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オリパラ、万博、イベント資本主義

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【オリパラ、万博はなぜやめられないか?】

人工知能に文字起こしさせてみた。いろいろ間違いはあるけれど、そのまま引用しておきます。実際、言っていない部分もAI創作してしまうところが怖い。(一部残してあります。) の文字起こしです。間違いが多いので文章は参考程度にして、Youtubeを見てください。

#報道1930
「祝賀資本主義」の提唱者・ボイコフ教授

もし私が大阪に住んでいたら、自分の税金がかなり裕福な人たちを潤し社会に腐敗的な影響を与える産業を定着させることを約束したプロジェクトに使われることを喜べないでしょう。

「祝賀資本主義」の日本

民主主義のプロセスを無視して超法規的な措置が可能になり、国民の税金を投入して利益を得るのは国民ではなく一部の既得権者であること」ボイコフ教授

「大阪・関西万博まで1年」現場は?なぜ脱却できない?“イベント資本主義


     *     *     *

『「大阪・関西万博まで1年」現場は?なぜ脱却できない?“イベント資本主義”』

▽大阪万博と東京五輪の共通点は「巨額の資金調達構造」
▽祭は日本の心の原点?戦後途切れない国際イベントの招致活動
▽当事者証言:中止されたメガイベント“世界都市博”の裏側
 青島知事(当時)が見た「推進派資料」1mの紙の山

【ゲスト】
片山善博(元総務大臣)
吉見俊哉(国学院大学教授)
司会 松原耕二 出水麻衣(女性キャスター)
ニュース解説 堤伸輔
ゲスト ジュールズ・ボイコフ
ゲスト パトリック・ハーラン (パックン)
関西万博 イベント

司会者(松原浩司):
こんばんは。4月12日、19:30。松原耕二です。解説は国際情報法サイトの天長慎介さんです。よろしくお願いします。そして金曜日はパトリックさんにも加わっていただきます。よろしくお願いします。

さて、大阪関西万博まで明日で残り1年となります。巨額の税金投入、さらに建設の遅れ、指摘されていた問題は今どうなっているんでしょうか。また、日本は戦後、オリンピックや万博への立候補を繰り返しておりますが、こうしたイベント資本主義で利益を得るのは一体誰なんでしょうか。さらに、なぜ日本はこのイベント資本主義から未だ脱却できないのか。

今日はアメリカの専門家、そして95年に東京の都市博を中止した関係者へのインタビューを通しまして、万博や五輪の本質を読み解いていきたいと思っております。

今夜のゲストをご紹介します。公共政策がご専門です。元総務大臣で現在は大正大学特任教授の片山善博さんです。よろしくお願いいたします。

片山善博:
よろしくお願いします。

司会者:
社会学がご専門でオリンピックや万博に関する著書もある国学院大学教授の吉見俊哉さんです。よろしくお願いいたします。

吉見俊哉:
よろしくお願いします。

司会者:
報道1930では番組のホームページや動画サイト公式SNSでも情報を発信しています。是非ご覧ください。

〈中断〉


(映像の説明)
はい、大阪関西万博のこの予定地会場です。これ今週の月曜日に空から撮影したものです。ご覧のような状況で、今まだこれからという感じです。明日で実は残り開催まで1年ということになります。

これ、どれだけお金、税金投入されて、予定されてる費用が膨らむんだと。あるいはこれ間に合わないんじゃないかといろんな声が出ておりましたが、さて1年となった今どうなっているのか。まずは短くVTRにまとめてありますのでご覧いただきます。

〈中断〉


(VTRの説明後)

司会者:
はい、問題が指摘されてきました。今どうなっているのか。出水さん、いかがでしょうか。

出水さん:
はい、万博開催まであと1年、費用は膨らみ続けているんですね。こちらでご覧ください。まず去年12月、国が発表した会場建設費というのは2850億円で、当初と比べますとほぼ倍増をしているんですね。この費用は国と大阪府と市が1/3ずつ負担するものなんですが、国はこれに加えまして837億円を負担することになっています。これは日本館の建設費などが含まれているということです。

さらに国はですね、万博にかかるインフラ整備として8390億円かかるとしているんですね。これは会場周辺の下水道の整備ですとか、会場アクセス向上のための道路整備などに使われるものだということです。

こういったものは万博の予算には、費用には含まれていなくて、「なぜインフラは別なのか」と問われた地味大臣ですけれども、「万博開催の有無に関わらず実施されるものの全体の総額を示したものである」として、関西地域の成長基盤となるインフラ整備計画だと答えています。

また、建設に関しましてですけれども、博覧会事務局の事務局長は11日、「建設の遅れなどの問題はもう過去のものだと思っています」と発言しているんですね。ですが、自前パビリオンの建設をしている50数カ国のうち工事が開始したのは14カ国にとどまっていまして、そのうちの3割は施工業者も決まっていないということです。

司会者:
はい、この8390億円は会場周辺の話ですけど、ただこれ別予算なんだと。今後も万博があってもその後も使われるということもあってということのようですが、さらに実はこれ全部で9兆円かかるんじゃないかという試算もあるんですが、ただそれもどこまでが万博でどこまで万博じゃないか実はよく分からなくてですね。ま、線引きをして一定の額を発表しているという状況なんですが、片山さん、今の現状どういう風に捉えてらっしゃるか一言いただきましょう。片山さん、いかがですか。

片山善博:
あの、全体をですねきちっと把握をして、そして統括をして、例えば工期が間に合うのかとか、あの交通の便はどうなるのかっていうことをこう統括した人がですね、自分で見通しを立てて自分で判断をして、それで国民の皆さんがだいぶ負担するわけですから、国民の皆さんにちゃんと説得的に説明できるっていう人は見当たらないような気がするんですよね。

それが分からないと、そうなんだ、我々こう不安だなと思うじゃないですか。本当に間に合うのかっと思いますよね。でそういう時に、本当にこの万博協会の方でもいいが、1番本来やるべきだと思うんですけどね。今こういう状況だけど、こうなる、ああなる、で自分としては責任を持ってこれはやれる見通しを立ってますということを自信を持って、自分の言葉で、紙を読むんじゃなくて、そういう場面に1度も我々は接してないんですよ。

そこのところをね、やっぱりあの不安を解消するためには、そういう人が出てこなきゃいけないというか、もう今までいなきゃいけないんですけど。トータルにコミットしてる人がいないっていうのがですね、私このイベントを見ててすごくあの心配な点です。

司会者:
なるほど。はい、吉見さんいかがですか。

吉見俊哉:
あの根本の問題はね、21世紀で、世界もそれから社会もすっかり変わってるのに、なぜ今更ね、再び万博をやるのかっていう問題がやっぱりあるんですよ。

関西万博はやっぱり僕、3つの影を背負ってると思いますね。影つまり、1つはあの1970年の大阪万博の影ですよ。あのインパクトがまある意味でとても大きかったもんですから、日本人はその後、錦の御旗に万博っていうとその大阪万博だって思い込んじゃったんですね。でそれをこう2匹、あの官僚もメディアも、反対するということ、あるいはそれが根本がちょっとおかしいんじゃないかっていうことが言いにくくなってきた。成功体系に引きずられてる、引きずられてるその幻想の中にこうずっとずっと繰り返し入り込んできちゃった。

2つ目はやっぱりあの統合型リゾートカジノですよね。カジノの影がやっぱり僕あると思うんですよ。美しい言葉、美しい表現やってもですね、この21世紀の時代に、この持続可能な社会とカジノって繋がるんですかという問題がやっぱりある。

吉見俊哉:
つまりカジノのためのインフラ整備とか繋がってんじゃないかということですね。そういう面があるじゃないですか。やっぱりインフラ整備は最終的には統合型リゾートになっていくわけですよ。そうするとそのためにこの万博をやっているっていうことは、だけどカジノって持続可能じゃないですよね。

つまり非常にこう、ある種の幻想をこう、なんていうのかな、の中に人々を巻き込んでいって、それはそれでこう一部ね、大して命はい輝く人いるかもしれないけれども、大負けしたら、あの誰とは言いませんけれどね、色々なかなか難しい問題が出てくる。

それから3つ目はやっぱ国家イベントの影。つまりあの万博、オリンピックはやっぱり国家イベントなんですよ。でもね21世紀は国家がなんか号令かけてで上から引っ張っていって新しい発明品、新しいこのイノベーションが出てくるっていう時代じゃないと思いますよ。

むしろグラスルーツっていうか、いろんな人たちが色々繋がりあって、世界でですね、そっから新しいものが出てくる時代なんだから違うんじゃないか。もっと全然違うネットワーク型の、全然違うなんて言うのかな新しい、アートでもいいですよ、それから技術でもいいですよ、そういうものを考える時代じゃないかって私は思いますけどね。

司会者:
パックンさん、いかがですか。

パックンさん:
あのこの世界博覧会は昔から賛否両論があって、我が国でも博覧会を開催して破産した年もありますし、人ですね。でもま成功を収めた年もあります。ですから僕はあの必ずしも反対ではないんです。でも今先生おっしゃった通り、もっとイノベーションとか新しい何かを期待したいんですよ。

ですから今回は上からじゃなくて下から博覧会を開催することができたらもっと面白いなと思うんです。で今の状況はどう見るかって言いますと、コロナは多分見込めなかったです。コロナによってサプライチェーン問題など顕在が急と急行としたことはまほとんどあの予想できなかったんですが、例えば2024年問題も関わってくるんですよね。

あの郵送業者の労働時間制限でその郵送費も高騰してるんですけど、この法律が通ったのは数年前です。ですからそういうのを見込んで前倒しであの間に合うように、そして間に合ってなければもっと後報がしっかり説明できるような組織作りができていればもっと良かったのになとやっぱり思ってます。

司会者:
そうですか。堤さん、どう言いますか。

堤さん:
先ほどま現時点の察映像を見てですね、こんなにまだできてないのかともうその一言ですよね。で仮に建物パビリオンができていったとしてもそれだけで工事終わりませんよね。全部あの泥だらけのまだ状況のとこを整地してそこに舗装したりま草を植えたりですね、そうしないと万博会場が出来上がらないんだけど本当に間に合うのかと。

でそういう状況をみんな不安に思うからこそ片山さんがおっしゃるように誰かがリーダーシップを取って国民に説明する責任があるわけですけど、誰もやらないし、これから出てくるべきだとおっしゃったけど、むしろこれからどんどん関係者は多分逃げていくでしょうね。

現実に看板政策として打ち出してきたえどっかの政党も自分たちじゃないよと、これは国のもんだみたいなこと言って、もすでに明らかに逃げ出しの人たちがいるわけですが、これからもっと責任者は逃げるんだろうなと思いますね。

司会者:
そうですか。そうした中でですね、ちょっとこの映像ご覧いただきたいんですが、実はこの関西万博じゃもう1年ということなんですが、近くにこれ被災地石川県というのがですね、これから復旧復興を進めなきゃいけない大変な時期を迎えるんですが、その石川県の来年の予算にですね、なんと1000万円のこの関西万博への実は予算が計上されていたんですね。これに疑問の声が上がってるんですが、これに対して馳浩知事はこんな風に答えています。

〈中断〉


馳浩知事:
私は大阪維新の会の顧問でありますえ。またあの松井さんから吉村知事また橋下さんとま古い友人でもございます。ということとあの政策的なですね課題を推進するかどうかについては私は意思決定に参加しない顧問という立場でありますので、ご理解いただければと思います。

司会者:
さて、そういうことでご理解いただけるのかどうか。これは片山さんに是非伺いましょう。どう見ますか、この予算。

片山善博:
うん、そっちに行ってとっても違和感がありますね。あの今全国に向けてですねこう支援を呼びかけてるわけですよね。で我々支援しなきゃいけないわけですね。寄付もそうですけれども、それからボランティアもそうですけど、そういう時にいや実は1000万だけどそれよそに回しますよっていう話になるわけで、お金に色はついてないですからこう寄付が来てもそれが回るかもしんないですよね。

松原耕二(キャスター):
ご本人はそんなことないと言われるだろうし、そんなことないんだろうと思いますけどね。でも本当に今生活が困窮してて住むところもままならないような人から見ると、もうちょっと我々の方見てくれと、我々だけ見てくれという風に思われて、ちょっと残念に思うんじゃないかなと思いますよね。

出水麻衣(女性サブキャスター):
はい、そうですか。

松原耕二:
まずはですね、こちらをご覧いただきたいんですが。上がオリンピック、そしてオリンピックあるいは立候補落選した時も入れておきました。下が万博、先ほど見てきた間もなく1年ということになる大阪の関西万博がここにあるんですが、国際博覧会はこれまで合わせて6回行いました。オリンピックは4回なんですが、招致あるいはこう落選を見てもですね、逆に言うとこの数ですが、この間ずっと招致を続けてる活動をですね、戦後ほとんどの時間を招致に当ててると言ってもいい。専門家の中には日本は招致中毒ではないかという指摘をする方もいらっしゃいます。

さて、なぜ日本はここまでですね、こうしたオリンピックそして万博を今も繰り返し続けているんでしょうか。これに対して、これはイベント資本主義、祝賀資本主義なんだという名付けた方がいらっしゃいます。そのご本人に話を聞きました。どういうことなんでしょうか。

〈中断〉


ジュールズ・ボイコフ教授:
私が祝賀資本主義と呼ぶ現象は、期限のある特別なイベントによって発生する問題なのです。つまり通常の政治のルールが適用されない例外状態から全てが始まるのです。祝賀資本主義の中では、巨大イベントで例外的な手法が次々と行われます。

松原耕二:
祝賀資本主義の提唱者ですが、その典型的な例が東京オリンピックパラリンピックや、そして大阪万博だと言います。そうしたイベントでは一体どんな例外が起きるのでしょうか。

ジュールズ・ボイコフ教授:
1つ目の例外は、初めから巨額予算がつぎ込まれる上に、さらに予算の追加が容認されることです。東京オリンピックの費用は当初73億ドルと見積もられていました。最終的に日本政府自身が行った監査によると、オリンピックの延期に関連する数10億ドルを加えると300億ドル近くになりました。2025年大阪万博のために費用は高騰しています。時間の経過とともに大幅に増加しています。そしてまだ建設が終わっていないので、建設費はさらに高くなることが予想されます。なぜなら一般的な法則として、期限が近づけば近づくほどコストは高くなる傾向があるからです。

法律においても例外が適用されます。時には特別な規制や特別な法律を作ることもあります。それは通常の政治状況では実現が非常に困難なものですが、メガイベントがもたらすこの例外状態では導入が可能です。東京にあった明治時代の高さ制限を例外的に変更し、東京のあの地域に国立競技場を建設できるようにしたのです。高層ビルを立てたいデベロッパーはそのビルを賃貸することができます。また例外的に都市インフラを一気に整備したりします。

全面に打ち出される文句は「サステナビリティ」、持続可能性です。もう1つの要素は、オリンピックや祝賀資本主義に伴う誇大な持続可能性を主張することです。交通システムを構築できるようになる、社会として環境に優しくなる、社会から阻害されたグループを支援する社会的持続可能性に関与できるようになるということです。

東京でオリンピックが開催されることで福島が元気になり、安倍晋三が言うところの「復興五輪」になるという考えがありました。しかし実際はそうではありませんでした。この持続可能性で作られる例外には、こんなものもあります。イベントの持続可能性についての懸念もあります。大阪万博の後に、理論的に何が起こるかを考えてみると、そこにカジノが建設されることになります。

こうした例外によって成立する巨大イベントの問題なのは、イベントに注がれる巨額の費用が税金であるにもかかわらず、利益を得るのが納税者ではないことだとボイコフ氏は言います。

祝賀資本主義は大阪万博で私たちが目にしていることと非常に関係があると思います。国が資金を投入しています。大阪府も大阪市も資金を出しています。経費を負担している企業もありますが、大部分は公的資金です。オリンピックやその他のメガイベントに使われるお金は一般的に公的資金、つまり納税者のお金だということです。官民パートナーシップは、国民がお金を払い、関与している民間団体が利益を手にする仕組みがあります。

2020年の東京オリンピックはある意味で祝賀資本主義の典型的な例と言えるかもしれません。国民から何10億ドルもの資金が投入され、民間企業、この大会に賛同する全てのスポンサー、国際オリンピック委員会は利益を手にしました。

巨大イベントにこそ、国民が納得する民主主義的プロセスが重要だとボイコフ氏は指摘します。

メガイベントに関して言えば、その民主主義が十分に機能していません。万博やオリンピックなどを開催する際には必ず住民への投票が行われるべきだと思います。国民のお金を使っているのですから。2013年から2018年にかけて、オリンピックだけでも12都市ほどが開催反対の意思を突きつけました。その多くはその年で住民投票が行われたからです。

もし私が大阪に住んでいたら、自分の税金がかなり裕福な人たちを潤し、社会に不適切な影響を与える産業を定着させることを約束したプロジェクトに使われることを喜べないでしょう。

〈中断〉


松原耕二:
はい、このボイコフ氏がまあ名付けたという祝賀資本主義、我々よくイベント資本主義とも言いますが、これどういうもんなのか。出水さんいかがでしょうか。

堤伸輔(ニュース解説):
こちらでまず、イベント祝賀資本主義というものからどういったものなのか見ていきましょう。こういったものを提唱している政治学者のボイコフ教授によりますと、この方ちなみに元プロサッカー選手で、バルセロナオリンピックのアメリカの代表メンバーでもある方なんですね。で今回イベント資本主義に関して次のような発言をしています。

期限のあるイベントによって発生する問題で、通常の政治のルールが適用されない例外状態から全てが始まるんだ」と。さらに「メガイベントに使われるのは納税者のお金で、利益を得るのは一部の地元政治家や民間企業。開催には民主主義的なプロセスが重要である」と指摘しています。

松原耕二:
はい、まず片山さんにこれ伺いましょうか。確かにこれ期限があるってついてるんですね。期限があるからこそ、国を挙げてなんとか間に合わせなきゃいけない。少々お金がかかってもしょうがないじゃないかっていう議論も確かになる。しかも期限が迫るからこそ、通常の政治ルールでは適用されないような、でもお金の話しあるいは法律なんかいろんなものが例外状態として特別に認められることになる。つまりそれを利用する人も出てくると。そういう風に言ってる。この辺りが、なるほどという感じもあるかもしれない。さて片山さん、これどうお聞きになりました?

片山善博:
今、頷いてましたね。私はと言いますのは、うんまあの今日のテーマはその万博だし、そこからオリンピックがまあテーマになってますよね。実はね、国内でも国内限りのイベントってのが行われてるわけです。

松原耕二:
はい、はい。

片山善博:
これもほぼね、その今そのボイコフ教授がおっしゃったようなことが適用されるなと思って頷いて聞いてたんですね。ああはあの、そんなに巨額の金ではありませんけど、例えば国体とかですね。

松原耕二:
はい。

片山善博:
それから国民文化祭とか、そういう国内で順次やっていくイベントあるんですけど。やっぱりそのやる開催県にとっては例外的に大規模の予算がつくわけですね。それは地元あるいは国からも降りるという、国からも一部来ますけど、まあ基本的には地元のお金ですよね。税金を使うわけです。それで潤う人ももちろんいるわけですね。

それからもう1つはですね、いろんな施設を整備する口実になるんですね。まあ口実って言うと変ですけど、言い訳みたいになるんですね。例えば国体をやるから陸上競技場を整備しなきゃいけないと。国民文化祭やるから展覧会のために美術館を整備しなきゃいけないと。そうしますとね、ハードの整備をする時に、このイベントをやることによってそれが普段なら反対あるかもしれないけれども、まあお祭り気分になっていいじゃないかって話になって、やりやすいっていう。ですから実は国際的なイベントだけじゃなくて、国内でももう毎年繰り返されてるんですよ、どっかで。

松原耕二:
そういうことを感じながら今伺ってました。片山さんも知事された時、そういうこと感じられたことありましたか?

片山善博:
感じました。あの国民文化祭ってやったんですね。私、知事になってちょっと後にやって、まあ準備をしてたわけです。

松原耕二:
はい、はい。

片山善博:
その時にですね、色々聞いてみるとですね、あの何がやりたいのかよくわかんないっていうのが最初の私の印象だったんです。ところがこれだけはよくわかるなってのは、美術館を整備したいっていうのがあったんです。ハードのためにじゃあやりたいのかって言ったら、まあ否定はしてましたけど、自分的にはでもそうだなと見抜いたんですね。じゃあハードなしでやるかどうかっていうの迫ったんですよ。そしたらだいぶまあないまあ悩んだんですよ。教育委員会は。でもまあ最後はやりますっていうので、それじゃやろうかっていう。そのあとテーマをきちっとして、コンセプトをしっかりして、それであの理念をちゃんとしながら、あの文化を広めていこうということにして、まあ結果的にはやってよかったんですけど、そのままだったらなんか理念が分からないままハードだけで終わったっていうことになりかねなかったですね。

松原耕二:
つまり大概して普段だったら納税者がですね、そんな必要ないだろうと言われるものも、その民主的プロセスを省いて、これお祭りなんだからしょうがないんだよ、お金いるんだよって税金を使えると。そうもあるわけです。

片山善博:
そうです。でその場合の予算の査定なんかはですね、もうこう査定の基準が変わってくるんですね。普段ならまあ例えば耳かきでこうほじくるような予算査定するんですけど、もうイベントになるとスコップで持ってけっていう、そういうようなその査定の基準っていうのがもう2桁ぐらい変わってくるんですよね。だからあの、やる方にとってはまあ答えられないっていうか、容易に多額の予算をその取得できるということになります。

松原耕二:
そうですか。ちょっと見ておきましょう。実は今日こち吉見さんはですね、これ別の言い方かもしれませんが、日本の社会をお祭りドクトリンだと。お祭りをやり、その中でドサクサに紛れていろんなことをやっていくとおっしゃってる。吉見さん、まさに​​​​​​​​​​​​​​​​お祭りドクトリンっていうのはこの祝賀資本主義と似たようなイメージなんですか?

吉見俊哉:
そうですね。あの、ボイコフが言う祝賀資本主義というのは元々ナオミ・クラインというカナダのジャーナリストがですね、ショック・ドクトリン型資本主義っていう議論をしてるんですね。

クラインの言ってたのは、大災害とか戦争とかテロが起こる。そうすると例えばイギリスだったらサッチャー首相、アメリカだったらレーガン大統領が一気にですね新自由主義への流れを作っていった。だから新自由主義路線に行く時に、災害とかテロとかいろんな戦争とか、そういうもののドサクサ紛れで大きな流れが作られていったっていうことに対する批判だったんです。これ非常に大きな、言いますか、議論を世界的に呼んでったんですけども。

そのまあ1つのバリエーションとしてボイコフはこういうこと言ってて。で私が思うのは、日本もね、東日本大震災とかいろいろあるんだけれども、でも日本人はね、災害に便乗していろんな政策が起きるということよりも、むしろみんながお祭りをしちゃう。お祭りをしちゃって、お祭りのドサクサ紛れで色々なこと、変化が起こっていくっていう方が日本社会は大きいんじゃないかっていう気がするんです。

松原耕二:
そうですか。さっきちょっとね、あのパネルに出てたようにですね、1964年に東京オリンピック、72年に札幌...

吉見俊哉:
ちょっと出しましょうか。

松原耕二:
いいですか、それも1回出していいて。パネル出しましょうか。

吉見俊哉:
はい。どうぞ続けてください。

松原耕二:
はい。88年に本当は名古屋でオリンピックやるはずだったんですね。でもソウルに負けたんですよ。それから2008年に大阪で...

吉見俊哉:
あ、98年に長野がありますね。

松原耕二:
で、大阪でオリンピックをやりたかっただけど、これ北京に負けたんですね。それで16年に東京オリンピック、これは延期になって...

吉見俊哉:
延期になっていくって。ほとんど前のオリンピックが終わると次どうしようって国も動き出すし、それからこれをやるとですね、国から大きな予算がこう地方に降りてきますから。それを目指して自治体も動いていく。で、説明しませんけども、博覧会、万博もこうやってまあ定期的にやられてきた。

この2つの間にまあ大体関係っていうかね、よく見ていただければすぐ分かるんだけども、名古屋のオリンピックがまあ落選するでしょ。

松原耕二:
はい。

吉見俊哉:
そうすると、17年後ぐらいですね、愛知万博に繋がっていくわけですね。つまりオリンピックがダメならば万博やりましょう、と。

松原耕二:
なるほど。大阪も同じですよね。

吉見俊哉:
大阪もですね、2008年がだめでしょ。するとこれ17年、やっぱり同じぐらいの期間ですね。今度は万博ね、と。そうだから、オリンピックがダメなら万博でって国も考えてるし地方も考えてる。逆のパターンもあって、90年代の半ばに東京で万博やりたかったんですね。後で出てくると思いますけども世界都市博をやりで、バブルが弾けてそれがダメになって...

松原耕二:
はい、はい。

吉見俊哉:
じゃあオリンピックに行きましょうと。だからどっちでもいいんですよ。

松原耕二:
どっちでもいいですよ。

吉見俊哉:
どっちでもいいんだけれども、機能的には同じなんだ。けれどもその一方がダメなら他方で。とにかくこれ制度化された開発システムなんですね。

松原耕二:
そうですか。はい、じゃあパックン、どう言いますか。

パトリック・ハーラン:
うんいや、先生の先生がもうおっしゃる通り、みんな頷ける指摘だと思うんですけど。でもかと言ってこれ国民みんな反対する事業かって言ったらそうでもないんですよね。大阪万博に関してはあの去年ダブル選挙あったばっかりですよ。

で、東京オリンピック確かに無駄遣いが多かったし、予算が急に膨れ上がったっていう記憶はありますけど、蓋開けてみたら終わったら70%の国民が賛成でしたね。ですからこのやり方をもっとクリーンに、もっと透明性を上げて、関西の夜をしっかりつけて予算を守らせる何かのメカニズムが欲しいんですけど。だからって言ってこういう大型イベント、祭りを全部やめることは僕は違うんじゃないかなと思うんです。

で、日本は確かに祭り主義なんですけど、我が国は...同じ例外状態を作るんだったら戦争も多いんですよ。アメリカは戦争で、はい、イラク戦争で現地に運ばれた90億ドルもの現金が行方不明になってるんですよ。公的な資金で一部の方が潤ってる。イベントはどのイベントも批判されるべきだと思うんですけど、戦争と祭りとどっちかで言ったら、僕は祭り主義の方がまだいいかなと思うんです。

松原耕二:
その比較ですか。なるほど。​​​​​​​​​​​​​​​​つーさん(片山善博さんのこと)どうですか、この比較は。

片山善博:
いやあの、確かにそうかもしれません。ただですね、戦争と祭りを比べるというのはちょっと極端な比較だと思うんですよ。もっと日常的な政策と比べるべきだと思うんですね。例えば、福祉政策とか教育政策とか、そういったものにお金を使うのと、こういった祭り、イベントにお金を使うのとどっちがいいのかと。そういう比較をすべきじゃないかなと思います。

それからもう一つ、パックンがおっしゃった透明性の問題ですけども、これは非常に重要な指摘だと思います。というのは、こういったイベントというのは、どうしても準備期間が長くて、しかも巨額のお金を使うわけですから、その過程で様々な利権が発生する可能性があるんですね。そういった利権をどうチェックするのか、どう透明性を確保するのか、これは非常に重要な課題だと思います。

松原耕二:
なるほど。吉見さん、いかがですか。

吉見俊哉:
はい、私も片山さんのおっしゃる通りだと思います。特に透明性の問題は重要ですね。というのも、こういった大規模イベントの場合、通常の行政手続きとは異なる「特別な」プロセスが適用されることが多いんです。そこで、誰がどのような決定をしているのか、どのようにお金が使われているのか、そういったことが見えにくくなってしまう。

それから、もう一つ付け加えるとすれば、こういったイベントの「レガシー」、つまり遺産の問題ですね。オリンピックにしろ万博にしろ、開催時は盛り上がるんですが、その後どうなるのか。施設の維持管理費用はどうするのか、そういった長期的な視点も必要だと思います。

松原耕二:
なるほど。パックン、どう思いますか。

パトリック・ハーラン:
はい、お二人の意見、非常に納得できます。確かに私の比較は極端だったかもしれません。ただ、私が言いたかったのは、こういった大規模イベントには良い面もあるということです。例えば、国際交流の促進とか、インフラ整備の加速化とか。もちろん、それらが本当に必要なのかどうかは別途議論が必要ですが。

そして、透明性の確保と長期的な視点、これは本当に重要ですね。特に長期的な視点については、例えば東京オリンピックの時に建設された選手村。あれを今後どう活用していくのか、そういった議論がもっと必要だと思います。

松原耕二:
はい、ありがとうございます。さて、ここで少し視点を変えて、こういった大規模イベントが地域経済や社会にもたらす影響について考えてみたいと思います。出水さん、この点についてどのような議論がされているでしょうか。

出水麻衣:
はい。大規模イベントの経済効果については、よく議論されるテーマですね。例えば、2025年の大阪・関西万博の経済波及効果は約2兆円と試算されています。しかし、こういった数字の信頼性を疑問視する声も少なくありません。

過去の事例を見ると、例えば2005年の愛知万博では、当初の予想を上回る2.7兆円の経済効果があったとされています。一方で、2020年の東京オリンピック・パラリンピックでは、新型コロナウイルスの影響もあり、当初の予想を大きく下回る結果となりました。

このように、経済効果の予測と実際の結果には大きな開きがあることが多いのが現状です。また、一時的な経済効果だけでなく、長期的にどのような影響があるのかも重要な論点となっています。

松原耕二:
なるほど。片山さん、地方自治体の立場から見て、こういった経済効果の議論をどのように捉えていますか?

片山善博:
そうですね。確かに経済効果は魅力的な数字ではあります。しかし、私が知事時代に経験したことから言えば、こういった数字は往々にして過大評価されがちです。

問題は、その効果が一時的なものに終わってしまうことが多いということです。イベント終了後、急激に需要が落ち込み、逆に地域経済に悪影響を与えるケースもあります。

また、こういったイベントのために作られた施設の維持管理費用が、その後の自治体財政を圧迫するという問題もあります。ですので、短期的な経済効果だけでなく、長期的な視点で地域にとって本当に必要なものかどうかを慎重に判断する必要があります。

松原耕二:
吉見さん、社会学の観点からはどのようにお考えですか?

吉見俊哉:
はい。経済効果以外の社会的影響も重要だと考えています。例えば、こういった大規模イベントは、地域のアイデンティティ形成や、国際的な認知度向上にも寄与します。

一方で、負の側面もあります。例えば、イベントのために立ち退きを強いられる住民の問題や、一時的な観光客増加による地域コミュニティへの影響などです。

また、こういったイベントが本当に地域の課題解決につながっているのかという点も重要です。例えば、インフラ整備が進むことは良いことですが、それが本当に地域のニーズに合致したものなのか、慎重に検討する必要があります。

松原耕二:
なるほど。パックン、海外の事例と比較して、日本の状況をどのように見ていますか?

パトリック・ハーラン:
そうですね。海外でも同様の議論はありますが、日本の特徴的な点は、こういったイベントを非常に頻繁に行っているということだと思います。

例えば、オリンピックの誘致活動を見ても、日本は非常に積極的です。これは日本の「お祭り好き」な国民性とも関係しているのかもしれません。

ただ、最近は海外でも、こういった大規模イベントのコストと便益をより慎重に検討する動きが出てきています。例えば、オリンピック誘致を辞退する都市も増えています。日本もこういった国際的な潮流を踏まえつつ、より冷静な判断が必要になってくるのではないでしょうか。

松原耕二:
ありがとうございます。様々な観点から議論が深まってきましたね。ここで少し具体的な事例に目を向けてみたいと思います。先ほど吉見さんが言及された1990年代の東京世界都市博について、もう少し詳しくお話しいただけますか?

吉見俊哉:
はい、東京世界都市博は非常に興味深い事例です。これは1996年に東京・臨海副都心で開催が予定されていた国際博覧会でした。バブル経済の絶頂期に計画されたものですが、バブル崩壊後の1995年に中止が決定されました。

この世界都市博は、当時の東京都知事だった鈴木俊一氏が推進していたプロジェクトで、「世界都市東京の実現」を目指すものでした。しかし、バブル崩壊後の経済状況の悪化や、環境への影響を懸念する声などが高まり、最終的に中止に追い込まれました。

特に注目すべきは、この中止決定のプロセスです。当時の青島幸男知事が、就任直後に専門家による再検討委員会を設置し、その結果を踏まえて中止を決断したのです。これは、大規模イベントの是非を冷静に判断した rare な事例と言えるでしょう。

松原耕二:
なるほど。片山さん、当時の政治的な状況についてどのように見ていましたか?

片山善博:
そうですね。当時私はまだ知事ではありませんでしたが、非常に注目していました。青島知事の決断は、政治家として勇気のいるものだったと思います。

というのも、こういった大規模プロジェクトは一度動き出すと、中止するのが非常に難しくなるんですね。既得権益が発生し、多くの人や組織が関わっているため、「もう後戻りできない」という空気が生まれやすい。

そんな中で、客観的な再検討を行い、中止という決断を下したことは評価に値します。これは、先ほど議論した透明性や民主的なプロセスの重要性を示す好例だと思います。

松原耕二:
パックン、海外から見てこの事例はどのように映りますか?

パトリック・ハーラン:
興味深い事例ですね。実は、似たような状況は海外でも見られます。例えば、2022年の冬季オリンピックの誘致では、ノルウェーのオスロやスウェーデンのストックホルムが、コストの問題や住民の反対を理由に立候補を取り下げました。

日本の場合、いったん決まったプロジェクトを中止するのは珍しいですよね。その意味で、この東京世界都市博の中止は画期的だったと言えます。ただ、その後も大阪万博や東京オリンピックなど、大規模イベントの開催は続いています。この経験から十分に学べていたのかどうか、そこは疑問が残りますね。

松原耕二:
なるほど。吉見さん、この世界都市博の中止から、私たちは何を学ぶべきだと思いますか?

吉見俊哉:
重要な点は、こういったイベントの意思決定プロセスだと思います。世界都市博の場合、専門家による客観的な再検討が行われ、その結果が尊重されました。これは非常に重要なポイントです。

また、時代背景も大きいでしょう。バブル崩壊後の社会で、人々の価値観や優先順位が変化していたことも、中止決定を後押ししたと考えられます。

現在の大阪万博についても、同様の視点で見る必要があるでしょう。コロナ禍を経験し、社会の価値観が大きく変化している中で、改めてこのイベントの意義や必要性を問い直す必要があるのではないでしょうか。

松原耕二:
ありがとうございます。さて、ここまでの議論を踏まえて、今後の日本における大規模イベントのあり方について考えてみたいと思います。片山さん、地方自治の観点から、どのような提言ができるでしょうか。

片山善博:
はい。まず重要なのは、意思決定プロセスの透明性と民主性の確保です。大規模イベントの開催を決める前に、必ず住民投票や徹底した公聴会を行うべきだと考えます。

次に、財政面での慎重な検討が必要です。イベント開催にかかる費用だけでなく、その後の維持管理費用まで含めた長期的な財政計画を立てる必要があります。

そして、地域の真のニーズに合致しているかどうかの検証も重要です。イベントのための開発ではなく、地域が本当に必要としている開発を優先すべきです。

最後に、中止や規模縮小の選択肢を常に持っておくことも大切です。状況が変化した場合に柔軟に対応できるよう、定期的な再評価のシステムを組み込むべきでしょう。

松原耕二:
なるほど。吉見さん、社会学の観点からはいかがでしょうか。

吉見俊哉:
私は、これらの大規模イベントが持つ社会的な意味を再考する必要があると考えています。戦後日本の成長期には、こういったイベントが国家の威信や経済成長の象徴として機能してきました。しかし、成熟社会を迎えた今、その役割は変化しているはずです。

例えば、環境問題や社会の持続可能性といった課題に真剣に取り組むプラットフォームとして、これらのイベントを位置づけ直すことが考えられます。また、地域の文化や歴史を深く掘り下げ、新たな価値を創造するような、より内容重視のイベントを目指すべきでしょう。

そして、イベント後の遺産(レガシー)をどう活用していくかという長期的視点も重要です。一過性の祭典で終わらせるのではなく、社会にどのような持続的な影響を与えられるかを考える必要があります。

松原耕二:
パックン、国際的な視点から見て、日本の大規模イベントのあり方についてどのような提案ができますか?

パトリック・ハーラン:
はい。まず、国際的なトレンドをしっかり把握することが重要だと思います。例えば、環境への配慮や持続可能性への取り組みは、今や世界標準となっています。日本のイベントもこういった基準を満たし、むしろ先導していく姿勢が必要でしょう。

また、多様性と包摂性の視点も重要です。障がい者や外国人、さまざまなマイノリティの方々が参加しやすく、楽しめるイベントにすることで、社会的な価値も高まります。

そして、テクノロジーの活用も検討すべきです。例えば、バーチャルやAR技術を使って、実際に会場に来られない人々も参加できるようなハイブリッド型のイベントを構想するのも面白いかもしれません。

〈中断〉


最後に、これは日本の強みだと思いますが、「おもてなし」の心を活かしつつ、それを現代的にアップデートしていく。そうすることで、世界に誇れる、日本らしいイベントが作れるのではないでしょうか。

松原耕二:
ありがとうございます。様々な観点から貴重な提言をいただきました。これらを踏まえて、今後の日本の大規模イベントがより良い形で実現されることを期待したいと思います。

さて、時間も迫ってまいりましたが、最後に一言ずつ、視聴者の方々へのメッセージをお願いできますでしょうか。まず、片山さんからお願いします。​​​​​​​​​​​​​​​​

片山善博:
はい。視聴者の皆さんには、こういった大規模イベントを「他人事」ではなく「自分事」として捉えていただきたいと思います。これらのイベントは、結局のところ私たちの税金で行われるものです。ですから、その計画段階から積極的に情報を収集し、意見を表明していくことが大切です。

また、イベントそのものだけでなく、その後の地域への影響についても関心を持ち続けてください。私たちの声が、より良いイベントづくりと、そして何より、より良い社会づくりにつながっていくのです。

松原耕二:
ありがとうございます。では、吉見さん、お願いします。

吉見俊哉:
私からは、こういった大規模イベントを通じて、私たちの社会や文化について深く考える機会にしていただきたいと思います。なぜこのイベントが必要なのか、それによって何が得られ、何が失われるのか。そういった問いを自分自身に投げかけてみてください。

また、イベントの華やかさだけでなく、その陰で起きている様々な問題にも目を向けることが重要です。批判的な視点を持ちつつも、建設的な議論に参加することで、より良いイベントづくり、そしてより良い社会づくりに貢献できるはずです。

松原耕二:
ありがとうございます。最後に、パックンお願いします。

パトリック・ハーラン:
はい。私からは、大規模イベントを楽しむと同時に、そこから学ぶ姿勢を持っていただきたいと思います。世界中から人々が集まるこういったイベントは、異文化理解や国際交流の絶好の機会です。

ただし、ただ受け身で楽しむだけでなく、自分たちの文化や社会について改めて考え、世界に発信していく。そんな積極的な姿勢を持つことで、イベントの価値はより高まるはずです。

そして、こういったイベントを一過性のものとせず、その経験や学びを日常生活に持ち帰り、活かしていく。そうすることで、イベントの本当の意義が実現されるのではないでしょうか。

松原耕二:
ありがとうございました。今日は「大阪・関西万博まで1年」という題で、イベント資本主義について、様々な角度から議論を深めてまいりました。大規模イベントには光と影があり、その両面をしっかりと見極めながら、私たち一人一人が考え、行動していくことの重要性を改めて感じました。

これからの1年、大阪・関西万博に向けてどのような動きがあるのか、私たちもしっかりと注目していきたいと思います。

本日はご視聴いただき、ありがとうございました。​​​​​​​​​​​​​​​​(↑創作)

     *     *     *

〈中断〉


松原耕二 (キャスター):
どうですか、吉見さんのお話伺ってて、昔なんか歌がありましたよね。「東京がダメなら大阪があるさ」みたいな。ちょっとあれを思い出しながら聞いてたんですけど。私はオリンピックと万博はちょっと違うかなと思うものがあるんですよね。

オリンピックは、やはりその特に戦後のオリンピックというのは、ローマがあり東京があり1個飛ばしてミュンヘンがあったんですけども、これいわゆる敗戦国が国際社会に復帰していくプロセスでもあったわけですよね。

これうまくできてるなと思います。しかも割と最後ミュンヘン、ドイツが1番最後になったというのもなんとなく、やはりヨーロッパの人たちの感情がその順番にも現れているなと感じるんですけども。

やはり発展途上国や、そうやって戦争で、まあの戦争、分かりやすく言えば仕掛けた側がなんかの形で国際社会に認められデビューしていく。そのためには経済力が伸びなければいけないし、企画遂行力ができなければいけない。そういうものを持った国が国際社会に出ていく。そして最終的には目標はアスリートのパフォーマンスをサポートするという。オリンピックはある種の目的を持ってると思うんですけど。

万博の方はですね、もうなんか歴史的使命を日本の場合で言えば70年の大阪万博でもう終えたのではないかと。日本の例えば科学力を世界に示すとか、人々のそういう団結力や企画力を示すとか、それはもう64年のオリンピックと大阪万博で十分にできたわけで。

今その例えば科学力を世界の人に示すとしたら、バーチャルも含めていろんな方法があるわけですよね。ところがやはりあの大きなイベントをやると建設にお金が投入され、広告にお金が投入され、それによって儲かる人たちが色々出てくる。最終的には政治家がそれによって利益を、まあ有権者の利益を得る。そのためにそのイベント式が続いている。

万博こそオリンピックよりもっと厳しく。もちろん20年、21年東京オリンピックは私あのいろんな意味で反対でしたけども、万博はそれ以上にやはりもう問題を抱えてるんではないかなと思いますね。

吉見俊哉 (国学院大学教授):
なるほど。あのパックンが言った、日本人も結局賛成してるじゃないかと。この日本人をまた後ほどやりたいなという風に思いますよ。

片山さんがおっしゃられた通りなんですけどね。万博はどちらかというと19世紀の後半から20世紀前半まで、これが1番華やかなんですね。これ基本的に帝国主義の産物ですから。そういうこう100年ぐらい前に1番華やかだったものなんですね。

オリンピックは1930年代以降、つまりヒトラーがベルリンでナチオリンピックをやって、これナショナリズムがベースなんですね。で万博はちょっとこう帝国主義とか、それから機械技術がどんどん出てきた時代なんで、ちょっと時代的には確かにずれてるんですよ。主役がこうベルリンオリンピックの頃からオリンピックに移ったんです。

だからあのオリンピックで金メダル銀メダル銅メダルってあのみんなやるでしょ。元々は万博のあの仕組みなんですよ。あのメダル渡したんですか。それをオリンピックの方に移ったんです。1900年のパリオリンピック、それから1904年のセントルイスオリンピックっていうのは、もうパリで大万博やってますよね。セントルイスでも大万博やってます。それのアトラクションですよ、オリンピックは。だんだんだんだんこう一関係が逆転してきたんですね。

吉見俊哉 (国学院大学教授):
そうですか。

松原耕二 (キャスター):
1995年当時の青島知事がですね臨海副都心を今視察しているという場面なんですが、当時この青島知事は都市博と予定されていたものを中止しました。この中止の舞台裏からイベント資本主義の本質が見えてくるということかもしれません。ここに関わった人物にインタビューしました。ご覧いただきます。

〈中断〉


ナレーション:
「都市博は撤回という公約を守ることが、都民に対する私の政治的責任として優先されるべきものであり、改めて世間に問うことこそ今必要なことであるとの結論に至りました」

東京都は1995年、多額の予算をつぎ込んだメガイベント世界都市博覧会を中止したことがあります。決断したのは当時の青島幸男東京都知事。一体何があったのでしょうか。

1985年、鈴木俊一知事は臨海副都心開発計画を発表。さらにこの計画の目玉として新たに88年に発表されたのが都市博です。総事業費は2000億円。会場となる臨海副都心の開発予算は4兆円以上に膨らんでいました。しかし1991年バブルが崩壊。都の財政も圧迫されている中、この時すでに都は都市博に200億円以上もの金を支出していました。

財政圧迫の中でも事業は続いたのです。転機となったのが1995年。青島幸男が都の財政をこれ以上悪化させないため都市博中止を公約に掲げ、都知事選に無所属で当選を果たしました。

明石康之 (元青島都知事秘書):
あの水面下でどんどん決まってですね、予算もあの増額されるような状況があってですね。まだ何にも都民の方に対してあんまりよく分かってらっしゃらなかった中でどんどん進められてた。それをもっとその広く皆さん都民のためと皆さんと考えて、やっていくべきではないだろうか。

ナレーション:
そう語るのは当時青島都知事の秘書を務めていた明石康之さん。当時、青島氏は立候補に躊躇しましたが、いざ知事に就任してみると、都議会や都職員のほとんどが都市博はやるものだと考えており、すでに工事が進んでいる、損害が出ると中止しないよう説得されたと言います。

明石康之:
下請けする企業がですね、それぞれの教授なり学識経験者及び文化人に色々なそのある程度のそのギャランティを払って、その作っていたそのリポートが山ほどありました。1メートルぐらいの資料がありました。で、中止派はその市民活動ですから、23ページのそのリポートが何枚かあるぐらいな感じでございます。

ナレーション:
開催は副都心開発にメリットがあるというものが多かったと言います。

明石康之:
1番大きなのは、あの臨海のですね開発にすごくメリットがあるからやったらどうかとかですね。100年の長い目で見るとですね、臨海の開発に寄与することが歴史的にいいていう話があったりとこですね。​​​​​​​​​​​​​​​​

ナレーション:
しかし最終的には中止を判断した青島都知事。決め手となったのは民主主義の原点だと言います。

明石康之:
青島はやはりその都民の、行政は都民が決めるっていうような民主主義の原点に戻ってですね、そこを貫いてやったと思います。その違う面から見ることも必要なんじゃないだろうかということをその青島は訴えたかったんではないかなと思います。

そして当時の都市博と大阪関西万博には今必要な共通点があると言います。

明石康之:
都市博と万博を比べてみて同じことは繰り返されてるとも。もっとそのリーダーシップ持って旗振っていただけることが明確になるとよく分かるのかもしれませんね。

松原耕二 (キャスター):
はい。これ都市博中止の舞台裏から何が見えるのか。出水さん。

出水麻衣 (女性サブキャスター):
はい。こうした大型イベントの目的というのは湾岸の開発にあるのでしょうか。こちら過去から見ていきましょう。

〈中断〉


1985年です。当時の鈴木俊一東京都知事が臨海副都心の開発計画というのを発表しました。その目玉としまして1988年、都市博の開催の方針を発表します。でこの都市博の総事業費はは2000億円です。臨海副都心の開発予算は4兆円以上でしたが、91年にはバブルが崩壊します。そして95年に青島幸男が東京都知事に就任しまして都市博の中止というのを発表しました。

そして青島都知事の元秘書の明石さんはこのように言ってるんですね。都市博中止に反対していた人たちの意見の中で1番大きいのは、臨海副都心の開発にすごくメリットがあるということ。100年の長い目で見ると歴史的にはいいという話があったと述べています。

そしてですね、2006年にはこういった動きもありました。2006年には2016年にオリンピック東京が立候補しましたが、当時の石原都知事は臨海副都心にメインスタジアムですとか選手村など主要施設を集める計画というのを発表しています。

〈中断〉


はい。先ほど吉見さんがですね、結局都市博でもオリンピックでもどっちでも良かったんだとおっしゃったんですが、結局は湾岸開発をしたい。先ほどのイベント資本主義のあのインタビューでは政治の通常のルールが適用されない例外状態を作るんだ。それを作って臨海副都心に巨額のお金が流れるようにしよう。そういう風にも見えますね。

吉見俊哉:
これその通りですね。つまり東京都も大阪府も基本的には湾岸開発やりたいんですよ。

松原耕二:
ああ、関西万博も確かにそうですよね。​​​​​​​​​​​​​​​​

片山善博:
そま小さい県だからできたっていうのはそういうことなんですけど、私はやっぱりそれ気になりましたよね。何のためにやるのかっていうのは。うんうん。だからそれを本来はイベントをやって押し流してしまうんじゃなくって、本当に必要だと思ってることを世の中に問う、議会でよく議論する、国会で議論する、そういうことをやってほしいなと思いますよね。

松原耕二:
そうですか。吉見さん、私もまあ古い方の大阪のバンバの方に子供の頃行って、月の石を見るために3時間並び、そしてエクアドル館に3時間並んでバナナ一本もらえたから3時間並んだんです。あの頃バナナも結構貴重、貴重だったんで。はい。楽しかったんですよ。世界を初めて見るという感じで。でも今はもうどこでも世界にみんな旅行も行けるし、ネットでも見れる。そう。あの頃は良かったと。なんで今も脱却できないのかと、やっぱ不思議でしょうがないんですよ。なんでしょう、これ。

吉見俊哉:
私もあの70年の大阪万博は中学1年生ですかね。あの時はもうすごく感動しましたよね。あの太陽の塔を見たりとか、アメリカ館で月の石を見たりとか。でもおっしゃる通り、今はもうそんなことする必要ないわけですよ。

なぜ脱却できないかっていうと、1つはやっぱり政治の側の問題だと思うんですね。つまり、さっきも言いましたけど、通常の政治のルールが適用されない例外状態を作りたがる。そうすると、そこにお金が集まるし、いろんな利権が集まる。

もう1つは、やっぱり日本の社会全体の問題だと思うんです。つまり、オリンピックにしろ万博にしろ、これだけ問題があるのに、結局みんな賛成しちゃうんですよね。で、それはなぜかっていうと、やっぱり日本の社会全体が、何か大きなイベントがあると、そこに乗っかって一体感を味わいたいっていう、そういう欲求が強すぎるんじゃないかな。

松原耕二:
なるほど。片山さん、いかがですか。​​​​​​​​​​​​​​​​

片山善博:
そうですね。私はやっぱり、日本の組織の悪弊だと思うんですよ。有用だと思うと、誰もそういう撤退作戦みたいなものをあえてしようとしない。もうそろそろやめた方がいいんじゃないのってみんなが思っていても、やめられない。これは第2次世界大戦のときと一緒だということです。

失礼しました。こちら札幌市長の秋元さんの発言を先ほどご紹介しました。

〈中断〉


松原耕二:
はい。日本はなぜイベント資本主義から抜け出せないのか。片山さんはこういう風におっしゃってる。いかがですか。

片山善博:
これはあの、もうやめた方がいいなという情勢がだんだんこう出てくるとしますよね。札幌もそう。うんうん。だけどその段階その段階ではやめようって話にならないんですね。であの他に決まったので、そこでじゃあこれどうそのそれを規かとして、中止じゃないけどっていう含みは残してます。残してますけど、まほぼやめですよね。

そういうなんか外発的なものとかなんかがないと、自分たちで自立的に主体的には撤退を決められないっていうのは、日本の歴史を見てもそういうことあるのかなと思うんですね。

これね、日常でもそうだと思うのは、例えばゴルフやっててですね、雨が降ってきて大雨が降ってきてやめたいなと思っても、ですね、でも他の3人が一生懸命楽しんでると思うとですね、言い出せないですよね。で誰かがですね思い切って言い出すとですね、「あ、じゃあそうしようか」って言って「あー、待ってました」と。どうもそういうのがあるんですね。

だからなんか痩せ我慢、こう我慢してですね、撤退の方にこう切り替えられないっていうこう習性があるのかなと思って。これ反省しなきゃいけないと思うんですね。

松原耕二:
そうですか。吉見さん、私もまあ古い方の大阪の万博の方に子供の頃行って、月の石を見るために3時間並び、そしてエクアドル館に3時間並んでバナナ一本もらえたから3時間並んだんです。あの頃バナナも結構貴重、貴重だったんで。はい。楽しかったんですよ。世界を初めて見るという感じで。でも今はもうどこでも世界にみんな旅行も行けるし、ネットでも見れる。そう。あの頃は良かったと。なんで今も脱却できないのかと、やっぱ不思議でしょうがないんですよ。なんでしょう、これ。

吉見俊哉:
私もあの70年の大阪万博は中学1年生ですかね。​​​​​​​​​​​​​​​​

吉見俊哉:
私もあの70年の大阪万博は中学1年生ですかね。あの時はもうすごく感動しましたよね。あの太陽の塔を見たりとか、アメリカ館で月の石を見たりとか。でもおっしゃる通り、今はもうそんなことする必要ないわけですよ。

なぜ脱却できないかっていうと、1つはやっぱり政治の側の問題だと思うんですね。つまり、さっきも言いましたけど、通常の政治のルールが適用されない例外状態を作りたがる。そうすると、そこにお金が集まるし、いろんな利権が集まる。

もう1つは、やっぱり日本の社会全体の問題だと思うんです。つまり、オリンピックにしろ万博にしろ、これだけ問題があるのに、結局みんな賛成しちゃうんですよね。で、それはなぜかっていうと、やっぱり日本の社会全体が、何か大きなイベントがあると、そこに乗っかって一体感を味わいたいっていう、そういう欲求が強すぎるんじゃないかな。

それからもう1つは、やっぱり経済界の問題ですよね。つまり、こういう大きなイベントがあると、そこに巨額のお金が流れ込むわけですから、それを当て込んでいろんな事業計画を立てる。そうすると、もうそれを止めるのは非常に難しくなってくる。

だからこそ、さっき片山さんがおっしゃったように、本当に必要なのかどうか、そこをしっかり議論する。そういう場をちゃんと作っていくことが大事だと思うんですね。

〈中断〉


松原耕二:
なるほど。片山さん、最後にいかがですか。

片山善博:
そうですね。私は、こういう大型イベントについては、やっぱり住民投票のような形で、本当に市民の意思を問うべきだと思うんです。青島さんの都知事選挙での勝利は、ある意味で住民投票的な意味合いがあったわけですよね。

ただ、それだけでは不十分で、やっぱりその前に、さっき吉見さんがおっしゃったように、徹底的な議論が必要です。何のためにやるのか、本当に必要なのか、そのお金を使って他に何ができるのか。そういう議論をしっかりやった上で、最終的に市民の判断を仰ぐ。そういうプロセスが必要だと思います。

そうしないと、結局、一部の人たちの利益のために、多くの市民に負担がかかるという構図は変わらないんじゃないでしょうか。

松原耕二:
ありがとうございました。今日はイベント資本主義について考えてきました。やはり、大型イベントの是非を問う前に、私たちはどんな社会を目指すのか、そのためにどんな開発が必要なのか、そういった本質的な議論が必要だということが浮き彫りになったように思います。今日はありがとうございました。​​​​​​​​​​​​​​​​

松原耕二(キャスター):
どうですか、吉見さんのお話伺ってて、昔なんか歌がありましたよね。「東京がダメなら大阪があるさ」みたいな。ちょっとあれを思い出しながら聞いてたんですけど、私はオリンピックと万博はちょっと違うかなと思うところもあるんですよね。

片山善博(元総務大臣):
オリンピックは、やはりその特に戦後のオリンピックというのは、ローマがあり東京があり、1個飛ばしてミュンヘンがあったんですけども、これいわゆる敗戦国が国際社会に復帰していくプロセスでもあったわけですよね。これうまくできてるなと思います。

しかも割と最後ミュンヘン、ドイツが1番最後になったというのもなんとなく、やはりヨーロッパの人たちの感情がその順番にも現れているなと感じるんですけども。やはり発展途上国や、そうやって戦争で、まあの戦争、分かりやすく言えば仕掛けた側が、なんかの形で国際社会に認められデビューしていく。そのためには経済力が伸びなければいけないし、企画遂行力ができなければいけない。そういうものを持った国が国際社会に出ていく。そして最終的には目標はアスリートのそのパフォーマンスをサポートするという、オリンピックはある種の目的を持ってると思うんです。

でも万博の方はですね、もうなんか歴史的使命を日本の場合で言えば70年の大阪万博でもう終えたのではないかと。日本の例えば科学力を世界に示すとか、人々のそういう団結力や企画力を示すとか、それはもう64年のオリンピックと大阪万博で十分にできたわけで、今その例えば科学力を世界の人に示すとしたら、バーチャルも含めていろんな方法があるわけですよね。

ところが、やはりあの大きなイベントをやると建設にお金が投入され、広告にお金が投入され、それによって儲かる人たちが色々出てくる。最終的には政治家がそれによって利益を、まあ有権者の利益を得る。そのためにそのイベント式が続いている。

万博こそ、オリンピックよりもっと厳しく。もちろん2020年、2021年東京オリンピックは私あのいろんな意味で反対でしたけども、万博はそれ以上にやはりもう問題を抱えてるんではないかなと思いますね。

松原耕二(キャスター):
なるほど。あのパックンが言った、日本人も結局賛成してるじゃないかと。この日本人をまた後ほどやりたいなという風に思いますよ。吉見さん、ありますか?

吉見俊哉(国学院大学教授):
あの、今おっしゃられた通りなんですけどね。万博はどちらかというと19世紀の後半から20世紀前半まで、これが1番華やかなんですね。これ基本的に帝国主義の産物ですから。そういう100年ぐらい前に1番華やかだったものなんですね。

オリンピックは1930年代以降、つまりヒトラーがベルリンでナチオリンピックをやって、これナショナリズムがベースなんですね。で、万博はちょっとこう帝国主義とか、それから機械技術がどんどん出てきた時代なんで、ちょっと時代的には確かにずれてるんですよ。主役がこうベルリンオリンピックの頃からオリンピックに移ったんです。

だから、オリンピックで金メダル銀メダル銅メダルってあのみんなやるでしょ。元々は万博のあの仕組みなんですよ。あのメダル渡したんです。それをオリンピックの方に移った。で1900年のパリオリンピック、それから1904年のセントルイスオリンピックっていうのは、もうパリで大万博やってますよね。セントルイスでも大万博やってます。それのアトラクションですよ、オリンピックは。だんだんだんだんこう、関係が逆転してたんですね。

松原耕二(キャスター):
そうですか。1995年、当時の青島知事がですね臨海副都心を今視察しているという場面なんですが、当時この青島知事は都市博と予定されていたものを中止しました。この中止の舞台裏からイベント資本主義の本質が見えてくるということかもしれません。ここに関わった人物にインタビューしました。ご覧いただきます。

(インタビュー映像)

〈中断〉


出水麻衣(女性サブキャスター):
はい、これ都市博中止の舞台裏から何が見えるのか。出水さん、いかがでしょうか。

堤伸輔(ニュース解説):
こうした大型イベントの目的というのは湾岸の開発にあるのでしょうか。こちら過去から見ていきましょう。

松原耕二(キャスター):
はい。先ほど吉見さんがですね、結局都市博でもオリンピックでもどっちでも良かったんだとおっしゃったんですが、結局は湾岸開発をしたい。先ほどの資本主義のあのインタビューでは、政治のルールが、普段の政治のルールが適用されない例外状態を作るんだ。それを作って臨海副都心に巨額のお金が流れるようにしようと。そういう風にも見えますね。

吉見俊哉(国学院大学教授):
これその通りですね。つまり東京都も大阪府も基本的には湾岸開発やりたいんですよ。

松原耕二(キャスター):
そうか。片山さん、いかがですか。政治としてはこれ中止というのもなかなか、これ勇気がいる決断だったかもしれませんが、どう見ますか、このプロセス。

片山善博(元総務大臣):
あの1つ、中止はですね、これ青島さんだからできたんだろうなと思いますね。

松原耕二(キャスター):
そうですか。もう1つ気になりましたのはね、やっぱりはい、あのこういう開発をする時に、どうして開発自体を問わないのか。開発自体の必要性とか、どういうデザインにするか。これを地道にやるべきなのに、そういうこう思考をもうやめてしまって、イベントでわーっとその押し流してしまって、例外状態の中でやってしまうっていう癖がついてますよね。

松原耕二(キャスター):
そうですか。つさん、中止ということが日本でもあったわけですね、実際。

吉見俊哉(国学院大学教授):
そうですね。あの私、その時その問題実は取材してたんですけれども、やはりあの都知事選でそれを公約に、ほぼ唯一の公約に掲げて青島氏は立候補したわけですよね。で当選した。それはま一種の住民投票をやったに近いような、このワン一種でですね。それにもかかわらず、当時私東京都に取材に行ったらですね、あの3人いる副知事の1人がですね、「こんなのやるものに決まってるだろう」っていうわけですね。

「いやいや、この間の都知事選の結果を見たら、それあなたたち考え直すべきなんじゃないですか」て。こちらは単純にその選挙の結果を元に聞いたんですけど、「いやいやもう」、さっきもあったように「もう200億も使っていろんな業者が関与してるから、後には引けない」って。

「でもじゃああなたたちはその都民が選挙で示した意思って全く考えないんです?」「そんなもん考えなくていいんだよ」って言われて、もう大激論したことがあるんですけどね。

それはもう片山さんおっしゃるように、こういうイベントを出して一種の目くらましなんですよね。であのもうそれで何も見えなくして例外を全部OKにして進めていく。その影にはやはりそのえ大きなプロジェクトに関わるいろんな事業者の利益、それがまたキックバックとなってあの戻っていく。かといってそれはまあまり今ここでそこに踏み込みませんけども、やはり当時も色々そのキックバックみたいなことが随分言われました。

それを止めようとするものに対しては、その組織が全力を持って止めにかかるという姿を私は当時都庁の中で目の当たりにしましたが、オリンピックをずっとやり続けて、あるいは落選したら招致をし、ということを繰り返している。そして万博もこれずっとやってるわけですね。

〈中断〉


松原耕二(キャスター):
そして、これ東京五輪があって札幌五輪、これ当期ですね。これを履行したいという、しようという動きがあったんですが、結局断念したと伝えられたんですが、断念じゃないようなんですね。堤さん?

堤伸輔(ニュース解説):
そうなんです。札幌市はですね、2030年に札幌冬季オリンピック、これを誘致しようとしていたんですけれども、これまでの札幌市の誘致のための関連経費からまず見ていきましょう。

〈中断〉


堤伸輔(ニュース解説):
そちら27億4000万円に登っています。ところがですね、去年の11月、IOCの理事会で2030年はフランスというのが最終候補に上がってしまったんですね。そうしますとその翌月です、こちら招致を停止しました。なぜ中止ではなくて停止なのかと問われた札幌市長、このように答えています。「撤退や白紙だと将来開催の可能性がなくなる。将来の道を残すという意味から立ち止まるという決定をした」と答えているんですね。

で、今日お越しの片山さん、このように分析しています。日本の組織の有様だと。思うと誰もそういう撤退作戦みたいなものをあえてしようとしない。もうそろそろやめた方がいいんじゃないのってみんなが思っていても、やめられない。これは第2次世界大戦のときと一緒だということです。

失礼しました。こちら札幌市長の秋元さんの発言を先ほどご紹介しました。

松原耕二(キャスター):
はい。日本はなぜイベント資本主義から抜け出せないのか。片山さんはこういう風におっしゃってる。いかがですか?

片山善博(元総務大臣):
これはあの、もうやめた方がいいなという情勢がだんだんこう出てくるとしますよね。札幌もそう。だけどその段階その段階ではやめようって話にならないんですね。であの他に決まったので、そこでじゃあこれをきっかけとして、中止じゃないけどっていう含みは残してます。残してますけど、まほぼやめですよね。

そういうなんか外発的なことがないと、自分たちで自立的に主体的には撤退を決められないっていうのは、日本の歴史を見てもそういうことあるのかなと思うんですね。これね、日常でもそうだと思うのは、例えばゴルフやってて、雨が降ってきて、大雨が降ってきてやめたいなと思っても、他の3人が一生懸命楽しんでると思うと、言い出せないですよね。​​​​​​​​​​​​​​​​

松原:誰かが思い切って言い出すと、「じゃあそうしようか」って言って、待ってましたとどうもそういうのがあるんですね。だからなんか痩せ我慢、こう我慢してですね、撤退の方にこう切り替えられないっていう修正があるのかなと思って。これ反省しなきゃいけないと思うんですね。

片山:そうですか。

吉見:私も古い方の大阪の万博の方に子供の頃行って、月の石を見るために3時間並び、そしてエクアドル館に3時間並んでバナナ一本もらえたから3時間並んだんです。あの頃バナナも結構貴重だったんです。楽しかったんですよ。世界を初めて見るという感じで。でも今はもうどこでも世界にみんな旅行も行けるし、ネットでも見れる。

松原:そう。あの頃は良かったと。なんで今も脱却できないのか、やっぱり不思議でしょうがないんですよ。なんでしょうこれ。

吉見:私も70年の大阪万博は中学1年生ですかね、2回行ってます。基本的には、万博のようなビッグイベントっていうのは、経済成長っていうんですか、成長拡大の時代に1番華やかさを持つイベントなんですね。例えば、イギリスやフランスで万博が1番盛んに開催されていたのは19世紀中。それから19世紀末から20世紀初になるとアメリカで1番華やかなものが開催されてく。今は上海とかドバイでしょう。

だから、基本的にキャッチアップ型のですね、これからもうちょっともっと拡大していくぞっていう時代には万博はある程度フィットするんだけれど、もう成熟社会とか、それからどっちかというと収縮していく社会、そこに1番ふさわしいイベントとは必ずしも言えないんですね。

だとすれば本当は方向転換を、今片山さんおっしゃったように、しないといけない。しないといけないんだけど、どっちに方向転換していいのか分からないんですよ。つまり、日本人はお祭り好きで、僕もちっちゃな村とか街のお祭りはいいわけですよ。同じこと繰り返してやっぱりそれに熱狂するってすごくわかる。だけれども国とか都市とかもっと大きな単位だったら、やっぱりみんな議論しながら、違う、この都市東京あるいは大阪をどっちに向けるべきなのか、日本をどっちに向けるべきなのかということをちゃんと議論してビジョンを作っていくって、この仕組みが日本の社会にないことが1番大きな問題じゃないかと思いますね。

パックン:そう考えると、吉見さんの今の言葉じゃないですけど、片山さんもおっしゃった、日本はこういろんな理念を詰めて議論をして「じゃあやろう」というのがなかなかなくて、もう「やろう」と、お祭りやろう、箱物作ろうみたいな、開発しようと。なんでそっち走っちゃうのかどうですか。

片山:分かりやすいんですよ。作としてすごく分かりやすい。一応ブランドがもう100年も前からあるものですよね。この万博も五輪も。ですから誰かが「よし万博誘致する」「五輪誘致する」って言うとピンとくるわけですよ。分かりやすい。で、松原さんもおっしゃった昔の記憶とか蘇ってくるんですよ。あの成功体験を、そうそう、あの影響を、もう1度あの感動をもう1度という、こういう感情を引き立てるにはものすごく便利なものなんですよ。

で、それを反対声はあげられないかて言ったら、そうでもないですよ。青島さんだってできました。中止を訴えて選挙に出て勝てば、もうそれはその権限が手に入りますから。できなくはないんです。ですから先も言いましたけど、案外人気なんですよ。

この今回の大阪万博、動員数3000万人弱ですよ。とんでもない数字ですよ。

パックン:今回ですか?

片山:今回です。本当に来るかどうか別としてです。2019年のラグビーワールドカップ、結構盛り上がりましたね。あれ合計の動員数は170万人です。それに比べて20倍ぐらいの数を呼ぼうとしてる。この大希望な、プロジェクトを成功させることができたら、それはその人が自分のレガシーとしてずっと歴史に残るでしょう。そういう、1回バカかもしれないですけど、分かりやすいブランドに便乗して自分のレガシーを作ろうとする政治家の気持ちもわかんなくはないですね。

松原:吉見さん、私今の聞いてで思ったんですけど、日本人っていうのはノーベル賞もらう日本人とかですね、あるいは本当世界で認められた日本人、メダルをとってものすごい熱狂しますよね。その坂の上の雲じゃないですけど、欧米追い越せのあの時の記憶の、世界で認められる日本人とか日本とか、世界のイベントが日本に来るとか。未だにそういうのに弱いんじゃないかなと。

吉見:それはあると思いますよね。だってテレビ番組でもよくあるけど、「日本ってこんなにすごい」っていうのを作る方も見る方も大好きですよね。それはどこの国にもそういう感情はあるんだと思います。日本人だけではないと思う。ただやっぱり日本の場合特にそういうことで割と喜びがちなとこはある。で、プラスそこにそのイベントを持ってきて、さっき片山さんおっしゃったように、もうコンセプトは2の次になるわけです。人が来てくれればいい。

しっかりコンセプトを詰めてというのはやらない。結果的に何が起こるかというと、広告関連会社に投げて、そこからレガシーだの、サステナビリティだの、ダイバーシティだの、最近多いのはインクルーシブとかですね、そういう言葉が流行りなんですけど、そういう言葉をなんか分かったような言葉をつけてごまかしながら、例外を現実化して、イベントに突き進んでいく。そこで国民の全体に利益が行くかどうかは、もう2の次どころか3の次になってしまう。

でも、それはやっぱり最後のところで、結局は選挙でそういうことを主張するような政治家には入れないという形で国民が意思を反映させるしかない。しもう1つ、やはりこういうビッグイベントをやるんだったら、やはりそれは住民投票をやるべきだと思いますよね。可能な限りね。

松原:はい、はい、はい。オリンピックや万博など、いろんなイベントがある時必ず出てくるのが経済効果というもので、今回の大阪関西万博も2.9兆円だったり、あるいは3兆3000億円以上なんていう数字も色々出ております。ただですね、自分たちの足元を見ると、国の借金はこれだけあっても先進国最悪の水準だということで、いろんなイベントでいろんな開発にお金をどんどん税金を使う、本当にこれで大丈夫なんだろうかとやはり思ってしまいます。

さて皆さんは、今日の総括としてどんなことを思われるか。片山さんいかがでしょうか。

片山:あの私最近国のこういうイベントなんか見てましてね、金の使い方がすごく丁寧さがなくなったな、荒っぽいなっていう気がするんですよね。だからどれだけ金を使ってるかっていうことの把握をちゃんとしてないから、節約しようっていうこともなくなる。

これはですね、最近の、私も霞が関にいましたけど、その最近の現状を見て気になるのは、丸投げするんですよ。大体この種の事業っていうのは昔はある程度自分たちでやってました。企画込めて私なんかもそうですけども。ですけど最近はもうね、軽い小さな模様替えでも全部丸投げするんですよ。広告代理店に丸投げするみたいな。

ですからね、なんかこう「やろうね」って言った時に、軽く受けちゃうんじゃないかと思うんですよ。丸投げすればいいんだから。大変さがない。自分たちでやるってなったら、これ大変ですよ。身震いしますよ。だけど丸投げするってことになれば「あいいですよ」と。予算だけ。こういうことがあるので、これじゃあそのお金の借金も増える、節約の意思もないっていうことになって、どんどん悪くなるなって気がします。

からね、1つはやっぱり本当にやるんなら自分たちの手でやれと。「自分たちでやれますか」って、そういうとこから入っていきたいと思いますね。

松原:そうですか。吉見さんいかがですか。

〈中断〉


吉見:私はね、21世紀の日本、1番大切なのは、見てくれのいい足し算じゃなくて1番いい引き算を考えることだと思うんですよ。つまり、人口減少、東京一極集中、これ大問題ですよ。今の日本の人口が1億2000万でも、2040年か50年には9500万ぐらいまで減るでしょう。そうすると、その中で東京圏には3600万人、それから大阪とか京都には大体1700万人ですよね。圧倒的に集中してる。

なぜならば、それ当たり前で、より効率的に短期的に利益を上げよう利益を上げようとすると、もう集中の方がいいっていうことになる。でもそうしたら、日本の豊かさ滅びるんですね。

今から140年ぐらい前に日本で最も人口が多かった県は、あの最初にちょっと出てきましたけども石川県ですよ、実は。180万。石川と福井と富山が1つの県だったんですけど、それが日本最大の県ですよ。東京よりも大阪よりもずっと大きかったんですよ。つまり地方が豊かだった。これが日本の豊かさを支えていたんですね。でそれをどんどんどんどん東京が吸収していっちゃう、大都市が吸収していっちゃって、ここまで来ちゃったっていうことですね。

だからもう1回何か考えるんだったらば、もう片山さんの前であれですけれども、もう1回やっぱり地方にシフトする、重点をそっちにどうやっていくかっていうこと。だったらば予算を使うことは僕は正しいと思います。

松原:そうですか。パックンいかがでしょう。

パックン:あの、まずこの経済効果と借金は違うものだということを是非認識していただきたいですけど。この経済効果が例えば1兆円の公金で3兆円の経済効果を得ることができたら、いい買い物かなと思う。でも、この借金が増え続けるのは問題あります。

でなんで、まず国が借金を膨らまし膨らましっぱなしでいけるのか、なんでこんなに赤字の国家事業を行けるのかというと、独占企業状態ですから。大対案がないから。国の政府と変わる違う政府との競争が全くないから。政権交代がないってことです。

そうなんですよ。つまり選挙で大対案を出して、もっとその債務削減とか財政健全化とか訴えるような政党が勝つようになったら、もう少し引き締まるんじゃないかなと思うんですよ。

松原:本当いつも出るけど本当かなといつも思います。そうですね、本当にその効果があるのか誰も後でちゃんとこうやってくれた試しがあんまりないんですよね。

で私、この比較を見る時いつも思うのが、小中学校のエアコンの設置率なんですね。冷房。これだけ熱中症とかが問題になって、例えば体育の時間中になくなる子供たちがいたりわけですよね。ようやく近年、普通教室は増えてきました。95%の小中学校で冷房が設置されてる。ただ、体育館、皆さんどのくらいだと思います?
日本全国の2年前の調査ですけど、体育館の冷房設置率わずか12%ですよ。
(AIの創作↑)

 *     *     *

〈中断〉


松原耕二(キャスター):
はい。日本はなぜイベント資本主義から抜け出せないのか。片山さんはこういう風におっしゃってる。いかがですか?

片山善博(元総務大臣):
これはあの、もうやめた方がいいなという情勢がだんだんこう出てくるとしますよね。札幌もそう。だけどその段階その段階ではやめようって話にならないんですね。であの他に決まったので、そこでじゃあこれをきっかけとして、中止じゃないけどっていう含みは残してます。残してますけど、まほぼやめですよね。

そういうなんか外発的なことがないと、自分たちで自立的に主体的には撤退を決められないっていうのは、日本の歴史を見てもそういうことあるのかなと思うんですね。これね、日常でもそうだと思うのは、例えばゴルフやってて、雨が降ってきて、大雨が降ってきてやめたいなと思っても、他の3人が一生懸命楽しんでると思うと、言い出せないですよね。​​​​​​​​​​​​​​​​

松原:誰かが思い切って言い出すと、「じゃあそうしようか」って言って、待ってましたとどうもそういうのがあるんですね。だからなんか痩せ我慢、こう我慢してですね、撤退の方にこう切り替えられないっていう修正があるのかなと思って。これ反省しなきゃいけないと思うんですね。

片山:そうですか。

吉見:私も古い方の大阪の万博の方に子供の頃行って、月の石を見るために3時間並び、そしてエクアドル館に3時間並んでバナナ一本もらえたから3時間並んだんです。あの頃バナナも結構貴重だったんです。楽しかったんですよ。世界を初めて見るという感じで。でも今はもうどこでも世界にみんな旅行も行けるし、ネットでも見れる。

松原:そう。あの頃は良かったと。なんで今も脱却できないのか、やっぱり不思議でしょうがないんですよ。なんでしょうこれ。

吉見:私も70年の大阪万博は中学1年生ですかね、2回行ってます。基本的には、万博のようなビッグイベントっていうのは、経済成長っていうんですか、成長拡大の時代に1番華やかさを持つイベントなんですね。例えば、イギリスやフランスで万博が1番盛んに開催されていたのは19世紀中。それから19世紀末から20世紀初になるとアメリカで1番華やかなものが開催されてく。今は上海とかドバイでしょう。

だから、基本的にキャッチアップ型のですね、これからもうちょっともっと拡大していくぞっていう時代には万博はある程度フィットするんだけれど、もう成熟社会とか、それからどっちかというと収縮していく社会、そこに1番ふさわしいイベントとは必ずしも言えないんですね。

だとすれば本当は方向転換を、今片山さんおっしゃったように、しないといけない。しないといけないんだけど、どっちに方向転換していいのか分からないんですよ。つまり、日本人はお祭り好きで、僕もちっちゃな村とか街のお祭りはいいわけですよ。同じこと繰り返してやっぱりそれに熱狂するってすごくわかる。だけれども国とか都市とかもっと大きな単位だったら、やっぱりみんな議論しながら、違う、この都市東京あるいは大阪をどっちに向けるべきなのか、日本をどっちに向けるべきなのかということをちゃんと議論してビジョンを作っていくって、この仕組みが日本の社会にないことが1番大きな問題じゃないかと思いますね。

パックン:そう考えると、吉見さんの今の言葉じゃないですけど、片山さんもおっしゃった、日本はこういろんな理念を詰めて議論をして「じゃあやろう」というのがなかなかなくて、もう「やろう」と、お祭りやろう、箱物作ろうみたいな、開発しようと。なんでそっち走っちゃうのかどうですか。

片山:分かりやすいんですよ。作としてすごく分かりやすい。一応ブランドがもう100年も前からあるものですよね。この万博も五輪も。ですから誰かが「よし万博誘致する」「五輪誘致する」って言うとピンとくるわけですよ。分かりやすい。で、松原さんもおっしゃった昔の記憶とか蘇ってくるんですよ。あの成功体験を、そうそう、あの影響を、もう1度あの感動をもう1度という、こういう感情を引き立てるにはものすごく便利なものなんですよ。

で、それを反対声はあげられないかて言ったら、そうでもないですよ。青島さんだってできました。中止を訴えて選挙に出て勝てば、もうそれはその権限が手に入りますから。できなくはないんです。ですから先も言いましたけど、案外人気なんですよ。

この今回の大阪万博、動員数3000万人弱ですよ。とんでもない数字ですよ。

パックン:今回ですか?

片山:今回です。本当に来るかどうか別としてです。2019年のラグビーワールドカップ、結構盛り上がりましたね。あれ合計の動員数は170万人です。それに比べて20倍ぐらいの数を呼ぼうとしてる。この大希望な、プロジェクトを成功させることができたら、それはその人が自分のレガシーとしてずっと歴史に残るでしょう。そういう、1回バカかもしれないですけど、分かりやすいブランドに便乗して自分のレガシーを作ろうとする政治家の気持ちもわかんなくはないですね。

松原:吉見さん、私今の聞いてで思ったんですけど、日本人っていうのはノーベル賞もらう日本人とかですね、あるいは本当世界で認められた日本人、メダルをとってものすごい熱狂しますよね。その坂の上の雲じゃないですけど、欧米追い越せのあの時の記憶の、世界で認められる日本人とか日本とか、世界のイベントが日本に来るとか。未だにそういうのに弱いんじゃないかなと。

吉見:それはあると思いますよね。だってテレビ番組でもよくあるけど、「日本ってこんなにすごい」っていうのを作る方も見る方も大好きですよね。それはどこの国にもそういう感情はあるんだと思います。日本人だけではないと思う。ただやっぱり日本の場合特にそういうことで割と喜びがちなとこはある。で、プラスそこにそのイベントを持ってきて、さっき片山さんおっしゃったように、もうコンセプトは2の次になるわけです。人が来てくれればいい。

しっかりコンセプトを詰めてというのはやらない。結果的に何が起こるかというと、広告関連会社に投げて、そこからレガシーだの、サステナビリティだの、ダイバーシティだの、最近多いのはインクルーシブとかですね、そういう言葉が流行りなんですけど、そういう言葉をなんか分かったような言葉をつけてごまかしながら、例外を現実化して、イベントに突き進んでいく。そこで国民の全体に利益が行くかどうかは、もう2の次どころか3の次になってしまう。

でも、それはやっぱり最後のところで、結局は選挙でそういうことを主張するような政治家には入れないという形で国民が意思を反映させるしかない。しもう1つ、やはりこういうビッグイベントをやるんだったら、やはりそれは住民投票をやるべきだと思いますよね。可能な限りね。

松原:はい、はい、はい。オリンピックや万博など、いろんなイベントがある時必ず出てくるのが経済効果というもので、今回の大阪関西万博も2.9兆円だったり、あるいは3兆3000億円以上なんていう数字も色々出ております。ただですね、自分たちの足元を見ると、国の借金はこれだけあっても先進国最悪の水準だということで、いろんなイベントでいろんな開発にお金をどんどん税金を使う、本当にこれで大丈夫なんだろうかとやはり思ってしまいます。

さて皆さんは、今日の総括としてどんなことを思われるか。片山さんいかがでしょうか。

片山:あの私最近国のこういうイベントなんか見てましてね、金の使い方がすごく丁寧さがなくなったな、荒っぽいなっていう気がするんですよね。だからどれだけ金を使ってるかっていうことの把握をちゃんとしてないから、節約しようっていうこともなくなる。

これはですね、最近の、私も霞が関にいましたけど、その最近の現状を見て気になるのは、丸投げするんですよ。大体この種の事業っていうのは昔はある程度自分たちでやってました。企画込めて私なんかもそうですけども。ですけど最近はもうね、軽い小さな模様替えでも全部丸投げするんですよ。広告代理店に丸投げするみたいな。

ですからね、なんかこう「やろうね」って言った時に、軽く受けちゃうんじゃないかと思うんですよ。丸投げすればいいんだから。大変さがない。自分たちでやるってなったら、これ大変ですよ。身震いしますよ。だけど丸投げするってことになれば「あいいですよ」と。予算だけ。こういうことがあるので、これじゃあそのお金の借金も増える、節約の意思もないっていうことになって、どんどん悪くなるなって気がします。

からね、1つはやっぱり本当にやるんなら自分たちの手でやれと。「自分たちでやれますか」って、そういうとこから入っていきたいと思いますね。

松原:そうですか。吉見さんいかがですか。

吉見:私はね、21世紀の日本、1番大切なのは、見てくれのいい足し算じゃなくて1番いい引き算を考えることだと思うんですよ。つまり、人口減少、東京一極集中、これ大問題ですよ。今の日本の人口が1億2000万でも、2040年か50年には9500万ぐらいまで減るでしょう。そうすると、その中で東京圏には3600万人、それから大阪とか京都には大体1700万人ですよね。圧倒的に集中してる。

なぜならば、それ当たり前で、より効率的に短期的に利益を上げよう利益を上げようとすると、もう集中の方がいいっていうことになる。でもそうしたら、日本の豊かさ滅びるんですね。

今から140年ぐらい前に日本で最も人口が多かった県は、あの最初にちょっと出てきましたけども石川県ですよ、実は。180万。石川と福井と富山が1つの県だったんですけど、それが日本最大の県ですよ。東京よりも大阪よりもずっと大きかったんですよ。つまり地方が豊かだった。これが日本の豊かさを支えていたんですね。でそれをどんどんどんどん東京が吸収していっちゃう、大都市が吸収していっちゃって、ここまで来ちゃったっていうことですね。

だからもう1回何か考えるんだったらば、もう片山さんの前であれですけれども、もう1回やっぱり地方にシフトする、重点をそっちにどうやっていくかっていうこと。だったらば予算を使うことは僕は正しいと思います。

松原:そうですか。パックンいかがでしょう。

パックン:あの、まずこの経済効果と借金は違うものだということを是非認識していただきたいですけど。この経済効果が例えば1兆円の公金で3兆円の経済効果を得ることができたら、いい買い物かなと思う。でも、この借金が増え続けるのは問題あります。

でなんで、まず国が借金を膨らまし膨らましっぱなしでいけるのか、なんでこんなに赤字の国家事業を行けるのかというと、独占企業状態ですから。大対案がないから。国の政府と変わる違う政府との競争が全くないから。政権交代がないってことです。

そうなんですよ。つまり選挙で大対案を出して、もっとその債務削減とか財政健全化とか訴えるような政党が勝つようになったら、もう少し引き締まるんじゃないかなと思うんですよ。

松原:本当いつも出るけど本当かなといつも思います。そうですね、本当にその効果があるのか誰も後でちゃんとこうやってくれた試しがあんまりないんですよね。

で私、この比較を見る時いつも思うのが、小中学校のエアコンの設置率なんですね。冷房。これだけ熱中症とかが問題になって、例えば体育の時間中になくなる子供たちがいたりわけですよね。ようやく近年、普通教室は増えてきました。95%の小中学校で冷房が設置されてる。ただ、体育館、皆さんどのくらいだと思います?
日本全国の2年前の調査ですけど、体育館の冷房設置率わずか12%ですよ。

パックン:へえ。

松原:根性論でね、暑い中でやるのがスポーツだっていう根性論を振り回したいならいいけれども、ここにお金を使うくらいなら、まず子供に投資しようよ。その子供たちが将来生み出してくれる経済効果の方が私ははるかに大きいと思います。

さて、イベント資本主義、皆さんどんな風に感じられたでしょうか。皆さん、どうもありがとうございました。​​​​​​​​​​​​​​​​



〈中断〉


オリンピックの問題点に関する要約:

1. イベント資本主義からの脱却困難:
  - 日本は大規模国際イベントの招致に固執する傾向がある。
  - 過去の成功体験や世界的認知への渇望が、批判的思考を妨げている。

2. 経済効果の過大評価:
  - 巨額の経済効果が喧伝されるが、その実態は不透明。
  - 長期的な借金増加のリスクが軽視されている。

3. コンセプトの不明確さ:
  - イベント開催自体が目的化し、深い議論や明確なビジョンが欠如。
  - 広告代理店への丸投げにより、表面的なキーワードで糊塗される傾向。

4. 財政規律の欠如:
  - 国の借金が膨らむ中、大規模イベントへの支出に対する批判的検討が不足。
  - 政権交代の欠如により、財政規律を求める声が政策に反映されにくい。

5. 優先順位の誤り:
  - 教育や地方創生など、より重要な課題への投資が後回しにされている。
  - 人口減少や地方衰退といった構造的問題への対応が遅れている。

6. 意思決定プロセスの問題:
  - 住民投票など、直接的な民意の反映機会が不足している。
  - 批判的な声や中止の選択肢が十分に検討されていない。



〈中断〉


⚫︎オリンピックの問題点に関する要約:

1. イベント資本主義からの脱却困難:
  - 日本は大規模国際イベントの招致に固執する傾向がある。
  - 過去の成功体験や世界的認知への渇望が、批判的思考を妨げている。

2. 経済効果の過大評価:
  - 巨額の経済効果が喧伝されるが、その実態は不透明。
  - 長期的な借金増加のリスクが軽視されている。

3. コンセプトの不明確さ:
  - イベント開催自体が目的化し、深い議論や明確なビジョンが欠如。
  - 広告代理店への丸投げにより、表面的なキーワードで糊塗される傾向。

4. 財政規律の欠如:
  - 国の借金が膨らむ中、大規模イベントへの支出に対する批判的検討が不足。
  - 政権交代の欠如により、財政規律を求める声が政策に反映されにくい。

5. 優先順位の誤り:
  - 教育や地方創生など、より重要な課題への投資が後回しにされている。
  - 人口減少や地方衰退といった構造的問題への対応が遅れている。

6. 意思決定プロセスの問題:
  - 住民投票など、直接的な民意の反映機会が不足している。
  - 批判的な声や中止の選択肢が十分に検討されていない。

これらの問題点は、オリンピックに限らず、万博などの大規模イベント全般に共通する課題として指摘されています。​​​​​​​​​​​​​​​​

     *     *     *

〈中断〉


この文章から、オリンピックを含む大規模イベントの問題点について、以下のように要約できます:

1. 経済効果の過大評価:
  - 巨額の経済効果が謳われるが、実際の効果は不透明で、検証が不十分。

2. 財政負担の増大:
  - 国の借金が増え続ける中、大規模イベントへの巨額投資の妥当性に疑問。

3. 意思決定プロセスの不透明性:
  - 十分な議論や住民投票なしに、トップダウンで決定されることが多い。

4. 時代錯誤的な発想:
  - 経済成長期には適していたが、成熟社会や人口減少時代には不適切な可能性。

5. 本質的な課題の軽視:
  - 地方の衰退や人口一極集中など、根本的な社会問題への対応が後手に回る。

6. 事業の丸投げ体質:
  - 政府や自治体が主体性を失い、広告代理店などに依存しすぎる傾向。

7. コンセプトの希薄化:
  - 本来の目的よりも、人を集めることや表面的な成功に重点が置かれる。

8. 優先順位の誤り:
  - 教育施設の整備など、より重要な投資が後回しにされる可能性。

9. 政治的レガシー重視:
  - 政治家の個人的な功績作りの手段として利用される傾向。

10. 批判的議論の不足:
   - 大規模イベントへの批判や代替案を提示する政治勢力が弱い。


これらの問題点は、オリンピックだけでなく、万博などの他の大規模イベントにも共通して当てはまる課題として指摘されています。​​​​​​​​​​​​​​​​

オリンピックを含む大規模イベントの問題点に関する詳細な要約:

1. イベント資本主義からの脱却困難:
  引用: 「日本は大規模国際イベントの招致に固執する傾向がある。」
  「過去の成功体験や世界的認知への渇望が、批判的思考を妨げている。」
  説明: 日本は国際的なメガイベントを招致することに熱心だが、その背景には過去の成功体験や世界的認知への渇望があり、これが批判的思考を妨げている。

2. 経済効果の過大評価と財政負担:
  引用: 「巨額の経済効果が喧伝されるが、その実態は不透明。」
  「長期的な借金増加のリスクが軽視されている。」
  「国の借金が増え続ける中、大規模イベントへの巨額投資の妥当性に疑問。」
  説明: 巨額の経済効果が謳われるが、実際の効果は不透明で検証が不十分。同時に、国の借金が増加する中で、このような大規模投資の妥当性が問われている。

3. コンセプトの不明確さと希薄化:
  引用: 「イベント開催自体が目的化し、深い議論や明確なビジョンが欠如。」
  「広告代理店への丸投げにより、表面的なキーワードで糊塗される傾向。」
  「本来の目的よりも、人を集めることや表面的な成功に重点が置かれる。」
  説明: イベントの本質的な意義よりも、人を集めることや表面的な成功が優先される傾向がある。また、広告代理店への依存により、深い議論や明確なビジョンが欠如している。

4. 財政規律の欠如と優先順位の誤り:
  引用: 「国の借金が膨らむ中、大規模イベントへの支出に対する批判的検討が不足。」
  「教育や地方創生など、より重要な課題への投資が後回しにされている。」
  説明: 財政規律が欠如し、教育や地方創生などの重要課題への投資が後回しにされる一方で、大規模イベントへの支出が十分な検討なく行われている。

5. 意思決定プロセスの問題:
  引用: 「住民投票など、直接的な民意の反映機会が不足している。」
  「十分な議論や住民投票なしに、トップダウンで決定されることが多い。」
  説明: 大規模イベントの開催決定が、十分な議論や住民の意思反映なしにトップダウンで行われる傾向がある。

6. 時代錯誤的な発想:
  引用: 「1970年大阪万博の成功体験に引きずられている」
  「経済成長期には適していたが、成熟社会や人口減少時代には不適切な可能性。」
  説明: 過去の成功体験に引きずられ、現代の社会情勢に適さない可能性のある大規模イベントが推進されている。

7. 事業運営の問題:
  引用: 「政府や自治体が主体性を失い、広告代理店などに依存しすぎる傾向。」
  「全体を統括し、説明責任を果たす人物の不在」
  説明: 政府や自治体の主体性喪失と外部依存、リーダーシップと責任所在の不明確さが指摘されている。

8. 政治的利用:
  引用: 「政治家の個人的な功績作りの手段として利用される傾向。」
  説明: 政治家が自身のレガシーを作るためにこのようなイベントを推進する傾向がある。

9. 批判的議論の不足:
  引用: 「批判的な声や中止の選択肢が十分に検討されていない。」
  「大規模イベントへの批判や代替案を提示する政治勢力が弱い。」
  説明: イベントの是非や意義について十分な議論が行われず、批判的な意見や代替案が軽視される傾向がある。

これらの問題点は、オリンピックだけでなく、万博など日本の大規模イベント全般に共通する課題として指摘されており、その意義や実施方法について根本的な再考が必要とされています。​​​​​​​​​​​​​​​​

〈中断〉


この会話から、オリンピックと万博に関する主な問題点を要約すると以下のようになります:

1. 巨額の費用と不透明な予算:
  - 建設費用の倍増
  - インフラ整備費用の追加
  - 全体の費用が不明確

2. 建設の遅れと準備不足:
  - 工事の遅延
  - パビリオン建設の遅れ
  - 会場へのアクセスや物流の問題

3. リーダーシップと責任の所在の不明確さ:
  - 全体を統括し、説明責任を果たす人物の不在
  - 関係者の責任逃れ

4. 時代にそぐわない大規模イベントの問題:
  - 1970年大阪万博の成功体験に引きずられている
  - 21世紀の社会情勢に合わない国家主導のイベント

5. カジノとの関連性:
  - 持続可能性への疑問
  - インフラ整備とカジノ誘致の関連性

6. 被災地支援との矛盾:
  - 被災県の予算から万博関連費用が計上されていることへの疑問

7. イノベーションの欠如:
  - 新しいアイデアや技術の創出の場としての機能不足
  - 草の根レベルの参加や創造性の欠如

これらの問題点は、大規模イベントの意義や実施方法について再考の必要性を示唆しています。​​​​​​​​​​​​​​​​

*     *     *

この会話をオリンピックの問題点という観点から要約すると以下のようになります:

1. 巨額の資金調達構造: オリンピックは大阪万博と同様に、巨額の資金を必要とするイベントである。

2. イベント資本主義: 日本は国際的なメガイベントを招致することに熱心だが、その背景には経済効果への期待がある。しかし、実際の経済効果は疑問視されている。

3. コンセプトの薄弱さ: イベントの本質的な意義よりも、人を集めることが優先される傾向がある。

4. 丸投げ体質: 政府や自治体が事業を外部に丸投げする傾向があり、コスト管理や責任の所在が不明確になっている。

5. 財政への影響: 国の借金が膨大な中で、このような大規模イベントへの投資が適切かどうか疑問が呈されている。

6. 地方の衰退: オリンピックのような大規模イベントは都市部に集中し、地方の衰退を加速させる可能性がある。

7. 住民の意思反映の欠如: このような大規模イベントの開催決定に際し、住民投票などの手段で直接的に市民の意思を反映させる仕組みがない。

8. 政治的レガシー: 政治家が自身のレガシーを作るためにこのようなイベントを推進する傾向がある。

9. 批判的議論の不足: イベントの是非や意義について十分な議論が行われないまま、推進される傾向がある。

これらの問題点は、オリンピックに限らず、日本の大規模イベント全般に当てはまる課題として指摘されています。​​​​​​​​​​​​​​​​

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