「こんばんわ、ビスマルク姉様。
 U-556(カメラード)には悪いですが、貴女を沈めます」
「貴女……もしかして」

 そこには泣きそうとも嬉しそうとも言えない表情をしている艦娘がいた。
 肌は焼けているが見覚えのある顔だった。
 水着にセーラー服という奇抜なファッションだけど、彼女の名前は────


U-511ね」
「名前の後に『オルタ』が付きますが、そうですユーちゃんです」


 天真爛漫な笑みを浮かべ彼女はビスマルクに応える。
 しかし、これはサーヴァントの反応だ。加えてこの悪臭。


「あなた、ヘドラの……」
「はい、お察しの通りですよビスマルク姉様」
「なぜ────なんで! 栄えあるユーボートの貴女がそんなモノに」


 祖国が誇る潜水艇ユーボート。それが今では怪物の眷族まで堕ちたなど考えたくはなかった。
 だからビスマルクは問う。否定してほしくて。
 なのに、彼女はあろうことか、その形を肯定し始める。


「〝栄えあるユーボート〟ですか……生憎と私はそう思いません。
 むしろ、これこそが真の栄光を掴み取るに相応しい姿ですよ」


 ユーボートの内部からドイツ海軍の軍服が出てきて、水着やセーラー服が千切れた。
 笑みや肌の色、髪はそのまま、服装がU-511の姿に変わる。おそらく、あの姿こそが、彼女の今の霊基に相応しい姿なのだろう。


「さて、では沈んでもらいますよ、姉様♪」
「────」


 可愛らしい笑顔のまま、純粋な殺意がぶつけられている。
 歪みが見えない笑顔と殺気が逆にどれだけ彼女が歪んでしまったかを表していた。

 咄嗟の悪寒にビスマルクは後方へとステップすると、数秒前に彼女がいた場所が爆発した。
 爆炎や煙ではなく、ヘドロが湧水のように爆発的に湧いたのだ。避けなければどうなっていたのかなど考えたくない。


「本気なのね」
「軍人(われわれ)が手抜きなどありえますか?」
「そう、ね。まぁお互いサーヴァントだし、いつか潰し合うものなのでしょうけど、でも一言いいかしら?」
「Ja」
「では、お言葉に甘えて」


 すぅーと息を吸って。


「深海棲艦に与するとはそれでも艦娘か!
 敵兵に頭を垂れるなど、それでもユーボートの一員か!
 粛清してあげるから覚悟しなさい!!」


 大戦艦ビスマルクの喝が雷鳴のように天地を響かす。
 普段の柔らかい口調からは出てこない、厳格な糾弾だった。
 同時、停止していたビスマルク・ツヴァイの全兵装が稼動を開始する。タービンが回り、地鳴りを思わせる駆動音が周囲を振動させる。

 ビスマルクは本気だ。
 決して黒騎士との戦いで手を抜いていたわけではない。されどこれは別種の全霊。
 サーヴァントの役割ではなくドイツ海軍戦艦の誇りが彼女の機関内で過去最高の燃焼を引き起こしている。


「身内の始末に付き合わせちゃってごめんなさいね」
「気にしないでください。私が貴方のマスターですから」
「ありがとう、見守ってちょうだい」


 ここにいる三人は総て艦娘。
 故に彼我の戦況分析が可能だった。
 ユー・オルタは陸地でも潜水できることにより機動力が落ちない。それどころか潜水艦であるため夜戦の恩恵がある。
 反面、陸地であるためビスマルクは艤装を外しているため機動力は落ちている。
 つまり、距離を取っての撃ち合いはビスマルクがかなり不利だ。
 しかも潜水艦であるユーの潜水を許せばどこから来るかも分からない攻撃に対処しなくてはならない。


(つまりこの場合────)
(ビスマルク姉様は────)
(接近戦で直接撃ち込んであげるわ!!)


 ビスマルクが思いっきり──地面に足跡が残るほど──踏み込み、跳躍した。
 矢の如く跳び、衝撃波を撒き散らしながらビスマルクはユー・オルタへと接近する。




 迅い。なるほど、これほどの脚力ならば足の艤装を外してても十二分に戦える。
 自分が地中潜行する前にカタを着けるつもりだ。
 無論、ユーとてそれは予想の範囲内である。ユーの攻撃は既に完了している。


「Feuer!」


 既に発射していた魚雷を自爆させた。ビスマルクの前方に突如としてヘドロの水柱がバリケードとなって出現する。
 これでお姉様が来る前に潜れるはずと思った瞬間に壁の反対側から爆風が発生した。ビスマルクの38㎝連装砲が火を吹いたのだ。
 頼みのヘドロ水柱は根元から吹き飛ばされ、水柱に含まれていた硫化化合物が一斉に引火する。

 ────読まれていた!?
 ユーは咄嗟のことに動揺し、もはや火柱と化した前方からビスマルクの接近を許してしまう。
 ビスマルクが気合いを吼え上げて、右の鉄拳が繰り出される。
 こちらも左掌で受け止める。戦艦のパワーを受け止めたユーの左腕数ヶ所から爆竹のようにパァンと血飛沫が飛ぶ。

「────フ」

 多大なダメージを負ったが、ヘドロとヘドラがある限り修復され続ける。それ以上にビスマルクの拳を捕らえられたことに価値がある。
 ユーにはスキル『腐毒の肉』がある。接触し続ければビスマルクの手は溶解する。つまりビスマルクの片手を潰せるのだ。
 筋力差があるため強引に手を離されるだろう。だが食い付き続ければその分ダメージを与えられるはずだ。
 と思ったその時、ビスマルクは強引に手を開き、指を絡ませてむしろ離さないように手を繋いだ。
 俗に言う恋人繋ぎをしたビスマルクに困惑するのも束の間。ビスマルクの左副砲が動き出しようやく理解した。


 ────右手を犠牲にしてでもビスマルク姉様は私を倒すつもりなんだ。


 彼女に本気を出させたことに喜んでいいのか、本気で殺されそうなことに嘆いていいのかわからず、されど殺られるわけにもいかないユーは魚雷を作って左副砲の砲口にねじ込んだ。
 砲撃が為され間一髪のところで魚雷が盾となって直撃を免れる。


「が、ぁ」
「うぅ」


 ユーは右腕、ビスマルクは左の艤装が無くなった。
 痛み分け? いいや、否。
 ビスマルクは衝撃を利用して右手を思いっきり引き、ユーの左腕を丸ごと引きちぎった。

「づぅ……まだですって!」

 両腕を失ったユーだが、即座に腕が修復を開始する。ドロリと腕……というよりも五指のあるヘドロの塊が傷口から湧いてきた。
 ヘドロ腕が大きく振るわれ、腕を千切ったばかりのビスマルクはかわせず、思いっきりはたかれる。
 ビンタと呼ぶには大きすぎる衝撃音が発され、ビスマルクの体が地面に足を着けたまま、数メートル下がった。




 脳がぐらんぐらんする。口から割れた歯が血と共に飛び出た。唇は裂けていて、更にヘドロが傷口を広げる。
 やるじゃない、と口を拭いながら内心で相手の評価を上げた。このユーは強いわ。
 目を地面に向ければユーの足元がズブズブと沈み始めている。


「ビスマルク姉様は先ほど誇りと責任をユーに説いてらっしゃいましたが……」


 ────まずいわね。相手に距離と時間を与えてしまったわ。ユー・オルタは潜り始めている。
 潜られては私の勝率は格段下がる。潜るより先に倒すしかないけど、今からでは接近しても間に合わないわね。


「では私からも一つ言わせてもらいます」


 ────38㎝連装砲は既に再装填が済んでいる。
 この距離からなら威力は十分よ。殺れる。沈めてみせるわ。
 私はドイツが誇るビスマルク級超弩級戦艦ネームシップ。
 その名はかの《鉄血宰相》の御名を頂いたのよ。喩え敵が…………彼女であろうと倒してみせるわ。

 そうビスマルクが決意し、砲を向けた時、ユーが何か喋っているのに彼女は気づいてしまった。


「貴方に何が分かるんですか」
「え?」


 あろうことか耳を傾けてしまった。




「貴方に何が分かるんですか!
 祖国のために死ねた貴方に! 私の……U-511の一体何が分かるんですか!!」
「──────」




 直前に何を喋っていたかなど知らないが、これは致命傷だ。
 ユーの内包していた嫉妬の念量はビスマルクの想像を遥かに超えていた。
 その事実を叩きつけられ、驚愕して空白ができる。


「ライダー!」


 マスターの声でハッと我に変えるも既に手遅れ。
 ユーは既に潜行を終えて姿を消していた。

 ────────ああ、なんて、無様。
 戦場で呆けるなんてあるまじき失態だわ。
 気が緩んだ? いいえ、そんなことはない。
 ただ、ユーの事を私がよく知らなかっただけ。
 ……ユーの事を多少低く見ていたことは事実よ。
 だって私は『ビスマルク』。誰よりも偉くなくてはならないんだから。
 だけど私が驚いたのはユーの強さでも、嫉妬深さでもなくて──────いいや、考えるのはよそう。
 私が為すべきこと、為さなくてはならないことは別にある。だから。


「吹雪。貴方は先へ行きなさい」
「どうしてですか。私も此所にいます」
「貴方には貴方の為すべきことはあるわ。因縁なんでしょ、あの空母ヲ級とは。なら行きなさい」
「ならば勝ってから、一緒に行けばいいじゃないですか! ライダーの言うことはまるで────」


 まるでこれから死ににいくような者の言い分だ。
 それはマスターとしても艦娘(せんゆう)としても容認できない。


「死ぬつもりは無いわ、ただ此所にいると私の攻撃に貴方を巻き込んでしまう。
 そんなことしたら私が私を許せなくなるのよ」


 ビスマルクが背中で語る。
 これより修羅に入る、故に足手まといは不要だと。
 戦力外通告を受けた吹雪は悔しがりながらも神妙な顔になり敬礼した。


「分かりました。必ず帰ってきてください」
「当然よ。ああ、でも先に謝っておくわ。たくさん魔力貰うわよ。知っての通り大食いでね」
「ええ、好きなだけ持っていってください。御武運を!」


 吹雪が駆けていく音を背中で受けながらビスマルクは微笑みを浮かべた。
 どうやらユーは吹雪を追うつもりは無いらしい。気配遮断スキルが用を成さないほどの濃い魔力とヘドロやミストがこの場所へと集束している。
 サーヴァントのいないマスターなんかがヘドラを倒せるはずがないと思っているのか。


「あるいは、ここで私を倒すつもりなのかしら」




 なぜ、あんなことを言ってしまったんだろう


 ユーには分からない。誇りも威容も無いユーにはビスマルク姉様の在り方は眩しすぎた。


 思い出すのは、そう。昼過ぎの、あの戦い。
 ビスマルク姉様と他の艦娘が深海棲艦と戦い、U-511はというと深海棲艦を煽って彼女達にぶつけるだけ。
 彼女達は水上(ヒカリ)、私は海中(ヤミ)。己と艦娘にあるまじき行為と彼女達の奮戦に自分の屑さが浮き彫りになっていく。

 ──────羨ましい。純粋にそう感じたのだ。
 だからこそ、私はこの道を選んだ。
 ユーは取り戻すのだ栄光を! あるべきだった己の価値を!
 あの日見失った帰り道を、海の底から見つけ出そう!


「魔弾形式(ツアープラン)──牙を立てる灰色狼(ヴルフゲレート・グラウヴォルフ)!!」


 持ちうる全てのヘドロを込めて。
 母艦から絞り取れるだけ魔力を込めて『U-511』の宝具『WG42』を作る。
 全力全開。宝具『WG42』のサイズが本来より三回りほど大きくなる。
 ここまで拡張しなければビスマルクの装甲を貫通することなど不可能だ。同時に巨大化させることでWG42の命中率と射程を引き延ばすことも兼ねている。


「これで……勝ちますよ、姉様! 」




 なぜ私は動けなかったのか。
 彼女の嫉妬に押されたのか。

 前述の通り、ユーの事を下に見ていた。
 軍とは則ち縦社会だ。必ず上と下がいて、下が働き上が指揮を取る。
 当然、艦娘でもその原則は変わらない。旗艦とそれ以外、あるいは提督と艦娘というようにハッキリと形に表れる。
 サーヴァントとなり、異なるマスターに召喚された二人であるが、それでも序列は決まっていた。
 ビスマルクという名を持つ己。己を姉と呼ぶU-511。召喚前から互いに上下関係を理解していた。


 そんなこと分かっている。
 それでも、彼女は同胞で、戦艦(わたし)にはできないことがたくさんあった。
 羨んでいたのはU-511だけではない。道半ばで沈み、大戦の結末を見届けることができなかったビスマルクもまたUボートに羨望していた。
 それは大戦後まで出撃できなかったU-511に対する皮肉ではない。彼女達は多くの戦場で、多くの作戦で愛された故に大量生産され、その結果生き残ったのだ。
 数が多いというのはそれだけ必要とされたこと。名が残るというのはそれだけ役に立ったということ。

 私に出来ないことを彼女達はできるわ。
 彼女達に出来ないことを私はできるわ。
 ならば、互いにできることをやるだけよ。
 羨みながらも己を誇り、己を誇りながらもUボート達を認めていた。
 だからユーの怨念めいた嫉妬は予想外だった。あの子もきっと同じ思いだと信じていた故に。


「結局は私の勘違いだったのかしら」


 目を閉じ、一隻の潜水艦を思い出す。私を守ると誓ってくれたUボートを。
 あのブレスト沖で沈みゆく私に、武装が無いことに悔し泣きしながら見届けた彼女を。


 ───フン、戦場で感傷とは緩んだわね私。彼女は彼女、U-511はU-511。同一艦でも彼女らは違う。
 それでもユーを認めているからこそ全力で! 辱しめないように倒すとここに誓う。私は『ビスマルク』なのだから。
 あなたが失った帰り道を、海の上から見せてあげる!


「魔弾、装填!」


 持ちうる全ての魔力を砲弾に込める。
 依然、ユーの居場所は分からない。ならばどうやって勝つか。
 答えは単純にして蛮脳極まるもの。すなわち、全て吹き飛ばせばいいという暴論だ。
 ユーの宝具は分からないが、彼女が呂500ではなくU-511を名乗る以上、必ずWG42を使ってくる。あの火器の命中率の低さ、ビスマルクの装甲を考えるに射程は精々10~15メートル。裏を返せば射程15メートル内には必ずいるということだ。

 回路接続(タービン・セット)。
 魔力を込める。魔弾以外の全ての機関を停止させ、装填させている砲以外の艤装が落ちて消滅する。
 手足、いや全身が薄くなり魔力不足で実体化すら危うい状況まで込める。

 そこまでして何故魔力を込めるか。
 地面を丸ごと吹き飛ばすだけなのに。
 などと言うは易し。識者には不可能に等しい問題があることに気付くだろう。
 それは砲弾の作れるクレーターの大きさだ。ビスマルクの艤装で最大のものは38㎝連装砲だ。
 一発で都市区画を木っ端微塵に変える世界最大の火砲──80㎝列車砲『ドーラ』の4.8トン榴爆弾ですら深さ10メートルまでしか届かない。
 ましてやドーラの半分以下の口径で何ができようか。己の限界を超えねば潜水艦と同じ土俵にすら立てないのだ。

「ぐ、ああ、あああああぁぁァ!」

 沸騰する血液(オイル)
 火花(スパーク)を散らす神経。
 焼ききれそうなほどの熱量を帯びる砲身。
 なのに背筋からは絶えず悪寒が走り、脳髄からはアラートが鳴り響く。
 意識が薄れかけ、視界から色が削れていく。


 ────────死ぬ。


 自殺紛いの全力発揮。
 そこまでしても全く足りない。
 想定以上のスペックを出すことなど兵器ではどだい不可能なのである。
 だが、忘れること勿れ。彼女は物言わない兵器ではなく英霊。スペック不足など元より承知。故にここに反則技を行使する。


「霊基再臨、最終再臨────『第三改造(ビスマルク・ドライ)』!」


 彼女が変生(かわ)る。
 消えかけていた船体(カラダ)が実体を取り戻し、砲弾のために解きほぐされた艤装達もまた甦る。
 つまり『全回復』だ。当然ながら保有魔力量も満タン、それどころか器が大きくなったことで増えている。
 再臨前のまま残っているのは渾身の魔力を込めた砲弾。そこへ更に魔力を込める。


「何とか、なりそうね」


 危険な賭けだった。一歩間違えれば自滅するほどの。もしこの瞬間にユーが撃っていたら終わっていたに違いない。
 しかし、自殺スレスレの所業なくばビスマルクといえど潜水艦に打ち勝つことは不可能に等しい。
 この戦場は汚染された黒騎士の戦場。場の支配率はユーが8割、ビスマルクが2割程度だ。つまり周囲の魔力を利用することは極めて困難。
 加えて潜水艦の潜行能力と気配遮断、地面という壁はビスマルクの勝利を彼方に追いやる。

 仕方無いわ。でも負けるのは嫌だから殺られる前に燃え尽きてみせましょうとそう決意して彼女はユー・オルタに〝挑んだ〟。
 さぁ、結果発表の時だ。砲弾を込めて直下の地面へ向ける。


「装填完了。さぁ、行くわよユー!」


 衝撃波や反動で己が傷付くなど微塵も恐れず、彼女は引き金に指をかける。




 奇しくも、あるいは当然の流れで二人は同時に発射した。
 両者ともに必殺の意思を乗せた一射である。


 ────さあ、深海(チ)へ沈め祖国代表(ビスマルク)!

 ここにあるのは亡霊の執念。

 奈落(カイテイ)へ引きずりこむ亡者の腕(かいな)と知るがいい!


                                                          ────いざ、水上(テン)を仰げ祖国代表(ユーボート)!

                                                          今振り降ろされるは鋼の大牙。

                                                          かつては四海に轟き、そして此処では大地を穿つ!

                                                          天(スイジョウ)の轟砲を知るがいい!


 二つの魔弾が地面を打ち砕いた。ユーとビスマルクの間を遮る全てが崩壊する。
 アスファルトが、その下の土が、握りしめた角砂糖のように粉微塵になって天高くまで巻きあげられる。
 轟爆の炎と衝撃。爆熱と腐毒で溶解していく総て。
 そのあまりの破壊力に大気も物質も音ついていかず無音の時間が一瞬だけ誕生した。
 大気と音が蘇った時、壮絶な破壊痕の上で一人が臥し、一人が立っていた。




 ビスマルクの艤装が次々と外れ、抉られた大地へ落ちる。
 焼け焦げた軍帽が、空高くから雪のように地面に着地した。
 自身の体重すら支えきれず、遂に膝を屈する。
 端正な顔は煤で、美しい髪は泥で汚れ、軍服もまた至るところが溶けていた。
 溶けている原因はユー・オルタの砲撃だけではなく、自身の砲撃で発生した熱も含まれている。

 サーヴァントでなければとうに破れていたであろう鼓膜が空気のうねりを聞く。破壊によって真空状態だったこの場に大気が戻ってきたのだ。
 そしてこれまたサーヴァントでなければ焼かれていただろう網膜が、大地に臥すユーの姿を捉えた。
 左肩と右腰を繋いだ線から下が消滅していた。その傷口は内臓や骨格といった人間の死体を思わせるものは一切なく、水銀のような汚泥で埋め尽くされていた。
 気絶でもしているのだろうか、目は閉ざされ、呼吸でなだらかな胸が上下していた。


「私の勝ちよ、ユー」


 吹き荒ぶ風の中、ビスマルクは優雅に勝利を宣言した。
 ヘドロも無く、損壊したユーにもう何もできまい────








 ──────いいえ、まだですって!







 ガバッと起き上がったユーが叫んだ。同時に失われた腕が再生する。
 しかし、生えた腕まるで別人の腕だった。まず大きさや骨格からして成人男性のもので袖が通っている服もドイツ帝国海軍とは全く別のもの。
 腕の軍服を起点に次々と同じ軍服が生えてきてユーの上半身をすっぽりと覆った。ビスマルクはその服を制服とする組織を知っていた。


「ゲゼルシャフト……! そうか、貴方のマスターは!」
「ええ、御察しの通りです!」


 ならばユー・オルタの左腕に巻き付いたものが何を示しているかなど考えるまでもない。
 半分溶けているがあれはおそらくゲゼルシャフトの兵器────電光機関だ。

 バチバチと火花が爆ぜる音と共にユーの左手に赫黒い雷球が生じる。
 同時に半壊していた電光機関の各部から火花が噴き出た。火花に焼かれて損壊していたユーの肉体が燃える。ヘドラの特性を有した彼女にとってそれは地獄の責め苦だろう。 ユーの命を吸って赫い雷球は膨れ上がり、ユーの魔力を帯びて魔術的にも破壊力を高めていく。受ければただでは済むまい。
 しかし受ければの問題だ。ユーは下半身を失っているため自由に動けない。逆にビスマルクは健在だ。ユーの攻撃の射程範囲から逃れるだけで勝利が確定する。
 だから足を動かしたその時。


「それが“ビスマルク”の誇りですか──姉様」


 怒りも悲しみも含んだ声がビスマルクの足を止める。


「ドイツの誉れを背負っていながら死に損ないの潜水艦一隻から逃げるんですか?

 『私達』は違いましたよ。例え相手が商船であろうと沈めました。

 敵に怯えて深海深くに潜り、鼠のように死んだふりをすることも有ります。

 沈めば最後、誰にも気付かれず、残骸すら拾われずに暗い海の底で眠った姉妹もいます

 ────だけど!!!」


 ユーは苦しさを打ち消すように叫んだ。
 体の続く限り、魂の続く限り、叫んだ。


「それがユー達の誇りなのです!

 たとえ水上(おもて)で活躍出来なくても!

 たとえ人知れず終わるとしても!

 たとえ祖国に帰れず海の藻屑となっても!

 ユー達は勝つために戦ったのです!!

 それからビスマルクは逃げるんですか!」


 引き止めるための挑発──────などという安いものではない。 
 あれは正しく魂の咆哮。そして総てを込めた最期の一撃だ。
 電光機関に命を吸われ、電光機関に体を焼かれる彼女。それでも彼女はビスマルクの魂へと訴えている。


「わかったわ。要はこうでしょ、“白黒ハッキリ着けましょうって“」


 死に損ないの悪あがきに付き合うつもりは無い。だが、魂を賭けた戦いならば──


「いいわよ、受けて立つわ」


 是非もなし。
 艦娘とは魂を受け継いだ者。その魂がユーとの決着を望んでいる。


「ユー ── 私も誇りを賭けて貴方に勝つ!」


 全てを出しきった今、ビスマルクに策など無い。ただ魔力を込めて撃ち抜くのみ。
 装填されるたった一発の砲弾。中身はスカスカで、されど万感の思いが込められている。


「「Feuer!!」」


 二度目の砲雷撃が衝突した。




 雷球と砲弾が衝突した後、小さなクレーターが出来ていた。
 パチパチと放電現象が残留していたそこを越えて遂にビスマルクはユーの側へと立つ。


「今度こそ私の勝ちね」
「ええ、そしてユーの敗北ですね。流石はビスマルク姉様です」


 ボロリと見た目に反して砂城のようにユーの体は崩れていく。
 首から皹が入り、瞼まで届いているがユーは笑顔だった。
 ビスマルクは痛む体を何とか動かしてユーの傍に寄り、腰を下ろす。
 ユーの目は既に光を発していない。ソナー音だけでビスマルクを観ている。


「やっぱりユーではビスマルク姉様に勝てませんてましたね」
「じゃあ何で挑んだの?」
「さぁ、何ででしょう」


 死にたかったのか。生きたかったのか。
 勝ちたかったのか。負けたかったのか。
 ただ一つ言えることは何もかも出しきっての決着にお互い不満は無いということだ。
 ここに至ってユー・オルタの殺気は霧散している。
 その時、ビスマルクにふと天啓的な閃きが舞い降りた。


「今思ったんだけど……貴方がサーヴァントなのって多分、U-511や呂500としてではないわよね?」
「え?」
「貴方の言う通り、U-511は大きな戦果を挙げていない。呂500もね。
 ならば貴方が英霊になるほど信仰を集めたのは艦娘としてじゃないの?」
「でもユーは」
「U-511として此処に召喚された、でしょ。
 当然じゃない、艦娘なんて改修と改造して強くなるんだから。
 それこそ物語の主人公みたいにU-511から頑張って呂500で大成したってだけでしょう」
「────────は。はは」


 ああ、なんたる盲点。
 考えれば思い当たる点はいくつもある。
 たとえば、U-511 の完成形が呂500にも関わらず、何故か野戦能力や被虐体質のスキルを持っていること。
 たとえば、宝具が呂500の武装であること────あの時、一度も出撃したことなんてなかったのに。

 U-511の全盛期は間違いなく日本に到着するまでの期間だ。
 なのに究極系は出撃していない呂500で、しかも未知の武器を有している矛盾。
 そこから出る結論は至極単純なもの。


「貴方は間違いなく、いつか、どこかの海で呂500の艦娘として戦果を挙げるわ。
 だから貴方は英霊なのよ」


 なんということはない。
 自身が英霊として祀られるのが未知の海だというだけのこと。
 オルタ化していない呂500なら知っていたのかもしれない。
 ああ、やっぱりマスターの言う通り私は馬鹿だなぁと思ったその時。


〝夏がきたわ!〟
〝潜っちゃうよ! どぼーん〟
〝あ。401! ええい、私だって潜ったらすごいんだから!〟
〝イクも潜水しよっと〟
〝ねえねえねえ、哨戒しちゃう?〟
〝ゴーヤ、潜りまーす。あれ、あの子は?〟
〝ドイツ海軍のUボート、潜水艦U-511……です。頑張って、ここまで来ました。〟


 一瞬、走馬灯のように海が見えた。呉(ここ)ではない、見覚えのある南の島の海。

 そこでユーは提督と彼女達に会って。

 彼女達と歩んで。

 彼女達から学ぶ。

 提督の命を受けて出撃し、彼女達と共に勝利を味わう。

 ああ、それはなんて────


「ああ、あは、あははははは、なんだ。
 ユーの……夢は…………もう叶っていたんですね」


 ならば良し。その未来(こたえ)に不満なし。
 その未来に祝福あれ。その戦役に参陣する全ての戦友に武運あれ。


   Kommt die Kunde, daß ich bin gefallen,
   (私が海で散ったと)

   Daß ich schlafe in der Meeresflut,
   (轟沈の報せが届いても、)

   Weine nicht um mich, mein Schatz, und denke:
   (愛するあなた、どうか泣かずに誇ってください、)

   Für das Vaterland da floß sein Blut.
   (祖国の為に私は死ぬことができたんだと。)


 かつてドイツで歌われた軍歌を讃美歌に、笑って、泣いて、そして彼女は最後の部品を散らせた。
 それを見届けるのはドイツ最強の軍艦『ビスマルク』。


「Leb' wohl, mein Schatz, leb' wohl mein Schatz, Leb' wohl, lebe wohl.
 (さようなら愛する人、さようなら、お元気で)

 ……次会うときは一緒に戦えるといいわね」


 塵と化し、潮風に乗って飛んでいく彼女の残滓を見送った。
 遥かな星へと向かっていく彼女を。


【ユー・オルタ 消滅】




 ビスマルクはクレーターの中心で空を見上げたまま、大きく息を吸って、そして吐く。
 どうやらユーはこのあたりの汚染物質すべてを注ぎ込んだらしく、空気も水も正常なものへと戻っていた。
 戦いの音は止んでいる。夜の静寂が今は心地いい。
 だが、そこに────


「流石は戦艦ビスマルク。お見事でしたとも」


 柔和な男の声が響いた。急いで振り向いた時、首をつかまれ持ち上げられる。
 長身の男だ。隣はばつの悪そうな顔をしている少女が立っていた。


「が、は」


 まったく接近を気づかなかった。
 アサシン? いいや違う。こいつは。


「ああ、良い。実に良いですね。英霊の魂を喰らう気分は。確かこの国では『棚からぼたもち』というのでしたか?」


 カソックを着た邪なる神父がそこにいた。
 知っている……この男の貌を知っている。
 黄金の獣。首切り役人。その真名は


「ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ……!」


 第二次世界大戦で暗殺された将軍がそこにいた。
 だが、この男が神父であるなど聞いたことがないし悪い冗談にもほどがある。


「おや、あなたにも首領閣下の神名は届いていましたか。
 まあ、半分正解だと申しましょう。あなたの言う通り、この肉体は首領閣下のものでありますが、私の名はヴァレリア・トリファと申します。
 ああ、許して下さいデリュージ。さすがにこの誤解は正さねばなりますまい」


 ヴァレリア・トリファ? 首領閣下?
 こいつは何を言っている。


「まあ、冥土の土産です。どこぞの劣等よりも同胞の手にかかって逝く方が貴方も本望でしょう」


 首が締まる。空いている片手がビスマルクの胸部装甲を貫こうと放たれたその時


「おい」


 神父がぶっ飛んだ。
 捕まっていたビスマルクも1メートルほど飛ばされたが、ヴァレリア・トリファは優にその数十倍の距離を飛翔していた。
 動揺する神父のマスター。その前に現れたのは赤い少女とそのサーヴァント。


「あっちの相手はあんたに任せるよランサー」


 頷いた英霊は飛ぶように、神父の元へと向かう。
 赤い少女の手元に槍が炎と共に出現する。

「────ッ!」

 青い少女は危機を悟った。
 青い少女の手元に槍が氷と共に出現する。


「こいつはあたしが貰う」


 少女達は、互いに穂先を向けあった。



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第二戦局点 強欲搾取列島 ブラックライダー 【1日目】 幕間 灰になった日常、凍りついた思い出

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最終更新:2017年05月14日 11:56