第14話「解放された闇《リローデッドアヴェンジャー》」
時は少し遡り…
第二部のライブが中断され、ホールの外へと出された観客たちは自分に起こった出来事、突如、ステージ上に現れた美少女、謎の悪夢に音響設備の不具合、そして警備会社の対応、その全てを頭の中で整理することが出来なかった。ある者は頭を抱えてうずくまり、またある者はイベント主催者に対する不満をぶちまけ、またある者はイベントが続行されるか心配する。
そして、観客がホールの外に追い出されたという異常事態を軍隊蟻は見逃さなかった。ホール付近の駐車場のワゴンで電話をかける樫閑。後部座席にはユマと智暁が座っていた。
「駄目ね…警備会社も一人残らず会場の外に追い出されているみたい。」
樫閑は不満そうにスマホをポケットの中に入れた。彼女のリダイヤル履歴にはクラヴマガ社の人間の名前がずらりと並んでいた。
「どういうことですか?」
後部座席から智暁が身を乗り出す。
「それがあいつらだんまりを決め込んでるのよ。とにかく『言えないし、こっちも詳しくは分からない。』の一点張りよ。警備を別の組織に丸投げしてるみたい。とりあえず、煙草たちが客たちに事情を聴いて回っているわ。同時に出た客の中に尼乃さんがいれば恩の字ね。」
噂をすれば何とやら…タイミング良くワゴンの扉が開き、狼棺が入って来た。
「お嬢。聞いてきたぜ。音響設備の不具合だとさ。あと、出てきた客の中に尼乃って野郎はいなかった。まぁ、あの大人数だから、どっかで見逃している可能性もあるけどな。」
「ありがとう。それにしても…音響設備の不具合ねぇ?それなら、わざわざ外に出さなくても良いじゃない。」
「ああ、俺もそう思った。けど、もう一つ、観客全員が口を揃えて変なことを言ってやがった。」
妖精のような少女が現れた途端、全身を八つ裂きにされる悪夢を見た。
「…。なるほど、分からないわ。」
「お嬢が分からねえなら俺もお手上げだ。今、弐条がホールの警備システムをハックしている。監視映像が見れれば、どうにかなるかもしれないな。」
「いえ。おそらく見ても分からないでしょうね。」
樫閑は後部座席の方に振りかえり、ユマに視線を向ける。ユマは両腕を組んで鎮座しており、静かに動くべき時を待っていた。
「ユマさん。他人に、それも大勢の人間に悪夢を見させる魔術ってのもあるのかしら?」
「普通にあるよ。でも昂焚の魔術かどうかは分からない。昂焚は魔術のレパートリーが豊富だから、よく分からないし…」
「レパートリーって…、もしかして魔術ってのは一人の人間で何種類もの魔術を行使出来るのかしら?」
それを聞いたユマは「はぁ?」と唖然とした態度で答えた。同時に“そんな質問”をしてしまった樫閑は自分が魔術を科学の尺度で考えていることに気付く。能力は一人に一つを原則としている学園都市の超能力に慣れていた彼女はつい魔術も超能力と同様に一人の人間が扱える魔術は一つだけであると勘違いしてしまっていた。
「魔術ってのは理解できれば誰にでも行使することが出来るからな。ちゃんと手順を踏めば、一般人もその場で魔術を行使できる。」
「じゃあ、あなたが教えれば、私たちにも魔術を使えたりするのかしら?」
「まぁ…な。だけど、今まで私は誰かに魔術を教えたことは無いし、誰かに自分の魔術を使わせたことも無い。それに使えるかどうかはあんたらの教養次第だ。」
ユマの少し詰まった回答が樫閑には気にかかっていた。しかし、手順を踏めば誰にでも使える魔術の利点を知ったことで学園都市の歪さとアンチオカルトの本当の理由を知る。学園都市がアンチオカルトなのは科学の総本山だからではない。超能力という“異能の力”が学園都市だけのものだと信じ込ませることで学園都市の価値を高め、異能の力に憧れる者を学園都市に縛り付ける。魔術の存在は学園都市にとっては眉唾ものなのだ。
(世界を知れば知るほど、この街の全てが疑わしく見えるわ。)
学園都市に対する疑念を膨らませつつも、学生であり先端科学の恩恵を受けている限り、この街で生きるしかないのだと考えて膨らむ疑念を押さえようとする。そして、彼女のスマホに来た着信がそれを払拭する良い切っ掛けになった。相手はホールの外側、メインゲート周辺で客に紛れ込ませたメンバーの一人だ。
「何かしら?」
『主催者側の方から、設備の復旧が難しいから別のステージで第2部のライブをするそうです。観客たちもそっちに移動しています。』
「随分と手際が良いわね。分かった。とりあえず、あなたはそのまま客たちに随行して。何かあったら連絡お願い。」
『了解。』
樫閑は通話を切ると、間髪いれずに別のメンバーから連絡が入る。相手は弐条だった。
「何かしら?」
『煙草さんに言われてたホールの監視カメラの映像をゲットしたんですけど、映像が途中で途切れちゃってて…』
「途中でも構わないわ。とにかくこっちに送って。」
『分かりました。すぐに送ります。』
通話を切った後、樫閑はスマホを大画面のパッドに接続する。
「……来たわね。」
弐条から映像データが送信され、パッドを操作して映像データを開く。
パッドの画面にはホールの至る所に設置された監視カメラが写している映像を一斉に再生していた。各画面の左下に表示されている時間からして、おそらく第2部の姫野ライブが始まる直前だろう。
後部座席から身を乗り出して、智暁とユマも画面にくぎ付けになっていた。
「案の定、通路はガラガラね。メインステージのカメラに限定しましょ。」
樫閑はパッドを操作して通路を写す映像を閉じ、画面に写すのをメインステージと観客席を写すカメラの映像だけに限定した。
(かなりの人数ね…。この中から尼乃さんを探すなんて…)
「いた。」
ユマが座席から身を乗り出し、画面に指をさす。
「え?どれ?」
「ここ。金髪の左隣。」
監視カメラにバッチリと移る昂焚とディアスの姿があった。
「確かに…あの写真の面影があるわ。」
カメラの映像は、メインステージで起こった出来事をしっかりと記録していた。
ステージ上に現れた謎の美少女、悪夢を見せる歌を苦しみだす人々、歌の制止、観客の避難、その全容が映されていた。そして、昂焚とディアス、アリサがホールに残っていることも…。
ここで映像は途切れ、その後に起きたホールでの戦闘は全く映されていなかった。
(やっぱり…昂焚はあの中に居るんだ。)
ユマは今にも車から飛び出したくてウズウズし、思わず力が篭もった肉体が貧乏ゆすりをすることで発散している。10年も追い求め、恋焦がれた存在が目の前にあるのだ。落ち着けと言う方が無理な話だ。しかし、今、闇雲にドームに飛び込むのは得策ではないことをユマは理解していた。軍隊蟻との同盟の件もそうだが、それ以上に…いや、最大の理由として昂焚が用心深く、イギリスでは両手両足を拘束しても逃げられたという事実がユマを慎重にさせる。
(まだ…まだ慌てる時じゃない。より確実に、正確に、徹底的に昂焚と添い遂げる。そのために必要な要素がまだ足りない。
イルミナティも軍隊蟻とかいうお子様マフィアを利用してでも…。)
スラム街で育ちながらも養父であるホセ・アルドゥ・バルムブロジオにありとあらゆる教育を施された彼女はその見た目や言動に反して、意外と頭が良く、魔術師なのだから当然の如く教養がある。 “
尼乃昂焚と添い遂げたい”という欲望に心血を注ぎ、そのためなら熱血(ホット)にも冷血(クール)にもなれる。打算的な部分を持っている分、痴情の縺れの果てに暴走する乙女よりも厄介とも言える。
その一方で、樫閑はユマとは別の方向に悩みこんでいた。
(んむぅ…。こうも簡単に見つけられると逆に困るのよね。長期にわたって魔術に関わる情報を聞き出すつもりだったのに…。)
魔術に関わる情報を聞き出し、尚且つそれを理解して応用するにはそれなりの時間が必要だろう。尼乃昂焚が行方不明であるという事実、彼の捜索に軍隊蟻が絶対に必要だと思わせることでユマを軍隊蟻に縛り付けたのだが、こうも簡単に見つけられてしまっては魔術のことを聞き出す前に逃げられ、タダ働きになるかもしれない。信頼を示すためとはいえ、彼女に槍を返してしまったのは迂闊かもしれない。
しかし、樫閑はすぐにその考えを改める。
(いけないわね。つい打算的になってしまう。)
リーダーの
寅栄瀧麻とナンバー2の
仰羽啓靖、もし彼らがこの場に居たのなら、尼乃昂焚が見つかったことを素直に喜んでいたに違いない。あの2人は自分とは違い、他者の幸福を自分の幸福のように喜ぶ人間だ。彼女のためにチーム総出で惜しみない支援をしていたに違いない。
(ここは突入を仕掛けるべきか否か…)
樫閑恋嬢としての打算的な思考と軍隊蟻の“リーダー代理”として筋を通した思考の間で板挟みになる。
そんな悩みから解放させてくれる厄介な報告が樫閑の元に届いた。警備員の通信を傍受していたメンバーからの連絡だ。
「はい。こちら樫閑。」
『多数の警備員にオービタルホールへの召集がかけられているッス!警備員の無線を傍受して手に入れた情報だから確実ッス!』
(警備員が動いたってことは…おそらく内部で起きた出来事、魔術の隠蔽工作は諦めたってことね。包囲網が敷かれると厄介だわ。張り込み組には持たせてないけど、この車には少し武器を積んでいるし、お尋ね者の侵入者も匿っている。検問で即刻アウトよ。)
「分かった。情報ありがとう。」
樫閑はケータイを切り、耳にインカムを装着する。
「オービタルホール周辺のメンバー全員に通達。直ちに撤退し、各自最寄りの交通機関の張り込み組と合流せよ。」
それを聞いた途端、ユマの目はかっと見開き、樫閑の肩に掴みかかる。それは尋常じゃない握力でユマの細い腕には筋肉と血管が浮き上がる。
「痛っ・・・・!!」
「撤退?目の前に昂焚がいるってのに、諦めろって言うの?」
「落ち着いて聞いて。警備員…ここの治安組織がじきにホールを包囲するわ。おそらく、ホールの内部で起きた“何か”を隠蔽することを諦めて、堂々とここで潰す気のようね。どれほど武装しても私たちはスキルアウト、外で言うギャングよ。所詮は日陰者。ここまで騒ぎが大きくなると大きなアクションは取り辛くなるわ。それにあの騒ぎの中に尼乃さんがいるって確証は無いのよ。ここで無闇に突っ込んで警備員にでも捕まったら、あなたはこの街を追い出されることになるわ。」
「そういうことか・・・。私もここのポリスの世話にはなりたくないな。」
「分かってもらえて嬉しいわ。もし仮に尼乃さんが警備員の御用になっても問題無いわ。学園都市は基本的に外部からの侵入者に対しては強制送還と多額の罰金の措置を取っている。学園都市のゲートか空港で待ち伏せしていれば、確実に会えるわ。」
「分かった。ここは大人しく退く。」
「理解力が高くて助かるわ。」
樫閑たちを乗せたワゴンはホール組を乗せて駐車場から出た。道路に出てスピードに乗り始めた頃に急ブレーキがかかり、樫閑たちの身体が前に放り出される。
「危ねーだろうが!左右ぐらい見やがれ!」
運転手の男が窓から身を乗り出して叱責する。どうやら、誰かが飛び出してきて急ブレーキをかけたようだ。
「…ったく、誰なのよ。」
樫閑は前の座席にぶつけてしまった額を手で押さえながら前方を見る。
樫閑はそこで意外な人物の姿を目の当たりにする。ワゴンのヘッドライトに照らされて、あまりの眩しさに手で目を覆う
神谷稜の姿が合った。
(何で彼がここに…?)
神谷稜が何故、オービタルホールに来たのか。樫閑は考えた。
神谷稜と言えば、昨日、斑孤月と共に不審人物との戦闘で重傷になり、病院に搬送されたと聞いている。いくら冥土返しでも昨日の今日で重傷の患者を病院から出すわけがない。彼が病院を抜け出してでも成し遂げたい何かがあのホールの中にあるということだ。
そして、ここに一つの仮説が浮上する。その不審人物が尼乃昂焚ではないかということだ。彼は外部からの侵入者であり、風紀委員である神谷稜と戦闘になる理由は十分にある。そして、ユマの語りから彼が優秀な魔術師であることも窺え、大能力者である稜と狐月を打ち負かす可能性も十分に考えられるのだ。大能力者《レベル4》2人を同時に重傷で病院送りに出来る人間など、あの辺りだと超能力者《レベル5》第3位の超電磁砲《レールガン》こと御坂美琴《ミサカ ミコト》ぐらいだが、魔術という未知の能力が相手であれば、条件は変わるだろう。
(だとすると、彼は個人的なリベンジに燃えているってことかしら。)
あまりにも馬鹿馬鹿しいと考えながらも、過去の稜の行動から有り得るとも考えてしまう。無愛想でクールに見えて、その内は誰よりも不器用で頑固な熱血馬鹿だ。
それに彼が腕章をしていないとすると、今回の行動は風紀委員としてではなく一個人としてのものだと考えられる。病院から脱走しているのだから、風紀委員として堂々と活動できないはずだ。その隙に付け入ることが出来れば、昂焚探しに彼を利用できるかもしれない。
稜は叱責する運転手を無視し、そのままホールの方に突っ走る。
「あっ!待って!」
樫閑は慌てて扉を開けてワゴンの外に出る。
「待ちなさい!神谷稜!」
走りだそうとした稜は名指しで叫んだ樫閑に止められ、後方にいる彼女に振り向いた。
「あんたは…確か軍隊蟻の…」
「面と向かって会うのは初めてね。私は軍隊蟻のリーダー代理を務める樫閑恋嬢よ。」
「…くっ。スキルアウトが俺に何の用だ?」
稜は明らかに警戒して身構える。片や風紀委員一七六支部のエース、片やスキルアウト軍隊蟻の実質的なリーダー。相反する敵同士の対面だ。
「尼乃昂焚…」
樫閑が彼の名前を口に出す。稜は面食らったのがそのまま表情と態度に出て来る。樫閑の思惑通り、分かりやすい人物だ。
「図星のようね。分かり易いわ。」
「何で…あんたがあいつの名前を…」
「“私たち”もあいつのことを探しているのよ。事情は話せないけどね。」
「俺に…『協力しろ』って言いたいのか?」
「さすが大能力者。話が早くて助かるわ。これは貴方にとっても悪い話じゃない。貴方が尼乃昂焚を狙うのは個人的な理由でしょう?それも病院から脱走するほどの…。」
稜は「どうしてそこまで知っているのか?」と樫閑に問いたかったが、軍隊蟻の構築した膨大な情報網によるものという答えが返ってくるのは明白だった。風紀委員や警備員との癒着があり、数多くの研究施設や企業との関係も持っている。よほどの機密事項でもない限り、情報は彼女たちに筒抜けだろう。
「風紀委員の仲間からのサポートも無しに彼に出会えるのかしら?もし仮に出会えたとして、貴方一人でどうにか出来る相手なのかしら?斑孤月と一緒に病院送りにされた貴方が。」
「それは…」
稜は回答を詰まらせた。現状、自分一人で昂焚にリベンジを果たすのは難しいだろう。それは理解できていたが、ここで「ああ。難しいだろうな。」と答えてしまうと樫閑が軍隊蟻との協力の話に持ち込む。あの
界刺得世と互角かそれ以上に渡り合う女だ。あまり認めたくは無いが、こういった交渉が苦手な自分なら簡単に言い包められるだろう。
(それじゃあ、意味が無いんだよ。)
これは“自分が信じる正義”の為の戦いだ。それをスキルアウトと結託して成そうとするなど本末転倒にも程がある。
樫閑に協力体制の話を持ち込む切っ掛けを与えない。これが最善の策だった。だが黙秘を続けるのも限界があり、「黙秘は肯定と見なす」というフレーズをよく聞くように、おそらく黙秘は否定の答えにはならない。ただの時間稼ぎだ。
(どう答えるべきか…)
悩んでいたところ、ワゴンの窓が開き、狼棺が顔を出す。
「早くしろよ!お嬢!警備員に包囲されちまうぞ!」
それを聞いて、樫閑は腕時計の時間を見合わせ、稜は回答を誤魔化すチャンスが出来たと同時に警備員がここを包囲し、病院から抜け出した自分も捕まってしまう可能性を危惧する。
「そろそろ時間ね。警備員がここを包囲するから、あなたも今回は諦めた方が良いわよ。」
樫閑はそう言いながら稜に歩み寄り、彼の肩を軽く叩こうとする。
ガシッ!
稜は樫閑の手首を掴み、自分の肩に触れさせなかった。
「そうやって発信器を付けるのはベタにも程があると思うぜ。ってか、分かりやす過ぎ。」
「あれ?バレちゃった?」
稜は樫閑の掌に付いていた微小の発信器を奪うとそれを握りつぶした。
「まぁ、いいわ。今回は諦めて退散しますか。」
そう言い残して、樫閑はワゴンに乗り込み、そのまま走り去っていった。
車内では迫華がその立場を忘れて、樫閑の行動の是非を問いかけていた。
「お嬢!何考えてるんスか!?」
「それは、どういう意味で言っているのかしら?」
「あいつは風紀委員っすよ!しかも一七六支部のエースで正義漢も半端じゃない頑固者!そんな奴と協力しようって正気じゃないっす!」
樫閑は自分が稜と協力しようと持ちかけた理由とその根拠の全てを話した。納得のいく理由ではあったが、迫華はそれでも納得がいかず、智暁はその大胆さに驚嘆していた。
「本気で協力できるとは思っていないわ。けど、“神谷稜は尼乃昂焚を追っている”という情報を得ることが出来たわ。それに―――」
樫閑はタブレットを出す。画面にはこの辺りの地図が写され、赤い点が地図上を移動していた。
「彼に発信器を付けるのも成功したしね。」
「え?阻止されてましたよね?」
智暁が問いかける。おそらく、ユマも同じことを思っているだろう。しかし、運転手と狼棺、迫華はタネが分かっているようで、ニヤニヤとしていた。
「肩に付けようとした発信器はダミーよ。本丸はこの極小の自律飛行ユニットに搭載されたものがこっそりと彼の服に張りついているわ。」
樫閑の人差し指の先に付いている米粒よりも小さい黒い球体。これが発信器と盗聴器を搭載した自律飛行ユニットだ。
「これ絶対に気付きませんよね。」
「学園都市って…凄いんだな。SF映画みたい。」
樫閑の指先に止まる自律飛行ユニットを智暁とユマはまじまじと見つめていた。
「ところで、あいつに発信器をつけるメリットでもあるのか?発信器だってタダじゃねえんだぞ。」
そう言いがかりを付けてきたのは狼棺だった。
「勿論、メリットはあるわ。おそらく、彼はあのホールに尼乃さんが居ることを確信していた。だとしたら、風紀委員のネットワークとはまた別の非常に信頼性の高い情報源がある筈よ。もし彼の御用達の優秀な情報屋にでも巡り逢えたらラッキー☆って感じね。」
「あの一瞬でそこまで考えてたのかよ…。」
「ええ。」
樫閑はふとタブレットの画面を見て、稜の位置を確認する。
(どうやら、私の忠告は聞き入れたようね。風紀委員ではない彼がどう動くか…興味深いわ。)
しかし、彼がどう動くか予想する間も与えず、ワゴンに積んでいる通信機に連絡が入る。
『お嬢。地下駐車場から怪しい車が2台出てきました。』
「中は見える?誰か乗ってた?」
『いえ。スモークガラスで中は見えませんでした。赤いスポーツカーと後続にシルバーのワンボックスカーっす。東の方に向かいました。今、佐倉井と吉戸のバカップルコンビが追っています。』
「そのまま付かず離れずの距離で追跡しなさい。」
『了解。』
樫閑は通信機を手に取り、スイッチを切り替えることで別の人間に繋がるようにする。
「装甲車“コウチュウ”。聞こえる?」
『はい。通信クリアです。』
「今すぐ、無人偵察機“カゲトンボ”を第六学区の東側に射出して。安定飛行に入ったら、操作と監視は
波幅倫理《ナミハバ リンリ》に一任。」
『了解。』
目まぐるしいほどに仲間と連絡を取り合う樫閑、通信機を置くと、今度はスマホを取り出して別の人間に連絡した。
第五学区
風輪学園中等部 女子寮
第5学区に位置する総生徒数1000人弱のどこにでもある学園。そこの中等部の女子寮の一角。入ってはいけないようなオーラを放つそのドアの向こうには見事に散らかし放題、お菓子や漫画、ゲーム類や電子機器などで溢れかえっている典型的なぐーたら自宅警備員の部屋が広がっていた。
明かりも点いておらず、暗い部屋の中で不気味に光るパソコン画面とそれに向かう少女の姿。
身長は150㎝前後で細身の体型。無造作に伸ばした黒髪は腰まであり、服は作業着風の寝巻きを着ている。ナマケモノのような動作と、それに反して獲物を狩る獣のような目付きが特徴で、恐ろしく肌が白かった。
パソコンに向かう彼女のケータイに連絡が入り、少女は「う~ん」と唸りながら面倒くさそうに電話に出る。
「あ~。樫閑さんですか~。こちら蟻の波幅で~す。」
『今、ちょっとした仕事で“カゲトンボ”を飛ばしているわ。あなたにその操作を頼みたいの。』
「オッケーですよ~。いつものことですね~。ゲームみたいで面白いんですよ~。」
『追跡対象のデータは今から送るわ。あと、出来れば真剣にやって欲しいわね。あの偵察機、けっこう高いんだから。』
「は~い。」
そう言って、波幅は別のパソコンを立ち上げて、偵察機の操作に準備に入る。
彼女がそれに集中している最中、部屋の扉が開いてもう一人の少女が部屋の中に入って来る。
波幅と同い年だろう。艶のある黒髪を肩くらいの長さで切り揃えており、顔の両脇を隠すように伸びた前髪が特徴的だ。目は基本的に光がなく、死んだ魚の様な目をしているが表情は豊かだ。
彼女の名は
犬飼遊離《イヌカイ ユウリ》。波幅倫理の世話係をやっている風輪学園中等部三年の少女だ。
手にはコンビニのビニール袋を持っており、温かそうに湯気が出ていた。
「倫理~、コンビニでおでんが安売りだったよ。…って、そのパソコンを使うってことは…」
「うん。軍隊蟻のお仕事。今から偵察機を操作するんだよ~。」
波幅のパソコンが起動し、画面が偵察機に搭載されているカメラの映像に切り替わる。波幅はパソコンに繋いだ専用のコントローラーを使ってデータを基に対象を捜索し、偵察機を動かしていく。その目は真剣そのものと言うよりは、本人の言う通り、ゲーム感覚だ。
コンビニで買ったおでんをテーブルの上に置き、遊離は後から倫理に抱きついた。しかし、倫理は気にも留めず、偵察機の操作を続ける。
「軍隊蟻ね…。倫理はこの仕事についてどう思うの?」
「まぁ…面白いと思ってるよ。他にも一杯、面白い物を持ってくるしね。」
「ふぅん。そのリーダーの樫閑さんだっけ?彼女ってどんな人なの?私は会ったこと無いのよね。」
「う~ん。『まさに参謀』って感じの人だよ。冷静で頭の回転が早くて、駆け引きとか交渉とかも凄いんだよ。あ!あとリーダー“代理”。そこをきっちりしておかないと怒るんだよね。」
「そうなんだ…。」
「最近は何か焦っているっていうか、寅栄さんと仰羽さんが居なくなってから、無理してリーダーやっている感じがするんだよね~。最近、愚痴が増えているし。」
波幅から見た樫閑の評価を聞いて、遊離は少し微笑み、うっとりとした顔をする。
彼女は傍観者であり、観察者だ。他人の人生を傍観するのが好きなだけの変わった人物であり、物珍しい感性を持った人間の物珍しい人生であればあるほど彼女にとっては素晴らしいものであり、愛おしいものである。その中でも完成しきった人間性を持つ人間の人生よりも、未熟で欠点だらけの人間性を持つ人間の人生の方が素晴らしいと思っており、いかにも完璧の様に思える樫閑恋嬢という人物像、波幅が語る彼女の脆さと弱さの片鱗が彼女のストライクゾーンを突いたようだ。
「そうなんだ。ちょっと面白そうな人だね。」
「浮気は駄目だよ~。遊離さん。遊離さんが居なくなったら、誰が私の面倒を見てくれるんですか~。」
「ふふっ。勿論、貴方も魅力的よ。」
再起か破滅か先の読めないその特異な人生が…
第六学区の東側の高速道路。学生の街ということもあってあまり車を利用する人間が少ないが、こういった自動車関連のインフラは充実している。
その高速道路上を走る赤いスポーツカーとシルバーのワンボックスカー。その背後を付かず離れずの距離で2台のバイクが並走していた。
赤いスポーツカーは
持蒲鋭盛のものであり、本人が運転し、助手席にハーティ、後部座席に藍崎が乗っていた。後続のワンボックスカーは駐車場に停めてあったものを拝借し、彼の付き人であるジェフリーが運転している。尊とアリサも同乗していた。
「後ろのバイク。明らかに私たちを尾行していますね。」
ハーティはミラーで後方を確認し、並走して走る2台のバイクを視認する。
「イルミナティの奴らか?」
藍崎もミラーで後ろを見る。
「分からないわ。けど、このまま尾行されるのも好くないでしょう。私たちもホテルの位置を知られたくありませんし…」
ハーティがジャラジャラと鎖のような霊装を取り出した。
「スキルアウトの連中かもしれないな。まったく、イルミナティに逃げられるわ、死人部隊は殲滅させられるわ、帰りにスキルアウトに狙われるわで今日は厄日だな。」
「スキルアウトって、要するにギャングよね。だったら、迎撃しましょう。」
「なるべく穏便に済ませたいね。後続車のこともある。」
拘束・拷問が専門のハーティには穏便に済ませる手段に相応しい霊装を持ち合わせていなかった。そもそも彼女は穏便の加減を知らないのだ。“穏便に”と命令されて、昂焚に“少なくとも死なない程度に拷問”する人間だ。
「だったら、ボクがやりましょうか。ボクの魔術だったら、バイクの視界を潰して振り切ることが出来ます。」
藍崎は申し訳なさそうにゆっくりと手を挙げる。
藍崎の提案に対して持蒲とハーティに異論は無く、迎撃は彼の担当になった。
背後から追跡する2台のバイク。両方ともピンクと白を基調とし、ハートマークや「I love you!」の文字が大量にデコレーションされたいかにもラブ!らぶ!LOVE!なバイクだ。
「今日も最高の走りだぜ!瀬那《セナ》!惚れ直しそうだ!」
「私はいつもあなたに惚れ直してるわ!逢琉《アイル》!」
甘々な言葉を互いにかけ続ける。
2人は軍隊蟻で随一のライディングテクニックを誇るメンバー、吉戸愛琉《ヨシト アイル》と佐倉井瀬那《サクライ セナ》の通称“バカップルライダー”だ。
「よっしゃあ!行くぜ!」
「ええ!今日も決めるわよ!」
「「“貴方を絶対に離さない!愛のラブラブ追跡走法!”」」
2人で息を合わせて必殺技っぽいものを叫ぶが、普通に静かに尾行するだけの走りである。
突然、前方から黒い霧が噴出し、一気に高速道路を包み込む。
「くそっ!前が見えねえぞ!」
「これじゃあ、追跡出来ないわ。」
2人は急停車し、早々に追跡を断念する。
「まぁ、私たちはダミーだから良いのだけれど。」
2人が空を見上げると、遥か上空を1台の小さな航空機が通り過ぎて行った。細長い胴体に4枚の翅を持ち、闇夜に溶け込むような黒いトンボのような機影だ。
カゲトンボと呼ばれる軍隊蟻が保有する偵察機であり、学園都市の企業が開発し、軍隊蟻が運用することで実戦形式のテストを行っている。
バカップルライダーはダミーであり、2人が撒かれるのは計算の内だった。追跡者が2人だけだと思わせ、警戒を怠っているところを真の追跡者であるこのカゲトンボが追いかけるのだ。
カゲトンボが優雅に飛行し、2台の車を追跡し続ける。
「んっふっふ~♪丸見えなんだよ~」と操作している波幅は鼻歌交じりに言っているに違いない。それほど余裕のある偵察だった。
ガンッ!ガンッ!…ドォン!!
突然、カゲトンボに2度衝撃が走り、黒煙を上げて墜落していく。そして、機密保持のための自爆システムを用いて空中で爆散し、粉々になった。
波幅の部屋でもその異常は感知しており、「システムエラー」「接続先が見つかりません」などの警告文を上げて、パソコン画面が真っ暗になった。
「うわぁ~。撃墜されちゃったよ~。」
カゲトンボは最新鋭の特殊装甲で構成されており、非常に軽量ながらも高い防御力を誇り、ミサイルでも当たらない限りは撃墜されることはない。そして、この特殊装甲は完全なステルス性を持っており、誘導ミサイルによるロックオンは不可能だ。撃墜される可能性を極力減らした仕様だ。
頭を抱えて毛布に包まり、波幅は現実から逃避する…が、現状報告はしっかりと樫閑にしていた。
「お嬢。すみません。カゲトンボ、撃墜されました。」
『そう…分かったわ。』
カゲトンボの撃墜の一報を機に樫閑は軍隊蟻の全部隊に撤退命令を下した。
高速道路付近の建物の屋上、
カール・ブルクハルトは大口径のスコープ付きの対戦車ライフルを構え、スコープを覗いていた。銃口から微かに煙が上がっている。
「目標《ターゲット》の、撃墜を確認。」
『よくやってくれた。カール。迎えが来るまで少し待っててくれ。』
イルミナティ対策チーム、いや、
必要悪の教会の中では随一の狙撃能力を誇る彼は狙撃によってカゲトンボを撃墜したのだ。
1発目でカゲトンボに衝撃を与えて傾かせ、2発目に特殊装甲の部分ではないカメラのスコープを撃ち抜いて弾を内部の機材まで貫通させて撃墜した。魔術的な補正も誘導弾もなく、ロックオンも出来ない最新鋭の特殊装甲を装備した偵察機相手に時代遅れの対戦車ライフルで撃墜した彼の腕前は神業としか言いようが無かった。
「もう、追跡者はいない…か。」
* * *
第十学区 留置所
薄暗く、夢も希望の欠片も無い、清潔だけど冷たさのみを感じさせる留置所。数多くの牢屋が並び、その中の一室に一人の女性が俯いていた。
年齢は20代後半だが、やつれているせいで30代に見えなくもない。スタイルが良く、顔も美人だが、クールな印象が残る。髪型は茶髪のショートヘアーで左目側の前髪が長く、右目側の前髪が短い。
彼女のいる部屋には“
桐野律子”《キリノ リツコ》と書かれたネームプレートがあった。
その牢屋の前に一人の少女が佇んだ。周囲には美男美女の数人の付き人を連れている。
どう見ても小学生、大きく見積もっても中学生ぐらいにしか見えない少女だ。茶髪のツインテールに赤いリボンを付けており、ヘソ出しルックに短いスカートというチラリズム絶対主義な服を着ている。
「やっほ~!律ちゃん!元気してた~?」
律子の現状など気にも留めず、少女はハイテンションで元気に挨拶をする。
律子は面を上げる。
「仕方ないじゃない。第三次世界大戦のゴタゴタで研究に支障が出たんだから。」
「そんな与太話をしにわざわざ来たわけじゃないんでしょう?もう“あれ”は完成しているのよね?」
「勿論!ここにあるよ!」
衿栖は付き人が持っていたケースを取り上げ、中身を開けてそれを律子に見せる。
「ふふっ…。本当に完成したのね。」
「けっこう手間暇かかったんだから、絶対能力者《レベル6》が生まれた暁にはその利益もこっちに廻してよね。」
衿栖に指示され、付き人の一人がカードキーを取り出し、律子が収監されている部屋のロックを解除し、扉を開けた。
「仮釈放おめでとう。桐野律子ちゃん。」
律子と衿栖は不敵な笑みを浮かべた。
過去の欲望は目覚め、再び少年の正義に立ちはだかる。
最終更新:2013年04月04日 10:44