【remote procedure call】

 ボビーの作り出した仮想マップは、罠に満ち溢れていた。

 探索リモートの機能は単純そのものだ。下級水精に架橋したボビーの「働きアリ」が差し出す記憶を受け取り、コントローラの感覚入力へリダイレクトする。そのイメージは小さなアリが巣穴を突き進み、分かれ道を曲がり、行き止まりで待ち受けるボビー扮するアリマキに群がる光景となって私に届く。

 アリ=リモートたちは恍惚とした様子でボビーの分泌する記憶をなめとり――やがて痙攣し始める。吐き戻すことに成功するのはごくわずか、多くは内部から融解して自壊する。入力を消化しきれないのだ。

「よくねえな、こりゃ」

 三体目のリモートを駄目にしてグレッグがうめいた。顔をしかめるグレッグが味合わされたのは、突発乱流に飲み込まれて体を引き裂かれた水棲蟲人の記憶だ。苦痛を伴う死のほとんどは直前でフィルターされて致命的な影響こそまぬかれたものの、ショックはかなりのものに違いない。

「すまない」

 ボビーが苦しげに言う。

「あまりに解像度が高すぎる。先ほど《声》が、これらの記憶を鮮明化することに優先的にリソースを割り当てはじめた。我々の検証作業に役立てるためとの名目だが、実際にはこの通り嫌がらせだ。記憶はさらに精緻化する可能性がある」

「余計生々しくなるってことかよ。たまらんね」

 記憶されている出来事そのものは、多くの場合無害だった。グレッグが味わったような致死記憶や悪意のある自己参照性トラップはごく一部だった。

 ただ、すべてがあまりにも鮮明過ぎた。

『何かが道をやってくる何かが水だこちらは優先通行流引き返せ空腹最後に食べた海老海老カニはいない目の前にいる大口小口におちょぼ口いよっ大灯篭金で地位を買う子孫を買う海老を買う息ができない石石石見えない石おい聞いてんの石=意思か優先度レッドだって言ってんだろうがどけろエビぶつか』


 私はやっとの思いで行商人の記憶から身をもぎはなす。即座にコマンドを打ち込んで自壊させたリモートはこれで五体目。リスポーンポイントに設定した巣穴の入り口で、私はグレッグと顔を見合わせる。

「どうだ、手ごたえは――なさそうだな」

 向こうさんもなかなかやるもんだ――そうつぶやくグレッグの顔には疲労の色が濃い。

「なんでも見つかるところはうちのお袋のバッグとそっくりだな。ベージュの小さなトートバッグなんだが本当に何でも出てくるんだ。爪切りだろうがパスポートだろうがサンドイッチだろうが歯ブラシだろうが何でもだ。ところが何か必要なもんに限って見つからないんだよな。俺がこの間里帰りした時だってハイウェイで――おっと、俺までどうでもいい与太話を始めちゃ始まらないな。とにかく、何か見つけるまでやるしかないぜ」

「グレッグ、悪いニュースだ」

「ばれたか」

「じきに。《声》が勘づきはじめた」

 私たちは即座にリモートから抜け出し、《声》とシーヴのもとへ戻った。《声》はシーヴの肉体にまとわりつき、無数の細流を生み出して全身を探り始めていた。身体のほうは無抵抗になぶられている一方で、シーヴの精神のほうは地団太を踏んでいた。

「こらー!! 触るなって言ってるでしょうが! 聞いていますか! いませんね聞いてたら困りますもんね今のは忘れてへーい!そこは腹腔なんですけど! 乙女の体でうかつに手を突っ込んではいけないプレイス不動のベスト3ですよ! ステイ! ステイ! ねえちょっと 思いとどまれ その蹂躙。おっとっと、今のは辞世の句じゃなくてせんりゅーですよせんりゅー。異世界の文学を容易く模倣し翻訳までしてみせるこの文化横断アクロバットも人の心をなくした精霊にはビタ一とどいちゃいないわけですね! 汝知らざるを知れこのスカタン! そんな知性の砂漠に舞い降りたひとひらの花びらに書かれた名前は何だと思いますかハイそこのセクハラ爺! その顔は回答放棄ですね! ボッシュートです! 答えはシーヴ! 貴様が刺さる死の刺ですよ! 聞いてますか! 聞け! 聞けッたら!……ふーよかったまだばれてないばれてない……前門のセクハラ後門の嘘バレってこれすごくやな状況ですね! 死にたい! 死んでる! つらい!」

 幸いというべきか、シーヴの声は聞こえていない。だがシーヴの肉体のほうには、この《祈りの海》で分解者の役割を担っているらしい肉食昆虫やエビたちが群がり始めていた。今のところは、バブルヘッドが追い払ってくれている。だがそれも時間の問題だ。何より、シーヴが実は死んでいないことがわかってしまえばすべては水の泡になる。

「俺が何とかする。ボビー、時間をカウントしろ。記憶を探るほうは悪いが、あんたがやってくれ」と私を指し「他の奴らも頼りにはならなそうだがないよりましだ。健闘を祈る」

 そうして、グレッグは《声》とのやり取りに入った。私はボビーの送ってよこした時間をチェックした。記憶を調べるのは、あと一回が限度だろう。

 私はリモートに意識を移し、記憶の巣穴をゆっくりと歩んだ。巣穴のあちらこちらには、鮮明過ぎる記憶にトラップされてシャットダウンもできない探索アリたちがごろごろ転がっている。協力してくれていた視聴者の人たちも、多くが疲労し、あるいは接続を失ってしまっていた。私は彼らの一人一人に礼を言いながら、時間が少ないことを告げて回った。

 そんな時、グレイを見つけた。

 バブルヘッドが掴んで連れてきてしまった蟻人だ。彼もまた、探索に加わってくれていたのだった。彼のリモートは硬直し、自閉状態に入っていた。私は彼のリモートをシャットダウンしようとして失敗した。現実にいったん浮上し、グレイの本体を揺り起そうとしてまた失敗した。何かがグレイを捕まえていた。

「自己参照ハウリングだ」とボビーが断言した。

「この記憶の持ち主は、バスの入り口付近に依拠している水精だ。我々が侵入してきた瞬間からモニターしていた。記憶の中には当然グレイの存在も含まれている。グレイは他者の眼から見た自己を見る自己をみているが、それがまた水精にリアルタイムで記憶され、自己を見ている自己を見ている自己を――といったように際限ない再帰的構造が生み出されてしまった。音響学で言うハウリングと酷似した現象だ。このままでは、彼の精神そのものが損傷してしまう恐れもある」

 私は痙攣するグレイのリモートを見やった。現実世界の方では、彼はいつもと変わらずぼんやりしているように見える。バブルヘッドに意図せず拉致されて我々に加わることになった奇妙な旅の仲間。自我が薄いのだとボビーは言っていた。途方に暮れているとグレッグは言っていた。

 だがそれでも、彼は私を助けるために行動してくれていた。リモートに乗り、何を探せばいいのかもわからない探索に加わってくれていたのだ。

 そして今、それがもとでグレイは傷ついている。

 グレイを見捨てるわけにはいかなかった。そもそも始まりから彼には迷惑をかけ続けているのだ。こんな目に会わされていいはずがない。私には彼を救う責任がある。

 危険だ、とボビーは難色を示した。

「これは過剰な自己参照によって起きるトラップ現象だ。彼と同様の目に会うリスクがある。到底許可できない。ほかの方法を推奨する」

 時間がなかった。私はボビーを説得した。リモートの生体モニターからは、グレイの神経活動が停止しつつあることが読み取れた。自我の動揺はやがて生命の危機に至るに違いない。

 それに、もし何か《声》を心変わりさせたものが見つかるとすれば、それは私たちが入ってきた直後の出来事である可能性が高い。まさにグレイがいま囚われている記憶に。ほかの場所の探索が成果をあげていない以上、ここを押すしかない。

「――いいだろう」

 ボビーのアリマキが近づいてきた。私はアリマキの腹に取り付き、しみだしてくる記憶のシロップをゆっくりとなめとった。

「グレイの意識はおそらく干渉によって自己参照を停止するだろう。健闘を祈る」

 そうして、私はすべてを思い出した。


{
『真っ黒な滝を思わせた。水中に大きく黒い穴が開いているのだ。ブラックホールのようにも見える穴は、まさにそこらじゅうからありとあらゆるものをすさまじい勢いで内部に引きずり込んでいた。これまでは安定していたバブルヘッドの体が、流れに揺さぶられてバランスを崩し始めていた。先行していた鉱石クジラが、穴に飛び込む間際バラバラに砕け散るのが見えた。そこから先はどうなったかは分からない。バブルヘッドのセンサーでは捉えられないのだ』



『透き通った水を通して、目的地へ着くのを待っている乗客たちの姿が見える。商品を満載して体を膨らませた行商水蜘蛛も、えさ場へ向かう回遊魚の群れも、それを追いかけるヤゴのハンターも。つい先ほど一足先にバスに乗り込んでいた鉱石クジラは、今では小さく分裂してそれぞれの目的地を目指しているようだった。握りこぶしほどの大きさになった土精霊が、宝石の目をひらめかせて私たちのそばを通り過ぎていった』
}


 私たちがいた。

 私は努めて私の方を見ないようにしながら、周囲の光景を、特にグレイの姿を観察した。自己参照というからにはグレイを食い入るように見つめているほかのグレイの姿でも見つかるかと思っていたが、事はそう単純ではないようだった。グレイは確かにそこにいた。シーヴの掛け声に反応し、私にも話しかけたのだった。確かガベージコレクタ――

 奔流。

『クリーナバグだった。体のどこかに張り付いて群れに取り残されたま
『私の体に取り付いていた虫たちが、だんだんとはがれ始めた。体にまとわり付いていた旅の汚れや垢はすっかり払われ、着たまま寝た服もまた洗濯したかのように綺麗になって汗染みまで取り除かれていた。私は
『初めて彼の絵を見たのは五年前だ。PCの壁紙を探していて、海外の投稿サイトで彼の絵に行き
『皮皮髪の毛――暖かい髪の毛――垢――赤い――暖かい』



 私はなんとか自分を取り戻した。グレイと同じ罠につかまってしまうところだった。助かったのは、とっさにガベージコレクタの記憶に意識を振り向けることができたためだった。この小さな生き物の関心は、私の体をきれいにすることに集中していて、しかも途切れがちだった。取り込まれる恐れは小さい。

 私ははじめからやり直した。


{『これまでは安定していたバブルヘッドの体が、流れに揺さぶられてバランスを崩し始めていた。先行していた鉱石クジラが、穴に飛び込む間際バラバラに砕け散るのが見えた』

『えさ場へ向かう回遊魚の群れも、それを追いかけるヤゴのハンターも。つい先ほど一足先にバスに乗り込んでいた鉱石クジラは、今では小さく分裂してそれぞれの目的地を目指しているようだった。握りこぶしほどの大きさになった土精霊が、宝石の目をひらめかせて』
}

 何かが引っ掛かった。クリーナ馬具の眼から見た光景に、小さな違和感があった。

 私は再び初めに戻り、今度はバブルヘッドの眼から見てみることにした。グレッグやシーヴの始点から見ることはためらわれた。し、グレイの記憶に立ち入ることは彼の精神に悪影響を及ぼすかもしれなかった。

 私はバブルヘッドの記憶に侵入した。それが間違いだった。


{『バブルヘッドの一族はかつて《放浪者の軌道》上に広がる一大勢力圏を築いていた。彼らは交易を主としていたが、必要とあらば武力を用いることもためらわなかった。

 彼らが何より愛していたのは芸術だった。彼らはパターンを好んだ。細密画のように複雑なパターンが数多く作られた。パターンには物語が込められていた。彼らはパターンでもって自らの生命と文化を賛美し、光り輝く泡でもって構造物を作り周りに誇示した。彼らは美を愛するために生み出された霊長であると自認していた。

 そしてある時、そのすべてがまやかしであると判明した。

 きっかけはある歴史家の発見だった。もっともすぐれた氏族であるバブルヘッドの出自を探っていた彼は、祖先が残したものと思われる遺跡を発見した。そこには原初のパターンが作られた当時のまま残されていた。

 それはカタログだった。バブルヘッドが生み出しうるすべてのパターンを網羅した目録だった。バブルヘッドを霊長たらしめる芸術性はあらかじめ作られたものだった。彼らは精神の奥底に埋め込まれたカタログからコピーしてきたにすぎなかった。どのパターンがどのような反応を引き出すかまで決定されていた。バブルヘッドに芸術を愛する能力など与えられていなかった。単に、あらかじめ定められたプログラムに従っていただけだ。彼らの自意識にしてからが偽物だった。単に自我があると錯覚し、否定する証拠はすべて無視するように設定されたまがい物の心。終わりまでもが用意されていた。カタログの発見だ。

 すべては残酷なジョークに過ぎなかった。バブルヘッドなどいなかった。ただ単に、バブルヘッドがいると思い込まされていただけのバブルヘッドがいただけだった。

 こうして、彼らは自我を、知性を放棄した』
}

 バブルヘッドの記憶が、私を捉えていた。彼らは存在しなかった。種族全体がただ作り出され、もてあそばれた。そのことを悲しむことすら予定されていた。どこまでもうつろだった。ともすれば陽気な振る舞いを見せていたバブルヘッドの中には、このような闇が広がっていたのだ。

 そしてそんな暗闇の中で、ただ一つ光り輝くものがあった。カタログだ。バブルヘッドのすべてを規定していたカタログは、光のパターンという形で描かれていた。

 その姿に、ひどく見覚えがあった。



{『巨大なオベリスクが、飛来する大陸のような存在感で迫ってきた』
『オベリスクは私のそばをゆっくりと通過していった』
『いや、速度自体は銃の弾丸すら止まって見えるほどに速いのだ』
『だが、オベリスクは視界を埋め尽くしていた』
『比較の対象が存在しない故に、そしてあまりに巨大すぎるが故に、速度という概念が思考から押しのけられてしまうのだ』
『そして速度が消えたとき、時間も消えうせた』}


 あれは――

 あれは。

 私は手を伸ばした。追いかけずにはいられなかった。なぜなら、私はそのためにここへ来たからだ。この世界へ。このマセ=バズークへ。

 そのために。

 来る=現れる=入場する=宣言される=実体を獲得する

 その。ため。に。

 私は私として生まれ私として追い求める何を追い求める私は私は。

 虚ろな闇が絡みついてくる。光が意識を塗りつぶしていく。追い求める私を追い求める私の姿を私が追う。自己参照のループが耳を聾している。まるでグレイのように。グレイを追う私を追うグレイを追う私。

 グレイ?

「私です」

 グレイがそういった。闇を突き破って現れた力強い腕が私をつかみ、記憶の闇から引きずりだした。





「思いのほか、深いところにいたようですね」とグレイが言った。すっかり無事なように見え、まずそのことに安堵した。

「グレイはあの後自力で回復した」

 ボビーには珍しく、声に感情がこもっていた。

「ハウリングは自動的に停止した」

「私には自己がないのです」

 あっけらかんとグレイは言う。

「自己は女王のものです。私はただ、それらしく見えるように振る舞うだけです。ですから、ハウリングも致命的な影響をもたらすことはありません。一時的に機能を停止するだけです」

 グレイには参照すべき自己がなかった。だから再帰的なループも途中で止まった。自我がないから。バブルヘッドと同じように。だからグレイは回復した。

 私はグレイをまじまじと見つめた。バブルヘッドの一族を崩壊に追い込んだ事実が、グレイには何の衝撃も与えていないようだった。自我が薄いのだとボビーは言っていた。薄いどころではなかった。グレイはあまりに異質だった。

「ところで、報告したいことがあります。ある種の不一致が見つかりました。必要なところだけをトリミングしてあります。これがお探しのものだと思います」

 グレイは記憶を差し出した。シーヴに頼まれてエビを探し出してきたときと何一つ変わらない、何一つ気負うところのない自然さだった。

 私とボビーは顔を見合わせ、先を争って記憶に接続した。

 鉱石クジラ。

 私たちがバスに入る直前に見かけた土精霊だった。グレイはクジラがバスに飛び込む瞬間に注目していた。

 強烈な違和感があった。クジラはバスに入る瞬間にばらばらになる。その破片がおかしかった。

 私は自我殻に命じて、自分の記録と比較した。

 数。

 鉱石クジラが分解した後に分かれた破片の数が合わない。私が見ているものと、《声》が見ているものは違う。《声》には見えていない地精霊がいる。アメジストの眼をした、小さな小さな塊。私にウインクしていた。

「隠ぺいだ。シーヴと同じ方法だ」とボビーがうめいた。

「クジラの破片に紛れて何かが侵入し、《声》が見逃した。このプロセスは何だ?」

 私は即座にクジラの破片にタグをつけ、行方を追跡した。ほとんどは個別の流れに乗り、バスの外へと運ばれていた。

 だがその中にひとつだけ、どこへも行かずに同じところを回っている石があった。ひそかに、だが奇妙なほど高い頻度で《声》に接続している。まるで何かを囁きかけているように。

 あるいは――

「ご明察、といいたいが、ちょっと遅すぎるねぇ」

 記憶がこちらを見ていた。話しかけていた。ボビーの代理自我が扮したアリマキが不意にのたうち、内部から膨れ上がってまたしぼんだ。立ち上がるアリマキからは、ボビーのシグネチャが拭い去られていた。
 何かがアリマキを乗っ取っていた。

「こんな格好で失礼するよ。俺はガンマ。バースター氏族のガンマだ」


 但し書き
 文中における誤り等は全て筆者に責任があります。

  • 前々から名前は登場してたバースター氏族のキャラが遂に登場。物語も佳境に突入か -- (名無しさん) 2014-09-23 20:25:59
  • 登場するキャラが人であるかないかに関わらず発言するので思っている以上に賑やかな話だ -- (名無しさん) 2014-09-26 23:38:55
  • 意識世界なのか仮想空間なのかと思わせる雰囲気が続くシリーズで特に緊張感があった。オチで登場するガンマがおいしいすぎる -- (名無しさん) 2014-09-30 23:02:31
  • 前作からの流れを読んで大きくなったのはこの旅の終着駅が場所ではなく人なのではということ -- (名無しさん) 2014-10-07 22:41:17
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最終更新:2014年09月23日 15:23