【空を見仰ぐ小鳥の話】

浮遊島の鳥着き場、飛び近づいて来るは大籠を吊り下げた巨鳥だ。
最後に大きく羽を打ち、ぶわり、風を巻き起こし舞い降りる。
籠からわらわらと湧いてくる人影の中に、鳥人の少女が一人目立つ。
人込みに目を回し周りの光景に目を回し、きゃーきゃー言ってるその姿は、いかにもお上りさんという風情であった。


   空を見仰ぐ小鳥の話


「うぅ……、あ、ありがとうございますぅ……」

山から出たばかりの田舎者に、都会の洗礼はとても厳しいのです。
わたしの身も心も、最初の一歩でずたずたになりかけました。
そこから救い出してくれたのが、目の前にいる女のヒトです。
羽と瞳から醸し出される厳しさは、長い年月だけが染み付かせるもので。 
しかし、今は呆れのヴェールが雰囲気をやわらかくさせていて。
わたしは、ホッとすると共に恐縮するのでした。
「まったく……。ケアトル家に仕えるのならば、もっとしっかりして貰わなければ困ります」
彼女はケアトル家の侍従長で、これからのわたしの上司。
そう、わたしはケアトル家へ奉公に出されたのです。
山岳にあるわたしの村では優秀なほうで、それを買ってくれたそうです。
山で培われたわたしの自尊心は、早々にどこかへいってしまったのですけれど。

「うぅっ……。ごめんなさいぃ……。気を付けますぅ……」
「ほら、語尾を無駄にのばさないこと。もっと、はきはきと喋りなさい」
「ぁぅ……、わかりました……」
「返事は“はい”一つ!」
「は、はい!」
「よろしい。ついてきなさい」
「はい!」

飛び立つ侍従長に、わたしは慌てて着いていきます。
前途多難そうだけれど、頑張っていきたいなぁ。
侍従長を追い掛けながら、わたしはこれからに思いを馳せるばかりです。
こうして、わたしの新たな生活は始まるのでした。


「あのお屋敷が、私たちのケアトル家になるわ」
「うわあ……!おっきい……!」

侍従長が示したそれは、見たこともないほどの立派なお屋敷です。
あまりの立派さに、口に手を当てびっくりして落ちてしまいそうになったのも無理はありません。
そんな風にわたわたしていたのですけれど、侍従長のことが急に頭によぎりました。
バッと振り向き見ますと、微笑ましそうな表情をしていて、わたしはどこかへ隠れてしまいたくなるのでした。



侍従服を貰えば、くるっと裾ひるがえし回ってみたり。
素敵なレイディになった気分で、仕事をするぞと気合いを入れたら足を踏んで転んでしまったのが、わたしです。
その姿は主観客観どこから見ても、まぬけ以外の何物でもなく、調子にノリきる前にわたしは身の程をしってしまったのでした。

それはそれとして、言い遣わされた最初の仕事は廊下のお掃除です。
このお屋敷の廊下は広く長く、掃除しきれるものかなと果てしない気持ちになりましたし、
ホコリ一つないので果たして掃除をする意味があるのかなとも思いました。
といいますか、思うどころか呟いていました。しかも同僚さんの目前でだったのだから困ります。
わたしには、口の軽いところが多分にあるのでした。
どんな反応を返してくるのでしょうかと身構えたのでしたが、
同僚さんは「そう思うのも、わかるわ」と返し、「だけどね、」と優しく諭してきたのでした。
こうなると一層決まりの悪い感じでして、仕方がありませんから掃除に精を出すことにするわたしです。



わたしは雑巾を装備して、「よっし、初仕事です」と気合いを改め励んでいました。
そんな中。不意に、風の雰囲気が変わりました。
(なんでしょうか?)と思って一拍。
頭がぎゅむっと踏み潰され、わたしはうぎゃーと悲鳴を上げてしまいます。

「おや、やわらかい床であるな」

そんなとぼけた、それでいて澄んだ声が頭上から届きました。
(何を言ってるんでしょうか、こいつは)
苛立ち混じりに目を遣ると、美しい翼に飛行特化の姿。
なんと純鳥人の貴族様であるのだから何も言えません。初めて見ますけれど、ご主人様に違いありません。

「ところで、我は何故廊下にいるのだろうか?」
わたしを踏み付けにしたまま、ご主人様は寝呆けた発言をされました。
「『我は、散歩に行こう』ご主人様は、そうおっしゃっていましたよ」
それにオウム人の秘書が、ご主人様の声色をすっかり真似て返します。
「なるほどなるほど。では、足元に従者が潜り込んでいるは何故だろうか?」
「ご主人様が、お踏みになられたからでございます」
「おお、すっかり忘れておったわ。
 気にするな、我が従者よ。おそらく悪気はなかったのだ」

ご主人様は、そう言い放ち、すたすたと去って行きました。
わたしは、何だかこう憤懣やるかたありません。だから愚痴を吐き出すつもりで、ことの次第をすべて同僚さんに話したのです。
わたしとしては憤りを共有したかったのですけれど、同僚さんったらご主人様に肯定的な慈愛混じりの雰囲気で
「周りには気を付けなさいよ」などと言うものですから、腑に落ちません。

ちょっとしたことは起こりましたが、他に大事もなく掃除は終わりました。
そうして一息つく同僚さんとわたしでしたが、侍従長がいきなり現れて二人の頭に拳骨を落とすのでした。
侍従長は床が「まだ汚れている」と言いました。首をひねるわたしたちに、侍従長は指差し示します。
確かに、確かにそこに汚れはありました。ですけど、そんなの誰も気付くはずがありませんよ!意地悪な小姑の他には!
そう叫びたい気持ちでしたが、同僚さんが神妙そうにうなずいていますので、わたしも右にならいました。
ひとしきりお小言をくれると、侍従長は去っていきました。
さぁて、愚痴話に花を咲かせようと振り向くと、同僚さんは掃除の準備をはじめていました。
わたしは、なんだか気まずいような心地でした。



そして幾日かがすぎまして、わたしなんだか五月病です。
同僚のみなさんの熱意についていきません。
ご主人様はボケボケで余計な仕事を増やしてばかり、だけどみんなそれを喜んでいる節があるのです。
周りに合わせようと頑張ってきましたが、そろそろ本格的に疲れてきました。限界です。
ということを思ってるだけならよかったのですが、同僚さんの前でうっかり呟いていました。
わたしの口は羽のように軽いのです。
(失敗しました…!)と身構えるわたしに、同僚さんは一つ質問を投げ掛けました。
「ご主人様が飛ばれるところ見たことある?」



というわけで、午後の飛行を二人で見物に行きました。
ですが、いつも休憩時間はお昼寝しているので眠くてたまりません。
暖かなそよ風もあくびを誘います。

一転。
それを吹き飛ばすような流麗な鳴き声が響きました。

一瞬で風は止み、眠気が雲散霧消。
大気がぴりぴりと震えはじめたのは期待の証。
ご主人様の登場です。

ご主人様は壮麗な翼を大きくゆっくりと広げ、一気呵成に振り下ろします。
遠く離れていたわたしたちにまで、暴風が響きました。
思わず目を瞑り、翼で顔を覆いました。
恐る恐る目蓋を開いた次の瞬間には、ご主人様は跡形なく消え失せていました。
何が起こったんだろうときょろきょろするわたしに、同僚さんが教えてくれました。

「真上を見て」
「…………、あ、あれ……?」

天上の遥か高み、小さな黒い影、それこそがご主人様でした。
あの一瞬で、あの一打ちで、一体どこまで昇ったのでしょう!
次に、ご主人様は一筋の流星となり落下を始めました。
そのまま落ちながら一声鳴き、また鳴き、断続する声が制御された風のうなりと混じり天上の調べを紡ぎだしました。
聞き惚れているうちに、ご主人様は地盤に激突間近で減速もありません。
声無き悲鳴を上げかけたその時、ご主人様は音も無く反転、天高くへと舞い上がります。
空の中でご主人様は天衣無縫縦横無尽です。
空は流麗な軌跡のためのキャンパスで、空は豪胆な舞踏のための舞台で、空は鳴り響く楽器そのものです。

呆然としているわたしに、同僚さんはどこか誇らしげな表情で言いました。
「これこそ、高貴の中の高貴であられる方々だけが創りだされるもの。
あたし達は空を切って飛ぶけれど、ご主人様は空になられて舞われるのよ」
「すごい、です……。本当に、世界が違う……」

わたしは空に目を釘づけにされながら、知らず、涙を流していました。
同僚さんもまた、空から目を離さず、続けて言いました。
「その御頭も御声も御翼も、すべて空に親しまれるためだけにあらせるんだわ。
 重みという重みが、どこもでも失せていらっしゃるのよ。
 だから、あんなにも高く、高いのでしょうね……」
同僚さんは、一拍言葉を切り、力を込めて言い放ちます。
「でも、だからこそ、ご主人様は地に御足を着けて生きていけないの。
 あたしたちがいないと少し飛んで、墜ちて、それでおしまい。
 あたしたちは必要とされてるの。あたしたちがいないと存分に飛べないのよ。
 空を舞うご主人様をあたしたちが支えている。あたしたちが、ご主人様の羽の一本なのだわ。
 そして、あなたもその羽の一本なのよ……」
同僚さんは、それっきり黙ってしまいました。

わたしの胸は震えてました。興奮で、涙が出てきました。
みんなにあって、わたしになかったもの。それを手に入れたわたしに、もはや何の苦しみもありません。
空を見上げながら、わたしは思います。
わたしには見えました。
わたしの誇りとそのほかすべてが、この空に。

ご主人様がまた一声鳴き、天高くより美妙な調べが響き渡っていくのでした。


  • 牧歌的な雰囲気が心地よいですね。いかにもな奉公人と三歩鳥頭なれど威厳を見せた主の対比がオルニト文化を垣間見せてくれました -- (名無しさん) 2014-04-27 17:25:39
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最終更新:2012年10月07日 20:25