【灯幻郷・後編】

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[[【灯幻郷・前編】>https://www47.atwiki.jp/isekaikouryu/pages/2654.html]]より続く  突然起こった竜巻に流されてたどりついたその村は、地球人どころか隣村以外とあまり交流がなかったらしい。 「どっから来たのどっから来たの?」 「羽根がないの!?」  興味津々な鳥人の子供たちに囲まれ、小さな村のあちらこちらを案内された。  重たい資材置き場などを除けば、ほとんどの建物が樹上に建てられている。  地面から歩いて移動できる階段もなければ、家同士を繋ぐ通路もない。  飛んで登るか、翼で飛べなくても木の幹に短く残した枝を足場に、ひらりひらりと跳び移って登ってしまう。  ただ、山頂のことを知る者はやっぱり誰もいなかった。  畑を見ないといけないからと言って別れたが、この時期に手のかかる作物は殆どないので、ほとんど一日中ぶらぶらしていた。  別に隠し事をしているわけではないが、何だか言い出しづらくなってしまった。  夕方になって畑から実家に戻ると、彼は昨日と同じように山の上を見ていた。 「おや、何か気になりますかな」  おじいちゃんが話しかける。 「あの山に登ってみたいなと思ったんだけど」 「ほほぅ、村の頂ですか」 「ダメ?」 「いいですとも。しかし村にとって大事な場所じゃから、一応村の者に付いて行ってもらうかの」  そんな大事な所だったっけ?と考えていたが、いつの間にか二人の視線が向けられている事に気付いた。 「あのー…?」  須賀洋人さんが昨日の大きな荷物を背負って立つ。荷物が大きくて、まるで甲虫が後ろ足で立ったみたいだ。 「それじゃあ、よろしく頼むよ。何しろ地球の山は色々登ったけど、異世界旅行は今回が初めてだからさ」  何かのジェスチャーなのか、こちらに親指を立てた握り拳を見せた。 「は、はい。でもきっと、大した物は何もないですよ?」  彼は構わず続ける。 「いいのいいの。今日はまた違うものが見られるかもしれないし」  さぁ出発だ、と拳を振り上げて家の前から歩き出した。 「いい景色だー!」  後ろから感嘆する声がする。チラリと振り返ると夕暮れの浮遊島群を見て感動しているようだった。  確かに森から見るより見晴らしは良いが、いつもの浮遊島だ。  というか山を半分以上登ってこっちの脚はフラフラだというのに、この人は全く疲れる気配を見せない。  頂上までは子供の頃に一度登ったきりだけど、こんなに大変だったっけ。  今度は足元に生えた野草を熱心に観察していた。  私はそんな暇はないと再び前を向いて登っていると、何となく後ろから視線を感じる。特に脚。 「あのー、何か…?」  が、振り返ってもこちらを見るともなく付いて来ているだけだった。 「え?いや何にも」  絶対何かある。  もしかして、私のせいで時間を持て余してる?  この余裕ならもっと速く登る事だって出来るはずだ。  しかし一向に私を急かす気配もない。  じゃあまさか。もしかして気付いた?  あれこれ考えていたら、当の本人はいつの間にか耳を澄ますように目を閉じていた。 「いい音がするな、この山は」 「音…ですか?」 「ほら、風が吹くと一緒に違う音が聞こえないか?笛の音色みたいな…」  耳に翼を当ててみるが、いつもの風の音にしか聞こえない。 「うーん、分かりません…」 「そう?好きな音なんだけどな」 「そ、それより急ぎましょうか。日も暮れちゃいますし」 「大丈夫かい」 「だ、大丈夫ですよこれくらい」 「随分飛ばしているみたいけど」 「飛んでなんかないです!」 「お、おう」  こっちは急いでいるのに、なんでそんなにのんびりしてるのだろう。  あれ?なんでいそいでたんだっけ?  ぐらり。  足元が揺れるような感覚がして、それから先はあまり覚えていない。  何かを思い出す。  5年前の秋。12歳の誕生日。  日が暮れて真っ暗になるまで、たった一人で飛び降り続けた崖。  そして結局、風を掴むことが出来なかった翼。  違う。あの崖は山のもっと下にあるし、今日は避けて登ってきた。  気が付くと、さっき足を止めた場所で横向きに寝かされていた。 「あ…」  こちらを覗き込む心配そうな顔。 「大丈夫?ちょっとオーバーペースだったね」  何とか上半身を起こして答える。 「ごめんなさい、私のせいで…」 「あー、いいっていいって。俺の方こそ君の体力に注意するべきだったんだけど、この岩場を登れる脚力が凄いなって気を取られちゃってさ」  視線を感じていたのはそのせいだったのか。 「いえ、勝手に焦ってたのは私ですから…」 「焦ってた?」 「山岳地帯の鳥人ならこれくらいはできないと、って思ってたんですけど…ホントダメダメですね、私」 「そう?俺には全然…」 「海沿いの人達みたいに泳げるわけでも、平地の人達みたいに速く走れる訳でもないですし。それに私は…」  一呼吸。 「飛べないんですから」  山のふもとはすっかり日が当たらなくなっていた。  貸したストックを翼で持ったセニサと並んで、着実なペースを探るように登っていく。  息はあまり切れていない。何だかんだ言っても、鳥人だけあって肺活量は非常に高いのだろう。  それで見誤ってしまったが、肺活量だけで体力が決まる訳ではない。  30分前。セニサの調子が少し落ち着いた所で、話を切り出した。 「暗くなってきたし、俺の経験的には今日は下山という選択肢も考えられる…」  その言葉に彼女の顔が申し訳なさそうに曇る。 「が、この山に詳しいのは君だ。だから今から降りるか、登り切るか、君の判断を信じる」  しばらく下を向いて考えていたが、やがて顔を上げた。 「…登ります。登ってみせます。だから最後まで案内させてください」 「分かった、信じよう。ただし、今度は無理のないペースでね」 「はい!」  あれから30分。肩の荷が多少下りたのか、さっきまでより落ち着いて登っている。  全く無理をしてないと言えば嘘になるが、彼女なりに役目を果たそうという気概だと思いたい。 「しかし、流石に暗くなってきたな」  試しにセニサから借りた鈴を振って鳴らすと、本当に光精霊がやって来た。 「よーしよし、これに付いてくれるか?」 「??」  興味を示して鈴の周りを飛び回っているが、こちらの意図は分からないようだった。 「うーん…ダメか」  鈴を受け取ったセニサが翼で紐を持って静かにリリンと揺らすと、光精霊は吸い込まれるように鈴に宿って光を放った。 「気を引くことは出来ても、やっぱ違うなぁ」 「楽器や音楽は惹き寄せるのに長けてますけど、具体的な説明は難しいですから。ルーンとかを使えば簡単ですよ」 「コツとかあるのかい?」 「コツと言われましても…そうですねぇ、こうしたい、とかこうして下さい、って気持ちをこめて鳴らす、とかでしょうか?」 「難しいもんだ」 「そんな事ないですよ、この世界に住んでいれば誰だって出来るようになりますから」  ランタンのように明るい光精霊で足元を照らしながら、再び登り始めた。  やがて山頂近くの、無造作に開けた場所へたどり着いた。  山頂は切り立った岩が王冠のように連なっていて、その途中に横穴が開いていた。  彼女によれば、この山の中央を朽ちた火口が貫いていて、そこへ通じる横穴が山腹にいくつかあるという。  登って中を覗き込むと下へ向かって底知れぬ広大な空間が、見上げるとギザギザした円形に切り取られた空が見えた。  しかしいくら目を凝らしても、昨日見たような光るものは何も見えなかった。  とりあえずテントを張って、夜まで待つことにした。  周囲に精霊散らしのルーンを張らなきゃと思いながらもへばって休んでいる内に、その人は慣れた様子で地面をならしてテントを張り、精霊の力も借りずに小さな機械で火を付けて料理を始めてしまった。 「精霊の力もなしにこんな風にやっていけるんですね」 「とはいえ、精霊に頼んで火が付くならそれに越したことはないな」 「そうなんですか?」 「何でもかんでも持ち歩ける訳じゃないからね」  やがて会話がなくなり、二人とも無言で火にかけた鍋を見ながら、小さな白い地球米が煮えるのを待つ。 「鳥人の事は詳しくないから教えて欲しいんだけどさ」  須賀洋人さんが口を開いた。 「まだこれから飛べるように、なんて事もないの?」 「鳥人ってですね、飛べる種族はとにかく飛べて、飛べない種族はとにかく飛べないんです」 「なるほど」 「どっちにしても飛べる種族の子は大体4、5歳から12歳の誕生日までには飛べるようになります。それまでに飛べない子は…そういう事なんです」 「そっか…」  彼は鍋蓋をちらりと開けて中を見る。ほのかに甘い蒸気がこっちまで漂ってきた。 「でもそれだけ頑張ってたって事はさ、飛べたらやりたい事とかあったの?」  そういえば、子供の頃の夢って何だったっけ。  何となく見上げた夜空は、今日もところどころ雲と浮遊島で黒く欠けていた。  空に雲一つない日はあっても、浮遊島のない日はない。  浮遊島よりも雲よりも高く飛べれば、異国の本で見たような曇りない空が見れたのだろうか。 「雲も浮遊島もない空…」  気が付くと口に出していた。  正直、ここじゃないどこかなら何でも良かったのかもしれない。 「いいね」  そんな後ろ向きな思いを知ってか知らずか、彼はただ肯定してくれた。  それが何だか気恥ずかしくて。 「どうやって見に行くかな。そうだ、今ならゲートまで行けばすぐに他の国へ」 「でもきっと皆、翼があれば空を飛べるって思うでしょう?」 「うっ」  この人にそんなつもりがないのは分かっているが、意地の悪い事を言ってしまった。  そしてバツの悪い顔を見て、今度はつい言い過ぎたと申し訳なくなる、つくづく中途半端な自分がいた。 「いえ、私の気にしすぎだって事くらい分かってはいるんです。同じように飛べない人なんていくらでもいるし、外へ出て活躍している人だって一杯いる」 「でも自分が飛べないって思い知らされた時はショックでしたし、それでショックを受けた私は実は心のどこかで飛べない人を見下してたのかもって、そんな自分が嫌で」 「…」  彼は昨日と同じようにこちらの顔をじっと見ていた。 「あ、もういいんです。5年も前の事ですし。それに私だって、風精霊の力を借りればある程度は飛べますから」  その目は納得していなかった。そして私の中の、もっと奥を見ているようだった。 「でも、出来ることなら?」  突き刺さる一言。  いや、ずっと誰にも言えずに心の奥に突き刺していた一言。 「出来ることなら?出来ることなら、そりゃあ、やっぱり…」  引き抜いたその言葉から、ずっと抑えていた感情が堰を切ってあふれ出てくる。 「やっぱり、自分の力で飛びたかったですよぉ…!」  両頬の嘴を伝った涙が胸元の羽毛にこぼれて跳ねた。 「だよなぁ」  その人はそれだけぽつりと言って、白く煮詰まったスープを薄い金属の食器に入れて手渡してくれた。 「これは?」 「オカユって言ってね。元気がない時はこれがいいかなって」  涙を思い出す、ほのかな塩味。  正直疲れて食欲もないと思っていたが、素朴で暖かい味が一口すっと染み込んできた。 「はふぁ…」  もういいんです、と言った彼女は昨日と同じ笑顔を見せた。  諦めたような、いや諦めをつけようと、そんな時にする顔。  それが素直に声を上げて泣くより痛々しく思えて、一言出てしまった。  ぐしゃぐしゃに泣きながらお粥を食べ切ったセニサは、泣き腫らした眼のままテントの中でぼんやりと休んでいた。  昔の自分と重なって見えたからかもしれない。  あの一言も、同じ12歳の頃に抱え込んでいた言葉だった。そろそろ9年が経つのか。  カタカタという音がして、はっと現実に引き戻される。  首にかけたコンパスをジャケットから引っ張り出すと、針が小刻みに揺れていた。  磁気が乱れてる?  何かの気配。  山の頂上とは思えない騒々しい気配が近づいてくる。  いや、山の頂上以前にここは異世界。  セニサを呼んでテントから出ると、あっという間に天気が荒れていた。  更に激しい雨風が山の真横から迫ってくる。  雨風の主はいくつもの精霊が群れ成してできた、奇妙な嵐であった。 「何だこれ?」 「精霊嵐です、えーっと円形の精霊流で、精霊の群れがお互いに追いかけあってる状態で、これは水精霊と風精霊と…」  足元に閃光が走る。落雷の磁気でコンパスの針が大きく揺れた。 「光精霊か」 「どうしよう、私があの時ちゃんと精霊散らしのルーンを用意しておけば…」  こうなった事に責任を感じているのか、青ざめている。 「別に君がわざと嵐を起こした訳じゃないんだろ?それより今すぐ降りるか」 「に、荷物とテントはどうしましょう?」 「こういう時は後、後。まずは逃げる」  嵐を避けるように来た道を降りるが、まるでこちらを見据えているように進路を変えてきた。 「どうもこっちに興味があるみたいだね」  何の役にも立たない翼でも、雨でずぶ濡れになれば惨めな気持ちになる。  須賀洋人さんが付かず離れず、こちらを見ながら先を行く。  付いていくので精一杯な私がいなければ、もっと速く降りられるに違いない。  こんな時飛べればなんて考えてはますます惨めな気持ちになる。  そんな暗い気持ちを読み取ってか、じわじわ近づく精霊嵐に感化されてか、鈴に宿っていた光精霊がバチッと弾けて飛び出した。  真っ暗闇に足がすくみ、一歩踏み出すことが出来ない。  どうしよう。  すると下っていた須賀洋人さんが踵を返して登ってきた。  どうしよう。私はしょうがないけど、このままじゃまた迷惑をかけてしまう。  せめて雷が来ないようしゃがみこんで、できるだけ平気そうな顔をして、できるだけ平気そうな声で言わなきゃ。 「もう、先に行ってください」  しかし私の精一杯の叫びもお構いなしにずんずん登ってくる。  その地球人脚で迫る嵐に力強く立ち塞がると、変わらぬ調子で聞いてきた。 「昨日の歌」 「え…?」 「昨日みたいに、歌とか楽器で精霊の流れを変えたりってできないの?」 「む、無理ですよ!ああいうのは流れのない状態でやるものですし、第一こんなたくさんの精霊相手に、呼びかけたことないです」 「なら、やってみないと分からないって事か」  彼はそう言ってヘルメットを被ると、パッと額に光を付けた。  すぐさま嵐の中の光精霊が興味を示す。 「ちょ、ちょっと、雷状態の光精霊が飛びついてくるかも…」  閃光。  気の早い光精霊が放電し、彼の足元に炸裂した。 「俺にも気を引くくらいは出来るし、嵐から逃げ切れる自信もある。君はその間に離れて、精霊嵐を弱める手立てを考えてくれ」  彼はまるで長い髪を払うように、背中からパラシュートを引き出した。  鮮やかなオレンジ色の布がバタバタとはためく様子は風精霊の興味を誘い、風向きが変わる。  やがて水精霊も向きを変え、精霊嵐全体が彼をターゲットにした。 「…私に!私に出来るでしょうか!」 「分からん」  そして私をまっすぐ見据えて言った。 「だから信じる」  今度は精霊嵐を見ながらゴーグルをぐいっと下ろし、私から離れるように横歩きで移動し始めた。  地球人と精霊嵐とのおいかけっこが始まる。  どうしよう。  今から大規模な精霊散らしのルーンを書くのは間に合わないし、そもそも見てもらわないと効果がない。  となると手っ取り早いのは他の精霊流を作って、精霊同士の結びつきを乱す事だ。  地精霊はゆったりしてるから集めるのに時間がかかるし、闇精霊は騒がしい風の音で姿を隠してしまっている。  火精霊も見渡す限り姿はない。  どうしよう。  迷っている間も風が吹き荒び、低い反響音が響き渡る。  そう、響き渡っている。  周囲に何もないこの山頂のどこで?  目を山頂に向けると、火口への横穴が黒々と開いていた。  すでに3、4体の風精霊が嵐からパラシュートに引っ付いて、横に上に引っ張ってくる。  全身のハーネスとパラシュートを繋ぐラインを引っ張り返してキャノピーが膨らまないようにコントロールするが、少し雲行きが怪しくなってきた。  山で特に恐ろしいのは雷だ。少なくとも地球の山では。  セニサを探して見ると精霊嵐の脇を通って山頂へ登っていた。  横風でフラフラとしているが、その顔はさっきと違ってまだ諦めていない。  どうやらまだ、ひとふん張りしないといけないようだ。  何かあてがあるわけでもないのに、吸い寄せられるように山頂の横穴へ入った。  ぽっかり開いた火口を覗き込むと、外から吹き込む風が真っ暗な火口内で低く反響していた。  普段聞きなれた音だから気付かなかったが、あの人はこの音のことを言っていたのだろう。  管楽器のような低い音に呼応して、暗い穴の奥で何かが光っている。  木笛で火に息を吹き込む音を出すと、洞窟内に響く音と共鳴した。  これだ。夢中になって火吹きの音を鳴らした。  ところが広大な空間の中では笛の音も共鳴音もわずかで、奥の光は遠くでぼんやりと光るだけだった。  どんなに頑張っても、闇の中で虚しく消えていく。  息を吹き込み続ける内に息切れで目が回っているような、頭がぐらぐらするような感覚がしてきた。  何で私はこんな事をしているのだろう。  置いていってくれれば良かったのに。信じるなんて言わなければ良かったのに。  言えなかった言葉やら、取り留めのない考えやら、ぐるぐると頭を駆け巡る。 「ふんぐぅぅぅぅ…!!」  不意に外から地球人の唸り声が聞こえてきた。  いや、聞こえてはいたが意識してなかっただけだ。  姿は見えないが、精霊嵐相手に踏ん張っているのだろう。  まだ私を信じて。  何でだろう。  今度は目の奥がチカチカしてきた。  穴の奥ではなく、自分の中で何かが瞬くように。  不意に自分の言った言葉がよみがえる。 「気持ちをこめて鳴らす、とかでしょうか?」  来て下さい、そうじゃない。  来て、これも違う。  来い!  ありったけの思いをこめて、最後の一息で鳴らす。  洞窟全体がぼうっと光った。  今度は目眩や気のせいじゃない。  奥の光がどんどん強くなり、虹色の嵐となって昇ってきている。 「やっぱりこれって…!」  光精霊にはない熱風と唸るような音の吹き上がりに呑み込まれた。  いよいよ風の力でふわりと体が浮きかけたその時、轟音を立てて虹色の光の竜巻が火口から噴出した。  火精霊の群れだ。  続けて爆弾が炸裂したような熱風と衝撃が伝わってきた。  暴風雨を凌ぐ熱風の突き上げる奔流に精霊嵐の回転がみるみる弱まり、パラシュートに引っ付いた風精霊も呆気に取られたかのように引っ張るのをやめた。  天に昇った精霊たちが思い思いに広がり、欠けた夜空を虹色の光で満天に上書きしていく。  思わずメットもゴーグルも脱ぎ捨てて、その光景に見入っていた。  はっと視線を戻すと、横穴の縁で火精霊の勢いに吹き飛ばされそうなセニサが見えた。  細い脚を滑らせ後ろへよろめくのとほとんど同時に、駆け出していた。 「セニサ!」  ぐっと踏み込んで足元の岩を飛び越えた…はずが、そのまますーっと体が宙に引っ張られる。  風精霊たちが面白がってパラシュートを広げ、上昇気流を起こしていた。  のけぞったセニサの脚が完全に地面を離れた。このままでは背中、下手すると頭から地面に激突する。 「頼む、間に合えっ!」  手を伸ばすと、呼応するように体を持ち上げる風が強く吹く。  ひとっ跳びで崖を越え、セニサを抱き止めた。 「あ…!」  上気した顔が振り向く。グローブ越しに触れた肩からも火照りが伝わってくる。  風精霊に満ちたパラシュートが二人を支えて、虹色の銀河をゆっくりと降下していく。 「満天の、星空…」 「案外、いつもと違うものが見られただろ?山の中には火の精霊が住んでいたのか」 「夜風が吹き込んで反響する音に反応してたんです。だから風が強い日にしか山頂まで出てこないし、それに風が強い夜に皆空を飛ばないから誰も見たことがなかった」  熱気に当てられたように、セニサが興奮気味に語る。 「な、なるほど」  火の精霊の割合が多すぎたのか、いつの間にか他の精霊はほとんどいなくなっていた。  パラシュートに宿っていた風精霊たちも、地面に軟着陸して礼を言うと方々へ散っていった。 「セニサもありがとう、君のおかげで助かったよ」 「いえそんな、助けられたのはむしろ私の方っていうか…」  グローブを取って素手を低めに差し出したが、彼女は翼を出してきた。 「そうだ、ハイタッチにしよう」 「ハイタッチ?」 「そうそう、翼を上げて…あ、届かないからもうちょっと下げて。せーのっ」  手の平と翼を重ねると静かな音がした。  この手を包み込むような灰色の羽毛の中で、この手で包み込めそうなほど小さな指に触れるのを感じた。 「新発見、やったな」 「え?」 「村の誰も知らなかった事を君が見つけたんだ。君の発見だ」 「えへへ…でもホント、綺麗ですね」  彼女が夜空に翼をかざすと、パステルカラーの火の玉たちが両翼の上にふわりと乗っかった。  左右の翼で紙風船のように軽やかにお手玉をする。 「…そうだな」  柔らかな唇がさえずるように口ずさみ始めた。  翻訳できないのか、歌詞などないのか、ただ彼女の歌声だけがこの小さな世界を包み込む。  両翼を合わせてゆっくりと空へ掲げ、高らかに歌い上げれば、辺りを照らす炎が透き通る空色に染まる。  その翼をさあと広げて一転、弾けるような声に精霊たちも再び思い思いの色を奏で出す。  周りへ微笑みかけながら尾羽も広げてくるりと一回りすると、合わせて空中の火精霊の群れが軽く渦巻いた。  細い鳥脚をぴたりと止め、今度は祈るように歌う。  宝石のように色とりどりの火が一つの黄金の光となり、巨大な火の鳥へと形を変える。  黄金の鳥は空をぐるりと一周すると、セニサの元へ舞い降りてきた。  彼女も火の鳥を爛々とした目で見つめていたが、やがて糸が切れたようにその場で崩れ落ちた。  抱き止めたその肩と胸がゆっくり上下して、静かな寝息を立てていた。  目を覚ますと、昨日のテントの中で横たわって毛布がかけられていた。  須賀洋人さんはいない。  テントの入り口を開けると、朝焼け前の冷たい空気と暖かな異国の出汁の匂いがした。 「ああ、起きた?」 「えと、精霊のみんなは…?」 「君が寝た後に元の火口へ帰っちゃったよ。ああこれ、朝ごはん」  昨日と同じ場所で、昨日と同じ薄い鍋で白い麺の入ったスープを温めていた。 「っと、そうだ。これを」  須賀洋人さんは、2日前と同じ金貨の詰まった袋をどんと出してきた。 「だから、家の事はもう…」 「違う違う、これはこれからのために支払うんだ」 「これから…?」 「そう、ここからの現地ガイドとして君を雇いたい」 「え!?」 「昨日もおとといも俺は助けられた。君の力が必要なんだ」  そのまっすぐな眼差しに、思わず目をそらしてしまった。 「む、無理ですよ、昨日だって足を引っ張ってたのに」 「こうして目的地にたどり着いた、だろ?」 「でも空も飛べなくて、ここから出たのだって何回かしかないのに、現地ガイドだなんて…」  本当は少し、その気になっていた。  でも。もう一度聞かせて欲しかった。 「私にも出来るって、思いますか?」 「もちろん信じるさ。俺もそうやって、地球の更に裏側からここまでやって来れたんだ」 「…分かりました。私も、挑戦してみます」  翼を差し出した。 「この6月だけですけどね」 「うんそうだな、6月が終わったら一旦ここに君の家を建て直しに戻るか」  ?何かおかしい。 「あの、大ゲート期間が終わったら、ミズハミジマゲートに戻っちゃうんですよね?」 「え?」  彼は何それ?という顔をした。 「だってミズハミジマにある日本から来たって、それなら大ゲート期間が終わったら…」 「あー、そういうことか。日本のゲートから来たんじゃなく、日本からペルーに渡って、ペルーのオルニトゲートを通って来たんだよ。ほら、ブルーリボンないだろ」 「え…えぇ!?それじゃ、1ヶ月で強制的に戻れる訳でもないのに、あんなに無茶してたんですか!?」 「そりゃアクシデントはあったけど、そんな無茶はしてないだろ?」  あっけらかんとした態度に、思わず脱力してしまった。 「あれ、もしかして俺が1ヶ月したらぱっと消えちゃうと思ってオッケーした?」  1ヶ月しかいられないと思って、遠慮してた私の思いは何だったんだ。 「…いえ、また昨日みたいな無茶をしたり他の人の家を壊したりしないよう、私が付いて行きます」  こうなったらヤケだ。 「その代わり!本当に直してもらいますからね、私の家」 「もちろん!約束だ」  彼が腹立たしいほどの笑顔で手を出してきたので、思いっきり翼ではたき返した。  意外としっかりした地球人の手は、私の小さな反撃をしっかり受け止めた。  彼方の険しい稜線の隙間から、太陽が少しずつ昇ってきた。  山頂から順に照らされ、差し込むような眩しい光が二人を包んだ。  晴れ渡る青空、雄大に浮かぶ浮遊島の数々。  天を貫くように頂上の浮遊島から地上へ伸びる巨大な鎖。  霧の下から現れた地上には芸術的な地形が広がる。隆起した岩山、粘土細工のようにねじれた山、今にも飛び立つように地上と離れかかった台地が、不可思議な植物が織り成す森と競演している。 「ここ、こんな景色だったんだ…」  朝日を浴びたセニサの金色の瞳が、灰色の翼が煌いて見えた。 #center(){#image(https://img.atwikiimg.com/www47.atwiki.jp/isekaikouryu/attach/293/482/1339876665566.jpg)} 続く [[シリーズ一覧はこちら>https://www47.atwiki.jp/isekaikouryu/pages/2705.html]] ----  本作はオルニトや鳥人について、公式設定に独自解釈を加えて書かれています。  全部が公式設定という訳ではありません。ご了承ください。  イラストは[[【浮遊島群のあまぐも】>https://www47.atwiki.jp/isekaikouryu/pages/681.html]]を基にとしあきが描いてくれた物を使わせて頂きました。改めてありがとうございました。 ---- #comment_num2
[[【灯幻郷・前編】>https://www47.atwiki.jp/isekaikouryu/pages/2654.html]]より続く  突然起こった竜巻に流されてたどりついたその村は、地球人どころか隣村以外とあまり交流がなかったらしい。 「どっから来たのどっから来たの?」 「羽根がないの!?」  興味津々な鳥人の子供たちに囲まれ、小さな村のあちらこちらを案内された。  重たい資材置き場などを除けば、ほとんどの建物が樹上に建てられている。  地面から歩いて移動できる階段もなければ、家同士を繋ぐ通路もない。  飛んで登るか、翼で飛べなくても木の幹に短く残した枝を足場に、ひらりひらりと跳び移って登ってしまう。  ただ、山頂のことを知る者はやっぱり誰もいなかった。  畑を見ないといけないからと言って別れたが、この時期に手のかかる作物は殆どないので、ほとんど一日中ぶらぶらしていた。  別に隠し事をしているわけではないが、何だか言い出しづらくなってしまった。  夕方になって畑から実家に戻ると、彼は昨日と同じように山の上を見ていた。 「おや、何か気になりますかな」  おじいちゃんが話しかける。 「あの山に登ってみたいなと思ったんだけど」 「ほほぅ、村の頂ですか」 「ダメ?」 「いいですとも。しかし村にとって大事な場所じゃから、一応村の者に付いて行ってもらうかの」  そんな大事な所だったっけ?と考えていたが、いつの間にか二人の視線が向けられている事に気付いた。 「あのー…?」  須賀洋人さんが昨日の大きな荷物を背負って立つ。荷物が大きくて、まるで甲虫が後ろ足で立ったみたいだ。 「それじゃあ、よろしく頼むよ。何しろ地球の山は色々登ったけど、異世界旅行は今回が初めてだからさ」  何かのジェスチャーなのか、こちらに親指を立てた握り拳を見せた。 「は、はい。でもきっと、大した物は何もないですよ?」  彼は構わず続ける。 「いいのいいの。今日はまた違うものが見られるかもしれないし」  さぁ出発だ、と拳を振り上げて家の前から歩き出した。 「いい景色だー!」  後ろから感嘆する声がする。チラリと振り返ると夕暮れの浮遊島群を見て感動しているようだった。  確かに森から見るより見晴らしは良いが、いつもの浮遊島だ。  というか山を半分以上登ってこっちの脚はフラフラだというのに、この人は全く疲れる気配を見せない。  頂上までは子供の頃に一度登ったきりだけど、こんなに大変だったっけ。  今度は足元に生えた野草を熱心に観察していた。  私はそんな暇はないと再び前を向いて登っていると、何となく後ろから視線を感じる。特に脚。 「あのー、何か…?」  が、振り返ってもこちらを見るともなく付いて来ているだけだった。 「え?いや何にも」  絶対何かある。  もしかして、私のせいで時間を持て余してる?  この余裕ならもっと速く登る事だって出来るはずだ。  しかし一向に私を急かす気配もない。  じゃあまさか。もしかして気付いた?  あれこれ考えていたら、当の本人はいつの間にか耳を澄ますように目を閉じていた。 「いい音がするな、この山は」 「音…ですか?」 「ほら、風が吹くと一緒に違う音が聞こえないか?笛の音色みたいな…」  耳に翼を当ててみるが、いつもの風の音にしか聞こえない。 「うーん、分かりません…」 「そう?好きな音なんだけどな」 「そ、それより急ぎましょうか。日も暮れちゃいますし」 「大丈夫かい」 「だ、大丈夫ですよこれくらい」 「随分飛ばしているみたいけど」 「飛んでなんかないです!」 「お、おう」  こっちは急いでいるのに、なんでそんなにのんびりしてるのだろう。  あれ?なんでいそいでたんだっけ?  ぐらり。  足元が揺れるような感覚がして、それから先はあまり覚えていない。  何かを思い出す。  5年前の秋。12歳の誕生日。  日が暮れて真っ暗になるまで、たった一人で飛び降り続けた崖。  そして結局、風を掴むことが出来なかった翼。  違う。あの崖は山のもっと下にあるし、今日は避けて登ってきた。  気が付くと、さっき足を止めた場所で横向きに寝かされていた。 「あ…」  こちらを覗き込む心配そうな顔。 「大丈夫?ちょっとオーバーペースだったね」  何とか上半身を起こして答える。 「ごめんなさい、私のせいで…」 「あー、いいっていいって。俺の方こそ君の体力に注意するべきだったんだけど、この岩場を登れる脚力が凄いなって気を取られちゃってさ」  視線を感じていたのはそのせいだったのか。 「いえ、勝手に焦ってたのは私ですから…」 「焦ってた?」 「山岳地帯の鳥人ならこれくらいはできないと、って思ってたんですけど…ホントダメダメですね、私」 「そう?俺には全然…」 「海沿いの人達みたいに泳げるわけでも、平地の人達みたいに速く走れる訳でもないですし。それに私は…」  一呼吸。 「飛べないんですから」  山のふもとはすっかり日が当たらなくなっていた。  貸したストックを翼で持ったセニサと並んで、着実なペースを探るように登っていく。  息はあまり切れていない。何だかんだ言っても、鳥人だけあって肺活量は非常に高いのだろう。  それで見誤ってしまったが、肺活量だけで体力が決まる訳ではない。  30分前。セニサの調子が少し落ち着いた所で、話を切り出した。 「暗くなってきたし、俺の経験的には今日は下山という選択肢も考えられる…」  その言葉に彼女の顔が申し訳なさそうに曇る。 「が、この山に詳しいのは君だ。だから今から降りるか、登り切るか、君の判断を信じる」  しばらく下を向いて考えていたが、やがて顔を上げた。 「…登ります。登ってみせます。だから最後まで案内させてください」 「分かった、信じよう。ただし、今度は無理のないペースでね」 「はい!」  あれから30分。肩の荷が多少下りたのか、さっきまでより落ち着いて登っている。  全く無理をしてないと言えば嘘になるが、彼女なりに役目を果たそうという気概だと思いたい。 「しかし、流石に暗くなってきたな」  試しにセニサから借りた鈴を振って鳴らすと、本当に光精霊がやって来た。 「よーしよし、これに付いてくれるか?」 「??」  興味を示して鈴の周りを飛び回っているが、こちらの意図は分からないようだった。 「うーん…ダメか」  鈴を受け取ったセニサが翼で紐を持って静かにリリンと揺らすと、光精霊は吸い込まれるように鈴に宿って光を放った。 「気を引くことは出来ても、やっぱ違うなぁ」 「楽器や音楽は惹き寄せるのに長けてますけど、具体的な説明は難しいですから。ルーンとかを使えば簡単ですよ」 「コツとかあるのかい?」 「コツと言われましても…そうですねぇ、こうしたい、とかこうして下さい、って気持ちをこめて鳴らす、とかでしょうか?」 「難しいもんだ」 「そんな事ないですよ、この世界に住んでいれば誰だって出来るようになりますから」  ランタンのように明るい光精霊で足元を照らしながら、再び登り始めた。  やがて山頂近くの、無造作に開けた場所へたどり着いた。  山頂は切り立った岩が王冠のように連なっていて、その途中に横穴が開いていた。  彼女によれば、この山の中央を朽ちた火口が貫いていて、そこへ通じる横穴が山腹にいくつかあるという。  登って中を覗き込むと下へ向かって底知れぬ広大な空間が、見上げるとギザギザした円形に切り取られた空が見えた。  しかしいくら目を凝らしても、昨日見たような光るものは何も見えなかった。  とりあえずテントを張って、夜まで待つことにした。  周囲に精霊散らしのルーンを張らなきゃと思いながらもへばって休んでいる内に、その人は慣れた様子で地面をならしてテントを張り、精霊の力も借りずに小さな機械で火を付けて料理を始めてしまった。 「精霊の力もなしにこんな風にやっていけるんですね」 「とはいえ、精霊に頼んで火が付くならそれに越したことはないな」 「そうなんですか?」 「何でもかんでも持ち歩ける訳じゃないからね」  やがて会話がなくなり、二人とも無言で火にかけた鍋を見ながら、小さな白い地球米が煮えるのを待つ。 「鳥人の事は詳しくないから教えて欲しいんだけどさ」  須賀洋人さんが口を開いた。 「まだこれから飛べるように、なんて事もないの?」 「鳥人ってですね、飛べる種族はとにかく飛べて、飛べない種族はとにかく飛べないんです」 「なるほど」 「どっちにしても飛べる種族の子は大体4、5歳から12歳の誕生日までには飛べるようになります。それまでに飛べない子は…そういう事なんです」 「そっか…」  彼は鍋蓋をちらりと開けて中を見る。ほのかに甘い蒸気がこっちまで漂ってきた。 「でもそれだけ頑張ってたって事はさ、飛べたらやりたい事とかあったの?」  そういえば、子供の頃の夢って何だったっけ。  何となく見上げた夜空は、今日もところどころ雲と浮遊島で黒く欠けていた。  空に雲一つない日はあっても、浮遊島のない日はない。  浮遊島よりも雲よりも高く飛べれば、異国の本で見たような曇りない空が見れたのだろうか。 「雲も浮遊島もない空…」  気が付くと口に出していた。  正直、ここじゃないどこかなら何でも良かったのかもしれない。 「いいね」  そんな後ろ向きな思いを知ってか知らずか、彼はただ肯定してくれた。  それが何だか気恥ずかしくて。 「どうやって見に行くかな。そうだ、今ならゲートまで行けばすぐに他の国へ」 「でもきっと皆、翼があれば空を飛べるって思うでしょう?」 「うっ」  この人にそんなつもりがないのは分かっているが、意地の悪い事を言ってしまった。  そしてバツの悪い顔を見て、今度はつい言い過ぎたと申し訳なくなる、つくづく中途半端な自分がいた。 「いえ、私の気にしすぎだって事くらい分かってはいるんです。同じように飛べない人なんていくらでもいるし、外へ出て活躍している人だって一杯いる」 「でも自分が飛べないって思い知らされた時はショックでしたし、それでショックを受けた私は実は心のどこかで飛べない人を見下してたのかもって、そんな自分が嫌で」 「…」  彼は昨日と同じようにこちらの顔をじっと見ていた。 「あ、もういいんです。5年も前の事ですし。それに私だって、風精霊の力を借りればある程度は飛べますから」  その目は納得していなかった。そして私の中の、もっと奥を見ているようだった。 「でも、出来ることなら?」  突き刺さる一言。  いや、ずっと誰にも言えずに心の奥に突き刺していた一言。 「出来ることなら?出来ることなら、そりゃあ、やっぱり…」  引き抜いたその言葉から、ずっと抑えていた感情が堰を切ってあふれ出てくる。 「やっぱり、自分の力で飛びたかったですよぉ…!」  両頬の嘴を伝った涙が胸元の羽毛にこぼれて跳ねた。 「だよなぁ」  その人はそれだけぽつりと言って、白く煮詰まったスープを薄い金属の食器に入れて手渡してくれた。 「これは?」 「オカユって言ってね。元気がない時はこれがいいかなって」  涙を思い出す、ほのかな塩味。  正直疲れて食欲もないと思っていたが、素朴で暖かい味が一口すっと染み込んできた。 「はふぁ…」  もういいんです、と言った彼女は昨日と同じ笑顔を見せた。  諦めたような、いや諦めをつけようと、そんな時にする顔。  それが素直に声を上げて泣くより痛々しく思えて、一言出てしまった。  ぐしゃぐしゃに泣きながらお粥を食べ切ったセニサは、泣き腫らした眼のままテントの中でぼんやりと休んでいた。  昔の自分と重なって見えたからかもしれない。  あの一言も、同じ12歳の頃に抱え込んでいた言葉だった。そろそろ9年が経つのか。  カタカタという音がして、はっと現実に引き戻される。  首にかけたコンパスをジャケットから引っ張り出すと、針が小刻みに揺れていた。  磁気が乱れてる?  何かの気配。  山の頂上とは思えない騒々しい気配が近づいてくる。  いや、山の頂上以前にここは異世界。  セニサを呼んでテントから出ると、あっという間に天気が荒れていた。  更に激しい雨風が山の真横から迫ってくる。  雨風の主はいくつもの精霊が群れ成してできた、奇妙な嵐であった。 「何だこれ?」 「精霊嵐です、えーっと円形の精霊流で、精霊の群れがお互いに追いかけあってる状態で、これは水精霊と風精霊と…」  足元に閃光が走る。落雷の磁気でコンパスの針が大きく揺れた。 「光精霊か」 「どうしよう、私があの時ちゃんと精霊散らしのルーンを用意しておけば…」  こうなった事に責任を感じているのか、青ざめている。 「別に君がわざと嵐を起こした訳じゃないんだろ?それより今すぐ降りるか」 「に、荷物とテントはどうしましょう?」 「こういう時は後、後。まずは逃げる」  嵐を避けるように来た道を降りるが、まるでこちらを見据えているように進路を変えてきた。 「どうもこっちに興味があるみたいだね」  何の役にも立たない翼でも、雨でずぶ濡れになれば惨めな気持ちになる。  須賀洋人さんが付かず離れず、こちらを見ながら先を行く。  付いていくので精一杯な私がいなければ、もっと速く降りられるに違いない。  こんな時飛べればなんて考えてはますます惨めな気持ちになる。  そんな暗い気持ちを読み取ってか、じわじわ近づく精霊嵐に感化されてか、鈴に宿っていた光精霊がバチッと弾けて飛び出した。  真っ暗闇に足がすくみ、一歩踏み出すことが出来ない。  どうしよう。  すると下っていた須賀洋人さんが踵を返して登ってきた。  どうしよう。私はしょうがないけど、このままじゃまた迷惑をかけてしまう。  せめて雷が来ないようしゃがみこんで、できるだけ平気そうな顔をして、できるだけ平気そうな声で言わなきゃ。 「もう、先に行ってください」  しかし私の精一杯の叫びもお構いなしにずんずん登ってくる。  その地球人脚で迫る嵐に力強く立ち塞がると、変わらぬ調子で聞いてきた。 「昨日の歌」 「え…?」 「昨日みたいに、歌とか楽器で精霊の流れを変えたりってできないの?」 「む、無理ですよ!ああいうのは流れのない状態でやるものですし、第一こんなたくさんの精霊相手に、呼びかけたことないです」 「なら、やってみないと分からないって事か」  彼はそう言ってヘルメットを被ると、パッと額に光を付けた。  すぐさま嵐の中の光精霊が興味を示す。 「ちょ、ちょっと、雷状態の光精霊が飛びついてくるかも…」  閃光。  気の早い光精霊が放電し、彼の足元に炸裂した。 「俺にも気を引くくらいは出来るし、嵐から逃げ切れる自信もある。君はその間に離れて、精霊嵐を弱める手立てを考えてくれ」  彼はまるで長い髪を払うように、背中からパラシュートを引き出した。  鮮やかなオレンジ色の布がバタバタとはためく様子は風精霊の興味を誘い、風向きが変わる。  やがて水精霊も向きを変え、精霊嵐全体が彼をターゲットにした。 「…私に!私に出来るでしょうか!」 「分からん」  そして私をまっすぐ見据えて言った。 「だから信じる」  今度は精霊嵐を見ながらゴーグルをぐいっと下ろし、私から離れるように横歩きで移動し始めた。  地球人と精霊嵐とのおいかけっこが始まる。  どうしよう。  今から大規模な精霊散らしのルーンを書くのは間に合わないし、そもそも見てもらわないと効果がない。  となると手っ取り早いのは他の精霊流を作って、精霊同士の結びつきを乱す事だ。  地精霊はゆったりしてるから集めるのに時間がかかるし、闇精霊は騒がしい風の音で姿を隠してしまっている。  火精霊も見渡す限り姿はない。  どうしよう。  迷っている間も風が吹き荒び、低い反響音が響き渡る。  そう、響き渡っている。  周囲に何もないこの山頂のどこで?  目を山頂に向けると、火口への横穴が黒々と開いていた。  すでに3、4体の風精霊が嵐からパラシュートに引っ付いて、横に上に引っ張ってくる。  全身のハーネスとパラシュートを繋ぐラインを引っ張り返してキャノピーが膨らまないようにコントロールするが、少し雲行きが怪しくなってきた。  山で特に恐ろしいのは雷だ。少なくとも地球の山では。  セニサを探して見ると精霊嵐の脇を通って山頂へ登っていた。  横風でフラフラとしているが、その顔はさっきと違ってまだ諦めていない。  どうやらまだ、ひとふん張りしないといけないようだ。  何かあてがあるわけでもないのに、吸い寄せられるように山頂の横穴へ入った。  ぽっかり開いた火口を覗き込むと、外から吹き込む風が真っ暗な火口内で低く反響していた。  普段聞きなれた音だから気付かなかったが、あの人はこの音のことを言っていたのだろう。  管楽器のような低い音に呼応して、暗い穴の奥で何かが光っている。  木笛で火に息を吹き込む音を出すと、洞窟内に響く音と共鳴した。  これだ。夢中になって火吹きの音を鳴らした。  ところが広大な空間の中では笛の音も共鳴音もわずかで、奥の光は遠くでぼんやりと光るだけだった。  どんなに頑張っても、闇の中で虚しく消えていく。  息を吹き込み続ける内に息切れで目が回っているような、頭がぐらぐらするような感覚がしてきた。  何で私はこんな事をしているのだろう。  置いていってくれれば良かったのに。信じるなんて言わなければ良かったのに。  言えなかった言葉やら、取り留めのない考えやら、ぐるぐると頭を駆け巡る。 「ふんぐぅぅぅぅ…!!」  不意に外から地球人の唸り声が聞こえてきた。  いや、聞こえてはいたが意識してなかっただけだ。  姿は見えないが、精霊嵐相手に踏ん張っているのだろう。  まだ私を信じて。  何でだろう。  今度は目の奥がチカチカしてきた。  穴の奥ではなく、自分の中で何かが瞬くように。  不意に自分の言った言葉がよみがえる。 「気持ちをこめて鳴らす、とかでしょうか?」  来て下さい、そうじゃない。  来て、これも違う。  来い!  ありったけの思いをこめて、最後の一息で鳴らす。  洞窟全体がぼうっと光った。  今度は目眩や気のせいじゃない。  奥の光がどんどん強くなり、虹色の嵐となって昇ってきている。 「やっぱりこれって…!」  光精霊にはない熱風と唸るような音の吹き上がりに呑み込まれた。  いよいよ風の力でふわりと体が浮きかけたその時、轟音を立てて虹色の光の竜巻が火口から噴出した。  火精霊の群れだ。  続けて爆弾が炸裂したような熱風と衝撃が伝わってきた。  暴風雨を凌ぐ熱風の突き上げる奔流に精霊嵐の回転がみるみる弱まり、パラシュートに引っ付いた風精霊も呆気に取られたかのように引っ張るのをやめた。  天に昇った精霊たちが思い思いに広がり、欠けた夜空を虹色の光で満天に上書きしていく。  思わずメットもゴーグルも脱ぎ捨てて、その光景に見入っていた。  はっと視線を戻すと、横穴の縁で火精霊の勢いに吹き飛ばされそうなセニサが見えた。  細い脚を滑らせ後ろへよろめくのとほとんど同時に、駆け出していた。 「セニサ!」  ぐっと踏み込んで足元の岩を飛び越えた…はずが、そのまますーっと体が宙に引っ張られる。  風精霊たちが面白がってパラシュートを広げ、上昇気流を起こしていた。  のけぞったセニサの脚が完全に地面を離れた。このままでは背中、下手すると頭から地面に激突する。 「頼む、間に合えっ!」  手を伸ばすと、呼応するように体を持ち上げる風が強く吹く。  ひとっ跳びで崖を越え、セニサを抱き止めた。 「あ…!」  上気した顔が振り向く。グローブ越しに触れた肩からも火照りが伝わってくる。  風精霊に満ちたパラシュートが二人を支えて、虹色の銀河をゆっくりと降下していく。 「満天の、星空…」 「案外、いつもと違うものが見られただろ?山の中には火の精霊が住んでいたのか」 「夜風が吹き込んで反響する音に反応してたんです。だから風が強い日にしか山頂まで出てこないし、それに風が強い夜に皆空を飛ばないから誰も見たことがなかった」  熱気に当てられたように、セニサが興奮気味に語る。 「な、なるほど」  火の精霊の割合が多すぎたのか、いつの間にか他の精霊はほとんどいなくなっていた。  パラシュートに宿っていた風精霊たちも、地面に軟着陸して礼を言うと方々へ散っていった。 「セニサもありがとう、君のおかげで助かったよ」 「いえそんな、助けられたのはむしろ私の方っていうか…」  グローブを取って素手を低めに差し出したが、彼女は翼を出してきた。 「そうだ、ハイタッチにしよう」 「ハイタッチ?」 「そうそう、翼を上げて…あ、届かないからもうちょっと下げて。せーのっ」  手の平と翼を重ねると静かな音がした。  この手を包み込むような灰色の羽毛の中で、この手で包み込めそうなほど小さな指に触れるのを感じた。 「新発見、やったな」 「え?」 「村の誰も知らなかった事を君が見つけたんだ。君の発見だ」 「えへへ…でもホント、綺麗ですね」  彼女が夜空に翼をかざすと、パステルカラーの火の玉たちが両翼の上にふわりと乗っかった。  左右の翼で紙風船のように軽やかにお手玉をする。 「…そうだな」  柔らかな唇がさえずるように口ずさみ始めた。  翻訳できないのか、歌詞などないのか、ただ彼女の歌声だけがこの小さな世界を包み込む。  両翼を合わせてゆっくりと空へ掲げ、高らかに歌い上げれば、辺りを照らす炎が透き通る空色に染まる。  その翼をさあと広げて一転、弾けるような声に精霊たちも再び思い思いの色を奏で出す。  周りへ微笑みかけながら尾羽も広げてくるりと一回りすると、合わせて空中の火精霊の群れが軽く渦巻いた。  細い鳥脚をぴたりと止め、今度は祈るように歌う。  宝石のように色とりどりの火が一つの黄金の光となり、巨大な火の鳥へと形を変える。  黄金の鳥は空をぐるりと一周すると、セニサの元へ舞い降りてきた。  彼女も火の鳥を爛々とした目で見つめていたが、やがて糸が切れたようにその場で崩れ落ちた。  抱き止めたその肩と胸がゆっくり上下して、静かな寝息を立てていた。  目を覚ますと、昨日のテントの中で横たわって毛布がかけられていた。  須賀洋人さんはいない。  テントの入り口を開けると、朝焼け前の冷たい空気と暖かな異国の出汁の匂いがした。 「ああ、起きた?」 「えと、精霊のみんなは…?」 「君が寝た後に元の火口へ帰っちゃったよ。ああこれ、朝ごはん」  昨日と同じ場所で、昨日と同じ薄い鍋で白い麺の入ったスープを温めていた。 「っと、そうだ。これを」  須賀洋人さんは、2日前と同じ金貨の詰まった袋をどんと出してきた。 「だから、家の事はもう…」 「違う違う、これはこれからのために支払うんだ」 「これから…?」 「そう、ここからの現地ガイドとして君を雇いたい」 「え!?」 「昨日もおとといも俺は助けられた。君の力が必要なんだ」  そのまっすぐな眼差しに、思わず目をそらしてしまった。 「む、無理ですよ、昨日だって足を引っ張ってたのに」 「こうして目的地にたどり着いた、だろ?」 「でも空も飛べなくて、ここから出たのだって何回かしかないのに、現地ガイドだなんて…」  本当は少し、その気になっていた。  でも。もう一度聞かせて欲しかった。 「私にも出来るって、思いますか?」 「もちろん信じるさ。俺もそうやって、地球の更に裏側からここまでやって来れたんだ」 「…分かりました。私も、挑戦してみます」  翼を差し出した。 「この6月だけですけどね」 「うんそうだな、6月が終わったら一旦ここに君の家を建て直しに戻るか」  ?何かおかしい。 「あの、大ゲート期間が終わったら、ミズハミシマゲートに戻っちゃうんですよね?」 「え?」  彼は何それ?という顔をした。 「だってミズハミシマにある日本から来たって、それなら大ゲート期間が終わったら…」 「あー、そういうことか。日本のゲートから来たんじゃなく、日本からペルーに渡って、ペルーのオルニトゲートを通って来たんだよ。ほら、ブルーリボンないだろ」 「え…えぇ!?それじゃ、1ヶ月で強制的に戻れる訳でもないのに、あんなに無茶してたんですか!?」 「そりゃアクシデントはあったけど、そんな無茶はしてないだろ?」  あっけらかんとした態度に、思わず脱力してしまった。 「あれ、もしかして俺が1ヶ月したらぱっと消えちゃうと思ってオッケーした?」  1ヶ月しかいられないと思って、遠慮してた私の思いは何だったんだ。 「…いえ、また昨日みたいな無茶をしたり他の人の家を壊したりしないよう、私が付いて行きます」  こうなったらヤケだ。 「その代わり!本当に直してもらいますからね、私の家」 「もちろん!約束だ」  彼が腹立たしいほどの笑顔で手を出してきたので、思いっきり翼ではたき返した。  意外としっかりした地球人の手は、私の小さな反撃をしっかり受け止めた。  彼方の険しい稜線の隙間から、太陽が少しずつ昇ってきた。  山頂から順に照らされ、差し込むような眩しい光が二人を包んだ。  晴れ渡る青空、雄大に浮かぶ浮遊島の数々。  天を貫くように頂上の浮遊島から地上へ伸びる巨大な鎖。  霧の下から現れた地上には芸術的な地形が広がる。隆起した岩山、粘土細工のようにねじれた山、今にも飛び立つように地上と離れかかった台地が、不可思議な植物が織り成す森と競演している。 「ここ、こんな景色だったんだ…」  朝日を浴びたセニサの金色の瞳が、灰色の翼が煌いて見えた。 #center(){#image(https://img.atwikiimg.com/www47.atwiki.jp/isekaikouryu/attach/293/482/1339876665566.jpg)} 続く [[シリーズ一覧はこちら>https://www47.atwiki.jp/isekaikouryu/pages/2705.html]] ----  本作はオルニトや鳥人について、公式設定に独自解釈を加えて書かれています。  全部が公式設定という訳ではありません。ご了承ください。  イラストは[[【浮遊島群のあまぐも】>https://www47.atwiki.jp/isekaikouryu/pages/681.html]]を基にとしあきが描いてくれた物を使わせて頂きました。改めてありがとうございました。 ---- #comment_num2

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