第22話「氷の葬列《ブローズグホーヴィ》 前編」
“死”
それはいずれ訪れる結末。決して逃れられぬ人の最期。
だけど、そんなものは身に危険が及ぶか、老人になるまで長生きしないと意識することはない。
常にそこに存在するが意識しないと認識できない。まるで空気のようなもの。
だけど、私の空気にはいつも香りが漂っていた。
事ある毎にアストー・ウィーザートゥに首の縄を引かれる私は常に死を感じていた。
生まれながらにして人として真っ当な“生”を否定された私。
刻一刻と迫る生命のタイムリミットを見せ続けられた私。
私は誰よりも死を恐れ、誰よりも死の恐怖を理解している。
故に私は求めた。不老不死を
そして、知ってしまった。不老不死を肯定し、同時に否定する存在
吸血殺し《ディープブラッド》を―――――
* * *
第一六学区
学園都市の中の商業区画で高額アルバイト施設が並ぶ学区。普段は放課後になると多くの学生がアルバイトのために集まるが、今日はバイトの学生も雇い主の大人も誰一人見かけない。閑散としたゴーストタウンのようになっていた。
とあるデパートの地下駐車場。地上での人口に比例して車の数はごくわずかでほとんど人を見かけない駐車場で虚しくも蛍光灯が空間を照らし続ける。
駐車場の中央に椅子がある。紺色のセーラー服で長い黒髪の少女「姫神秋沙」がロープで椅子に縛りつけられており、気を失っているのか、暗示でもかけられているのか、微動だにしなかった。その傍らには筋骨隆々の
アーロン=アボットが彼女を監視する様に立っていた。
「来たわね」
アーロンの視線の先、リーリヤは氷と赤鋼の騎馬「ブローズグホーヴィ」に跨り、薄暗い駐車場をダイヤモンドダストのように仄かに白く照らしながら現れた。雪の妖精にも例えられる彼女の姿と赤道の鎧を身に纏う輓曳馬のような姿をした霊装のギャップは凄まじい。
「約束のもの、ちゃんと用意してある?」
「見ての通り、ちゃんと用意したわ。なんなら自分で確かめたらどう?」
「そう…ね」
アーロンに促され、リーリヤがブローズグホーヴィから降りて歩いて姫神に近付く。
リーリヤが姫神の髪の毛を掴んだ。髪の毛を上に引っ張り、前髪で隠れていた姫神の顔を見ようとした瞬間だった。
ズルッ
姫神の長い黒髪が抜けた。一本や二本ではない。皮膚ごと剥がされたかのように彼女の全ての髪がごっそりと抜けた。美しく長い黒髪、それを模したカツラの下からショートカットの茶髪が姿を現した。
「吸血殺しだと思った?残念!笑莉ちゃんでした!」
「!?」
突如、笑莉の足元の地面からリーリヤに向けてドリル状に捻じれた角が飛び出す。
笑莉は足で隠していた東洋魔術の記号を用いて魔術を発動し、駐車場の地面を構成するコンクリートを螺旋状に変形させてドリルのように隆起させた。目にも留まらぬ速さ、人間の動体視力では捉えられるとは思えない速度でドリルの先端はリーリヤの頭部を狙う。
しかし、瞬時にリーリヤの前面に氷の壁が展開され、先端は氷の壁によって砕かれる。慌てて展開したのか氷の壁の厚さは十分では無く、角と一緒に壁も砕かれていった。
「くっ!」
リーリヤが即座にブローズグホーヴィに跨り、笑莉とアーロンから距離を取る。
その隙に笑莉は“縛っている振り”をしていた縄から抜け、剛弓「百合若」を構える。
それが見えていたリーリヤは即座に前方に氷の壁を形成した。
(んふっ♪見事に引っかかった☆)
ドォォォォォォォォン!!
突如、百合若とは完全に別方向から紅色のエネルギーの塊がリーリヤとブローズグホーヴィに直撃した。衝撃波を撒き散らして駐車場を破壊しながら弾丸の速度で飛来したエネルギー塊、凄まじい轟音が鳴り響き、それだけで絶大な破壊力が窺える。
爆煙が立ち、笑莉とアーロンの視界が潰れる。
突如、吹雪が吹き荒れて立ちこもる爆煙が一気に吹き飛ばされる。
笑莉とアーロンが見たもの、それは無傷で佇むリーリヤとブローズグホーヴィの姿だ。彼女の周囲にはぶ厚い氷の盾が形成されており、彼女とその周囲だけは全くの無傷であった。
予想以上に高い防御力、氷壁の即応性に笑莉は固唾をのむ。
リーリヤがエネルギー弾が飛来してきた方向に目を向ける。それに応えるようにセスは車の陰から姿を現した。右手に握った杖の先端をリーリヤに向けている。狼を模したデザインに幾つかのルーンが刻まれている。この任務のために彼が用意した新たな霊装である。正式な名前は付いておらず、とりあえずセスは「狼の杖」と呼んでいる。
「ガンド」という言葉には「杖」「狼」という意味が込められており、彼の得意とするガンド術式をより強力に、同時に効率化させるための霊装だ。
セスは次のフィンの一撃のために杖の先に魔力を込める。
「ンフフフフフフフフフフフ…」
突然、リーリヤが笑い始めた。ガラスのような透き通る笑い声が地下駐車場に響き渡る。まる人々を嘲笑う妖精のようだ。絶対的な強者の余裕だ。
「まさか…この私が嵌められる、なんて…。信用していなかったけど、アーロン。貴方が、このタイミングで裏切るとは、思っていなかった…」
「そうね。リーリヤ。私はもう
イルミナティに戻るつもりは無いわ」
そう言うとアーロンは懐から拳銃を取り出し、リーリヤに銃口を向けた。
(プランB開始)
笑莉は百合若の引きっぱなしだった弦を離し、リーリヤに向けて矢を射た。
放物線を描いてリーリヤへと向かう矢。速度もほとんど付いておらず、“へなちょこ”と形容するに相応しい軌道を描いていた。
(そんな遅い矢で…)
リーリヤは前方に氷壁を展開して矢を防ぐ準備を完了させていた。
「私は、矢を撃つ。」
突如、そう言い放ったアーロンが笑莉の放った矢を撃ち抜いた。銃弾をぶつけられた矢は真っ二つに折れ、ヒラヒラと舞い降りながら虚しくリーリヤの氷壁にぶつかって落ちた。
その突然の光景にリーリヤは何がなんだか理解できず、唖然としていた。
「どういう…つもり?」
「こういう、つもりだ。」
突然、口調の変わったアーロンは自分の首筋に手をかけた。首の皮を掴み、そこから「ベリベリ」という音と共に自分の首から頭部にかけての皮膚を剥がす。剥がされる皮膚、その下にはまた別の人間の表皮が見えていた。剥がされているのは変装用のマスクだ。
アーロン=アボットという仮面を剥がし、カール・ブルクハルトが素顔を露にした。
その時、リーリヤは笑莉とアーロン(だと思っていたカール)の不可解な行動の理由に気が付いた。
解放の矢《ウィリアム・テル》
カールが用いる魔術であり、ウィリアム・テルの逸話を用いている。自らが射出した物体は何であれ確実に相手に命中させる魔術であり、それは例え、相手が自分から見えない場所に居ても宇宙の果てに居てもテレポートと同じ原理で11次元座標を移動して命中させる。この魔術が発動してしまえば、絶対的な防御も超光速も意味を為さなくなり、一方的にカールが放った矢・弾丸の餌食になるだけの最期を迎えるという厄介な魔術だ。
しかし、この魔術には発動条件がある。
①相手の目前で自身の放った射撃を、自身の明言した的に当てること
②相手が諦めるか、24時間経過するまで逃げ続けること
そして今、①の条件が満たされてしまった。リーリヤの目の前で「笑莉が放った矢に銃弾を命中させる」という儀式を成立させた。
リーリヤは事前にイルミナティの諜報班からカールの魔術に関する情報を得ていたため、これを即座に理解することが出来た。
「足止めは、任せた。」
「了解☆」
リーリヤに背を向けてカールが走りだす。その先には上のビルへと繋がる非常階段がある。
(逃がさない!)
リーリヤは即座に大量の氷の槍を生成し、それを一斉にカールに向けて射出する。
「「させるか!!」」
セスはフィンの一撃を連続して放ち、笑莉は矢の束を百合若から射出して氷の槍を迎撃する。しかし、セスはともかく笑莉の霊装は強力な一撃に特化しており、数で圧倒する攻撃には向いていない。その一撃が撒き散らす衝撃波で大量の氷槍を撃ち落とすが、弓矢という霊装の形状から速射にも向いていない面までは補えない。立ち位置からしても逃走するカールとリーリヤの間に立つ笑莉が氷槍の迎撃のメインを果たさなければならないこともあって彼女の霊装の欠点が大きく影響する。
撃ち漏らした幾つかの氷槍が階段へと猛ダッシュするカールへと向かう。しかし、笑莉もセスも焦る素振りは見せず、カールも振り返らずにただひたすら階段へと向かう。
ズガガガガガガガガガガガガガァァァァン!!
幾重もの銃声とばら撒かれる砲弾。それらによって全ての氷槍が砕かれる。この場でカールを仕留める最後のチャンスを逃してしまった。
「新手?」
地上へと繋がる出入口から奇怪な駆動音が聞こえる。足を動かす駆動音と静かな足音。ゆっくりと歩きながら1台の駆動鎧が姿を現した。肩には白枠に「AA」と書かれた
エンブレムがある。
全高3m近い人型の駆動鎧だ。曲面の黒い装甲で身を包み、上半身・下半身が共に太く堅甲な形状だが比較的上半身の方が大きく見える重量挙げ選手のような体格をしている。頭部はコオロギを連想させる形状をしている。丸い2つのメインカメラとアンテナが原因だ。
両腕のマニピュレーターには、照準と自動装填式ドラムマガジンが大量に装着された対戦車ガトリング砲、回転式鋼鉄破り《メタルイーターMG》が握られていた。
しかし、その駆動鎧の最大の特徴は背中にある。背中には黒い長方形の板が大量にあり、それが折り畳まれた翼のように格納されていた。全ての板に個別のアームが付いているのが分かる。同様の板が腰にも予備として左右2枚づつスカートのように板が装備されている。
XHsIS-03 シールドクリケット
ジェネオン・ダイナミクスが歩兵支援(Infantry Support)を目的として開発した駆動鎧であり、軍隊蟻が保有する8つの有人兵器の一つだ。警備員に配備される予定の駆動鎧だったが、整備コストがすこぶる高く、整備性も最悪。技術班からは「整備殺し《メンテナンスブレイカー》」という不名誉な異名を与えられるほどの問題機であり、性能は高いが生産・整備コストには見合わないことから正式配備には至らなかった不遇の機体である。実験段階で計画が中止されたため、型式番号には実験機を表すXが振られている。
シールドクリケットは非常階段の前を陣取ってメタルイーターをリーリヤに向けた。
『軍隊蟻だ。悪ぃな。遅れちまった』
「いや、大丈夫。絶好のタイミングだ。作戦は聞いているな?」
『大丈夫だぜ。“あっち”の方も準備万端だ』
通信機を通してスキルアウトらしい粗暴な口調と声が聞こえ、それにセスが応答する。
「新手?…だとしたら面倒…」
リーリヤにはやらなければならないことがいくつも重なっていた。彼女の目的は姫神秋沙を手に入れること。それはアーロンが彼女を誘拐することで達成されるはずだったが、どこかで自分達のやり取りを見られていたのか、それともアーロンが裏切ったのか、原因は分からないが学園都市側に計画を感付かれてしまった。
今すぐにでも本物を奪いに行きたいが、カールの魔術の対象にされてしまった今、彼女はカールの追跡を諦めることが出来ない。彼の魔術を発動させない為には諦めずに24時間以内に捕らえる必要がある。逃げるカールを無視して本物の姫神を捕らえに行こうとした途端、カールの魔術は発動し、必中の矢がリーリヤの心臓を射抜くことになる。
そして、カールを追う為には足止めする笑莉、セス、そしてシールドクリケットを突破しなければならない。
「フフフ…厄介…実に、厄介な状況ね。でも、大丈夫。貴方達の命を、押しつぶしながら、私は全てを解決させる力を、持っている」
大気中の水分を凝縮させて自身の周囲に集めるリーリヤ。
笑莉とセスは並んで彼女の前に立ちはだかり、百合若とフィンの一撃を構えた。
「見せて…あげる。『氷の葬列』を…」
* * *
階段を昇って、1回のエントランスホールへと辿りついたカールはすぐにエレベーターに乗る。
この20階建ての高層ビルの屋上にヘリコプターが待機している。これに乗り込むことでカールはリーリヤが追跡不能な空中へと逃げる作戦だ。
エレベーターの中でカールは自分の装備を確認する。
学園都市で支給された自動式拳銃。装弾数12発で薬莢のないタイプの弾丸を使用している。弾の推進剤を小型化することで自動式の欠点であった詰まり(ジャム)を解消したものだ。警備員に広く配備されている。
カールは装弾数を確認し、ナイフや通信用の護符の感度を確認する。その動作は黙々と冷静で、戦闘慣れしたプロフェッショナルの動きだった。
しかし、当のカールの心中は…
(おうちに、帰りたい。氷の葬列、恐い。自己紹介の時に、ちゃんと言った、はずだ。『私は臆病だ。』と。それなのに、なぜ、私が、敵を引きつける役、なんだ?『隠れて、撃って、逃げる。』それが私の戦い方。前線になんか、出たく、ない。)
怯えていた。震えるチワワのように心が震えていた。
自己紹介の時にも言っていたが、彼は臆病な性格だ。それ故に慎重になり、自らの危機を誰よりも恐れ、それを回避する為の努力を怠らない人間だ。その結果、優秀な狙撃手が誕生したのだが、それでも臆病な性格が改善されることはなく、むしろ臆病な性格を加速させてしまった。
(嗚呼。この戦いが、終わったら、カラオケに、行こう。本場日本の、カラオケに、行くんだ。)
そう決意と死亡フラグを立てながらカールは拳銃を握り締める。作戦通り、このままエレベーターが屋上まで辿りつけば銃など必要ない。しかし、想定外の事態が起こるのが戦場だ。だから、彼は警戒を怠らない。いくつもの最悪の
パターンを脳内で想定し、対策を練る。それら全ては彼が臆病であるが故に。
(このまま、何も起こらなければ。)
しかし、そんなカールの思いを裏切るかのように異常事態は発生する。
突然の爆発、それによる振動がエレベーターを緊急停止させる。14階のところで停止し、扉が開く。何が爆発したのか、どうして爆発したのか、普通の人間がまず考えることをカールは頭の片隅に置き、一番の問題である“誰が爆発させたのか”を考える。このビル、それどころか周囲の地区は人払いの術式によってほぼ無人と化している。その状況とエレベーターが止まって得をするのは誰かと考えればすぐに見当がつく。
「敵、か…。」
カールは拳銃を構え、周囲を警戒しながらゆっくりとエレベーターから出る。敵の姿は見えず、気配も感じない。誰もいないことにホッとすることは出来ない。さきほどの爆発音とは裏腹に今度は静寂が彼の臆病な性格を刺激する。
カールはポケットから勾玉状の小型の通信機を取り出し、それを耳に装着する。
「カールだ。問題が、発生した。エレベーターが、止められた。14階から、階段で、向かう。」
『そりゃ、丁度良かった。こっちも敵からミサイル攻撃を受けて屋上は火の海だ』
カールの無線の向こうから聞こえるのは
煙草狼棺の声だ。無線の向こうから爆発音が聞こえる。
『南側の大会議室の窓際に来てくれ。そこから直接回収する』
「了解、した。」
カールは狼棺に指示されるがまま東側の大会議室へと向かった。
扉を開けると、大会議室の名の通り無駄に広い会議室が広がっていた。会議室の南側の壁は全面ガラス張りになっており、外の景色…と言っても向かいのビルしか見えないのだが、一望することが出来る。
「到着した。」
『おう。こっちも“今”到着したぜ』
突如、外の景色が灰色に塗りつぶされた。
屋上で待機していたヘリが降下して来たのだ。その灰色のボディが外の景色を埋め尽くした。
アリかハチを想わせる曲面のボディ、昆虫と同様に頭部・胸部・腹部とボディが3つのパーツで構成されており、それらは滞空するハチのように“くの字”に折れ曲がり、頭部と腹部がこちらに突き出ていた。
頭部にはコックピットと思しきハッチに左右に1門ずつの機銃、胸部にメインローターと各種装備を搭載したウィングと2本の多関節アーム、腹部にはテイルローターと下部に3問の機銃らしきものが見える。アームとボディの形状が珍しいが、ヘリコプターとしての体裁をなしていた。
WH-66/AS アシナガバチ
エンデュミオン建設の初期に使用された建設作業用ヘリコプターWH-66を軍隊蟻が9月のエンデュミオン事件後の混乱に乗じて横流ししたものだ。その後、五峰重工の協力のもと改造して武装を施した。
このヘリの特徴はくの字に折れ曲がった“作業形態”と通常のヘリのようになる“巡航形態”の使い分けであり、作業形態はヘリの頭部と腹部が折り曲がることでアームの可動範囲を拡大させることに成功した。武装化した今はこれを“攻撃形態”と呼んでおり、アームとの干渉を避けて下部に搭載した武装を前方へ向けることを可能とした。また、胸部のウィングも形態に合わせて角度を変えることが出来る。
元々は民生品を低価格で改造したものであるため、六枚羽のような最新鋭の本格的な武装ヘリには劣るものの、飛行の安定性と操作の容易性では優れており、1週間の研修でひと通りに扱いこなすことが出来る。また、2人乗りにすることで操縦と攻撃・各種操作の操作を分担している。武装も強力なものを搭載し、装甲もステルスコーティングが施された軍用の軽量複合装甲に取り換えてある。
アシナガバチのアームがガラスを突き破ってカールの目の前まで迫る。
『合言葉は?』
ヘリのスピーカーから狼棺の声が聞こえる。どうやら、これが屋上で待機していたヘリのようだ。
カールは合言葉を答える。小さな声でヘリの音にかき消されるかと思っていたが、ちゃんと音は取ってくれたようだ。太く頑丈な作業用アームが5本の指でしっかりとカールの身体を掴みかかる。
(これで…ようやく、空に、逃げられる)
『レーダーに反応!ミサイル来るぞ!』
『迎撃散弾《リアクティブレイン》で撃ち落とす!』
アシナガバチの腹部に搭載された機銃が全て西側に向く。3つの機銃が1発ずつ射撃する。それから数秒のラグも待たずに遠くからの爆発音が聞こえる。ミサイルが迎撃されて爆発した音だろう。
迎撃散弾《リアクティブレイン》
その名の通り、ミサイル・ロケット弾迎撃のための散弾だ。迎撃目標のデータから最適な速度と角度で射出され、目標との最適な距離で時限信管が起動し、第二の推進剤が爆発することで更に加速した200発の散弾が拡散し、ミサイルやロケット弾を迎撃する。地上への攻撃も可能だが、対人兵器としては肉片一つ残さないオーバーキルな威力なためあまり使われない。
アームがカールを掴みそのまま彼をビルの外に出す。そして、コックピットが開き、器用な操作でアームがカールをコックピットの中に押し込んだ。
内部のコックピットはそこそこ広く、2人乗りだがカールが入るスペースは十分にあった。コックピットの内面は機体前面に装着されたカメラからの映像が映っており、まるで全面ガラス張りのようにクリアな視界が確保されていた。周囲の光景と一緒にレーダーサイトや機銃の照準、各種データが映し出されている。
前方には操縦手が座り、後方にはヘルメットを付けた狼棺が座っていた。操縦手よりも高い位置に座席が設定されており、機長席としての面も持っているようだ。
「あんたがカール・ブルクハルトだな。俺は軍隊蟻の煙草狼棺だ」
「カール・ブルクハルトだ。」
「悪いが、不測の事態だらけで快適な空の旅はお預けだ。悪いが、俺のシートにしがみ付いていてくれ」
「了解、した。」
突如、コックピット内にアラームが鳴り響く。
「レーダーに反応!後方200mに敵戦闘ヘリ!」
「200m!?近過ぎだろ!?ステルスかよ!?」
狼棺が即座に自分の目の前にある画面のカメラを切り変えて後方を確認する。
相手のヘリがビルの陰から姿を現した。縦長い顔を持ち、両翼にロケットランチャーを搭載した濃緑色の機体、AH-1コブラに酷似した攻撃ヘリだ。槍を持ったトカゲの図、ヴィルジール・セキリュティー社のマークが描かれており、それ以外のボディ全体には魔法陣やルーンが描かれていた。武装も通常のミサイルとロケットランチャーに加えて、槍状の霊装がウィングに備え付けられている。
コブラは顔をこちらに向け、機銃とミサイルの照準を合わせる。
狼棺はすかさずスイッチを押す。アシナガバチの腹部からスモークが噴出される。スモークはローターが起こす風を無視して後方へと向かい、コブラの周囲に纏わりつく。
煙幕操作《スモーキーカレント》
煙草狼棺の能力であり、大気操作系能力の一種だ。自分で煙を発生させる事は出来ないが、既に発生している煙を自由自在に操ることができる。範囲は半径511m以内。
ローターが起こす空気の流れを無視してスモークがコブラの視界を潰すように纏わりつくのも彼の能力によるものだ。
「今の内に逃げるぞ!」
「了解!」
操縦手はボタンを操作し、アシナガバチを巡航形態に変形させる。くの字に折れ曲がっていたボディが一直線となり、空気抵抗を少なくするためにアームも先端が後方を向いてボディと密着する。
そして、ビルの陰に隠れながらアシナガバチは高層ビルのジャングルの谷間を縫うように飛んでコブラの前から姿を消した。
アシナガバチの移動でコブラは狼棺の能力限界範囲から解放され、瞬時にローターが巻き起こす風でスモークを消し飛ばす。その時には既にアシナガバチの姿はなかったが、焦りも迷いも見せず、まるで居場所が分かっているかのようにアシナガバチが通ったルートを辿るように追跡を始めた。
* * *
戦場となったビル群から少し離れたまた別のビル。その屋上で
双鴉道化と
尼乃昂焚は魔術で戦いの一部始終を眺めていた。宙に浮かぶ2つの水晶玉を通してアシナガバチとコブラの戦い、地下駐車場での戦いが映されていた。
「やはり、戦いとは高みの見物に限るな」
水晶玉を眺める昂焚の顔は笑っていた。その目は玩具を目の前にした子どもの様に輝いており、零れそうな笑みを必死に抑えていた。作戦か、戦局か、兵器か、魔術か、何が彼をそこまで楽しませているのかは分からない。隣に立つ親友の双鴉道化でさえ彼のことは未だに理解できていないのだ。
「随分と楽しそうだね」
「ああ。イルミナティの連中は俺を飽きさせないからな」
「それは、私も含まれているのか?」
「ああ。勿論だ。お前も“前の双鴉道化”もな。ところで――――」
昂焚は2つの水晶玉を指さし、双鴉道化が水晶玉に視線を向けるように促す。
「このままカールが逃げるとリーリヤは不利な状況に追い込まれると思うんだが、手助けはしないのか?」
「勿論するさ。もう二度と仲間を失うのは御免だ」
そう呟き、双鴉道化のマントが変形してカノン砲のような形になる。カノン砲の傍で魔法陣が光って浮かび上がり、それと同時に大量のエネルギーが中へと吸収されていく。
カノン砲が自動で砲口を動かし、遠くのビル群にいるアシナガバチへと照準を定めた。
(発射)
ズバァァァァァァァン!!
突然の斬撃が双鴉道化を襲った。物体を切断する衝撃波が来たわけではない。ロケットのような爆発的なスピードで剣と剣の使い手が“飛んで”来たのだ。“彼”はすれ違いざまに双鴉道化のカノン砲型になったマントを切り裂いた。
マントのカノン砲の形が崩れ、同時に術式が崩壊する。砲の内部に溜めこまれていた大量のエネルギーが光る粒子のように拡散した。
双鴉道化が後方を振り向いた。
右腕の「銀腕の王」を展開させ、同時にその義手を「銀の魔剣」へと変形させたクライヴがそこに立っていた。水蒸気爆発による威力でロケットのように自分を飛ばしてきたのだ。剣先を屋上のコンクリートに突き刺してブレーキをかけた跡が見られる。
そして、彼の左肩には少女が抱えられていた。クライヴは彼女を地面に下ろす。
「にひひっ。また会ったね。お兄ちゃん。リベンジに来たよ」
「俺としてはお断りしたい。せっかく良い戦いを観ていたところなんだ。それにこう見えてもうすぐ三十路だからね。たまに身体の年齢を感じる時がある」
「戦いは眺めているより実際に戦場に立った方が面白いよ?生きるか死ぬか、一瞬の判断が決着をつける命の駆け引きが最高なんだから!ついでに良い運動になるよ」
「命懸けの運動とか御免だ」
そう言いながら、昂焚は双鴉道化とクライヴを一瞥する。
かつての上司と部下、加害者と被害者、復讐に全てを捧げた者、これらの因縁が2人を強く結びつける。もう互いのことしか目に見えていない復讐者たちだけの世界だ。タッグバトルとか、コンビネーションなんてものは期待できない。それどころか、彼らは己の戦いで仲間を巻き込むこと厭わないだろう。
「戦うのは避けられないようだが…2対2の戦いをするにはここは狭すぎる。俺達は場所を移さないか?」
昂焚の提案にマチは乗り気だ。マチはクライヴとアイコンタクトを取り、クライヴは頷いた。
元々、クライヴとのコンビネーションなんてものは考えておらず、クライヴも単独で双鴉道化に挑むつもりで来たのだ。
「良いよ」
マチの承諾を確認すると、昂焚は棺桶トランクを抱えて都牟刈大刀を握った。そして、突然屋上から飛び降りたのだ。マチは一瞬彼の行動に驚愕するが都牟刈大刀の性能を考えれば、それをロープのように使って減速して地上に降りることは可能であることはすぐに理解出来た。そして、彼女もすぐに彼に続くように屋上から飛び降りた。
マチは空中で義手を長槍形態に変え、それをビルに突き刺す。槍とビルとの摩擦で火花が飛び散り、槍がゴリゴリと壁面を削りながらマチの落下速度を低下させる。地上まであと3mのところでマチは完全に静止し、後は飛び降りて着地した。
自分達がいたビルの入り口前の大通り、人払いの術式で人間も車も通らない、戦場にするなら絶好のスペースを持つ場所で先に着地した昂焚はマチを待ち受けていた。
「待たせたね。じゃあ、あの時の続きをしようか♪」
「悪いが、こっちはお前が期待する様な戦いをするつもりは無い。『3秒で終わらせてやる』」
「じゃあ、こっちも同じだね。私こそ『3秒で終わらせてやる』」
互いにそう宣言し、「都牟刈大刀」と「螺旋の腕」の先端を向けた。
* * *
ビルの屋上で対峙する双鴉道化とクライヴ。邪魔者のいなくなった2人だけの世界で加害者と被害者は向き合っていた。寒風が吹き、双鴉道化のマントがなびく。
「どうやって、ここが分かった?」
「何年、あんたの部下をやってきたと思っているんだ?」
クライヴの回答に双鴉道化が少し笑う。仮面のせいで表情は分からないが、微かにフフッと笑う声が仮面から漏れていた。
「たった数年で行動を予測されるとはね…。こっちなんて、20年以上の付き合いがあるのに未だに行動原理が分からない親友だっているのに…」
クライヴが銀の魔剣の切先を双鴉道化に向ける。憎悪に満ちた復讐者の目だ。亡き家族と恋人との思い出。それが幸福であればあるほど、双鴉道化を惨殺する意志は強く燃え上がる。イギリス清教とか、
必要悪の教会とか、イルミナティ対策チームとか、任務とか、使命とか。そんなものは全てこの復讐を遂げる為の肩書き、役職、方便だ。
今はただ、双鴉道化を殺すことだけを考えていればいい。
「俺がここに来た理由、言わなくても分かるよな?」
「ああ。そうだな。私達もあの時の続きをしようじゃないか」
そう言って、双鴉道化は仮面に手をかけた。
「あの復讐は私個人の意志で行った。
私の不手際で余計な犠牲も出てしまった。
その悲劇から生まれた君という復讐者に刃を向けられるなら、
私も双鴉道化としてではなく――――――
「!?」
「私個人として相手をするのが筋というものかもしれない」
双鴉道化は仮面を外した。
イルミナティのボスとしてではなく、“彼女”個人としてクライヴ=ソーンと向き合う。
その決意の表れだった。
最終更新:2013年07月04日 22:56