大延国にて盛大にある祝賀が執り行われ、半月にも及ぶ諸々の行事が終りを迎えたのはつい昨日のこと。
大都の街中も宮中もようやく宴の気分から普段の様子を取り戻しつつある中、宮中の最奥、普段は皇帝とその皇帝の許しを得た極限られた者しか立ち入ることができない禁裏のさらに奥、大延国皇帝の寝所でただならぬ気配を発しながら互いに膝を突き合わせて座る一組の狐人の男女の姿があった。
「本当にいいんだな?」
渡来品の肌触りの良い寝間着の上からでもわかる逞しい体つきの長身の男、類まれな武の才と、それに胡坐をかくことのない一途さを精霊に認められて大延国皇帝となることになったシキョウは動揺を隠しきれない上ずった声で向き合う者に問い掛ける。
「今更どうした?私はとうの昔に覚悟を決めているぞ?」
そう問われて向き合うのはシキョウよりやや脊の低い狐人の女、シキョウが若き頃に彼の武の師として出会いを得、その後さまざまな出来事を経てこの度シキョウの妻となったスイメイがシキョウをいつものようにに挑発する時のような口調でそれに応える。
しかし、口調こそいつもと変わらないものの、その声の響きには普段にはない揺らぎのようなものが僅かに混ざり、よく見ればその瞳が落ち着きなく揺らいでいるのがわかる。
先日まで行われていた祝賀とはまさにこの新しき皇帝とその妻となったスイメイを祝うものであったのだ。
晴れて夫と妻となったのならば後にすべきことは限られる。
大延国の主である皇帝が成すべきことは国土とそれを司る精霊と民草の間に立って国をつつがなく平らに納めることであり、その平らな世を長く成すためにはより良き精霊使いの血を受け継ぐ子を遺すことが皇帝の重大な仕事である。
周囲からはさっそく世継をとの声が上がり、二人はその声に抗えず今日こうして寝台の上で膝を突き合わせているのである。
「いや、そのなんだ・・・別に無理にするもんでもないしよ、こういうのはそのうち成りゆきでどうにだってなるもんだしよ」
寝台の上で正座に似た姿勢のままあれよこれよと言い訳がましく言葉を連ねるシキョウと、その言葉の羅列が長くなればなるほど半眼になっていくスイメイ。
「・・・怖気づいたのか?」
しばらく黙ってシキョウの言い訳がましい言葉を聞いていたスイメイはシキョウの言葉がとりあえず尽きたと思われるところでボソリとしかしやけに響く言葉でつぶやく。
「お、怖気付く!?こ、この俺がか!?」
「無理をするな、恐がらなくてもいいのだ、なにせ私はお前の妻だ、お前がどんなに臆病な奴でも私はお前を受け入れると誓ったのだ。ほぉら怖くない怖くないぞ?」
それは慈愛に満ちた声だった。いかにも理解のある良き妻のそれと思わせる声色と内容、そして先ほどまでの無表情が嘘のようなスイメイのまるで聖母のような柔らかな表情、だがその全てがシキョウの感情をあえて逆撫でするもので出来ている。
「お、お前な!?俺を馬鹿にしてるだろ!?」
「いいや?あまりに緊張しすぎてありもしないものでも見えるようになったのではないか?かわいそうに、頭を撫でてやろう」
スイメイは柔らかな表情を欠片も崩すことなくシキョウに向かって毒を吐く。
「俺は知ってるんだぞ!お前が嘘をつくと鬚が小刻みに震えることをッ!」
絞り出すように口から吐き出されたシキョウの指摘にスイメイは表情を一切変えることなく鬚だけを両の手で覆い隠す。
「嘘をつくなシキョウ、私にそんな癖は、ない」
「知ってるよ!まんまと引っ掛かりやがったな!」
もはやそこには初夜の密やかさや初々しさなど欠片もない。
どうしてこんなことになったかと言えば、それは今より少しばかり時間を遡らねばならない。
「やっと終わったなぁ・・・」
「あぁ、見世物にされているようであまり良い気分ではなかったが、終わってしまえばそれほど悪くなかったと思えるから不思議だ」
寝台の上に卓を置き、その上に酒瓶と杯を二つといくらかの酒の肴、それを間にはさむようにして寛いだ姿勢のシキョウとスイメイが互いの杯に酒瓶から酒を注ぎながら言葉を交わす。
「見世物ってのはその通りだな。結局その程度の意味しか無い。だけどそれが大事なんだろうな」
そう言って、注がれた酒を一気に飲み干しながらシキョウは何かを思い返すような表情をする。
「実際のところがどうであれ、祝ってもらえるということは、悪い気はしないしな」
そうスイメイも言って杯の中の酒をシキョウほどに豪快にではないがほぼ一息に飲み下す。
祝賀が終わってもこの若き皇帝と新しきその伴侶は何かと多忙だった。その多くが諸外国の使節や国内の貴族の表敬訪問への対応などであったが、目まぐるしく入れ替わり立ち替わりしてどうにか失礼にならぬように取り繕うだけでもかなりの労力となったが、それもようやく落ち着き、今はこうして互いに酒を酌み交わしてここしばらくの思い出を語り合うほどの余裕も出来てきたという頃合いとなっていた。
「さて!それじゃ寝るか!祝いが終わってからもなんだかんだと色々あったしな!スイメイ、俺はこっちで寝るからお前そっちで寝ろよ」
しばらく酒を飲み、その合間に軽く酒の肴を口にしながら取り止めもない会話をした後、それに満足したというようにシキョウは寝台に完全に身を預けて横になり、まるで間に置いた卓がそのままそれぞれの領地の境界であるかのように彼はスイメイに言って寝台の上に寝転がる。
「・・・シキョウ」
そうしたシキョウにスイメイのどこか批難めいたような冷えた響きさえ込められた声が掛けられる。
「なんだよ、お前だってクタクタだろ?」
そう言ってシキョウはなるだけ不自然にならないようにと考えているであろう動作でゆっくりとスイメイに脊を向ける形を取る。
「シキョウ・・・」
しかし、その背後からスイメイの声が響く。その響きにはあまりにも多くの意味が含まれている。
「・・・・」
「逃げるな」
その言葉がトドメとなった。まるで逆再生でもするかのようにシキョウはそれまでの動作を逆に繰り返してスイメイの前に座る。それに対するスイメイは間にあった卓を手早く取り払い、こちらは正座のような姿勢を取って座りなおしたシキョウにまっすぐに顔を向けている。
「なんだよ・・・?」
「お前もわかっているのだろ?あの長い祝賀はただ単にこうして寝間を同じくするためだけのものではないということを、本来はこんなことは私が言うべきことではないとはわかっているが、お前ははっきり言わないとダメだということも知っているからな」
「・・・・・・」
シキョウはスイメイの言葉にただ頭をボリボリと掻くだけで無言で受ける、しかし姿勢はスイメイと同じく正座のような姿勢に座り直していた。
そして時の流れは今に立ち戻る。
「そもそもだな、覚悟なんてするようなもんじゃないだろ?その、なんだ・・・お前は俺より相当長く生きてるんだから別にこれが初めてってわけじゃないだろ?」
「・・・・・・」
シキョウのかなり品性に欠けると言える下世話な問いかけにスイエイは無言、最初はそれをあまりに下らないので彼女があえて無視したとシキョウは捉えようとした。しかし、それがそうではないということにすぐに気がつく。
「おい・・・」
完全にシキョウの想定外の反応だった。
「嘘だろ・・・俺はてっきり・・・・」
「てっきり・・・なんだ?私が何人も男に股を開いてきたとお前は思っていたのか?」
スイメイの視線にヒヤリと冷たく剣呑なものが混ざる。
「いや!だってよ!?なぁ・・・」
続く言葉はいくつか喉元まで出かかったが、これ以上は確実にスイメイの逆鱗に触れると慌てて飲み下す。
「生憎とこれまでの人生でそういう気持ちを抱いた相手はいなかった。ただそれだけのことだ。そういうお前こそ私を打ち負かすだのとずいぶんなことを言って皇帝にもならずにフラフラとしている間に何人と関係を持ったのだ?途中娼館のあるような街などいくつもあったな、私にばかり恥をかかせて自分だけはぐらかすというのは卑怯だろう、怒ったりはせぬ、話してみろ?」
「はぁ!?なんだよその言い草は!お前を倒すこともできないのに女にかまけてるわけがないだろうが・・・・」
スイメイのややまくしたて気味に言い放った言葉に今度はシキョウが目をカッと見開いて勢いよく言い返す、しかしその声は途中から急速に萎えて最後はまるで消え入るように途切れる。
「それは・・・すまない・・・」
結論から言えばこの二人、揃いもそろって未経験、さらに片方は年季の入った未通女ときたものだ。
それから少しの間、二人だけしかいない広すぎるとさえ思える寝所に気まずい沈黙が満ちる。
「実際の経験はないが何をすればいいかは知っているつもりだ・・・お前に恥をかかせるようなことは・・・その・・・したくない・・・」
その気まずい沈黙を次に破ったのはスイメイだった。
それまでからすればどこか弱々しく思える声で、時折絞り出すような声でスイメイが言葉を続ける、その顔は先ほどまでのまっすぐにシキョウを見るものではなく、やや俯き気味に時折探るような眼で彼を見てくるものに変わっている。
「いや、そういうんじゃないだろこういうことはさ・・・」
シキョウのほうもすっかりどうしていいかわからぬと言った有様で視線が定まらない。
ある意味では初々しく、またある意味では滑稽で無様なやり取りがどれほど続いただろうか・・・
「あらあら、そんなに体が硬くなってちゃダメよぉ」
声は突然その場に湧いた。
「ッ!」
そして、その次の刹那にはスイメイが寝台の上より飛び退り、普段であれば枕元に置くところを今日だけはそれはさすがに無粋と寝台から離れた場所に置いた剣を手にし、その刃を鞘から抜き放とうとしたところで違和感に気がつく。
「――ッ!?」
「お嫁さんが大事な初夜に刃物を持つのはご法度よ?」
手にした剣に彼女の背後から延びる女性のものだとわかる細くしなやかな指先が申し訳程度に触れている、ただそれだけのはずがそれだけで彼女が手にした長年彼女の手に馴染んだ剣はまるで自分が剣であることを忘れたように微動だにしない。
「だから、こういうのはしまっちゃいましょうね♪」
「なッ!?」
背後で楽しそうな声が聞こえた次の瞬間、スイメイの手からスルリと剣が抜き取られ、それはそのまま虚空へと吸い込まれて消え失せる。
その光景を視界の端で目撃したスイメイは、自分の背後にいる者が仙道の類ということを理解する。そして自分がこれまで相手にしてきた者のどれよりも手強いであろうということも。
「フフッ、これで安心して二人に手ほどきができるわね」
「剣を封じた程度で安心するのは早いぞ!」
剣をあっけなく奪われ失ったことは少なからず衝撃であったが、スイメイは思考を速やかに剣術から体術へと切り替える。
「あら?」
上体を落とし、そのまま背後の相手に向かって足払い、しかし背後に立っていたはずの気配は消え失せ空を切る。
「すごいわね、これだけ鍛えていれば大概のことは大丈夫そうね」
背後から消えた気配がすぐ横に生まれ、スイメイは反射でその気配に向かって裏拳を叩き込む、しかしその拳は軽やかにいなされ逆にその手を取られてしまう。
「くッ!?」
瞬間的に片腕を決められるか折られる危険を思い浮かべ、そうはさせまいとその手を振りほどこうと全身を捻るように跳躍し、その流れから相手のちょうど顔があるべき場所目がけて下半身を回転あせるように蹴りを叩きこむ。
「これだけすれば準備運動は十分かしら」
そんな声が耳元で聞こえた次の瞬間、スイメイは直立不動の姿勢でストンと地面に着地させられる。彼女本人にも自分が何をされたかがわからなかった。
「どおかしら?さっきよりずいぶんと体がほぐれたと思うんだけど?」
その声と共に自分の背中に身に覚えのある柔らかな二つの感触が押し付けられる。
そこでようやくスイメイは気がつく、視界の端でシキョウが寝台の上に座ったまま頭を抱えているという光景に。
- 起承転ケツwikiに合わせた上手い構成でした -- (とっしー) 2013-10-17 22:41:21
最終更新:2013年10月17日 22:40