その日も騎馬戦の授業が開かれようとしていた。
チームはマリアンヌとプレセアの居るチームと、アンジェリカ達三人が居るチームに分かれた。
アンジェリカがマリアンヌと違うチームに行く事は、この時が初めてだった。
「全員準備できたな。それでは第10回フラッグ戦……始めぇっ!!」
週一回のペースで行われる騎馬戦の授業が始まって三ヶ月目、回数は実に10回目に到達しようとしていた。
騎馬戦の初期訓練『フラッグ戦』は、互いに同数同士のチームが校庭の両端に陣を敷き、そこに立てたフラッグを大将首と仮定して取り合う単純なルール。
大将は逃げも隠れもせず抵抗もしない、実戦とはかけ離れた状況ではあるが、軍隊同士がぶつかった場合の集団戦を学ぶ授業として、騎士の卵達が最初に修める本格的戦闘訓練の大切な第一段階なのだ。
そこでは通常、両チームは地球で言うファランクス(密集陣形)のような陣形で対戦を開始し、人の弱い場所に開いた穴を足の速い者が突破したり、力押しで全滅させてからフラッグを取りに行ったりするのが常である。
プレセアはこの『人の弱い場所に開いた穴を足の速い者が突破』する典型的なパターンで勝利を重ねていたが、騎馬戦も10回を数えたこの時、今までの騎士学校でもあまり例を見ない事が起こった。
(おかしい、みんなのフォーメーションが……これって?)
力が弱い為、真正面からのぶつかり合いが苦手なプレセアはいつも通り、列の後方に陣取っていたのだが、この時周囲の様子がおかしいと感じたのだ。
それはどこか本気で戦っていないような、不真面目と言う様子でもなく、とにかく不思議な感じがした一戦だった。
その時――。
「キャッ!」
「へへっ、ごめんよ」
「う、うん」
突然プレセアが後ろから誰かに突き飛ばされて転んだのである。
ファランクスの中で転ぶなど危険中の危険。仲間に踏まれて怪我をしてしまうかもしれない非常に危ない状態なのだ。
当然プレセアはすぐさま立ち上がろうとしたがそこで――。
「おっと」
「きゃあ!」
「ごめんね」
「きゃん!」
何度立ち上がろうとしても見えない所から仲間に邪魔され転ばされてしまうのだ。地面に倒れながらプレセアは仲間の蹄を避けながら何とかファランクスの後方に逃れた。
「フフフ……」
「へへッ……」
「くすっ、くすくす……」
陣形からはみ出しては戦いに参加すること事態が困難となる。まず味方の陣形を抜ける事が出来ないし、出来たとしても敵の陣形に穴が開いた隙を狙う事など到底不可能となるからだ。
開始早々、プレセアは完全に今回の騎馬戦から蚊帳の外となってしまった。
今までの戦いでは敵の陣形の穴をプレセアが突破する作戦で勝っていたのに、何故今になってこんな事をするのか?
プレセアは思い上がっているわけではないが、仲間はまさか勝ちたくないのでは?と奇妙な疑問を持ち始めていた。
「みんな……どうしたの? いったい……」
後方のチームメイト達の顔はにやけている。明らかにプレセアを追い出して面食らっている彼女を笑っている顔だ。
プレセアにはその状況も理由も理解できなかったが、陣先頭で戦い続けるマリアンヌがその異変に気づき、審判役である講師にその旨申し出た。
「先生! これは反則では!?」
「……」
マリアンヌの「反則」と言う言葉に理解が追いつかず戸惑うプレセア。
だが講師は何も言わない。
「え? え? マリアンヌ様、一体どう言う事ですか?」
「これは裏切り……誰かが裏で示し合わせて行った、策なのです」
マリアンヌから語られた衝撃の言葉に、プレセアはショックを受けた。
『裏切り』。
信じていた、自分を認めてくれたと思っていた仲間からの思いもかけない仕打ちに、プレセアは軽い眩暈を覚えた。
騎士道に生きる自分達騎士に、裏切りなどと言う行為が許されるのか?
ましてプレセア達は皇女マリアンヌのチーム。それは授業、ゲームとは言え皇女の軍で戦っているも同然の事。
その軍の者が模擬戦とは言え裏切りなどと、国家反逆にも近い行為だとプレセアは思ったのだ。
だがそれより何より、友に戦う信じるべき仲間を裏切ると言う行為自体に、最下級の騎士であるプレセアは吐き気を感じていた。
「先生! 公平な条件の下、正々堂々戦いお互いを高め合うのが騎馬戦の目的なのではありませんか!? この試合は無効です!」
「マリアンヌ様……」
先に述べた『今までの騎士学校でもあまり例を見ない事』とはこの事だ。
模擬戦である騎馬戦を始めて僅か3ヶ月しか経っていないにも拘らず、策を弄し戦略で勝利を得ようとする者が現れるなど、数十年ぶりの事だったのだ。
普通の授業、ゲーム、或いはスポーツならばこの時点で敵チームは反則負け、或いは無効試合(ノーゲーム)となるだろう。
だがこの
イストモスの騎馬戦では違った。これはあくまで実戦訓練の一環なのだ。
「この世に公平など無い。それは貴女様が一番良くご存知の事なのでは? 皇女殿下」
「っ!?」
審判から出た言葉はマリアンヌにとって意外な言葉であった。
審判が敵方の策を認めると言う判決を下したのだ。
「騎馬戦はあくまで実戦の為の模擬戦。これから国を背負って立たれるお方が、実戦でも謀られた、不公平だなどと仰られるつもりですか?」
「それは……」
講師の言い分は尤もであった。
現実は非情だ。仲間の裏切りで負ける戦などいくらでもある。それでも王たる者、敵の卑怯な手も撥ね退けて勝利を掴まなければならないのだ。
その王となるべき者が、実戦訓練の場で謀られたから、不公平だからやり直せとは言えないのである。
そしてそれは、将来王に、国に仕える騎士見習い達にとっても同様だった。
「策を許した時点で戦略的敗北なのです。降伏か、死か、戦いを終わらせる方法はそれしかありませんよ。皇女殿下」
講師の厳しい一言が、戦いが中断し静けさを取り戻した校庭に響く。
決して意地悪で言っているのではない。これから国を背負って立つべき者が、そんな甘えた心を持っていてはいけないのだ。
その事は先王からもよく言われていた事だった。
「……分かりました。今回の騎馬戦、我が方のま」
「負けません」
重苦しい空気と沈黙の中、不敗の姫騎士マリアンヌが始めて敗北を宣言しようとした時、一人だけそれに異を唱えた者がいた。
地面を転げ周り土と埃だらけになったプレセアである。
「私は……マリアンヌ様にお仕えする騎士です。例え身分は低くても、私は騎士です。最後まで戦います」
「プレセア!?」
マリアンヌのチームメイト達が全員や槍や剣とを置き登校の姿勢を示す中、プレセアだけは武装を解かなかった。
それは傍目に見ても明らかに蛮勇。指揮者が登校の意思を示しているにも拘らず一人戦い続けようとする、無意味な行為だった。
だがその無意味な行為、少女の意地を、マリアンヌは自分のせいと思ってしまったのだ。
「もう良いのです! こうなったのは私の不徳の致す所。潔く敗北を認めましょう」
「姫様……」
マリアンヌ――王族の者がこんな所で負けるなど、屈辱の極みだろう。
だがマリアンヌはそんな事より同級生の身の方が大切だった。状況からこれはマリアンヌではなく、最近活躍するプレセアを目的とした策である事は明白だったからだ。
そしてこの光景を見て一人ほくそ笑む者が居る事を、この時のマリアンヌは気付いていなかったのである。
(ふふっ、これで良い……模擬戦とは言え、これで不敗のマリアンヌ様は地に堕ちた。そして姫様を一度破った私こそ、唯一姫様のお傍に居るべき存在となる)
アンジェリカ=マイヤード。代々王に使え、何人もの聖堂騎士(オラクルリッター)を輩出してきた名門中の名門騎士の娘。
子供の頃からマリアンヌに使える立派な騎士になるよう育てられてきた彼女は、いつしか自分だけがマリアンヌの隣に最も相応しい騎士であると思うようになっていた。
その為の努力も人の何倍もしたし、時には汚い手を使ったりもした。心を許せる友達もパトリシアとユリシーヌの二人だけだ。
そんな彼女がプレセアと出逢った事がきっかけとなり、マリアンヌへの想いを狂気へと変えてしまった事は不幸だった。
だが何れにせよ彼女はこの時、勝利を確信していたのだ。まさかたった一人で無謀に突っ込んで来る筈が無いと。
マリアンヌの為にそこまで出来るのは、自分を置いて他にいないと言う自負心があったからだ。
だがその自負心は、またしてもこの堕ちこぼれ騎士のレッテルを貼られる少女に砕かれる事となった。
「私、やっぱり戦います。だって私……私の信じるモノを嘘にしたくないから!」
そう言ってプレセアは只でさえ軽装だった鎧を更に脱ぎ捨て、上半身は胸のアーマーと肩当、ガントレットを残すのみの超軽装になり槍を構えたのだ。
その希薄に押され味方は陣のど真ん中を開け、プレセアが敵陣に突撃できる道を作ってしまった。
その様はまるでモーゼの十戒の如き、海を割るようだったと言う。
しかしその様を見ても止まらない者が居た。
「止めてプレセア! 無駄に傷つくだけです! ううん、この数じゃ下手をすれば――っ!?」
そうマリアンヌが言い終わるか言い終らぬ内に、敵の列からアンジェリカが単身飛び出し、プレセアより二回り大きな恵まれた体格から繰り出す強烈なランスチャージをお見舞いしたのだ。
その様を見た敵方は一斉に動き、プレセアたった一人に数十人のクラスメイトが突撃する異常事態となってしまったのだ。
「や、止めて下さい! 私の負けです! もう戦わないで下さい! みんなーーー!」
叫ぶマリアンヌをよそに、混乱した生徒達は止まらない。
プレセア一騎に対して始まった処刑劇は、もはや誰にも止められない勢いとなろうとしていたのだ。
「あんたって奴はぁーーー!!」
「きゃああぁぁぁぁあ!」
アンジェリカのツインランの攻撃を何とか避けるプレセアだが、他の生徒達に周囲を取り囲まれアンジェリカの間合いに戻されてしまう。
そう、アンジェリカはこの混戦の中でも、仲間に指示を出してこの陣形を取らせたのだ。
プレセアもさる事ながら、アンジェリカも末恐ろしい逸材である。そして同じ才能なら、個人の力より集団の力を使うアンジェリカの方が勝っていた事は、戦術論的に見ても当然の結果と言えよう。
アンチオストモスアーツは巧みな体裁きと走法、そして魔法攻撃を駆使する事でその力を発揮する。
しかしこのような精霊魔法が使えず、縦横無尽の移動も出来ない状況では、いくら体捌きを駆使して剛槍を避けようとも、限界はすぐやってきたのだった。
「いくらあんたが速くてもこの数には敵わないでしょ! 軽装にした事を後悔するのね!!」
「アンジェリカさん、まさかあなたが――きゃあああ!」
一対一では勝てないと踏んだプレセアは、必死に逃げ回りフラッグを取りに行こうとする。だが敵はそれを許しはしない。
これはもうフラッグ戦などではない。敵チームにフラッグを取りに行こうと考える者は誰も居ないのだ。
アンジェリカの怒気と怒号に当てられた生徒達が、挙ってプレセアを敵として打倒しようとしている。
地球で言う所の集団リンチ状態になっていた。
「こ、こらお前達止めんか! 敵が降伏しているんだぞ! 騎士として恥ずべき事は止めろー!」
「プレセアァァァアーーー!!」
講師とマリアンヌの声は虚しく抜ける様な青空に吸い込まれていった。
とうとう敵に捕まったプレセアは滅多打ちに合い、ランスの剣山に支えられ、青空を見上げる事しか出来なくなった。
針山の蝶のように、ボロボロのマントと乱れた長い髪が風に吹かれて揺れていた。
(姫様……ごめんなさい。やっぱり私、役立たずでした。何も出来ない……私……)
勇ましく戦闘の意思を表明したプレセアであったが、結果はあっと言う間に負けると言う惨たんたる物。
現実はやはり非情でしかなかったのだった。
第1回目の騎馬戦と同じ。プレセアはアンジェリカにボロ負けし、また何も出来ないまま終わってしまったのだ。
そんな時、プレセアの心の底から誰かの声が聞こえた。
《お前じゃ何も出来ないだろうさ。プリムラ・ストラーダ》
(えっ?)
その時、プレセアの口から呪文のような、詩のような言葉が紡ぎ出された。