六千幇とは、大延国における秘密結社の一つである。紅白餅一門という名の金膳厨師たちを中核とし、多くの資金と人員とを擁して、大円国の食に関するあらゆる物事に影響力を持つ極めて巨大かつ強力な組織である。
六千幇の成り立ちは、現在から300年ほど遡る。いまだ食神祭に狐人以外の参加が許されなかった時代の事である。当時の食神祭は、華美で享楽的であった世相を反映した豪勢なものであった。珍味や高級食材を惜しげもなく使うことそれ自体に価値があるとされた。料理人もまたその風潮に則って、目を引くような奇抜な調理法を駆使してこの世のものとは思われぬ料理を作れる者こそが料理の腕前だとされていた。当然、こうした料理を享受する事ができるのは限られた身分の人間のみであった。貴族や大商人が無上の快楽をほしいままにする一方、庶民はせいぜいが食神祭の会場の周囲に群れ集まって、流れてくる香りをかぎとりながら、想像で描かれる料理の似せ絵を眺めてよだれを垂らすよりほかはなかったのである。
六千幇はこうした群集たちの中から生まれたとされている。
あるとき、食神祭の勝負が行われている会場であった貴族の屋敷から、大量の生ごみが運び出された。生ごみといっても、あくまで当時の驕った使いかたの基準に照らしてというものであったそうである。一頭をさばいた肉からひとかけらのみを用いて残りは捨てる、魚から鱗と目のみを取って身は捨てる、ほんのわずかだけ浸した出汁を使い、出しがらの乾物はまだ中が乾いているうちに捨てる、野菜は皮を剥くのではなく、ただ料理のそばに並べて香りを移し、あるいは彩りとして眺めたのち、皮もむかずに捨てる。万事がその調子であったそうである。捨てれば捨てる程、よいという評価がくだされる時代であったのだ。
屋敷の回りに群集まり、いかなる料理が供されているものかと想像していた庶民は、これを目にして怒り狂った。何しろまだ食べようのあるものを捨てるのである。空腹を抱え、しかも料理の香りだけはふんだんに嗅がされていたところに、人倫にもとる振舞を見せられるという次第である。人々の憤りは想像するに難くない。当然の帰結として群集は屋敷を取り囲んで拳を突き上げ、鎮圧に駆けつけた兵士と衝突してあわや暴動という事態にまでなった。
ところがこのとき、一人の老豚人が進み出ると、うち捨てられた食材を物色しはじめたのである。食べようがあるとはいえ、あくまで生ごみとして道端にうち捨てられ、土埃にまみれていた食物に、人々はこれまで興味を示していなかった。驕り昂ぶった貴族の愚行としてしか見ていなかったのである。そこをこの老人は、真剣な目で食材を検分するのであった。老豚人は一目で破箸だと知れる風体であったという。破箸とは、いわゆる乞食のことである。ただ箸を一本のみ持つことで、自分一人では口に食べ物を運ぶことができないことを周囲に伝えるのだ。この老豚人もまた一本しかない箸を振りかざしながら、宝の山を漁る泥棒のようにうやうやしく食材を物色していたのである。
そうして、驚き呆れる群集に構うことなく、老豚人は持ち運んでいた包丁と鍋を用い、火を焚いて料理を始めた。
現在においても、包丁と鍋は等しく値の張る器物である。一介の年老いた破箸が持ち運んでよいものではなく、このことから老人がただ者ではないということが容易に知れる。ともあれ老人は手際よく調理を終え、小さな紅白餅をいくつも作り上げていた。山のように捨てられ、蒸気をあげていた蒸し米と、兎眼果と呼ばれるザクロに似た赤い果実を材料としたものであったという。老豚人は呆気にとられる人々にいくつも紅白餅を配り、再び調理を始めると、瞬く間に次の料理を作り上げて人々に振る舞った。老人の料理はいずれも腕前こそ凡人のそれであるとはいえ、奢った食材の味わいを存分に楽しめる美味なものであったという。
この老人の非凡なところは、料理の味ではなく早さにあった。何百人何千人と詰めかけていた群集相手に、即席の料理を次から次に振る舞っていっときも待たせることがない。評判を聞きつけて集まってくるさらなる人だかりにも一向にひるまず、それどころか人々が新たに持ちこんだ食材を眼に求まらぬ早さで料理へと変えていく。あたりは食べる人々と食事の香りとに溢れ、あたかも無数の屋台が出現したかのような有様。しかもそれが全て一人の手によって成し遂げられた出来事だったのである。
殺気だっていた人々は腹がくちくなるや怒りを忘れ、改めてこの老豚人を見やって首をかしげた。老人を取り囲んではくちぐちにお礼を述べる人々に対し、老豚人は答えることなく、ただその数のみを数えていた。最後の一人が老人に礼を述べるや、老破箸は天を見上げ「六千人だ! これで許してくれるな!」と叫んだ。直後、老豚人は煙のように姿を消したという。老破箸がいかなる存在であったのか、なぜ六千人であったのかは知られていない。名も知れぬ小神に呪われて贖罪を行っていた料理人であるとも、発狂した悪仙のなれの果てであるとも言われているが、真実は定かではない。
ともあれ、この出来事は居合わせた人々の心に大きな感銘を与えた。老人の振る舞った食事の味を思い、暴動を未遂に押さえたその力を目の当たりにして、人々は食の意義を大いに意識したのである。こうした人々の中から六千幇の創始者たちが生まれた。彼らはいずれも調理人や行商、屋台主といった庶民の代表であった。初めのうち、その活動は老破箸の行為を真似て、飢えてり狂う人々をなだめることを目的としていた。そこからだんだんと安く、それなりにおいしい食を安定して供給することを追求するようになり、最終的には食の供給に関わる全てに食い込むようになっていたのである。
現在、六千幇の構成員はいたるところに存在している。食物の生産や輸送、販売は言うに及ばず、先物取引や主要精霊との契約、街道の整備といった大規模な事業を独自に行い、さらには官僚組織にまで人員を送り込んで影響力を行使している。毎年行われる食神祭において排出される金膳厨師の中に、紅白餅一門の姿が絶えることはない。下は苦力から上は金膳厨師まで、あらゆる人材が六千幇に関わっている可能性がある。とはいえ、ほとんどの場合において、彼らは自らが六千幇の構成員であるということを明かさない。あくまで仲間内でのみ通じる秘密の符丁でやりとりを行うのである。
対照的に、六千幇の中核構成員は自らが六千幇の人間であることを明かし、その席次を誇る。席次は一から六千まであり、そのときどきで様々な役割が割り当てられる。あくまで数字の多寡に意味はないとされている。第十八席が、第五千三十一席に重要さで勝り、あるいは劣るということは決してないのである。ただしこれとは別に、総席とよばれる立場が存在し、これは全ての席に優先する権限を与えられる。六千幇の長い歴史の中でも、総席が置かれたのは片手に足りぬ程である。もっとも有名な総席はおそらく莫海のヘイウであろうか。彼女は天候不順から孤立状態に陥った漣州は種戒諸島に対し、全土から独自に調達した糧食を嵐をついて海上輸送し、その危機を救った。女性でありながら船を駆り、人々を救ったヘイウの物語は、特に北方ではポピュラーなものである。種戒諸島ではいまでも、ヘイウがもたらした食糧に関する伝承が歌われている。
とはいえ、六千幇はあくまで自らの目的を追求する秘密結社である。その活動には黒い噂もついてまわっている。作物の値段を操るために供給量を制限し、あるいは賄賂を使って禁制品を取引して設けるといったやり口は、比較的おおっぴらにささやかれる部類の噂である。真実がいかなる者であるかについては、本稿では特に触れない。
六千幇のシンボルは、老豚人の折れた箸である。また、紅白餅も歓迎される。もしあなたが万が一金膳厨師の招待に与り、その席で折れた箸と粗末な紅白餅を振る舞われたとしても、決して腹を立ててはいけない。それはあなたを最大限にもてなすという意志、あなたを断じて飢えさせることはないという決意の表れだからである。
終わり
但し書き
文中における誤り等は全て筆者に責任があります。
- やっぱり祭りは皆で楽しまないといけないよね! -- (とっしー) 2013-06-21 21:25:25
- 大延の長い歴史的に起源は500年くらい昔でもいい気がしたりするぅ -- (名無しさん) 2013-06-21 22:05:59
- 食に対する思いと民の行動が結実した形なのかなぁと。それ以前にもこまごまとした集まりはあったんじゃないかなとも思った一作 -- (としあき) 2013-06-25 12:32:08
- 民間団体?NGO?平等とか綺麗ごとじゃなくて美味しい食事をみんなでという気持ちが見えた -- (名無しさん) 2013-09-20 20:58:28
- 超上の者じゃない民の集まりってのがそそられる -- (名無しさん) 2014-05-09 22:25:37
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最終更新:2013年06月20日 19:55