【単純明快複雑怪奇】

■■■ side A ■■■

 夏の日差しは、いつだって悪意をもってして輝きを忘れない。それは、異世界人を受け入れている私立十津那学園であっても変わらない。放課後の夕暮れ時になった今も、飽きもせず燦々としている。俺は、その陽射に晒されながら、いそしそとPC室へと向かう。部活動があるのだ。
 情報処理部の部室として使用を許可されている第4パソコン室に、俺以外に人影は無い。部員は俺ただ一人なので、当然だ。
 空調が壊れたまま放っておかれているパソコン室は、地獄の釜のように熱い。容赦なく差し込んでくる日差しを遮るため、カーテンを引いて、送風機の電源を付けた。無駄な抵抗だろうが、無いよりはマシだろう。次いで、パソコン室に備え付けのコーヒーメイカーでコーヒーを淹れる。どんな季節だろうと、熱いコーヒーしか淹れないコーヒーメイカーの融通の無さに呆れながら、カップに口を付けてPCの電源を入れた。
 PCの起動と共に、やかましいファンの音がパソコン室に響く。
「アリスケ?いるー?」
「おう、入っていいぞ。ベニコマチ」
 最近、俺一人しか使用していなかった第4パソコン室に新たな人影が加わった。異世界からの留学生の蜘蛛人で、ベニコマチと呼ばれている。
 ベニコマチと言う名前は、どこかの誰かが彼女の生体固有番号を文字って名付けた、所謂、アダ名だ。育った環境故か、彼女は自分自身のことを生体固有番号で表す不自然さに何も感じていないようで、そのアダ名に執着など無いようだが、俺は彼女をベニコマチと呼んだ人の感性に共感する。紅玉のような彼女の複眼と蟲人特有の華奢な身体つきを、よく表していると感じるからだ。
「本来なら、部員以外が放課後の第4パソコン室を利用するのは、禁止されてるんだぜ」
「堅いこと言わないの。クラスメイトのよしみじゃん」
「そんなよしみはない。いいからさっさと部員になれよ。そうすれば、俺もいつ先生方に見つかるのかと焦燥する必要もなくなる」
「視覚情報の処理なんて、私の趣味じゃないわ。私が好きなのは、生体の思考分析や、感情概論だから」
 ベニコマチは蟲人であり、その嗜好も少し特殊だ。生まれながらにして演算装置との繋がりを持つ彼女は、PCのようなインターフェースを介した情報を好まない。彼女は、コンピュータの画面に映し出された視覚情報のことを『養殖された情報』と呼んでいた。
 もっとも、同じ蟲人でも、持ち前の演算能力をもってPC処理を行うことを好む傾向をもった奴もいるわけだから、ただ単に個人の好みの問題なのかも知れないが。
「パソコンが気に入らないってなら、早いところ帰れよ」
「じゃあさ、アリスケの脳をカプッといっちゃっていい?」
 部活の勧誘を行なっていたはずなのだが、何でそんな話になっているのだろうか。
「会話って疲れるじゃん。有助の情報記憶器官を乗っ取れば、有助が何でそんなにその端末に拘るのか分かる」
「そうか。なら食べて構わない。だから、早めにこの部屋から出ていけよ」
「バカね、冗談よ。だいたい、アリスケを食べちゃったら、お話出来なくなるじゃん。そんな勿体無いことしないよ」
「そうかよ」

 情報処理部なんて大層な名前だが、やっていることはネットサーフィンだ。毎年、文化祭の時期になると少しは忙しくなるが普段は相当に暇である。情報処理技術者試験の勉強をする必要もあるのだが、俺はそんな真面目な学生ではなかった。
 暇を持て余す俺は、動画サイトに投稿されているミージックバンドのPVを見るのが日課となっている。それは、ベニコマチが来てからも変わらない。
「音楽は、どこに行っても変わらないね。空気の振動が人を癒すなんて、変なの」
「単純明快で複雑怪奇を地で行く人間らしいじゃないか。俺は好きだ」
「アリスケがよく言ってる『人間の二律背反性』ってやつね。“殺したいほど、アイしてる”とか」
 脊髄に氷を流しこまれたような寒気を感じて、夏の暑さも忘れて黙りこんでしまう。紅い夕日に溶け込む彼女の瞳は、感情を察し難くて、少しだけ、怖い。
「本気になるなよ。ちょっと怖いぞ、お前」
「もう、茶化さないでよ。アリスケ」
 茶化すなって言われてもな。茶化さなかったら、俺そのまま殺されてたんじゃないだろうか。さっき感じた怖気は、恋のトキメキではなく、命の危険だった。ん?ということは、俺は殺されたいほどには、彼女の愛されてる訳か。でもスマンな。俺は蟲人は好みじゃないし、何より他に好きな人がいる。お前の好意は受け取れない。

「それじゃあ私、今日はもう帰るね。また明日、アリスケ」
 軽い会話と3,4曲のPVを鑑賞して、いつものようにベニコマチは別れの挨拶を告げた。
「明日こそは、部室を訪ねに来るなよ」
 もはや定例句になってしまった別れの挨拶を交わしたあと、コーヒーカップに口を付けた。コーヒーメイカーで淹れたコーヒーは、いつの間にか温くなっていて、美味しくなかった。分かってはいたが、飲み干した。

■■■ side B ■■■

 アリスケからは、美味しそうなニオイがする。もちろん下ネタ的な意味で。
 彼の子を成したい、とかそう言ったことを考えているわけで、しかし、中々上手く行かない。
 彼と結ばれれば、もう少しだけ人間についての情報を得ることができると思う。
 なんとか物にできないだろうかとアプローチをかけているが、思うような成果は上がらない。アリスケの行動を観察していると、どうやら彼には、恋慕を抱く女性が居るようだった。私に靡かないのは、そのためだ。
 その女性には、仲のいい男性がいるようで、アリスケもそれには気がついているようだった。私に気付けて、アリスケに気付けないわけもない、か。
「アリスケは、あの蛇女のことが好きなのね」
「ぐ」
 珍しい表情だ。いつもは死んだ魚みたいな目をしているくせに。私がアリスケの恋慕を指摘すると、彼は潰れたカエルみたいな声を出して驚いた。
「でもあの蛇女はさ。他に好きな個体がいるよね」
 アリスケがそのことを知っていると分かっていたけれど、あえて指摘をした。うろたえる彼がもの珍しいから、もう少しだけ情報収集しようと思った。私の大好物である『生きた情報』の収集を。
「それくらい知ってる。自分の思い人の思い人が分からないくらい、耄碌してねーよ。あの野郎は良くできたヤツだからな。俺なんかが太刀打ちできるとは思ってない」
「それでも、あの蛇女のことが好きなの?」
 そんなの、辛いだけなのに。
 さっさと他の個体に目を向けたほうが、効率的だ。そんな簡単なことは、情報演算しなくても分かるはずなのに。
「好きな人がいるから、その人のことを好きになるのを辞めますって、そう単純なものでもないだろう」
 アリスケは笑って言ったけど、無理しているのがわかった。枯れた笑顔って言葉は、今のアリスケのためにあるようなものだな、と思った。
「そう単純でもない、か。本当に『二律背反的』で。困っちゃうわ」
 今まで相手にして来た計算問題とは違う、ヒトの複雑な感情に辟易する。
 簡単に、すっぱり諦められない。そんな生体情報が美味しいから、私は今日も第4パソコン室に向かう。

「アリスケには、勝ち目が無いワケだ。彼、それなりに素敵だものね」
 いつも通りの放課後のPC室で、アリスケに聞こえるようにわざとつぶやく。 
「なんだ?お前までアイツに惚れたのか?」
 私の意地悪に気がついたのだろう。アリスケも、意地汚く仕返ししてきた。
「違う、っつーの」
 そう言って、アリスケの肩に拳を突き出した。それなりに力が入っていたから、アリスケは痛がっていた。
 ざまあみろ、バーカ。


  • 蟲人の考えや行動が一風変わっているというのがよく分かる。学生らしい恋愛感情も思わずにやにやしてしまうほどに不器用 -- (名無しさん) 2014-02-16 18:44:46
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最終更新:2012年04月08日 22:23