【外典-二律背反のロッソ・ストラーダ- 後篇】

















 その日も騎馬戦の授業が開かれようとしていた。
 チームはマリアンヌとプレセアの居るチームと、アンジェリカ達三人が居るチームに分かれた。
 アンジェリカがマリアンヌと違うチームに行く事は、この時が初めてだった。
「全員準備できたな。それでは第10回フラッグ戦……始めぇっ!!」
 週一回のペースで行われる騎馬戦の授業が始まって三ヶ月目、回数は実に10回目に到達しようとしていた。
 騎馬戦の初期訓練『フラッグ戦』は、互いに同数同士のチームが校庭の両端に陣を敷き、そこに立てたフラッグを大将首と仮定して取り合う単純なルール。
 大将は逃げも隠れもせず抵抗もしない、実戦とはかけ離れた状況ではあるが、軍隊同士がぶつかった場合の集団戦を学ぶ授業として、騎士の卵達が最初に修める本格的戦闘訓練の大切な第一段階なのだ。
 そこでは通常、両チームは地球で言うファランクス(密集陣形)のような陣形で対戦を開始し、人の弱い場所に開いた穴を足の速い者が突破したり、力押しで全滅させてからフラッグを取りに行ったりするのが常である。
 プレセアはこの『人の弱い場所に開いた穴を足の速い者が突破』する典型的なパターンで勝利を重ねていたが、騎馬戦も10回を数えたこの時、今までの騎士学校でもあまり例を見ない事が起こった。
(おかしい、みんなのフォーメーションが……これって?)
 力が弱い為、真正面からのぶつかり合いが苦手なプレセアはいつも通り、列の後方に陣取っていたのだが、この時周囲の様子がおかしいと感じたのだ。
 それはどこか本気で戦っていないような、不真面目と言う様子でもなく、とにかく不思議な感じがした一戦だった。
 その時――。
「キャッ!」
「へへっ、ごめんよ」
「う、うん」
 突然プレセアが後ろから誰かに突き飛ばされて転んだのである。
 ファランクスの中で転ぶなど危険中の危険。仲間に踏まれて怪我をしてしまうかもしれない非常に危ない状態なのだ。
 当然プレセアはすぐさま立ち上がろうとしたがそこで――。
「おっと」
「きゃあ!」
「ごめんね」
「きゃん!」
 何度立ち上がろうとしても見えない所から仲間に邪魔され転ばされてしまうのだ。地面に倒れながらプレセアは仲間の蹄を避けながら何とかファランクスの後方に逃れた。
「フフフ……」
「へへッ……」
「くすっ、くすくす……」
 陣形からはみ出しては戦いに参加すること事態が困難となる。まず味方の陣形を抜ける事が出来ないし、出来たとしても敵の陣形に穴が開いた隙を狙う事など到底不可能となるからだ。
 開始早々、プレセアは完全に今回の騎馬戦から蚊帳の外となってしまった。
 今までの戦いでは敵の陣形の穴をプレセアが突破する作戦で勝っていたのに、何故今になってこんな事をするのか?
 プレセアは思い上がっているわけではないが、仲間はまさか勝ちたくないのでは?と奇妙な疑問を持ち始めていた。
「みんな……どうしたの? いったい……」
 後方のチームメイト達の顔はにやけている。明らかにプレセアを追い出して面食らっている彼女を笑っている顔だ。
 プレセアにはその状況も理由も理解できなかったが、陣先頭で戦い続けるマリアンヌがその異変に気づき、審判役である講師にその旨申し出た。
「先生! これは反則では!?」
「……」
 マリアンヌの「反則」と言う言葉に理解が追いつかず戸惑うプレセア。
 だが講師は何も言わない。
「え? え? マリアンヌ様、一体どう言う事ですか?」
「これは裏切り……誰かが裏で示し合わせて行った、策なのです」
 マリアンヌから語られた衝撃の言葉に、プレセアはショックを受けた。
 『裏切り』。
 信じていた、自分を認めてくれたと思っていた仲間からの思いもかけない仕打ちに、プレセアは軽い眩暈を覚えた。
 騎士道に生きる自分達騎士に、裏切りなどと言う行為が許されるのか?
 ましてプレセア達は皇女マリアンヌのチーム。それは授業、ゲームとは言え皇女の軍で戦っているも同然の事。
 その軍の者が模擬戦とは言え裏切りなどと、国家反逆にも近い行為だとプレセアは思ったのだ。
 だがそれより何より、友に戦う信じるべき仲間を裏切ると言う行為自体に、最下級の騎士であるプレセアは吐き気を感じていた。
「先生! 公平な条件の下、正々堂々戦いお互いを高め合うのが騎馬戦の目的なのではありませんか!? この試合は無効です!」
「マリアンヌ様……」
 先に述べた『今までの騎士学校でもあまり例を見ない事』とはこの事だ。
 模擬戦である騎馬戦を始めて僅か3ヶ月しか経っていないにも拘らず、策を弄し戦略で勝利を得ようとする者が現れるなど、数十年ぶりの事だったのだ。
 普通の授業、ゲーム、或いはスポーツならばこの時点で敵チームは反則負け、或いは無効試合(ノーゲーム)となるだろう。
 だがこのイストモスの騎馬戦では違った。これはあくまで実戦訓練の一環なのだ。
「この世に公平など無い。それは貴女様が一番良くご存知の事なのでは? 皇女殿下」
「っ!?」
 審判から出た言葉はマリアンヌにとって意外な言葉であった。
 審判が敵方の策を認めると言う判決を下したのだ。
「騎馬戦はあくまで実戦の為の模擬戦。これから国を背負って立たれるお方が、実戦でも謀られた、不公平だなどと仰られるつもりですか?」
「それは……」
 講師の言い分は尤もであった。
 現実は非情だ。仲間の裏切りで負ける戦などいくらでもある。それでも王たる者、敵の卑怯な手も撥ね退けて勝利を掴まなければならないのだ。
 その王となるべき者が、実戦訓練の場で謀られたから、不公平だからやり直せとは言えないのである。
 そしてそれは、将来王に、国に仕える騎士見習い達にとっても同様だった。
「策を許した時点で戦略的敗北なのです。降伏か、死か、戦いを終わらせる方法はそれしかありませんよ。皇女殿下」
 講師の厳しい一言が、戦いが中断し静けさを取り戻した校庭に響く。
 決して意地悪で言っているのではない。これから国を背負って立つべき者が、そんな甘えた心を持っていてはいけないのだ。
 その事は先王からもよく言われていた事だった。
「……分かりました。今回の騎馬戦、我が方のま」
「負けません」
 重苦しい空気と沈黙の中、不敗の姫騎士マリアンヌが始めて敗北を宣言しようとした時、一人だけそれに異を唱えた者がいた。
 地面を転げ周り土と埃だらけになったプレセアである。
「私は……マリアンヌ様にお仕えする騎士です。例え身分は低くても、私は騎士です。最後まで戦います」
「プレセア!?」
 マリアンヌのチームメイト達が全員や槍や剣とを置き登校の姿勢を示す中、プレセアだけは武装を解かなかった。
 それは傍目に見ても明らかに蛮勇。指揮者が登校の意思を示しているにも拘らず一人戦い続けようとする、無意味な行為だった。
 だがその無意味な行為、少女の意地を、マリアンヌは自分のせいと思ってしまったのだ。
「もう良いのです! こうなったのは私の不徳の致す所。潔く敗北を認めましょう」
「姫様……」
 マリアンヌ――王族の者がこんな所で負けるなど、屈辱の極みだろう。
 だがマリアンヌはそんな事より同級生の身の方が大切だった。状況からこれはマリアンヌではなく、最近活躍するプレセアを目的とした策である事は明白だったからだ。
 そしてこの光景を見て一人ほくそ笑む者が居る事を、この時のマリアンヌは気付いていなかったのである。
(ふふっ、これで良い……模擬戦とは言え、これで不敗のマリアンヌ様は地に堕ちた。そして姫様を一度破った私こそ、唯一姫様のお傍に居るべき存在となる)
 アンジェリカ=マイヤード。代々王に使え、何人もの聖堂騎士(オラクルリッター)を輩出してきた名門中の名門騎士の娘。
 子供の頃からマリアンヌに使える立派な騎士になるよう育てられてきた彼女は、いつしか自分だけがマリアンヌの隣に最も相応しい騎士であると思うようになっていた。
 その為の努力も人の何倍もしたし、時には汚い手を使ったりもした。心を許せる友達もパトリシアとユリシーヌの二人だけだ。
 そんな彼女がプレセアと出逢った事がきっかけとなり、マリアンヌへの想いを狂気へと変えてしまった事は不幸だった。
 だが何れにせよ彼女はこの時、勝利を確信していたのだ。まさかたった一人で無謀に突っ込んで来る筈が無いと。
 マリアンヌの為にそこまで出来るのは、自分を置いて他にいないと言う自負心があったからだ。
 だがその自負心は、またしてもこの堕ちこぼれ騎士のレッテルを貼られる少女に砕かれる事となった。
「私、やっぱり戦います。だって私……私の信じるモノを嘘にしたくないから!」
 そう言ってプレセアは只でさえ軽装だった鎧を更に脱ぎ捨て、上半身は胸のアーマーと肩当、ガントレットを残すのみの超軽装になり槍を構えたのだ。
 その希薄に押され味方は陣のど真ん中を開け、プレセアが敵陣に突撃できる道を作ってしまった。
 その様はまるでモーゼの十戒の如き、海を割るようだったと言う。
 しかしその様を見ても止まらない者が居た。
「止めてプレセア! 無駄に傷つくだけです! ううん、この数じゃ下手をすれば――っ!?」
 そうマリアンヌが言い終わるか言い終らぬ内に、敵の列からアンジェリカが単身飛び出し、プレセアより二回り大きな恵まれた体格から繰り出す強烈なランスチャージをお見舞いしたのだ。
 その様を見た敵方は一斉に動き、プレセアたった一人に数十人のクラスメイトが突撃する異常事態となってしまったのだ。
「や、止めて下さい! 私の負けです! もう戦わないで下さい! みんなーーー!」
 叫ぶマリアンヌをよそに、混乱した生徒達は止まらない。
 プレセア一騎に対して始まった処刑劇は、もはや誰にも止められない勢いとなろうとしていたのだ。
「あんたって奴はぁーーー!!」
「きゃああぁぁぁぁあ!」
 アンジェリカのツインランの攻撃を何とか避けるプレセアだが、他の生徒達に周囲を取り囲まれアンジェリカの間合いに戻されてしまう。
 そう、アンジェリカはこの混戦の中でも、仲間に指示を出してこの陣形を取らせたのだ。
 プレセアもさる事ながら、アンジェリカも末恐ろしい逸材である。そして同じ才能なら、個人の力より集団の力を使うアンジェリカの方が勝っていた事は、戦術論的に見ても当然の結果と言えよう。
 アンチオストモスアーツは巧みな体裁きと走法、そして魔法攻撃を駆使する事でその力を発揮する。
 しかしこのような精霊魔法が使えず、縦横無尽の移動も出来ない状況では、いくら体捌きを駆使して剛槍を避けようとも、限界はすぐやってきたのだった。
「いくらあんたが速くてもこの数には敵わないでしょ! 軽装にした事を後悔するのね!!」
「アンジェリカさん、まさかあなたが――きゃあああ!」
 一対一では勝てないと踏んだプレセアは、必死に逃げ回りフラッグを取りに行こうとする。だが敵はそれを許しはしない。
 これはもうフラッグ戦などではない。敵チームにフラッグを取りに行こうと考える者は誰も居ないのだ。
 アンジェリカの怒気と怒号に当てられた生徒達が、挙ってプレセアを敵として打倒しようとしている。
 地球で言う所の集団リンチ状態になっていた。
「こ、こらお前達止めんか! 敵が降伏しているんだぞ! 騎士として恥ずべき事は止めろー!」
「プレセアァァァアーーー!!」
 講師とマリアンヌの声は虚しく抜ける様な青空に吸い込まれていった。
 とうとう敵に捕まったプレセアは滅多打ちに合い、ランスの剣山に支えられ、青空を見上げる事しか出来なくなった。
 針山の蝶のように、ボロボロのマントと乱れた長い髪が風に吹かれて揺れていた。
(姫様……ごめんなさい。やっぱり私、役立たずでした。何も出来ない……私……)
 勇ましく戦闘の意思を表明したプレセアであったが、結果はあっと言う間に負けると言う惨たんたる物。
 現実はやはり非情でしかなかったのだった。
 第1回目の騎馬戦と同じ。プレセアはアンジェリカにボロ負けし、また何も出来ないまま終わってしまったのだ。
 そんな時、プレセアの心の底から誰かの声が聞こえた。
《お前じゃ何も出来ないだろうさ。プリムラ・ストラーダ》
(えっ?)
 その時、プレセアの口から呪文のような、詩のような言葉が紡ぎ出された。

 『猛き猛き土の精 我と駆けよ戦場を 対価は蹄の舞踏曲 呪わしき命運尽き果てるまで』

 プレセアを血祭りに上げ一旦静けさを取り戻した校庭に、騎士国家イストモスでは聞き慣れない精霊への祝詞が木霊した。
 その瞬間――。
「うわぁっ!?」
「何だ急に! これは、グレイブ?」
「まさか魔法なの!?」
 プレセアを槍先に掲げていた生徒達の足元から、何本もの土のランスが突き立ったのである。
 精霊の意思によって屹立した数多のグレイブは、全て精妙なコントロールによって生徒達に致命傷を与えないよう無力化する力加減で、磔だったプレセアの体を自由にした。
 4メトルもの高さから落下したプレセアの体は、土精霊の力によって隆起した地面に優しくキャッチされ、安全に地面に着地。
 その間僅かな間に、プレセアの心の中では『プリムラ』と『プレセア』の対話が行われたのである。
《あたしに代われ。役立たずのお前に代わって、その女を勝たせてやるよ》
(でも、精霊魔法は叔父さん使っちゃ駄目だって)
《あの男の言う事なんか無視しろ。それともこのまま負けてもいいのか?》
(でも……でも私……)
 正体不明の声は有無を言わせぬ勢いでプリムラに話しかける。
 プリムラはその声の主を知らない。知らないが何故か疑問には思わなかった。
 知らない筈なのに何故か昔から知っているような不思議な感覚。そして声の主に対して強く出れない身に覚えの無い負い目のような物を感じていた。
「そんな物なんだ! 騎士がその位の事恐れるな! 突撃ぃーー!!」
 アンジェリカがグレイブに怯え散り散りになろうとする生徒達を焚きつける。
 土の精霊は心通わせたプレセアを守ろうと、尚もグレイブで牽制し続けるが、その抵抗も時間の問題である事は目に見えていた。
 土のベッドの上で戦意を失ったままのプリムラは、俯いたままうわ言の様に何事か呟き続けているが、周囲の喧騒に掻き消されその声は誰にも聞こえない。
《教えを無駄にしたいのか? こんなの許せるのか? また役立たずに戻りたいのか?》
「嫌だ……」
 茫然自失に見えるプリムラにそれを尚も討ち取ろうとする生徒達。
 極度の興奮状態と混乱の中、皆正気を失い狂ったように土の精霊相手に戦い続けている。その光景を見て、講師は今まで感じた事のない薄ら寒い物を感じずにはいられなかった。
「止めろお前達! これが模擬戦だと言う事を忘れるなぁーーーーー!」
「私は負けたくない……」
 講師の声が校庭に響き、プリムラの顔はゆっくりと上がってゆく。
 その瞳には何か暗い炎のような物が揺らめいている事に、その場の誰も気付かないまま……。
「死ねクズ騎士がぁぁぁ!」
「お願い、プレセアァァア!!」
 プリムラが叫んだ瞬間、彼女の周囲の地形が変わった。
「きゃあーーーーー!」
「うわぁー!」
「何だこれはぁぁぁ!?」
 まるで大地が波打つようにアトランダムに隆起と地割れを作り出し、今まで攻めていた生徒達も流石に身の危険を感じて散り散りに逃げていった。
 その中心地、まるで台風の目のように土の精霊に守られた穏やかな地に立つのは、先程までとはガラリと表情を変えたプレセア=ロッソその人だった。
「へへっ、やっと出られたぜぇ」
 荒れ狂う大地に追われた中にはアンジェリカの親友二人、パトリシアとユリシーヌも含まれていた。
「きゃあああいったい何ですかこれー!?」
「これは……堪りませんわね……あぅ!」
 二人も他の生徒達も、全員歩きはおろか立っている事さえもまともに出来ぬ状況の中、剛槍を大地に突き立て踏ん張っているアンジェリカに向かって、まるで重力を無視したかのように突進して行く影があった。
 プレセア=ロッソが隆起し湾曲し砕け爆ぜる大地の中、土の精霊の力で道無き道を走破しているのだ。
「アンジェーーー!!」
 いつもの優しく穏やかなプレセアからは想像もつかないような表情。
 怒りに燃える阿修羅の如き形相は、そのまま彼女の内に燃える闘志の激しさを物語っているようだ。
 そう、有体に言えば『凄まじい殺気』を全身から放っている。それもどんな鈍感な者でも感じる事が出来るほどはっきりと明確な殺意を伴ってである。
 普段の姿からはかけ離れた、あまりの豹変振りと怒気に、アンジェリカを始めマリアンヌや講師までもが肝を冷やし、何も言う事が出来なかった。
「さっきはよくもやってくれたなぁ! 汚い奴め! ぶっ殺してやる!!」
「ひっ!」
 プレセアのランスを辛うじて受けたアンジェリカは、そのまま残った手で腰のサーベルを抜刀!
「こ、このぉ!」
「おっと」
 それをバックステップで避けたプレセアとアンジェリカの間に、一足一槍の間合いが出来上がった。
「ふ、ふん! プレセアのくせに生意気よ! 返り討ちにしてあげるわ!」
(急に雰囲気が変わってビックリしたけど、やっぱり力は私の方がある。これなら……)
 プレセアのランスチャージを片手で受け流した事から、一時はプレセアの雰囲気に飲まれていたアンジェリカにいつもの自信が戻りつつあった。
 周囲を見やると助太刀を見込める級友は誰も居ない。親友二人も土の精霊に翻弄され、アンジェリカに近寄れないで居た。
 そう、いつの間にかプレセアが近づいたせいなのか、暴れる大地はすっかり治まり、まるでアンジェリカとプレセアだけの決闘場が出来上がったようになっていた。
「あたしをあんな臆病者と一緒にすんじゃねぇ! あたしは……あたしが本当のプレセア・ロッソだぁ!!」
 地面が落ち着いたのも束の間、プレセアは依然ボロボロの体のまま再びアンジェリカにランスチャージを仕掛けに突進した。
 しかし先程の経験からアンジェリカには余裕がある。
 落ち着いて自慢の両軸槍(ツインランス)を構え直し、迎撃・転身・反撃の技の態勢に入る。
「我がマイヤード家は名門の突撃槍兵の家系! 一人でもあなた如き、訳ない事だわ!」
「だったら最初から正々堂々やってみろぉ!」
 再びプレセアのランスチャージ!
 しかし軽装で体の軽いプレセアのランスチャージは案の定簡単にアンジェリカに受け流されてしまう。
 敵の槍を受け流しつつ転身、反撃に移る技をアンジェリカが出そうとした矢先、彼女の身に信じられない事が起こった。
 何と地面から突如突き出た土槍でランスを持つ手を打たれ、騎士最強の武器を取り落としてしまったのだ。
 だが流石のアンジェリカは土の精霊による横槍に即座に対応、第二撃目の突きが来るタイミングで、背中のシールドを使い槍を防ぎながら逆にシールドバッシュによる反撃に転じたのだ。
 これにはプレセアも対応出来ず、アンジェリカの重いシールドバッシュを直撃されてしまう……と思われた瞬間、土の精霊が間にグレイブを挟みダメージを半減してしまった。
 三回目の突きは正面から来なかった。防御のグレイブを上手く支えにプレセアは体勢を転身させ、アンジェリカの後方へと急激な回り込みをかけたのだ。
 すかさず身を翻そうとしたアンジェリカ。だがそれもグレイブに阻まれ、転身が遅れてしまう。
 三度目の突きを辛うじてかわしたアンジェリカだが、その時シールドも叩き落されてしまったのだった。
(まさか、これは魔法騎士の戦い方? こんな下々の者が、何故イストモス聖堂騎士団の高度な戦闘技術を!?)
 土の精霊と心を通わせ、人と精霊の二身一体の攻防術と成す。それがアンチオストモスアーツの真髄だった。
 それはイストモス聖堂騎士――魔法騎士の高度な戦闘技術を応用した物で、精霊魔法を駆使して高起動性を重視、飛び道具を使う多数の敵を相手にたった一騎で最大の戦果を上げる為に開発された特殊な戦闘技術だった。
 だがそれを見てアンチオストモスアーツと気づく者は極一部に限られるだろう。それはこの戦闘技術が封印された技術だからだ。
 故にアンジェリカはプレセアの使うアンチオストモスアーツを見て、聖堂騎士団の戦闘術と勘違いしたのだ。
「あなた……貴女一体何者なの!? 一体何なのよぉー!」
「あたしはあたしだぁぁぁ!」
 とうとう武器がサーベル一本となり、ランスを持ったプレセアを相手するには圧倒的に不利な状況となった時、アンジェリカは再び恐怖を感じたのだった。
 それでも降伏しない剣一本のアンジェリカに対して、プレセアは情け容赦無く精霊にガイアクラッシャーを願い出た。
「暴れろ土の精! マナを喰らい尽くすほどにぃ!!」
「きゃああぁぁぁぁ!!??」
 砕け乱れ暴れる巨岩の大群が大地を走り、アンジェリカは岩に弾き飛ばされ土の精霊のテリトリー外で気を失った。
「アンジェリカ様ー!?」
「アンジェが……負けた……」
 壮絶な死闘の末、遂に一騎打ちでのアンジェリカ打倒を果たしたプレセアだが、その顔に笑顔は無い。
 パトリシアとユリシーヌは気絶するアンジェリカを助け起こし、ボロボロの阿修羅を呆然と見上げる。
「プレセア……貴女一体……」
 長い髪が風に揺れ、黄金色の午後の光に輝く姿は伝承に聞く戦いの女神のようだった。
 だがマリアンヌは戦いの最中、まるで人変りしたようだった友達の姿の方が、その事よりずっと心配だったのだ。
 このままプレセアが遠くに行ってしまいそうな、そんな予感がしたから……。
(今のは紛れも無く『アンチオストモスアーツ』。これは……大変な事が起きたぞ)
 そんな中、ただ一人プレセアの使った業が封印されるべきアンチオストモスアーツだと気付いた者が居た。
 東西イストモス時代戦場でそれを見てきた講師は、すぐさまアンチオストモスアーツを教えた者。暗殺部隊ドラグネット隊員の生存を王立騎士団に報告したのだった。



 その後、家に帰ったプレセアを待っていたのは燃え盛る家と騎士達の死体。
 そして木の幹にランスで貼り付けられるようにして息絶えていた、自分を育て愛してくれた叔父さんの姿だった。
 瓦礫、炎、家族の死。プレセアが家族と家を失った時と同じ光景が繰り返されていたのだ。
 頭を抱えうずくまるプレセアに、その光景を作り出した者達のリーダーと思しき人物から声がかかる。
 プレセアはこの時初めて知ったのだ。
 全ての事の顛末を。そして世の中には知らない方が良い、知りたくも無い事実と言うものがあると言う事を。
 10年前、プレセアの家を襲った騎士は自分を育ててくれた叔父さん達だったと言う事。
 当時まだイストモス東西での内戦が盛んだった頃、軽装で素早く動き弓術に長けた東イストモス(オストモス)に対抗する為、極秘裏に特別な戦術が編み出され、
 アンチオストモスアーツと名付けられた、軽装で速さを重視し土精霊の魔法とランスで戦う戦法は、東イストモスへの暗殺部隊に教えられた事。
 やがて東西イストモスの関係が改善されていき、東側からの恨みを多く買っているアンチオストモスアーツの使い手達は、政治的に邪魔とみなされ処刑されていった事。
 その指揮を執ったのもストラーダ家であり、暗殺部隊に居た叔父さん達はその事を怨んでストラーダ家を襲ったと言う事。
 全てがプリセアの知りえない、親も叔父さんも教えてくれなかった歴史の闇であった。
 誰を怨んでいいのか、誰に怒ればいいのか、それさえも分からない感情の地獄に、プレセアは突き落とされたのだった。
 だがこれだけでは終わらない。プレセアはもっと残酷な事実を知り、思い出す事となる。
 自分の本名がプリムラ=ストラーダであり、名門ストラーダ家の一粒種。
 当然怨みの対象である筈だが、叔父さんはプレセアを引き取って育てた。
 そして学校でプレセアが上手く行くように、危険を承知でアンチオストモスアーツを教えてくれた事。
 秘密と言われたのに自分の弱さから使ってしまい、それが元で叔父さんの存在がばれて殺されてしまった事。
 かつてのトラウマが甦り、更に自分のせいで叔父さんを死なせてしまった事のショックから、
 プレセアことプリムラ=ストラーダは現実から逃げる為、再びプレセア=ロッソに体のコントロールを委ね、以後数年間プレセアのまま過ごす事となる。
 現実の辛さに耐え切れなかったプリムラは、この時主人格の座をもう一人の自分プレセアに渡してしまったのだ。
 アンチオストモスアーツは存在してはならない。
 敵は最後のアンチオストモスアーツ使いとしてプレセアに襲い掛かった。
 だがこの時敵は知らなかったのだ。プレセアの気性の荒さと、既に叔父さんを超えたアンチオストモスアーツの使い手である事を。
 敵は国家騎士。歯向かえば国家反逆罪になる。
 国家騎士を倒しアンチオストモスアーツ最後の使い手であるプレセア=ロッソは、この時を以って二度とイストモスの地を再び踏む事が出来なくなったのであった。



 ……そして、10年の時が過ぎた……



「姫……さ……ま……」
 遠い遠い異国の地。いつかどこかの戦場で、聖騎士プレセア=ロッソは騎士王マリアンヌと一騎打ちとなり、そして、敗れた。
「プレセア! いえ、プリムラ! 人格が戻ったのですね」
 究極にまで極め、研ぎ澄ましたアンチオストモスアーツの秘技の数々も、イストモスに伝わる奇跡の技『流星のランスチャージ』には勝てなかったのだ。
「これで……安心して死ねます……」
 腹部を貫通したランスは明らかに致命傷だった。
 本来ならそこで死ぬ筈だったプレセアは、不思議な事に人格『プレセア=ロッソ』だけが先に死に、数年ぶりに人格『プリムラ=ストラーダ』が意識を取り戻したのだ。
 しかし人格が入れ替わろうと肉体が瀕死の重傷を負っている事に変わりは無い。
 今まさにプリムラは、かつての友の腕の中で生涯の幕を閉じようとしていた。
 プリムラ=ストラーダは解離性同一性障害――所謂『多重人格障害』だった。地球では研究が進み、一般的認知度も高いこの症例だが、異世界においては殆ど知られていない。
 子供の時、何もかも失うと言う限界を超える苦痛を味わったプリムラは、心を守る為記憶を封印し、その体験や記憶に耐えられる人格を作ってしまったのだ。
 それが子供だったプリムラに実行可能だった唯一の逃避行だったが、彼女はその事を自覚していない。
 多重人格と言うものがあり、自らがその患者だと言う事を、プリムラは知らなかったのだ
「だって……自分でも分からない自分のまま死ぬなんて……あまりにも………………」
 そう言って動かなくなったプリムラの顔は満ち足りていた。
 人格が眠りについている間、心のどこかで彼女はいつかこうなる事を覚悟し、諦めていたのだろう。
 辛い現実から逃げる為の人格プレセア。
 あの時、プレセアに代わった時から、この修羅の世界でプレセアに全て背負わせた自分に人並みの幸せがあるなどと、思って居なかった。
 だからたった一つ、もう一度目覚めたい。目覚めてから死にたいと言う願い。
 逃げ続けて失ってしまったものは戻ってこないが、せめて本当の自分だけは取り戻してから死にたいと言う願い。
 最後の笑顔は、何一つ自由に出来なかったプリムラが、後悔の中で見つけたその小さな願いを友達が叶えてくれた。そんな小さな幸せの笑顔だった。
 逆に言えばその程度の小さな願いで満足する程、プリムラは絶望しきっていたのだ。
「プリムラ……」
 マリアンヌは戦場で涙する。
 手加減できる相手ではなかった。負ける事は許されなかった。
 それでも救いを信じて最善手を選んで戦った彼女には、運命の星も見せてくれなかった結末が待っていた。
 わざと見せなかったのか? それは星の優しさなのか、それとも残酷さなのか……。
「本当の自分なんて……きっと誰も分からないのかもしれません」
 本当の自分を取り戻して逝った友。
 友を手にかけた自分。望みを叶えてやった自分。戦うしかなかった自分。勝つしかなかった、いや、勝つ事を選んでしまった自分。
 星神の加護を受けていても、英雄は決して万能の存在ではない。
 結局は歴史と言う大きな潮流の中で、ただ翻弄され流されるだけだ。
 マリアンヌは心の中で、もう何度繰り返したかも覚えていない程問いかけて来た事を再び星に問いかけた。
(何が最善手を選べるですか。何が騎士の王ですか。何が英雄ですか。私はまた……また何も……)
 いつの間にか陽は西の空に隠れ、星々は満天の空に満ちている。
 だがマリアンヌの問いかけに答える者は居ない。
 夜空に星は満ちているのに、マリアンヌの問いかけに答えが出る事はない。
「平和を望んでいるのに戦ったり、正しい事をする為に誰かを犠牲にしたり……人は自分の心さえ自由に出来ない」
 運命……宿命を司る星の神。
 その加護を受けていても人は、自分の運命も、自分の心さえも自由にはならないのだ。
 プリムラを見て思う。
 人は何故心に望まぬ事ばかり強いられるのか。何故もっと心のままに生きる事が出来ないのか。
 そんな事をしているから、人は本当に自分が望む事さえも、見失ってしまうのだと。
「戦いはまだ続いている……こんな事、いったいいつ終わるのでしょうか……」
 戦場に立ち上る炎と煙、戦士達の怒号と悲鳴、踏み荒らされる大地の痛み。
 自分は一体何の為に戦っているのか。
 自分は平和を愛する騎士王なのか。それとも破壊と戦いの申し子なのか。
 こんな所に居るともう、何もかも分からなくなってしまうのだ。
「プリムラ……本当の自分って何なのでしょう……」
 天に輝く北極星を見上げながら、マリアンヌはそう自問した。



 こうしてプリムラとマリアンヌの話は終わるのだが、その影に星神から月神に信仰の対象を変えたアンジェリカの姿があった事は、またいつか語る事にしよう。
 『聖騎士(パラディン)プレセア』と『騎士王(ケーニッヒリッター)マリアンヌ』、そして『狂戦士(ベルセルガ)アンジェ(天使)』後の『月光騎士(セレネスリッター)アンジェ』の物語は、まだ終わらない。

   ―終わり―



  • プリムラ(プレセア)の出奔を止めることができず止めをさすに至ったマリアンヌの悲痛が響く。遠い異国の地と燻る騒乱の芽も含めて先の時代を考えるに一つ際立つ篇でした -- (名無しさん) 2013-12-07 17:48:42
  • ふむ。イスト正史にしてもいいくらいの面白い話。イストとラムールは信仰する神の関係で月神への信仰堕ちが多い? -- (名無しさん) 2015-08-15 20:56:12
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最終更新:2012年07月26日 20:07
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