【それはテクレンにおける一幕・2】

 ───この世界において、魚人というのは実に多種多様な外見を持つ種族である。
 スラヴィアの魔人どもは除くとして、種としての見た目の多様さについて魚人は蟲人たちと並んで豊富だ。
 同じ魚人と認識するのが難しいほどかけ離れているということも珍しくはない。例えばサイズにしたってそう。
 ノームやフェアリーに見紛うような小柄なものもいれば、のっぽなトロールどもと全く引けを取らないという巨漢も数は少ないが存在する。
 そしてその外見の違いの多さは顔立ちにも及んでいた。ある程度の人々全体における美醜はともかくとして、魚人という種の中においてさえ醜い見た目という血筋がある。
 つまり、そう。俺のことだ。
 ガフはなんとなく顔を撫でた。生まれた時からの付き合いの、板っぺらのような薄く広くごつごつとした手触りが伝わる。
 魚人たちの国であるミズハミシマにおいて《鮫》の種族というのはそれなりに偏見を受けやすい立場だ。生来の強面。魚人の中でも特に膂力に優れ、荒事に従事してきたという歴史がある。
 その種としての『強さ』を活かしてさえ、かの国の武官となれる《鮫》の種族はそう多くはない。官僚の多くを鱗人や竜人が占めるあの国で魚人が腕っぷしだけで上り詰めるのは並大抵のことではないからだ。
 そうでない《鮫》はどうするのか。ひとつ、その力自慢をどうにか活かせそうな職に就き、乱暴者というレッテルをたびたび貼られながら肩を竦めて生きていく。
 ひとつ、非合法的な組織、そう、よりその力自慢を活かせる荒っぽい職場に身を置く。つまりはやくざだ。そこでくたばるまで悪名を売り捌いて凌ぐ。
 そしてもうひとつ。その道をガフの親のそのまた親は選んで、このドニー・ドニーへとやってきたのだ。
 ガフは親から受け継いだその扁平とした顔の利点を活かし、素早く自分の横の席を伺った。
 そこには地球人の女性───かわいい───が、コップの酒をちびちびと舐め───可憐だ───、匙で皿の上の料理を掬っている───とてもかわいい───。
 卓上でざらざらとした《鮫》の種族特有の肌を擦り合わせる。手のひらのだ。汗が滲む。緊張でだ。
 なんてことだ。隣の女性が魅力的すぎる。なんて声をかけたらいいか分からない。俺はどうしたらいい。
 自慢ではないが、ガフはドニー・ドニーでもそれなりに売れた名前だ。魚人海賊団、トゥオーレ・テガ・トーレの副船長。双手斧のガフ。
 敵対する者には容赦をしない。両手に握った手斧で肉屋のように相手の身体を切り刻む。その冷酷さ、残忍さで鳴らした海賊のはずだった。
 だが今はこのちっぽけな、斧なんて使うまでもなく素手で解体できてしまいそうな華奢な肉体の女一匹に対してびくびくと焦りどぎまぎしている。
 女は元気だ。いつも元気だ。とても元気だ。地球人からすると比較的長身の方らしいが、ガフからすると小柄な身体でいつもテクレン中を飛び回っている。
 総領事館に務めているのだ。それが女の優秀さを示すことぐらいガフにだって分かる。大げさな言い方をすれば、女は地球を代表してこの国にやってきているひとりなのだ。
 改めて言おう。ガフはドニー・ドニーにおいてそれなりの地位を持つ海賊である。そうでありながら、この小娘一匹が自分に時間を割いてくれていることに感動と恐縮を覚えていた。
 「わぁ、これすっごく美味しいですね! お肉なのに歯で噛み切る必要ないくらい柔らかい。凄く上等のビーフシチューみたい」
 「そ、そうなんだ。この店は丁寧な下拵えが売りなんだ。
  ドニー・ドニーに入ってくる肉はだいたいが保存できるよう加工された肉だが、その保存方法を味わいに生かした上で時間をかけて調理する店で………俺のお勧めなんだよ」
 匙で器の中の肉を切り分けて口に運び、満面の笑顔をしてみせた女へガフは最大限の努力で微笑んでいるように見えるよう微笑む。
 花だった。その笑顔は美しい花だった。年中寒々しいドニー・ドニーの短い春において、野原へ慎まやかに咲くあどけない花だった。ガフは何度目か分からない初恋をした。
 そう、ガフはこの地球人の女に恋をしていた。心の底から惚れていた。彼女のことが好きで好きで堪らなかった。
 ガフは《鮫》の種族の中でも更に醜い容姿の一族だ。ぎょろりとした目を四角い顔の両側に備えている。その外見を嘲笑われて生きてきた。
 貧しい生まれだったガフは嘲笑った奴らを片っ端からぐちゃぐちゃに潰してきた。舐められるのは許せなかった。生まれ持っての乱暴の才能があったのだろう。
 その荒くれぶりから海賊たちにスカウトされるのは時間の問題だった。望まれるままにガフは力を振るい、そして扱いきれなくなった海賊団から放出され、違う海賊団へと居着いた。
 流れ流れて、行き着いた先がトゥオーレ・テガ・トーレ。このドニー・ドニーの七大海賊の一角。そこで船長に気に入られ、今の地位に辿り着いた。
 その地位はガフのこれまでを綺麗に塗り替えてくれた。富、名声、そして女。何もかもが手に入った。それでコンプレックスは払拭したのだとガフはそう思っていた。
 そして出会った地球人の女は───レイナは、ガフの虚ろな虚栄心を綺麗さっぱり吹き飛ばしてくれた。
 「そうなんですね! いつもありがとうございます、ガフさん。寄港のたびにたくさん良くしてくれて。
  何度も言ってることですけれど、仕事を手伝ってくださって、プライベートでもこんなふうにお店を紹介してくれて。とっても感謝しているんですよ」
 「そ、そうかい。いいんだ。レイナさんはトゥオーレ・テガ・トーレがそっちの世界に関わるような、酒の輸出入について助けてくれている。こんなことは礼の内にも入らないさ」
 レイナの明るい眼差しにガフはつい身を縮こまらせてしまう。居心地悪い感触なのにそれをずっと味わっていたいような、そんな奇妙な印象だった。
 ───レイナは違った。ガフのことを『醜い魚人』として見なかった。他の、そう地球人からするとこの世界の人々、亜人のひとりとして扱ってくれた。
 世界中の人々はおろか、同じ魚人の中でさえその見た目だけで侮蔑されるようなガフにとって、それがどれだけ嬉しかったか。彼女にはきっとはっきりとは伝わるまい。
 ガフにとってそんな相手はレイナで二人目だった。だが一人目はあのトゥオーレ・テガ・トーレの船長。徹底した実力主義者の血も涙もない鳥人だ。
 あの怪物以上の怪物はあくまで実力のみでガフを評価したに過ぎない。そういうことではなく、無垢にガフに接してくれたのがこのレイナだったのだ。
 見た目じゃない。その内面へガフは恋をした。しかし同時にトゥオーレ・テガ・トーレのNo.2として、ガフは冷静であり賢くもあった。
 彼女に恋をしているのは自分の勝手。レイナは地球からこのドニー・ドニーの総領事館にやってきた事務員に過ぎない。つまり、自分に対する態度はそのまま他のドニー・ドニーの者たちにも向ける態度である。
 (いいんだ)
 と、ガフは胸中で呟く。同時にぱくぱくと料理を口に運んでにこにこと笑う忙しない地球人をその目で見下ろし、心の中を温かいものと寂しいもので満たす。
 (いいんだ。俺は嫌われ者だ。乱暴者だ。この人に釣り合うようなやつじゃない。こんなに素敵な人にはもっとふさわしい人がいるはずなんだ)
 そうとも。こんなに素晴らしい女性にはよりよく素晴らしい男がいて然るべきだ。
 ミズハミシマから去り、ドニー・ドニーにおいても鼻つまみ者で、同じ魚人たちにおいても目を背けられるような、ガフの一族。
 そんなのに彼女が付き合ってくれていること自体が夢のような出来事であって、いずれ終わる夢なのだと。
 そういうことを知っていて、ガフは彼女が美味しそうに食事を平らげるのを感慨深く見守ったのだった。



 「───というのがうちの工員が盗み見た話らしいが、お前さんとしちゃどうなんだ?」
 「どうも、こうも、ない」
 船の改修の図面を見ながら世間話というていで話を振ったガス・コーネルに対し、ひどく退屈そうにトゥオーレ・テガ・トーレの首領、オルチはいつも通りの一言ごとに区切る言い回しをした。
 「うちは、実力、主義だ。欲しい、女。叶えたい、欲望。好きに、しろ。俺の、方針に、抗わん、限りはな」
 それは、言葉だけなら随分突き放した内容だったかもしれない。実際にオルチは非情な男だ。
 だがそんな男と長い付き合いのガスはその嘴から漏れ出た言葉のイントネーションを敏感に感じ取っていた。
 「ふん。ごろつき揃いのトゥオーレ・テガ・トーレとはいえ、さすがに副船長の色恋話は扱いきれんってか」
 「黙、れ」
 面倒くさそうにオルチが椅子に腰掛け、その短い脚を組んでふんぞり返る。機嫌は悪そうだ。
 さっさと仕事をしろ、と言わんばかりのその態度に嫌味を言いかけたガスは、直後に舞い込んだ鬼刃海賊団入港の知らせにオルチたちとのバランスで神経を使わねばならないのだった。




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最終更新:2023年02月14日 04:08