【クルスベルグの山道で玉を切る】

航路の先、イストモスの港都ナルモンに到着する。
クルスベルグへ向かう南下にブルーホースによる沿岸海上路を考えたが意外に乗賃がお高い。
折角なので草原の動物にでもお目にかかればいいなと陸上、巨馬客車で揺られ草原を行くことになった。
途中、遊牧民の路(みち)に重なることもあってか多くのケンタウロスや狗人、荷獣とすれ違う。
大平原を周り生活する彼らの健康に対する姿勢は自然でありながら長い年月の研鑽により素晴らしい形で完成されていた。
食事や生活のリズム、進む道や周辺への配慮など当然のように行う彼らのキャラバンは健康そのもの、医者いらず。
山脈の麓を通り過去の戦跡の数々に黙祷を捧げ、馬車は草原の終点、クルスベルグとの国境いに到着する。
乗客は思い思いの目的のためにそれぞれの道を進みばらけていく。
目指すはクルスベルグの中央、雪冠する山脈の中にある鍛冶都。
私、緋路理の動物医療の要でもある医療刀を買い足すために、異世界の鍛冶本場へと向かうのである。
「先生、山道は歩いていくのでござるか?」
落ち着いた薄茶色の毛並みは針金の様に尖っているが、それをわさわさと尻尾と一緒に揺らし瞳を輝かせるザクロ。
「ワンコロ、ここから鍛冶都までドンダケ遠いとオモッテンダー。 サンポしたいからってセンセに無理言うナ」
元来水棲種族である海月人は陸上の活動で水分の補充が不可欠であり、それが難しい場合は体積を縮ませ消費を抑える。
緋路理が提げる保水バッグの中から不満色の声を投げてくる。今のツダの大きさは10サンチ程である。

 ─ クルスベルグ山脈の麓。獣乗り場
幾つかの荷獣屋が集まっているせいか充満する獣臭と鳴き声。
種類は様々なれど屈強な体躯が揃ってはいるものの、どの獣にも疲労の色が伺える。
公営の獣療所を覗いてみたが、ドワーフ医者群のふるう治療は大雑把でお世辞にも衛生環境は良いとは言えない。
それでもこの場所が続いているということは荷獣達の治癒力の丈夫さの賜物でもあるのだろう。
取り分け目立った施術も行われていなかったので手頃な獣を選び山道へと入る。
駝鳥のようでもあり兎のような長い脚と獣毛を持ち、思ったよりも速くひょいひょいと坂道を登り進む。
操者との二人乗りに少ない荷物が限度のためにザクロは駆けて随伴するのだが、満面の笑みで息荒く走っている。

陽が傾き木々の隙間から見える空が赤を帯びだし始めた頃、一際大きな低く響く唸り声が葉々を劈き押寄せてきた。
「どうしたんです?」
「道の前の方で何かが暴れているんでさぁ! …あれは、ハイエスじゃないか!」
比較的開け整えられた山道だが十人を乗せて尚余裕のある背中を持つ重厚な体が激しく左右に降れると
それまでしがみ付き声を出し続けていた操者が振り落とされる。
他に振り落とされた乗客達であろうか、道の脇に立ち上がれずにいるドワーフやノーム。
それに向けて突進を始めるドラム缶を大きく長方形にしたような巨体。
「ザク君!ツダ君!」
緋路理の後を追いかけてきた速度から一度の跳躍でハイエスの首か胴かも分からぬ側面に抜刀一閃。ザクロがごわごわした分厚い革を裂く。
次いでハイエスへと構えた保水バッグから伸びた細い触手から更に細い針が射出される。
露出した肉に針が刺さってすぐ、みるみるうちに動きが干満になったハイエスはそれから一分と立たずに横転する。
「紅潮した腹部に熱を帯びた体、膨らみ広がった鼻腔。 これは明らかに趣向暴走ですね」
「いてて… 暴走?俺っちはちゃんと去勢させたぞ!?まだ一年以上は大丈夫なはずだ」
麻痺し倒れたハイエスを診る緋路理によろよろと操者のドワーフが寄ってくる。
「…確かに去勢施術の跡はありますが、ただ切除しただけのものですね。
これだと生命力の強いハイエスは通常三年周期の去勢が一年と経たずに睾丸が再生しますよ」
「なんだって!?畜生、あのヤブ医者めー!」
「今騒いでも仕方がないでしょう。とりあえず緊急ですが再去勢を行います。
どなたか火のルーンをお持ちの方はいませんか?小さなものでも構いませんので」
既に手袋をはめ、白衣の裏から輝きの無い銀色のメスを取り出す。そこに一人のノームの女性が駆け寄ってくる。
「窯の着火用のルーン紙片で良ければどうぞ使って下さい」
沢山のキノコの入った鞄とは別の手提げ鞄から火の象徴紋が印された固い5サンチ四方の紙を取り出し差し出す。
「ありがとうございます。使わせていただきます」
「お願いします医者先生。このままだと夕飯の支度に間に合わなくなってしまいます」
「任せて下さい」
緋路理がルーン紙片をメスに添えると鈍い灰色が火のルーンの輝きを吸収していく。
「三股睾丸の去勢箇所は合っているけど切っただけのようね。もう小さな睾丸が出来てしまっているわ。
ザクロ君、真ん中の根元の皮を裂いて。ツダ君は素早く箇所麻酔を」
狗侍が掌に収まる程度の小々刀を音も無く往復すると三股に分かれた真ん中の小さな睾丸の根元がぱっくりと開く。
脈打つ血管が薄い皮膜の下に見えると二本の触手針が深く打ち込まれる。
血管の動きが極端に鈍くなる数秒の間にメスが熱され赤くなっている。
「切除後に箇所熱処置。睾丸幹を焼き塞ぎます」
動いたのは手首から先のみ。赤い円軌道が再生した睾丸を切り落とす。
熱されたメスの腹ですぐさま股の切断箇所を焦がすと、薬草布を覆い留める。
「施術完了です。後日、しっかりした獣医に診せて下さい」
その鮮やかなチームワークに拍手を贈ったのは女性達で、男連中は全員苦悶の表情で股間を押さえている。
「ルーンを移す小刀ですか?珍しい品ですね」
「鍛冶都の御老体に手持ちを細工してもらったんですよ。火のルーン、助かりました。
ハイエスももうじき目覚めますので移動を再開できますよ」
「「ママ~」」
一人はノーム、もう一人は人間の子供が寄って来る。どうやらこの二人がハイエスの暴走の原因のようだ。
「お医者さん、もしよろしければ我が家で夕飯などいかがでしょう?山都前のバザーで良いニニ茸が買えましたの」
何とも美味しい誘いではあったが、目指す鍛冶都はまだ先の山で彼女達のやってきた方角へ進む。
「嬉しいのですが、日程に余裕がなくて申し訳ございません。 また出会えることがあればその時は御相伴にあずからせていただきます」
「そうですか。では再び会えることを祈ってますわ。 ほら、ヨルン、エルゼご挨拶して」
「「おいしゃさま、さようなら」」

再び駝鳥兎に乗る。
姿が見えなくなるまで小さな二つの影が手を振っていた。
「イイ仕事をしたんだナー」
「ささ、先を急ぎましょうぞ」
姉妹で異なる種族。その家庭を想像すると少し笑みがこぼれた。
再びの出会いを少し見え隠れする星空に切に願った。


 【荷獣ハイエス】
異世界の陸地に広く棲息する中~大型獣。
太い長方形の体に頑強な皮膚を持つ。寒冷地に棲息する種は毛も生えている。
性格は温厚で雑食。世話や生活を共にすれば背中に乗って指示を出せば従うために乗用、運搬用に活躍する。
六本足もいるがこれは希少種であり基本は四本足である。
鈍重そうな見た目に反し走り出すと思いの他速く、器用に脚でバランスを取り背中を平行に保つ習性を持つのも重用される理由でもある。
強力な生命力を象徴するかのような三つの睾丸を持つ。
この三つの内の真ん中の睾丸を去勢しなければ、背に幼い人種族を乗せると興奮と暴走をする習性があるため
乗用として扱われる場合は去勢手術を行うのが常である(地域によっては義務化されている)。
適正な去勢手術を行っても三年から五年の間に睾丸が再生されるので適時去勢手術を行う必要がある。

クルスベルグにてシリーズ【クルスベルグからグーテンターク】の母娘二人とすれちがいシェア
茸料理のピュリップやコルーダはまた機会があればその時に

  • 乗り物が機械でなくて動物という異世界なのがよく分かる。獣医は整備士みたいなものか -- (名無しさん) 2014-10-07 21:08:49
  • 異世界だから動物が頑丈とか思ったがそれはちょいと偏見だったか。異世界にも動物医療の需要はありそう -- (名無しさん) 2014-10-18 03:56:51
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最終更新:2014年10月05日 23:41
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