時はミズハ争乱開戦前夜、場所は時の太政大臣の自室でございます。
促成珊瑚の薄板に、今日のあれやこれやを綴っております鯰の一族、
長い髭を優雅に漂わせなんとも尊大な顔形、これぞ彼の名高き太政大臣にて。
さて、そこへ何やら大音を立てて水を掻くもの近付きまして、
扉を開いて一声「父上!」と叫ばれました。
太政大臣はにこやかに振り向きまして彼の息子を迎え入れます。
「ハハハ、やっと来たか愛する息子よ。さてはて、何の用事かな?」
父の朗らかなようすとは打って変わり、息子のほうは顔を憤怒で赤らめ震え、
今にも爆発してしまうかと見まがうばかりでございます。
「陸に攻め入るとはいったいどういうことなのですか!?あの一件は不幸な行き違い!鬼の一族らに戦の意図はないのですよ、父上!」
大臣は、左様左様とうなずきなされて、大きな口を開かれますぞ。
「ハハハ、なんだそんなことか。それは、ワシも宮廷の方々もようくご存じであるぞ。愛する息子よ、そんなものは強いて伝えるほどのことではあるまいさ」
「な、な、なれば!何故、攻め入るのです!?陸を手に入れても、我ら水のものには利が薄いでしょう!?いたずらに敵を作るだけです!?父上は無為に万民から恨まれたいのですか!?」
「フフ、ハハハハ。こんどは、よい問いかけだ。左様左様さ、敵を作りたいのだよ。敵は手強く多いほうがいい。友などは甘くすれば作れるさ、しかし決死の敵というのはそうもいかん。命懸けの敵の一人や二人、持たぬ男というのは、つまらん男とは思わないかな?なあ、友しかおらぬ愛する息子よ?」
「……馬鹿にしないでください!大臣ともあろう方が、我が父上が、そのような理由で国を蔑ろに……!」
「否否、ワシは国を想う忠臣さ。本来なれば暴政と弾圧で、我が民らの敵となろうと思っていたのだ。しかしあいにく根っからの愛国者でな、どうも良政ばかりとってしまうのよ。ハハハ、流れる代々の忠臣の血は裏切れない、いやあ困った困った」
「……父上。もう父上には愛想がつきました。このようなこと、いつか目覚める乙姫さまが許すはずありますまい。わたしはこのことを触れ回り、龍神様に直訴させてもらいます」
「おやおや、そいつは困ったこと。いやなに、争乱のことはどうでもいいのだ。しかし、今代の乙姫様はちょうどお年頃でいらっしゃる。恋にも前世にもちょうど目覚めようというところにて、龍神様の頑張り時よ。もとより取り合わぬだろうが、龍神様をつまらぬ些事で煩わせ失恋でもなされたら、中津海が干上がるわい。」
そうおっしゃって、大臣は手をたたかれますと、すなわち鮫の一族の兵が現われました。
「我が愛する息子を捕らえよ。そして丁重に軟禁するのだ。この息子は錯乱し、この大事な時期の龍神様を煩わせようと言うでな。すべて終わり頭冷やすまで、決して外に出すでないぞ」
大臣の息子はすこしばかり暴れましたが、箱入り息子が屈強な兵にかなうわけもなく簡単に連れ出されてしまいます。
そうして、一人自室に残った大臣は、書類に向き直りお仕事を始められたのでございました。
「ハハハ、これでよい、これでよい。のちのち乙姫様がその慈悲深さからお叱りになられても、慈悲深さゆえ軟禁された息子までは叱り飛ばすまい。いやあ、息子に甘いこの性分、治しようにも治せない。さあ、仕事よ仕事。実り少なく痛みばかりが多い仕事だが、政とはえてしてこういうものよな。少しづつ地道に積み重ねることだけが、良い国造りに繋がるというもの。ハハハハ、まったくワシは真面目で働き者の愛国者よ!」
- 荒っぽいけど大臣の唱える富国の手段も分からなくもないのがつらい -- (名無しさん) 2013-05-14 23:34:25
- 武力行使が交渉の選択肢の中にある世界だとナマズみたいに考えるのも普通なのかなと -- (とっしー) 2013-05-15 12:53:33
- まだ実情が明確に決まっていないミズハ争乱の想像で素材になりえる権力者の思考よ -- (名無しさん) 2014-10-10 23:13:53
- 太政大臣の自信の大きさの裏づけよりも親としてのネジが外れた様子が気になる -- (名無しさん) 2015-01-21 01:24:44
- 人を変異させてしまうのが欲であるというのは分かりますが肉親への意識の歪さに大臣をかどわかす黒い影の存在を感じました。鯰の顔がどうにも悪役に似合わないからでしょうか -- (名無しさん) 2016-08-07 20:02:15
最終更新:2013年05月14日 23:33