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【続・その風斯く語りけり】

大延国のとある街のとある街角
とあることで知り合ったとある今は亡き国史学者の言を宿した風鬼は未だ語ることをやめる気はないようで誰にともなく語り続けている。

延の皇帝の子として生まれ、次の皇帝になれなかった者はどうなるのか?
いかにも延の歴史やその内情に疎い者が口にする見識の乏しさがありありとわかる言葉である。
そこらの歴史の浅い国であれば継承問題やその後に蟠る遺恨というものが問題になるだろうが長き歴史の中で様々な失敗や挫折を経験してきた延に向かってそれを口にすることはまさに自分の無学をひけらかすことであり私は嘆かわしく哀れとさえ思えてならない。

そもそも、延の皇帝の子として生まれるということ、まずその時点でその者は類まれな精霊使いとしての才をもってこの世に生を受けたと言ってまず間違いない。
知らぬ者はいないと思うが精霊とは根っからの芸好きである。
なぜ彼らがこうも芸に魅了され、芸見たさに己が力まで貸し与えるかまでは諸説あって私も断言はできないが彼らそれほどまでに芸に恋い焦がれ才能あふれる者に魅了されるそういう質なのである。
そして、延の皇帝の子として生まれた者は物心がつく遥か前よりありとあらゆる芸事に触れさせ物心がつけば詰め込めるだけ学べるだけの芸能教養を教授されることになる。
いかに生まれながらに精霊を魅了する才能を有していたとしても、それを発露させる方法を知らなければ宝の持ち腐れとなる
だからこそ皇太子・皇女には多くの学者や芸者が傍仕えとして勤め、その素質の開花に尽力する。
しかし、個々人によって向き不向きというのがあるのは当然のことであり、そのため延の宮廷行事の中には三折座・五折座・七折座と三歳・五歳・七歳の祝いの折にその子の向き不向き好き嫌いを吟味する席が設けられる
この三度の吟味によってその子の素養素質が見極められ、それに合った教授者が選ばれるのである。
もちろんその後に趣味思考が変化することもあることはあるが長い歴史の中で七歳までにおおよその傾向は形作られるということはほぼ間違いないというのが延での定説である。

こうして、才能の開花に方々多くの者たちの手間と努力を受けて育った御子達は皆何かしら一芸に自信アリというように育つ
このように芸能に秀でた者はたとえ皇帝指名に選ばれず市井に下ってもその才能と教養で路頭に迷うどころか引く手数多となってどれを選ぶかで苦慮ほどとなるのが通例である。

また、歴史的に見れば才能の開花によって皇帝指名で選ばれたにも関わらず皇帝となるより我が芸の道を行くと揉めに揉めた事も何度となくある。
第75代皇帝シキョウなどはその最たる皇帝と言って良いだろう
幼い頃より類まれな武芸の才を認められた彼には延国中から様々な武芸者が彼の指南役として集められ彼に様々な武術を指南した
結果、シキョウは17歳の頃には延のほぼすべてと言ってよい武術についての知識と技量を身につけ。彼を指南した者のほとんどは逆に彼によって打ち負かされることとなり、彼が唯一勝つことができなかったのは後に編纂される延武術史「百家武伝」において永代剣聖と冠される四人のうちの一人に数えられることとなるスイメイただ一人だけだった。
シキョウはスイメイに勝つことだけを終生の目標として剣の鍛錬に勤しむこととなるが、そんな折先帝が逝去し皇帝指名が行われることとなった。
シキョウは最初から皇帝指名を辞すると大きく表明していたが、当時の後宮の精霊達の多くはシキョウの剣の道への一途な心に強く感化されており、結果シキョウが次期皇帝となることが決まってしまう。
その結果を知ったキショウはあまりのことに憤慨し、あくる朝には剣と必要最低限の荷物を持って宮廷から姿を消してしまい、彼はその後5年間に渡って消息不明となってしまう。
シキョウ出奔後の延はシキョウの双子の弟のサイヒョウが宰相として延の政を取り仕切っていたが、サイヒョウは自分は兄ほどの皇帝としての器はないと自覚しており、また兄の生存を固く信じていたことからシキョウの師であったスイメイのもとに何度となく足を運び兄を探し出し連れ戻すように頼み込む
その当時楽隠居を決め込んでいたスイメイはサイヒョウの思いにとうとう折れて重い腰を上げシキョウ捜索の旅に赴く
その一年後、まるで粗末な布切れがごとく痛めつけられたキショウを連れてスイメイが大都に帰還
シキョウほどの武芸者が一体誰にこれほどの痛手を受けたのかという問いに
「帰ってこいと言っても私に勝つまでは帰らぬと駄々をこねたので、面倒になって半殺しにして連れて帰ることにした。サイヒョウには生きて連れて帰れとは言われたが、無傷でとは言われていないので別に反省はしていない」
との言を飄々と吐いたスイメイにサイヒョウをはじめ多くの者が唖然としたのは言うまでもない。
スイメイに強引に連れ戻され無理やり皇帝となったシキョウはその後も度々逃亡を図った。
だが、その度にスイメイによって手荒く阻止されたとも記録されている。
シキョウはその後、延の武術発展に大きく寄与し85歳で没することとなるが、彼は終生剣の師であるスイメイに剣で勝つことはできなかった。
しかし、彼の死に顔はこの上なく満足そうで生前彼は「剣では勝てぬが寝台の上では負け知らず」と言って屈託なく笑い、スイメイに半死半生にされたことも二度や三度ではなかったとか
また、彼の亡き後に第76代皇帝となったシメイはシキョウとスイメイの間に生まれた6人の子の末子にあたることも付け加えておこう。

このように武芸に秀でた者は将となり武芸者となって国を外威から守る道を選ぶこともできる。
また代官として州という延全土と比べれば小さいながらも一国一城を任されることもある。
多くの場合、地方を治める代官は官僚出身や延平定前までその土地の有力者であった者の末裔などがなることが多いが、それでは駄目な土地というのも存在する。
たとえば呂州などがそれに当たるだろう
呂州は活発な地精と火精がせめぎ合う極めて治精学的に不安定な地域にある州である。
この州では歴史的に度々激しく地精と火精が荒ぶり時に争い、その度に多くの民が犠牲となってきた。
この州の代官は代々霊的に優れ対話に長けた才のある者が選ばれることとなっており、その代官職に皇帝と血のつながる者が就くことが多いという歴史的な経緯がある。
呂州の歴代代官の中で最も名が知れている者は誰かと問えば、呂州出身者の多くが名を上げるのはハクレンであろう。

ハクレンは玄王を冠した第56代皇帝ハクヨウを父に持ち、母に朱王を冠したレンカを持つという強く地と火の精霊に愛された血を受け継いだ女性であった。
また彼女は幼少の頃より強く話芸に興味を示し、彼女の教育には国中の弁士や噺家果ては詐欺師までもが集められたとされる。
その結果彼女は13歳の時にはすでに弁舌で名だたる一癖二癖もある官僚を言い負かし、またまるで見てきたかのごとくまったくのデタラメを淀みなく語り聞かせ人々だけでなく多くの精霊までも魅了する稀代の弁舌家に成長していた。
しかし、時節悪く彼女は皇帝指名で惜しくも選ばれることはなく、その代わりに彼女はその当時新しく延の一部となった呂州の代官となる。
呂州は延の一部となるまでは呂邦と呼ばれた場所であったが、地と火の精が荒ぶり未だ山野には怪異が跋扈する極めて危険な場所であった。
未だ延に対しての不審や不満そして敵意が残る呂州に代官として着任したハクレン
彼女はなんとたった数カ月でその巧みな話術を余すところなく活用し呂州の民の信頼を得るだけに収まらず
なんと山野で暴れる怪異や荒れ狂う火と地の精霊さえ彼女の話術の虜にしてしまったのである。
こうしてハクレンは瞬く間に一切の武力に頼ることなく話術だけで荒れた呂州を静め、ハクレンによって平安を得ることとなった呂州はそれまでの貧しさが嘘のようにそれまで荒ぶっていた火と地の力は民に豊富な恩恵を与える存在となり、山の幸と紫珠葡萄や呂州蜜柑など芳醇な果実の恵みによって南方一豊かな州となる
余談ではあるが延の守護神たる金羅はこの呂州の果実を大層気に入っており、呂州の果実が実る季節には度々仙界を抜け出し金侍三仙をはじめ仙界に住まう仙人達を困らせているという話である。

この他にも皇帝の血を引きながらも皇帝となれなかった者たちは歴史上数多いるが、その多くはなんらかの形で延国の発展に寄与し延史に名を刻む功績を残してきたことは明らかである。
また、過去には皇帝となった者が病や不慮の事故などで命を落とし、その時まだ子を成していなかった時、再び次期皇帝指名が行われたということも幾度となくある。
つまるところ延皇帝の子として生まれるということは生まれながらに人生の勝利者として勝ち竜馬に生まれながらに跨り、約束された勝利の矛を手にしていると言って過言ではないのだ

さて次の話はというと


一区切りついたかと思ったがまだまだ話は続くようだ


  • 皇帝になるのは皇帝になるべくしてなった傑物であると血ではなくその者の中身と力による処というのが民も納得するという具合でいいですね。完成されたナレーション口調の語りは声が聞こえてきそうでした -- (名無しさん) 2013-12-01 17:24:06
  • 素質以上に当然の如く注がれる英才教育とそれらをこなす日々が皇帝たる人物を生み出す説得力。帝位から外れても実りのある人生を送ったというのはほっこり。大延の歴史には出てこないそういう人生はいくつもあるんだろうなと -- (名無しさん) 2015-05-29 01:44:00
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最終更新:2013年12月01日 17:21