第33話「愚弟の流星 (アマツミカボシ)」
とある病院から数キロ離れた地区の高度3000m。
一機のガンシップが2機のローターを回転させ、ホバリングして滞空し続ける。一見航空機を想わせるフォルムだが、左右の翼の先端に1機ずつローターがある。所謂ティルトローター式の垂直離着陸機だ。機体全面が簡易式の光学迷彩に対応した装甲となっている。完全な透明ではないが、機体表面がスクリーンのようになっており、背景色に溶け込むように夜間飛行の間は機体色がネイビーとなっている。
ハッチが開き、腹部から黒い長身の銃砲が姿を現した。4枚の黒い板を組み合わせて四角い筒にしたような構造、長く伸びる長砲と基部の大容量バッテリーからレールガンの一種だと考えられる。
「超長距離電磁加速狙撃砲、準備完了。次の指示を」
一切の感情を交えない業務連絡のような口調のヘリのパイロットはすぐ傍に立つチンピラ風の男に指示を仰ぐ。ミリタリージャケットを着こなし、手の甲に蟻の入れ墨を持っている。軍隊蟻のメンバーの男だ。
「ロックオンのまま待機だ。お嬢からまだ何も指示は来ちゃいねぇ」
全面の防弾ガラスには狙撃砲のスコープに映された病院が見えた。駐車場には警備員の装甲車が集まり、屋上付近で何か只ならないことが起きているのは容易に理解できた。病院の監視カメラはハッキングされていたが、映像をリアルタイムで盗んでいた“誰かさん”のデータを横取りすることで1階の戦闘、9階の誘拐は既に把握していた。
パイロットとチンピラの背後には武装した7名の軍隊蟻のメンバーがベンチに座って出撃を待つ。黒色のミリタリールック。アサルトライフルと予備のマガジン、サブウェポンのオートマチック式の拳銃、手榴弾、スタングレネード、防弾ジャケット等、それらはスキルアウトとは思えないほど豪華な装備だった。軍隊蟻の名の通り、兵装は軍隊そのものだった。
しかし、どれだけ装備を揃えても、どれだけ指揮官が優秀であったとしても、ほんの数ヶ月で彼らをその装備に足る人材に育てるには無理があった。ヘリの中で武装して待機する彼らの仕草の節々に素行の悪さ、チンピラ臭さが残っている。統率はとれているが、洗練された軍隊というにはまだ一歩足りなかった。
リーダー格の男が操縦席から無線を引き抜いた。
「お嬢。聞こえるか?」
『ええ。大丈夫よ。あと病院の様子も監視衛星のリアルタイム映像配信で確認できるわ』
「で?俺らはどうするんだ?」
『指示があるまで現状を維持』
「了解」
(――まったく、嫌になる)
樫閑は心の中で愚痴を吐き捨てる。
装甲車コウチュウ、内部のCICで樫閑は部下との通信を終えると再び監視衛星の映像と睨めっこを始める。病院の監視カメラが“何故か”使えない今、これとヘリからの映像だけが頼りだ。
手元に置いていたスマホに着信が入る。持蒲が唯一の連絡手段として渡したものだ。学園都市の極秘回線で繋がっており、電話帳には持蒲がよく扱う偽名の蒲田の名前しか入っていない。外装はつい先日購入したもののようにピカピカの新品。おそらくこのためだけに発注されたツールだろう。内部もブラックボックス化されている。恐ろしくて内部構造は覗いていないが……
「私よ」
『言わなくても分かるよ。それは君のためだけに用意したものだからね』
「そのセリフ、時と場合が違えば惚れていたかもしれないわ」
――静寂
電話口の向こうも、自分の周囲の部下たちも、示し合わせたかのように皆が押し黙って静寂を作り上げる。樫閑としては持蒲の歯の浮くようなセリフに上手い返したつもりだったのだが、どうやら大転倒してしまったようだ。何がどう転んでしまったのか本人にも分からず、あたふたする。
『その、なんというか。君に女の子らしいセリフを言われると――悪い意味で鳥肌が立つ。ごめん』
持蒲の言葉が止めを刺した。自称“フェミニストの気がある”彼ですら樫閑の女性らしい一面は何故か受け止めきれなかった。その上、気を遣ったつもりで言ったごめんの一言が逆に彼女を傷つける。
「トイレにいる時にC4で便器ごと×××を吹っ飛ばしてやる!」
『いや、それ×××どころじゃ済まないよね?』
(そういう言葉のチョイスが『女として終わってる』んだよなぁ~)とCICで話を聞いていたメンバー達はリーダーの女子力の評価という点で普段からの統率ぶりを発揮することとなった。
「こっちの情報は伝わっているかしら?」
『ああ。大丈夫だ。こっちも君が見ている映像とリンクしている。軍師様としてはプランはもうおありかね?』
「ええ。勿論よ――と言っても“現状を維持。動きがあれば即座に対応”としか言えないけどね。思った以上に現場が錯綜しているから」
「ところで聞きたいことがあるのだけど?」と言葉を添え、持蒲の「どうぞ」という返答を待って質問を始めた。
「私達の目的は病院にいる2名の魔術師。ユマ・バルムブロジオと
香ヶ瀬輝一の拘束もしくは殺害なのだけれど、優先順位はどうなっているのかしら?」
CICのモニターに映される香ヶ瀬とユマの画像。地下街の監視カメラの映像を切り取ったものだ。荒れ果てたゲームセンターで対峙した姿。香ヶ瀬から計り知れない狂気、ユマには逃れようとする策士の心が画面越しでもえる。
『ユマを優先して欲しい。出来る限り拘束、多少の犠牲が出ても強行して欲しい。香ヶ瀬については余裕があれば拘束、手古摺るようなら殺害だ』
「あら、女性には優しいのね。フェミニスト」
『馬鹿を言うな。彼女は首謀者に近い人間だ。重要な情報が聞き出せる可能性が高い。対して、香ヶ瀬はただ暴れるだけの復讐者だ。さっさと始末するのに限る』
「そう…分かったわ」
通話を切り、スマホを机の上に置いて一息ついた。
何度言葉を交わしても持蒲の相手は気が休まらない。軽いようで紳士的、暗部の人間らしからぬ人間性と暗部らしい冷徹さを持ち合わせる彼の言葉の一言一言が武器であり、僅かにでも隙は見せられない。少なくとも今は利用価値のある駒として生かされているだけなのだから、もしより弱みを握られ、譲歩を許してしまえば“駒”ではいられなくなる。権力の“奴隷”になり下がる。
樫閑はより多く情報を収集するため、ヘリのカメラで写された病院の映像を凝視する。改めて数秒ほど映像を眺めた時、彼女は違和感を覚えた。再び確認のため数秒眺め、違和感は確実な異変に変わっていた。
地上に集まる警備員の装甲車、屋上と直下の階の黒煙と騒動。それらはほとんど同じ時間、同じ場所でありながら、全く異なる勢力が引き起したものだと理解した。そして、燃え上がる屋上直下の部屋。もし彼女の記憶が正しければ――
樫閑は慌てて私用のスマホを手に取り、電話帳から“ある人物”の番号にかける。
『樫閑か!?緊急事態だ!』
電話の相手は
毒島拳だった。途切れ途切れになる声、荒い息使い、大きく揺れる向こうの音源、彼が全力で走りながら電話に出たことが窺える。
「帆露さんか茜ちゃんに何かあったのね。悪いけど、こっちは今知ったばかりで情報が不足しているの」
『はぁ!?知らないとか、アンタらしく無いな!』
“らしくない”とう彼の言葉が何故か胸に突き刺さる。まるで持蒲の手下になった女王蟻のことを知っているかのようだ。
『茜のタブレットからメールが来たんだよ!“緊急事態。帆露、誘拐。武装勢力、不明”って内容だ!俺は寮からダッシュで病院に向かっている!着くまであと10分はかかる!』
「分かったわ。こっちからも情報をあげる。今、別件で警備員が病院の1階に集まってるの。もし武装しているなら貴方が御用になるわ」
『じゃあ、警備員に任せればいいのか!?』
「そうなりそうなんだけど、こっちが得た情報だと帆露さんを誘拐した集団はヘリを使ってるみたい。もし空に逃げられたら警備員の対応はかなり遅れるわ」
『軍隊蟻は!?アンタらは動けないのか!?』
警備員が駄目ならと透かさず軍隊蟻の名前を出す辺り、毒島の焦りが見える。樫閑の性格を理解しているなら、彼女がただの温情だけで組織を謎の武装勢力との戦いに巻き込むような人間じゃないことは分かるはずだ。今の毒島は焦りのあまり、そこに思考が至らず、交換条件で樫閑に提示する利益のことも全く考えていなかった。
親と離れた学園都市では彼にとって姉が唯一の家族だ。かつて復讐に溺れ、スキルアウト狩りを行うために「霧の盗賊」を結成した彼は、これまでの過程でこの街の裏や闇に足を踏み入れた。復讐と称して狩りの中で何人もの人間を手にかけただろう。それほどまでに彼は姉を愛し、“大切な者のためなら善にも悪にもなれる者”となってしまった。それを英雄と呼ぶべきか悪人と呼ぶべきかは分からない。
「軍隊蟻は…今、一部の部隊が病院の近くで別件のために待機しているわ」
『そいつらをこっちには――
「難しいわ」
『何でだよ!』
「言ったでしょ。こっちも別件があるの。簡単に部隊は動かせないわ。本隊も別の場所に居てそっちに行くには時間がかかる」
『……っ!あの持蒲って野郎の一件か?』
「ええ。だから私の一存で軍隊蟻は動かせないの。一応彼にもこっちに戦力を回せないか交渉してみるわ。私達のことはあまり期待しないで。ごめんなさい」
樫閑の口から発せられた「ごめんなさい」には毒島への謝罪だけでなかった。もしこれが寅栄や仰羽だった二つ返事で戦力を送っただろう。それを彼らは誇りにしていた。それが出来ない軍隊蟻にしてしまった自分の不甲斐なさと二人への謝罪も込められていた。
「いや、ありがとう」
毒島はそれ以上何も言わず、電話を切った。
「ガチャガチャガチャガチャ五月蠅いんだよ…」
病院の廊下の奥、衿栖の後方から聞こえる少年の声。憎悪に満ち、遣りどころのない怒りの矛先を全方向に向けた刺々しい視線が向けられる。
衿栖は振り向いた。見えるのは明かりのついた廊下、隊列を組んで銃口を構える死人部隊の背中、その奥には多くの死人部隊の死骸に埋もれて身動きの取れない茜、更に奥、病院の廊下の奥底からどす黒いオーラの塊が歩み寄る。
香ヶ瀬輝一だった。
血で染まった入院患者用の服、包帯で巻かれた手首から先の無い右腕、それも傷口が開いたのか真っ赤に染まり、血液や液状化した生体組織が滴っていた。
貧血気味だが少ない血液を必死に循環させ、ギリギリのところで意識を保っている。
ディアスの情報が得られないことに対する焦り、ユマに敗亡した屈辱、噛み締めた敗北と気づかされた己の無力、そんな感情が渦巻き、更に失血で頭に血が廻らない。
ディアスに復讐すると
双鴉道化に息巻き、筆積の制止を振り切って学園都市に来た結果がこれだ。どっちが道化なのか分からない――そう自嘲するだけの思考はまだ残っていたようだ。
どうしてあの女を天津□星で撃ち抜いたのか分からない、自分が何の為にこんな“無意味な戦場”で立っているのか。だが何故か、目の前の死体に埋もれる少女に加担しろと何かが囁く。それは身の内から込み上げる本能のようで、外からの天啓のようでもある。
それが何なのか、疑問はすぐに解消された。
香ヶ瀬は足で何かを踏んでいたことに気づく。足元を見ると写真立てを踏んでいた。本のように閉じるタイプだ。それを拾い、中身を開いた。
両面に写真が入っている。片面は制服を着た毒島拳と帆露が校門の前で撮った写真だ。拳の入学式だろう。寄り添う帆露に拳は少し恥ずかしそうに顔を背けている。もう一面の写真は比較的新しかった。病室のベッドで上体を起こした帆露とベッドの上に座る茜が笑顔で写っている。
「なるほど……な」
自分の天命を決める神様は随分とひねくれた精確のようだ。自分の姉を救えなかった弟に、どこの馬の骨か知らない弟の姉を救う機会が与えらるという皮肉に満ちた僥倖を齎すのだから。
香ヶ瀬は死体の山を蹴り上げ、そこから茜を引き抜いて救出する。茜は香ヶ瀬を警戒していた。敵か味方か判断のつかない人間に腕を掴まれているのだから仕方ない。
「手を貸してやるよ」
茜はタブレットの画面を見せる。
『どうしてですか?貴方は誰ですか?』と表示されていた。
「同情だよ。俺は――自分の姉を守れず、傍にいようともせず、怒りに任せて復讐に奔った弟の…成れの果てだから」
その瞬間、隊列を組んでいた死人の一人が香ヶ瀬に銃口を向けた。引き金に指をかけた途端だった。飛来したコンクリート片が銃口の中に入り込み、銃弾を詰まらせたことで“銃が”爆発する。死人の一人が四散した銃のパーツで負傷する。
「冥土の土産に貴方さん方に名乗ってやる。
神道系倭派魔術師 兼 九州文化博物館非常勤雑用係 香ヶ瀬輝一!」
(魔術師…?)
やたら長い肩書きの中、魔術師というワードが衿栖の心に引っかかった。
「輝一ちゃん。その魔術師ってのは中二病的なものかしら?それとも本物の?」
衿栖は柄にもなく声を張り上げて、20メートル先にいる香ヶ瀬に訊ねる。
「何でそんなことを訊く?あんた見たところ科学者だろ?」
「昔、科学じゃ説明のつかないものに出会ったことがあるからね。まぁ、どっち道、私の目の前の利益のために死んでもらうけどね!」
衿栖に呼応し、隊列を組んでいた死人たちが一斉にアサルトライフルの銃口を向けた。
「撃って!撃って!撃ちまくっちゃいなさい!」
一斉掃射。香ヶ瀬と茜に向けて弾丸の嵐が降りかかる。咄嗟に死体を盾にする。死人が装備していた防弾チョッキもおかげもあって何とか弾丸を凌ぐことが出来た。
「じゃ、あとお願いね~♪」
2人を足止めしている間に衿栖と帆露を運ぶ代わりの死人が屋上へ繋がる階段へと消えて行った。応戦している死人は全てここで捨てていくようだ。
香ヶ瀬は死体の山の影から後方を覗き、状況を確認する。
「チッ。このままじゃ逃げられるぞ」
茜が香ヶ瀬の肩を軽く指で突いた。彼が振り向くと、茜がタブレットの画面をこちらに向けていた。
『私が敵の注意を引きつけます。その間にさっきの石を飛ばす能力で相手を無力化してください』
「おい。注意を引きつけるって―――
香ヶ瀬が質問し終える前に茜が死体の山から飛び出した。腕を顔の前で十の字に組み、突撃する。死人達の射線が茜へと集中する。普通ならもう肉塊になっているであろう物量の砲火を受けているにもかかわらず、茜が一切スピードを緩めることはなかった。銃弾が全く効いていないようだ。
そのまま一気に距離を詰め、遂には目の前までに迫った。茜は両手に手刀を作り、死人達の銃を切断した。まるで空を切るかのように鉄の銃は切断され、死人達の身体も茜が手を振るだけで真っ二つになる。
振動による分子間結合の崩壊、振動を支配する能力を持つ彼女にとって、物体の固さなど意味を成さない。銃弾だって自分に到達する前に展開した振動の膜で崩壊させ、液状化させる。
香ヶ瀬は自分が射線から外れたことを確認すると死体の山から飛び出し、天津□星に使える物体が無いか周囲を見渡す。幸いなことに崩れた壁面の破片、観葉植物の植木鉢などが辺りに散らばっていた。わざわざ魔術で弾を作る手間は省けた。
天津□星で瓦礫や植木鉢を射出のために浮遊させ、茜の方に目を向けて狙いを定める。
「撃て!」
浮遊していた瓦礫や植木鉢が次々と死人達に向けて高速で放たれる。その軌道はまっすぐのように見えるが、茜に当たらないように修正しながら死人達に当てていく。当たった部位の肉体が弾け飛び、スプラッター映画のような光景が広がる。
血肉が飛び散り、それが茜にも降り注ぐが振動の膜がコーティングのように働き、彼女は一切血に塗れなかった。
『早く行きましょう』
「言われなくてもそうする!」
茜と香ヶ瀬は屋上への階段を駆け上がっていった。
病院の屋上。一機のヘリコプターが離陸体勢に入っていた。前後に巨大なプロペラと胴の長い特徴的な機影を持つタンデムローター式、白い塗装に赤い十字が描かれている。
開かれた後方のハッチに衿栖と帆露を担いだ死人が乗り込んだ。
ヘリの内部は広く、両脇に腰掛けがあり、中央は様々な機械に取り付けられたベッドに占領されていた。
「随分と遅かったね。死人をほとんど使い切るほど手強い相手がいたってことかな」
ヘリの中、端のベンチにノートパソコンを持った少年が待っていた。
10代前半といったところか。胸のあたりまで伸ばした手入れしていないボサボサの茶髪、全く鍛えてなさそうな小太り体型、クマのある三白眼に度のきついメガネと、不健康な要素をふんだんに詰め込んだ少年だ。
彼の名は蜘蛛井糸寂。かつてブラックウィザードの幹部を務めた人間だ。
「呑気なこと言ってんじゃないよ!こっちは血沸き肉弾ける激グロ閲覧禁止な戦いだったんだからね!ってか、永観!アンタは戦えるんだから前に出なさいよ!」
衿栖の怒りの矛先は手前の腰掛けに座る
永観策夜に向けられた。
黒いコートに白く染めた腰まで届くような長髪。
ブラックウィザードのリーダー、
東雲真慈を彷彿とさせるが、その身体は細身で蜘蛛井と同じく鍛えているようには見えない。
「勘弁してくれたまえ。僕は勝てる戦いしかしない主義なんだ。それに僕は警備員に顔が割れている。監視カメラに映ってしまったらそれこそ君の計画の頓挫に繋がると思うけどね」
「蜘蛛井はともかく、アンタは本当に役立たずね」
やり取りを終え、永観を傍目に衿栖はコックピットの死人に離陸の指示を出す。
「ふぅ~。とりあえず、第一段階はクリアね」
彼女が一息ついて、腰を掛けた。死人が帆露をベッドの上に寝かせ、ベルトで固定する。その光景を見て、安堵した途端だった。
「あ、死人達が全滅したみたい」
ノートパソコンで全ての死人のバイタルをチェックしていた蜘蛛井が呑気にピンチを告げた。死人部隊を突破されれば、屋上まで1分もかからない。
「離陸!離陸!今すぐ離陸!」
衿栖は焦り、どこからか持ち出したハリセンでパイロットの肩を叩く。衿栖本人がひ弱なのでダメージは0に近い。死人も叩かれる度に「了解」「了解」と繰り返した。
永観が立ち上がり、布を顔に巻いて後方のハッチの近くに立った。死人部隊が全滅して仕事が無くなった蜘蛛井が「永観?」と声をかけた。
「あの女のことは気に入らないが、契約はちゃんと果たさないとな」
「君って、そんな義理堅い人間だった?」
「本音を言うと――やっとのことで死人部隊を突破した奴らを僕の炎で死なない程度に焼いて、その悲痛の声を聴くのが楽しみで楽しみで仕方がない。じっくり聞けないのは少し寂しいけどねぇ」
「相変わらず、趣味が悪い。――――おっと、敵さんが到着したよ」
蜘蛛井の言葉通り、香ヶ瀬と茜が階段を昇って屋上へとたどり着いた。2人とも疲弊しており、ヘリは既に1メートルほど浮かび上がっていた。高いところから弱者を痛めつけることを至高の快楽とした永観にとって絶好の状態だった。
永観の広げた両手に火球が集まる。最初はゴルフボールぐらいのサイズだったが、それが瞬時にバスケットボールと同じくらいのサイズに成長する。
「さぁ!苦悶の表情を僕に見せてくれたまえ!」
永観が両手を振り下ろした。2つの火球が香ヶ瀬と茜の目の前の地面に着弾し、2人を囲むように炎が燃え上がる。香ヶ瀬は左手で払おうとするがそれでどうこう出来る火力ではない。
逆に茜は落ち着いていた。軽く片足を上げ、トンと音を鳴らして地を踏んだ。そこを中心に周囲の大気が凍結し始め、炎も瞬時に鎮火された。茜は余裕だった。これよりも高い火力の敵と戦ったことがあり、そんな敵でも無傷の勝利を掴んだ。
火を構成するのは熱と光である。そして、熱は原子が振動することによって発生する。茜の能力によって原子の振動を操作すれば、あらゆる物質を超高温から絶対零度にまで設定することが出来る。
「でかした!」
茜を押しのけて香ヶ瀬が飛び出した。炎の壁は時間稼ぎにもならず、ヘリはまだ2メートルも飛び上がっていない。飛び上がり、半開きのハッチに捕まろうと手を伸ばした。いつもの癖で右腕を伸ばしてしまった。手首が無いことをすっかり忘れていた。
咄嗟に左腕を伸ばしたがタイミングを逃してハッチに手をかけられなかった。永観が勝ち誇ったような顔で落ちていく香ヶ瀬を眺める。
自慢の炎を茜に無力化されたのにどうしてそこまで勝ち誇った顔が出来るのか、香ヶ瀬には不思議でならなかった。
そしてハッチは閉められた。
屋上での一部始終は付近の上空で待機していたヘリコプターのカメラを通して、コウチュウのCICへと伝わっていた。
「弐条。屋上の部分を拡大して再構築。これを30秒ごとにお願い」
「了解」
樫閑の指示を受け、前方に座っていた弐条がパソコンを操作して大画面に映された画像を拡大、更に解像度を上げてより鮮明にする。浮かび上がるヘリの形状とマーク、ヘリに運び込まれる帆露、彼女を運ぶ謎の男と謎の少女だ。どう見ても帆露が誘拐されている光景だ。更に再構築された画像が次々と並べられる。
「何よこれ。最悪の状況じゃない」
樫閑は苦虫を噛むような表情を見せる。投入できる戦力に限りがあるのに“やらなければならないこと”が3つに増えたのだ。しかし、絶好の機会でもあった。その内の2つを同時に片付けることが出来るからだ。
「弐条はこれを3分後まで15秒区切りの画像を全部再構築して」
「了解です!」
「場田は波幅に第一三学区の索敵情報を今すぐ更新するように伝えて」
「了解ッス」
樫閑は指揮官席に置いてあったインカムを装着した。作戦が決定した。それと同時に絶対に成し遂げる樫閑の決意の表れだった。
「これより、我々は
毒島帆露救出作戦及び香ヶ瀬輝一捕縛作戦を開始する」
波乱に満ちた一仕事を終え、衿栖は機体中央部分の端の席に座る。一時はどうなるかと思ったが、空まで逃げれば追手は来ない。警備員も騒ぎには気付いても地上の騒動で手一杯、事情を知ったとしても緊急のヘリの要請には時間が掛かり、向こうが飛び立つ頃に自分達は第一〇学区のラボに着いているだろう。
横目で帆露の容態を示す機器のモニターを見た――異常なし。これで少し寝られる。
衿栖が目を閉じようとした時、警告音が耳に突き刺さる。二つの大型ローターの音でさえ煩く感じていたが、この警告音の不快さはそれ以上だ。
「死人12号ちゃん。警告音鳴ってるじゃないの」
衿栖が操縦席に向かい、計器を眺めて警告音の発信源を探る。
原因はすぐに分かった。ヘリには詳しくない素人の彼女でも簡単なものだ。このヘリは飛行中、車輪を内部に格納するのだが、どうやら車輪を格納するスペースのハッチが閉じていないようだ。閉じたがセンサーが噛みあっていないのか、何か不具合でハッチが閉じ切っていないのか。それのどちらが原因なのか分からず、確かめる術もない。
「まぁ、いっか。これボロい中古だし」
衿栖はこれを深刻なものと受け取らなかった。煩いのでアラームを強制的に停止させ、再び胴体部に戻って席に着く。
これでやっと眠れる――そう思った矢先だった。
大きな爆音と共に機体が大きく揺れる。帆露のバイタルを測っていた機材は振動に揺られてバタバタと倒れて動かなくなる。衿栖も全身が大きく揺らされ、脳が頭蓋骨の中で、今日食べたものが胃の中でバウンドする。近くに座り、平気そうに鎮座する
「な、何!?」
警備員にしては早過ぎる。コックピットに向かい、全方位モニターモードを起動させる。スイッチを押した途端、床を残して武骨で無機的だった内装から外の背景に切り替えられる。ヘリの装甲が透明になったようで、あまりの見晴らしの良さから自分が空飛ぶ絨毯の上にいるような錯覚に陥る。同時にあまりの高さから恐怖を覚え、足がすくむ。
風景の一部、胴体側面部分が真っ暗になっていた。おそらくこの辺りに攻撃を受けて外部のカメラが壊れたのだろう。
永観、蜘蛛井、そして衿栖が後方を見た。
ティルトローター式のガンシップだ。コックピット真下にある1門の超電磁砲がこちらに向けられていた。衝撃の源はここから放たれたようだ。
「ボサッとしないで!さっさと逃げてよ!」
衿栖が声を張り上げると、ヘリが前傾姿勢になり一気に加速する。しかし、ティルトローターとタンデムローターではスピードの差が違う。背後のガンシップは遊ぶように衿栖たちの周囲を飛び回り、銃撃で外部のカメラを破壊していく。
気が付くとガンシップは衿栖たちの真上を陣取っていた。
衿栖はすぐさま、下降するように指示、ビルの合間を縫って逃げる算段だ。とにかくあの恐怖のガンシップから逃げたい一心での指示だったが、機体の幅を考えるとビルの合間を縫って逃げるというのはあながち間違いではない。ティルトローターのガンシップではビルに接触する可能性があり、ビルよりも高い位置でしか動けない。また地形を問わず、低位置を取るのは機動力の劣る機体が高機動の機体から逃れる常套手段である。
衿栖の思惑通り、ヘリはビルの合間を縫って逃げることでガンシップの追撃を逃れた。上空から銃撃を受けるがビルを盾にし、華麗な方向転換で回避していく。
銃撃が無くなり、ヘリの機動に振り回される感覚から解放された。やっとこれで撒いたと衿栖は安堵する。外部カメラで上方を見てもガンシップの姿は見えない。
ヘリの正面に都市のど真ん中を貫く高速道路が見える。飛び出し防止柵に接触しないよう徐々に高度を上げて高速道路を飛び越える。
突然の轟音、鳴り響く多数の警告音、先程とは比にならない程の振動がヘリを襲う。上下左右の感覚が無くなり、今度こそ吐きそうだった。
高速道路の真上に差し掛かった直後にヘリは前後のローターを破壊された。浮力を失ったヘリは数メートル下の高速道路に落下し、横向きに墜落した。残っていた運動エネルギーが防止策との摩擦で火花を散らしながらコックピットと共に削られていった。
「痛たたたた…」
打ち付けた各所を押さえながら衿栖、永観、蜘蛛井が立ち上がる。コックピットにいた死人はコックピットごと潰れ、衿栖たちの近くにいた死人も帆露を庇うような形で文字通り死人となっていた。
衿栖は帆露の拘束ベルトを外し、彼女を引き摺りながらヘリの外へ出る。永観と蜘蛛井は自分が助かることで手一杯だ。
3人の前にはガンシップが二門の機関銃の照準をこちらに合わせて待ち受けていた。
ガンシップはヘリを見失ったわけでは無かった。上空からの銃撃で高速道路まで誘導し、そこでローターを破壊して撃墜したのだ。落下距離はほとんど無いに等しい。荒々しいが、帆露を傷付けないよう配慮した作戦だった。
「よぅ。数分振りだな」
ヘリの残骸から聞こえる声。3人はぎょっとした。ここにいるはずのない人間、香ヶ瀬輝一がそこにいたからだ。
衿栖はボロボロになっていた香ヶ瀬の左腕を見る。入れ墨のような跡だが模様ではない。それは一本戦の痣だった、内出血を起こし、その一本線とそこから手先までの部分が紫色になっている。腕も変な方向に曲がっている。骨が折れているようだ。
衿栖ははっと気づいた。車輪を格納するハッチが完全に閉じられていなかったのは故障ではない。この男の腕が間に挟まり、コバンザメのようにずっとヘリに張り付いていたのだ。
「もう一度、燃やされに来てくれたのかい?」
狂気の笑みを浮かべ、永観が両手からバスケットボール大の炎球を作り出す。
ぐちゃりと生々しい音を立てて、ヘリの残骸が永観の両手に突き刺さった。香ヶ瀬の魔術、天津□星の星辰だ。正確には残骸を集めて弾丸状にしたものだ。
香ヶ瀬が横目で腰を抜かした蜘蛛井を睨む。
「ままままま参った!降参だ!僕の負けだ!」
蜘蛛井は慌ててノートパソコンを放り投げ、両手を挙げた。今にも小便を垂れ流しそうなほど震えている。
彼が完全に戦意喪失したことを確認すると、帆露の襟首を掴んでこっそりと逃げようとしていた衿栖を睨んだ。彼女の位置を知らせるかのようにガンシップがライトを照らす。
(さぁ……その人を返して貰おうか)
そう口に出し、彼女へゆっくり距離を詰める――――つもりだった。
足に力が入らず、視界が大きく傾く。頭を地面に打ち付けた。痛いと感じるが、それにもがく余力はもう残されていない。限界が来たのだ。
手を伸ばそうとするも感覚が無い。自分の身体が徐々に消滅していくような感覚を覚える。伸ばしているのか、動かないままなのかも分からない。
過去がフラッシュバックする。裕福で家族が揃っていた幼少時代、財産と天津□星の秘術を目当てに両親を殺した親戚たち、その親戚たちを皆殺しにした俺と姉さん。決して「家族を手離さない」という欲望を掲げて
イルミナティに入った頃、ディアスに全てを奪われたあの時、敗北と屈辱に塗れながら動かぬ姉を背負い続け彷徨った日々、筆積に拾われた幸運、認められるために倭派の魔術師として奔走した道。
ああ。これが噂の走馬灯というものか。
香ヶ瀬は、ゆっくりと目を閉じた。
あれから少し時間が経った。ヘリの墜落現場がライトで照らされる。警備員が取り囲み、一帯を封鎖していた。
護送車には手錠をかけられた衿栖と蜘蛛井が詰め込まれる。2人とも抵抗する素振りは一切ない。
現場には3台の救急車が停まる。1台はベッドに固定された永観が、もう一台に香ヶ瀬が乗せられる。まだ首の皮一枚で繋がった状態でまだ命の灯は消えていなかった。
香ヶ瀬が救急車に乗せられるところを少し離れたところから毒島拳と茜が見つめる。
「あいつが、姉さんを救ってくれたのか」
『はい』
「あいつ、何者なんだ?」
『彼は自分のことをこう言っていました。“自分の姉を守れず、傍にいようともせず、怒りに任せて復讐に奔った弟の成れの果て”』
的確に毒島のことを現したような言葉だった。香ヶ瀬という男が自分の事情を知っていると考えてもおかしくないまでに。だが、不思議とそんな気持ちはしなかった。あれは本当に自己紹介だと言い切れる気持ちがあった。
香ヶ瀬から、かつての自分と同じ匂いがした。
(あいつは…俺なんだ。軍隊蟻にも茜にも出会えなかった、まだ救われず暗闇の中を彷徨う……俺だ)
第二三学区
外周を壁で囲まれた第二三学区。人気が少ない、更に監視カメラや巡回する警備ロボットからも死角になっている、いかにも“裏”っぽいスポットで
神谷稜は人を待っていた。風とは無関係にピクピクと動く一枚の紙を手に握りしめる。
朝、双鴉道化に渡された紙は夕方になってから、紙飛行機の形になり、稜をこの場所まで誘導したのだ。
「待たせたな」
突然かけられる声に稜が身構える。
尼乃昂焚でも双鴉道化でもない。別の人間の声だ。
暗闇の奥から一人の白人男性が姿を現した。金髪に目隠しをした奇妙な姿、イルミナティ幹部の一人、
ニコライ=エンデだ。
「誰だ!?」
「双鴉道化の使いの者だ。少し予定が狂い、私が来ることとなった」
「ああ。そうかい」
稜は右手から閃光真剣を出す。明らかに戦闘に入ろうとしている。ニコライは丸腰だが、身じろぎも警戒もしなかった。そんな稜の対応を逆に鼻で笑った。
「あまり、私達の機嫌を損ねない方が良い」
「おい。ふざけたこと言ってんじゃ――
ニコライが胸ポケットから一枚の紙を取り出すと、それを稜に向けて飛ばした。それはヒラヒラと舞いながら足元に落ちる。
稜はニコライの一挙一動に警戒しながら写真を拾う。
「!?」
写真をみた瞬間、稜は目を見開いた。そして、このタイミングでニコライが写真を自分に渡した意味を理解する。縛られた
風川正美。それが写っていたものだった。
「双鴉道化からの伝言だ。『尼乃昂焚と戦え。勝利すれば彼女を返そう。全ての真実と共に』」
ニコライの伝言は稜の耳に入っていなかった。正美が誘拐されたというショックは予想以上に大きかったようだ。稜の手から閃光真剣が消え、瞳孔が開いたまま動かなかった。
「その紙はまだ持っていろ。これからも案内役になる」
そう告げると、ニコライは再び暗闇の中へと消えて行った。
「ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
稜が学区の外壁に頭を打ち付ける。一切の躊躇が見られない渾身の自傷。
「何が正義だ!何がリベンジだよ!一番守らなきゃならないものが見えてねえじゃねえか!俺は最強じゃない!だけど、あいつの前では最強でいたかった!そんなちっぽけな
プライドの結果がこれだよ!」
拳を何度も壁に打ち付ける。涙を流し、嘆きながら己の愚かさを拳に乗せて叩きつける。拳からは血が流れ、壁にベットリと血糊が付着する。
「何をやってるんだよ!俺はあああああああああああああああああああああああああ!」
込み上げる己への怒り声に出して発散する。しかし、どれだけ声に出しても自己嫌悪、自己憎悪、自己憤怒は留まるところを知らなかった。
最終更新:2014年08月20日 02:02