【ある露天商の記録】

メモを取った。
「それじゃあ、ここからは」
「ソウさナ」
店主は陳列棚の空いたスペースに広げた世界地図の上に指を滑らす。
不格好な太い指が目を引いた。
「こコからダと諸島ヲ伝っテ大延国に行くか」
点々と連なる島々をこつこつと叩いて南下した指は最後に海に突き出したような大きな国を叩く。
比べると今いる国がいかに小さな国なのかよく分かる。
「海ヲ渡っテ、ラムールやエリスタリアへ行クのモいいだロウ。海流ガ緩やカで天候ニあマリ左右さレんかラナ」
地図上に青く彩られた海を指が伝い二つの大国を示した。今説明された大延国ほどではないが、それでもこの国よりは十分大きい。
最後に東側に位置する国々を指された。
「逆ニオルニトやマセ・バズークは勧メンな。あチラ側はこコカらダト海流が早いカラ、行くならスラヴィアニ渡っテからの方ガいイ」
そう言うと店主はくぐもった声で笑う。
ごぼごぼと、咳をするような、乾いたものが擦れるような、独特の笑い方だ。癖なのかそれともそうとしか笑えないのか。
多分後者なのだろう。彼の言葉のイントネーションはどことなくぎこちない。どこか喋りにくそうというのが当て嵌まる。
喋るのに適しない口だからだろうか?
「たダまァ、こっチに来タばカりナらスラヴィアは勧メんナ。ちょイト気難しイ国ダ。行クナら飯ノ美味イ大延国か、景色ノ綺麗なエリスタリアヲ勧めル」
「成程」
私がメモを取るのをその猫のように瞳孔の開いた目でじっと見ていた店主は、やがて私の手が止まったのを見て目でもういいかと訴えてくる。
私が頷くと彼は地図をたたんだ。指に似合わず繊細な手つきで丁寧に地図を折りたたんでいった。
職業柄なんだろう。こういうものを扱う慣れを感じる。
土産物を買いついでに観光の勧めを聞くだけのつもりだったが彼に興味がわいてきていた私は、思わず訪ねてみる。
「随分他の国にお詳しいんですね」
「コのくライの事なラ一般常識ダ。そレニ商売ガ商売だカラな。年中世界中ヲ飛ビ回っテいレバ嫌でモ詳しクなル」
にたりと店主が笑う。いや、きっと笑ったのだろう。
人間の顔からはあまりにもかけ離れた造形からは推測でしかないが人好きのする雰囲気は伝わった。
笑った口には鋭すぎる歯がびっしりと生えていた。


私はフリーのライターだ。付け加えると人間だ。
日本に開けたゲートを伝いミズハミシマという国へやってきた。
どこか昔の日本の情緒を残したこの国は私には過ごしやすい。ついつい長居した分。国中の観光地を回れたように思う。
しかしその時の見聞録はまた別の機会に書くことにしよう。今回綴ろうとするのはこの変わった露店の店主の話である。
この異世界への滞在予定はまだまだたっぷりと残しているが、私が見て回りたいのはこのミズハミシマだけではない。
この逗留だってタダではないのだ。文章にまとめるにはまだまだ一国だけでは足りない。そろそろ別の国へと渡らなければならない。
何か一つ、土産物を買って行こう。そう思い立ってミズハミシマの陸地で露店を見て回っている時だった。
直射日光を遮る幌が頭上を覆う下へ、水路沿いにたくさんの露店が並んでいる。私は行ったことはないが、地球の水街で有名なベニスというところはきっとこんな雰囲気なのかもしれない。
その中でひときわ目を引く品を見つけた。
一瞬宝石と見紛えた。それほどきらきらと輝く、黄金の粒のような貝をあしらった腕輪だ。
飾りはその貝だけで作り自体はとても質素なものだ。それだけに細部の精緻さ、丈夫そうな作りにはこだわりを感じる。つまり、シックで格好良かった。
思わず手に取ろうとしたその時だ。
「オ客人、なカナか物ヲ見ル目ガあル」
酷く歪な、紙をこすり合わせるような声が頭上から響き、棚しか見ていなかった私はそこで初めて顔を上げた。店主と目が合った。
思わず悲鳴をあげそうになった。それでも堪えられたのはひとえにミズハミシマの滞在で亜人に対する慣れが生まれつつあったからだろう。
だってその顔は人間の私からすればあんまりにも恐ろしい顔だったから。
鈍角に尖ったロケットの先っぽのような鼻先。
露店の一角がそこだけ急に重力が上がったかのように錯覚する青い肌の巨体。
何より頭に乗った帽子の陰から除く、隈取のように黒く窪んだ眼窩から光る瞳が私を捉えて離さなかった。
かすかに開く顎の中には血のように真っ赤に染まった大きな咥内が見え隠れしている。
それは地球の海洋生物で言うところの鮫―――いわゆるステレオタイプな、ホオジロザメのような―――を、そのまま人にしたような生き物だった。
意図せず品物から手を離し目を白黒させていただろう私を見て、そいつはごぼ、ごぼと喉の奥から音を立てる。
それが笑い声だと気付くのはもう少し話した後の話だ。
「《向こう》ノ人ダろウ。オ客人。私ノ見テくレが恐ロしイか?」
特に気分を害したでもなく、そいつは自前の陳列棚の前でどこかユーモラスなくらい泰然と座っていた。


ヴ、と彼は名乗った。一文字だけだ。
「失礼ですけれど、そんなに短くて不便はないんですか?」
「本当ハもっト長イ。魚人トいウノは一括りニさレテはいルガ、実態ハ全部デいクツの種族ガいルノか分カっていナイ多様ナ種ダ。ソれらガ混ざり合っタ結果どコカラ来タのか定カじゃナイようナ連中とテいルといウコとさ」
振り返ってみて身に染みるのは、何事も勇気をもって話しかける勇気が寛容ということだ。地球にいても変わらない話。
きっと私が地球に帰って実際に文章に起こした時、彼との会話だけで一節は書けるだろう。
おそらく彼はそのとき暇を持て余していたのだ。聞けば、彼は海運業を営んでいるという。
この世界のあちこちの国へ出向いて品物を集め、あちこちの国でそれを売るのが彼の仕事らしい。
露店を開いていたのは本当に偶然。商いの隙間を埋めるように手に入った土産物を売っていた、そこに私が来た。
運命と言うのは少し大げさか。
ただ。
私が滞在中に聞いた噂を口にすると、彼は例のごぼごぼとした笑い―――これは苦笑のようだった―――を発しながら肩をすくめた。
「でも、鮫の魚人というのは…」
「あマリ先入観ヲ持タレるのハ困ルな。しカシ比較的トいウ前置キヲしテ話ソう。粗暴ナ連中ガ多イのダといウノだろう?認メよウ」
頭にちょこんと乗せた大きな麦わら帽子をかぶり直し、ヴは腕組みをして唸りを上げた。
そこまでは言わないが、若干近寄りがたい雰囲気を感じていたのは事実だ。
上半身裸の上に羽織ったおそらく綿で出来た色鮮やかに染め上げられたシャツ、地球で言うアロハシャツのような服が目を引く。下を見れば短い足に合わせた丈夫そうなワークパンツにごついベルト。似合っている。案外お洒落好きなのかもしれない。
「我々《鮫》ノ一族ハそウイう傾向ニあル。魚人ノ中デは戦ウ事ニ優レていル種ダかラナ。裏ノ世界ニ通ジるヨウな無頼者モいルが、反対ニ己ヲ律シ自らヲ鍛エ高潔ナ精神ヲ持チ、武官トしテ働ク者モいル。中デも体ニ鮮ヤかナ斑点ヲ持ツ《キザン》ノ一族ハ代々幕府ニ仕エる高官ノ士族ダ」
きっと異国のものなのだろう。懐から取り出した独特の工芸で出来たガラス瓶から水を大きな口に流し込むとヴは話を続けた。
「他ノ種族ト我々魚人ヤ人魚ガ異ナるノハ、こウイう点ダ。姿形ガ大キく異ナる様ハソノまマ多様性ニ繋ガっテいル。オ客人モ見テきタだロウ?色々ナ魚人ヲ。一口にハ言イ切れンのダ」
「…それじゃ、あなたは?」
呵呵大笑、といった風に彼は喉からごうごうと音を響かせた。
「見テの通リダ。戦イハ私ハ向イてなイのさ」
やれやれ、といったボディランゲージで腕を広げる彼の体を見る。
確かに、よくよく見るとその巨体はずんぐりむっくりとした…悪く言えば、でっぷりと脂の乗った体付きだ。
腕に浮き出る筋線は彼の力強さを物語るが、しかし腹を見ればだらしなくたるんだ脂肪を同居させている。
巨体に比べれば短い手足がそれを増長させて私に伝えていた。
「オ陰デ親戚ニ顔ヲ合わセレばダラしナイと笑ワれルがネ。元カら金勘定ガ好キな身ノ上デな」
「地球には、十人十色という言葉がありますけれど」
「知っテイる。いイ言葉ダ。種族ニ多様性ガあルヨウに、種族ノ中デも人そレゾれトいウ事ダ。そレハ、おソラく君たチとて変ワりあルマい?」
間違ってはいない。
私も彼らに人間とはどういう種族なのか?と聞かれれば答えに窮する。
傾向こそあれど彼らにもそういう感覚なのだろう。
「魚人ノ生活圏ノ中心ハ勿論海域ダ。ダがシカし、何分海ハ広イモのでナ。当ノ魚人スら自分タちガどウイった種ナノか説明出来ン。勿論他ノ連中トて同ジダろウガ、程度ノ問題ダ」
肩を竦めるヴ。
よくしゃべる人だ。しかし面白い。このミズハミシマの滞在で知り得なかった知識だ。彼の話は記事に出来そう。
「あなた自身はどう思ってるんです?」
「トイうト?」
「主観で構いません。あなたたちのことについて…」
「ソウダな…主観、カ」
海運業を営んでいるという彼なら外の国から見た自分たちという視点を持っていることだろう。
ヴは大きな顎を手でこすると、よどみなく―――喋りにくそうではあるが―――話を切り出した。
「私見ダが、大雑把ニ言っテ非常ニおおラかな民族ダ。悪ク言エばルーズだナ。ここミズハミシマに居ツく者ハ特ニそノ印象ガあル。時間ノ流レがゆっクりトしテいル、とイウか…オ客人、魚人ノ店ヲ利用しテ随分待たサレた経験ハ?」
「…ああ」
あった。
「多民族ナ種デあル所為かナ。種間ノ違イをいチイち気ニしテいタラ身ガ持タなイようデ、細かイ事ハ気ニしナい気質ガあル。後ハ文化が交ジり合うノヲ良しトスる風潮ダ。ミズハミシマは建国時大荒レしタ歴史ヲ持ツのハ聞いタか?」
「ええ」
鱗人、竜人、そして彼ら魚人たちが今はドニー・ドニーにいるという鬼たちを追い出して陸地を奪い取ったという「ミズハ争乱」のことだろう。
「建国ノ際ハ争乱ニ加わっタ者たチ、後かラ来タ者タちでミズハミシマは溢レカえっタそうダ。高官ヲ竜人ヤ鱗人ガ多ク占めル中、一般層ヲ占メる魚人ハ混乱ノ中そうデモないトやっテイられナカったのだろウナ」
歴史の裏側の話だ。
特に感情をこめず話し終えると、ヴは再びガラス瓶から水を口にする。
「例えバだガ、竜宮ノ御殿とテ源流ヲ辿れバ旧クは大延国ノ建築ダ。店ノ並ビも大延国ノ北端デ盛んナ形ニ近しイ。鮮ヤかナ織物ノ文化モ遠ク祖先ヲ探セばエリスタリアやクルスベルグに辿リ着ク。そレゾれの文化ヲ得意ニ出来ル者ガそレゾれ独自ニ発展さセタ結果が今ノミズハミシマにあル」
指折りひとつずつヴは例を挙げていく。日本人の私にはどこか耳馴染む話だ。
このミズハミシマがどこか日本の原風景に近いのは彼らの心が私たちとよく似た存在だからだろうか。
「受ケ入れ、受容シ、取り込ムノが魚人ノ美徳デあリ悪癖ダ。竜人ノ文化ヲ都合ヨく吸収シ、鱗人ノ文化ヲ都合ヨく吸収シ、果テは全ク違ウ種族ノ文化スら自分たチノ物ニすル。ソれがいイ事なノか、悪イ事なノカは私ニも分かラン」
けれど、と。
そう彼は言った。
「こレダけハ魚人タちニ共通すル言葉なのダガ…口癖ノ様ニ言う言葉ガあル。困っタこトがあっテモ、魚人ハこウ呟いテ乗リ切るノだ」
人差し指を立てて意味ありげにヴは微笑む。
私はそれを聞いて魚人という者たちを理解した気がした。
「なンとかナルさ」


「いいんですか?」
「話に付キ合っテくれタ礼ト思っテくレ。楽しカっタよ」
私の手首には最初に目を付けた腕輪。
聞けばミズハミシマの一部に伝わる伝統工芸品なのだという。
この宝石のような貝は大輝貝といい、黄色は珍しい色なのだそうだ。持ち主に幸運を運んでくるという。
タダでは無理だが、と断ったくせに彼は値札のほとんど半額で譲ってくれた。これでも元は十分取っているというから意外とがめつい商売をしているのかもしれない。
「オ客人ハこレカらどウスる?」
「あなたの話を聞いて興味がわきました。他の国にわたるのは少し先送りにしてもうちょっとミズハミシマを見て回ろうと思います。今度はもうちょっと積極的に話しかけてね」
「フフフ。そレハ重畳。いロイろ言っタがこコハ良イ国ダよ。魚人ヤ人魚だケデなく、竜人ヤ鱗人にモ面白イ奴が大勢いル。少シデも好キになっテもラエるなラこンナに嬉しイ事ハなイ」
歯を見せて笑うヴの人相はやっぱりちょっとおどろおどろしい。だが最初の印象からは随分違って見えた。
きっと彼なりのこの国の愛し方があり、彼なりの自分たちへの誇りがあるんだろう。そんな熱が私にも伝染したのか。
もっとこの人たちを、この国を、この世界を知りたいと思えだしていた。
「私ハ明日にハ積荷ヲ終エてエリスタリアへ向かウ。縁がアレばまた会えルダろうサ」
「ええ、いろいろとありがとう」
「こちラコそ」
差し出された手はごつごつとして不格好だ。構わず私は手を握り返した。
ひんやりとした肌はざらざらとして―――鮫肌か―――しかしそこに私は温かみを錯覚した。

ふと気になり、私は聞いてみる。

「そういえば、お好きな食べ物は?」
「見れバ分かルだろウ?」

やっぱりおっかない。


  • のほほんとした肉体派じゃないのが鮫とのギャップで面白い。 友好的な雰囲気も和んだ。 ミズハミシマ背景も出ていたりとここから先にミズハミシマが広がっていく感じだった -- (名無しさん) 2013-06-30 16:01:32
  • 金勘定好きと言いながら戦が嫌いそうな人のよさそうなサメ人。他の店にも入りたくなるいい空気 -- (名無しさん) 2013-06-30 19:34:16
  • 鮫って聞くと戦士だけどでっぷりお金大好き商人として登場した意外性面白い -- (としあき) 2013-07-05 22:59:41
  • 人は見かけによらないというのが異世界では強くあてはまるようで。 温和ながらも会話の端々にちょいと凄味のあるヴさんのボキャブラリに乾杯 -- (名無しさん) 2013-09-07 12:45:15
  • 途中から種族を感じさせない客と店主の会話になっているのが面白い。おっかない恐持てなのに愛嬌あるのが商人らしくていい -- (名無しさん) 2013-11-12 20:35:21
  • 回遊する魚や船の行き交う島々ということで他国多種族の受け入れに関しては大らかなイメージがある今のミズハミシマ -- (名無しさん) 2014-12-08 19:03:02
名前:
コメント:

すべてのコメントを見る

タグ:

g
+ タグ編集
  • タグ:
  • g

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2015年11月18日 15:55