【捜魚改租に通ず 後篇】

 しばらく後、天目道人は観州刺使に面会を果たしていた。応接室にずかずかと踏み入ってきた道人を目にして、豪奢な官服をまとった狸人は眉をひそめた。
「何事か? 今日は面会の予定はないはずだが」
「万歳!」
 天目道人が吠えた。前方に身を投げ出して頭から着地し、そのままはいつくばって頭をごんごんと床に打ち付ける。何しろ目方が常人の三倍はあろうかという熊人の所業である。部屋は大いにゆれてみしみしと音を立て、狸人は腰を抜かして床に座り込んだ。
「な、何事だ、何用なのだいったい」
「万歳、万歳、万々歳!!」
 うろたえる狸人には構わず、道人は力の限りを尽くして叩頭を続けた。床にしかれたじゅうたんが磨り減って破れ、飾られた調度が棚から転げ落ちて割れるに至って、狸人はようやく道人に声を掛けることを思いついた。
「もし、お客人、その、頭を上げてくれ。というか止めてくれ、部屋が壊れる」
「申し上げます!」
 道人の声がびりびりと空気を振るわせた。
「私はマロクと申します! このたびは観州刺使のご尊顔に拝謁することをお許しいただきましてありがとうございます! わたくしのごとき卑しき者にとっては破格の光栄、刺使のお慈悲のありがたさを思うほどに心が洗われるようでございます! 差し支えなければ、ご拝謁の機会を賜りましたことは子々孫々に渡るまで言い伝え、大理石に刻み込んで我が家の誉としたくぞんじまする!」
 いい終わると、道人はふたたび床に頭を叩きつけ始めた。すでにじゅうたんには大穴が開き、床が削れて土が見えはじめていた。
「わかった、わかったから用件を言え! 叩頭をやめろ!」
「感謝感激にございます!」
 道人がさらに頭を打ちつけた。
「止めろ!」


「――なるほど、マロクというか。そちは商人なのか」
 観州刺使・リカクはそういって顎を撫でた。
「左様でございます。つまらぬ商売ではございますが、ほんの少しばかり魚介の類を商っておりまして、はい」
「ほう」
 道人の用向きを察したようにリカクが片目を瞑る。道人は得たりとばかりに言葉を継いだ。
「本日参りましたのは、この地で商いを始めるご許可をいただくためでございます。天明湖の魚はどれも身がしまっていて味もよく、しかるべきところへ持ち込めば巨利を得ることが出来ましょう。聞けば、この地の魚は税として物納されているとか。魚があれば日々の食事には事欠きませんが、それだけでは用が足りますまい。私めにお任せいただければ、たちまちに魚を金子に換えてごらんに入れましょう。どうか機会をお与えください。これは、つまらぬものでございますが」
 道人は擦り寄ると、壷をさしだしてリカクの前に置いた。だがリカクは鼻を鳴らすとそれをしまいこんだ。
「そちの用件は分かった。だが駄目だ。認めるわけにはいかぬ」
「それはまた、何故」
「たしかに魚は税として取り立てておるが、我らが自由に出来るものではないのだ。魚は中央が買い上げることになっておるのだよ。右から左で、我らは全く手を触れられぬ」
 漁民たちが魚を獲り、現物を税として納める。観州は収められた魚を保存用に加工し、中央へと送り出す。代わりに観州は中央から金を支払われ、これが実質の徴税金額となる。実際のところ、観州が中央の徴税を代行している形である。
「ふむ、こう申してはなんですが、まどろっこしいやり方ではございませんか? こちらで直接捌いたほうが余計な手間も省け、儲けも出せるのでは」
「そうしたいのは山々だが、決まりごとだから仕方がない。だから此処には商人も用いておらぬ。魚の目利きも書面で決められたとおりやるだけ、輸送もそのために兵が送り込まれてくる。だからお前たちのような連中が首を突っ込むような隙間はないのだよ」
「なるほど」
 道人はしばし瞑目した。そして思い出したように顔を上げた。
「立ち入った事を伺いますが、魚が思うように獲れなかった場合はどうするのです? いわば徴税を代行しているわけですから、とりはぐれるとなれば締め付けが厳しいのでは」
「多少面倒な事になるな。だがまあ、獲れぬ場合は仕方がない。それに、よそから物言いがつくこともある。そちは知らぬかも知らぬが天明湖には竜王がおってな、時折難癖をつけて魚をよこさぬことがあるのだ」
「それはそれは」
「まあそういう時は、事情を奏上して税を割り引いていただくことになるな。陛下のご信頼にそむくことになるが、致し方ない」
「それはそれは。つらいところですな、あなた様が泥を一身にかぶることになるとは」
「なに、陛下のご厚情を賜るのだ、文句は言えまいて」
 神妙にうなずくリカクに、道人も調子を合わせてへつらい笑いを浮かべた。だがそれも一瞬のこと、道人はやおら周囲をうかがうと、リカクににじり寄って声を潜めた。リカクもまた、耳をそばだててこれに応じた。
「ことによっては、あなた様のお力になれるかもしれません」
「どういうことだ?」
「替え玉でございます」
 道人はこの上なくいやらしい笑みを作ってみせた。
「納めるぶんを私めがご用意します。あなた様は中央に魚をきっちり納め、中央に買い上げさせます。魚が足りなくとも、きっちり納めることで、あなた様は中央の信頼を勝ち取ることが出来ます」
「――それは別に構わぬが、お前に何の得がある? 賄賂の代わりとでも言うつもりか?」
「いいえ、とんでもございません」
 道人の笑みが深まった。
「私がご用意するのは安い卑魚でございます。中央がいくら買い叩くといっても、本来の値段からすれば破格の値で買い取ることになるようなクズ魚です。その差でまず儲けが出ます」
「ほう」
「それだけではございません。クズ魚を身代わりにして確保した天明湖の魚は、これまたしかるべき筋を通せば市場に流せます。このぶんは丸儲けでございまして、これはあなた様と私で折半ということに」
「ほう、ほほう!」
 リカクの瞳が濁った。舌なめずりをしながら立ち上がり、うろうろと部屋の中を歩き回って、道人の提案を検分する。リカクがぱっと指を立てた。
「すこし質問させてもらうぞ、確かに中央の審査はザルだが、いくらなんでも魚の質が低すぎれば露見するのではないか?」
「そこは上手くご用意させていただきます。なにぶん、どのような審査が行われているのかを教えていただく必要がございますが」
「それは問題ない。もうひとつだ。市場に流すといったが、けっこうな量になるぞ。ただ運ぶだけでも目を引くのではないか? もちろんやるとなれば私が便宜を図らんでもないが、危険は少ないにこしたことはないからな、そこだけ確認しておきたい」
 道人は満面の笑みを浮かべ、リカクの机に歩み寄った。
「先ほどお送りした壷を使います」
「ほう? これをどうするというのだ?」
 リカクが机を探り、先ほどしまいこんだ壷を取り出した。道人は壷を受け取ると、先ほど自分がうがったじゅうたんの穴へリカクをいざなった。意味ありげな呪文を唱え、壷を撫で回してひっくり返すと、壷は次から次へと魚を吐き出した。たちまちのうちに、床には魚の山が出来た。
「これは――何かしらイカサマではなかろうな?」
「とんでもございません、よくご覧ください」
 リカクは床の山と壷とを見比べてうなずいた。明らかに魚の山のほうが嵩が大きかったのである。道人は得たりとばかりに壷を振り回し、歌うような調子で口上を述べた。
「これなる壷は私の曽祖父のこれまた曽祖父が洪州にて行商をしておりました頃、たまさか道連れとなった仙人から賜りし逸品。注ぎ込めば全てを受け入れて漏らさず、いざ取り出すときには呪文を唱えてひっくり返さば全てもとのように飛び出すという代物。どれほど詰め込んでも重さを増すこともなく、その気になれば城でも山でも収めることが出来まする。加えて生ものを入れましたならば、あたかも氷室のごとく鮮度を保ち、いつまでたっても腐らぬというご利益付き。わが曽祖父の曽祖父はこれにてささやかながら身代を築きあげ、その名は全土にとどろき渡りました次第」
「ははあ、それは実に――待てよ、そちはよもや六千幇のものか?」
 得心したように手を叩いたリカクを、道人はあっけに獲られたような目で見つめた。
 リカクが挙げた六千幇とは、延国にその名をとどろかせる巨大な商人の組織である。その中核は紅白餅一門という金炎厨師の集団からなっている。もともとはただの料理人たちであったものが、よい食材を確保するために次第に食材の買い付けや輸送にも手を広げ、今では延国全土にわたって食物の売り買いを取り仕切るほどになっている。その勢いもさることながら、強引なやり口でも知られる組織である。
「は? いえ、何のことやら。六千幇となにかご関係が?」
 リカクの目がわずかに泳いだ。
「いや、ただ魚を売りさばくとなれば六千幇が目をつけてくるだろうなと思っただけだ。もしそうなったら、お前が六千幇であるかないかで儲けが違ってくるだろうとな。ちゃんとそのあたりの備えはしてあるのだろうな?」
「そ、それはもちろん」
「きちんとしておけよ。危ない橋を渡りたくはないからな」
 リカクが道人の手から壷をひったくった。壷をなでさする手つきには、ぬめぬめとしたという形容が当たっていた。
「よろしい。ではお前の言うとおりに取引をすることにしよう。証文は残さぬぞ。言うまでもないと思うが、ばれれば後ろに手が回るからな」
「ありがたき幸せにございます」
「それから、この壷は預かっておくぞ。今度そちが参ったときには、魚で満たしておいてくれよう」
「かしこまりました。それでは失礼致します」
 道人は拱手して頭を下げると、全身をこわばらせて息を吸った。みとがめたリカクが悲鳴を上げた。
「叩頭はよい! さっさと行け!」
 天目道人はそれに構わず、さっと跪いて叩頭した。優雅なことこの上ない完璧な叩頭であった。あっけにとられたリカクを尻目に、道人は部屋を後にした。



 ほうほうの態で役所から飛び出すと、天目道人はその足で市場へと向かった。しばらく適当に見て回った後、路地に入り込んで手元に囁きかける。道人の指には赤い糸が巻かれ、その先は宙に溶け込んでいた。
「紅索子、おるか」
 糸がたわみ、『はい』という文字を形作った。
「どうだ、調べはついたか」
『魚の出回る量は例年と同じぐらいだそうです』
「ふん、もうこれだけで尻尾が出ておるわ。よくごまかせてきたものだ。せめてよそに運んでから捌けばよいものを」
 道人は鼻を鳴らした。
「吐月壷の方はどうだ?」
『つなぎます』
 道人は指を耳に当てた。はじめに聞こえてきたものは、リカクの高笑いであった。
『ははは、いや、ワシにも運が巡ってきたのう! この壷さえあればいくらでも運び出せるぞ! しかも税を集めた体裁まで整うときておる。これまで六千幇の連中とやってきたことがアホらしくなってきたわい。危ない橋をわたらずとも中抜きができるのならそれに越したことはないからのう、がははははは』
 道人は眉間をもんだ。
『それにしてもこうなったからには密漁はしまいにせねばな。いい加減竜王を怒らせるのもまずいし。そうだ! いっそ誰かに罪をかぶせてしまうか! 六千幇にはこっそり手を引かせつつ、適当な身代わりを罰して黙らせる。それなら竜王に対する顔も立つし、これまでのことも後腐れなく畳めるな。うむ、ワシってさえておるな! 誰か適当な――そうだ、アイツにしよう。ワシの取り分を横流ししやがったアイツだ。よし、そうなれば早速とっ捕まえるぞ! 善は急げじゃ! おい誰か!』
 道人は糸を引きちぎった。ちぎれた糸が脈打ち、非難がましい文字を宙に描いた。
『痛いです、師父』
「いいかお前たち、今後悪巧みをする時はこのアホのことを思い出して、貝のように黙ってやるのだぞ」
『心得やした。それでこれからどうしやす師父? どうしやす?』
「――そうだな、吐月壷、お前はそのアホが出て行ったら部屋でも漁れ。紅索子は六千幇にそれとなく垂れ込め」
『師父は?』
「私はまあ、なんだな、仕上げにかかるか。どうせ行き先はわかっとるからな」
 天目道人はため息をつくとどん、と地面を踏み鳴らした。砂埃が舞い上がり、それがおさまったときには、道人の姿は消えうせていた。



 埃っぽいあばら家に、壁の隙間から光が差し込んでいる。床にしかれた毛布の下で、二つの形がうごめいている。含み笑いに睦言が混じり、毛布がさっと盛り上がってはまたしぼむ。熱気は部屋中に立ちこめてむせ返るようである。
 と、扉がばんと蹴破られた。
「ヒョウエン! 密漁の廉で貴様を捕縛する! 表へ出ろ!」
 鋭い声とともに武装した兵士がなだれ込み、毛布を引き剥がして中でうめいていたヒョウエンの腕をひねりあげた。目を白黒させるヒョウエンの足元で、金羅は小さくうなった。
「隊長、女がいます!」
 うむ、と隊長がうなずき、何事か戸外にむけて問いかけた。
「女もひっとらえて外に出せ。お楽しみはおしまいだ」
 目を擦りながら鷹揚に手をひらひらさせる金羅に兵士たちが毛布を巻きつけ、引っ立てた。そのまま屋外に連行された二人を待ち受けていたのは、ふんぞり返った役人であった。リカクである。
 リカクは咳払いをして喉を整えると、やおら懐から巻物を取り出してヒョウエンに突きつけた。
「あー、漁師ヒョウエン、密漁を行った廉で貴様を逮捕する。神妙に縛につけ」
「でたらめだ! とんでもない言いがかりだ! だいたい船はお前たちが取り上げていったじゃないか!」
「そっちこそでたらめ言うな。こちらにはそんな記録はない。お前の船なら向こうにつないであったぞ。漁をした形跡もあった」

「不思議ねぇ」
 金羅がことさらに間延びした調子で割り込んだ。
「お役人様、どうしてこの人の船だってお分かりになったの? お役人様は漁師がどんな船に乗ってるかいちいち把握していらっしゃるのかしら。以前に取り上げたことがあるとか?」
「そんな記録はないといっておろうが」
「じゃあ名前でも書いてあったとか?」
「そ、それは……」
「そんなもの書いてないぞ! お前たちが船を取り上げるときに消していったからな! どうせ売り飛ばしたんだ!」
「ええいやかましい! とにかくヒョウエン、お前が近頃湖を騒がす密漁者に相違ないことは分かっておる。逆らうなら痛い目を見せてもよいのだぞ」
「上等だ! やってみろ!」
「言ったな。よし、おいお前、女の指を折れ」
 居並ぶ兵士たちがどよめいた。言いつけられた兵士は金羅とリカクとを見比べ、ためらうように視線を泳がせた。
「どうした、早くやれ」
「しかし」
「卑怯者! やるならおれだろう?」
「知らぬわ。ワシは単に痛い目を見せるとのみ言った。誰に痛い目を見てもらうかはワシの勝手じゃ。ほら、早くやらんか」
 ヒョウエンは罵声をあげてもがいたが、捕縛の輪は抜け出せない。固唾を呑んだ兵士が金羅の手のひらを取ると小さい声でわびた。金羅は置かれた状況を知らぬげににこやかに微笑み、進んで手を兵士に伸ばす。気おされた兵士が目を瞑って力をこめようとしたそのときである。
「手を離せ、無礼者が!」
 どこからともなく擲たれた二つのサイコロが兵士の手をうち、兵は驚いて後ずさった。サイコロはころころと転がり、皆の前で六ゾロを振り出して止まった。どよめきうろたえる兵士たちの一人が頭上を指し、直後、轟音とともに巨大な物体が天から落下して土煙を巻き上げた。大兵肥満、常人の三倍はあろうかという目方の熊人が立ち上がり、辺りを睥睨した。天目道人である。
「控えろ、下郎! このお方をどなたと心得る! 我らが守護神にして大延国の、太上金羅真炎聖母そのひとなるぞ!」
 呼応するように、金羅の体から金炎が噴き上がった。白面九尾の真形をあらわにして嫣然と微笑み、それどころかゆるゆると宙に浮かび始める。宙を滑った金羅が兵士たちの顎を撫でると、兵士たちはみな武器を捨ててその場に伏した。
 独り立ったままなのはリカクである。血相を変えて冷や汗をぬぐいながらも、天目道人の姿を改めるや血色が戻った。金羅の振りまく威光にまけじとばかりに、リカクが声を張り上げた。
「ひるむな、これは左道だ! 何者かが畏れ多くも金羅様のお姿を騙っておるのだ!」
「バカを申すな!」
 天目道人が憤った。
「一体何を根拠にそのようなことを抜かすか!」
「まさしく貴様がその根拠だ、マロクとやら。聞け、お前たち。こやつは下賎な商売人のふりをしてワシをたずねてきたのだが、少し気を許してやったところで怪しげな術を用いてワシをそそのかそうとしおった。一体何が狙いか知らぬが全く信用ならぬ。者ども、さっさとこいつらを畳んでしまえ!」
 騙していたことは事実であり、それゆえに天目道人はわずかにひるんだ。その様を見咎めた兵士がひとり、また一人と武器を取り上げ、道人と金羅を包囲した。ヒョウエンを庇う金羅の金炎も瞬く間に色あせていく。やむなく寄り添う格好となった金羅に向かって、道人が囁きかけた。
「金羅様、ここは名乗られてはいかがです? 躍字で真名を示せば誰もが納得するでしょう」
「生憎だけど、悪党相手に名乗る名は持たないわ」
「この期に及んでお戯れはおやめください」
「それにしてもドキドキするわ。捕まったら何されちゃうのかしらね」
「金羅様!」
「かかれ!」
 リカクの怒声とともに兵士たちが武器を握りなおした。
 そうして兵たちが道人と金羅めがけて殺到しようとした、まさにその時のことである。
 天から糸が飛来し、兵士たちの武器に絡みついた。
 糸が引き戻されると、武器はひとたまりもなく吊り上げられた。糸は登り上って雲間に入り、武器もまた同様に消えうせた。呆然と空を見上げるリカクの足もとで何かが転がり、リカクは足をとられて無様にしりもちをついた。
「――お前たち、いつから見ておったのだ」
『機会を見計らっておりました』
「そろそろかと思いやしてね、そろそろかって」
 天から糸を伝って降りてきた紅索子が、地面に転がる吐月壷を拾い上げて抱きかかえた。だれもが状況をはかりかねて固まるなか、道人だけは得たりとばかりに意気を上げていた。
「それで、何か掴んだか?」
『六千幇の第十八席だかなんだかに会うことが出来ました。それで、伝言を預かってきています』
 紅の糸が呆然とするリカクの耳に絡みついた。振り払おうと慌てふためくリカクの顔から、不意にさっと血の気が引いた。
「紅索子よ、そいつはなんと言っていたのだ?」
『大まかにまとめると、これまでやってきた商売は打ち切りにして、その詳細は官府に報告するとのことです』
「自分だけは助かろうという腹か。まあ普通そうするわな」
「貴様ァ! 十八席に何を言った!」
 いきり立つリカクに興味なさげに目をやると、紅索子は肩をすくめた。
『リカクはこれから師父と商売をするから、六千幇は切るついでに責任をかぶせるつもりだ、と』
「上出来だ」
「何を勝手なことを! 根も葉もない誹謗中傷だ! わしゃ何も知らんぞ!」
「吐月壷、お前はどうだ」
「へい、帳簿があったので持ってきました」
 リカクの顔色が青から赤へ、やがて黒へと矢継ぎ早に変じた。
「お、お前はあのときの壷ではないか、やはり妖怪の類だったのだな! 盗人のようなまねしおって! 訴えてやる! それからおい、帳簿を返せ! 正直者を虐げてなんとも思わんのか!」
「だったら帳簿を財部にでも送って調べても一向に構わんというわけだな」
「黙れ盗人猛々しい! お前たちが左道を使ったという容疑は晴れておらんのだぞ! それどころかますます固まってくるばかりだ! 金羅様を騙るだけでは飽き足らず、誹謗中傷に盗みまでしでかしおって! ワシに何の罪を着せるつもりか知らぬが、まずはお前たちが縛につけ! 罪を償え! お前たち、さっさとこいつらを捕まえろ! 武器がないぐらいが何だ! ほら、いけ!」
 金切り声を上げて口角泡を飛ばすリカクの姿に、居合わせた誰もが気おされた。その隙を突いて、ヒョウエンが捕縛から逃れた。よろめき走るヒョウエンを金羅が自ら抱きとめ、ヒョウエンは金羅を見上げた。
「わかんねえ、あんた本当に金羅様なのか」
「そうね、自分でも時々分からなくなるわ」
「私もあなたのことがさっぱり分かりませんな!」
 道人が悲鳴のような声を上げた。
「さっさと名乗られたらどうですか! そうすれば全て片付きます。こやつ思いのほかしぶといですぞ!」
「あなたが頼りないんじゃない。盗人を追い詰めるなら証拠を揃えておきなさいよね」
「誰が盗人かあああああ!」
 道人がため息をつき、ぱんぱんと手を叩いた。
「――よし分かった。リカクどの、一つ賭けと行こうではないか」
 静かに吐き出された天目道人の声が、他の全ての声を圧した。リカクですら口をつぐんだ。天目道人は手のひらを一振りすると、手のひらにサイコロを振り出してリカクに示した。
「サイコロ勝負だ。こちらが負ければ帳簿を返し、そちらが被った損害を全て償った上でおとなしく捕まる。だがお前が負ければ、帳簿を財部に送り、これまでしでかした所業をすべてつまびらかにする。どうだ?」
「ふざけるな! そもそも何故そんな勝負に乗らねばならんのか!」
「潔白なのだろう? なら負けても別に損はあるまいよ。一方で、こうしているうちにも六千幇はお前から遠ざかっていくぞ。もし我らが負ければ、そこも何とかしてやるといっているのだ。金羅様を侮辱したことにも目をつぶってやる上でな」
 リカクが血走った目で道人をにらみつけ、ぎりぎりと歯を鳴らした。
「く、どんな勝負だ、お前らの勝ち目をどれほどとる気だ?」
「いいだろう。こちらの勝ち目は状況をかんがみて六ゾロのみ、それ以外はそちらの勝ちだ」
「それではイカサマしますと言っているようなものではないか! そんな勝負に乗れるか」
『なら我が立会人を務めるとしよう』
 雷声が響き渡った。不意に垂れ込めた黒雲が陽光をさえぎり、いくつもの稲光が天を走った。雷光のひとつが地上に向かって降り来たり、白光が薄れると、そこには竜王の姿があった。天明公その人である。
『我がこの勝負あずかった。不満はなかろう。さあリカクよ、おとなしくサイを握れ』
 リカクはもはや動じることはなかった。顎を突き出して竜王を不敵にねめつけ、皆が見守る中央で堂々と威儀を正す。竜王が雷光を地に打ち込むと土くれが飛び散り、飛び出した小石が竜王の爪でもって断ち切られて立方体をなした。地に転げた即席のサイコロを拾い上げた金羅が紅で目を書き込み、進み出た兵士がサイコロを改めてうなずき、リカクもまたこれを仔細に改めた。天目道人はただ自信ありげに笑うばかりである。
 リカクがサイを改め終わった。サイを地に置き、距離をとると、天明公が高らかに宣言した。
『ではいざ勝負だ。六ゾロならば天目道人の勝ち、それ以外はリカクの勝ちだ。異議はないな』
「ない」
「ないぞ!」
 リカクが鼻息を荒げた。天明公が顎をしゃくると大風が巻き起こり、二つのサイを高く高く巻き上げた。サイコロはゆっくりと時間をかけて転がり、リカクの目の前で止まった。目は六ゾロであった。すなわち、天目である。
「天もご照覧あれ! 我らの勝ちだ!」
「イカサマだ!」
 両者の叫び声が重なった。狂ったようにイカサマだと言い立てるリカクの勢いは、しかし天明公がその目を正面から覗き込むと次第に失せ果てた。片目だけでも人ほどの大きさのある竜王が、リカクを圧していた。
『さあ、リカクよ、観念するがいい』
「冗談じゃない! 竜王よ、みすみすあんな左道の使い手のいうことに耳を貸すのか! この勝負は無効だ! そもそも最初からおかしかったんだ! やり直しを要求する!」
 竜王と天目道人は顔を見合わせた。リカクの見せた恐るべきしぶとさに、一同は辟易しつつあった。だがリカクが更なる言葉を口にするより先に、金色の輝きが周囲に満ちてリカクの口をふさいだ。金炎で描かれた巨大な躍字は、誰の目にも明らかに大延国の守護神・金羅の精髄を宿していた。再び白面九尾をあらわにした金羅が、涼しげな笑みを浮かべてみせた。
「これなら、本人だって認めてもらえるかしらね、左道じゃなくて」
 リカクが崩れ落ちた。その身を天明公がさらい、ともに天へと消えうせた。
「本当だ、金羅様だ」
 ヒョウエンもまた、呆然と膝をついていた。


「最初から名乗ってくだされば、あのような面倒はなくてすんだのですが」
「何その言い草。天目ちゃんの見せ場を作ってあげたんじゃない。かっこよかったわよ」
「そんな見せ場などいりません」
 なおもいい募る天目道人には取り合わず、金羅たちは村の外へと歩みを進めていた。そうして墓場へと至ると、一つ一つを見て回った。修理が済んだばかりと見える墓を見つけると、しゃがみこんで線香を供え、自らの指先で火をともした。くゆる煙の中で跪き、祈る。しばらくして立ち上がると、金羅はさばさばとした口調で言った。
「さあ、用は済んだわ。帰りましょ」
「墓参りですか。一体誰の」
「昔お世話になった人よ。お魚を貰ったの」
 金羅が微笑んだ。
「ちょっと通りかかったときにね、お魚が売れないって嘆いてた人がいたのよ。いい男ぶりが台無しだったわ。それで、お魚を買ってあげることにしたのよ。竜王にもお願いしてお魚分けてもらって、それを朝廷が買い取れば漁民が売りっぱぐれて困ることはないでしょ?」
 道人は得心して顎を撫でた。奇妙な制度の元は金羅の思いつきにあったのだ。
「その時はいい思い付きだと思ったのよ。預けた子供の養育費にもなるしね。悪用されてたみたいだからもう止めるけど」
「それがよろしいでしょう――は、子供?」
 道人が眉をひそめた。金羅は頬に手を当てると、ほう、とため息を漏らした。ため息の色は桃に似ていた。
「立派に育ってたみたいで何よりだわ。本当にたくましくて立派で――そうだわ天目ちゃん、妾、もうしばらくここに泊まるわ。あなたたちは先に帰っておいてちょうだい」
 言うが早いか、金羅は炎となって消えうせた。天目道人は何事かいいかけたが、思いなおしたようにサイを握り、振った。目は一の五であった。それを見た道人は肩をすくめて地を踏み鳴らし、砂埃を上げて消えうせた。
 夕暮れが迫っていた。長かった一日の終わりである。

(了)


文中における誤りなどは全て作者に責任があります。
独自設定などはこちらからご覧ください。

  • やっとできた時間を使ってSS読了。今回のお話も美味しくいただきました。延の空気感が気持ちいいほど伝わってくる作品なので、『龍神』の名称を使うのはややこしくなるのでやめたほうがいいのでは?と難癖を付けるくらいしかできませぬ。 -- (名無しのとしあき) 2011-10-19 20:58:13
  • 龍神を他の呼称に直しました -- (名無しさん) 2011-10-22 19:10:39
  • 天目道人と紅索子と吐月壷という性格も違えば見た目も違う三者と金羅の船釣り模様だけでも一作品できそうな掛け合いでした。船酔いしてしまうなどそれぞれの意外性も面白かったです。大延国が広いからか金羅が地上に現れる姿がさまざまだからか万人にはひと目で分からないというのも発見でしたが逆に人と馴染みやすいことでもあるのかなとも感じました。天目道人くらいの人物でないと胃に穴が空いて毛もどんどん抜けてしまいそうな金羅のお供役ですね -- (名無しさん) 2013-05-27 17:30:15
  • 他の神様に比べれば遥かにマトモな神様である金羅様だけど、やはり神様であるだけあって常識?何ソレ?おいしいの?なところがあるね。かわいいからいいけど! -- (名無しさん) 2013-05-28 12:44:15
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最終更新:2011年10月22日 19:09