、はぐれたのか、知らぬ間に自分で抜け出していたのか。何にしても、耳を澄ましても悲鳴や怒号が聞こえないくらいには騒ぎの中心から外れてしまったらしい。
 さてどうしたものか、とサーシャは右手側、窓のある方を向く。
 ガラス越しに見える校舎の位置関係、予測される地面からの高さなどから、今いる場所が旧校舎の二階であると見当をつける。劇の練習のために何度も訪れている内に、それくらいは簡単に出来るようになっていた。
「……独白一。複雑だ」
 小さく肩が落ちた。
 何をしているんだろう、という思いはある。
 彼女は重要な、それこそ十字教の三大宗派が動くような任務でこの街に来たはずだ。それなのに、いつの間にかやるべきことが成果の出せない演劇の練習をしたり半裸の男を大勢で追い掛け回したりすることにすり替わっているのは何故だろう。
 いいや。後者はともかく、前者には明白な理由があった。任務上必要なことだと彼女が判断したからだ。
 演劇『シンデレラ』という舞台を利用して、さまよう魔術『灰姫症候(シンデレラシンドローム)』の捕獲術式を組み上げる。
 いくつか用意していた術式は、インデックスの知識で大幅に強化することが出来た。あとは数百人規模の共通イメージがあれば、学園都市全域とは言わなくてもかなりの広範囲に探査・捕獲の魔術をかけられるはずだ。だから求めるイメージの純度を上げるための練習は大切なことで。だから努力を怠ってはいけないのであって。だから。だから。だから。
 ――――途中から言い訳の羅列になっていることには気付いている。
 この作戦も、術式の強化も、全てはサーシャが言祝の誘いを受けた所から始まっている。もしあの時演劇への参加を断っていたのなら、禁書目録の協力の下、また別の作戦を立てていただろう。
 そうできなかった理由なんて、ない。
 任務の成功だけを思うのなら、こんな手間ばかりがかさむ手段を選ぶ必要はなかった。インデックスに頼めば、もっと要領がよく成功率も高い作戦をいくらでも考え付いてくれただろう。
 なら、そうと分かっていて、それでもこの道を選んだのはどうしてだろうか。
 本当に、どうして。
 迷う心が身を動かし、答えを求めるように(こうべ)をめぐらせる。
 わかりやすい答えなんて、当たり前だが見つからなかった。けれど、
「――――くっそー。どこに隠れたかみやんくん、って、あれ?」
 近くにあった非常階段を下って、彼女の悩みを作った張本人が現れた。


 二人は被服室にまで戻ってきた。
「いやーまいったまいった。ちょっとくらい離れても音声増幅(ハンディスピーカー)で指示は飛ばせるからいいかなーとか油断してたら思いっきりはぐれちゃうし。肝心のかみやんくんも見失っちゃうしでもうどうしたもんだかって感じだったのですよ」
 一度購買まで降りて買ってきた缶入りのレモンティーをクピクピ飲みつつ、言祝が愚痴った。適当な椅子に向かい合って腰掛けながら、指揮官がこれでは残された者達は相当混乱しているだろうな、と職業的意識で考えてしまうサーシャである。同じくアップルティーの缶を口に運んで、
「問一。それではここで結果待ちを?」
「望み薄だとは思うけどね。かみやんくん、あれでこういうの結構慣れてるから」
 サーシャは、そう、とだけ答えた。正直、あまり興味はない。
(思考一。それよりも)
 静寂に包まれた教室で、劇に関して最大の権限を有する監督の少女と二人きり。机に伏していたはずの年長の女子は、戻ってきたときにはいなくなっていた。邪魔する者はいない。邪魔する物はない。
 この状況ならば。
 胸を締め付ける悩み。それを解決する最も簡単な――安易な――方法が使える。
 言葉一つで終わらせることが出来る。
 それは、もしかしたら逃避かもしれず、もしかしたら裏切りかもしれない、そんな言葉だったけれど。
 躊躇いは刹那。喉が震えて声を生む。
 しかしそれが外気に放たれるよりも早く、目の前の少女が口を開いた。
「かみやんくんの話をしよっか」
「…………は?」
 突然といえば突然の台詞に、サーシャの目が点になる。
 言祝は何故かそれを嬉しそうに見つめて、空になった缶を近くの机の上に置いた。
「さっきの騒ぎのことだけど。驚いた?」
「回答一。それは、まあ」
「うんうん。分かる分かる。でも誤解しないで欲しいんだけど、あの人達も本気でかみやんくんが嫌いってわけじゃないのですよ」
「………………、」
「あ、信じてない目だねそれは」
 仕方ないだろう、とサーシャは思う。誰だって、あの強烈に歪みまくった悪意の渦に巻き込まれれば、同じ感想を持つに違いない。
 視線で疑念を容赦なく伝えると、言祝は表情にわずかばかりの真面目な色を加えた。
「でも本当。変な言い方になるけど、皆、嫌いだから嫌ってるんじゃなくて、嫌うだけの価値があると思っているからそうしているの。これって、実はものすごいことなんだよ?」
 え? とサーシャは心の中で首を傾げる。
 彼女の言葉の何一つが理解できない。
 嫌うだけの価値とはどういうことか。そして、それが「すごいこと」だというのは。
 言祝は、まるでそれがこの世の常識であるかのように淡々と告げた。

「だって、あの人、無能力者(レベル0)でしょ?」

 サーシャは何も言い返せない。彼女の住む世界には決して存在しない判断基準であるがゆえに。
 しかし、言祝にとってはそれこそ日々の挨拶と同じくらい身に染み付いた考え方だ。
「同じ符丁(ランク)でも、つちみーとかみたいに一応何らかのチカラの発現が認められているわけじゃない。胃が膨れ上がるまでお薬を飲んで、神経が焼き切れるまで電流を流してもスプーン一本曲げられない正真正銘の無能力者。この街じゃあね、そんな人は嫌われるどころか見向きもされないの。専門教育の時間割り(カリキュラム)からは外され、奨学金は削り取られ、そのうち教室にいることすら耐えられなくなって裏通りの不良に落ちていく」
 一度言葉を区切り、
「もちろん全員が全員そうなるとは限らない。でも、私みたいなギリギリの弱能力者(レベル1)でも『まあそんなもんでしょ』って意識は確実にあるのよ。人とは違うチカラ、人とは違う世界。考え方の相違なんて人間の歴史そのものかもしれないけど、この街のこの格差ってのは馬鹿馬鹿しいくらい絶望的で間抜けなくらい一方的なの」
 決められた時間割りをこなせば、理論上は誰にでも芽生えるはずの超能力。
 誰にでも、ということは、そこに至れぬ者はもはや“誰でもない”ということに直結する。
 誰でもない誰か。
 生きていようがいまいが、世界に全く影響を及ぼさない“何か”。
 生きていようがいまいが。
 世界に全く関わることのない“何か”。
「――――でも」
 でも。
 赤い少女は口の中でその二音を繰り返す。
 黒髪の少女は口元をわずかに弧にして、
「上条当麻という人は、そうはならなかった。それどころか、いつの間にか当たり前のように私達の輪の中にいた。当たり前のように、私達は彼という個性を認めていた。――当たり前のように、私達は友達になってた」
 絶望的で一方的な格差なんて、全て無視して。
 どうしようもないだなんて、そんな言い訳を誰も彼もから奪い取って。
 それはまさに、幻想の殺し手。
 サーシャは知っている。土御門元春から聞かされている。あの少年の右手には、まさしくそれを顕すチカラが備わっていると。
 だが、少年はそのチカラを使わずとも、無能力者の符丁(レッテル)という幻想を殺してみせた。
 あたかもその二つ名は、彼の持つ特異な右手ではなく、彼の生き方そのものに捧げられたのだとでも言うように。
 と、ここで言祝は肩の力を抜いて、
「まあ、大げさに言ってみたけどさ。要するに超能力とか全然関係なしでかみやんくんは人気者ってことなのですよ。なんだかんだで、皆、かみやんくんのことを認めてる。ちょっとくらいの喧嘩じゃ揺らぎもしないくらいに、ね」
 ただし、だーれも本人には教えてあげないんだけど、と言祝は悪戯っぽく付け加えた。
「…………、」
 サーシャ=クロイツェフは感嘆しながら聞き入っていた。手の中の缶のことも忘れて。
 これは、言ってしまえば共通の友達を話題にした世間話でしかなくて、なのに語られる言葉の一つ一つが、自分にとって必要なものであると思える。
 もう少し。
 もう少しがあれば、何かが変わる気がした。
 理由(わけ)もなく、理由も分からず、ただそれを待たなければならないとだけ直感した。
 それが正しいのか、そうでないのかすらも分からないままに。
 数呼吸分の空白。それだけを挟んで、言祝はまた話し始めた。ブラブラさせていた足を組みなおして、
「で、そんなかみやんくんなんだけど。なーんか夏休み明けてからちょっぴり雰囲気変わった気がするんだよね」
 サーシャは即座に食いついた。
「問二。変わったとは、一体どのように?」
「うーん……」
 言祝は虚空を睨んで考え始める。適当な言葉が見つからないのか、それとも単純に自分でも理解し切れていないのか。
 たっぷり三十秒。それだけ待って、ようやく出てきた台詞はこんなものだった。

「――――ちょっといいことあったんじゃないかな……って感じ」

 唇は続ける。
「かみやんくんがすごいっていうのは、今話した通り。それに本人は気付いてないんだけど――だからかな、一学期までのかみやんくんにはちょっと自信なさげな所があって。つちみーや青ピンくんとかと馬鹿やってる時は普通なんだけど、ふとしたはずみに無力感に苛まれているみたいな。ああやっぱり自分は無能力者なんだなって勝手に考えてそうな顔してる時があったのですよ」
「推測一。ではそれが」
「うん。新学期が始まってからはさっぱり。まあいきなり自信満々の天狗さんになっちゃったって訳じゃないけど。そこはかとなく漂ってた諦めムードはなくなってたかな」
「…………、」
 サーシャは考える。
 考えて、そして思い浮かんだのは一つだけ。
「問三。それで何故『いいことがあった』と推測したのか」
 返答は、すぐにはなかった。
 ただ言祝は、机に肘をつき掌に顎を乗せて、分からない? とでも聞き返すかのような視線を送ってきた。
 じっと。
「…………、」
 サーシャは考えた。
 とても真剣に考えた。
 考えて、考えて、考えて――――分かった。
 分からないということが分かった。
 分からないから……分かりたいのだと、分かった。
 目でそう伝えると、黒髪の少女はチェシャ猫みたいな笑顔を浮かべる。まるで誰かを褒めてあげたくてしょうがないみたいな、そんな表情。
 その誰かが誰なのか、サーシャには見当がつかなかったのだが。
 言祝栞はそんな幸福そうな笑顔のまま、
「たぶんね、たぶんだけど。かみやんくんは、何かが出来たんだと思う」
 それはもしかしたら、彼が望んだことではなかったのかもしれないけれど。
 それはもしかしたら、彼でなくてもよかったのかもしれないけれど。
「でも、それでも。どんなに悲しくても。敵うということは、叶うということだと。それが嬉しいことなんだと。気付くきっかけになったんじゃないかなって、私は勝手に想像してる。……本ばかり読んでるとね、どうしてもそんな風に思っちゃうんだ」
 言祝はすっと目を細めた。
 きっと、手に入れた物自体は特別でも何でもないもの。
 しかしとある少年にとっては、歩いて月にたどり着くよりも困難であったこと。
 この街で、誰よりも低い位置にいると感じてしまう刹那。
 当たり前の世界が遠くに思える。それでもそこに立つために必要だったはずの何か。
 やり遂げたという、小さな誇り。
 彼女は、言祝栞は、サーシャの瞳を覗き込むように身をかがめて、
「あなたは、どう?」
「――――――――!」
 息を呑む。体が凍る。
 ただ心だけは、待ち望んでいたものが来たのだと理解していた。
「きっと、何かをやり遂げて、上条当麻という人は少しだけ変わった。てことは、何かを“やろうと思った”のは変わる『前』のその人だよね。その気持ちだけは絶対に最初から持ってたんだよ。上条当麻という人はそれを大事にした。だから、やり遂げた。サーシャちゃん。あなたはそんな人のことをどう思う? ううん、“そうしない人のことをどう思う”? 敵わないと思い込んで叶えられるはずのことから逃げ出す人を、本当はやりたいと思っているのにその気持ちを蔑ろにする人を、どう思う?」
 ぶつけられる言葉は、それだけならばただの問いかけにすぎない。
 しかし、まさに逃げ出そうとし、本心に気付かない振りをしていたある少女が受け取ったのなら、それは明らかな糾弾の攻撃だった。
 ――要求一。私を役者から外して欲しい。
 そう言おうとしていた少女にとっては、この上ない責めの言葉だった。
 けれども。
 だけれども。
 真剣で、優しいまなざしで待っている人の口から放たれたのなら。
 それは言祝ぎだった。
 風を震わせ心に届く、果てしなく温かな祝福(メッセージ)だった。
「……………………と、」
 問四、と言いかけた喉を押し止める。
 行動宣言(コマンドワード)。ロシア成教が構築した自らの意思を口頭の文句で強める自己暗示の話法。
 呼吸と同じくらいの感覚で使ってきたこの技術に、今は頼るべきではないと思った。
 結果、意思は弱くなってしまうのかもしれないけれど、
「私は、」
 これから強くなれるのなら、今だけは。

「私は、シンデレラをやりたい」

 問いかけからは逸脱した返答。
 しかし、言祝は嬉しそうに手を伸ばして、小さな赤い少女の頭を撫でた。
 出来のいい生徒を褒める教師のように。または、賢い妹を誇る姉のように。
 ようやく気付いたねと、言祝ぐように。
 優しい感触を額に感じながら、サーシャ(シンデレラ)は思う。
(やり遂げれば……強くなれる)
 そうして見せた人がいる。
 この時、サーシャ=クロイツェフは上条当麻という人と初めて話がしたいと思った。


 さて、その頃。
 どういう経緯があったものか、上条当麻は旧校舎の外壁、ちょうど被服室の窓の下辺りに張り付いていた。
 制服は微妙に焦げたり、裾に金属矢が刺さってたりしていたが、壁の表面が僅かに突き出ただけの危うい足場に冷や冷やしながらも彼は一通りの話を聞いてしまっていたのだ。
 とても貴重な話だった、と思う。
 記憶を失う前と、失った後の自分の違いに気付いている人がいたというのは恐ろしくもあったけれど、
 もしも言祝の言う通りであったのなら、自分は記憶は失くしてもその時得たものは失くしていなかったのだと、そう信じることが出来る。
 そして何より、
「まあ……あれだ」
 ここからどうやって降りようとか、そんな些細なことは横に置いといて。
「……今晩はロシア料理のフルコースにするかな」
 清々しくニヤニヤしながら(実際そんな顔なのだからそうとしか表現しようがない)、上条は夕飯のメニューを決定した。


 さてさて、その夜。
 激しく間違ったロシア料理の数々を得意気に並べるシェフに地元人の怒りが爆発し、話し合いの機会なんて吹き飛んでしまったのはもはや言うまでもない。





 行間 二


 サーシャ=クロイツェフと言祝栞が被服室で話し合っていた頃。

「見失った」
「見失ったわね」
「見失ってもうたなー」
 姫神秋沙、吹寄制理、青髪ピアスの三人は新校舎一階の非常口で途方に暮れていた。
 陣頭指揮を執っていた監督がいつの間にかいなくなるという非常事態が発生したため、上条当麻捕獲部隊は混乱の極みに陥った。捕獲対象を本格的に見失ったこともあり、異常に膨れ上がったテンションが暴動に変わる前に吹寄が部隊の解散を決めたのだ。
 それから残ったこの三人でしばらく捜索は続けていたのだが(対象は上条、言祝、これまたいつの間にか消えていたサーシャの三名に増えていた)、何の成果も上がらないままにそろそろ下校時刻である。居残り上等ではあるものの、無駄に時間を費やしていいわけもない。
 吹寄は腰に手を当てて、
「とにかく、一度被服室に戻りましょうか。もしかしたら誰か帰ってるかもしれないし」
「そやねー。もう他に探す所もないしね」
 廊下にへたりこんでいた青髪ピアスが尻をはたきながら立ち上がる。
 姫神は、ふ、と何も考えていないようで何かを考えていそうな顔をして。
「まあ。いざとなれば。あのドレスを着れそうなのはもう一人いるし」
「それもそうね。じゃあ戻るとしましょうか、姫神さん、青髪」
「ちょ、ちょい待ち。ドレス云々は聞き返すのも怖いからあえてスルーするとしてもや。あたかもそれが苗字のように呼ぶんは止めてくれへん?」
 しかしロング黒髪ズは鮮やかにこれを無視。いじけオーラを増量する青い髪にピアスの少年。
 何気に疲れた様子で廊下を歩いていると、吹寄が不意に立ち止まった。
「……あら?」
「どうしたん?」
 青髪ピアスが尋ねる。
 見れば、吹寄は廊下の先をじっと見つめている。姫神は吹寄の視線を追ってみた。
 そこの廊下の突き当りにあるのは、昼休みなどに言祝が布教に励んでいる場所。
 図書室だ。
「――で。どうしたの吹寄さん。借りてた本の返却期限でも思い出した?」
「いえ、今借りてる『この通販で買ってはいけないを買ってはいけないを買ってはいけない』の返却期限は一端覧祭明けなんだけど……」
 吹寄制理は首をひねって、
「……こんな所に居る訳ないわよね。公欠でどこか行ってるはずだもの」

 一端覧祭まで、残り六日。






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