『
陰陽局』の魔術師達が東京に出没している『人面犬』と対峙した夜が明ける。
東京23区を中心とし、日が昇った直後から郊外より続々と人々は集まる。
世界有数の経済都市東京。昼夜の人口の差は100万を優に超える。
毎度お馴染みとなった通勤・通学ラッシュに人々は翻弄されながらも自身の居るべき場所へ赴いて行く。
「ふぅ~。エテノア。これで最後?」
「うん。ありがとうカッレラ」
今は丁度太陽が西の方角へ傾き始めた午後1時頃。東京23区の1つ中央区に在るコンベンションホールにて特徴のある服装に身を包む2人の女性がせわしなく動き続けていた。
2人共魔術結社『多からなる一(イ・プルーリバス・ウナム)』の構成員。1人は魔道書原典『カレワラ』の所有者となったフィンランド出身の魔術師カッレラ。
先日引き起こした『カレワラ』奪取事件の首謀者であり、最近まで半ば謹慎状態に置かれていたのだがようやく外界へ出る事を許されたのだ。
「こういう講演会の準備に携わったのは今回が初めてだけど、結構大変なのねぇ。場所の確保、資料作り、講演のスケジュール作成。大変だったけど新鮮だったわ」
フィンランドにも生活範囲を置く少数民族サーミ族の伝統衣装コルトを着用するカッレラは、言うなれば男性10人が見ればその殆どが思わず振り返ってしまう程の美人であった。
色鮮やかな赤系統や青系統の着色が散りばめられたコルトとカッレラの組み合わせは凄まじい程にカッレラの魅力を引き立たせている。
「大変だけどやりがいはある。特に、今回はアイヌとフィンランドの文化交流がテーマ。アイヌやフィンランドの少数民族も聴衆として参加してくれる。気合い入れていかないとな」
「あんた…目の下にクマがうっすら浮かんでるわ。連日徹夜続きだったもんね。余り無茶しちゃ駄目よ?」
「ここで頑張らねぇと。あたしの腕にアイヌの言語の未来が懸かってるんだ。寝る暇なんか惜しんでいられるか!」
カッレラと会話する20代前半の女性もまた『多からなる一』の構成員。名前は
エテノア=ウナルペク。名前からもわかるようにアイヌ民族の血を継ぐ者である。
両手は手の甲から肘まで特徴的な刺青を施し、鉢巻である藍色のマタンプシを巻き、タマサイと呼称される邪気祓いの首飾りを首に掛け、ニンカリと呼ばれる大きな環状ピアスを両耳に付けている。
また、イラクサを材料に織られた光沢眩しい白と黒で構成されたテタラペを着用する。衣服には全てアイヌ紋様が施されている辺りエテノアの拘りが感じられる。
今回2人が本拠地『ハワイキ』を離れてここ東京にいるのは、アイヌ語の保存活動家という側面を持つエテノアが開催するアイヌとフィンランドの文化交流をテーマにした講演会の為である。
「同じ北に暮らす民族としての文化交流…か」
「カッレラはこの手のものに参加した事無かった?」
「…うん。魔術師として戦う事ばっかり」
「なら、今回の非戦闘任務はあんたにとって良い経験になるかもね」
カッレラにエテノアへの同行任務が命じられたのも、講演会のテーマに合致するフィンランド出身の人間であるからだ。
直接的な戦闘力は魔術結社でも指折りの実力派であるカッレラが就く任務は、今までずっと戦闘任務が中心であった。
カッレラに合った任務だったのでカッレラ自身特に異論を挟む事は無かったが、この度『多からなる一』の主導者
イロ=コイから随分久し振りとなる非戦闘任務を与えられたのだ。
例の事件でカッレラに恩赦を与えたイロは、ずっとカッレラの任務復帰のタイミングを見計らっていた。
結社内部におけるカッレラへの風当たりは今もそれなりに厳しい。恩赦そのものへの不満―表向きには納得したとしても心中では燻っているという事―は短期間の内に拭えるものでは無い。それだけの事をカッレラはしてしまった。
改善するにはカッレラ自身が努力しなければならない。そこで、イロは本格的に任務へ復帰する足掛かりとしてカッレラに見識を広める為の文化交流作業への参加を命じたのだ。
イロの指示はカッレラに不満を持つ結社メンバーにも相当意外なものとして受け止められており、試着として『ハワイキ』でカッレラが民族衣装コルトに着替えた折には余りの美人度アップに普段着としての着用を求める声が一部で発生する程であった。
「……馬鹿老害め。余計な気を回しやがって」
「ん?何か言った?」
「ううん!?な、何でもない何でもない!」
「あっそ。…それにしても抜群に似合ってるね。女らしさに欠けるって心配されてたけど、これなら問題無いね」
「はぁ?私の何処が女らしさに欠けるってのよ。あんたの方が女らしさに欠けるでしょ?」
「少なくともあんたに比べたらあたしの方が女らしいよ」
「そういうのを五十歩百歩って言うのよね?」
エテノアに女らしさに欠けると指摘されてむかっ腹が立ったカッレラは売り言葉に買い言葉を実践するように反論する。
カッレラは特撮物に目が無い。ゾッコンである。特に勧善懲悪だけで語れない平成ライダーが大好物と来た。
そのせいか仲間内ではそうでも無いのだが、関わりの浅い他人へ向けての話し方が妙に固くなりがちになる。
特撮者に傾倒するあまり女らしさに欠ける事を仲間に心配されているが、気にしているのか指摘されると怒る。
エテノアもカッレラの性格は知っているのだが、カッレラが美人であるからこそそれを自ら損なっているように見えてしまっているのでついつい口を出してしまう。
「だったら勝負する?あんたとあたし、どっちが女らしさに富んでいるか白黒ハッキリつけようじゃないの」
「いいわよ。やってあげ……あっ。時間が!」
「えっ?…あっ、まずい!もうこんな時間!?」
戦う事に貪欲なカッレラと
プライドが高く何かと張り合おうとするエテノアは、尋常なる勝負にて『女らしさ』の優劣を着けようと意気込むが時間が押している事実に気付き、慌てて準備作業に専念する。
現代社会において、時間は分刻み・秒刻みで人々のスケジュールを区切っていく。これを蔑ろにする者は社会から爪弾きされるのである。
カッレラとエテノアは無言になって作業に没頭し、午後2時を過ぎた辺りで全ての作業を終える事ができた。一息吐いた2人は遅めの昼食を取ろうと外出準備を始める。
「そういえば。カッレラ。あんた『カレワラ』はどうしたの?『ハワイキ』へ置いて来た?」
「今頃聞く?ハァ…ここよ」
「うおっ?影から!?」
エテノアから『カレワラ』の所在を尋ねられたカッレラは溜息を吐きながらパチンと指を鳴らす。
音が波として伝わるようにカッレラの影を揺らし、黒い水溜りのような影から『カレワラ』が出現する。
「ダイダラボッチの伝承を利用した収納魔術よ。ダイダラボッチは手跡や足跡を残してその跡が水溜りや湖になる逸話があるでしょ?」
「成程成程。自分の跡を影と見立てて、影を収納ゾーンにしてしまう魔術ね。……この魔術があるなら、例の脱走時に霊装とか簡単に持ち出せてたんじゃない?」
「当時は未完成だったからね。ビッグスからアドバイス貰ってようやく完成したのよ」
「ビッグスの爺さんか。爺さん、影の魔術大好きっぽいしなー」
『カレワラ』を収納する魔術について議論を交わしながらカッレラとエテノアは身支度を整えた。
カッレラは普段着用するチアリーディングの衣装に着替え、エテノアは変わらずアイヌ衣装のまま。
多少目立つのは最早仕方無いと諦め、カッレラとエテノアは大ホールから出ようとドアノブに手を掛ける…と同時にノブがくるりと回った。
「あっ」
「あっ…久し振りねエテノア」
「雅じゃん!何でこんなに早く!?講演会はまだだぞ!?」
「あなたの事だから昼食なんてすっ飛ばして準備に掛かってそうだと思ったから…はいお昼ご飯」
「うおおぉっ!雅の手作り弁当なんて何年振りだろう!?」
「……あのぅ、身内か何か知らないけど私達を無視して話進めないでくれる?」
「ったく。こっちも腹減ってるのにぃ。早く食べよー食べよー」
ドアを開けてカッレラとエテノアの前に現れたのは『陰陽局』の魔術師である
黒獅子雅と
寄城魅憑。
目を白黒させるエテノアに黒獅子は可愛らしい風呂敷に包まれた弁当を渡す。友人として付き合いを持つエテノアと黒獅子の身内話に事情をよく知らないカッレラと寄城は2人を急かす。
客人の訪問を受けて再び大ホール内に戻ったカッレラ達は黒獅子お手製の弁当を机の上に広げながら遅めの昼食に取り掛かった。
「ほぅ、『陰陽局』か。日本には『
神道系』っていう魔術結社が古くから存在するのは知っていたが『陰陽局』は知らなかったな」
「正確には『神道系』にも『皇室派』、『出雲派』、『倭派』、『武家派』なんかに分類されるけどね。特に『皇室派』はここ東京にも本拠地を置いてるから色々気を使ってるわ」
「敵対してるわけじゃ無いんだろう?」
「一応ね。でも『皇室派』はその名の通り皇室の復権を目指している魔術結社よ。そして、あたし達『陰陽局』は立場的には政府寄り。下手をすれば一触即発の事態になりかねないから気を付ける必要があるのよ」
「そうか。同じ地域に思想が違う魔術結社が複数あるというのは面倒だな」
(カッレラの奴。何時まで外面モードを続けられるかな?)
昼食も終わり、食後の一時を身の上話で過ごしているカッレラ達の現在の話題は『陰陽局』と日本に存在する魔術結社について。
初対面という事もあって妙に固い言葉遣いに終始するカッレラを横目に、エテノアは旧友が入れてくれた茶を飲みながら自らも話題を投げ掛ける。
「カッレラは今まで陰陽師と会った事あったっけか?」
「うん?日本には今まで何度か来た事あるけど陰陽師とはこれが初対面よ。まぁ、大陸由来かつ日本で独自に発展した術の噂は以前から聞き及んでいたけどね」
「あたしもフィンランド出身の魔術師と会ったのはこれが初めてよ。えぇと、エテノアと同じく『多からなる一』に所属しているんだったわね」
「そうだ。改めて自己紹介しよう。私はカッレラだ。よろしく黒獅子」
「よろしくねカッレラ」
「っんぁ?さっきからあなた喋り方が変じゃない?緊張でもしてるの?」
「うっ!」
カッレラと黒獅子が握手を交わす中、一人沈黙していた和服幼女寄城がカッレラの口振りに違和感を持つ。
寄城で無くともエテノアに対する喋り方と黒獅子に対する喋り方が明らかに異なるのは素人目でもわかる。
そして、こういう時は『初対面だからちょっと緊張しちゃって~』と素直に認めるのが常套手段だがこんな時に限って素直になれないのがカッレラがカッレラたる所以である
「き、緊張などしていない!私の会話は昔からこんな風だ!」
「嘘だぁ。あなた絶対に緊張してる。ッふふ、隠さなくてもいいのよー」
「隠してなどいない!!私は至って平常心だ!!」
「ったく、こういう面倒臭そうなところがかえって可愛がられる要因なのかしらねぇ。っし、よしよし~」
「面倒臭くなんかないし!!そして頭を撫でるな!!」
自分より一回り小さそうな幼女に撫でられるレディーカッレラ。その顔は真っ赤に染まっている。
ズバズバと鋭い指摘を突き刺してくる寄城に反論しようにも、具体的に有効な反論が思い浮かべられない自分に愕然とするカッレラは仲間であるエテノアに視線で救いを求める。
カッレラが中々素直になれないタチである事を熟知しているエテノアなら、上手い言い訳を作ってくれるという期待の眼差しに応えるかのようにアイヌの魔術師は口を開く。
「そうなんだよ。カッレラって中々素直になれなくてさ。あたしも困っちゃうくらいで」
(エテノアー!!あんたぁぁー!!!)
「これ見てくれよ。さっきケータイで撮った写真なんだけどさ、カッレラすげぇ可愛いだろ?」
「っにこれ…お人形さんみたい。メチャ可愛い」
「だろ?コルトっていうフィンランドの民族衣装なんだけど、カッレラに抜群に似合ってるだろ?それなのに、着るのは今回限りだって言うんだよ。
そりゃ今の服装もカッレラらしくて良いと思うんだけど、時々こういう可愛らしい服を着てもいいと思うんだ。そうすれば絶対モテるよ、うん」
「っはぁ~。恥ずかしいんだ。皆に可愛い可愛いって持て囃されるのが恥ずかしいんだ」
(やーめーてー!!恥ずかしいいいいぃぃ!!!)
記念写真として携帯のカメラでコルトを着たカッレラと一緒に写真を撮ったエテノアは寄城に可愛らしい人形みたいな容姿のカッレラに目を丸くする。
今回の講演会にカッレラはコルトを着て出席するのだが、コルトの可愛らしさに当のカッレラが恥ずかしくなってしまっている。
普段はどちらかというと可愛い系統の服は着ないカッレラだが、いざ着用してみると抜群に似合っている。
爽やかな服を着てもとことん似合うカッレラはもっとオシャレしてもいいとエテノアやここにはいない『多からなる一』の同僚
アーシィ=リトルガーデンは常々考えているが、カッレラは中々首を縦に振らない。
よって、この度の任務はカッレラに可愛らしい服装をさせる絶好のチャンスでもあったわけだ。恥ずかしそうにモジモジしながらカメラの前に立った写真は永久保存版である。
「エテノア。あなた…人の事言えないじゃない。今までデートの1つもした事無い癖に」
「うっ!」
「えっ?それ本当?」
茹蛸のように顔を赤くするカッレラを半ばからかっていたエテノアに旧友からキツいお灸が据えられる。
黒獅子は旧友のかつての姿を思い出す。気になる異性について延々頭を悩ませながらもいざ相手の前に立つと自意識過剰になってしまう情けない姿を。
「本当よ。惚れやすい性格している癖に、異性との付き合いに設けているハードルが面倒臭いプライド並に高いのよねぇ」
「惚れやすくなんかないし!!面倒臭くなんかないし!!」
「嘘おっしゃい。気になった異性の前に立つと素直になれない余り脱兎の如く逃げ出しちゃって相手を置き去りにする事がしょっちゅうあったじゃない。
他にも『あなたはあたしに相応しくない』なんて自意識過剰もいいところの台詞を連発したり。
あれって『あたしはあなたに相応しくない』って言いたかったんだろうけど緊張し過ぎて自分でも何を言ってるのかわかってなかったっぽいのよね」
「プッ!エテノア…あんたも苦労してるのね」
「憐れみの視線を送ってくんな!!というか、あたしは今までアイヌ文化の保存活動に明け暮れてその手の話に縁が無かっただけっていうか!!」
「縁が無かったというか自分の手で縁を断ち切っていたの間違いよね」
「ププッ!何それ…マジ笑っちゃうんだけど……ププッ!」
「ったま固いなぁ。モテるモテない以前の話ねぇ」
「ねぇ」
(今まであたし側だった寄城がカッレラ側に!?)
黒獅子が明かすエテノアの恥ずかしい話に先程まで攻め込まれていたカッレラは反転攻勢に打って出る。そこに寄城も乗っかり、ますますエテノアは不利になる。
エテノア=ウナルペクは初心である。今まで異性と付き合った事は無く、付き合うとしたらそれはイコール結婚であるという考え方の持ち主である。
黒獅子にも若干呆れられている貞操観念の高さを持つエテノアは、間違い無くカッレラにモテる・モテないについて意見できるような立場には無いのだ。
「はいはい!もうこの話はお終い。互いに傷を抉るような展開を何時までも続けない」
「うっ!」
「ううぅっ!」
「私達が開催の何時間も前にここへ来たのはマジメな話もあったからーだしね」
カッレラとエテノア、互いのプライドを傷付け合う不毛な話は終わり、ここからは『多からなる一』と『陰陽局』の情報交換の場となる。
寄城が着ている和服から1匹のハツカ鼠が顔を出す。それは『陰陽局』の魔術師
小森咲子の式神。
小森と視覚や聴覚などを共有する鼠は情報交換の場において黒獅子達が必要以上の情報を『多からなる一』に与えないよう監視する役目を持つ。
「最近『
微睡み誘う暗闇』という魔術結社が活動を活発化させているわ。活動範囲は世界各地に及んでいる狂信的集団だから、日本にも触手を伸ばしてくるかも…」
「ローマ正教のシスターが3つの国で神の教えを広めた事を評価されて近々日本で最大規模の教会を建造する話がある…」
「一時期本格的な戦闘状態に陥っていた『
世界樹を焼き払う者』と『
革命者の王冠』がようやく沈静化したみたい。勝敗は不明だけど、どっちもしばらくは大人しくなるんじゃ…」
「『
イルミナティ』は相変わらず勢力を弱める事無くあちこちで活動しているみたい。『
必要悪の教会』も手を焼いているようね。あっ、でも最近何故か『イルミナティ』の活動が失敗続きっていう真偽不明の情報も…」
エテノアと黒獅子の魔術で外部にやり取りが漏れないよう細工しながら情報交換を行う魔術師達。
多数派の代表格である十字教を皮切りに様々な魔術結社の名が挙がる。どれもが何かしらの目的を掲げ集団活動している。それでいて魔法名に刻んだ個々人の信念を達成する為にいざとなれば結社を裏切ってでも動く魔術師は数多い。
そんな魔術結社の1つである『多からなる一』に所属する魔術師カッレラはポロッとこんな事を零した。
「大きいなぁ…」
「カッレラ?」
「いや…何ていうか、色んな宗教や文化の上に魔術結社は立っているんだなって。普段全然意識してなかったけど、改めて考えると凄く大きいっていうか多いっていうか」
「ったり前。魔術は基本文化や宗教を土台にしてるし。私の憑依体質も先人達が積み重ねた伝承をアレンジして魔術にする事でコントロールできているわー」
『カレワラ』を巡る事件を起こして捕まって謹慎させられて。カッレラはずっと考えている。少数派と呼ばれる文化や民族の誇りを取り戻す為にできる事はないかと。
イロに言われた事。『最終手段的な手法を採る前にできる事がないかもういっぺん考えてみろ』に対する答えは未だ出ていない。
それでも今一度自分達が守ろうとしているものの本質を捉える努力をしようと心に決めているカッレラは今回の非戦闘任務に文句一つ言わずに就いて活動している。
以前なら『私以外に適任者は幾らでもいる』と断っていたであろう任務にも真面目に取り組むカッレラは、確かに以前とは何かが変わっていた。
「うん。だから思うの。大きくなり過ぎて、多くなり過ぎて、皆が皆把握し切れなくて。そのせいで異なる宗教に恐怖や違和感を抱いちゃう原因になってるんじゃないかって」
「十字教は異教を悉く矮小化してるもんね。それ以外だと異教狩りや宗教裁判とかか。考えるだけで胸糞悪い」
「そもそも『宗教で人を殺せる』って宗教に馴染みの無い一般人からすると異常だと思われてもしょうがないかも」
「魔女狩りとかその典型例か。魔女だと勝手に判断されて勝手に殺されるって本当におかしい。中には魔術なんか齧っていない正真正銘の一般人もいた筈なのに」
「そうだね。だから…そうならないように私達『多からなる一』ももっと努力しないといけないんじゃないかって。
文化や宗教、民族の垣根を越えて新たな関係を築けるようどんどん努力を積み重ねていかないといけないんじゃないかって。いっその事、十字教さえ巻き込んで」
「カッレラ…あんたちょっと変わった?」
「…どうだろ。自分でもよくわかんないや」
カッレラの言葉が実現すれば、確かに多数派と少数派を取り巻く現状に何かしらの刺激を与えられるかもしれない。しかし、それは困難極まりない。
宗教・文化・民族。世界には数え切れない程の『存在』があり、把握し切れないからこそ『存在』に恐怖や違和感を抱く。
相互理解する気など最初から無く、異教だの異分子だのと勝手に屁理屈を付けて排除する。排除の為には殺人も厭わない。
『気に入らないから殺す』。異常なようでいて何処までもシンプルな、人間の欲求に従った排除心理の反映。
「とはいえ、カッレラもエテノアも敵対する魔術師を殺した事はあるでしょ?」
「…うん」
「まぁな」
「あたしもあるわ。どんなに理屈を捏ねたって殺人を行った事に変わりは無い。だから、せめてその行為を自己正当化する為の理屈が欲しい。
そうしないと自分で自分を制御できなくなるから。そういう自己防衛が魔女狩りや宗教裁判に発展した側面もあるんじゃない?」
故に、誰もが己の行為を正当化する為の理屈を欲しがる。『存在』を消滅させた言い訳を作りたがる。
その積み重ねが『多数派』と『少数派』を分かつ一要因となったのは否定できない。今の魔術業界の体制もまた、人間の心理が積み重ねて来た心象風景とも言い換えられるのかもしれない。
「っそ、本当に皆頭が固いなー」
「寄城…」
「ったく、自分で言うのも何だけど私は自分の事を人間的に最低の陰気ヤローと思ってるけどさー、それでも自分のやってる事に一々疑問なんて持たないなー」
気だるげに、覇気も無く、しかし揺らがない声色を響かせる寄城は欠伸をしながらカッレラ達の会話に混ざる。
数年前に親類が亡くなっている為天涯孤独の身になっている寄城。潜入任務により敵対組織を内部崩壊させる手腕を持つ寄城は、人の死で気分を悪くしても一々揺らいだりなどしない。
「疑問なんて持って戦ってたら、速攻で死ぬって。死にたくなかったら疑問なんて持たないのが一番。それで自分を殺すくらいなら疑問を殺して敵も殺す。
半日前に私の気分を悪くさせた『人面犬』もそう。飼い主を塵一つ残さずにこの世から消滅させてやる。っゆーわけで、脱線からいい加減戻ろうよーセンパイ」
「そ、そうね」
「『人面犬』?雅。何だそれ?」
「えぇとね。実は…」
リアリスト的な思考を持つ寄城に促され、旧友のエテノアの疑問に応えるように黒獅子は『人面犬』についてカッレラ達に情報を伝える。
カッレラもエテノアも眉間に皺を寄せる残虐な事件。それに魔術が関わっているのなら尚の事。粗方伝えるべき情報を話し終えた黒獅子は時計に目をやり、エテノアに講演会開催の時間が迫っている事を教える。
魔術師同士の情報交換が終了し、『人払い』の魔術を解除する。時間に追われながら最終準備を行うエテノア達を黒獅子達も手伝った。
「この度は本講演にご参加してくださり誠にありがとうございます!わたくし、主催のエテノア=ウナルペクと申します……」
定刻となり、大ホールに集まった聴衆にエテノアは開催の挨拶をした後アイヌとフィンランドの文化交流をテーマに置く講演会を進行していく。
カッレラはフィンランド人として再びコルトを着て壇上に上がりエテノアと言葉を交わし、聴衆席に座る黒獅子と寄城は2人の活躍を静かに見ていた。
1時間程の講演時間だったが、最後には聴衆から盛大な拍手を送られたエテノアとカッレラは共に笑顔を浮かべながら一礼する。
初めての体験ばかりだったカッレラは後に語る。『文化を守る手段を自分なりにもっと探っていかなきゃいけないと痛感した』と。
講演会も無事終了し、黒獅子達と別れたカッレラ達。東京郊外の宿泊用ホテルに帰り“身支度”を整えるとホテルから抜け出し、深夜の東京郊外を駆け巡り始める。
場所は世田谷区の一番西側。目と鼻の先には分厚い円周状の壁に覆われた科学の総本山学園都市が存在する。
「カッレラ。あんた今微妙な立場でしょ。あたし一人で大丈夫だって」
「そういうわけにもいかないでしょ。それに、私だって一般人を『人面犬』にする魔術師を放ってはおけない」
カッレラとエテノアが文字通り科学と魔術の境界線である学園都市付近を見回っているのは、『人面犬』がこの地域だけ出現していないからという単純な推測である。
無論『陰陽局』も知っており警戒は怠っていなかったのだが、皇居付近に『人面犬』が侵入したのを切欠に当面の優先警戒地域を23区内に設定せざるを得なくなった。
そこでエテノアとカッレラは自分達の意思で『人面犬』を操る魔術師の探索している。これは情報を提供してくれた黒獅子達にも知らせていない。
「…そうね。雅達、どうやら朝方まで『人面犬』の任務に就いていたみたい。それなのにあたし達の講演会に来てくれて弁当まで作ってくれた。ここで恩返しの1つでもしないとアイヌの血が廃るよ」
「そういえば、あんたと黒獅子って何処で知り合ったの?」
「あたしがアイヌのルーツを遡る旅の途中で出会ったの。アイヌの呪術って実は陰陽道の影響受けてるんだ。だからそのルーツは何処かなって本州を旅してたら雅と出会った。
もう10年くらい前かなぁ。同年代だったからすぐに仲良くなって。こうして互いに魔術師として活動するようになるとは当時は全く思わなかったけどね」
「ふ~ん。なら、やっぱり私も一肌脱がないと。仲間の友達の為にね」
「…そういえば寄城ってすごく胸でかかったなぁ。あの体型でアレは反則だよな」
「私も同意見……エテノア。あれ」
「あれ?……何か様子が変ね」
身の上話を交えつつ見回りを続けていたカッレラ達は深夜の路上で奇妙な人間を見付ける。自宅に帰るサラリーマンなのか、とある民家の玄関の前に座る男性。
しかし、その様子がおかしい。鼻息は荒く、ポタポタと涎を地面へ垂れる。何よりおかしいのは手を地面に付き、まるで『犬』のような雰囲気を醸し出している。
「『人面犬』か!エテノア!」
「わかってる!もう“配置に走らせたわ”!」
カッレラとエテノアは男性を『人面犬』と断定する。黒獅子達から齎された情報によると、『人面犬』となった人間は犬としての本能・特性を持つとの事。
帰巣本能や嗅覚を利用してとある
ウイルスの保菌者である『人面犬』の家族の居場所を特定させる事が可能である事がわかっている。
つまり、あの男性はこれから己の家族を襲って『人面犬』化させようとしているのだ。見回りに走って正解だったと判断するエテノアは魔術を発動する為に“己の魔術を走らせながら”自身も周囲を警戒しつつ民家へ駆け寄って行く。
カッレラも民家へ近付きながらダイダラボッチの伝承を利用した収納魔術『巨人の棲処(レイラボッチ)』を掛けている自身の影から魔道書原典『カレワラ』を取り出そうとする。
「ちょっと待ったお二人さん。こっから先は通行禁止だ。クヒヒッ」
「誰!?」
臨戦態勢に入りつつあったカッレラに近くの民家の上から男の声が投げ掛けられる。見た目は坊主頭の軽薄そうな日本人男性。
190センチ近い長身とやせぎすの体型という長身痩躯の魔術師が揃えられた白い歯をギリギリ擦り合わせながら気味の悪い笑い声を挙げる。
「進めない…!!魔術結界の類か!?」
「そうだ。『犬鳴集落の掟』…と言っても外人さんにはわからないか」
福岡県に犬鳴村伝説という都市伝説が存在する。簡潔に言えば『犬鳴村に立ち入った者は生きて帰る事ができない』というもの。
この都市伝説の中身の内『犬鳴村の住人は外部の人間との交流を一切遮断する』というエピソードを抽出し、『生きている“人間”は立ち入る事ができない結界』と解釈し、魔術として実用化している。
つまり人間では無くなった『人面犬』なら侵入する事は可能だが、人間であるカッレラやエテノアは結界の中に立ち入る事ができない。
逆に言えば人間で無ければ誰でも侵入可能なので魔術結界としては落第点。様々な魔術を操る魔術師を相手にする場合実用性に欠ける。
しかし、これは単一の魔術として見ると実用性に欠けるだけで他の神話や伝承を複合し作成する場合には馬鹿にできない代物になる可能性が確かにあるのだ(現在のところ『犬鳴集落の掟』へ組み込む神話や伝承は見付かっていないが)。
エテノア達が結界に気付かなかったのは、この結界魔術がとある『基点』を媒介とし魔術師の任意で発動するタイプだったからである。
「エテノア!ここは一先ず私があいつを抑える。あんたは何とかしてあの結界を破って『人面犬』を止めて!!結界はあんたの十八番でもあるでしょ!!」
「カッレラ!…気を付けて!!」
「うん!」
今まさに愛すべき我が家を襲撃しようとしている『人面犬』を抑えるには結界魔術『犬鳴集落の掟』を破らなければならない。そして、結界魔術に関してはエテノアの十八番分野でもある。
何せ、エテノアが操る魔術は古来より外部からの影響を封じる又は内部に霊魂や霊力・魔力等を封入する境界的な役割を有する―結界魔術に通じる―『紐』を最重要視しているからだ。
ならば、あの『人面犬』はエテノアに任せてカッレラは『人面犬』を操る張本人を潰す役目を背負う方が効率的だ。
「あんたが『人面犬』の飼い主ってわけね」
「おうさ。名前まで知られているとは光栄だねぇ。まぁ、『人面犬』ってのは魔術師なら見りゃわかるか。クヒヒッ。
そう…『人面犬』は俺の最高傑作の1つだ。これからお前やあの女もじっくり味わう事になる都市伝説だ」
影から魔道書原典『カレワラ』を浮上させるカッレラを眺め、両手を広げて自身の魔術をお披露目する魔術師虐祇百太郎。
『ワケわかんねぇ』が満ちたオモシロい世界を作る為に『人面犬』騒動を引き起こした張本人たる虐祇の後方から何体もの『人面犬』が現れる。
いや。違う。それだけには収まらない。何時の間にかエテノアやカッレラを取り囲むように周囲の民家の屋根に何十体もの『人面犬』が夜の闇から出現する。
『人払い』系の魔術によって一般人は全て眠らされている。つまり、『人面犬』に他の民家に住む住人を襲わせないようにカッレラとエテノアは気を払う必要がある。
事態が想像以上に悪い事に歯噛みする『多からなる一』の魔術師達を前に、都市伝説『人面犬』を思うが儘に操る虐祇は獲物であるカッレラ達を嘲りながら今宵の狩りを宣言する。
「悪いな、お前には何の恨みも縁もないんだが……まぁ都市伝説ってのは基本的に理不尽なトコあるから、まぁ車に轢かれた程度の感覚でヨロシク頼むぜ」
~とある魔術の日常風景 異説「レジェンダリー・ヒューマンドッグズⅢ」~
…to be continued
最終更新:2016年02月26日 23:26