――どうして島は浮いているのか。
幼い頃、父にそう問うたことが、私の乗るべき気流を定めたように思う。
――
ハピカトル様のご加護だ。
そんな切り口上で話を終わらせようとした父に、私は執拗に追いすがった。なぜ島を浮かべてくれるのか、具体的にはどのような加護で浮いているのか、風精がモノを浮き上がらせるのと具体的には何が違うのか、云々。
他愛のない子供の繰言と何も違わない。あるいは、あまりに鬱陶しかった私に父が腹を立て、すこしばかりお灸をすえるつもりだったのかもしれない。理由はとにかくとして、あるとき父は聞き流すことをやめ、私を神官の元へ連れて行くと言い出した。どうして神官に会わねばならないのかと駄々をこねたことを覚えている。分からないからはぐらかそうとしているのかとなじる私に拳骨をくれたあと、父は半ば強制的に、私を神官たちの住まう神殿へと引きずっていった。
年老いた神官は私を一目見るなりくちばしを開いた。いごこちが悪くなるほど私たちをしげしげと眺め回した末、老神官はぼそぼそと何事かつぶやいた。その時は、なんと言っているのかは聞き取れなかった。ひどく驚いた様子だったということだけを覚えている。今にして思えば、無理もない話だったと分かる。
老神官は兵士を呼び寄せ、驚く父に向かってこの子を預かると言い出した。はじめは渋っていた父も、ただで教育を施してもらえると分かると二つ返事で承諾した。老神官と私は父を見送り、父が道の向こうに見えなくなると老神官は私に名乗った。私と同じ名前だった。
――そういうこともある。
老神官は鹿つめらしくうなずいて見せた。出会ったばかりだというのに、私は早くも馴染み深いものを感じていた。
老神官はまず私に読み書きを教えた。読み書きはまるで嘘のようにすいすいと頭に入ってきた。教え方のおかげだと思った。老神官は私が躓くところをあらかじめ知っているかのようだった。辛抱強く、分かりやすいたとえや別の角度からの教えを繰り返し、理解できたときにはわがことのように喜んでくれた。いっぽうで、集中力がとぎれたときには一緒に遊んでくれた。まるで自分の親のように思えた。あっというまに学習内容は読み書きから歴史や神学へと進んだ。わき目も振らず勉強に打ち込んだ結果、数年後には一人前の神官としての資格を獲得していた。さらなる進学を希望すると、老神官は推薦状を書いてくれた。その甲斐あって、大図書館で見習いとして務められることになった。大図書館へ旅立つ日、老神官は私にこういった。
――ここに連れてこられた日のことを覚えているか?
覚えていると答えると、老神官は満足そうにうなずいた。
――今度こそ、お前の答えが見つかりますように。
はなむけの言葉としては変わっていたが、舞い上がっていた私は深く考えもしなかった。
神殿に連れていかれるきっかけとなった父とのやり取りを老神官に話したことはなかった。そう気が付いたのは、ずっと後になってからのことだ。
大図書館は圧倒的な知識で私を出迎えてくれた。ハピカトル様について学び、祈りを捧げるうちに、私はある分野にひきつけられた。《ハピカトルの落し物》だ。
嵐の神たるハピカトルは雨や暴風を撒き散らす。時折、その中に変わったものが混ざることがある。地上から巻き上げられた遺物である場合もあるがごくまれで、大抵は何がなんだか分からない代物だ。島ほど大きなものもあれば砂粒ほどしかないものもあり、材質や形もさまざま、どのようにして作られたのか、何を目的としているのか、そもそも見つかっているのが全体なのか部品にすぎないのか。何もかもが不明のまま、《落し物》の数は実に数万点に及んでいる。
実物に触れるまでは、先達たちのふがいなさにあきれる想いだった。どれほど大層なものかは知らないが、数万もの資料を集めておきながらただ「わけのわからない」という形容しかできないということがあるだろうか? 他の歴史や神学体系がどれほど洗練されているかを知っているだけに、全く腑に落ちなかった。
だが現物を見た瞬間に、私のほうが間違っていたことを思い知らされた。
その時先輩の神官が私の前に転がしたのは、『緑のリング』と呼ばれる《落し物》だった。手のひらに収まるほどの物体で、見た目は鈍い色の金属で出来た薄板のようだった。これのどこが『緑のリング』なのか? と問いかけた私に、神官はただ黙ってみているようにと促した。納得できず不信の目で見つめていると、不意に変化が起きた。
鋭い刺のようなものが全体から突き出し、床の上で『リング』が飛び跳ねてかちゃかちゃと音を立てた。薄板は見る見るうちに自らを折りたたみはじめた。何度も何度も内側に向かって折り曲げられているにもかかわらず、不思議な事に一向に小さくはならない。あっというまに薄板はひだの塊へとその姿を変え、そうする間にも刺が全体から次々と伸びだしては中ほどから折れ、床に撒き散らされていった。床に落ちた刺の先端部は発光していた。紅く光るかと思えば白く輝き、何の前触れもなく黒く濁った何かがにじみ出て刺そのものを隠した。すべての刺が同じ振る舞いをしているわけでもなかった。別の刺はただ床に溶け込んで消え、その脇では奇妙なにおいを発する刺が、金切り声をあげる刺にかじられていた。金切り声を上げる刺は私のほうに振り返ると――何故だろう、何の特徴もない刺だというのに、振り返ったのが分かったのだ――とてもはっきりした声で「もっと気楽にやれよ。どうせ収穫は次の周期だ」と言った。すべての刺がこのような調子で支離滅裂だった。呆然と刺の群れを眺めている私の肩を何かが叩いた。『リング』を運んできた先輩の神官だった。見慣れた姿を目にして安堵を覚えたが、ふと視線をめぐらすと、その先にはもうひとり先輩がいた。そのとなりにも。そのまたとなりにも。隊列を組んだ神官たちはおのおのが物も言わずに服を脱ぎ捨てると、当たり前のように全身の羽毛を引き抜き、胸の肉をべりべりとはがして後ろに投げ捨て「悪霊退散!」と叫ぶと膝を抱えて座り込んだ。どこからともなく現れた緑の小人たちが私の足元で踊り、「すっきりしようよ! すっきりしようよ!」と歌ってはしゃぎたてた。あまりにも楽しげな調子にのせられ、私は思わず自分の服に手をかけた。いつのまにやら私の体は女のそれと化しており、肌は上気して産卵OK! な雰囲気が整っていた。ギャラリーを意識しながら一枚一枚衣を脱ぎ捨て、香油をすり込んだ羽毛の隙間におひねりがわりのゲートル(靴下留めのことです)を挟み込んでもらっていると「手をあげろ!」なってこったカラビニエリのお出ましだ。はっきり言うが手をあげる暇なんてなかったね。大体連中ときたら撃ってから尋問しやがる。さっすがシカゴのタイプライター、避けられるもんならよけてみろスバババババババババと来たもんだ。見ろよこの全身。穴だらけになった私の体はどれを覗き込んでもカメラ・オブスキュラになっています。いっちょ覗いてみましょうどれどれ『さあ本日も始まりましたHistory-Peeping-Channel! 今日のテーマは「お前の日記が教科書に載った日」。あのオズ・ガベラ暗殺でカリビアンテイストなお湿りが重要な役割を演じたこと、ご存じありませんか? あれ実は私の妹でしてね。妹ときたら西新宿でも並ぶもののない昆虫テイスター、今日は豆電球に挑戦します!
気がつくと私は床に倒れていた。覗き込んでいる先輩は何事もなかったように私を起こすと、何をみたのか話すように言った。とても難しかったが、何とか見たままの事実を並べた。口に出すほどにバカらしく思えてくる内容を、先輩は顔色一つ変えずに聞き終えるとこう言った。
――リングまでは体験できなかったか。
意味が分からず聞き返すと、先輩は肩をすくめた。
――ちゃんと緑色の何かが出てきただろう? リングも出てくるんだ。最後まで見れていればな。
先輩はいらだたしげに首を振った。私はなおも説明を求めようとしたが、自分が見たもの、話した内容を思い返して止めた。先輩がどれほど親切かつ分かりやすい説明をしてくれていたのかは、なんとなく心で理解できていた。
ほとんどの《落し物》は無害だった。『リング』のように必ず幻覚を見せるわけでもない。ただ単に、奇妙な現象が起きるだけなのだ。あまりに理解不能な事柄に遭遇させられるために、心が理解を拒むだけなのだ。
比較的分かりやすいものもあった。触れられるのに触れた感覚のないボール『髭鳥』や、水を注ぐと沸騰するだけの『天水桶』。木で作られたように見える人形は『へけけ』と呼ばれていた。その名の通り「へけけけ」と鳴きながらあたりを走り回り、ゴミをかき集めては吸い込んでどこへともなく消しさるので重宝がられていた。過激な研究者は、我々が住まう浮島すら《落し物》だという説を提唱していた。だからこんな大きなものが浮くのだ、と。
かと思えば、有害なものもあった。輪郭を指でなぞっていくといつの間にかすべての感覚が遮断される緋色の彫像『嵌め殺し』や、見るたびにこちらの目に飛び込んでこようとする細い糸のような『蛇の舌』。『双子エンジン』の歯車のまわりで滞留する不可解な色のガスは肉や建物を侵し、よく分からない理由で『小人』と呼ばれていた円盤状の板きれは、ある日突然周りのもの全てを巻き込んで姿を消した。箱型のものは特に要注意だった。中に何かが入っていることは少なく、入っていることがあれば大抵有毒であったり、熱くて触れることが出来なかったりした。一度など、『目蔵』が接近しすぎた神官見習いの一人を吸い込んだことがある。どういう作用なのか、そのとき彼女があげた断末魔はひと月たっても残響し続けていた。
魅せられた。次々と繰り出されるあまりにも不可解な現象の数々。常人の想像力を軽々と飛び越すそれはまさに奇跡だった。大図書館に集められた資料のひとつひとつをめぐるほどに、私はハピカトルという神の神威に打たれる思いだった。
そして同時に、わずかな悔しさをも覚えた。それはいうなれば、地上を這う虫が空を舞う鳥をうらやむような感覚なのかもしれなかった。我々は自ら天空の支配者をもって任じている。だが我々にも科せられている思考の限界を、ハピカトルはいともたやすく侵犯してしまう。神の舞い踊るはるか高みからときおりこぼされる《落し物》を拾い上げて、我々は困惑するばかりなのだ。
《落し物》に触れるたび、そんな小さなとげが私の心を刺した。流れ出る血は理解したいという衝動となって、私を更なる研究の道へと導いていった。
月日が流れ、私はいつしか《落し物》の管理責任者に昇格していた。より危険で、不可解な《落し物》に触れることも許されるようになった。禁忌の品が納められている倉庫の奥で、私は『鏡の鍵』に出会った。
見た目は網上の模様のついた細い棒に似ていた。触れようとするとまるで生きているように逃げる、ただそれだけの《落し物》だった。どうしてしまいこまれているのかといえば、研究したくとも出来ないからだとされていた。視界に入ることすら拒むことがあるこの《落し物》は、第一級の危険物ばかりが収められている禁忌の倉庫ではマスコットのような存在だった。
どうして触れることが出来たのか、今でもわからない。
あるいは、はじめから私を待っていたのかもしれない。倉庫の通路を歩いていた私の前で、『鍵』は逃げようともせず鎮座していた。手を伸ばしても無反応なのを見て取った私は、知らず知らずのうちに『鍵』を手に取り、観察していた。『鍵』の表面に走る網目模様は無限に細かく枝分かれしており、しかも何層もの網が重なっていることも見て取れた。すべての層は『鍵』を軸としてゆっくりと回転しており、その精緻さはどれだけ見ていても飽きることがなかった。新しい発見に踊る心の片隅で、ふと小さな疑問がわいた。
どうして『鍵』に触れることが出来るようになったのか?
意味などない。そんな答えがすぐさま思い浮かんだ。嵐の神たるハピカトルは気まぐれの体現者であり、ゆえにその《落し物》の本質は混沌と規則からの逸脱にある。《落し物》に触れる神官ならだれもが知っている。
だが、心は理屈を受け入れてはくれなかった。何故だろうと問うことを止められなかった。
きっとなにか、意味があるはずなのだ。たとえどれほど理解不能でも、我らの神なのだ。神がその民に何かを与えるなら、それは何かしらの意図を含んでいるべきではないか? 神は我らを待っているのかもしれないではないか。《落し物》に振り回される我々を見守りながら、同じ高みにやってくるその日を待っているのかもしれないではないか。
ならば、思考停止とは神にそむくことだ。
目が開かれた思いだった。私は何故? と問う事で神官になった。必然だったのだ。私は神に仕えるべく生まれてきたのだ。願わくば、もっと早く気付きたかった。そして願わくば、ハピカトルの舞い踊る高みを見てみたかった。
私は涙を流した。涙が『鍵』の上ではじけ、そして『鍵』がほどけだした。網の中から現れた光が全てを消し去り、気がつくと私はどこか懐かしい場所に立っていた。私が育った寺院だった。
そこで二十年を過ごした。その日がくるのを待つために。
そうして今、私はその子を迎えている。猟師の父に連れられ、おどおどとこちらを見上げる子どもを。私と同じ名を持ち、私と同じように「何故島が浮いているのか?」という疑問を持ち、そのために神官の道を歩むことになる子どもを。なんとも馴染み深い相手を。すなわち、過去の私そのものを。
私は『鍵』によって時間をさかのぼり、自分が生まれるはるか以前の時点へたどり着いていた。
驚きよりは納得が勝った。ハピカトルは嵐の神だからだ。風が渦を巻いて嵐をなすように、時もまた渦を巻いているのかもしれない。螺旋を描く渦の中を回転するうちに、巻き上げられたものは上昇していく。同じところを巡っているようでも、より高みへ近づいていく。
私はハピカトルという嵐に巻き上げ、螺旋を描いているのだ。
私は幼い私に手を伸ばした。瞳の中に輝く意志。確信した。この私は、今の私よりうまくやるだろうと。
幼い私を引き取り、父をともに見送り終わったあとで、私は名乗った。少年は驚き、自分も同じ名前だといった。私はこう答えた。
――そういうこともある。
そう、そういうこともあるのだ。ハピカトルの舞い踊るこの世界では。
文中における誤りなどは全て作者に責任があります。
独自設定などは
こちらからご覧ください。
- オルニトの振り返りそのニ。狂気を全面に押し出してるCRUELに比べると、少しマイルドになった印象。お話の仕掛けには思わず感嘆の声が漏れるな。なるほどHELIX。ハピカトルの神器についての『ほとんどの《落し物》は無害だった。』という記述も面白い。不条理で不可解はイコール悪ではない。ただただ不条理で、ただただ不可解なだけなんだな、と。深く考えない陽気な人物ならば、所持していてもたいして何も起こらないのだろう。 -- (名無しさん) 2013-02-14 19:56:47
- 「意味があるはずなのだ」「意味などない」ハピカトルの落とした不可思議とそれに触れた者の様子はまるで幻覚のようで神と人との世界の違いを思い知る。あらゆる仮定ができる落し物ですが最後に管理者は他の者のように落し物に囚われたのではないかと思いました -- (名無しさん) 2013-06-28 18:36:34
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最終更新:2011年11月06日 00:17