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【汗衫公主 二】

 さかのぼること、二週間ほど前のことである。
 セイランたちのもとに、シュウが一人の男を連れてきた。部屋に通された男はマオと名乗り、小脇に抱えた紙の箱から袖の短い服――Tシャツというのだとか――を取り出すと、「これに字を書いてくれる人を探しているので紹介してほしい」と頼んできた。
「服に字を書く、ですか」
 仙人にして通関司の顧問を務める十面大師は、そう言うと眉の片方を吊り上げた。
「装飾の類ということでしょうか」
「そうです。腕のよい職人さんがいないかどうか、こちらで探してもらえると聞きまして」
「生憎ですが、力になれるかどうかは分かりませんよ。市中の代書屋や染色屋を案内することはできますが、何しろ私自身もあまり詳しくありませんので」
「そうですか。おい朋友よ、話がなにやら違わないか」
「聞くだけならタダだと思ってさ。それに普通の字を書くんじゃないんですよ。躍字を書いてもらおうと思って」
 肩をすくめるシュウに、マオもまた力強くうなずく。躍字と聞いて大師の眉がわずかにひそめられたのを、セイランは見逃さなかった。
「――躍字は一般的な装飾の類に用いてよい文字ではないのですが」
「あれ、そうなんですか?」
「そうですよ。知らなかったんですか」
 大師の難渋顔にも、異人はひるむ様子がない。色々な顔を寄せ集めたような大師の顔つきは、表情がとても読みにくい。そのことに気付いた思わずセイランは割り込んだ。
「躍字は生きてる文字なんです。生きてるから動くし、意志みたいなものだってあるんですよ。きちんとした文書にしたり、とにかく改まったときに使うものなんです。服の飾りにするなんてダメですよ」
「まあ、そういうことです。お力にはなれないかと」
「うーん、どうしても無理ですかねえ」
 マオが困ったように眉をひそめた。顔の前で腕を組み、メガネの蔓を小指で弄う。大延国ではメガネは珍しく、故にセイランの興味を大いにひきつけていた。器用に動かした小指でメガネを押し上げながら、マオはなおも食い下がった。
「難しいと思います。引き受ける代書屋がいますかどうか」
「そこを何とかしてもらえませんか。何しろこれが上手く行かないことには、私の商売上がったりになってしまうのです」
 大師が顎をなでた。
「その異世界の服をこちらで売りなさるのですか」
「いや、残念ながら、そっちはもう失敗したんです」
「こっちじゃ売れなかったんだよ。地球人に土産として売ろうとしたけどだめだったし、こっちの人は見向きもしてくれないんだ」
「そうなんですか?」
 セイランはマオから無地のTシャツを一つ受け取るとためつすがめつした。ちょうどよくお茶を運んできた召使のレイレイに手をふって視線を捉えると、セイランはシャツを体に当ててすまし顔を作った。
「どうですか?」
「面白い服ですのね」
「不思議な感じですよ。ほら、大師も」
 セイランは大師にシャツを渡した。大師は体に合わせることはなく、生地の具合を触って確かめている。
「面白いと思うんですけど、どうして売れなかったんですか?」
「それが全く見当もつきませんで――」
「僕の個人的な意見になるけど、二つぐらい原因があると思うよ」
 マオが目をむいたが、シュウは無視した。
「売れない理由の一つ目は値段だね」
「いくらするんですか?」
「十糧。一着で」
「無理ですわ」
 控えていたレイレイが思わず顔をしかめた。セイランや大師がうなずく中、一人納得がいかない様子なのはマオである。
「そうは言いますけどね、仕入れ値だのこっちに運んでくる費用だの考えたらこれでも勉強してるほうですよ」
「無理ですよ。十糧っていくらなんでも高すぎます」
 三糧あれば大の男が一日食っていくことができ、日用品の大半も一糧に満たない金額で流通している大延国にあって、十糧といえばちょっとしたものである。間違っても日ごろ着る服の類に出してよい額ではない。
「そんなものに十はちょっと出せませんわ。着心地は中々よさそうですけど、言ってしまえばそれだけみたいですし」
「ファッションとしての価値を認めていただくわけにはいきませんかね」
「ふぁっしょんってなんですか?」
「おしゃれってことだよ。それが原因の二つ目なんだ」
「全く納得いかないね。こっちはむしろ売りの一つだと考えてるのに」
 不服げなマオをよそに、シュウは澄ましたものである。
「セイランちゃん、仮にその服もらえたらさ、どういうときに着るかな?」
「え、ええと、寝巻きとか、寒いときに下に着たりとかですか」
「そういう意見になるよね。ところでマオ、これの正しい着方はどういうものだったかな?」
「もちろんこれだけを着ます。よほど寒ければ別ですが、幸いここはそれなりに温暖みたいですから問題はないと考えています。体を動かす人の仕事着によし、ただ着るもよし。多彩なデザインをそろえることも可能ですし、将来的にはジーンズとの組み合わせも提供したいと考えております。いかがですか、公主様。ためしに一着お召しになるというのは」
「え……」
 セイランはTシャツを広げて眉をしかめた。居並ぶ一同の顔を順繰りに眺め、恐る恐るTシャツを体に当ててはまた離す。きちんと畳んだTシャツを卓の上に置くと、セイランは口を濁した。
「あの、ごめんなさい、ちょっとこういうのは」
「何故ですか。とてもお似合いになると思いますが」
「だって、二の腕丸出しになっちゃうじゃないですか。ちょっと着れないですよ」
 レイレイとシュウがうなずき、大師が小さくため息を漏らした。
「そんなに気になることでしょうか? こちらでも半そでしか着ていない人を大勢見かけたものですが」
「それは肉体労働者の皆さんでしょう? それも殿方がほとんどのはずです。公主様のような高貴なお方のお召し物としてはちょっと困ります。はしたないったらありませんわ。ねえ、公主様」
「うーん」
「とまあこんな感じで、レイレイさんみたいに考える人がこちらでは多いんだよ、マオ。着てくれそうな労働者に売るには高いし、買えそうな人は着ないんだ。だから売れなかったんだね」
「――異世界のスタイルですから、こちらのやり方と合わないのは分かっております」
 マオがすっくと背筋を伸ばした。
「しかし、だからこそ価値が生まれるのではないでしょうか? あちらの世界とこちらの世界が触れ合うこの地だからこそ、新しい習慣にチャレンジする気概が生まれるというものでしょう。多少二の腕がもろだしなぐらいなんですか。地球でだってほんの百年前までは同じような考え方がありましたが、今じゃだれもが好きな柄のTシャツ選んでもちろん二の腕は全開ですよ。どうですか、大延国のファッション史に名を残す気概のあるお方はいらっしゃらないのですか!」
 炯々たる目つきで胸を張り、腕をぶんぶんふりまわして熱弁するマオにセイランは若干気おされたが、周りを見回してみれば、その反応は冷ややかである。
「言うの忘れてたけど、原因の三つ目としてマオのセールストークの下手さも挙げられると思うんだよね。なんかお説教みたいになっちゃうんだよ。お客さん相手なのに」
「お察ししますわ」
「さっきからひどくないか、朋友よ」
「朋友に押し売りになってほしくないからねえ。特に客をしくじる押し売りには」
「――それで、このTシャツなる品をこちらで売られるのは諦めたとの事でしたね」
 大師が腕を組んで身を乗り出した。
「それと、その服に躍字による装飾を施すことと一体どのようなご関係が」
「ああ、それは簡単です。こちらで売れないので、地球で売ることにしたのです。絶対受けますよ」
「そうなんですか?」
「それは違いないと思うよ。ただでさえ漢字はデザインとして一定のファンを獲得してるからね。多分外人にも売れる」
「ましてや、字が動き回ったりイメージを伝えてくるとなればこれは更に高値を付けられるはずです。こちら側の世界でも特にありふれているわけでもないと聞いています。それはつまり、地球側に持ち込んでくるような商売敵が少ないということです。どうですか、たっぷり儲けられるとは思いませんか」
 マオは得意げに胸を張る。一方の大師はなにやら思案顔である。固唾を呑むマオに、大師が問いかけた。
「一つお尋ねしたいのですが、そちらの世界では躍字は具体的にどれほどの認知度があるものでしょうか?」
「相当珍しいものとして扱われてると思ういますよ。こっちで取られた動画なんかがネットにあがったりしてはいるし、場所に寄っちゃ異世界人のコミュニティ内では見られることもあるらしいけど」
「ただ少なくとも、Tシャツの柄にして売っている例はないですよ。断言できます」
「そうですか。どうもありがとうございます」
 再び大師はなにやら考え込み始めた。セイランが大師をつつくと、初めて気が付いたというように大師はマオに目を向けた。
「代書屋をお探しとの事でしたが、よろしければこちらで手配しておきましょう」
「本当ですか!」
 喜色を帯びたマオを大師が制した。
「ただし、装飾を行うのは十着のみとさせていただきたい。なにぶん手間もかかりますし、十もあれば商売見本としては十分でしょう。その見本で、まずはどれだけ売れる見込みがあるものか試されるというのはいかがでしょうか」
「それはもう。是非お願いします!」



 そうしてマオはTシャツを置いて帰り、セイランはといえば、テンコウとともにTシャツを検分しながら首を捻っていた。
 市中に代書屋は何軒かある。たとえば虎人のカイ爺が営む代書屋はカイ爺が自分で写した簡字書を貸し出す貸し本屋も兼ねていて、セイランはよく利用している。他にも何軒か店があり、大事な書類を書かねばならない人たちがよく利用しているものであるらしい。
 しかし、通関司ではもっぱら書を書いているのは大師の役目である。書は不得意であると自称しながら、セイランの見る限り大師はかなりの筆まめである。特に妖書の一件が起きてからというもの、大師は来る日も来る日も手紙を書き、各所に旅立っていく商人や塩客に託している。手紙を持たされてお使いをするのはいまやセイランの日課となっているほどである。
 そんな大師が、異人のために代書屋を探すという。それも、わざわざ躍字を服の飾りに使うために、である。
 ――なんでわざわざ助けてあげるんでしょう。
 セイランの理解する限り、現在の通関司とは異人とこちらの人間との間に立って、問題が起きればそれを解決するのが仕事である。しかし、売れそうもない商品を持ってきて勝手に商売を失敗している地球人の面倒をみることまでそこに含まれているのかといえば、セイランには大いに疑問である。もしセイランが同じことをして大師に泣きついたなら、厳しいお説教どころではすまないことは容易に想像がつく。
 ――ぜったい何かあります。
 だが、具体的な理由のほうは全く見当も付かない。仕方なくセイランはマオが置いていったTシャツを広げて眺めながら、どんな字を載せたら見栄えがするかを考えていた。普段こそ長衫に足元を縛った袴と、一見では男子と間違われかねないような格好に親しんでいるセイランだが、おしゃれに関心がないわけではない。もたれかかってくるテンコウをああでもないこうでもないと生地の上に指を滑らせていると、大師が部屋に入ってきた。
「おや、公主」
 大師はセイランの隣に腰を下ろすと、提げていた筆箱を開いて中身を取り出しはじめた。思わずセイランは首をかしげた。
「あれ、代書屋さんにやってもらうんじゃ」
「いえ、私がやります。ちょっとした実験をしたかったものですから」
「実験? なんの実験ですか?」
「上手くいったらお教えします。それより、ちょっとしたお手伝いをお願いしたいのですが、よろしいですか」
「えー」
 セイランは眉をしかめた。
「ひょっとして私が書くんですか。それはまずいんじゃないですか。私の字じゃ売り物にならなくなっちゃいます」
「私が書いてもそれは同じことでしょうね」
「そんなことないと思いますけど」
「いずれにせよ、書くのは私たちではありません。これを使います」
 大師は筆箱の底から何かを取り出してごとりと机の上に置いた。足のついた薄く平たい卓の形をしている金属板の表面には無数の細い溝が縦横に走り、ところどころに筋を横切るかたちで太い溝が打ち込まれている。板の四隅には筋につながったくぼみがあり、わずかに墨がこびりついていた。大師が続いて取り出したのはいくつもの小さな金属板である。指ほどの幅しかない板を取り上げると、大師はそれを溝に差し込んでいく。筋の道が板でさえぎられ、まるで迷路のようだとセイランは思った。
 セイランは大師を見上げた。
「大師、なんですかこれ」
「流版といって、印刷に使う道具です。私が昔使っていたものです。公主、お手数ですが、墨をすっていただけますか。それと、捨ててもよい箸を二つほど使いたいのですが」
「はい」
 セイランは立ち上がり、厨房で箸と水とをとって戻ってきた。戻ってくると大師は机の足に折りたたんだ紙を挟み込んではひきぬき、机の上に置かれた板の様子を確かめている。不思議な光景に、セイランは目を丸くした。
「あの、大師、なにしてるんですか」
「はい? ああ、これですか。調整です」
「机の面が水平にならないといけないのですが、どうもこの机がガタつくものですから。見苦しいところをみせてしまいました」
 苦笑しながらも、大師は机と格闘している。思わずセイランは笑った。
「ちょっとびっくりしました。あのね、大師、テンコウの毛でもはさんどいたらいいと思いますよ」
 セイランは水入れを置くと、テンコウの体からもこもこした毛をむしりとって机の足に挟んだ。机の様子を確かめた大師は満足げに微笑んだが、すぐに口元を引き締めた。
「ありがとうございます。しかし、公主様、あまりテンコウ殿をぞんざいに扱うのはおやめください」
「ぞんざいじゃないですよ。いつも自分でむしってますよ。ねえ、テンコウ」
 テンコウは首をひねり、その捻った首が一回転した。大師が苦笑した。
「しかし、いつもいつもテンコウ殿の毛をむしるわけにも参りませんから、机の事はいずれ何とかしましょう。さて、では始めましょうか。墨をこちらに」
 セイランがすずりを渡すと、大師は墨を流版のくぼみにあけた。
 くぼみにたまった墨は流版に刻まれた筋の上を流れ、あるいは溝に差し込まれた板にせき止められて流れる向きを変えていく。不思議と墨があふれる事はない。と、不意に流版が小さく震えた。次に起こった出来事にセイランは目を瞠った。
 流版から、墨がはがれた。
 始めは恐る恐ると言った様子で行きつ戻りつしていた墨は、やがて意を決したように全体を流版からもぎはなし、ゆらゆらと中空に浮かび上がった。震える墨は呆然と見つめるセイランの視線を捕らえ、自らの内包する意味を流し込んだ。
『こにごんどすろむ!=はろい』
「――はい?」
 大師が箸を伸ばし、中空の躍字をつまみ取った。反対の手でTシャツを取り上げると、大師はセイランにうなずきかけた。
「公主、広げていただけますか」
「え? あ、はい」
 そうしてセイランがTシャツを床に広げると、大師はその上につまんだ躍字を無造作に置いた。はじめこそ不満げにうごめいていた躍字も、やがて落ち着いたのかその動きを止めた。大師がシャツを取り上げてセイランに示す。放射している意味は相変わらず理解不能なものである。そろってぽかんと口を空けたセイランとテンコウとは裏腹に、大師はいたって満足げである。
「中々よさそうですね。ではこの調子で行きましょう」
 言うが早いか、墨を流版のくぼみに流し込み、浮かんだ文字を箸でつまみあげていく。セイランが並べるTシャツに貼り付けられていく文字はいずれも同じ、セイランには無意味としか思われない代物である。しかも不思議な事に、墨でできているはずの躍字は生地にしみこむでもなく、ただ貼り付いているだけのようである。乾かそうとしてテンコウに出来上がりをかぶせていたセイランは、そのことを大師に問いかけた。
「書いているわけではありません。いうなれば、宿しているのです。これが流版のよいところなのですよ」
 そう言って大師はセイランに箸を渡し、字をつまみあげてみるように促した。おっかなびっくり伸ばしたセイランの箸に、躍字はいともあっさりと捕まえられておとなしくなった。テンコウが押さえているTシャツに貼り付け終わると、セイランは大師に振り返った。
「それってどういう事ですか? なんか変な字なのも関係あるんですか?」
「本来はきちんとした字を書くことも出来るのですよ。ほら、墨が流れる溝に板が差し込めるようになっているでしょう。こうして墨の流れる道筋を調節する事によって、さまざまな字を作ることができるのです。おかしな意味になっているのは、単にいい加減に作ったからというだけのことです。躍字はこの世のいかなる物事にも対応していますが、上古のうちに理解できる者の失われた概念などにも対応する字があるのです。これもまた、そうした文字の一つなのかもしれませんね」
「じゃあなんではがれるんですか?」
「後から流れてくる墨に押されるからです。公主様は涼粉はお好きですか?」
 でんぷん質を固め、蜜をかけて食べる冷菓のことである。セイランはうなずいた。
「では涼粉を入れ物に入れて押せば、開いた口からはみ出してくるのはご存知でしょう。それと同じ事です。躍字は基本的に、自らの形を保とうとします。溝に導かれた墨によって書かれた躍字はその場に留まろうとしますが、後続の墨が流れ込んでくるのでいつまでもその場に留まってはいられません。そこで押し出されてくるというわけです。いったんはがれた後も、文字は自分を形作る墨を手放そうとはしなくなります。故に、裏にしみこんだりもしないのです。まあ、当分の間は、ですが」
「へえ。面白いですね」
「この仕組みは大延国三筆の一人とされるコウフが作り出したものです。文字の神ルガナンの祭祀をつかさどる一族の血を引いていたとされるコウフは躍字にまつわるさまざまな工夫を作り出しましたが、流版はその中でも最も優れたものだといえるでしょう。糧札の印刷などにも、これと似た技法が用いられているのですよ」
「手書きだと思ってました」
「元の文字を流版で作りさえすれば、あとは単純な手作業で移すだけですからね。手書きよりも簡単にたくさん作れるのです」
「なるほど。あ、でも、せっかくくっつけたのに、またはがれたらどうするんですか」
「しばらく置いておけば、そのうちそこに定着してくれますよ。手荒な扱いをすれば別ですが」
「じゃあ、居つくまでどこかに置いておいた方がいいんですか?」
「そうですね。ああ、そういえばそのことは考えていませんでしたね。紐か何かを渡しましょうか」
 今気がついたと言わんばかりに大師は思案顔である。と、テンコウが一声鳴いた。セイランと大師の目の前でテンコウは足をぴんと張って立ち上がると、その身をぐんぐんと伸ばし始めた。雲のような体はどこまでも細く伸び、部屋中をテンコウの体が横切るような形となった。驚いている大師をよそに、セイランはいち早くテンコウの意図を理解した。
「テンコウ、物干しになってくれるんですか?」
「こしゃん!」
 天井付近でフラフラしているテンコウの顔がうれしげにうなずく。セイランは立ち上がってTシャツを一枚取り上げると、手近なテンコウの体にそっと埋め込んだ。途端にテンコウが口を尖らせて息を吸い込むと、テンコウの体の表面が空気を吸い込んでTシャツを貼り付けた。次々にTシャツを貼り付けていくと、テンコウが嬉しそうに体をくねらせた。
「良かったですね、大師。テンコウもたまには役に立ちます」
 複雑そうにテンコウを眺めていた大師も、セイランの言葉に笑みを返した。
「問題はないようですね。では公主、残りもやってしまいましょう」
「はい」
 そうしてセイランと大師は墨をすり、躍字を流版から摘み上げてはTシャツに貼り付け、テンコウの体に埋め込んでいった。最後の一枚の分となる墨をすりながら、ふとセイランは大師に気になっていたことを問いかけた。
「大師、あの、質問いいですか」
 大師が長いほうの眉を小さく動かし、無言で先を促す。セイランは続けた。
「あの、なんで異人さんのために、わざわざこういう事をしてあげるんですか?」
「それが我々の仕事だからです」
「でも、こういうのは含まれるんですか? だって言っちゃ悪いけど、あの人じゃ商売しくじるのも無理ないって感じがします」
 大師が苦笑したが、セイランは勢い込んで続けた。
「大体躍字って、飾りに使うものじゃないじゃないですか。それをわざわざ作ってあげるってどうしてですか」
「――公主さまのおっしゃるとおりです。彼には商売は向いていないでしょうし、そんな彼を助ける必要も別にありません。ただ、今回の件に関してはちょっとした理由があるのです」
「どういう事ですか」
「ちょっとした実験です」
「なんなんですか、それは」
「躍字が異世界でもうまく存在できるかという実験なのです」
「え? できないんですか? だって異世界でも躍字があるっていってましたよ」
「あくまで、ちょっとした確認です」
 セイランにしてみれば、躍字がないという状況はにわかには想像しがたいものである。大延国の民のご他聞に漏れず、セイランもまた生きた文字という概念には大いに親しんでいる。
 答えはすんだといわんばかりに大師は流版を脇に除けると、今度は筆を取り出して墨を含ませ始めた。机の上を片付けて紙を広げ、さっさっと文字をつづり始める。セイランは大師の手元を覗き込んだ。なにやら手紙のようである。
「あの、そういう実験をすることが、どうしてうちの仕事になるんですか」
「厳密に言えば、これは我々の仕事ではないのかもしれません。ただ、どうしても確かめておきたかったのです」
「どうしてですか?」
 大師は答えず、流れるような手つきで筆を滑らせていく。セイランは手紙の内容から礼儀正しく意識をそらし、代わりに大師の横顔を眺めることにした。大きく裂けた口から蛇のような舌が時折覗く。真剣そのものである。やがて手紙を書き終えた大師は一通り内容を検分すると、手から金炎を生じさせて墨を乾かした。折りたたんで封蝋で留め、指の先で押さえて印を押す。大師の印は自ら変形させた指紋である。
「公主さま」
「はい」
「ここの片づけをお願いできますか。私は鋼鵜亭に行ってまいりますので」
 セイランはうなずいた。鋼鵜亭とはこの地の塩客たちがたまり場にしている酒家の一つである。主に大都方面に向かう旅客を相手にするものたちが多く、その中の一人であるエンリョウという男には、大師がしょっちゅう手紙を頼んでいる。無骨な男たちの多い塩客たちだが、使いで訪れるセイランには皆優しい。
「分かりました。やっときます」
「よろしくお願いします」
 大師は小さく頭を下げる。そのまま部屋を出て行こうとした大師が、ふと思い出したようにセイランに向き直った。
「公主様、流版の片付けは結構です。あとで自分で手入れしますので」
「――あ、はい。そうですか」
 セイランは取り上げていた流版を机の上に戻した。なおも未練がましくちらちらと視線を送るセイランに、大師が苦笑した。
「できればご自由に使っていただきたいのですが、なにぶん借り物なのです。公主様を信じないわけではありませんが、できれば自分で管理しておきたいのです。よろしいでしょうか」
「借り物ですか。お友達の仙人様から借りたんですか」
「いいえ、仙人は仙人ですが、別にただの知り合いですよ。断じて友達などでは」
 そう答える大師の口元はわずかに歪んでいる。珍しいとセイランは思った。そもそも、セイランは大師の交友関係をあまり知らない。セイランの兄ハンリョウやそのほかの高級官僚と詩文をやり取りしていることは知っているし、当代の白王とも親しくしていることも知っている。しかし、他の仙人と一緒に居るところはセイランはみた事がない。仙人であるからには師父や兄弟弟子がいるはずなのに、正月やそのほかの行事に出かけていくこともない。それがどれほど珍しいことなのかはわからねど、大師が誰かを厭う様子を見せるのは間違いなく珍しいことである。セイランは大いに興味を引かれた。
「あの、その人ってどういう方なんですか?」
「――私の字の先生です。あれを先生と呼ばねばならないというのは業腹なのですが」
 そう答える大師の顔は本当に苦々しげである。セイランは思わず笑ってしまった。
「大師がそこまで言うなんて、ものすごくいやな人なんですね」
「皮肉とあてこすりの達人でしてね。それにことさら無邪気なふりをしながら悪知恵ばかり働く。気苦労の耐えない相手でした」
 セイランは先生に怒られている大師を想像しようとして失敗した。セイランにとっては、大師は権威と知性の象徴である。
「そんな人が先生って大変ですね」
「文字を操る腕前もまた一流でした。教えるほうはそうでもありませんでしたが。難しい字を次々に描き出しながら『ほれ、やってみい』と言うだけでね。できないと心底不思議そうな顔をするのです。『冗談はその顔だけで十分じゃよ?』なんていいながらね」
「……大変ですね」
「ですから、躍字に接するときには、今でもあの日々を思い出すのですよ」
 大師は大げさにため息をついてみせ、セイランもまた和してうなずいた。そうして大師は出て行き、セイランは部屋中に広がったテンコウの体を掻いてやりながら、机の上に安置された流版を打ち眺めた。大師が持ち主のことを話していたときの表情を思い出して微笑んだ。
 ――大師にも苦手な人っているんですね。
 一体どんな人だろう。取りとめもない想像をめぐらしながら、セイランは立ち上がった。テンコウの体に埋め込まれたTシャツの具合を確かめ、一枚をはがして恐る恐る畳んではまた開く。躍字は逃げ出すでもなくそこにある。
 だが他のTシャツをはがしていくうちに、セイランは異変に気が付いた。一枚足りない。天井付近にあるテンコウの頭を見てみれば、なにやらもぐもぐと食んでいる。セイランはあわてて飛び跳ねた。
「ちょ、ちょっとテンコウ! 何してるんですか!」
「にゃひう!」
 どうやら体の表面から吸い込んだシャツを、体の中を通して口元まで運んだものらしかった。テンコウは心のそこから幸せそうにシャツをもぐもぐやりながら、顔をセイランのところまで下ろしてきた。丸い顔に満ちているのはまじりっけなしの平安である。
「ダメでしょテンコウ、返しなさい」
「もろう?」
 セイランの抗議もどこ吹く風、テンコウは口を動かしながら首をかしげるばかりである。仕方なくセイランはテンコウの顎に手をかけると押し開き、手を突っ込んでTシャツを取り出す作戦に出た。くすぐったげに身をよじるテンコウとしばし格闘した末、セイランはTシャツをどうにか取り戻した。くしゃくしゃになったTシャツからはよだれが垂れ、定着させた躍字が耐えかねたように宙に逃げ出した。ふらふらと追いかけるテンコウと逃げ回る躍字を横目に見ながら、Tシャツを広げてセイランは深いため息をついた。
 Tシャツの値は、十糧である。
 ――やっぱり高いです。
 セイランは苦笑いすると、浮遊する字を捕まえて文鎮で押さえると、そのまま洗濯に行った。ここではちょっとした洗濯もまた、セイランの仕事の一つである。
 翌日、セイランたちはマオに出来上がったTシャツを渡した。幸いテンコウのよだれはすぐに洗い落とすことができ、マオは気付いた様子もなく礼を言って受け取った。
 これが、二週間前の出来事である。





 時は戻り、現在。
 セイランたちは金栄館の店先で茶をすすっていた。正確に言えば、すすっているのはセイランだけである。マオは机に突っ伏してさめざめと泣き続け、シュウは困ったように目をそらし、そしてカンペイはといえば、火にかけられた鍋のように煮えたぎっていた。
「――なるほど、そこまでは分かりました」
 セイランの話すマオとTシャツの経緯を聞いている間、カンペイは歯ぎしりをこらえようともしなかった。もしカンペイのもらした歯ぎしりの音を袋にでも集めて、もの静かな霊廟にでも投げ込んだなら何が飛び出してくるだろうかと、セイランはぼんやり考えた。
「要するに、この男は躍字を服の飾りにして地球で売ろうとしたと、こういう理解でよろしいですな?」
「そうです」
「ではなぜ破産しているのですか! 確実に売れるはずだったんでしょうが!」
「いや、そこは絶対売れたと思うんだけどな。どうなの、マオ」
「売れはしたのさ」
 マオが突っ伏したまま、地の底から漏れ聞こえるような声音を発した。
「それはもう聞いて驚けって値段で売れたさ。なんと一着あたり500元だ。いやもう、大儲けだったよ」
「500元って正気かい? まあ吹っかけたね」
「それってどれぐらいの値段なんですか?」
「大体一糧が10元ぐらいだからね。ざっと五十糧ぐらいかな?」
「頭おかしいです」
「そんな頭おかしい値段で売りつけたならさぞや儲かったでしょうな!」
 カンペイが足をどすんと踏み鳴らした。
「なのになぜ破産したのですか!」
「大儲けしたからだよ」
「分かるように言っていただきたい!」
「簡単さ。大儲けに気を良くした僕は次の商売のためにTシャツをたくさん仕入れた。それはもう山ほどね。そんなとき、客が急に返品したいと言い出したんだ。しかも相手の一人が山東の市長の息子でね。危うく訴えられるところだった」
「そりゃ災難だったね」
「分かりませんな。暴利を貪ったとは言え、売ったのはたかが十着でしょう? 五百糧程度なら小生の金の一部にしかならないはず。残りはどこへ消えたのです!」
 マオが頭を上げた。幽鬼のようにやつれた顔は虚ろであり、目はここではないどこかを見ていた。
「十着じゃない」
「へ? だって、私たちが作ったのは十着だけで」
「五十着売った。加えて第二弾の分の仕入れもある。慰謝料や賄賂その他の費用をあわせると、しめて6万元ほどかかる計算だった」
 マオは手巾を取り出すと思い切り鼻をかみ、横に投げ捨ててまた突っ伏した。
「朋友よ、許してくれ。追及を免れるにはどうしても金が必要だった。その時、手元に君らの金があることを思い出したんだ。一部だけでも払っておけば、追及の手が少し緩む。牢屋に入るのはいやだった。どうしてもいやだったんだよ」
 さめざめと泣くマオに、セイランとシュウは顔を見合わせた。
「シュウさん、あのですね」
「分かるよ、セイランちゃん。今度からは友達選ぶよ」
「許してくれ朋友よ! 頼むから見捨てないでくれ!」
「シュウ殿が許しても小生が許しませんぞ!」
 カンペイが吼えた。
「全額耳をそろえてきっちり返済してもらいます! なんなら奴隷として売り飛ばしてでも!」
「奴隷!?」
「石切り場にでも送り込んで死ぬまで働かせてやりますからな! 覚悟しておけ!」
「ひぃ!?」
「んー、カンペイさん、それはちょっとどうなのかな」
「シュウ殿、小生と貴方はいわば運命共同体、小生の損はシュウ殿の損でもあるはずですぞ。同じ地球人だからとて手加減は無用のはず。いや、むしろ友情を踏みにじられたわけですから、シュウ殿こそ怒ってしかるべきではありませんか!」
 カンペイの血走った目がすっと細められた。ひたすら傍観者を決め込むセイランの肝すら寒からしめるような壮絶な眼力である。意外な眼力に、セイランは驚きを隠せなかった。
 しかしそんな視線を受けても、シュウは一向にひるむ様子を見せなかった。
「いや、僕も裏切られて大分腹が立ってるよ。そこは間違いないんだ。でも奴隷で売っちゃうのはどうかなあって」
「心配ご無用。小生にも伝手があります。まあ全額は回収できんでしょうが、溜飲下げられるなら多少は我慢しますぞ」
「いやそうじゃなくて、地球人を売り買いしたらまずいんじゃないのって事ね」
 シュウの視線がセイランを捉え、セイランは思わず背筋を伸ばした。
「ここには地球の国の領事館とかないっぽいけど、人身売買があったら流石に問題になるんじゃない? そういうのってどうなの、セイランちゃん? こっちのお役所は地球人の売り買いを認めているのかな。セイランちゃんところの通関司って、そういうことも管理してるんだよね?」
 セイランは言葉に詰まった。シュウの穏やかな視線とカンペイの血走った瞳、それにマオのすがりつくような目つきに交互に見つめられて、セイランはへどもどした。
「……ごめんなさい、それはちょっと分からないです」
「全く貴方という人は心底使えん小娘ですな! どの面下げて通関司などと名乗っていられるのやら!」
 十もの反論がセイランの喉元まででかかったが、セイランは必死にそれを押さえた。何より、大事なことを知らなかったのはセイランの過失である。目を落とすセイランを庇うように、シュウがのんびりと言葉を発した。
「多分ダメだと思うんだよね。地球のほかの国相手でならともかく、異世界に売り飛ばすんだときっと大事になっちゃうと思う。きっと引き合わないよ」
「ではどうしろと言うのです! こやつがのんびり金を作るのを待てとでも!?」
「まあそれができたら一番いいよね。どうなの、マオ。お金用意する当てはある?」
「……なくはないんだ」
 ゆらり、とマオが体を起こした。
「俺が破産したのはひとえに返品させられたせいだ。こっちで作った字が消えてたせいなんだ。だから字を書いた人に責任を取ってもらうことにする」
「へ? ど、どういう事ですか」
「そういえば、なんで返品しないといけなかったのか聞いてなかったね」
「簡単さ。売りつけたとき、躍字はまだシャツの上にいた。客の手元に届いたときには消えてた。そういうことさ」
「なるほどねえ」
「確かに、詐欺とみなされても致し方ありませんな」
「そうとも。ちゃんとした字を書いてもらえれば、こんなことにはならなかったんだ」
 眼鏡の向こうでまたたくマオの恨めしげな視線に、シュウとカンペイが追随した。思わぬ成り行きにセイランはうろたえた。
「ちょ、ちょっと待ってください。確かに私たちが字を書いてあげましたけど、それはちゃんとしたもので――」

『躍字が異世界でもうまく存在できるかという実験なのです』

「――あ」
 セイランは思わず口を覆った。勢いづいたマオは立ち上がり、拳を宙に突き上げた。
「ほら見ろ! 責任取ってもらうからな!」
「止しなよ、みっともない」
「しかし!」
「まあ、小生は別に金が返ってくるんでしたら誰が払ってくれようと構わんのですが」
 カンペイが肩をすくめた。
「果たしてこの小娘の一党にそれだけの金がありますかどうか。根城にしておる建物の傾き具合を見るに、まともな予算がおりているのかはなはだ疑問ですな」
「それに払う必要があるかどうかも疑問だなあ。セイランちゃんの身に覚えがあろうとなかろうとさ」
「どういう意味だ、朋友よ」
「いやさ、だってセイランちゃんが作ったのは十着だけでしょ。なのに売って返金したのは五十着でしょ。残りの四十着がどこから来たのか知らないけど、勝手に手広げて自滅したのはマオのほうじゃないの?」
 顎をなでながら、シュウはセイランに小さく目配せした。混乱しきりであったセイランは、何とか自分を取り戻すとマオに詰め寄った。
「そ、そうですよ! 大損したって言いますけど、それは五十着も売るからでしょう? 大半は私たちのせいじゃないじゃないですか! どこで書いてもらったのか知りませんけど、まずはその人に責任とって貰ってくださいよ」
 空気が抜けるように、マオが力なくいすに座り込んだ。
「そ、それはそうなんだが」
「そうなんだが?」
 かしいだメガネを押し上げて、マオは弱弱しい言葉を吐き出した。
「それにはすこし金がいるんだ……」
 セイランとカンペイは顔を見合わせた。
「カンペイさん、あのですね」
「心配ご無用。売り飛ばした分け前も多少は差し上げましょう。そちらが地球人を売り買いしたことをとがめだてされないよう、手を回してくれればの話ですが」
「ひぃ!?」
「まあまあまあ、二人とも、気持ちは分かるけどもうちょっと話を聞こうよ。マオ、何のためにお金がいるんだい?」
「もちろん『紅玉楼』に通う」
 一同は顔を見合わせた。セイランは咳払いを一つすると、カンペイに向き直った。
「カンペイさん、見逃しの件ですけど、私、何かできることあるんじゃないかって気がしてきました」
「頼みましたぞ。おいお前、覚悟を決めろ」
「これ以上見損なえるもんかなって思ってたけど、案外君もやるよね、マオ」
「違うんだよ! 頼むから聞いてくれ! そこに代書屋が居たんだ! そこで仕事を請け負ってもらった! だからもう一度会うには紅玉楼に行くしかないんだよ!」
 紅玉楼の何たるかは、セイランは知らない事になっている。
 市城の、セイランがあまり近寄ってはいけないことになっている区画で、あまり関わらない方がよい人たちがあまり芳しくない客を捕まえて、あまり知らない方がよい類の娯楽を提供しているものであるらしい。無論そういうことは建前で、紅玉楼が娼館であることはセイランも重々承知している。金栄館で一日ぼんやりと座っていれば、観光客が紅玉楼の名を囁くところを何度も聞くことが出来る。どうやら人気の店であるものらしい。
 娼館に、代書屋。
 珍しいことである。セイランの知る限り、代書屋は堅い職業ではあるが、遊郭で遊び呆けられるほど儲かるかといえば疑わしい。カイ爺の店の埃っぽさや、自前で製本している貸し本の紙の質を思い返すまでもない。そもそも代書屋になるのは引退した潜書官だったり、出世を諦めて野に下った低級官吏だったりで、お酒や贅沢より本を尊ぶような人が多いことはセイランとて知っている。
 それが妓楼で異人と交わり、商売の手助けをしているという。
「あの、マオさん、その話もっと詳しく――」
「下らん!」
 身を乗り出したセイランをさえぎってカンペイが爆発した。首をすくめた一同をよそに、カンペイは唾を吐き散らして土石流のように荒れ狂った。
「何を言い出すかと思えば追加で金を出せ、ですと!? はっ! 絵に描いたような『楼詐』ですな! そんな古典的な手に引っかかると思ったら大間違いですぞ!」
 カンペイはぷりぷりと怒っている。シュウがおずおずとセイランに問いかけた。
「あのさ、セイランちゃん。『楼詐』って何? こっちで有名な詐欺なの?」
「え、ごめんなさい、知らないです」
「これだからガキンチョは! 楼詐とは『宝物がある、だが手に入れるには君の協力が必要だ、金を用立ててくれれば儲けの一部を差し上げよう』と抜かして金を吸い取る詐欺のことですぞ! 『かの楼商会がひそかに残した隠し財産に関する情報がある』などと言って金を集めるので楼詐と言うのです!」
「へえ、詳しいんだねカンペイさん」
「賢者は失敗から学ぶものですからな。小生は騙されたら騙されっぱなしのボンクラどもとは一味違うのです」
「引っかかったことあるんですか……」
 カンペイににらみつけられてセイランは黙った。咳払いをすると、カンペイは再び唾を飛ばし始めた。
「とにかく、この英明なる小生にかかれば、この男が考えている事などお見通しですぞ! どうせこの次は『代書屋が見つからないからもう少し通わないといけなくなった』などと言って更に金を搾り取るのです! 一度金を渡してしまえば、結果が出るまで延々むしり取られる。それがこの詐欺の恐ろしいところなのですぞ!」
「延々むしりとられたんですか……」
 一にらみされてセイランは口を閉じた。カンペイは大いに血走らせ、その視線でマオに穴を開けんばかりである。
「とにかく、この男の話なぞどうせ嘘に決まっております。耳を傾ける価値など一切なし。そんなことよりこやつからどうにか金を搾り取る方法を模索すべきときですぞ」
「それはそうだね。できれば人身売買以外で」
「とりあえず、取り立てられそうなものは取り立てるとしましょうか。おい、お前! 何か売れそうなものは持っていないのか」
「ある……あります」
「なんだ! こっちに持ってきているのか!」
「持ってきている……今は預けてある」
「預けてあるだと? どういうことだ、一体何を持ってきたんだ」
「密輸品だと言い張って衛視に押収してもらったんだ。今は検査が終わったから受け取りを拒否してる。我ながらナイスアイディアだった」
「あの、それって衛視さんに迷惑かけてるってことじゃないですか。何預けてるか知りませんけど」
「控えめに言っても最低だね」
「仕方なかったんだ……これだけはどうしても死守しないといけなかったから」
「それで? 一体何を持ってきたというのですか、このごくつぶしは」
 マオはカンペイの言葉には耳を貸していなかった。自分の言葉以外は全く聞こえていないかのように、マオはぶつぶつと虚ろに言葉を発していた。
「これだけは守り抜いたんだ、信じてくれ。現金こそないが、ちゃんと代わりになるものをこっちに持ってきたんだ。再起のチャンスはまだある。これさえ売りさばければ金が作れる。金が返せるんだ」
「だから何を持ってきたんだと聞いてるだろうが!」
 幽鬼のように虚ろなマオの目が、メガネの奥でぐるりと動いてカンペイを捉えた。
「それはもちろん、Tシャツだよ」
 誰かが大きなため息をついた。それが自分の口から漏れたものであることに気が付いて、セイランはゆっくりとこめかみを揉み解した。



続く

 但し書き
 文中における誤り等は全て筆者に責任があります。

  • うおおおおこいつは長編だ。躍字は色んな面で便利だ -- (名無しさん) 2013-02-11 03:42:23
  • >躍字は一般的な装飾の類に用いてよい文字ではないのですが  言われてみれば躍字が書かれた服がいきなり燃えたり飛んだりしたらえらいことだなと。場合によっちゃ字が勝手に抜け出しちゃうかもと思わず納得してしまった -- (名無しさん) 2013-02-12 04:15:02
  • 女性の獣人で袖のない服装はどう捉えられているんだろう?と世界間交流の進んだ今ではどう思われているのかな?と気になった -- (としあき) 2013-02-13 06:48:51
  • 公主シリーズは文庫本でじっくり読みたい、何故かそんな気分にさせる -- (名無しさん) 2013-02-15 00:02:50
  • 中核になるキャラとそれぞれの話の主題がはっきりしているのはシリーズをまとめたときもしっかり形が崩れないままなのは流石だなーと惚れ惚れする。異世界で躍字入れる→地球に持っていくは案外すんなりできそうな気がした -- (名無しさん) 2013-02-15 07:37:47
  • 何とかしようと奮闘する面々と派生していく躍字が面白い。 汎用性という点では精霊にも劣らない要素だ躍字 -- (名無しさん) 2013-02-20 23:28:51
  • 異世界を知らないセイランの行動と周囲の反応が面白い。Tシャツ男の軽率さに振り回される実直なる人々の苦労が見える -- (名無しさん) 2015-01-03 06:10:02
  • 知らないということが行動力に繋がっているのとそれに真摯に向き合うセイランのちょっとずれる歯車が微笑ましいですね。大延国を軸とした異世界要素の紹介と具体的な行動の結果は交流しているという実感があります。異世界ならではの文明を交えての生活レベルが見えるのも楽しいです -- (名無しさん) 2016-02-21 18:14:49
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最終更新:2013年02月10日 22:21