第28話「鳥籠の守護者《スクールディフェンサー》 中編」

11月1日
一七六支部でのATTとのやり取り、加賀美、葉原の説得を終え、綺羅川は稜と狐月が搬送された病院へと向かった。その足取りは妙に落ち着いていた。
ATTの蒲田から命に別条は無いと聞かされて安心しているのもあるが、それ以前に“回数を重ね過ぎて慣れてしまった”ことが彼の落ち着き様の主な要因だろう。
稜が何度も世話になっている病院。彼がケガをする度に綺羅川は病院に出向し、事情を聴く。そのため、この病院に行くのは慣れていて、医師や看護師の間では顔パスが利いてしまう。顔を合わせる度に「また神谷くんがケガをしたんですね?」とほぼ確定事項のように聞かれる。
最近は同じく生徒が大ケガして何度も入院するという“どう見ても幼女にしか見えない年上の教師”とも知り合いになり、談話室で互いの苦労を語りあったりする。
彼が1階ロビーに入ると、既に看護師が彼を待ちうけていた。

「神谷くんなら、今丁度、2回の手術室でオペが終わったところです。第4診察室で先生がお待ちですので、詳細はそちらで」
「あ…ああ」

迅速な対応はありがたいが、ここまで完璧にこなされると逆に気味の悪さを感じた。
エレベーターに乗って言われた診察室に向かい、レントゲンを見せられながら稜と狐月の手術を担当した医師から詳しい話を聞いた。
今回も顔馴染みのカエル顔の先生が治療を担当してくれた。綺羅川からすれば、神の様な存在。本当に彼には頭が上がらない。
冥土返しが言うには、狐月は腹部の打撲と脳震盪でそれほど重いものではなく、稜の方は全身の打撲、それによって肋骨が折れていた。折れた肋骨が心臓や肺に刺さらなかったのは奇跡だろう。それと全身を切り刻まれた跡があり、相手がどのような武器を使ったのかは分からず、本人達が目覚めないことには真相は闇の中だそうだ。
とりあえず、命に別条は無く、後遺症の心配も無い。2、3日ほど安静にしていれば問題は無いと冥土返しは語った。

「はぁ~。とりあえず、一安心か」

綺羅川は心の底から安堵し、通路にある診察室前のベンチに腰かける。

「後は始末書とか、外の親御さんへの説明とか、理事会への召喚とか…まぁ、俺の仕事か。なんかもう慣れちまったなぁ~。いや、慣れちゃいけないんだけどさ」

綺羅川は独り言を言いながら、これからする仕事を整理し、学校に戻ろうとベンチから立ち上がった。「ん~」と声を出しながら身体を上下に伸ばしてリラックスする。そして、「よし」という掛け声と共に彼は踏ん切りを付けた。

「先生?」

綺羅川を呼ぶ聞き覚えのある―――というかほぼ毎日聞く女子の声に彼が振り向いた。
綺羅川の視線の先にいたのは稜の恋人、風川正美だった。

「午前中しか授業は無いのにそれを抜け出すなんて風川は悪い生徒だなぁ」

綺羅川は少し憎らしい表現を交えながらそう言った。彼なりに彼女の緊張を解してやろうと考えたのだろう。だが、むしろ彼女を緊張させてもらった。
風川はオドオドとした態度で目を泳がせながら、「あっ。いや、その…すみません」と雫を零す様な声で答えた。

「冗談だよ。俺も授業は全部自習にして仕事も全部他の先生に押し付けてきたからな。お互い様だ」

その言葉で風川も緊張がほぐれた。

「あの…それで稜は!?」
「大丈夫だよ。命に別条は無いし、2,3日したら動けるようになるってさ」
「そっかぁ…。良かった~」

力が抜けて風川が腰から崩れ落ちる。綺羅川は慌てて彼女を支える。

「落ち着いたなら休憩室に行こうか。ちょっとした長話もあるし」
病院の談話室、温かな雰囲気を醸し出す展望レストランのような場所で綺羅川と風川は向かい合って座り、小さなテーブルを囲んでいた。
テーブルの上には綺羅川の奢りで紙コップのジュースとコーヒーが1つずつ。

「神谷がケガするのはいつものことなんだが、まさか今日は授業を抜け出してやって来るとは思わなかったよ。お前は神谷と真逆の手のかからない優等生だと思ってたから」
「すみません…。酷いケガって葉原さんからメールを貰ったので…」
「いや、だから謝らなくて良いって。俺だって娘が大ケガしたって聞いたら、仕事全部放り投げて病院に飛んでいく」

風川はその言葉に真顔で「え?娘さんいたんですか?」と返した。
正直言って、彼女の反応に傷付いた。
娘がいることを直接風川に言った事は無いが、まさか娘がいるとまったく思われていなかったことに傷ついた。自分はそんなに甲斐性のない大人に見えるのかと。

「あの…ちなみに奥さんは…」
「別居、離婚調停、娘の親権を巡って裁判中」

綺羅川の頭の高度が徐々に落ちて行き、ついにはテーブルに突っ伏せた。明るさと元気が特徴の彼の全身から負のオーラ、負け犬オーラ、人生負け組オーラが溢れ出る。エリート校の教師とは思えないあまりにも惨めな姿だった。
風川は彼の心を傷つけ、更に傷口に塩を塗ってしまう結果となった。

「ええええ…えっと、そそそそその、す、すみません。な、何か悪いこと聞いてしまって…」
「うん。良いよ…。娘が味方であることが唯一の救いだ。でも離婚は現実、あいつとの幸せな日々は幻想、俺があいつのことをちゃんと理解してやれなかったのが悪いんだ」
「あの…先生…」

あまりにも惨めな姿を見ていられず、風川は何とかして綺羅川を励まそうとする。このまま延々と不幸話を語られるのは彼女にとっても綺羅川にとっても良いことではない。



「風川、お前は神谷のことをちゃんと理解しているか?」

「!?」

突然だった。いつものふざけたような態度は何処へ行ったのか、真面目なトーンの声で綺羅川は風川に語りかけた。
「その…実ははっきりと答えられないんです。たまに彼が何を考えて、何を見ているのか分からなくなる時があります。それに…ちょっと怖いんです。目の前に私がいるのに、私じゃない何かを見ている様な目が…」
「じゃあ、お前が分かる範囲で神谷を語ってみろ」
「稜は正義感が強くて、そのためならどんな無茶もします。私がどんなに心配しても素知らぬ顔で何度も戦って傷つきます。あと、ぶっきらぼうだけど実は優しくて、クールぶってるけど心の中では色んな感情が燃え滾っていて、我慢でき無くて…自分を抑えて“自分とは違う何か”であろうと無理をしているような…そんな感じがします」

風川が稜の理解している部分を挙げる度に彼女の手が震え、甲に涙がポタポタと落ちる。

「なんか…悲しいです。“自分”があるのに、それを否定するような生き方が…」

風川には1年以上前の記憶が無い。親の顔も友の顔も覚えていない。自分がどこで生まれたのか、その生誕は祝福されたのか、それとも恨まれたのか。それすらも分からない。
何よりも自分が何なのか一番理解できなかった。
だから、彼女は稜が羨ましかった。彼には自分には無い記憶がある。親がいる。友がいる。“自分”がある。そして、それを否定するような彼の生き方が悲しかった。

「お前、あいつの研修時代のことは知ってるか?」
「いいえ。稜も加賀美先輩もその話題になるとすぐに逃げるので…」
「そっか…あいつの過去を知らないで、そこまであいつを理解できているなら、お前はかなり察しが良いよ。それにしてもあの馬鹿野郎。風川に話してなかったのか」
「あの…どういうことですか?」
「まぁ、とりあえず涙拭け」

綺羅川がスッとハンカチを出し、正美はそれで涙を拭う。
風川は涙を拭い終え、綺羅川も深呼吸して落ち付いた。

「風川。落ち付いて聞いて欲しい」

綺羅川の真面目な問い掛けに正美は首を縦に振る。

「お前と同じように俺もあいつは自分を否定していると考えている。本当は自分の正義や感情のままに生きたいのにそれが出来ない。誰もあいつのことを否定しないのにあいつが勝手に自分のことを否定している。どうしてだか分かるか?」
「もしかして…“過去”のことですか?」
「ああ。あいつは重大な過去を背負っている。人生を左右させ、あいつの人格形成にも大きく影響した重い過去だ。俺と加賀美は何年もあいつをその重荷から解放させようと努力した。だが、駄目だった。まだ足りない“何か”があるんだ。もしかしたら、その“何か”はお前が持っているんじゃないかと思っている」
「私が……?」
「ああ。いきなりな話で悪いと思っている。俺の考え通りだったら、神谷の人生を左右する重大な責任をお前に追わせることになってしまう。本当は、こういうのも教師の仕事なんだろうけどさ。けど、あいつのお前を見る目を見てると、どう考えてもこれに至ってしまう。だから、お前には酷な話かもしれないが、しっかり聞いて欲しい。



“あいつがお前に弱音を吐いた時。それはあいつが今まで保って来た精神の平衡が崩れた時だ。その時のお前の選択があいつの全てを決める。”

正美は押し黙った。なんて答えれば良いのか分からなかった。

「恐いのなら逃げても良い」

それから沈黙が空間を支配する。綺羅川は答えを待っていた。
彼としては逃げて欲しくなかった。しかし、彼女にも逃げる権利がある。一人の人生を左右する重い選択をする責任を押し付けるのは教師として、一個人として良い気分ではなかった。





「―――――――――せん」

「ん?」

「逃げたくありません。私が助けを求めた時、稜は逃げずに戦ってくれました。それなのに稜が助けを求めた時に私が逃げてどうするんですか?」

綺羅川に向けられた強い眼差し、それは15歳の少女とは思えない力強さと決意を秘めていた。神谷稜の危うい強さとは違う。心の芯からの強さ。

「…後悔しないな?」
「逃げた方が後悔します」

綺羅川は安堵して、大きく息を吐いた。

「なんか湿っぽい雰囲気になったな。ちょっと神谷関連で面白い話でもするか」
「面白い話?」
「ああ。面白い話だ。お前、固地債鬼って知ってるか?」

突然、今までの話とは無関係の固地の名前が出たことに風川は困惑した。

「あ…えっと、風紀委員の“悪鬼”でしたよね?稜や加賀美先輩からちょっと話を聞いたことがあります」
「そうか。実は固地とはちょっとした知り合いなんだ。映倫と国鳥ヶ原の風紀委員の行動範囲がちょくちょく被っていて、向こうの風紀委員とエンカウントすることが多い。そういった関係で映倫と国鳥ヶ原の風紀委員同士、けっこう知り合いが多くてな。俺もそれ関連で固地と知り合いになった」
「は…はぁ…」
「“悪鬼”なんて異名が轟くぐらいだからな。どんな奴か興味本位で話かけてみたんだが、意外と面白い奴だった。毒と棘と嫌味を交えながら事の本質をズバリと問答無用に言い捨てる。年下とは思えないくらいにあいつの心眼は凄まじかったな。そんでだ。ちょっと自然に話の流れに乗って、『神谷稜ってどう思うよ?』って聞いたら、あいつ、俺の期待以上にズバズバと神谷のことを言いまくりやがった」
「それで…その固地さんは稜のことを何と…?」

風川は緊張した面持ちで続きを催促する。固地のことは2人から聞いているが、良い噂は聞いたことが無い。そのため、どんな罵詈雑言が彼の口から飛んだのか恐ろしかったのだ。

『風紀委員をヒーローごっこだと思っている勘違い野郎。自分も他人も騙し続ける偽善者』

「そんな!酷いです!」

風川は憤慨し、テーブルを叩いた。

「落ち着けって。言っただろ?あいつは毒と棘と嫌味を交えて言葉を発するって」
「それでも酷すぎます!その後は!?フォローか何かあったんですか?」
「いや、『俺が語るのはここまでだ。担任なんだからこれ以上は言わなくても分かるだろ?』って…」
「先生のアホ――――――!!」
「しーっ!しーっ!ここ病院!病院だから!」

周囲から視線が集まる。さすがに騒ぎ過ぎたことを風川も理解して、まわりに「すみません」と言いながら静かに着席した。

「あいつもガキだから間違えることもあるが、ここまで酷評するのは確実性に絶対の自信があるからだ。参考のつもりで頭の片隅に置いといてくれ」
「ちょっと腑に落ちませんが…分かりました」

一度叫んで色んなものを発散したのか、彼女は少し明るくなっていた。頬を膨らませて怒りを表現するその様は可愛いの一言に尽きる。

「それと、もう一つ長話がある」

綺羅川はそう言うと、足元に置いていたカバンから大きな茶封筒を取り出した。

ブラックウィザード残党の事件、あの“自称”二代目リーダーの事件の後、警備員が逮捕した残党や自称二代目に事情聴取したんだが、どうもブラックウィザードの連中の証言が怪しくてな。学校で探偵を雇って、お前の過去を色々と調べてもらった。その調査結果が昨日の夜に届いたんだ」
「えっと…その…怪しいってのは?」
「お前、自分の経歴がどうなっているかは分かるか?」
「ええっと、はい。『置き去りで10年前に太陽の園に預けられて、1年前に事故で脳を損傷して記憶喪失、その後、能力の強度が急上昇して研究所を転々とするも “研究価値なし”と見なされ、ブラックウィザードに売り払われた』ってことぐらいは…」
「ああ。チャイルドデバッカーが映倫に提出した書類、身体検査《システムスキャン》の履歴、学園都市のデータベースでもそれは裏付けがされていたんだが、どうもこの探偵の調べだと『データベースと人間の証言に矛盾が存在する』らしい」
「矛盾…ですか」
「ああ。これはお前に関することだからな。お前が目を通すべきだ」

そう言って、綺羅川は茶封筒からクリップで留められた書類の束を渡した。
風川はそれを受け取った。とりあえず、既に分かり切っている調査の趣旨、調査の概要については省略する。

調査報告

まず、端的に結果を述べるとすれば、現在の映倫中学が把握している風川正美の経歴は全て虚偽である。また、本当の彼女の経歴についても真相は闇の中であり、情報封鎖、隠蔽工作の精度・規模からして、大企業レベルの組織がバックにあると考えられる。
まず、彼女の経歴で最も古い「太陽の園」への在籍について述べる。データベースや職員の証言では『風川正美は存在していた』ということになっていたが、独自の調査でそれが嘘であることが判明した。証言した職員たちは風川正美の映倫中学編入直前に大量の支援金を受け取っていたことが判明。風川正美はいたと証言する為に渡されたお金であることは明白である。
その支援金の出所を辿った結果、学園都市内の14社の実在しないダミー企業、海外の3つの実在する金融機関を通して送金されたところまでは分かったが、それ以前は高度なマネーロンダリングによって辿れなくなり、調査は不可能となった。
また、同じ世代であろう太陽の園出身の学生達に尋ねたところ、全員が口を揃えて風川正美の存在を否定した。
次に彼女の記憶喪失の切っ掛けとされる1年前の無能力者狩りとスキルアウトの抗争について述べる。調査の結果、記憶喪失となった抗争は実際に起こっており、当時のニュースでも巻き込まれた少女が重傷を負ったとされている。しかし、抗争に参加していたスキルアウトチームの証言によると、少女を重傷に追い込んだのは発火能力者であり、少女は全身に火傷を負って搬送された。風川正美の経歴のそれとは全く異なり、無論、彼女の身体に火傷の跡など存在しなかった。
記憶喪失の切っ掛けとなった事件が嘘となると、その後の能力の急激なレベルの上昇についても事実である可能性が低くなる。
ここまで彼女の経歴が全てが虚偽であることが証明されてしまった。
その後の彼女の記憶にもある入院生活、研究所のたらい回し、ブラックウィザードの所属における彼女の証言は裏を取ることができ、記憶のあるうちの彼女の証言は信頼できるものだと判明した。
彼女が転々とした研究施設を彼女の記憶を基に調査した結果、複数の施設が候補として挙げられた。(施設の詳細については添付されているリストを参照)
これらの研究施設では風川正美を引き取った履歴、彼女に対して行ったAIM拡散力場計測データなどが意図的に消されていたが、専門の業者の手ですぐに復元ができた。
(復元データは添付されているUSBメモリを参照)
1年前より後の隠蔽工作は1年より前の隠蔽工作より著しくレベルが下がっており、最初に述べた大きな組織は1年前の記憶喪失以降は関与していないと考えられる。


(省略)

以上 調査報告 探偵稼業《シェリングフォード》

「これって…要するに…」
「ああ。お前の過去は再び闇の中だ。しかも、あの探偵稼業をお手上げときたものだ…」

自分の過去の全てが偽りだったことに風川は落胆する。それは表情ですぐに分かった。

「朝、校長と話をしてな。この事実をお前に言うか、例え偽りでもお前に“過去(ルーツ)”を与えたままでいるべきかで話し合った。俺はお前なら残酷な真実でも受け入れてくれると信じて、校長もそれに納得してくれた」
「先生。それは買い被り過ぎですよ…」
「いや、買い被りじゃない」

綺羅川の炎が滾る眼差しが風川に向けられる。

「風川。お前は強い子だ。神谷のことから逃げようとしなかったし、記憶喪失で自分が何者でどうしてここにいるのか、わけが分からないまま俺や神谷、他のみんなを信じてくれた。他人を信じて委ねるってのも、けっこう勇気がいるんだぞ」
「…やっぱり、先生は買い被り過ぎだと思います。でも、ありがとうございます」

少し流れは無理やりだったが、綺羅川は彼女を励まし、その笑顔を取り戻させる。

「お前の過去についてだが、学校でも人脈を駆使して頑張ってみるさ。常盤台の方にもコネがあるからな」

「え?あるんですか?」


ガタンッ!


風川の反応に綺羅川が思わず椅子からずり落ちた。

「お前なぁ…俺は一応、映倫の教師だぞ…。エリート校の教師だぞ…。あと、娘も常盤台だぞ…」
「ああ…。お母さんに似たんですね」
「お前は俺に恨みでもあるのかぁー!?」
「ごめんなさぁーい!」

その後、2人は駆け付けた看護師に怒られ(綺羅川は助走をつけて殴られた)、正座させられたのは言うまでも無い。



* * * *




夜の第五学区の裏通り。
スキルアウトの溜まり場、喧嘩通りと呼ばれる黒い噂の絶えない路地裏に警備員が集まっていた。専用の車が数台止まり、事件現場に黄色のテープを張って人が通れないようにする。
現場を見て、警備員たちは唖然としていた。
そこにあったものは何もかもが捻じ曲げられ、壁や地面も波のようにうねり、表面のコンクリートやアスファルトが剥がれ、かさぶたの様に捲れ上がる。外部から何かしらの力で無理やり壁や地面を捲ったため、壁の中を通るパイプや壁や地面のコンクリート片が辺りに飛び散っている。
複数の警備員やロボットが現場検証を行い、証拠になりそうなものを回収する。
その光景を眺める2人の男女の警備員。

「酷ぇな。どんな武器を使ったらこんなことが出来るんだ?」

そう男に尋ねる女の警備員は片手に持った袋からビーフジャーキーを出して、口に頬張りながら尋ねた。
170センチと日本人女性としてはやや高めの背丈に黒髪短髪、色黒っぽい肌と、その容姿は快活な印象を持たせる。その印象通り、彼女は筋肉質な体型だ。余談だが、胸もそこそこ大きい。
上下に赤いジャージ を着ており、持っているアイテム(ビーフジャーキーの袋)のせいか、部屋着のまま飛び出して来た感が拭えない。
彼女の名は唐茶話菖蒲《カラサワ ショウブ》
第五学区にある風輪学園高等部の教師兼警備員である。

「さぁ…これは銃器でどうこう出来るものではないでありますな。能力、念動力者だと考えて間違いないでありますな」

尋ねられた男は軍隊口調で答える。
唐茶話より少し高い背丈。ずんぐりむっくりとした肥満体型を警備員の制服で無理やり押し込めている。坊主頭でいつも肌は滴る汗で嫌にテカテカしており、“さえないオタク”を絵に描いたような男だ。
彼の名は酉無沢雄《トリナシ タクオ》
同じ第五学区にある成瀬台高校の教師であり、警備員。そして学園都市防空隊の隊員でもある。
2人は警備員としては今日は非番だったのだが、唐茶話は現場が自宅に近いから、酉無は彼の学校の生徒が巻き込まれたということで学校で残業中のところを呼び出された。

「唐茶話殿。不機嫌でありますな?」
「当たり前だろ!こっちは同期と楽しく飲んでたのに電話一本で問答無用に呼び出されたんだよ!?」
「それは…災難でありますな」
「ああ。災難だ。本当に災難だよ。…あ、憐を店に置いてきてしまったけど…まぁ、ほどほどに抑えていたから大丈夫か」
(唐茶話先生の基準で考えると、同期の方は歩くのがやっとの泥酔状態でありましょうな…)
「――――で、これの捜査は私らが担当することになるのか」
「そうでありましょうな。ブラックウィザード絡みなら、第七学区からの増援も考えられるでありますが、犯人の目的が分からないことにはどうしようもないであります。“ブラックウィザード残党だけ”ならともかく、一緒に我が校の界刺まで狙う目的が分からないでありますから。何か犯人に繋がる手掛かりでも…」

そう思って酉無は周囲を見渡した。現場検証に入った警備員が一か所に集まっていた。

「どうしたでありますか?」

酉無が尋ねると、現場検証をしていた警備員の一人が袋を持って来た。現場に散らばるコンクリート片の一つが密封されている。

「ただの破片じゃないか」
「自分にもそう見えるであります」
「いえ、こっち側を見て下さい」

鑑識の警備員が破片をひっくり返した。反対側にくっきりと残っていた複数の婉曲した黒い線。それを見た途端、2人はこれが靴の足跡の一部であることが分かった。

「捲れ上がったアスファルト一部が外部から与えられた圧力で液状化して、靴に付着。それが破片を踏んで跡が残っていたみたいです。同じものが他にも複数発見されていますので、靴の照合は1日もあれば可能です」
「案外、事件解決は早い様だな」
「靴を照合できれば、販売店、売買履歴を辿れば1週間もかからないでありますからな。それに形からして、これはメンズのミリタリーブーツでありますな。種類によっては3日以内に犯人を特定できる可能性もあるでありますな」
「問題は、犯人特定後だな。お前のところの生徒って確か光学操作系のレベル4だろ?しかもかなり修羅場慣れした奴だと聞いてるぞ。そいつを倒した超危険人物を私達で捕らえられると思うか?」
「やるしかないでありますよ。場合によっては、駆動鎧や大型駆動兵器の導入、広域催涙ガスの使用も視野に入れなければならないであります」
「はぁ~。やっぱり面倒な事件だな」

唐茶話が大きく溜息をついた時だった。



「―――――おやおや、随分とキナ臭い話をしているねぇ?」



背後から聞こえたしゃがれた女性の声に2人は驚き、そして振り向いた。
紫色の和服に身を包み、白髪まじりの黒髪で穏和な表情を浮かべている、そんなおばあちゃん一歩手前の女性がいた。
鎖部桜子《クサリベ サクラコ》
彼女も警備員の一人であり、数多くの不良生徒を更生させた功績から「学園都市の祖母」と呼ばれる女性だ。

「鎖部殿でありますか。ご無沙汰しているであります」
「右に同じく」

2人が直立し、鎖部に敬礼する。教師からも敬意の眼差しを持たれる彼女は教師たちから「学園都市の母」とも見られている。

「鎖部先生がなぜここに?」
「ゲーセン行くついでに、2人にちょっとした悪い報せを伝えにね」
「悪い報せでありますか…」
「そう。被害者の成瀬台の生徒のえ~っと…名前は何だったかしら?」
「界刺です。界刺得世
「そう。その界刺くんなんだけどね。事件に巻き込まれる前、軍隊蟻のリーダーと接触していたわ。会話の内容は分からないけど、仲が良さそうにも喧嘩してそうにも見えたらしいわ」
「軍隊蟻のリーダー、長点上機学園樫閑恋嬢か。これで捜査の幅が狭まって楽になったな。軍隊蟻の線で調べれば…」
「いえ、その逆でありますな」

解決がすぐ目の前に見えた喜びをガッツポーズにして表す唐茶話を酉無は否定した。
唐茶話は「は?」と目を丸くし、握った拳を解いた。

「軍隊蟻は警備員の上層部と癒着関係であります。もしこの事件の真相が彼らにとって都合の悪いものだとすれば、すぐにウチの上層部を通して圧力をかける可能性が高いであります」
「いやいや待て。軍隊蟻はスキルアウトだろ?学生のチンピラ集団がどうして警備員の上層部とズブズブの関係になれるんだよ?」
「軍隊蟻は以前、寅栄瀧麻がリーダーだった時代から一部の風紀委員・警備員とは癒着関係であります。軍隊蟻は元々、他のスキルアウトチームとの抗争をメインとして活動していた組織であり、窃盗や人的被害の出る犯罪には非常に消極的な組織であります。リーダーの寅栄の人望もあってか個人レベルで治安維持組織とはコネがあり、時には規則や時間の関係で動きが制限される彼らの代わりに動くことで黙認してもらう、いわば共生関係であったとも言えるであります」
「いや、だとしても上層部は流石に無理だろ。コネですら難しいぞ」
「そうでありますな。寅栄がリーダーだった頃なら接触することすら無かったでありますが、樫閑がリーダーとなった6月以降は話は別であります。元々、長点上機は在学中の生徒を企業や研究所に派遣しており、樫閑もその才能から夏休みの間は軍需関係の企業や研究所に派遣されていたと考えられるであります。その中には警備員に装備を提供している企業もあり、そこから警備員の上層部にコネを作ったと考えられるであります。後は彼女の口八丁でしょうな。何を交渉材料にしたのかは分からないでありますが…」
「はぁ~。よく分からねえが、軍隊蟻はお偉いさんと仲良しってことなのか。じゃあ、犯人が軍隊蟻でないことを祈るしかねえな」

罰が悪い思いをした表情を浮かべながら、唐茶話は袋をひっくり返して残りのビーフジャーキーを一機に頬張る。

「けどまぁ…軍隊蟻だったら、それはそれで引き下がるわけにはいかない。ちょっとばかし、大人の恐ろしさってのも教えないとな」

袋を握りつぶし、決意を見せた唐茶話を見て酉無は少し安堵した。

「ところで鎖部殿。界刺と樫閑が接触したとは、どこからの情報でありますか?」
「亀の甲より年の功じゃよ」

そう笑みを浮かべながら、鎖部はゲーム用の指貫グローブを装着して去っていった。



* * * *




翌日 11月2日
昼下がりの一七六支部。昨日の事件が嘘だったかのように支部の中は静かで、通常業務へと戻っていた。
今、支部にいるのは加賀美だけで、彼女も支部のパソコンでニュースをしながらコーヒーを啜っているだけだった。ほぼ留守番・電話番のようなものである。
先日まで多忙な日々を送っていたため、今日は支部のメンバーの半分近くが休暇を取り、残ったメンバーは神谷と斑の穴埋めでパトロールに、鏡星はパトロールついでに2人のお見舞いに行くそうだ。

「成瀬台の風紀委員も大変だなぁ~」

――――と独り言を呟きながらマウスをスクロールして記事の続きを読む。
事件の記事は昨晩のブラックウィザード残党と界刺の一件だ。被害者についての情報はあまり語られておらず、ブラックウィザード残党はスキルアウト、界刺のことについては一切触れられていなかった。

(……あれ?この事件も警備員が主導となって捜査…まさか、またATT?いや、でも手口は稜と狐月のそれとは違うみたいだし…)

加賀美がニュースサイトと睨めっこしていると、デスク脇に置いていた彼女のケータイが鳴る。
出る前に誰からの着信か確認する。

(正美ちゃん?…どうしたんだろう?)

風川から電話が来るとすれば、十中八九は稜のことである。

「加賀美よ。どうしたの?」

加賀美が電話に出た。すぐに聞こえたのは啜り泣く風川の声だった。



「ひっぐ…加賀美さん…稜が…稜が…」
「どうしたの?落ち着いて」

そうは言っているが、加賀美も椅子から飛び上がりそうな気持だった。風川がここまで涙を流すほど、酷いことが稜に起きたということだ。


「稜が…稜が病院を抜け出しちゃいましたぁぁぁぁぁ」


最後のセリフを言い切って、正美はもう何も話せないぐらいに慟哭した。
その声を電話口で聞かされた加賀美は凍りついた。同時に心の中で怒りの炎が燃え滾る。






「あんの馬鹿野郎ォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!」



それは神谷稜の愚行への憤怒、それが彼への罵倒の言葉と共に支部内に響き渡った。

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最終更新:2013年10月15日 01:12