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【スペードのジャック】

俺は護符を手に入れなくてはならない。

首を刎ねられた大ミミズが死の踊りを終え静かになったのを確認して、俺は得物の先に付着したミミズの体液をぼろ布で丁寧に拭き取った。
打ち捨てられた龍の住処より発見した魔法の矛とはいえ、自分の命を預ける唯一の武器が万が一にも錆びてしまっては使命を果たせなくなってしまう。
また行き止まり。俺は慎重に玄室の壁を叩いてまわり、わずかに音の違う箇所に矛を突き立てる。何度か突き崩すうち、軽い落盤で埋まっていたと思しき通路が再び口を開けた。

俺は護符を手に入れなくてはならない。

暗い通路を抜けた途端、おびただしい数の殺気に取り囲まれた。目の退化した大トカゲどもが、住処に侵入してきた獲物に剣呑な威嚇の声をあげる。
思わず後ずさりそうになって思い直す。退いたところで、後ろに道はない。落ち着いてトカゲの住処を見渡すと、群れの向こうに念願の梯子を見つけた。
行くしかない。覚悟を決め、矛の柄を強く握りなおすと、こちらに一塊に殺到する大トカゲを、思い切って大きく飛び越えた。
トカゲに押し潰される入り口を後目に、俺は噛み付こうとするトカゲの頭を足場にもう一飛び、着地点に開いた大口に矛をねじ込み、引き抜きながら梯子にしがみついた。
四方八方から迫る牙を逃れ、引きずり下ろそうと梯子に噛み付いているのだろうみしみしという恐ろしい音を頭から振り払い、這う這うの体で上階に辿り着く。

俺は護符を手に入れなくてはならない。

護符は「地上」に辿り着いた証。
護符を手に戻った英雄は村の誉れ。
だけど、老人連中が誇らしげに話す英雄の昔話はどこか嘘くさく、俺の番が来る頃になっても“次の英雄”は現れなかった。
もう分かっている。こいつは口減らしだ。魔法の矛だって? 申し訳程度に刃先をしっかり研いではあるが、こいつはどう見たって村長の家にあった剣先ショベルじゃないか。
馬鹿馬鹿しい話だ。何が馬鹿馬鹿しいって、逃げ場なんか何処にもないってことが一番馬鹿馬鹿しい。
「地上」なんて御伽噺も、村に信じてるやつなんて一人だっていやしなかった。
護符もなく逃げ帰ったところで、俺は村の連中に殺されるだろう。あいつは帰ってこなかったと、村にはそう伝えられて終わりだ。
いいさ、どうせ死ぬなら前に進んで死んでやるとも。
残った最後の食料を齧り、俺はやぶれかぶれで前を見る。
向こうの通路から何かが這い進む音がする。いいぞ、かかってこい。“追い詰められた鼠”の恐ろしさをとくと教えてやる。ついでに食えるやつなら尚いい。
「スッゾコラァァァァッ!」
戦叫をあげ、得物を振り上げたそのとき。

ぼこん

振り上げた矛が刺さった天井が、間抜けな音を立てて抜け落ちた。間一髪かわしたおかげで、俺は頭を割られずに済んだ。全身にどっと冷や汗が噴出す。
だが、奇妙だった。抜け落ちた天井の向こうに、ものすごく大きな空洞があるようだったが、その天井にはきらきらと何かが輝いていた。
自分を取り巻く何もかもが頭から抜け落ちて、俺はただ呆然と上の空洞を見上げた。
なんだろうあれは。特にあの、薄く開いた目のように、あるいは嘲笑する口のように細く伸びてぎらぎら光るあれはなんなのか。
「月神の微笑を凝視するな、魅入られるぞ」
声をかけられ、あわてて矛を構えて向き直る。あまりの不思議に、迫っていた脅威のことを一瞬忘れていた。
だが、這い寄ってきたなにかは上の穴から差し込む光の手前で止まり、すっと鎌首をもたげるように「上半身」を起こした。
「ほう、鼠か。この遺跡の地下に棲んでいるという伝承はあったが、まさか本当にいたとは」
興味深そうな声をあげ、そいつはするすると光の中に進み出た。
蛇の尾、女の体。村では見たことのない異形だが、俺は不思議とそれを綺麗だと思った。
「不躾にじろじろと見るな、絞めるぞ」
とぐろを巻いて低い声で脅され、俺はさっと横を向いてしまった。
「ともあれ、歓迎しよう伝説の鼠人よ。ようこそ“地上”へ」
地上、という言葉にふたたび俺は愕然とする。
「地上? ここが、地上なのか?」
「うむ、正しくはこのすぐ上が地上だな。せっかくだ、君のいた地下の住処のことも色々と訊きたい。よければうちに招待したいのだが」
突然のことの連続にろくに考えることもできず、俺はただ反射的に頷いただけだったのだが、それを承諾とみた女は満面の笑みを浮かべた。
「善き哉」
案内するようにするすると通路に進み始めた女を、俺は夢心地のまま追いかけた。
月神よりもあの笑顔こそ魔性であると、俺は後にこの時を振り返って思ったものである。

蛇の尾を持つ女に連れられて、俺は初めて地上に踏み出した。
最初に思ったのは、途方もない広さだった。どこまでも壁がない広大な空間…いや、もしかしたら遥か遠く、俺に認識できぬほど遠くに壁は存在するのかもしれないが、それは果たしてどれほど彼方にあるのか。あのきらきら光るものに彩られた高い高い天井は一体どれほどの高さなのか。
認識が追いつかず、一瞬くらりと気が遠くなった。
「どうした、調子でも…ああそうか」
何かを察した女が俺の頭に何かを被せ、広がった鍔のようなもので上への視界がさえぎられた。
「環境が急変して大変だろうとは思うが、ゆっくり慣れるといい。まずはしっかり足元を見ることだ」
目線を落とすと、俺を励ますように女の尻尾の先がユーモラスにぴこぴこと踊るので、俺はようやくわずかな笑みを浮かべることができた。
「家に着いたらその帽子は返してくれよ、お気に入りなんだ」
ふたたび先導に戻った女に、俺は頭を垂れて感謝の意を示した。傾けた頭から帽子が落ちそうになり、あわてて空中で受け止めた後で手に持ったそれをしげしげと改める。なるほど、村にあった安全帽に似ているが布で出来ているのか。用途はよくわからないが、あの奈落の口にも似た高い天井を直視しなくて済むのはありがたい。
俺は帽子を深く被りなおし、女の後を追った。



人の命に終わりあり 神の世もまた斯くの如し
旧き神々の世は尽き果て 新しき神々の御世へと移りし折に
旧き神々の手になるもの ことごとく 奈落の口へと運ばれし
強壮なる龍の身なれば 奈落を抜け次の世に延びることも辛うじて適おうが
我ら脆弱なる鼠の身に 奈落より生き延びる術なし
望み絶えた我らを憐れみて 旧き神ヴォルト 我らを石の箱舟に導き給えり
ヴォルトの箱舟 我らを乗せて奈落の渦に揺れ ヴォルトの力尽きた折 舟もまた千々に砕けたり
されど幸いなるかなヴォルトの子らよ
我らが身を寄せしわずかな箱舟の欠片 辛くも奈落を抜け出したり



「ふむふむ、そうして生き延びた鼠たちの子孫が君たちということか」
俺を家に連れ込むなりさんざん質問責めにしてくれた蛇女…一応、手短に「ナビ」と名乗ってきた…に、俺は村に伝わる昔話をうろ覚えながら語って聞かせた。ナビは興味深げに頷きながら、自室に雑多に積まれた書物を思いついたように引っ掻き回してはまた別の山の上に積みなおし、ただでさえ全貌がわからぬほど混沌とした部屋の惨状をさらに加速させていく。
こいつが片付けられない性質であることは一目で分かった。その割にこの部屋を一歩出ればここまでひどくはないというのがよく分からない状況ではあるのだが…。
「ヴォルトという旧き神の名は初耳だな。或いは“旧世界”においてもさほど大きな勢力を持たない小神であったのか…あ、すまない。君らの崇める神を貶めようというわけではないのだ」
「別に構わん、どうせ村の昔話でもここでしか出て来ない神様だ」
「なるほど、マイナー神格には違いないわけだな」
村の名前に冠している程度には重要な神様なのだが、出番がそこだけなのは事実であるし俺は特に拝んだこともないのであえてナビの言葉を訂正しようとはしなかった。
「それで…ふむ、君はなんと言ったか」
「ジャックだ」
「そう、ジャック君だったな。君は何を目的に地上に来た?」
こちらの名前を覚えようという気の薄そうなやりとりにため息をつきながらも、気を取り直して応答する。
「護符だ。地上に出た証になる、ヴォルトの護符を探さなくてはならない」
「ああ、先ほどの旧き神ヴォルトの。地上にあるのか?」
「砕けた箱舟から散ったものが地上にある、ということらしいんだが…」
「根拠が薄いか」
「護符を手に戻った英雄の話も、俺には正直眉唾だった。村にあった証拠の護符も、普通に考えれば箱舟と一緒に地の底にあったと考えるのが当然だろう。多少浅い階層にあったにしても、だ。本当を言えば、俺は地上というものの存在さえ信じてはいなかった」
「つまり、死出の旅路と思っていたものが本当に地上に着いてしまったので戸惑っているわけだな」
情けない話だがそういうことになる。さりとて、わざわざあんな村に帰るために存在も定かではない護符を探そうなどというのは、酔狂を通り越して暗愚だろう。目的を失い、俺は大いに戸惑っていた。
沈黙する俺に、ナビは開いていた書物をぱたんと閉じ、俺の目をじっと見た。
「私がこの遺跡の調査に入ったのはほんの数ヶ月前だが、前任者の記録ではここ数年のうちにこの周辺で身元不明の鼠人が出没したという記述は見られない。村の英雄とやらが地上に辿り着いたというのが虚偽であれ事実であれ、ここ数年では君が唯一の地上到達者である事実はおそらく変わるまい。それもその円匙(スペード)一本でだ…得がたい人材だな」
壁に立てかけられた俺の得物、地下でかろうじて俺の命を繋いできた剣先ショベルに目をやり、ナビは先の月神の微笑のように目を細めた。
「どうだろう、やることが見つからないのなら暫く私の助手をしてみないか。家の世話をしてくれる者はいても、彼女は私の本業までは手伝ってくれなくてな。勿論、衣食住と給与については保証しよう」
そのぐらいの蓄えはあるのだといって、ナビは俺の返事を待つような格好をしたが、それが形式だけのものであることは彼女の満面の笑顔が物語っていた。実際、俺にはナビの提案の他にあてなどなく、返事をする必要があるのかと思いつつも俺は口を開いた。
「願ってもないことだ。どの程度役に立てるかは分からないが、世話になろうと思う」
俺のおそらく予想通りの言葉に、ナビはまた「善き哉」と応えた。



用途不明だと思っていた布製の帽子だったが、翌日の「太陽」が頭上高く輝くようになって、俺はその必要性を痛感した。
ナビによると、あれは試練を好むラー神の威光の顕われであるという。なるほど、こうして地上の人々を焙るのも神の試練の一環なのか。この手の矛があそこまで届かないのがまったくもって無念である。
髭と体毛をじりじりとあぶられる感覚に辟易していると、不意にちりん、と鈴の音が転がった。振り向くと、日除けの傘を差し手にはバスケットをさげた白兎人が立っていた。
「ご苦労、ササラ」
同じく鈴の音で気づいたのであろう、俺の出てきた穴を調べなおしていたナビが自身の昼食を持参してきた彼女に労いの言葉をかけ、ササラの返す会釈の確認もそこそこにさっさと元の作業に戻った。

ササラはナビの身の回りの世話をしている、いわゆる使用人のような存在らしい。ナビの自室があれほど雑然としているのに、その他の部屋が意外なほどすっきり片付いていたのも彼女によるものだったようだ。
ただ、物静か…というか喋らない上に必要以上に家の中をあちこち動き回るタイプでもないらしく、すでに同じ屋根の下にいたというのに俺はかなりの間その存在に気づかなかった。はじめて遭遇した時は真っ白な外見も相まって一瞬幽霊かと誤解するほどだった。ナビはナビで「すまん、紹介を忘れていた」という調子で、俺は誰を怒ったものか迷った挙句、ため息をついて流した。

バスケットはサイズからおそらく二人分で、俺に弁当を渡すとササラは家のほうに戻るつもりのようだった。とりあえずこちらも会釈して受け取ると、ササラがふと、その手を「ちょっと待って」というように引き止める動きをした。
何事だろうと思っていると、ササラはバスケットと一緒に持参したものをこちらに手渡した。ナビの布製のものとは違う、何かの茎を編んで作ったような帽子だった。
「ああ、かたじけない」
礼を言って頭を下げると、ササラもちりん、と鈴の音をさせて会釈し、すっと踵を返して帰っていった。
喋らない彼女の所在は、胸元の鈴がかろうじて教えてくれる。そんなものが付いていてなお存在感の薄い彼女に、一周まわって感心さえ覚えてしまう。
受け取った帽子を頭に被ると、試練の神の威光を多少はやわらげてくれた。
「いい子だろう?」
穴の中からナビの声がする。俺はわざわざ答える必要を感じなかったので、そのまま見張りを続けた。



俺の来たルートは、途中めくらトカゲの追撃を防ごうと崩した箇所が念入りに崩し過ぎたせいで復旧には十分な人手と時間がかかりそうだとわかったが、俺はそうかと返すほかなかった。
いまだ護符については何もわかっていない以上、戻るにしても当分先の話になるだろう。うろ覚えでなぐり書いたヴォルト神の印章だけが頼りなのだから、気の長い話になりそうだった。
「なに、ここの地下に鼠人が住まうという伝承は残っていたのだから最低一人は先人がいるよ」
「その先人が本当に里に帰ったとは限らないぞ」
「それはそうだがな、研究職というものは『ある筈ない』で進めてたら始まらんのだ。証拠ひとつでまるっきりひっくり返るのが常なのだから柔軟にいかないとな」
「そういうものか」
「そういうものさ」
ナビの物言いはいつでものらくらと捉えどころがないが、ひとたびこうと決めたらそこからブレることがない。まさしく蛇の歩みのようだと思う。


  • 謎多き場所という雰囲気漂う地中の人々が続々と地上に出てきたらどういう交流が生まれるか?と想像してしまう一本。 世捨て人風ながらもほんわかしたナビ達の生活が和む。 異世界のどのあたりのお話なのかも気になるところ -- (名無しさん) 2013-09-07 12:06:28
  • 逆進行ダンジョンから地上を地上と分からない感覚が面白い。地下の伝承が地上にも知られているということは何かしらの交流がある? この組み合わせでまた別の話を期待したい -- (名無しさん) 2014-08-15 03:12:16
  • すぐに護符の手がかりが得られて向かうものと思っていたけどこれはかなり壮大な展開になりそうな? -- (名無しさん) 2014-08-18 01:43:53
  • 異世界のさらにどの国とも離れてなお地上ではない国の風景って気になる -- (名無しさん) 2014-12-06 16:46:39
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最終更新:2014年08月17日 21:45