とある魔術の禁書目録 Index SSまとめ

第四章-1

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第四章 羽ばたく者たち Cinderella_March



 最近あてにならなくなったと噂の学園都市の天気予報。
 美人のお天気お姉さんが笑顔で伝える週間予報は、ビーズのアクセサリーみたいに「晴」のマークを並べていた。
 当たればいいな、と土御門舞夏は思う。
 その日、その時のために一生懸命に頑張ってきた人達のことを、彼女は知っていたから。
 ふと目に入った、盗聴受信機の隣に置かれている亀形卓上デジタル時計が、相も変わらずのん気に表示する日付は、
「あさってからかー」
 学園都市統括理事会主催、全学園都市所属校参加の長大規模文化祭、『一端覧祭(いちはならんさい)』。
 開催は明後日に迫っていた。


 生粋の学園都市っ子である(らしい)上条当麻には記憶喪失を抜きにしても実感の湧かない話なのだが、吹寄制理ら中途編入組が言う所によると、どう見ても普通平凡でしかないこの高校も少なからず学園都市所属校でしかありえない特徴を持っているらしい。
 一例を挙げるなら、今彼らがいるこの体育館もそうなのだとか。
 奥のステージや両サイドのバスケットゴールなどの設備はさして変わらないのだが、まず広さが違う。小規模な能力演習などを行う都合上、床は「外」の一般的な物と比べて1.5倍は広い。また建材も遥かに頑丈な物になっているのだが、これは学園都市内のほぼ全ての建築物がそうであるため割愛する。
 この広いスペースのおかげで大勢のお客さんに見てもらえる、とは吹寄と小学校からの付き合いだという言祝の弁だ。
 そう、舞台演劇「シンデレラ」は、この場所で行われる。
 とっぷりと日が暮れた放課後。上条達演劇班のメンバーは、本番同様の舞台を使った立ち稽古のために体育館に集合していた。
 演劇練習もそろそろ大詰め。各人最終調整の段階に入っている。
 居残り上等。今夜は寝かさないぜダーリン、な意気込みでやってきた上条当麻だった。
 のだが。
「………………つーか、おかしいだろ絶対! どうして俺が並べてんだ観客席用パイプ椅子を一人で倒置法!」
「ですー。上条ちゃーん、小萌先生もちゃんと手伝ってますよー?」
「ああすいません言い直します。――どうして俺が並べてんだ観客席用パイプ椅子を四捨五入して一人で倒置法!」
「上条ちゃーん! 小萌先生が四以下ってどういう意味ですかー!?」
 そんなこと言われてもナー、と上条はそっぽ向いて疲れた顔をする。彼が両手でパイプ椅子を四つ運んでいる間に、小萌先生は両手で一つをえっちらおっちらと抱えているのだ。当麻比二十五パーセントなら四捨五入されても仕方ないと思う。
 体育館の鍵を首から紐で下げているちびっ子教師、月詠小萌はプンプンという擬音が聞こえてきそうな怒り方をしていた。生徒だけで放課後に学校の施設を使うことはできないので、自ら引率を買って出てくれたのが小萌先生だ。感謝の意は尽きないが、それでもからかわれてしまうのがこの人の人徳(?)だった。
 ふと見回せば、あんまり先生いじめるなよー、と口パクしてくる言祝と目が合った。しばらく出番はないから会場整備の手伝いでもしろと俺の尻を蹴飛ばしてくれた人の言える台詞ですか、と上条も口パクで返す。
 現在体育館にいるのは言祝栞監督を筆頭に、補充メンバーの上条達五人、素人同然の彼らを厳しくも優しく指導してくれた演劇班の先輩達が二十人くらいと、ほっぺたをまん丸に膨らませている小萌先生だけだ。
「大体、おかしいと言うのなら今の上条ちゃんの格好以上におかしいものはこの世にありません! 何なんですかその乙女の夢殺し(ドリームブレイカー)!! 新技ですか? 新必殺技ですかー!?」
「うるせえ新技とか言うな! おかしいとか見苦しいとか見たら呪われそうとかそこらへん百も承知でやってんだからいっそ褒めてくださいな!!」
「上条ちゃんの“それ”が褒めるに値するなら今日の黒板消し当番の人は人間国宝ものですー! どこの誰ですかXY染色体持ち(じゅんせいだんし)に“ドレス着せようなんて言い出したのは”!!」
 遠くの方で黒髪ショートの監督少女がこっそり手を上げた(ちなみに黒板消し当番とは、小萌先生の授業の前と後に黒板を綺麗にしておく係のこと。全クラスに存在)。
 しかし今さらそんなことを言われても本当に今さらである。上条は一割の勇気と九割の諦観で袖を通したシンデレラドレス(大)を見つめた。
 幾度も念動力による脱ぎ着せを行ったため、無理に引っ張られた布の合わせ目がほつれたりしている。特に悲惨なのが右の長手袋だ。何度着させようとしても必ず失敗してしまうので、自然と酷使させられたのだ(幻想殺し(イマジンブレイカー)のことは一応説明したが無視された)。
 椅子並べの作業には邪魔になるので長いスカートは捲り上げられ布の紐でまとめられている。下に履いているのは体操服の短パン。極めつけは頭にかぶった馬の着ぐるみの頭部(のみ)。
 まさしく生きた人外魔境。街に出るだけで警備員(アンチスキル)に射殺されても文句が言えない程の不条理の塊である。一人(四捨五入で)で働かなければならないのも当然だ。こんなもん誰も係わり合いになりたくない。乙女の夢殺しは上条が今まで経験した不幸の中でも十指に入ることだろう。
「でもまあ今回は俺だけの不幸じゃねえぞ。俺みたいな野郎に何度も何度もドレスを着付けなきゃならなかった演出効果の奴らも道連れさぁ! く、くく、くはははははははははははははははは!!」
「あああ。上条ちゃんがどんどん後ろ向きに壊れていっているのですよー」
 教育に携わる者としてどう対処すればいいのか、でもやっぱりこれ以上あれと関わるのは自分も嫌だ、などと小萌先生の心境は揺れ動く。誰かに助けを請おうにも、神すら見捨てた理不尽空間にあえて踏み込もうとする猛者はいない。
 ――いや、いた。
 体重の軽さを感じさせる足音を引き連れて、命知らずな天使様がやってくる。
「問一。手伝うか?」
 言わずと知れた我らが主役(プリマ)、サーシャ=クロイツェフのご登場である。
 ロシア人シスター改めロシア人女子中学生(偽)は、舞台上で着替えなければならない都合上、インナーとしてバレエの練習用のレオタードを身に着けていた(提供者は土御門舞夏。兄に贈られた物だが結局一度も使わなかったらしい)。本番ではこの上にみすぼらしいワンピースや例のドレスを着ることになっているのだが、今はぶかぶかのジャージを羽織っている。
 上条はサーシャよりもむしろ袖が余り気味なその上着の方を見て、
「手伝ってくれるのも嬉しいけど、そのジャージを返してくれた方が上条さん的感謝の念が五割増しですよ?」
「却下。これがないと体温を維持することが困難になる。それにもし返したらトーマは着替えてしまうのだろう? シオリから、ありがたいのでもう少しそのままにしておいてくれとも言われている」
「それ『在り』『難い』でイコール『珍しい』って意味ですから!」
「残念」
「誰が教えたー!!」
 思わず絶叫する乙女の夢殺し上条当麻。少年漫画に毒されつつある禁書目録に引き続き、このゴーストバスターも順調に世俗にまみれつつある。
 そこへ〔「サーシャちゃーん、そろそろスタンバイお願ーい」!〕という天の声。
「ん。――謝罪一。手伝うことは出来なくなった。申し訳ない」
「……いいけどね。何だろうあの監督から感じる地味な悪意は」
「私見一。毎度きちんとリアクションをしているトーマにも責任はあると思われる。正直シオリの思考は理解できなくもない。――ああ、そうだ」
 どした? と上条が顔を向けると、サーシャは表情変化の乏しい顔に僅かながらはにかみの色を見せて、
「着付けの練習を手伝ってくれたことを感謝する。あれほど嫌がっていたというのに。…………元々これを言おうと思って来たのだった。では」
 そのまま、奥のステージへと駆けて行った。
 上条はポカーンとその背中を見送る。
 同じような顔で横から見ていた小萌先生が一言。
「いい子ですねー」
 解釈はいろいろ出来るだろうが、上条も概ね同意見だった。
 たまたま盗み聞きしてしまった被服室での言祝との会話以降、サーシャの雰囲気は確実に良い方向に変わりつつある。
 さっきみたいな冗談を言うようになったし、今舞台に立っているのを見ても、かつてのようなぎこちなさは微塵も無い。
 そして極たまになのだが、行動宣言(コマンドワード)を使わずに話すことがある。
 インデックス曰く、「心に確固たるものを持ったゴーストバスターなら行動宣言は必要ない。ただ、そこまでに至れる者はとても少ない」とのこと。
 上条にはサーシャが何を思って言葉使いを変えたのかはわからない。けれど、もしも彼女がこの演劇を通して、彼女にとってプラスになる何かを得ることが出来たというのなら、それは結構、悪くなかったりするんじゃないかと、思ったり思わなかったりするワケでして。
 ………………………………………………………………………………………………………………………………あれ?
(――何だろう、長年かけて積み上げられてきた不幸センサーが唐突にカタストロフ級のバッドエンドフラグを感知した気がする。この直感(センサー)正直あてにならないんだけど、でも今回は違うっぽい。何か、何かキーワードみたいなもんとニアミスしたんだ。思い出せ上条当麻、ここに至るまでの己の思考を……!)
 記憶のサルベージ。しくじれば死だ。
 適当にすっぱ抜いた単語を慎重に吟味していく。
 解釈。同意見。盗み聞き。ふいんき。冗談。微塵。行動宣言。インデックス。ゴーストバスター。至れる――
 待て。
 インデックス?
 その時、耳鳴りのように遠くから響いてくる音があった。

 ――――と――――お――――ま――――………………

 ズバッ!! と上条は首の筋を痛めかねないくらいの勢いで体育館の壁に取り付けられた大きなアナログ時計を探す。
 黒い長針と短針が指し示す時刻は、知らぬ間に午後八時を回っていた。
 首筋を嫌な汗が伝う。
「まずい……っ! 買い置きの菓子類パン類魚肉ソーセージ類を持ってしても最終下校時刻から三時間が限度だったか! しかも今日に限っては緊急時の避難場所である小萌先生の家も留守! 飢えた野獣と化した銀髪シスターが襲撃に来ることは自明の理だ! ――警報ーッ! 警報ーッ! 総員、直ちに練習を中断して近くのコンビニで食い物を買占め――」
「と――――――お――――――ま――――――ッ!!!!」
 外へ通じる扉が弾けるように開いた直後、言祝監督の音声増幅(ハンディスピーカー)もびっくりの雄叫びを伴って、猛烈な勢力を持った空腹台風一号が上陸した。


 飛び込んできたインデックスが上条を見つけるまで一秒。並べられたパイプ椅子を蹴散らして最短距離で脳天に噛み付くまで十四秒。力一杯歯を突きたててから上条の着ている(ドレス)に気付き悲鳴を上げて飛びずさるまで三分四十五秒。いち早く事態を把握したサーシャが「説明一。彼女は私の友人です」と周囲に話して回るのに二分。女子生徒達からお菓子をお裾分けしてもらいインデックスが人心地つくまで四分。
 都合十分ほども暴れまわった末に空腹台風はようやく沈静化したのだが、着ぐるみごしに気を失うほど強く噛み付かれた上に倒れたパイプ椅子の下敷きになっていた上条が救出されたのは、練習再開からさらに二十分も経ってからのことだった。
「……どうして。どうしてこの世界は俺にばかり無闇に厳しいんだ」
「とうま、とうま。見て見てこのアメ舐めてると色が変わるんだよ!」
「やかましいわこの暴食シスターッ! またしても一瞬で皆に受け入れられやがって。てゆうかこの学校の防犯システムはどうなってんだ」
 ブツブツ言いながらも律儀にインデックスが崩した椅子を直している上条当麻だった。
 ちなみに今の服装は学校指定体操服の上下である。シスター台風の被害に遭いぼろ切れと化したシンデレラドレス(大)は芦田先輩が持って帰った。もう使う予定のない衣装を機械的に修繕しようとしていた先輩の背中には、流石の不幸マスター上条当麻も掛ける言葉がなかった。
 演劇班のメンバーの間を一巡りして戻ってきたインデックスは、両手に溢れるほどのお菓子を貰ってきていた。彼女は上条を手伝うわけでもなく、そこらへんの椅子に腰掛けてお裾分けの品に舌鼓を打っている。棒付きのアメをしゃぶり終えると、インデックスはふと気付いたように、
「とうま、とうま。どうしてサーシャがとうまの『じゃーじ』を着てるの?」
「班内最高権力者によるささやかな嫌がらせだよ」
 上条はむき出しの二の腕をさすりながら答えた。体育館というのは木張りの床や広い空間などの要素が組み合わさって、凶悪に冷え込みやすい場所である。しかしだからこそレオタード一枚のサーシャに「ジャージ返して」と強く言うことも出来ないのだが。あんなドレスでも着てないよりはマシだったかもしれない。
 インデックスはポテトチップスの袋を力任せに破こうとしながら、
「権力者って、しおりのこと?」
「ん? 知ってるのか?」
「私は一度会った人の顔と名前は絶対に忘れないもん。この前の『うちあげー』で覚えて、さっきも挨拶しに行ったよ。なんか悔しがってたけど。『もうちょっと早く来てくれれば演目変更してでもスカウトしたのに!』って」
「……あーやっただろうなー言祝なら」
 困った具合に捻じ曲がった信頼がそう確信させる。
 気になるのは、言祝にとっての『もうちょっと』がどのくらいであったかだ。まさか昨日ということはあるまいが。
「何だよ。妙な所に突っかかるなインデックス」
「べっつにー。とうまは二十四時間全国どこでもとうまなんだなって思っただけ」
「は? 当たり前だろそんなこと」
 少しだけご機嫌ナナメになった白シスターの相手をしながら、上条は椅子並べを続ける。
 その内怒りも持続しなくなったのか、インデックスは時折ステージの方に目をやって、御伽の世界を舞うように演じる赤い少女を嬉しそうに眺めていた。


 時計の針が逆L字を示そうとした頃、言祝が班のメンバーを舞台前に集合させた。
 監督少女は掌で台本をパンッと叩き、
「はい、今日の練習はこれでお仕舞いです。皆さんご苦労さまでした。それで明日のプレ公演のことなんだけど」
「待ちなさい」
 当然のように告げられた台詞に対し、吹寄制理がすぐさま聞き返した。
「栞。プレ公演なんて今始めて聞いたんだけど。明日の予定は最後のリハーサルじゃなかったの?」
 その場の全員の意思(張本人である言祝と見学者扱いのインデックスは除く)を代弁する。
 そう問われるのは予想済みだったのだろう、むしろ得意げに監督少女は言い放った。
「うん。だからそれにウチの全校生徒と招待校の代表者さん達なんかを呼んでみようかっていう話。それだけ観客がいたならもう公演と題しても、いやいやちょっと謙遜してプレ公演でーみたいな」
「予想通りの返答をありがとう私達の監督サマ」
 吹寄はジト目で呆れたように息をついた。その後を継いで姫神秋沙が挙手をする。
「でも。どうして急にそんなことに?」
 これの答えも至極あっさりと。
「いや、急にってほどでもないんだけど。ほら、私達の公演って、最終日の一回だけじゃない。自分達の出し物なり係なりの都合で見に行けなくなるのが嫌だって要望が前々からあったのですよ。やっぱり身内の人達には出来るだけみてもらいたいし、それならいっそ別の日に一度やっちゃえばいいかなって」
「それが明日っていうのは十分急な話だぞ」
 上条はボソッとつっこんだ。
 言祝は、まあまあ、と手を振って、
「で、ここからが本題なんだけど。――皆がやりたくない、出来ないっていうのなら、私も無理にとは言わない。というか、言えない。不出来な舞台をお客さんに見せるわけにはいかないもの。だからよーく考えて、そして答えてね。プレ公演、やる?」
 スイッチが切り替わったかのような真面目な顔で言った。
 どよめきが生まれる。
 全員が真っ先に胸に抱いたのは、大なり小なりの不安だった。
 余りにも急な舞台。練習は十分積んだつもりでいる。が、今日は気付いていなくても明日なら気付ける問題点がまだあるのではないだろうか。
 挙げろというのなら不安要素はいくらでもあった。
 演技は完璧か。衣装は万全か。照明は完全か。演出は万端か。
 己が為せることよりも、為せないことの方を大きく感じてしまう。
 しかし、しかし彼らは解っているのだろうか。
 もしもここで怯えて引き下がってしまったら、本番当日にも同じことをしてしまうに違いないということに。
 だからこそ、言祝は今この時にこの問いかけをしたのだということに。
 大丈夫、きっと上手くいく――そんな言葉では意味が無い。
 必要なのは、明日の安心ではなく今日の決心。
 それを叶えられる言葉は、

「――私は、やりたい」

 聞こえた。
 金色の髪と、水色の瞳の少女。
 やれる、でもなく、やるべき、でもなく、少女はやりたいと言った。
 その言葉にうなずき、続く者がいる。
 分厚い黒マントを制服の上に羽織った魔女。
「シンデレラが。舞踏会に行きたいと望むなら。それを叶えるのは私の役目」
 さらに、樹脂素材でできたレイピアを提げた王子は、
「だったら、最高のパーティーを用意するのが私の役目ね」
 そして、馬の着ぐるみ(頭部のみ)をかぶった二人組みが、
「エスコートは」
「僕らの仕事やね」
 カッコつけた斜めのポーズのまま他人には不可聴の怪音波を受けて吹き飛ぶ。
 俺は、私は、と次から次に手が上がり、やがて気合の歓声となった。
 夜中ですよー静かにしなさーい! と負けないくらい声を張り上げた小萌先生に皆で笑う。突然の盛り上がりように半ば呆然としていたインデックスも、こっそり近づいてきた言祝に何やら耳打ちされて顔をほころばせた。
 言祝栞は思う。やはりこのメンバーにして正解だったと。
 演技は完璧か。衣装は万全か。照明は完全か。演出は万端か。
 不安は尽きない。
 しかし。
 心意気なら、満タンだ。



◇   ◇



 学園都市二大祭事の一つ、全学合同大規模文化祭、一端覧祭。
 開催をいよいよ明日に控え、学園都市の全学校は授業を取りやめにして準備を行っている。
 大覇星祭のように他校と点数を競いあうといったことはないが、店の売り上げや展示の客入りが多ければ多いほど今後のステイタスになる。そのため学生達の気合の入れようはすさまじかった。
 そんな祭の直前に特有の緊張感に包まれた、ここ第七学区のとある場所にこじんまりとした喫茶店がある。
 小喫茶「かるでら」。
 「開店」の札がやや見えにくい場所にあり、時には喫茶店だと気付かれずに通り過ぎられてしまうこともあるような地味な店だ。しかし格安で質の高いコーヒーや、名物のパイに惚れ込んで足繁く通っている客も少なからずいる。いわゆる隠れた名店という奴だった。
 ただし今日に限っては近所の学校が会場校に選ばれたらしく、その準備に追われているためか昼を過ぎても客足はほとんどない。今店内にいるのはマスターとバイトのウェイター(学生。一見爽やかな好青年だがこの時間にバイトなんかしているあたりある意味で将来有望)を除けば午前中からずっといる男性客が一人だけだった。
 窓際のテーブル席に陣取って、コーヒー一杯でねばり続けているその男は、一見したところでは学生にも教師にも見えない。この街でそれ以外の人種というと研究者くらいしかいないのだが、それこそ一番似合っていない。
 恐らく二十代中盤。学生ではありえない年齢だが、教師にしては纏う雰囲気が剣呑に過ぎる。服装はどこにでもあるような秋物のシャツとズボンだが、サイズがだぼだぼだ。またネックレスには小型携帯扇風機を四つもぶら下げている上に、髪はジェルか染料で固められて毬栗(いがぐり)みたいになっている。スニーカーの靴紐はなぜか1メートルほども垂らされており、廊下側にまで出てきていた。誤って踏んでも気付かれない長さだ、とマスターとウェイターは囁きあう。
 だが、“感心はその程度で終わってしまう”。
 この街で教師にも学生にも研究者にも見えない人物がいれば、それは立派な不審人物だ。極めつけに怪しげな長袋(槍でも入ってそうな長さだ)を携えているとなれば、善良な一般市民はすぐさま警備員(アンチスキル)に通報するべきだろう。
 しかし、マスターもウェイターも全くそんなつもりになれず、「まあそんな人もたまにはいるかな」ですませてしまう。怪しさを打ち消すほど存在感が薄い男だった。
 ――正確には意識して存在感を薄くしていたのだが。完全に消し去るのではなく、最低限度に知覚させることで、駅ですれ違う人の顔のような「その他大勢」に混じることで他者に記憶させないようにする技術。
 戦闘の中よりも社会の中で効果を発揮する技である。そして男はそれを呼吸のように自然に行っている。
 謎の、そしてその謎を感じさせない男はただソファに深く腰掛けて、パラパラと一端覧祭のパンフレットをめくっていた。
 彼が持つのは学園都市内の全会場校を網羅した完全版ではなく、第七学区に限定された縮小版である。
 それを気だるげな眼差しで眺めながら、男は誰かを、あるいは何かを待っているようだった。

 チリリリリーン……という涼やかな音が鳴った。

 音の出所は店の入り口にかけられた小さな鈴だ。こんな日に喫茶店を訪れる酔狂な客が他にもいたのか、と図らずとも店内の人間の感想が一致する。
 控えめにドアを開けて入ってきた客は、またも男性で、またも異様だった。
 身に着けているスーツは葬式帰りかと思えるほどの黒尽くめ。更に見上げるほどの巨躯であった。一人目の客も長身の部類に入るが、明らかにこの男の方が体格がいい。年齢はそういくつも違わないだろう。糸のように細められた目はどこを見ているのか定かではないが、かもし出す雰囲気は不思議と落ち着きを感じさせる。右手には大きめのボストンバッグを持っていた。
 早速暇を持て余していたウェイターが応対する。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
「いえ、待ち合わせをしていまして」
 二人目の客はちらり、と窓際の男を見る。最も瞳が見えないほどに目を細めたままなので、あくまでそれらしい挙動をしたということだが。
 ウェイターは、おかしな話もあるものだ、と思いながら黒尽くめの男を席まで案内する。
 一人目の客はパンフレットを閉じ、テーブルを挟んで向かいに座る黒尽くめの男をしげしげと眺めた。
 ウェイターがカウンターに戻ったのを確認してから、長袋の男は口を開く。
 その口調は待ち合わせをしていた仲にしては、刺々しい。
「なあお兄ちゃん。俺の記憶が正しけりゃ、俺はお前さんの顔も見たことがないんだが」
「奇遇だな。私もだ」
 拍子抜けするくらい正直な答えだった。長袋の男の眉間に皺がよる。
「じゃあ何か。男相手のナンパか。そいつぁお断りなのよな」
「これまた奇遇だ。私もそのような趣味は持ち合わせていない」
「…………、ああ分かった。喧嘩売りに来たのかお前さん」
 長袋の男の目つきがさらに険しくなる。気の弱い者なら失禁しかねないほどの殺気が真正面に放たれる。
 しかし黒尽くめの男はわずかに怯みもせずに、細められた――長袋の男はここで初めて気付いたが、彼は目を細めているのではなく完全に閉じていた――目を向けて、
「その通りだ」
 と答えた。
「単刀直入に尋ねる。ここ数日、学園都市第七学区でこそこそとよからぬ動きをしているのは貴様だな?」
「………………………………、」
「何をたくらんでいるのか知らないが、不愉快だ。即刻消え失せてもらおうか」
 断言。ファーストコンタクトが最後通告とは理不尽にも程がある。が、黒尽くめの男の表情にはいささかの冗談も含まれていなかった。
「……、」
 長袋の男は沈黙し、観察し、熟考し、
「はぁ~~」
 嘆息した。
 この上なく気だるげに、長袋の男は言う。
「お兄ちゃん。俺だってまあ、あんまり褒められたことしてるわけじゃないって自覚くらいあるのよ。でもそれを他人にどうこう言われるのはまた別の問題な訳でな。第一、“こそこそ何かやってるのはお互い様だろうに”。折角これまで見逃して来てやったのを自分から喧嘩降りかけて無駄にするかね普通」
「――ほう」
 黒尽くめの男の手が横に置いたボストンバッグの口にかかる。ほぼ同時に長袋の口紐もほどかれていたが。
「警告だけで済ませてやってもいいと思っていたが……そういう訳にもいかなくなった」
「俺はそれでも構わんのだがね。でもお前さんが俺やこの街にいらん迷惑かけようって言うのなら、放ってはおけんなあ」
「は。よく言う。どちらのことだというのだそれは」
 そこで会話が途切れた。
 瞬間、戦場が発生する。
 戦闘を望む者が複数居れば、どこであろうとそこは戦場になるのだ――

「失礼します」

 と、動きだす直前に横からウェイターの声が割って入った。いつの間にかカウンターから戻ってきていたのだろう、地面と平行にした掌の上に色々な物が載せられたお盆がある。
「ご注文はお決まりでしょうか」
 爽やかな営業スマイルを向けられて、黒尽くめの男は一瞬反応に詰まる。
「あ、い、いえ。何かおすすめのようなものはありますか?」
 寿司屋じゃねぇんだから、と長袋の男が小声で言うのを、閉じた目で牽制。ついでに一杯飲んだら表出てヤルぞこら、とも伝えておく。
 長袋の男は可笑しげに口元を吊り上げて笑った。了承の意味を込めて。
 ウェイターはそんなやり取りが行われているとは露知らず、変わらぬ営業スマイルで、
「そうですね。本日のおすすめはパンプキンパイとシナモンティーでしょうか。珍しい薔薇の形をした角砂糖もございます。さらには――」
 お盆から水の入ったコップ、おしぼり、黒い石のナイフを順に手にとって、
「――魔術師の方限定で、全身をバラバラにするサービスも行っております」
 直後。
 窓から注ぐ遠い星の光を集めて、物質分解の魔術が発動した。
 部品(パーツ)に分解され崩れ落ちるテーブルセット。
 それに巻き込まれる前にそれぞれ逆方向へ大きく飛びのいた二人の男は、床に着地するなり全く同時にこう叫んだ。
「「何者だ!」」
 瓦礫の向こう。
 爽やかウェイター――その皮を被っていた少年は石のナイフを手の中で幾度か回転させると、
「何者って、貴方達に言われる筋合いは無いとおもいますが。それにしてもおかしな話もあったものです。まさかこんな何の変哲もない店に魔術師が“三人”も集まるなんて」
 魔術師。
 その言葉に今さらながら男達の背筋が冷える。
 科学至上の学園都市の正逆に位置する世界の住人。それが魔術師だ。
 この少年“も”そうだというのか。
 だが、と長袋の男は恐怖と共に戦慄する。数時間同じ店の中に居たにも関わらず、互いの素性に自分だけが気付けなかった!
 この街にいてもおかしくない学生の身分を装っていたことを差し引いても、「魔」の気配を隠すことにかけては少年の方が上手であるようだった。
 また、ふと店の奥に目をやってみると、マスターが眠るようにカウンターに突っ伏している。さっきの魔術を目撃されることを恐れての少年の仕業だろうが、それすらも不可認の内にやってのけたとは、想像を絶する力量である。
 長袋の男は少年の『役割』を推察した。
「お前さん。暗殺者か」
「いえいえ。とっくに廃業して今はしがないスパイですよ。自分みたいな容姿の人間は、この街に入り込む分には重宝されましてね」
 ナイフの切っ先は右と左、二人の男の間を油断なく揺れ動く。
 すぐに追撃してこない所を見ると、先ほどの物質分解は連発が出来るタイプの魔術ではないらしい。あるいは制限のようなものがあるかだ。その隙に男達は己の獲物を準備する。
 長袋から引き出されるのは、波打つ刃を持った西洋風の長剣――フランベルジェ。
 ボストンバッグから取り出されるのは、小型の弓が機巧(からくり)で取り付けられた篭手。
 男達が装備を整えるのを、少年は黙して許した。余裕からかそれとも時間稼ぎのためか。
 どちらにせよ、武器を下ろさないということは、
「お前さんも混じりたいってことだな?」
「ええ。是非。……自分は静かに日々の暮らしを過ごしていきたいと思っているのに、何故かいつも邪魔が入るので少しムシャクシャしていたところです。それに貴方がたのような輩を見過ごしておくと、申し訳の立たない人が近所にいますしね」
 黒石のナイフが掲げられる。照準は少年の真正面。窓だ。
 長袋の男――もとい長剣の男は野蛮な笑みを見せて獲物を振り上げる。
「ははは。そういや俺の知り合いにもおるのよな。あんたらみたいなのを見かけたら後先考えずに殴りかかりそうなのが。祭りの前だ、余計な気苦労かけさせんよう骨を折っておくのも大人の責任かもしれんわな」
 黒尽くめの男――もとい篭手の男は静かに機巧を動かし弦を巻き上げる。
「奇遇が多いな。私の恩人もこの街にいる。もし彼が貴様らのことを知れば……いや、ここで終わらせれば済むことだ」
 そこで会話は終わった。
 刹那の後。
 閃光と白氷と烈風、三種の力で窓ごと喫茶店の壁が吹き飛ばされたのを合図に、戦場が始まった。






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