いかな地獄の猛特訓が信条の剣道部とは言え、さすがに年末年始は休みがある。
実家の遠い者もいるから、というのがその理由だが、大晦日と元旦の2日間しか
休みが無いのでは、その説はあまりに説得力が無い。
つまるところ、顧問の瀬戸先生が酒を飲みたいだけなのだというのが本当のところだろう。
何にせよ休みではあるが、犬塚家の年末でゆっくり出来るはずも無い。
伊勢に行く?と言って行方不明になった勇人兄はともかくとして(どうせ帰って来ないだろう)、
父の勇武と2番目の兄の勇矢は門自・・・十一門対策自衛隊の任務から帰ってくるだろうし、
勇陣に勇旗も北海道と沖縄の大学から戻ると言っていた。
地元に残っていた僕と妹の羽芽は、29日から屋敷の大掃除だの飯の準備だのに駆り出され、
31日の今日は毛ほどの体力も残っていなかったのだ。
疲れきって居間の長椅子でゴロゴロしていた時に、奥山さんから電話が来た。
『こんばんはヒウマくん。今日はじんじゃに行きますよ。
夜です。いっしょに行きます?みんな待ってます』
今日の夜という事は、要は初詣のお誘いって事なんだろう。
「もちろん一緒に行くよ。
集合場所はどこ?それと集合時刻も」
奥山さんは上機嫌で、あとでめーるしますと言って電話を切った。
30分ほど経って、奥山さんからメールが届いた。
多分必死に打ち込んだのだろう。
時々誤字があってわかりにくい所もあったけれど、23時半に川津の家の前に集合して、
そこから八幡司馬衛門狸神社に行こうというところなのだろう。
時間帯を思えば、結構寒くなりそうだ。
何を着て行こうかなぁ
「あれ~?ユーマ兄ちゃんケータイ見てニヤニヤしてる~
もしかしてデートのお誘い?マジで?ちょっと見してみ?」
羽芽が台所仕事を終えたのか、居間に戻ってきていた。
迂闊だった。ヘタに話を広められても面倒だ。
「ニ、ニヤニヤなんてしてない!デートでも無い!
羽芽は手伝い終わったのか。母さんとばあちゃんだけじゃ、料理の準備終わらないだろ」
「ん~?ゴマカシてますなぁ?ウメの目はゴマカされませんぞ?
って言っても、どうせ奥山ねーちゃんからのお誘いなんでしょ。
行ってきな行ってきな。朝帰りでもいいよ。ウメが口裏合せたげっから。
そんかわり、オミヤ買ってきてね」
22時半に出かける事を告げると、勇矢兄は「家族がせっかく揃ったというのにお前は!」
と怒ってしまったけれど、父さんは何も言わずに(いや、母さんにお酌されて顔が緩んでいた)いたし、
勇陣に勇旗は「いや、長男いねーし!」とゲラゲラ笑っていたし、羽芽はニヤニヤ笑っていたので、
勇矢兄も最後は「足元に気をつけろよ」と照れ臭そうに言って玄関まで見送ってくれた。
玄関戸を閉めると、家の中から『勇矢は勇馬のこと可愛がりすぎなんだよー』という
勇陣に勇旗の冷かしの声が響いていた。
「ゴメン。少し遅くなった」
僕が川津の家の前に到着したのが、23時40分だった。
そこには既に、奥山さんに川津に浮田に、予想通りだったけれど蛇神さんが居た。
「うきたさんにそうだんしたら、けんどうぶの人もいっしょに行くことになりました」
屈託なく笑いながら、奥山さんが教えてくれた。
いつもの白い肌も、寒さゆえか少しほっぺたが赤く染まっている。
それにしても・・・いつもながらふくよかな奥山さんだけれども、寒さ対策で
毛糸の帽子にマフラーにミトンに、ウールのアウターに厚手のタイツにブーツに・・・
なんだかモコモコして見える。凄く可愛い。
けど、ここまで重装備だと、もう彼女を
オークだと見分けるのは、かなり困難だ。
鼻が上向きなところと、下の犬歯が発達している事くらいだろうか。
そう思うと、剣道部の鮫人の王仁主将も、かなり外見でわかりやすい人たちって事なんだろうか。
蛇神さんもウロコを見ればわかるか。
でも彼女は、いつも長袖の上着に夏でもタイツを履いているので、首筋と頬のウロコしか
確認するのは難しいだろうな。あとは瞳孔くらいだろうか。
スッと蛇神さんの方を見ると、川津と何か話をしている。あのリア充め。
いやー遅いぞこのー等々言いながら、浮田が近寄ってきた。
「こんな夜中に女の子だけで初詣なんて危険なのはわかってんだけどさ。
フーちゃんのお願いとあっては、この浮田あすなろ、裏切るワケにはいかないのよね。
で、犬塚を誘ったワケ。ついでに川津にも声をかけたのよね。ついでよ?男は多い方がいいし。
そしたら何か知らん間に・・・」
「増えちゃったんだ。まあ仕方ないね」
20分ほど歩くと、目的地の八幡司馬衛門狸神社に到着した。
丁度良いタイミングと言えよう。神社の境内から「あけましておめでとー!」の絶叫が響いていた。
浮田も負けじと「こっちもあけましておめでとー!だ!」と絶叫すると、
それを皮切りに新年の挨拶合戦が始まった。
「奥山さん、新年おめでとう」
「おめでとうございます。ヒウマくん。今年もよろしくね」
「犬塚、あけましておめでとう」
「犬塚君、今年もよろしくね」
「犬塚ー!挨拶はフーちゃんだけかよー!」
僕らはガヤガヤと騒ぎながら、鳥居をくぐって境内に入る。
中はもう凄い人だかりで、おみくじやお守り、御札、絵馬を求める行列や、
振る舞い物だろうか、甘酒や御神酒を配っている様子も見える。
蛇神さんは、明日の日中はアルバイトでおみくじ販売をするのだとか。
本殿を参拝し、奥山さんとおみくじの中身を見せあいっこして、
ついでに羽芽の受験用のお守りを買い終えると、
川津たちが真っ赤な顔をしてこちらに近づいてきた。
「犬塚ぁ、いいかお前、今年は絶対に俺ら二人でレギュラー取るぞ。
お前は余裕かもしれねーから、俺が取る。少なくとも一般団体は取る。
それで全国大会行くぞ!聞いてるか犬塚!」
「そーーだぞぉ犬塚ー!全国制覇だよー!」
川津と浮田のテンションがおかしい。
隣にいる蛇神さんを見ると、手に何やら紙コップを持っている。
「おいしいよ。甘酒」
蛇神さんはそう言うと、両手に持ったコップの中身を易易と飲み干した。
舌をチロチロと出して上機嫌に笑っている。
あま・・・ざけ?まさか・・・
「犬塚ぁ!すましてないで、お前も飲めー!」
顔を真っ赤にした犬塚と浮田に取り押さえられた僕の喉元に、熱い液体が流れ込む。
酒!これ酒!甘酒じゃないじゃないか!
「あ、ヒウマくんここにいた。
おみきおいしいですよ」
奥山さんがホクホク笑顔でこっちに来た。
やっぱ甘酒じゃなくて、御神酒の方じゃないか・・・
高校生に飲ませるなよ・・・問題になるぞ・・・
僕は自分が極度に酒に弱い体質なのを自覚している。
薄ぼんやりとしていく意識の中で、奥山さんが凄いペースで甘酒なのか御神酒なのか
どちらかを堪能しているのだけは確認していた。
その後の僕は酔い覚ましで神社の境内の隣にある、小さな公園のベンチに座っていた。
だいぶ酒が抜けてきた頃には、一人帰り、二人帰り、気づいた時には僕と奥山さんの二人きりだった。
僕と奥山さんの二人で並んで座った。
思えば、こんな風に二人きりになるのって、何日ぶりだろう。
「きょうはありがとう。ヒウマくん」
「こっちこそ、誘ってくれてありがとう。凄く楽しかった」
「ヒウマくん。わたしポカポカしてます」
「御神酒なんて飲んじゃったからね。
あれ本当は未成年は飲んだらダメなんだよ」
「わたしはおとなですよ。こいもしってます・・・」
急に声のトーンが変わったので、びっくりして奥山さんの顔を見た。
いつもの笑顔は強ばって、何かに怯えているかのようだ。
こい・・・恋か・・・
「奥山さんは、誰か好きな人がいるの?」
「それはダメです。ヒウマくん」
ダメ・・・か。
そうだよなぁ。まずは自分から、だよなぁ。
自分から。僕は奥山さんの事を、本当はどう思っているんだろう。
いや、わかってる。本当は。本当に。
「ん。そうだね。
僕から言うべきだよね。
僕は、奥山さんが好きだ。
どう言ったらいいかわかんないけど」
奥山さんの顔を、恐る恐る見る。
笑顔だった。
「わたしもヒウマくんが好きです。
ただの好きじゃないんですよ」
そう言うと、奥山さんは宙に指を滑らせ始めた。
僕も御神酒で酔っているのだろうか。
奥山さんの指先が光り輝き、空中になにやら文字のようなものが書かれていくのが見える。
それは漢字の『愛』という字に酷似していた。より複雑な構成で、より暖かみのある。
それはほんの少しの間だけ、オレンジ色と桃色に光り輝き、次第に消えていった。
「これがわたしの本当の名前ですよ、ヒウマくん。
だれにもないしょです。ヒウマくんとわたしだけのないしょです」
奥山さんはくちの前に人差し指を立てて、シーッと言った。
「それと、これからは勇馬くんって呼んでいいですか?
わたしも本当の名前で呼びたいです」
御神酒のせいなのか、寒いからだろうか、ほっぺたは真っ赤に染まっていた。
多分、僕の頬も赤くなっているだろう。
お酒のせいなら、仕方ないよね。
だから、僕たちは・・・
「あれ~?ユーマ兄ちゃん。朝帰りしなかったんだ。なっさけないなぁ」
奥山さんを送って、自宅に帰った途端にこれだ。
でもいいんだ。今日は人生で最良の日だったから。
- 大人数の犬塚家ですが家族が少ない紹介と行動でも立っていて賑やか楽しい雰囲気でいいですね。模範解答のような学生の年末年始風景に奥ゆかしい奥手な奥山さんの愛 -- (名無しさん) 2013-10-13 19:11:40
- の文字に似た仕草がすーっと効いてたまりませんね -- (名無しさん) 2013-10-13 19:12:12
- あらためて読んだら何かこれすげー恥ずかしいな! -- (名無しさん) 2013-10-13 23:55:54
- 羽芽ちゃんの進路が気になった。まさかもう十津那高等部にいる? -- (名無しさん) 2013-10-15 16:28:29
- 予想以上に人数多い犬塚家。奥山さんは言動が毎回かわいいなこんちくしょうめ -- (名無しさん) 2017-09-05 19:57:22
最終更新:2018年12月24日 00:50