とある魔術の禁書目録 Index SSまとめ

第四章-2

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第四章 羽ばたく者たち Cinderella_March



 さて。
 関係ない話はこのくらいにして、そろそろ本筋に戻るとしよう。


 という訳で。否も応も無く到来した一端覧祭イヴ。
 運営委員達の涙ぐましい努力によって完成した「準備作業人員振り分け表Ver.最終決戦」に従い、学生達は八月三十一日と書いて「なつやすみのしゅくだい」と読んだあの日を思い起こさせる勢いで動き回っている。
 招待校の生徒達もそれぞれの出展物を持ち寄り、設営やら何やらを始めている。三角テントの屋台から教室内展示まで出し物は多種多様だ。グラウンドの真ん中にはとある大学の研究チームが製作した「全長五十メートルの人型ロボットの右掌」が天に向かって五指を広げている。全ての会場校にランダムに配られたパーツを合体させると一体の巨大ロボットが出来上がる、という振れ込みだが、「股間」や「左足首内バランサー」などを引き当ててしまった学校では展示するかどうかいまだに決めかねているらしい。
 さて、そんな祭り当日にも負けないほどの喧騒から取り残された唯一の場所、旧校舎一階の図書室に上条当麻はいた。
 見渡すがぎり本、ほん、HON。上から下まで固そうな革表紙で埋められた本棚の列に挟まれて、上条は生理的な恐怖を感じた。彼は自宅の本棚に漫画しか入れていない人間である。
 だがしかし、そんな上条の手には十数冊の本の題名(タイトル)が記されたメモ用紙が一枚。これら紙束のジャングルからご指名のモノを見つけ出すのが本日の彼の使命だった。
「…………鬱だ。やっぱインデックスに声かけるべきだったか」
 探し物、それも本の類であるならまさに彼女の出番だ。機動少女カナミン全話全台詞暗記なんて無駄なことに使っている完全記憶能力をちっとは有効活用しやがれと言いたい。
 しかし、上条さんちの白シスターことインデックスは現在、小萌先生に連れられて、のどじまん大会の会場を下見に行っている。何故この組み合わせなのかと言うと、ぶっちゃけ小萌先生の名前で申し込んでいるからだった。提出した申し込み用紙の隅には「共演者一名」とこっそり書き添えられているとか。
 ちなみに、インデックスが当たり前のように校内にいることについては、上条はもう気にしないことにしていた。今回に限っては安請け合いした手前もあり、小萌先生が一応の保護者という立場になってあれこれしているらしいが。
「かみやんくーん。進んでるー?」
 ふと聞こえてきた声に振り向くと、上条ともう一人をここに引っ張ってきた張本人、言祝栞が通りががったところだった。両手で古新聞の束を抱えているせいで、鼻の上の眼鏡がずれているのに直せていない。
「これからだこれから。……つーかさ、言祝。俺らってここでこんなことしてる暇あるっけ?」
「開場は他の所の準備が終わってからだし、着替えやお化粧も一時間もあれば十分だし。無理に舞台設営に付き合って怪我でもされたら、そっちのが迷惑なのですよ。どーせ他にやることないんだから、若干遅れ気味な図書委員会主催のフリマの準備を手伝ってくれてもいいでしょー?」
「フリーマーケットとは名ばかりの、利用頻度の低い余剰本の一斉処分だろうが。大体準備が滞ってたのって、お前が監督業にかまけてたからだって聞いたし。それになんだその古新聞。売るのか?」
「うん。一束百円で」
「……需要あるのか?」
「委員の先輩達によると、意外に。スクラップ用とかペットのトイレ用とかで。あと――千枚通しで突き刺しても悲鳴を上げないっていうのが裏の売り口上なんだって」
「準備だけだからな! 絶対売り子はやんねぇぞ!!」
 上条はかなり本気の悲鳴を挙げた。外部からは隔離され得体の知れない実験を日々繰り返している学園都市。ストレスのたまる奴だってそりゃあいるだろうが、千枚通しでストレス解消を図るような人間とスマイル0円したくない。
 言祝はなんでかくすくす笑いを洩らすと、古新聞の束を抱えなおしてこちらに背を向けた。
「それじゃ、しっかりねー。あそうだ。確かそこらへんにヌードフォトの図鑑があったと思うから、作業の妨げにならない程度なら読みふけってもいいよ?」
「やるかッ!」
「とにかく、主演女優も文句言わずに働いてるんだから、かみやんくんも馬車馬らしく働きなー」
 言うだけ言って去っていく監督少女。いったい何しに来たのさ。
 上条はその後しばらくメモ用紙とにらめっこしていたが、ふと言祝の最後の台詞が気になった。
「…………そういやあっちは進んでんのかな?」
 言祝が近くにいないのを確認してから、本棚の間を抜け出す。
 適当に歩き回っていると、目当ての姿は案外簡単に見つかった。
 長机と椅子が複数並べられた閲覧ブースの近く。窓の下に備え付けられた背の低い本棚の並び。ウェーブがかった金髪と赤を基調とした他校の制服は見間違えようがない。
 サーシャ=クロイツェフはそこにいた。
 床にペタリと女の子座りして、何やら背表紙とにらめっこしている。
 じっと。
 じーっと。
 じ―――――――――――っっと。
 ……………………………………………………。
 作業は進んでないっぽい。
 あまりにもにらめっこが長いので、上条は不思議というか不安になってくる。
(日本語の題名が読めない――ってことはないよな。台本は読めてるし。てことは…………手に取ることも出来ないような本だとか?)
 そんなのあるだろうかと考えて、一秒でエロい方向に思考が飛んだことに罪はないと信じたい。ブンブン頭を振って考えを切り替えようとするが、言祝ならさっきのこともあるし反応(リアクション)見たさにそんな指示を出すこともあるかもなんて思ったり思わなかったり思ったり。
「――いやいやいや、何をためらうことがある。コーコーセーの余裕を見せろ上条当麻!」
 高らかに小声で宣言し、忍び足でサーシャに近づいてゆく。
 よっぽど目の前のものに心奪われているのか、彼女が気付く気配はない。
 残り三歩、二歩、一歩の所でストップ。金髪の頭越しに本棚を覗き込んだ。
 そこには。
「……!? ま、まさかこれは……!?」
 そう、それは日本が誇る名作童話。夏の読書感想文にもピッタリの、
「『桃太郎』じゃねーかっ! ってか今気付いたけどここって絵本・児童書のコーナー!?」
「はっ」
 反射的なツッコミを入れたせいでサーシャに気付かれた。ビクゥッ! と猫のように小さな背中が跳ねる。
 赤シスターは混乱した顔でこちらと本棚を交互に見比べると、
「――――――――!!」
「待て! どこからともなく釘打ち機(ハスタラ・ビスタ)を抜くな! 図書室(こんなところ)で乱射したら蔵書が全部肉抜き加工されちまいますぞ!? ほ、ほら! 入り口横の掲示板にも貼ってあるだろう図書室利用規則第一条『本は大事に扱いましょう』!!」
「第二条。『図書室の中ではお静かに』」
「口封じ!?」
 荒ぶるゴーストバスターの射線から必死に身をそらしつつ平謝りを重ねること約十分。
 諦めたのか疲れたのかはともかくとして、サーシャは何とか釘打ち機を下ろしてくれた。
 上条は長机の下から椅子を引き出し、すがるように座りながら、
「ハァ、ハァ、ハァ……。なあサーシャ。落ち着いた所で聞くけど、お前どうして絵本の本棚見て固まってたんだ?」
「……………………、」
 女の子座りから正座に移ったサーシャはそっぽ向いて答えてくれない。さて心なしか顔が紅潮しているように見えるのは怒りゆえか、それとも。
「……まあ言いたくないのなら、無理にとは」
 重い沈黙に耐え切れず、上条は逃げるようにそう言った。
 しかし沈黙に耐え切れなかったのは彼女も同じだったようで、かすれるほどの小声で、
「……自白、一」
「自白て」
「ならば解答一。………………その、……読んでも、いいのかと」
 は? と上条は予想外の答えにぽかんとする。絵本を読みたがるサーシャというのが全くイメージできていなかった。
 もしかして懐かしいお話でもあったのかしら、と考え直すと、
「んー、まあいいんじゃないか? 仕事に差し支えない程度なら」
「問一。本当に?」
「えーと、たぶん」
 その後、問十八まで繰り返し尋ねられたが、上条が十九回目の許可を出すと一転してサーシャの表情が輝きだした。
「宣言一。では遠慮なく」
 くるりと身を回すと、彼の見る前で本棚に“両手”を伸ばし、
 ごそっ、と。
 一段丸々抜き出した。
「――――多っ!? サーシャお前そんな腕がプルプルするほど頑張らんでも! てゆーかまさかそれ全部読む気か!?」
 読欲少女と化したサーシャには上条の叫びは届かない。ロシア成教秘伝っぽい体さばきで絵本を床の上に縦に積むと、一番上にあった本を引っつかみ広げて読み始めた。ちなみにまた女の子座りになっている。
 何というか、集中力が尋常ではない。一ページ一ページを目に焼き付けるくらいに見つめ、しかし急ぐことなく、余韻を楽しむほどの時間をかけて読み進めていく。
 本職のシスターに対してこう言うのもおかしな話だが――神聖さを感じるほどだった。
 当然、上条はほったらかしである。
「うーむ……」
 居候の赤シスターの意外な一面を知り、感動だか動揺だかよく分からない気持ちでうなる上条。
 家の本棚を埋めている少年漫画にも、インデックスがしきりに勧める機動少女モノにも大した興味は示さなかったのだが。一体これらの絵本のどこが彼女の琴線に触れたのだろうか。
 とにもかくにも、上条がこれまで見てきた「サーシャ=クロイツェフ」という人物像からはかけ離れたことばかりで……………………いや、そうでもないか。
 思いつきはそのまま口をついて出る。
「サーシャ。お前、実は童話とか絵本とか大好きだろ」

 ………………………………………………………………………………………………………………ビキ。

 ロシア人シスターへの効果は抜群だ。おまけに追加症状で凍りついたように動かなくなる。
 そこへ追い討ち。
「考えてみれば当たり前だよな。喜び勇んでシンデレラの役を引き受けるような人間が、童話嫌いなわけがない。確かインデックスもそれっぽいこと言ってたし。『ロシア成教のゴーストバスターとしては一歩引かざるをえないけど、本人は好きそう』とか」
 プルプルと震える手が、ゆっくり床に置かれた鉄塊(くぎうちき)に伸びている。しかし、上条はもう脅えたりしない。
 なぜなら、たぶん、サーシャは、
「だから、最初に灰姫症候(シンデレラシンドローム)の話をした時に“怒って”たんだろ。大好きな童話の物語が悪用されて、危険な魔術の媒介にされていることが許せなくて」
「――――――――――――――――、」
 ピタ、と手が止まる。
 上条は思った。やっぱり、と。
 サーシャと初めて会った日。
 学園都市に潜む危険を語る彼女に感じた何とも言えない違和感。その正体。
 数日とはいえ共同生活をし、演劇という活動を通じてそれなりの関係を作ることが出来た今ならわかる。
 あの時、彼女は静かに怒っていたんだ。
 大好きな童話を利用し、汚して、災いの運び手に貶めたまだ見ぬ敵に対して。
『灰姫症候』と、そんな名で呼ぶことも苦しかったに違いない。
 上条にだって、そういうものはある。奪われたり傷つけられたりしたら、どうしようもないほど腹が立つであろうもの。
 例えば、土御門や青髪ピアスのような悪友。吹寄制理や姫神秋沙のようなクラスメイト。インデックスや御坂美琴のような友人。両親や、これまで知り合ってきた魔術サイドの面々も。
「思い出」のない上条当麻にとって、それらこそが自分を支えてくれる最も確かなものだから。
 きっとサーシャにとってのそういう存在が、絵本だったり童話だったりしたんだろう。
「もしかしたら、言祝にはわかってたのかもな。図書委員の勘で。だから初対面でスカウトとか無茶して――いやまあ無茶苦茶なのはいつものことか。とにかくサーシャが童話好きだって感じて、だからお前も引き受けようって思ったんだろ?」
「回答一。少しだけ、違う」
 サーシャは少し落ち着いた様子で、上条の想像を大筋で認める意味のことを言った。あくまで目を合わそうとはせずに続ける。
「補足一。私が演劇をやってみたいと思った最大の理由は、演目がシンデレラだったから」
「ん? 一番好きなお話だとか?」
「逆に問十九。シンデレラはハッピーエンドで終わる物語か?」
「えー……うん。そりゃあな」
「回答二。だから」
「は?」
 意味はわからなかったが、そう言ったサーシャは上機嫌で、あえて追求するほどのことでもないか、と上条は疑問を胸にしまった。
 再び楽しそうにページをめくり始めた少女を眺めながらボーっとする。窓から差し込む日の光があったかでああ今日はなんて平和なんだろう痛いのとか怖いのとか厄介なのとか痛いのとか面倒なのとかもないし――
 ゴス。
「なにサボってんの」
「……打撃は話しかけた後にすべきだと言い残して上条さんは落ちます」
 後頭部に何やらとっても硬くて重いものによる衝撃を受け、上条の意識は闇に沈んだ。最後にかすむ目に見えたのは、『極厚 ただそれだけのこと』という題名のハードカバー本を装備した無敵の図書委員の姿だった。
 学園都市最強の超能力者(レベル5)を右腕一本で殴り倒した男に本一冊で地べたを舐めさせた暫定学園都市最強の少女は、児童書コーナーに打ち立てられた絵本の塔と、その横で脅えたように首をすくませている金髪少女を捉え、
「ふーん」
 反応が薄いのが逆に怖い。
 これまでの経験上(主に班の男子達が叱られているのを観察していた経験)、ここは素直に謝るしかないとサーシャは判断した。
「……謝罪一。申し訳ない。すぐに片付ける」
「よろしい。あ、でもその前に」
 立ち上がろうとしたサーシャを制し、言祝は絵本の塔からさっと赤い表紙のものを一冊抜き出した。手品師か、あるいはソムリエのような手業である。
 そしてその絵本を赤い少女の胸の辺りに差し出す。
「問二十。これは」
「栞さんオススメの一冊。流石にこれ全部読まれると時間なくなっちゃうからね。今はこれだけで勘弁してくれる?」
「あ……」
 笑みと共に差し出された絵本を、サーシャは見つめた。
「……ありがとう」
「いえいえ。これも図書委員としての勤めなのですよ」
 にこにこしっぱなしの言祝の手ごと、サーシャは絵本を受け取った。
 上条は後頭部をさすさすしながら起き上がると、
「何だろうなーこの扱いの差は。俺っていつの間にか『どれだけ強烈にツッコんでもノープロブレム』なキャラになってないか……?」
 ぶつくさ言いながら女の子達の手元を覗いてみる。
 言祝が選んだのは、大きな赤い枕を抱いて眠る小さな女の子の絵が表紙に書いてある本だった。
『ぬくぬく、ぐうぐう』という題名を頭の中で読んだ時、
 つぶやきを聞いた。

「――――見つけた」

 え? という声が喉から出るよりも早く、
 ダダダダダダッ!! という炸裂音を立てて連続発射された五寸釘が彼らに近い窓を数枚まとめて破壊した。
 釘の一本一本に仕込まれた術式の効果なのだろう、ガラス片は落下するまでの間に粉末状になるまで自動的に粉砕されていく。そのため破壊の範囲に反して生まれた騒音は静かなものだった。
「な――――!」
 硝砂の降る中、上条の悲鳴は声にならない。
 何者の仕業か――そんなのは決まっている。
 何故こんなことを――そんなのは本人に確かめるしかない。
 ようやくまともな思考が出来るようになった時には、すでに遅かった。
 枠だけになった窓から二人の少女が身を乗り出している。
 正確には、金髪の少女がぐったりした黒髪の少女を抱きかかえたまま外に飛び出そうとしている。
「――っ! 待て、サーシャ!」
 叫びより速く、伸ばした腕よりも疾く、金髪の少女は飛び降りてしまう。
 ここは一階。どれだけ運が悪くても足首を捻るくらいだろうが、しかし当然金髪の少女はそんな間抜けなことはせず、人一人抱えているとは思えないほどの速度で走り出す。
 一歩目からトップスピード。二人の背中は見る見る内に遠ざかっていく。
「やばいっ!」
 慌てて上条も窓枠に足をかけた。一息に飛び降り、後を追って駆け出す。
 耳の奥に響いている、あのつぶやき。
 見つけた、と。
 あれは間違いなくサーシャの声だ。
 ならば何を見つけたのかは考えるまでもない。
 絵物語を梯子にし、災いを振り撒く呪いの魔術、『灰姫症候』。
 サーシャ=クロイツェフの本来の任務は、それを見つけ出すことだったのだから。
 偶然言祝の指先と接触し、彼女の中に『灰姫症候』が宿っていることを感じ取ったのだろう。
 魔術師ならば絶対にわかる、と以前インデックスも言っていた。
 シンデレラの物語を知る者なら、誰が宿主になっていてもおかしくない、とも。
 だけど、
 なんで、
 なんで、今日、この時に……!?
「くっそったれぇ!!」
 中庭まで来たところで完全に見失ってしまう。
 サーシャと言祝が初めて出会った場所。一端覧祭当日には休憩所として開放される予定で、準備中の今はベンチが並べられているくらいで誰もいない。
 神様の奇蹟(システム)すら打ち消せる右手を持つ少年、上条当麻は、今という時ほど運命の神(カミサマ)をぶん殴りたくなったことはなかった。


 十三年前。
 ロシアの片田舎に暮らす彫金師の夫婦が、金の髪とサファイアの瞳を持った赤ん坊を授かった。
 その子に与えられた名は、サーシャ。
 少女は両親の愛情を一身に受け、何の問題も無くすくすくと成長していった。
 しいて問題だった点を挙げるならば、幼児用の娯楽が少なかったことだろうか。
 彼女の生まれた町では昔からロシア成教の影響力が強く、特に『幽霊(ゴースト)』の発生原因に成りうる童話や迷信の類は厳しく制限されていたのだ。
 人形などの玩具も、形状、モチーフ、魔術的符号の有無など幾重にも審査がなされた物しか持つことを許されず、夜眠る前にベッドの中で寝物語をすることすらままならない。
 この村の出身者であるサーシャの母は多少の残念さを感じながらも当然のことと受け止めていたが、しかし父は外から来た人だった。そして、幼い頃両親に絵本を読んでもらったことを覚えている人だった。
 ゆえに彼はこう思った。この子には、自分が読んで聞かせてやりたいと。
 それから父は他の町に行く都合が出来るたびに、本屋を巡って何冊もの絵本を買いつけた。
 ロシア語のものはシスター達に見つかりやすいと思ったので、知人のつても頼って出来るだけ外国の絵本を求めた。
 当然書かれている文字は全て外国語だ。仕事一筋で生きてきたせいで学のなかった父には、一冊を読むために三冊は辞書が必要だった。
 それでも、父は来る日も来る日も愛する娘に絵物語を語って聞かせた。
 初めは古くからの風習を破ることへの躊躇いや世間体から否定的だった母も、だんだんと夫の想いを理解し、家事の合間を縫っては丁寧なロシア語訳を作るようになる。
 毎夜両親が語ってくれる幻想世界に、幼いサーシャは夢中になった。

 それはまるで『絵に描いたような』、幸せな家族の肖像。

 四歳になる頃には、サーシャはすっかり夢見がちな女の子になってしまっていた。
 ガラスの靴を履き、ピーターパンに手を引かれ、天空の城にたどり着き、人魚やカボチャが祝う輪の中、王子様とダンスを踊る――
 一日の大半をそんな空想に費やすようになっていた。
 両親も変わらずに可愛い娘を愛していた。
 そして、サーシャの五歳の誕生日。
 両親が死んだ。
 サーシャが殺した。



◇   ◇



 すれ違う人の体に触れぬよう、触れられぬよう、注意して走る。
 腕の中、気を失っている少女の顔は安らかに眠っているようにも見えた。
 しかし、サーシャは覚えている。ガラスを砕いた時と、当身を入れる寸前の二度、少女の表情が恐怖に歪んだのを。
「……お父さん(パーパ)みたいには、いかないね」
 感傷は一瞬。それ以上は、心が耐えられない。
 もう二度と、父が自分を寝付かせてくれることはないのだから。



◇   ◇



 誕生日プレゼントは新しい絵本だった。
 主人公が悪い竜や魔女を倒し、恋人と結ばれるというありがちなストーリーだったが、この絵本ではお姫様側が主人公で、助けられるのが王子様だった。
 イラストのお姫様がちょっぴり自分に似ている気がして、サーシャはその絵本をとても気に入った。
「めでたしめでたし」と父が言って、物語は終わったが、サーシャはまだまだ物足りない。母に読んでもらい、もう一度父に読んでもらい、二人で同時に読んでもらい――
 そして、お姫様が五回目の魔女退治に挑もうとしている時、
「あれ?」
 ページをめくってくれていた父の手が止まっていた。
「パーパ? どうしたの?」
 幼いサーシャは背後の父に振り向いた。
 その時、彼女は父が組んだ胡座の上に座っていた。父の大きな腕に抱かれていると、吹雪もおばけも怖くなかった。
 ――あかい、にじ?
 真っ赤な、気が遠くなるほど真っ赤な円弧が空中を横切っている。
 最初はワインの栓が開いたのかと思った。
 次は手品かと思った。
 ぐらっ、と父の体が傾いで、ようやく、

 おびただしい量の血液が、父の首から噴き出しているのだとわかった。

「ひっ」
 悲鳴は喉の奥で詰まり、外には出てこない。
 仰向けに倒れた父の膝から転がり落ちても、まともに息をすることもできなかった。
「……ひゃっ……はっ…………お、おくすりだっ。ほうたい、まかなきゃ! マーマ! マーマ!」
 流出した血液は致死量をとっくに超えていたのだが、五歳になったばかりの子供にそれを判断できようはずもない。
 膝小僧をすりむいた時や、はさみで手を切ってしまった時のように、母が薬を塗ってくれれば大丈夫。
 そう思った。
 けど。
 ――ドサッ。
 小麦粉の袋が床に落ちるような音。
 見ると、服の胸の部分を深紅に染めた母が倒れていた。
「……マーマ?」
 返事はない。
 ――もう。
「マーマ! マーマ! パーパ! パーパ!」
“それ”を理解できない幼子は、幾度も幾度も物言わぬ両親の肩を揺らす。
 怖い、とか、悲しい、とか、そんな単純な感情さえ湧いてこなかった。
 あまりに唐突で。
 意味が分からなくて。
 泣くことも出来ない。
 ねえ、どうしたの?
 なんで起きないの?
 疲れてるの?
 そっか。わたしが何回も絵本を読んでとせがんだから、二人とも疲れちゃったんだ。
 じゃあわたしも寝よう。
 明日になったら、きっと元気になってるよね。
 また絵本を読んでくれるよね。
 わたし、この絵本とっても気にいったよ。
 パーパ。マーマ。
 大好きだよ。
 そうして壊れかけた心を抱いて、眠りにつこうとしたサーシャは、
「………………え?」
 見た。
 部屋の中央。
 誰もいなかったはずの場所に、たたずむ人影。
 夜の闇より暗い黒衣。
 手には肉を切るのに使うくらいの大きな包丁。
 赤く塗られた刃。
 まるで絵本の中から抜け出したかのような、「悪い魔女」の姿を――



◇   ◇



 走って、走って、走って、着いた。
 校内で唯一、邪魔が入らずに魔術が行える場所。
「――ふう」
 少しだけ肩の力が抜ける。
 何とか『灰姫症候(シンデレラシンドローム)』を逃がさずにここまで来れた。サーシャの魔術師としての感覚が、自分と言祝の間で交互に転移を続けている存在を感知している。
 後は予定通りに――――
「………………っ!」
 目の前に“何か”が立っている気がして、サーシャは首を跳ね上げた。
 しかし、確かに“何か”がいたはずのそこには、ただ氷のように冷たい風が流れているだけだった。



◇   ◇



『幽霊』は人間を殺さない。
 これは魔術世界では常識として知られている事柄だ。
 当然と言えば当然だろう。外からの認識によってのみ存在を維持できる『幽霊』が観測者を殺すということは、比喩でもなんでもなく身を削る行為だ。
 しかし、だからと言って彼らが無害な存在であるという訳では決してない。
 逆説的に、“彼らは自分を広めるためなら殺人以外はなんでもするのだ”。
 家具や建物の破壊、それらによる負傷者の発生はとても軽んじられるものではない。少し知恵をつけた『幽霊』ならば、あえて半死半生で見逃し、自分の恐ろしさを大勢の人々に伝えさせることもする。
 その中で、『幽霊』の目的に関係なく死者が出る事態になることも珍しくない。大体は、パニックという形で。
 ゆえにロシア成教『殲滅白書(Annihilatus)』は三大十字教宗派最強の誉れ高い物理威力を持って、日夜彼らと戦っているのだ。

 閑話休題。

 常識には必ず抜け穴があるものだ。
『「幽霊」は人間を殺さない』ということについても例外ではない。
 彼らによる能動的な殺人が行われるケースが、たった一つある。
 その『幽霊』が“成体”となっている場合だ。
 数百人規模で数百年単位、誤認が凝り固まって信仰にまで昇華された場合、『幽霊』は成体になると言われている。
 成体はそれ以上の成長を求めない。むしろ、現在の純度を維持するために自分を認識していない生命体を駆逐しようとする傾向があった。
 つまりはそれが、『幽霊』による能動的な殺人が行われるたった一つのケースなのである。
 条件上、都会部よりも外界から切り離された辺境地域で発生する可能性が高く、古い土着信仰にある土地神や守り神のいくつかはこの『成体幽霊』であると判明している。
 異邦人を遠ざけ、執拗な厳罰をもって古代より君臨してきた神様の有り難みのかけらもない正体だ。
 ただ、前述した通りこれには数百人規模の観測者と数百年単位の観測時間が必要になる。
“たった一人の五歳の少女によって”同じことが引き起こされたなんて、誰も信じられなかった。
 ゆえに、半ば冗談のような形で、少女にはある符丁が与えられることになる。
 空想の中から『幽霊』を超える災厄を招く者。
 最も愛する者を最も愛する物によって失わせた愚者。
『悪魔憑き』の二つ名を。



◇   ◇



 言祝の体を固い足場にそっと寝かせる。
 左手は彼女の右手を握ったままだ。まだ放すわけにはいかない。
 片手で儀式の用意をするのは面倒だが、やれないことはないだろう。
 むしろ少しくらい時間をかけたほうが、気持ちを落ち着けるのに役立つ。
 しかし、人間、落ち着いてしまうと、余計なことにまで考えが及ぶようになってしまう。
 ――ああ。
 何をしているんだろう、私は。
 今日は皆で劇をする。
 たったそれだけでよかったはずなのに。



◇   ◇



 両親を失い、サーシャは天涯孤独の身の上になった。
 そんな彼女を引き取ったのは、彼女の村に駐在していたロシア成教の司祭アレクセイ=クロイツェフだった。
 サーシャ=クロイツェフ。
 それが彼女の名前になった。
 その後、当初は物盗りの犯行と思われていた両親の死が、教団の調査により実はサーシャの呼び出した『悪魔』の仕業だったとわかると、アレクセイは少女に一つの問いかけをする。
 ――ご両親の所に、行きたいかい?
 要は、これからも生きるか、ここで死ぬかを決めさせようとしたのだ。
 サーシャの親を殺した『悪魔』は、まだ彼女の中に眠っている。天賦の才によるものか、絵本に心身ともに密接して育ったことによるものか、サーシャの精神には完全な『悪魔』の設計図とでも呼ぶべきものが刻み込まれていると判明した。
 数百人数百年分の模範解答(ショートカット)だ。
 その設計図通りに天使の力(テレズマ)が組み合わさったとき、『悪魔』は現実に出現し、サーシャ以外の人間を手当たり次第に殺そうとする。
 単純な話、そんな物騒な“怪物”はすぐに殺してしまえという声がロシア成教の上の方で挙がったのだ。
 しかしそれに対して、『悪魔憑き』を貴重な能力と見て彼女を聖人に指定し、綿密に調査・研究すべきだという声もあった。
 両者の意見は永遠に平行線を辿るもの。よって、最終的な判断は『悪魔憑き』の現在の保護者である司祭アレクセイに委ねられることとなる。
 そして彼は、本人の意思をまず尊重しようとした。現在の彼女の周囲を取り巻く状況、彼女自身の危険性などをじっくりと長い時間をかけて説明した。
 心苦しくはあったが、両親の死の真実も、出来る限り分かりやすく説明した。
 だが――サーシャは、本当に、ただの五歳になったばかりの女の子だった。
 いきなりこの身に『悪魔』が宿っているなんて言われても、そいつが両親を殺したなんて聞かされても、そのせいで大人達が自分をどうこうしようなんて企んでると語られても、
 理解しきれるはずがなかった。
 でも。
 ――ご両親の所に、行きたいかい?
 死ぬ、ということが。
 カリンカの花の色に身を染めた両親に繋がることだというのなら。
 そんなのは御免だと思った。
 大好きな両親に会いたくなかったわけではない。
 だがその時のサーシャは、ただただ死ぬのが怖かった。


 少女の意思を聞き届けたアレクセイは、まず、サーシャにロシア成教内での仕事を与えることにした。
 第一の理由は、彼女の能力を調べたいと思っている連中に手出しさせないようにするため。
 例えどれだけの宗教的魔術的意味があろうとも、サーシャを功名心と知識欲に凝り固まった狂信者どもの慰みものにするつもりは、アレクセイにはさらさらなかった。先んじて責任のある役職につかせ、確かな成果を出すことが出来れば、連中も強引な真似はやりにくくなるはずだから。
 第二の理由は、サーシャの現在の状態を見るに見かねたため。
 最後にもらった絵本を抱きしめ、しかし決して開きはせずに、一日中部屋の隅でうずくまっている。誰かが言わなければ食事も摂らない。元々小柄だったのが一層やせ細ってゆく。
 無理もないことではあるが、一生そうして生きていくことも出来るはずがない。無理にでもなんでも体を動かすことが必要だった。
 第三の理由は、『悪魔憑き』を押さえるため。
 今は姿を潜めていても、またいつどこでサーシャの『悪魔』が具現化するかはわからない。万が一の備えは絶対不可欠だった。
 シスターとしての修行は、この上ない精神修練になる。
 幸いというべきか、アレクセイの持つパイプですぐに回せる上、精神修練も出来る仕事が二つ見つかった。
 サーシャにはまた二つの道が与えられることになる。
 ゴーストバスターとなり様々な迷信や『幽霊』を打破し続けることで、『悪魔憑き』に呑み込まれない強さを求める道。
 彼ら用の武器・道具を作成する魔術技師(エンジニア)になり、「想像力」を「創造力」に転化することで『悪魔憑き』を弱めてゆく道。
 迷わず彼女が選んだのは前者だった。
 彫金師だった父の仕事によく似た魔術技師というものに心引かれはした。
 けれども。
 世界中にはいろんな迷信や童話があって、それらが『幽霊』として現実に出てきているのなら、一つくらいは“自分を救ってくれる物語”があるかもしれないと思ったから。



◇   ◇



 寒い。
 震えるほど寒い。
 温もりを与えてくれるものなんて何一つない。はるかかなた、決して届かない所にしか。
 ここは幸福からの最遠点。
 そんな場所に自分は望んで来たのだと思うと、少し笑えた。



◇   ◇



 結論だけ先に言えば、そんなものありはしなかった。
 殲滅白書に入り、訓練を終え実戦に出るようになって三年。
 出逢った『幽霊』はひどいものばかりだった。
 子供をさらうピーターパン。
 呪いを唄う人魚姫。
 火を点けて回るマッチ売り。
 小人も妖精も、兎も狐も、ネズミも小鳥も、花も人も、あらゆる『幽霊』は他人を傷つけて自分を広めることしか考えていなかった。
 そんな「物語」に絶望して、否定して、破壊して――繰り返し。
 次は、次こそはと意気込んで出向いて、それでも得たものは落胆のみ。
 父に読んでもらった絵本の登場人物と戦うのは特に辛かった。でもそれ以上に、読み聞かせてもらっていた時には幸福な結末(ハッピーエンド)だったお話が無残な最低の結末(バッドエンド)に変わってしまっているのを見るのが苦しかった。
 どんなに頑張っても、待ち受けているのは最悪のエンディングで。
「めでたしめでたし」と、それだけが聞きたかったのに、出来なくて。
 だから。
 そう、だから。
 サーシャ=クロイツェフは、一度でいいから、誰かに「めでたしめでたし」を言ってもらいたかった。
 幸福な結末が、見たかった。



◇   ◇



「――――けど」
 気付いてしまったんだ。
 目を背けていたことに。
「私だった」
 幸福な結末を壊していたのは。
 彼女さえいなければ、両親が死ぬことはなかった。
 彼女さえいなければ、義父が厄介者を抱え込むことはなかった。
 彼女さえいなければ、『悪魔憑き』が生まれることはなかった。
 彼女さえいなければ、何事もなく今日の演劇を行うことが出来た。
「悪い魔女」は私だった。
 被害妄想と。子供の僻みと。笑わば笑え。
 きっと何があっても、どんなに頑張っても、自分はこんな風にしか生きられないのだから。


 彼女は知らない。
 はるか彼方で息切らせ走っている者がいることを。
 そんなことはないなんて優しいだけの言葉じゃない、本当の幸福な結末をくれる人がいることを。
 しかし、彼はあまりに遠く。
 最後まで間に合う奇蹟は起きずに、儀式の準備は整った。






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